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江戸時代の食事事情、大変面白かったです😄特に!!尾崎石城の食日記が大変、興味深い内容でした。尾崎石城の様な食生活を続けていたら一生スマートでいられますね😁
未来のゆっくり「2020年代の人々は『バエルー』というものを食べていたみたいなんだぜ。画像付きでたくさん記録が残ってるぜ」
尾崎石城の食事の内容は時代なりだろうけど、どう見ても量が少ない。今なら過酷なダイエット食ですよね。夜は熟睡出来たのだろうかと心配してしまいます。しかし、良い意味で治安に専心できた?平和な江戸時代の食事のような気がします。ただ、石城は食事にあまり執着しない人間だったのかな?と思います。
何でも食べられる今はほんと感謝したいね
親が子を食べるのは追い詰められていたのもあると思うが、童謡「通りゃんせ」にあるように当時の子供は生存率が低い→幼いうちはまだ神様のもので、七歳の誕生日を迎えて初めて完全に我が子となるという考え方があったからこの子はまだ私の子ではなく神様からの贈り物だから食べても多少はね、というのも言い訳として手伝ったのかなと思ったりしてこの時代に通りゃんせのような考え方が存在したかは知らないけど何にしても現代とは価値観は違うだろうからな
石城の食事記録が本当に一日の食事量だとするとヤバいですね。50歳で亡くなった原因は食事でしょうね。飢饉は本当に辛そう。下手すると餓死ですし。WW2時の南方戦線の日本軍兵士にも餓死者が結構いたらしいけれど、とても苦しかったでしょうね。戦記などでは、蛸壺の中で「栄養のありそうな」地層の土を舐めたとか、倒した敵兵の内蔵だけ埋葬(ここが腐ると一番臭うから)する時に体液を舐めたとかあってホラーそのもの。そういえば、江戸時代の飢饉の時、「泥粥」を食べたと言う記録も有り、昔NHKの番組でも再現して試食してました。絶食は4日過ぎると「痛くなる」のは初耳でした。以前、火がよく通ってない鶏肉に当たって4日間、少しの水しか咽を通らなかった時は、水下痢が苦しくて痛さは無かったけど、健常者だと分泌される胃液で痛くなるかも知れませんね。
数百年前のおかずすら説明無しで分かる料理があるから凄いよな。鰹節ご飯は俺も食べるわ…醤油あるけど…
頑張って、玄米3合食べてます。
尾崎さん。。。なんか友達になれそう笑ってか普通に良い食生活。
霊夢「私、ガリ嫌い」食いしん坊のクセに意外
あそこの行商のお惣菜美味しいで~とかいう会話もあったのかしら、、、
寿司🍣も鰻かば焼きも江戸時代からあったんだな
因みに江戸時代ではマグロはヅケが主流である。当時は冷凍技術が無いので醤油に漬けて保存されていた。
漬物は置かずには含まれない
つみいれ汁は、つみれ汁ではなくて、すいとん、あるいは団子汁のような物ではないでしょうか? 小麦を水で練って汁に入れたものをつみいれと呼ぶ地方がありますし、忍藩のあった埼玉東部は小麦の産地で二毛作で小麦が作られ、米の代わりとして小麦の加工品は食べられていました。
尾崎石城さん😄今の人なら大変ですがこの食生活内容なら1か月5000円生活も行かないですな😮
石城さんは、酒井 伴四郎さんや朝日文左衛門さんに比べたら、食への関心がなかったんですね
尾崎石城さんは栄養失調で亡くなられたかもですな😢
トルコ人の1日のパンの消費量もすさまじいです。
玄米食べてるんだから農民が白米食えないわけじゃなかった。習慣や決まり事として祝い事で食うことが前提の食べ物になってただけかと。あと体感的に玄米が体にはいいとは知ってたんと違うかな。
禄として与えられた米と安い給金で買った食材しか持たなかった下級武士より、色々耕作して自給出来た農民の方が、米事情以外はよっぽど豊かな食生活を送ってたようだw
菜種油は高価で、庶民の多くは魚脂を使っていて臭かったと聞いたけど。。。農民がほとんど米を食べないとしたら、人口の少ない武士・町民がめちゃくちゃ米食っていた計算になるんだけどねw二毛作が出来た西国は米と麦(年貢がかからない)他を混ぜていたが、東北はきびしかった話を全国レベルの話にしてしまう。。。昔の地域格差をないものにするから変な話になる。。。庶民や下級武士は、酒を水で割って呑んでいた。水を多くしすぎると不味いw
武士は食わねど…。農民を刀で脅して食料奪ってる訳だからなあ、プライドも何も無いと思うのだが😅
俗にいう『江戸患い』は脚気の事で原因は白米の食べ過ぎですよ
江戸時代の食事事情、大変
面白かったです😄
特に!!尾崎石城の食日記が
大変、興味深い内容でした。
尾崎石城の様な食生活を
続けていたら一生スマートで
いられますね😁
未来のゆっくり
「2020年代の人々は『バエルー』というものを食べていたみたいなんだぜ。画像付きでたくさん記録が残ってるぜ」
尾崎石城の食事の内容は時代なりだろうけど、どう見ても量が少ない。今なら過酷なダイエット食ですよね。夜は熟睡出来たのだろうかと心配してしまいます。しかし、良い意味で治安に専心できた?平和な江戸時代の食事のような気がします。ただ、石城は食事にあまり執着しない人間だったのかな?と思います。
何でも食べられる今はほんと感謝したいね
親が子を食べるのは追い詰められていたのもあると思うが、童謡「通りゃんせ」にあるように当時の子供は生存率が低い→幼いうちはまだ神様のもので、七歳の誕生日を迎えて初めて完全に我が子となるという考え方があったからこの子はまだ私の子ではなく神様からの贈り物だから食べても多少はね、というのも言い訳として手伝ったのかなと思ったりして
この時代に通りゃんせのような考え方が存在したかは知らないけど
何にしても現代とは価値観は違うだろうからな
石城の食事記録が本当に一日の食事量だとするとヤバいですね。50歳で亡くなった原因は食事でしょうね。
飢饉は本当に辛そう。下手すると餓死ですし。WW2時の南方戦線の日本軍兵士にも餓死者が結構いたらしいけれど、とても苦しかったでしょうね。戦記などでは、蛸壺の中で「栄養のありそうな」地層の土を舐めたとか、倒した敵兵の内蔵だけ埋葬(ここが腐ると一番臭うから)する時に体液を舐めたとかあってホラーそのもの。そういえば、江戸時代の飢饉の時、「泥粥」を食べたと言う記録も有り、昔NHKの番組でも再現して試食してました。
絶食は4日過ぎると「痛くなる」のは初耳でした。以前、火がよく通ってない鶏肉に当たって4日間、少しの水しか咽を通らなかった時は、水下痢が苦しくて痛さは無かったけど、健常者だと分泌される胃液で痛くなるかも知れませんね。
数百年前のおかずすら説明無しで分かる料理があるから凄いよな。
鰹節ご飯は俺も食べるわ…醤油あるけど…
頑張って、玄米3合食べてます。
尾崎さん。。。なんか友達になれそう笑
ってか普通に良い食生活。
霊夢「私、ガリ嫌い」
食いしん坊のクセに意外
あそこの行商のお惣菜美味しいで~
とかいう会話もあったのかしら、、、
寿司🍣も鰻かば焼きも江戸時代からあったんだな
因みに江戸時代ではマグロはヅケが主流である。当時は冷凍技術が無いので醤油に漬けて保存されていた。
漬物は置かずには含まれない
つみいれ汁は、つみれ汁ではなくて、すいとん、あるいは団子汁のような物ではないでしょうか? 小麦を水で練って汁に入れたものをつみいれと呼ぶ地方がありますし、忍藩のあった埼玉東部は小麦の産地で二毛作で小麦が作られ、米の代わりとして小麦の加工品は食べられていました。
尾崎石城さん😄
今の人なら大変ですが
この食生活内容なら
1か月5000円生活も
行かないですな😮
石城さんは、酒井 伴四郎さんや朝日文左衛門さんに比べたら、食への関心がなかったんですね
尾崎石城さんは栄養失調で
亡くなられたかもですな😢
トルコ人の1日のパンの消費量もすさまじいです。
玄米食べてるんだから農民が白米食えないわけじゃなかった。
習慣や決まり事として祝い事で食うことが前提の食べ物になってただけかと。
あと体感的に玄米が体にはいいとは知ってたんと違うかな。
禄として与えられた米と安い給金で買った食材しか持たなかった下級武士より、色々耕作して自給出来た農民の方が、米事情以外はよっぽど豊かな食生活を送ってたようだw
菜種油は高価で、庶民の多くは魚脂を使っていて臭かったと聞いたけど。。。
農民がほとんど米を食べないとしたら、人口の少ない武士・町民がめちゃくちゃ米食っていた計算になるんだけどねw
二毛作が出来た西国は米と麦(年貢がかからない)他を混ぜていたが、東北はきびしかった話を全国レベルの話にしてしまう。。。
昔の地域格差をないものにするから変な話になる。。。
庶民や下級武士は、酒を水で割って呑んでいた。
水を多くしすぎると不味いw
武士は食わねど…。
農民を刀で脅して食料奪ってる訳だからなあ、プライドも何も無いと思うのだが😅
俗にいう『江戸患い』は脚気の事で原因は白米の食べ過ぎですよ
江戸時代の食事事情、大変
面白かったです😄
特に!!尾崎石城の食日記が
大変、興味深い内容でした。
尾崎石城の様な食生活を
続けていたら一生スマートで
いられますね😁