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チェリー発売当時を知る者です。サニーとチェリーは、その排気量には関係なく、駆動方式、ボディタイプを含めた車のコンセプトでユーザーが区別されていました。そういえばCMの手法に「日本初のティザーキャンペーン(発売前の車をチラ見せして期待感をあおる)」を行って、あまり車に興味のない普通の人にも広く注目を集めた車でもありましたスポーツモデル「チェリーX1」のグレード名は、先行キャンペーン時の仮車名「X」から取ったものですし、クーペのスポーツモデル「X1R」はオーバーフェンダー装着と合わせて「GTR」を想起させるものでした サニーはFRでトラディショナルなセダンとクーペで大人向け。チェリーは2BOXデザイン(無印)やハッチバック(クーペ)の先駆けで「外観よりも実用性(ボディのスペース効率、乗員の乗り降り、荷物の出し入れのしやすさ等)を重視する新世代の若者向け」が当初のコンセプトでした。そういう意味では、チェリーのコンセプトは「新時代のミニ」であり、「(単なるミニの模倣ではなく)もっと先の時代を見越した、斬新なコンセプトの車」だったと言えます初代チェリーのデザイン初期はハッチバックも検討されましたが、主にボディ剛性の問題と、あまりにも時代を先取りしすぎな外観(当時の大人の価値観では商業バンに見えたらしい)で役員の理解が得られずで頓挫したそうで、そのデザインはチェリーバンにかなり近かったらしいです結果的に、よりスタイリッシュだが、テールゲートの開口部が高い位置にあるせいで、テールゲートの実用性がやや落ちる「クーペ」がチェリー初のハッチバッククーペとして登場しました2代目チェリーFⅡもデザインはこの方向性を受け継いだもので「伝統的なスタイル重視で、実用性が中途半端」なまま終わりました(とはいえ海の向こうのフランスではこのデザインが大ヒットし、お金持ちのステータスにまでなったそうです(当時のフランス車は実用性最優先で見た目がダサく、日本車にはあって当たり前のクーラーなどの快適装備なども無かったのです))ただ、残念なことにこのデザイン変更(実用性を捨ててやや保守的な外観に)の所為で「日本初の近代的FF2BOX実用ハッチバック」の称号(と知名度)は、初代シビック後期型(前期型はトランク付きのセダンのみ、後期型でハッチバックが初登場)にまんまとかっさらわれることになってしまいましたそして、時は流れ1970年代後半、シビックハッチバックやファミリアハッチバックなどのヒットによって「2BOXハッチバック」が若者を中心に爆発的なブームとなり、それを受けて、チェリーは大幅にコンセプトを変えて初代開発初期にたちかえり、3代目が開発されることになりました。こうして開発されたのが「パルサー」で、技術的内容は初代チェリーの正統進化版と言ってよい車でした。ただ残念なことに、日本では二代目チェリーFⅡの売れ行きがあまり芳しくなかったため「不人気モデルの名前を消す」事が決定されてしまい「チェリー」の名前は二代限りで消えましたが、「プリンス系技術者による進歩的な小型乗用車」の存在自体は脈々と受け継がれることになります別の方も言及されていますが、パルサーの販売網が長らく「チェリー店」のままだったことも印象深いですその後のパルサーの各方面ことにモータースポーツ方面での活躍ぶりはは「パルサーGTI-R」等でご存知の事と思います!
チェリーバンのデザインは格好いいんだ。特に二代目のFⅡはバンが一番格好いい。あと、セダンの後席が狭い!クーペより頭上空間がないってどうよ?と思ってた。
私、60の爺です、最初のマイカーX1クーペ初期がた、速かったですよ、昔はやった信号GP2リッター位の車でも、軽いから負けませんでした、直線長いと伸びで負けますけどコーナーの突っ込みや立ち上がりでかもれました、たーいんが良く効きました、これで車🚙覚えましたのでFR乗ったら今で言うスライド案外簡単でした、昔のFFのアクセルコントロールは独特でしたから、皆な嫌がりました、これで曲がる、止まるを覚えたので、何乗ってもそこそこ速かったですよ、昔の話でした。
ホイルスピンや戦車ターンなど簡単に出来た車でした。峠だと敵なしだったです。アイスバーンの上を普通に走れました。
FFの挙動がまだよく分からなかった時代にチェリーを乗りこなした星野選手はさすがだなと思う。写真を見ていたら当時X-1のテールランプを縦に付け替える兄ちゃんがいたのを思い出した。
ケンメリとかにナナメにしてつり目にしたりしてましたね✨
街道レーサー(族車含)あるあるですね。アオシマのケンメリもオプションパーツでツリ目グリルが入っていました。
4輪レースに転向する時、唯一スポンサーになってくれたのが「日産チェリー静岡」だったんだ。星野さん本人が、慣れない営業で駆けずり回ってやっとスポンサーになってくれたんだ。チェリー以外選択肢はないでしょ。それ以降日産に拘ってるのは、恩を感じてるからだとご本人が・・・
この車のスゴい所は30センチの新雪路でもチェーン無しでモリモリ走ってしまう事。特に雪融け時のグチャグチャ道では他のFR車が軒並みスタックするのを横目にスイスイ走れた。ドアンダーやトルクステアとかネガな印象が強いけど、FF車の底力を刷り込まれた車でした。もっとも、昔の車なのでタイヤむき出しのようなデザインであったことも影響してたと思います。今のFF車は重いしスポイラーですぐラッセルしてしまうので同じことは到底できません。今春の札幌のドカ雪では除雪の行き届かない道を無理して走ってバンパーをバキバキに破壊していた車が多数居ました。今の車は高性能ですが失ったものも多いですね。
「チェリー雨の富士を制す」なんて記録映画がありましたね、ヒストリックラリーカーのイベントでカクーンと直角にターンしてました。乗りこなせれば凄い車でしたね。
スズキフロンテに次ぐ好きなクルマです。リヤ周りの秀逸なデザインに惚れ惚れする。
うちの近所に「チェリー販売店」の看板を掲げたディーラーらしきものがありました。
車名はパルサーに変わって短命だったのに販売店の「日産チェリー店」の名前だけ結構後までそのまま続いてた地方の1店舗だけのモータース屋から販社になったようなところが多かった
西宮北口の日産がリニューアルされたら日産チェリーになってた、あと兵庫県下でもなんか看板チョイチョイ見かける、加古川とか🚙💨💨
ああ、そういう流れがあって日産プリンスパルサーズ(昔あったアメリカンフットボールチーム)に行き着いたのか、プリンスにルーツがあったチェリー初めて知りました有難うございます。
免許を取って初めて買った車が、毎日通勤のバスから眺めていたオレンジ色のチェリーX-1セダンでした。19万円は当時としても格安な中古車でしたが、初めて乗ってとにかく曲がらない。ガードレールに擦りそうになって本能的にアクセルを離したらグイッと切れ込んだ。これがタックインと言うものかと納得して、それからは自在に曲がれる様になりました。その後ターセルとかCR-XとかアコードとかFFは乗りましたが、どれもタックインは出さないように改良されており、チェリーほど楽しいじゃじゃ馬娘はありませんでした。
免許取って初めて中古で買ったチェリークーペX-1、軽い車重にツインキャブのA12エンジンでタックインとかで楽しく振り回して走って色々学んだ車でした
タックインが凄いんだよ。コーナリング中にアクセル抜くと「ガクッ!」と言う感じでインを向く。直線も早くて同系統のエンジン積んでるサニーを追い抜いたよ。後ろが見えにくかったけどね。
当方は五十代の車好きのオッサンですが、今の若い子達ってわけタックインってわかるんですか?
@@Flatout-asario あー知らないかあ!ヲイラもう今年で62だから若い人の感覚は知らないなあ。
このクルマがあったからノートはE11型からのスタートに…そして、「チェリーの星野」!(童貞って意味ではない。)
日産のディーラーの名前だったくらいだから主要な車種だったんだろうね。俺が物心ついた頃にはもうなかったけど。サニーとチェリーのディーラー名だけは覚えてる。しかし昔の車って本当にCとSのイニシャルだらけだったんだねえ。
独特な発進音が印象的なクルマでしたね。初代はモーター音のような、2代目から初期パルサーはバックギヤに入れたような発進音でした(´ω`)
チェリー(E-10型)が好きなら、My Summer Carという生活シミュレータは絶対やった方が良い。PC上でサイズの違うボルトを締めあげてエンジンブロックから配線まで全て自分で一から組み上げるフィンランド産謎ゲー。1400円とかいう優しいお値段。興味があればプレイ動画とか見ると良いかも。ハマれば数百時間人生無駄に出来る!笑
MODもあるぞ〜沼るで〜
クラッチ交換がミニと同じでエンジンルームから簡単に出来る構造になってた クーペは後ろ姿が好きだったけどフロントが地味でアンバランスな感じがしてた 最近道で見かけたけど こんなに小さい車だったけっと思った。
チェリーでの活躍があったから、JTCCで星野さん長谷見さんがプリメーラに乗ることになったときは期待していたけど、肝心のプリメーラの戦力がライバル車に比べ低かったのが痛かった。ろくに優勝争いができなくて星野さんも長谷見さんもフラストレーションが溜まる一方だったんだろうなあ。
叔母が1000ccのクーペに乗っていて、従兄弟と二人よく後ろの席に押し込められてあちこち連れていかれたけど、大人になってわかったのはA10エンジンはファミリーエンジンでもキビキビ走っていたことだな。子供が後席に乗るにはセダンと変わらない広さだった記憶。
FFホットハッチ大好きマンとしては、初代ゴルフGTIとチェリークーペ 1200Xー1・Rは最高の存在です。
次の日産は・・・バイオレット?X1-Rからわかると思うけど、パルサーの前身ですね。チェリー
バイオレットって徳大寺先生から「こんな最低な車はない」とボロカスに叩かれた車でしたね。
当時はゴルフ最高!FRセダンはゴミ!基本日本車下げ!でしたね
チェリーを取り上げるとやっぱりクーペ主体になっちゃいますね、セダンの方がデザインが好きなんですが
クーペは確か『プレーンバックスタイル』とか言われていましたね。後方視界が悪いので有名でしたが、ユニークなスタイルが意外とウケていましたよね。私は、あの個性的なデザインが好きでしたが・・・
確かに、2ドアセダンが、かっこう良かったナ❕確か、あの時代に、プリンスの、コンピューター設計だったネ❕素晴らしい車です。
セダンの方が、狭いんだよなー・・・
バンもカッコイイ。
昔の日産車は車高短にすると皆カッコ良かった!
今では考えられないが初期のFF車はペダルが助手席側にオフセットされてたのよ。
自分がまだ幼稚園の頃に父が乗ってて、人生で初めて名前を覚えた車。年代的に二代目、クーペだった事も覚えてます。懐かしい、泣きそうw
それは「チェリーFⅡ(エフツー)」だね
一見、オーバーフェンダーが付いただけに見えるX1-Rは、実は足回りはX1とは全く別物に強化され、互換性はほとんどなかったレース用車両。
日産初代チェリーですね。X一1Rのデザインが大好きですね。特にA12型エンジンは大衆車サニー譲りで個人的には1200かな。なのでグランツーリスモの次回作は初代日産チェリーX一1Rと歴代サニーを出して❗️
私が幼少時(45年程前)のファミリーカーがチェリーだったので思い入れは強い。それでなくてもデザインが神がかってるし、ロータスヨーロッパ好きにはたまらない。これがFRなら、AE86なんて乗ってないでこれ乗ってますよ…
普通は逆なんだが、スポーティーモデルのクーペの方が、荷物が多く載せられたという・・・二層式洗濯機を載せられるクーペなんてこのクルマだけw
チェリーの動画を流してもらいありがとうございます。公道を走れる現存するX-1R車は何台あるのでしょうか?私は不動車に近かった個体を整備し、現在も乗っています。
チェリーF-2(バン?)に、親が乗ってました。洗車機で水漏れ発覚。どこからか分からずサニーバン(B110系?)に入れ替え。業務で紙を積むから水漏れは致命的。多分うちの家で一番短命。1年居たかどうか。
チェリーは車も煙草も無くなりましたねチェリーのテールランプは当時流行りましたナナメにセットするのがオシャレな時代ケンメリのワンテールとか
小学校の担任の先生が新車で買って結構話題になってたな。かっこよかったよ。
こんにちは😀チェリーがプリンス企画の車だったのは知りませんでした!あの当時にFFレイアウトに取り組むとは、さすがプリンス自動車😱チェリーX1-R!ターボでもツインカムでもなくツインキャブ!😅👍このX1というスポーティグレード名、実は後継のパルサーにも受け継がれていたのは、ちょっと胸熱な話👍
ミラノX1は必ずしもスポーツグレードではなかったのが少々残念でした。
チェリーは星野和義選手がレース車両乗っていた車!日産の二軍選手はチェリーやサニーでレース出場していました。自らチューニングや修理など行っていました、
星野選手がチェリーに乗ってたのは、ちょっと違う理由。
星野さんは当時、FFの星野と言われてました。できたらこの形でEV スポーツ、更にはモーターはミッドシップとして開発してもらいたいですね。
座間記念庫に保管されているチェリーのレーシングマシンは長谷見昌弘御大の車でしたね。近年のニスモフェスティバルでは長谷見御大がドライブする機会が多く嫌がりながらも走り出すと誰も寄せ付けないほど速いそうです。
自動車の事が分からなかった高校生の頃、憧れた自動車の一つでした😁
「ルノー」なら、「チェリーX-1R」を2シーターにして「ミッドシップ」にエンジン置いちゃう様な形でカッコイイ。
チェリー運転したことあるよ!。重ステの時代なのでキックバックが凄い。(>_
タックイン(アクセルOFFで起こるフロントの巻き込み)も激しかった。
懐かしいですね~👍
チェリーは小学生の担任が乗っていました。小学校の通勤に使っていて、駐車場に止まっているのを見て小学生ながらカッコいいと思って見ていました。
ストラットサスだと転舵軸がタイヤのセンターからずれるから、FFでパワステがないとメッチャステアリングが重くなるんだよね、当時これで遊んだ人は腕がパンパンになったそうな。
チェリー、なんと⁉️奇抜なデザインなんでしようか⁉️✨👍初めて見た時、フロント、リヤ、サイド、インパネ、これ正に❗ケンメリースカイラインミニじゃないか⁉️✨と正直思いましたが、その通りでした。一代目ローレル、プリンスのG18エンジンを積み日産が発売しましたが、みごと失敗😵💧二代目以降はプリンス荻窪(旧立川飛行機―車体、繊維機械 旧中島飛行機―エンジン開発、富士精密工業、ロケット開発)の技術陣さんが担当、デザインは、スカイラインチーム‼️あのプリンスロイヤルも手掛けられた森 典彦さんチームとなり、素晴らしい‼️変身を、遂げましたね✨👍チェリーは、最初から全てプリンス荻窪技術陣さんが、担当されたのですね‼️。😊クーぺの名称❗X-1Rも正にプリンス名でしたね✨👍荻窪さんらしい‼️。😊✨ひょっとして二台共プリンス自動車時代に企画されていたのかも⁉️✨とってもユニークでチャーミング⁉️✨な車でしたが、何故か⁉️チェリーもローレルも、プリンス販売店では、販売されませんでした。😔✨👎難しい仕事はいつもプリンスに押し付け、手柄は自分の物とする日産のお家芸ですね😔❗👎👎それが今では、技術の日産なのですから?言ったもん勝ちですね😔👎👎
望むX・1R復刻❗
おじが若い頃、ソレタコデュアルにオイルクーラー、チンスポ、オバフェン、板バネ着けたX-1R乗ってました。懐かしい車です。
チェリーはガソリン給油口の鍵は他のチェリーの鍵でも開くって親父達から聞いた。
開かなかったです。
チェリーX-1Rは最初の愛車でA12型が嘘の様に回るエンジンだった。サニーはA12ツインキャブは83馬力に対して80馬力だった。クラッチの繋ぎ方のタイミングを間違えるとホイルスピンして大変だった。某大学の前で歩行者信号が赤に成っても渡り続けるのに頭に来てホイルスピンさせてタイヤから煙が出始めたら蜘蛛の子を散らす様に誰も居なくなったら同乗していた友達にマッド・マックスじゃないんだからと言われた。軽い車体と相まってサイドブレーキを引いてハンドルを思いっきり切ってクラッチを繋ぐと戦車ターンが出来たりと今の車に無い楽しさが有った。
テールレンズから存在を知ったクルマ。今でも小さめの販売店にその名を残してたりします。
トランスミッシン本体を下ろさずに、ギアボックスの一部を外すだけでクラッチディスク交換が出来たよな?整備性の良い車だったな!構造がシンプルなだけに!
ウチの親父も庭先で同じことやってた。家に整備要領書があってガキの自分が意味も分からず読みふけってた
A型エンジンは名機(^0^)
ブンブン回るので評判が良かったですね。
@@でんじろう-z9p 盗用多の名機と言われる2T-Gですが、ベースとなった2T-BはOHVにツインキャブで105馬力。それにDOHDヘッド+ソレックスキャブつけてもわずか10馬力しかアップしてない。DOHC信仰は呆れます。
@@teikoku1945 同感です。それに対して日産のDОHCには、s20 型エンジンの頃から4バルブの高回転型でDОHCの特性に拘っている所が共感出来ました。排ガス規制によって当初の性能に達しないものは妥協せず、潔く生産中止を決めたのも納得でした。s20型の160ps/18.0kg−mは素晴らしい誇れるスペックでしたし、反面、こちらで話題のチェリーに搭載されたA型エンジンはOHVながら良く回るエンジンとして技術を誇れるものだと思います。
@@teikoku1945 ポン付けツインカムにしてもフォード(ロータス)のパクリだしw
結局、トルクカーブが今の低回転トルクフルでフラットでは無く、A12型はトルクカーブがピーキーで有り、ある回転域4400回転に入るとトルクがモリモリと上がって劇的に変化します。ファイナルギア⚙比が高く1速ギア比も3.014と高いので発進加速が伸びる伸びる、いつもごぼう抜きでした。やはり軽量ボディは魅力的。試乗した、イノチェンティ1300ミニクーパーも加速が身体にダイレクトに来て良かったなー。結局、マニアックな❤に刺さる車がね。そうそう、昔、交差点の右折待ちの車高の低いレース仕様オーバーフェンダーのサイドが炎のカラーリングX-1R、今も眼に焼き付いてます。カッケーー👴🏻👍
同じA12ツインキャブでも、サニーGXはハイオク仕様で83PS、チェリーX-1はレギュラーガソリン仕様で80PS。しかし速かったのは軽いX-1。
そうです❕3馬力の差❕エアークリーナーの形も違ったですネ❕❕
あの頃は車とたばこのチェリーがあったネ…😱
高回転からのアクセルoff →タックイン→アクセル on …鋭角ターンの出来上がり
日産チェリーは親戚のおばちゃんが乗っていたのを覚えてます。まだ幼少期だったので日産チェリーがレースに出ていた事やX1Rと言うグレードを知ったのは最近になってからでした。日産チェリーの丸いテールランプを見て、幼少期は角目のテールが好きで変な形だなあと思いましたが、大人になってから見るとかなり良い感じでカッコ良いと思いました。また族者用の部品でチェリーテールなるレンズの部品があるのも凄いです。前輪駆動は確かに雨の日のレースは有利ですね。でも後輪駆動みたいにドリフトは出来ないですが、グリップ走行だと前輪駆動が有利なのかな?と思いました。
ありがとうございます 。
ケンメリセダンのテールランプと互換性があって、怒ってるような感じで装着してたよね。
アートトラックにも採り入れてる方いました。大型車はそれ専用に大きく作られた物が…
今でも街道レーサー車でチェリーテールを付けているのがありますね。
サニーが2代目になる前にカローラは1200に上げてましたけどね(1969年)チェリーはむしろパブリカの対抗にする為に開発が改めてされたはず、あと、デビュー戦はクーペじゃなくセダンでしたよ。
すでに故人のオヤジが乗っていた(2ドアセダンだったけど)。設備は信じられないくらい貧弱だったが、当時には珍しく後部サスペンションもコイルバネが使われていて後部座席の乗り心地は良かった。その後一般的な板バネを使った車に買い替えたが、後部座席のあまりの乗り心地の悪さに飛びあがらん思いをした。
中学の時、担任が乗ってましたね。他の先生にもクーペユーザーがいました。高校卒業して、友人はチェリークーペのお中古を買いましたw乗せてもらったけど、強い印象は外観ぐらいだったですね。タバコの銘柄にもチェリーってあったような…。
チェリー…懐かしいな~初代チェリーを親父が買って、物心付く前の小さい俺を親父は膝の上に乗せてステアリング握らせて…今じゃ考えられないけど、こんな体験したから車好きになっちゃったんだよなぁ…チェリーが生産終了しても冠名はバネットとかにも長く付けられていたし、プリンスのエンジニアには大事な車名だったんだろうね。
あかん脳内からMySummerCarしか出てこない
Suomi Finland!
チェリは旧車、好きなら欲しくなるデザインなのだが、、、有鉛ガソリンエンジンで維持管理が面倒くさい事が残念な車。 昔、購入を考えたが、、、断念。
幼少期に親が乗っていましたが、青色の無鉛ステッカーが貼られていました(スナップ写真で残っています)。スポーツタイプのX1ではなく安価なGLでしたので排ガス対策クリアしていたのでしょう。親戚のファミリアは高速有鉛のオレンジステッカーで、別の親戚のお兄さんが乗っていたコルトギャランGTO MRは有鉛の赤ステッカーでした。
まだ中学生でしたが、地元のチェリー店にチェリーFⅡが展示されて見に行ったときに、X1-Rに相当するモデルが無くてがっかりしました。見るからに大きく豪華になって後部の視界も良くなって室内も明るくなっていましたので、正常進化だったのでしょうが。
イエローチェリーってCMテレビでやってなかったっけ?
黄色いチェリー2代目F IIの時ですよね
@@tuu35656 さん、返信ありがとうございます。あたってます。
日産リベルタビラ紹介して下さい。
パルサーに名前変えてから富士フレッシュマンレースでパルサーワンメイクありましたね。
中学1年の頃、数学の女先生が乗っていた。
名機 12A EG 1万回オーバー東名チューン❗さすがにグラベルではステアリングキックバックがきつくて無理だろう❗B120サニー12AはダートラC1グラスではEP71主流なるまで使われた。
いい車ではあったけど結構癖が強いし、クーペの後方視界の悪さといったらなかったね。まあ前だけ見て走れってことだったのかな?
斜め後ろが、最悪でしたね!
最近はバックスコープ?(名前違ってたらすみません)が発達したのもあってああいうデザインが復活する傾向にありますね。
パルサーのご先祖だな。うっ、チェリーって名前出されるとうる星やつらの錯乱坊が脳内再生される。
コッペパンなクルマ
チャレンジングないい車ではあったがスバル1000やN360が既に存在していたからなぁ
これをやったら、やはり偉大すぎるツーリングカーの王様ともいうべきB110サニーをやるべきでしょ。70年代以降の日本のメジャーなドライバーやチューナーはほとんどサニーで育ったのだし。
X-1(Rなし)4ドアセダン知ってます。アクセル踏むと カッコ悪さ なんかどこかへ飛んでいきました。
51年規制で消えた名車ですね!
俊敏な走りでマニアを魅了した本格FFスポーツ
これは知らなかったFFは雨では強いからバカにできないねぇ
昔はチェリー乗って信号レースで負け知らずだったよ。ワンレース500円だったかな、あの頃はスカイラインGTーBもカモってた。相手に早いなーって言われてたよ。FFってダッシュが良いよ。人気有っけど、何で辞めたのかな?
小学校の先生が乗ってたなー懐かしいw
発売前からカバーで隠したCMを思い出す。発売時にエンジニア風の人がカバーを外すんですけどね。パワステ無で癖の強いffは今の人は運転できないと思う。
こいつは超絶乗りにくいやつだったな、あ~思い出すよ!
実績を残したって言っても草レース(国際競技じゃない)わけで実績っていうのは国際競技で勝ってナンボだと思う日産の場合国際ラリーでS30が残した勝利は草レース50連勝のGTRより遥かに価値がある同じ基準でレースしても国内レースは所詮草レース、国際競技での総合優勝以外は実績としてカウントすべきではない
あるフィンランドゲーで…
チェリーやバイオレット。なんで、あそこまで後方視界わるかったんだろ。
日産はなぜ名車達の名前を皆捨ててしまったのかな??
さだめじゃ
錯乱坊(チェリー)ですな。
チェリー発売当時を知る者です。サニーとチェリーは、その排気量には関係なく、駆動方式、ボディタイプを含めた車のコンセプトでユーザーが区別されていました。
そういえばCMの手法に「日本初のティザーキャンペーン(発売前の車をチラ見せして期待感をあおる)」を行って、あまり車に興味のない普通の人にも広く注目を集めた車でもありました
スポーツモデル「チェリーX1」のグレード名は、先行キャンペーン時の仮車名「X」から取ったものですし、クーペのスポーツモデル「X1R」はオーバーフェンダー装着と合わせて「GTR」を想起させるものでした
サニーはFRでトラディショナルなセダンとクーペで大人向け。チェリーは2BOXデザイン(無印)やハッチバック(クーペ)の先駆けで「外観よりも実用性(ボディのスペース効率、乗員の乗り降り、荷物の出し入れのしやすさ等)を重視する新世代の若者向け」が当初のコンセプトでした。
そういう意味では、チェリーのコンセプトは「新時代のミニ」であり、「(単なるミニの模倣ではなく)もっと先の時代を見越した、斬新なコンセプトの車」だったと言えます
初代チェリーのデザイン初期はハッチバックも検討されましたが、主にボディ剛性の問題と、あまりにも時代を先取りしすぎな外観(当時の大人の価値観では商業バンに見えたらしい)で役員の理解が得られずで頓挫したそうで、そのデザインはチェリーバンにかなり近かったらしいです
結果的に、よりスタイリッシュだが、テールゲートの開口部が高い位置にあるせいで、テールゲートの実用性がやや落ちる「クーペ」がチェリー初のハッチバッククーペとして登場しました
2代目チェリーFⅡもデザインはこの方向性を受け継いだもので「伝統的なスタイル重視で、実用性が中途半端」なまま終わりました(とはいえ海の向こうのフランスではこのデザインが大ヒットし、お金持ちのステータスにまでなったそうです(当時のフランス車は実用性最優先で見た目がダサく、日本車にはあって当たり前のクーラーなどの快適装備なども無かったのです))
ただ、残念なことにこのデザイン変更(実用性を捨ててやや保守的な外観に)の所為で「日本初の近代的FF2BOX実用ハッチバック」の称号(と知名度)は、初代シビック後期型(前期型はトランク付きのセダンのみ、後期型でハッチバックが初登場)にまんまとかっさらわれることになってしまいました
そして、時は流れ1970年代後半、シビックハッチバックやファミリアハッチバックなどのヒットによって「2BOXハッチバック」が若者を中心に爆発的なブームとなり、それを受けて、チェリーは大幅にコンセプトを変えて初代開発初期にたちかえり、3代目が開発されることになりました。
こうして開発されたのが「パルサー」で、技術的内容は初代チェリーの正統進化版と言ってよい車でした。ただ残念なことに、日本では二代目チェリーFⅡの売れ行きがあまり芳しくなかったため「不人気モデルの名前を消す」事が決定されてしまい「チェリー」の名前は二代限りで消えましたが、「プリンス系技術者による進歩的な小型乗用車」の存在自体は脈々と受け継がれることになります
別の方も言及されていますが、パルサーの販売網が長らく「チェリー店」のままだったことも印象深いです
その後のパルサーの各方面ことにモータースポーツ方面での活躍ぶりはは「パルサーGTI-R」等でご存知の事と思います!
チェリーバンのデザインは格好いいんだ。特に二代目のFⅡはバンが一番格好いい。
あと、セダンの後席が狭い!クーペより頭上空間がないってどうよ?と思ってた。
私、60の爺です、最初のマイカーX1クーペ初期がた、速かったですよ、昔はやった信号GP2リッター位の車でも、軽いから負けませんでした、直線長いと伸びで負けますけどコーナーの突っ込みや立ち上がりでかもれました、たーいんが良く効きました、これで車🚙覚えましたのでFR乗ったら今で言うスライド案外簡単でした、昔のFFのアクセルコントロールは独特でしたから、皆な嫌がりました、これで曲がる、止まるを覚えたので、何乗ってもそこそこ速かったですよ、昔の話でした。
ホイルスピンや戦車ターンなど簡単に出来た車でした。峠だと敵なしだったです。アイスバーンの上を普通に走れました。
FFの挙動がまだよく分からなかった時代にチェリーを乗りこなした星野選手はさすがだなと思う。写真を見ていたら当時X-1のテールランプを縦に付け替える兄ちゃんがいたのを思い出した。
ケンメリとかにナナメにしてつり目にしたりしてましたね✨
街道レーサー(族車含)あるあるですね。アオシマのケンメリもオプションパーツでツリ目グリルが入っていました。
4輪レースに転向する時、唯一スポンサーになってくれたのが「日産チェリー静岡」だったんだ。
星野さん本人が、慣れない営業で駆けずり回ってやっとスポンサーになってくれたんだ。
チェリー以外選択肢はないでしょ。それ以降日産に拘ってるのは、恩を感じてるからだとご本人が・・・
この車のスゴい所は30センチの新雪路でもチェーン無しでモリモリ走ってしまう事。特に雪融け時のグチャグチャ道では他のFR車が軒並みスタックするのを横目にスイスイ走れた。ドアンダーやトルクステアとかネガな印象が強いけど、FF車の底力を刷り込まれた車でした。もっとも、昔の車なのでタイヤむき出しのようなデザインであったことも影響してたと思います。今のFF車は重いしスポイラーですぐラッセルしてしまうので同じことは到底できません。今春の札幌のドカ雪では除雪の行き届かない道を無理して走ってバンパーをバキバキに破壊していた車が多数居ました。今の車は高性能ですが失ったものも多いですね。
「チェリー雨の富士を制す」なんて記録映画がありましたね、ヒストリックラリーカーのイベントでカクーンと直角にターンしてました。乗りこなせれば凄い車でしたね。
スズキフロンテに次ぐ好きなクルマです。リヤ周りの秀逸なデザインに惚れ惚れする。
うちの近所に「チェリー販売店」の看板を掲げたディーラーらしきものがありました。
車名はパルサーに変わって短命だったのに販売店の「日産チェリー店」の名前だけ結構後までそのまま続いてた
地方の1店舗だけのモータース屋から販社になったようなところが多かった
西宮北口の日産がリニューアルされたら日産チェリーになってた、あと兵庫県下でもなんか看板チョイチョイ見かける、加古川とか🚙💨💨
ああ、そういう流れがあって日産プリンスパルサーズ(昔あったアメリカンフットボールチーム)に行き着いたのか、プリンスにルーツがあったチェリー初めて知りました有難うございます。
免許を取って初めて買った車が、毎日通勤のバスから眺めていたオレンジ色のチェリーX-1セダンでした。19万円は当時としても格安な中古車でしたが、初めて乗ってとにかく曲がらない。
ガードレールに擦りそうになって
本能的にアクセルを離したら
グイッと切れ込んだ。
これがタックインと言うものかと
納得して、それからは自在に曲がれる様になりました。
その後ターセルとかCR-XとかアコードとかFFは乗りましたが、どれもタックインは出さないように改良されており、チェリーほど楽しいじゃじゃ馬娘はありませんでした。
免許取って初めて中古で買ったチェリークーペX-1、軽い車重にツインキャブのA12エンジンでタックインとかで楽しく振り回して走って色々学んだ車でした
タックインが凄いんだよ。コーナリング中にアクセル抜くと「ガクッ!」と言う感じでインを向く。直線も早くて同系統のエンジン積んでるサニーを追い抜いたよ。後ろが見えにくかったけどね。
当方は五十代の車好きのオッサンですが、今の若い子達ってわけタックインってわかるんですか?
@@Flatout-asario あー知らないかあ!ヲイラもう今年で62だから若い人の感覚は知らないなあ。
このクルマがあったからノートはE11型からのスタートに…
そして、「チェリーの星野」!
(童貞って意味ではない。)
日産のディーラーの名前だったくらいだから主要な車種だったんだろうね。俺が物心ついた頃にはもうなかったけど。サニーとチェリーのディーラー名だけは覚えてる。
しかし昔の車って本当にCとSのイニシャルだらけだったんだねえ。
独特な発進音が印象的なクルマでしたね。
初代はモーター音のような、2代目から初期パルサーはバックギヤに入れたような発進音でした(´ω`)
チェリー(E-10型)が好きなら、My Summer Carという生活シミュレータは絶対やった方が良い。
PC上でサイズの違うボルトを締めあげてエンジンブロックから配線まで全て自分で一から組み上げるフィンランド産謎ゲー。
1400円とかいう優しいお値段。興味があればプレイ動画とか見ると良いかも。ハマれば数百時間人生無駄に出来る!笑
MODもあるぞ〜
沼るで〜
クラッチ交換がミニと同じでエンジンルームから簡単に出来る構造になってた クーペは後ろ姿が好きだったけどフロントが地味でアンバランスな感じがしてた 最近道で見かけたけど こんなに小さい車だったけっと思った。
チェリーでの活躍があったから、JTCCで星野さん長谷見さんがプリメーラに乗ることになったときは期待していたけど、肝心のプリメーラの戦力がライバル車に比べ低かったのが痛かった。ろくに優勝争いができなくて星野さんも長谷見さんもフラストレーションが溜まる一方だったんだろうなあ。
叔母が1000ccのクーペに乗っていて、従兄弟と二人よく後ろの席に押し込められてあちこち連れていかれたけど、大人になってわかったのはA10エンジンはファミリーエンジンでもキビキビ走っていたことだな。子供が後席に乗るにはセダンと変わらない広さだった記憶。
FFホットハッチ大好きマンとしては、初代ゴルフGTIとチェリークーペ 1200Xー1・Rは最高の存在です。
次の日産は・・・バイオレット?
X1-Rからわかると思うけど、パルサーの前身ですね。チェリー
バイオレットって徳大寺先生から「こんな最低な車はない」とボロカスに叩かれた車でしたね。
当時はゴルフ最高!FRセダンはゴミ!
基本日本車下げ!でしたね
チェリーを取り上げるとやっぱりクーペ主体になっちゃいますね、セダンの方がデザインが好きなんですが
クーペは確か『プレーンバックスタイル』とか言われていましたね。
後方視界が悪いので有名でしたが、ユニークなスタイルが意外とウケていましたよね。
私は、あの個性的なデザインが好きでしたが・・・
確かに、2ドアセダンが、かっこう良かったナ❕確か、あの時代に、プリンスの、コンピューター設計だったネ❕素晴らしい車です。
セダンの方が、狭いんだよなー・・・
バンもカッコイイ。
昔の日産車は車高短にすると皆カッコ良かった!
今では考えられないが初期のFF車はペダルが助手席側にオフセットされてたのよ。
自分がまだ幼稚園の頃に父が乗ってて、人生で初めて名前を覚えた車。年代的に二代目、クーペだった事も覚えてます。懐かしい、泣きそうw
それは「チェリーFⅡ(エフツー)」だね
一見、オーバーフェンダーが付いただけに見えるX1-Rは、実は足回りはX1とは全く別物に強化され、互換性はほとんどなかったレース用車両。
日産初代チェリーですね。X一1Rのデザインが大好きですね。特にA12型エンジンは大衆車サニー譲りで個人的には1200かな。なのでグランツーリスモの次回作は初代日産チェリーX一1Rと歴代サニーを出して❗️
私が幼少時(45年程前)のファミリーカーがチェリーだったので思い入れは強い。
それでなくてもデザインが神がかってるし、ロータスヨーロッパ好きにはたまらない。
これがFRなら、AE86なんて乗ってないでこれ乗ってますよ…
普通は逆なんだが、スポーティーモデルのクーペの方が、荷物が多く載せられたという・・・
二層式洗濯機を載せられるクーペなんてこのクルマだけw
チェリーの動画を流してもらいありがとうございます。公道を走れる現存するX-1R車は何台あるのでしょうか?私は不動車に近かった個体を整備し、現在も乗っています。
チェリーF-2(バン?)に、親が乗ってました。洗車機で水漏れ発覚。
どこからか分からずサニーバン(B110系?)に入れ替え。
業務で紙を積むから水漏れは致命的。
多分うちの家で一番短命。1年居たかどうか。
チェリーは車も煙草も無くなりましたね
チェリーのテールランプは当時流行りました
ナナメにセットするのがオシャレな時代
ケンメリのワンテールとか
小学校の担任の先生が新車で買って結構話題になってたな。かっこよかったよ。
こんにちは😀
チェリーがプリンス企画の車だったのは知りませんでした!あの当時にFFレイアウトに取り組むとは、さすがプリンス自動車😱
チェリーX1-R!ターボでもツインカムでもなくツインキャブ!😅👍
このX1というスポーティグレード名、実は後継のパルサーにも受け継がれていたのは、ちょっと胸熱な話👍
ミラノX1は必ずしもスポーツグレードではなかったのが少々残念でした。
チェリーは星野和義選手がレース車両乗っていた車!日産の二軍選手はチェリーやサニーでレース出場していました。自らチューニングや修理など行っていました、
星野選手がチェリーに乗ってたのは、ちょっと違う理由。
星野さんは当時、FFの星野と言われてました。
できたらこの形でEV スポーツ、更にはモーターはミッドシップとして開発してもらいたいですね。
座間記念庫に保管されているチェリーのレーシングマシンは長谷見昌弘御大の車でしたね。近年のニスモフェスティバルでは長谷見御大がドライブする機会が多く嫌がりながらも走り出すと誰も寄せ付けないほど速いそうです。
自動車の事が分からなかった高校生の頃、憧れた自動車の一つでした😁
「ルノー」なら、「チェリーX-1R」を2シーターにして
「ミッドシップ」にエンジン置いちゃう様な形でカッコイイ。
チェリー運転したことあるよ!。重ステの時代なのでキックバックが凄い。(>_
タックイン(アクセルOFFで起こるフロントの巻き込み)も激しかった。
懐かしいですね~👍
チェリーは小学生の担任が乗っていました。小学校の通勤に使っていて、駐車場に止まっているのを見て小学生ながらカッコいいと思って見ていました。
ストラットサスだと転舵軸がタイヤのセンターからずれるから、FFでパワステがないとメッチャステアリングが重くなるんだよね、当時これで遊んだ人は腕がパンパンになったそうな。
チェリー、なんと⁉️奇抜なデザインなんでしようか⁉️✨👍初めて見た時、フロント、リヤ、サイド、インパネ、これ正に❗ケンメリースカイラインミニじゃないか⁉️✨と正直思いましたが、その通りでした。一代目ローレル、プリンスのG18エンジンを積み日産が発売しましたが、みごと失敗😵💧二代目以降はプリンス荻窪(旧立川飛行機―車体、繊維機械 旧中島飛行機―エンジン開発、富士精密工業、ロケット開発)の技術陣さんが担当、デザインは、スカイラインチーム‼️あのプリンスロイヤルも手掛けられた森 典彦さんチームとなり、素晴らしい‼️変身を、遂げましたね✨👍チェリーは、最初から全てプリンス荻窪技術陣さんが、担当されたのですね‼️。😊クーぺの名称❗X-1Rも正にプリンス名でしたね✨👍荻窪さんらしい‼️。😊✨ひょっとして二台共プリンス自動車時代に企画されていたのかも⁉️✨とってもユニークでチャーミング⁉️✨な車でしたが、何故か⁉️チェリーもローレルも、プリンス販売店では、販売されませんでした。😔✨👎難しい仕事はいつもプリンスに押し付け、手柄は自分の物とする日産のお家芸ですね😔❗👎👎それが今では、技術の日産なのですから?言ったもん勝ちですね😔👎👎
望むX・1R復刻❗
おじが若い頃、ソレタコデュアルに
オイルクーラー、チンスポ、オバフェン、板バネ着けたX-1R乗ってました。
懐かしい車です。
チェリーはガソリン給油口の鍵は他のチェリーの鍵でも開くって親父達から聞いた。
開かなかったです。
チェリーX-1Rは最初の愛車でA12型が嘘の様に回るエンジンだった。
サニーはA12ツインキャブは83馬力に対して80馬力だった。
クラッチの繋ぎ方のタイミングを間違えるとホイルスピンして大変だった。
某大学の前で歩行者信号が赤に成っても
渡り続けるのに頭に来てホイルスピンさせてタイヤから煙が出始めたら蜘蛛の子を散らす様に誰も居なくなったら同乗していた友達にマッド・マックスじゃないんだからと言われた。
軽い車体と相まってサイドブレーキを引いてハンドルを思いっきり切ってクラッチを繋ぐと戦車ターンが出来たりと今の車に無い楽しさが有った。
テールレンズから存在を知ったクルマ。今でも小さめの販売店にその名を残してたりします。
トランスミッシン本体を下ろさずに、ギアボックスの一部を外すだけでクラッチディスク交換が出来たよな?整備性の良い車だったな!構造がシンプルなだけに!
ウチの親父も庭先で同じことやってた。家に整備要領書があってガキの自分が意味も分からず読みふけってた
A型エンジンは名機(^0^)
ブンブン回るので評判が良かったですね。
@@でんじろう-z9p 盗用多の名機と言われる2T-Gですが、ベースとなった2T-BはOHVにツインキャブで105馬力。それにDOHDヘッド+ソレックスキャブつけてもわずか10馬力しかアップしてない。
DOHC信仰は呆れます。
@@teikoku1945 同感です。それに対して日産のDОHCには、s20 型エンジンの頃から4バルブの高回転型でDОHCの特性に拘っている所が共感出来ました。排ガス規制によって当初の性能に達しないものは妥協せず、潔く生産中止を決めたのも納得でした。s20型の160ps/18.0kg−mは素晴らしい誇れるスペックでしたし、反面、こちらで話題のチェリーに搭載されたA型エンジンはOHVながら良く回るエンジンとして技術を誇れるものだと思います。
@@teikoku1945
ポン付けツインカムにしてもフォード(ロータス)のパクリだしw
結局、トルクカーブが今の低回転トルクフルでフラットでは無く、A12型はトルクカーブがピーキーで有り、ある回転域4400回転に入るとトルクがモリモリと上がって劇的に変化します。ファイナルギア⚙比が高く1速ギア比も3.014と高いので発進加速が伸びる伸びる、いつもごぼう抜きでした。
やはり軽量ボディは魅力的。試乗した、イノチェンティ1300ミニクーパーも加速が身体にダイレクトに来て良かったなー。
結局、マニアックな❤に刺さる車がね。
そうそう、昔、交差点の右折待ちの車高の低いレース仕様オーバーフェンダーのサイドが炎のカラーリングX-1R、今も眼に焼き付いてます。
カッケーー👴🏻👍
同じA12ツインキャブでも、サニーGXはハイオク仕様で83PS、チェリーX-1はレギュラーガソリン仕様で80PS。しかし速かったのは軽いX-1。
そうです❕3馬力の差❕
エアークリーナーの形も違ったですネ❕❕
あの頃は車とたばこのチェリーがあったネ…😱
高回転からのアクセルoff →タックイン→アクセル on …鋭角ターンの出来上がり
日産チェリーは親戚のおばちゃんが乗っていたのを覚えてます。まだ幼少期だったので日産チェリーがレースに出ていた事やX1Rと言うグレードを知ったのは最近になってからでした。
日産チェリーの丸いテールランプを見て、幼少期は角目のテールが好きで変な形だなあと思いましたが、大人になってから見るとかなり良い感じでカッコ良いと思いました。また族者用の部品でチェリーテールなるレンズの部品があるのも凄いです。
前輪駆動は確かに雨の日のレースは有利ですね。でも後輪駆動みたいにドリフトは出来ないですが、グリップ走行だと前輪駆動が有利なのかな?と思いました。
ありがとうございます 。
ケンメリセダンのテールランプと互換性があって、怒ってるような感じで装着してたよね。
アートトラックにも採り入れてる方いました。大型車はそれ専用に大きく作られた物が…
今でも街道レーサー車でチェリーテールを付けているのがありますね。
サニーが2代目になる前にカローラは1200に上げてましたけどね(1969年)チェリーはむしろパブリカの対抗にする為に開発が改めてされたはず、あと、デビュー戦はクーペじゃなくセダンでしたよ。
すでに故人のオヤジが乗っていた(2ドアセダンだったけど)。設備は信じられないくらい貧弱だったが、当時には珍しく後部サスペンションもコイルバネが使われていて後部座席の乗り心地は良かった。その後一般的な板バネを使った車に買い替えたが、後部座席のあまりの乗り心地の悪さに飛びあがらん思いをした。
中学の時、担任が乗ってましたね。
他の先生にもクーペユーザーがいました。
高校卒業して、友人はチェリークーペのお中古を買いましたw
乗せてもらったけど、強い印象は外観ぐらいだったですね。
タバコの銘柄にもチェリーってあったような…。
チェリー…懐かしいな~
初代チェリーを親父が買って、物心付く前の小さい俺を親父は膝の上に乗せてステアリング握らせて…今じゃ考えられないけど、こんな体験したから車好きになっちゃったんだよなぁ…
チェリーが生産終了しても冠名はバネットとかにも長く付けられていたし、プリンスのエンジニアには大事な車名だったんだろうね。
あかん脳内からMySummerCarしか出てこない
Suomi Finland!
チェリは旧車、好きなら欲しくなるデザインなのだが、、、有鉛ガソリンエンジンで維持管理が面倒くさい事が残念な車。 昔、購入を考えたが、、、断念。
幼少期に親が乗っていましたが、青色の無鉛ステッカーが貼られていました(スナップ写真で残っています)。スポーツタイプのX1ではなく安価なGLでしたので排ガス対策クリアしていたのでしょう。親戚のファミリアは高速有鉛のオレンジステッカーで、別の親戚のお兄さんが乗っていたコルトギャランGTO MRは有鉛の赤ステッカーでした。
まだ中学生でしたが、地元のチェリー店にチェリーFⅡが展示されて見に行ったときに、X1-Rに相当するモデルが無くてがっかりしました。
見るからに大きく豪華になって後部の視界も良くなって室内も明るくなっていましたので、正常進化だったのでしょうが。
イエローチェリーってCMテレビでやってなかったっけ?
黄色いチェリー
2代目F IIの時ですよね
@@tuu35656 さん、返信ありがとうございます。あたってます。
日産リベルタビラ紹介して下さい。
パルサーに名前変えてから富士フレッシュマンレースでパルサーワンメイクありましたね。
中学1年の頃、数学の女先生が乗っていた。
名機 12A EG 1万回オーバー東名チューン❗
さすがにグラベルではステアリングキックバックがきつくて無理だろう❗
B120サニー12AはダートラC1グラスではEP71主流なるまで使われた。
いい車ではあったけど結構癖が強いし、クーペの後方視界の悪さといったらなかったね。まあ前だけ見て走れってことだったのかな?
斜め後ろが、最悪でしたね!
最近はバックスコープ?(名前違ってたらすみません)が発達したのもあってああいうデザインが復活する傾向にありますね。
パルサーのご先祖だな。
うっ、チェリーって名前出されるとうる星やつらの錯乱坊が脳内再生される。
コッペパンなクルマ
チャレンジングないい車ではあったがスバル1000やN360が既に存在していたからなぁ
これをやったら、やはり偉大すぎるツーリングカーの王様ともいうべきB110サニーをやるべきでしょ。
70年代以降の日本のメジャーなドライバーやチューナーはほとんどサニーで育ったのだし。
X-1(Rなし)4ドアセダン知ってます。アクセル踏むと カッコ悪さ なんかどこかへ飛んでいきました。
51年規制で消えた名車ですね!
俊敏な走りでマニアを魅了した本格FFスポーツ
これは知らなかった
FFは雨では強いからバカにできないねぇ
昔はチェリー乗って信号レースで負け知らずだったよ。ワンレース500円だったかな、あの頃はスカイラインGTーBもカモってた。相手に早いなーって言われてたよ。FFってダッシュが良いよ。人気有っけど、何で辞めたのかな?
小学校の先生が乗ってたなー懐かしいw
発売前からカバーで隠したCMを思い出す。発売時にエンジニア風の人がカバーを外すんですけどね。パワステ無で癖の強いffは今の人は運転できないと思う。
こいつは超絶乗りにくいやつだったな、あ~思い出すよ!
実績を残したって言っても草レース(国際競技じゃない)わけで
実績っていうのは国際競技で勝ってナンボだと思う
日産の場合国際ラリーでS30が残した勝利は草レース50連勝のGTRより遥かに価値がある
同じ基準でレースしても国内レースは所詮草レース、国際競技での総合優勝以外は実績としてカウントすべきではない
あるフィンランドゲーで…
チェリーやバイオレット。なんで、あそこまで後方視界わるかったんだろ。
日産はなぜ名車達の名前を皆捨ててしまったのかな??
さだめじゃ
錯乱坊(チェリー)ですな。