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逆のことを学校で言われた事があります。「近眼や乱視で眼鏡をかけているなら、それは個性やファッションでなく、君は視力障がい者なんだよ。裸眼で生活できないでしょう?」と。すごくハッとしたのを思い出しました。「個性」というカードからは「扱いづらいものにはフタをしよう」という下心がにじんでいるように思います。だから多分冷たく感じるのかもしれません。偶然お見かけした動画ですが、自分は本当の正直な気持ちを聞くことができて嬉しかったです。
障害の中でも特に発達障害の際に個性というワードが使われていると思います。個性というワードでは片付けられないくらいの、生きづらさを彼らは抱えていると感じます。
私はADHD、すなわち発達障害当事者です。個人的には自分の生き方が普通ですし常識だと思っているので、ハッキリ言って健常者の方々の感覚は理解できません。(薬によって症状を緩和すれば体験はできるかもしれないですが)それと同じように自分も周りには理解されることはないとずっと感じています。これこそが隔たりであり障害のという言葉の本質だと僕は考えています。
個性ではない事を彼ら自身が認めて、きちんとケアを受けるべきだと思います。特にグレーの人。発達障害だと言うことを隠して採用されたり、働き続けたりしてる人が大勢いて、本人も一緒に働いてる人たちも苦しいです。
発達障害ってファッション感覚で自称する人最近増えたよね。特異な才能を持っているのなんて一握りで、大多数は普通の人より劣っているだけなのにね。
発達障害の子を育てるサポーターの立場です。本当に個性という言葉では片付けられません。道路に飛び出して車に轢かれそうになるのが個性なのか。強度行動障害で血が出るまで頭を壁に叩きつけるのが個性なのか。癇癪起こして暴れるのが個性なのか。あくまでも、命に別状のない、他者に迷惑をかけない範囲が個性であって、それを逸脱してしまったらもう個性ではないです。
周りの人もしんどい
中学生の時にASDって診断されたんだけど、母親に発達障害×アートみたいなイベントに連れて行かれてモヤっとした記憶がある。内に秘めたるものを表現しよう的なノリの大人が草間彌生を語っててなかなかキツかった。個性や才能はあくまで個人のものであって属性(障害の有無等)と安直に紐づけるのは残酷だと思う
物凄く分かります。妹が障害持ちですが障害なんて無い方が良いに決まってるし個性なんて言葉で誤魔化さないで欲しいです。
初めてこの言葉を聞いたのはテレビで障害児を持つお母さんが言っていたと思います。その時は「うーん・・・。」と言う感想でしたがお母さん本人がそう思うことで気持ちが楽になったりいい方向に考えられるならいいのでしょう。一般人が障害全てを安易にくくって「個性」というのは違うと思います。
感想 いと私は母親が後天的な身体障害を持っており、弟が先天的な知的障害を持っています。亡くなった祖母も足が不自由で常に車椅子に乗っていました。そして、そのような環境で育った私自身も現在大学で特別支援教育について学んでいます。私の大学で教鞭を執っておられる特別支援教育の専門の先生も障害を個性と呼ぶことには注意が必要だと講義の中で仰っていました。私も濱田さんや先生が仰る通り、障害を個性という一言だけであしらうのは失礼だと思います。なぜなら、無責任な個性という言葉は、その障害によって困っている人がいるという事実を無視することになると思うからです。現在は社会の側が障害のある人が豊かに生活する体制を充分に整えられていないのに、都合の良い「個性」という言葉を用いて見せかけだけのインクルーシブを実現させているにすぎません。結局は当事者に対して何も配慮していない自己満足な「個性」だと感じました。まずは障害のある人が健常者とほとんど同じ生活ができる体制を整えてからやっと「障害は個性だ」と言うことができるのだと思います。
「命に関わる病を抱えてる方に"それはあなたの個性です"と言えるか?」←まさにおっしゃる通りだと思いました。
過去に乙武洋匡さんの「五体不満足」が大ベストセラーになり、生まれつきの四肢欠損ながらもポジティブに生きる彼の存在が有名になった。その頃ぐらいから世間で「障害は個性」って言葉を見かけるようになった気がする。でも乙武さん自身は確か当時「個性って内容によって羨ましがられたりするけど、僕は『障害は個性』だとは思わない。だって誰も『私も障害者になりたい』なんて思う人いないでしょ?」って何かで言ってた。
1本大満足
@@user-gq4kn5ns1y やーねーwでも5股できるほどの1本なんでしょうね
障害を個性というのは「ひどい」とか「間違っている」じゃなくて、「冷たい」と表現する所にセンスを感じるし、話を聞いてても言葉を大事にしてるのが伝わってきました。
ほんとそれねぇ賢さ感じちゃうよね
ですね。必ずしも間違ってるわけでもないですしね。目が良いのが個性なら悪いのももちろん個性でしょうし。言われた側がそれで良い気分になるかどうかは別ですが
我が家の長男は発達障害ですが、今まで一度も障害が個性だと思ったことはありません。本人は毎日生きるのに必死で、いくら個性と言われても前向きになる余裕なんて全くなくて、明らかに生きづらさを感じて過ごしています。響きだけ障害のある人たちにとって優しい感じにするのではなく、心底優しい世の中になってくれることを切に願います😢
健常者だからと言って優しくされるわけでもなく、日本の現状は外人と裕福層と老人に優しい国だからね。このままもし障害者にだけ優しくしたらかなりの批判を受けると思うよ。
同じく障害当事者として、とても腑に落ちる動画でした。私は人に自分の障害を話したくないので必死に健常者のフリをして、定期的に誘われる同窓会にも元気だった頃しか知らない友人に会うのが怖くて断り続けています。障害をひた隠しにして、周りの人に迷惑をかけないようにして、そうやって生きていこうと決めたのは障害を負った日からなので「個性」と簡単に言われるとすごく複雑な気持ちになります。神様からの贈り物「ギフテッド」と称されることもありますが、そちらも理解し難いです。障害をわざわざ障がい(がいは平仮名)と書くのも、行き過ぎた配慮に感じてしまいますね…。
おそらくその漢字をひらがなにする配慮は「害を与える側」みたいに見えるから...って事なんでしょうね。でも本当は「害に感じている側」なので「個性」と言われると日々ストレス感じている者としては「だからみんなと同じ!ねっ😉」って色んなバリアフリーも取り上げらるような気持ちになりますね。「個性」なら自分らしく自由に生きていけるけど「障害」は世の中生きていくには努力ややりたくても出来ない悔しさなど色々あります。「個性」を「障害者としてひいて見るんじゃなく友好的に受け入れ理解しよう」って意味なら良いのですが「妊娠は病気じゃない」って言葉と同じに「だから甘えるな」という意味に取られると困りますね。
自分も中途障害で同じような理由で昔の知人には会ってないです。チャレンジドという言葉も「別にチャレンジしたくなかったけど😅」と思いますね。
@@user-hr2ey4zt1i ですよね。「障害って乗り越えられる強さを持ってる人にしか与えられないんだから大丈夫!」とかも...勝手に「乗り越えられる」とか決めんなや💥👊って言いたくなる。
@@カノン819 さん しれっと傷ついたのは「俺だったら生きてられないは」とナチュラルに言われたこと😅面白かったのが「俺がお前のスロープになる」(その友人とも疎遠になっしまいましたが)😀
@@user-hr2ey4zt1i貴方はすごいって意味で言った言葉かもしれないですが、気分がいいものじゃないですね。表面上だけ理解者になったつもりの人とは疎遠になって正解ですよ。
私も障害は個性とは違うと思います。濱田さんが素直に思う気持ちを表現する事で、皆が考える機会につながると思うので、これからも、どんどん表現して下さい!
私は双極性障害とアスペルガーで障害者認定されていますが、これは治したい「症状」であり、「個性」とは思いたくないです。酷くなると死に直結する、そういうものを確かに個性で片付けては欲しくないものですね。個性とは、症状とは、病気とは。考えるきっかけをいただけて嬉しかったです。いい環境でのびのび生きていきます!ありがとうございます!
小さい子供で余命数年なんて難病をたまに聞いたりするけど、そんな人に「それも個性ですよね」は言えないってのはわかるし、冷たいを通り越して人として言って良いのかって考えたときに、はまゆうさんが指摘することはわかる。
病気と障害は少し違うんではないのかなと思います。私は視覚障害持ってますが濱田さんとは別の病気です。私の「網膜色素変性症」という病気ですが、濱田さんの「先天性緑内障」という病気も含めて、「視覚障害」というのは目の病気を全部引っくるめた言葉じゃないかなと私は思います。
まじでそれな。本気で困ってるのに「誰でもそうだよ」「一つの個性」という掛け言葉にどれだけ意気消沈していたか。
障害を才能として活用できてる障害者本人が「自分のハンデを個性として活かして生きてます」って自発的に発信できるようになって初めて、その障害はその方にとって個性だと思います。
障害は障害だろ…活用できてたとしてもハンディキャップに代わりはない
ラジオネーム AYA 感想濱田君 こんにちは「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉がありますが私は、この言葉が苦手です。辛い出来事が起こった人を励ましているつもりなんでしょうけどその人は神様に選ばれたつもりはないと思うので。「障害は個性」も、励ましているつもりなんでしょうけど、そんな個性はいらないでしょうし。濱田君が思っている事をお話してくれるシリーズは、見ている方が物事を深く考えるきっかけになると思うので良いと思います。
恋です!きっかけに濱田さんのUA-camを見ている者です!いつも楽しく拝見させて頂いています。私の2歳の子供が知的障害です。私も障害を個性と言う事に違和感があります。こう言っておけば世間的に良く思われるという偉い人の汚い心を感じます。個性だと簡単に決めつけるのではなく、大事なのは一人一人の障害を理解し特性に寄り添える事だと思います。障害を持って産まれてきても生きやすい、産まれてきて良かったと思える社会になって欲しいですね。
流行らせて、みんなを乗っからせて、旨味がなくなったから去っていく。すごくしっくりきます。障害に《マイナスイメージ持ってませんよ》といい人のふりをして、その実、《だから手厚く扱って心配しなくてもいいんだよね。障害を持って落ち込んでいる人は、本人のせいだよね》と突き放しているような、そんな気がします。
めちゃくちゃ共感しました。子供が先天性の難病があり、それを個性と思うことはできません。特に他人から言われると、じゃああなたこの病気個性としていります?と言いたくなります。都合のいい言葉ですよね、個性って。
「障害は個性」はあくまで当事者が自身を鼓舞する為に使う言葉であって、その苦労を知らない他人が簡単に使ってはいけないと思います。障害は社会で考えて解決する課題でもあるのに、個性という言葉は、どこか他人事で突き放したような感覚になるっていうか…
本人が「これはこれで悪くない」と前向きに受け止めているなら個性と言っても問題無いと思うけど他人の苦しみを個性と呼ぶのは残酷だよ
こんばんは☺️ドラマ楽しませていただきました🙏大学生の息子が吃音障害です。幼い頃からマネされイジメられた経緯があります。先程息子に個性の事を聞いてみました。「個性と言われるとその通りで、それで終わるけど…なんか突き放されるような気がする。だから前向きで言ってくれてるのはわかるけどどちらかと言うと嫌だ」と。親の私も励ますつもりで個性だよと伝えがちだったのでびっくりしました。考える機会をくださりありがとうございました🙇♀️
私の失態フルコースを見ても心の底から「個性」だと思ってくれる会社やパートナーに出会いて〜〜〜〜元彼にADHD打ち明けたら「甘えすぎ」「俺なら治せると思う」と言われた時本当怖かった
それは怖い😢
ADHD打ち明けてそう言われるって相手がやべー奴だから、逃げるしかないわね打ち明けずに仕事出来ない、日常に支障出てるってなると、なんやコイツってなるけど
元彼さんは「うつ病は甘え」とかも言いそうですね。
感想 きよぷ「障害は個性」って、当事者の人が言ってるのはあまり聞いたことがない気がします。当事者以外の人が、耳ざわりの良いことを言おうとして言っている(本質からは目をそらして)、という印象があるので私もこの言葉はモヤモヤしていました。なので濱田さんよくぞ言及してくださった!という気持ちです(大人になってからADHDと言われましたが、幼い頃から軽度難聴持ちなのでハンディキャップ感はずっと持っていました)3つ目の話、下世話かもとおっしゃっていますが、実際マスメディアってそういう側面は正直あると思います。
「障害は個性」という言葉をよく聞いたころは、「障害者を病人として扱わないで欲しい」「健常者と同じひとりの人間なんだ」という障害者の言葉も一緒に聞かれました。当時は障害がある人にとって「障害がある人は病気でかわいそうだから助けてあげるべき存在」という見られ方が不快で、それを汲んでの「障害は個性」だと思っていました。世の中の環境は少しずつ変化してるし、当事者の思いも様々ありますよね。ひとくくりにせず一人ひとりと関係を構築した時、障害の有無にかかわらず相手を大事にできるのかなと思いました。
同じく「障害は個性」は元々「特別扱いしないで1人の人として扱って欲しい」という障害者からの言葉として認識していました。「障害は個性」と言う言葉で救われる当事者も、突き落とされるような感覚になる当事者もいるということですね。当然のことながら、相手にレッテルを貼ることなく1人の人として向き合うことが大切なんだと動画とこのコメントを通して思いました。
私の父方には、精神・発達・知的・人格・身体障碍とすべてそろっています。私は、精神障害と知的障害と身体障碍の身内を介護し生活費を賄うために必死に働いてきました。そのことは別に苦労とも苦痛とも感じてませんが、障碍者とその家族の悲哀は身に染みて感じています。だからこそ、「障害もまた個性」とかほざく愚物は吐き気を覚えます。 生物生理学的には、「障害」は生物としてのバグなんです。哀しいかな、これは事実です。その事実を認めたうえで、同じ人間としてともに歩んでいくのが「人の道」なわけです。昨今のLGBT狂騒曲みりゃわかる通り、この「人の道」を理解できない自称「リベラル」のバカがいます。どうしようもない連中です
めちゃめちゃ共感です!!私は片耳の聴力がないんですが障害者手帳はもらえないグレーゾーン的な扱いです!!個性と言う言葉が出始めた頃からとても違和感だったし、それは個性なんかじゃない‼️と強く思ってました。なので濱田さんのこの動画はとても嬉しかったです。
片耳聞こえなくても手帳もらえないんですね、、、厳しい
めちゃくちゃわかります。私はアスペルガー症候群ですが個性で片付けられるのは嫌だなと思っていました。言語化して下さってありがとうございます。
私もASDです。悩んでいます。そんな個性いらない。マジョリティになりたかった。治るなら治りたい。でも、治らないから頑張るしかないんだけどさ…
障害が病気が先にあり、それゆえに社会にでて個性と扱われるのはなんか違う気がする
そもそも個性という言葉にプラスイメージが付いてる事が間違ってる。個性はプラスでもありマイナスでもある。個性によって死ぬ人もいる。個性はオリジナリティあふれる素敵なものなんかじゃない。
感想 ミニピン今回の濱田さんの話で、そもそも個性って何?って自分に置き換えて考えてみたけど、何か難しく、そんな一括りでは表せへんなぁって思って結局自分の個性分からなかったです。私の双子の妹も遺伝の病気で脳の血管障害で血管が細くなる難病指定されてますが、それを個性やから!って言われたら、『ん?何が?個性?どんな個性?』って聞き返したくなりますね。きっと濱田さんの想像通りテレビの中の上手い言い方的な感じでの『障害は個性だよ✊🏻』みたいな事だと思うし、一般の方々でそんな風に本気で思ってる人なんか居ないんじゃない?と私は思います😁そんな綺麗事?みたいな事よりも障害を持ってる方や困ってる方の手助けや皆んなが過ごしやすい社会をどう作っていくか。そうゆう当たり前の事をテレビですべきじゃないのかなぁ🤔と思いました。
anoさんの「普変」って曲で、「その個性を大事に」に対して「むかつく」と言う歌詞があるのですが、それと同じことだと思います。本人は普通にしたいのにそれを個性とかいうキラキラポジティブで片付けられたらたまったものではないです。とても腑に落ちました。
個性だとかギフトだとか変な言い方しだすのは、障害を受け入れられない親だと思います。
はまゆうさんUA-cam始めたの知って即登録。はまゆう節好きなんです。納得です。車椅子バスケに携わったものとしてマネージャーさせていただいたけど、私はスポーツとして面白かったから、携わったのに、ボランティアして偉いねーと言われ、ボランティアの気分ではやってないねんけど…って溝は深まって違和感しか残らんかったのを思い出しました
発達障害の子供がいます。私も障害は個性では無いと思います。個性とはあくまでも生活に支障をきたさない、生命を脅かさないものです。今世の中で障害と認定されている事は、誰かの支援を必要としている、事故などに巻き込まれてしまう可能性が高い状態です。これを個性と片付けられてしまったら、定型の子よりも時間も苦労もお金もかけて育ててる意味がわからなくなります。でも、障害は個性という事で助けられている保護者の人も多いんですよね。何年か前に知人に「障害は個性か?」と尋ねられて、個性ではない、障害は障害だと答えたらそこから無視されてます。当時は知らなかったのですが、その方のお子さんに重度の知的障害がありました。きっとその方は個性だと考える事で、辛い気持ちに蓋をしていたのだと思います。そんな時に障害は個性じゃないと否定されてしまったので無視という形になったのでしょう。そのくらいデリケートな問題だと感じております。
とても参考になりました。もし私が同じ質問をされたら『人それぞれ、その人の考え方によるので。ただ私は⚪︎⚪︎だと思います。』と答えるようにします。お互いを尊重しあいたいです。
私の記憶の中では、障害を個性と言い出したのは、障害のあるお子さんをお持ちの母親たちだったように思います。また、発達障害という障害や言葉が出始めたころに、昔なら障害者にならなかった、納得できない、という親御さんたちの声も聞きました。子供の障害を認められないんだなと思った記憶があります。それと同時に、その母親たちは障害者を差別しているとも感じました。決して自分の子供は彼ら障害者の仲間ではない、と強く思い込もうとしているようで。特に先天性の場合、そうやって救われようとする親御さんがいるんだろうと思いましたね。だからあるときから個性を第三者が使うようになって、とても違和感を覚えました。
障害を個性とするのは、障害という目を向けなければならない現実を、個性というカバーで覆い被せることによって、障害を持たない人が、障害から目を背けようとしているような感じがします。濱田さんの意見にはとても賛同できますし、今回の動画で、障害=個性の冷たさを感じることができました。ありがとうございます
私は「障害も個性」というフレーズって、元々既存の個性の概念で障害を捉えようっていう意味じゃなかったんじゃないかなと思っています。このフレーズは、むしろ「個性」の概念を既存の意味より大きく拡張することで、人類全体のお互いの違いを、属性や障害の有無といったバラバラの概念じゃなくて「個性」という統一概念で理解しようっていうムーブメントだったんじゃないでしょうか。そうすることで、障害に限らず人種や性別といった属性で断絶を生むことなく、 お互いに助け合っていこうっていう発想に基づいてたのかなって思っています。違和感のある表現なのは確かで、言葉ばかり広まって理念が置いてけぼりになっているとすれば良くないことですが、理念としては一定の評価をしてもいいのかなって思ってます。
同意見です。本来の「個性」の意味とは違うかもしれないけれど、個性という言葉で片付けようとしてるわけでもなく、本人にとって良くも悪くもその人自身という、幅広い意味で個性という言葉に変わってきてるのかなって思います。人類みな違う、人種性別性格見た目…何もかもみんな違うそれぞれが持つ個性、そこにポジティブな意味もネガティブな意味も差別的な意味も無くて、個々の特徴とか特性とかそういう意味で個性と表現した人と、本来の意味での個性で捉えた人の間で、個性の価値観のすれ違いが起きてるのかなって印象です。
「個性」の概念の拡張、すごくしっくり来ました。社会がもっと発達し、今「障害者」と言われている人が「健常者」とほぼ同じ生活を送れるようになったとき、眼鏡使用者が視覚障害者と呼ばれないように障害も「個性」の範疇に収まっていくのかなと思いました。
理念としては素晴らしいですね。でも結果はその運動の中に障害者があまりいなくて、外野が勝手に盛り上がって少しずつズレた。といった感じでしょうか?現在障害者に差別は減っていますが、それは単に情報と教育が量が増えたから理解が深まっただけと私は考えています。
病気の症状を個性って言うなら“あぁガンになったの?半年ぐらいしか生きられない個性だね”って言う事もあるという事だね
感想 すまいりぃ私は先天性の視覚障害があり、弱視ですが、一度も障害を個性と考えたことはありませんでした。かと言って、弱点だとも思っていません。私の息子(同級生にも、知的障害の友達がいたりします)が良く言っています。「障害者は自分がなりたくてなった訳でもない。特別に思うのではなく、普通に他の人と同じように、自然に付き合うのが良いと思う。困っていることはフォローし合えば良いだけのことだよね」と。濱田さん、こういうことをスパッと言ってくれてありがたいです。
はじめは個性と言われて「私はあなたを認めています」ってゆう意味でとらえていたので嬉しい気持ちがありしたが、時間が経つにつれ変わってきて〝多様性を認めている自分“ってゆうのをアピールしたいだけなんじゃないかなと感じるようになりました。言われると心がギュッとなります。
発達障害の友達がいたけど 変わってるけど友達 わがままだけど友達 と認識してました ある日 その子の障害を先生から習い その日からその子が保護すべき対象になってしまい なんだか寂しくて寂しくて 結局 元の関係には戻れなかったなぁ
以下個人的な見解です。その言葉が生まれたのは、障害を持つ子供を持つ親であったり、障害を持つ本人がそのように発信し始めたからだと思っています。さすがに、障害と何の縁もない人から障害のことを個性と言い換えようとはならないです。生まれた理由も、おそらくは障害者としてではなく他の人と可能な限り同じように扱ってほしい(あるいはそう思いたい)という決して安直なものではなくそれなりの苦悩があって出てきたのではないかと思っています。ただ、そういう考えの人が障害者の全てではないのも事実だと思います。少なくとも健常者から安易に言っていい言葉ではないと思っています。
「障害は個性」は当事者が自身の特徴をポジティブに捉える分にはいいと思う。ただ、障害を持っていない他人が言うと、障害をポジティブに捉えようと変換するあまり、当事者の苦悩を見て見ぬふりをしてしまう恐れがあると思う。
分かる。オレも直系親族が全員、糖尿病で、自分で「糖尿病のサラブレッド」って言うけど。世間で遺伝的に特定の病気を抱えやすい人に「サラブレッドですね!」は、殴られてもしょうがないと思う(笑)
私は発達障害と学習障害を抱えています。この方に言いたかったこと全て言ってもらって安心しました。
わたしも精神障害があるから思うけど、この障害のせいで子どもの頃からとても生きづらかったし、生きるのが辛かった。そのおかげで、精神疾患を発病した。障害は社会の中で生きていく上で障害になることも知ってほしい。
わたしも同じです。登校拒否から始まり、まわりの人は子供がいる年齢ですが、正社員として働いたこともなく資本主義の中では生きていけません😢
濱田さんの考え方も凄く納得させられたし、話のまとめかたが聞きやすくて心地よかったです。いつか生で濱田さんの漫談聞いてみたいものです。
確かに。障がい=個性って概念は無理あると思った。病気で苦しんでる方に「個性ですね」なんて絶対言えない。
個性という言葉で片付けてる、端に寄せてる感がある。私は1型糖尿病で障害者の括りには入っていないけれど、日々の苦労を個性と「片付け」られたら不信に思う。
感想 お話興味深く聞かせて頂きました。実際に障害を持つ濱祐さんの感じていることを知れて嬉しかったです。濱祐さんの言うように、不治の病の人に個性とは、絶対言えないです。個性と捉えて気持ちが楽になってる方の話も聞いてみたくなりました。
個性と捉える人って大体が健常者。障害がある子を持つ親が言ったりしてるのを見る。それって当事者を守ってるというより、親や関係者が自分自身の心を守ってるように見えてしまう。それで守れるなら構わないけどね。
自分も当事者ですがほぼ同意。しかし受け取り手の環境や受け取り方次第では悪意にも善意にもなる言葉ですね。オブラート系の言葉。言葉なんて全てそうなんでしょうが。でも、全国的に障害は個性なんてお茶の間で広めちゃったのが良くなかったと思ってます。おっしゃる通り注目される話題の餌にするには絶好のフレーズだったから使われただけ。変に広まって障害は個性だから前向こうとか言われても…じゃああなたも個性作りましょ?そんで一緒に前向こう?って捻くれますよ自分なら。障害のがいの字も自分は何か嫌で。害が嫌な人も居るんだろうけど、害があるから上手く生活出来ないところもあるし、これもオブラートにつつんどこみたいな違和感があって気持ち悪くなるんですよね。人間って難しいです。
私も出産時にSLEとゆう難病である事が判明しそれから薬の服用を開始しました。その後、その病気自体は安定してるのですが、薬の副作用で骨壊死になり、両肩、膝、股関節が全てイカれて今は身体障害者です。他にも肺高血圧症も発症して、手術が受けれない体です。今回、動画を見させてもらって共感しました。私の病気も障害も私の人生の途中からついてきたもので、20歳を過ぎるまでは無かった物です。だから学生時代の私や結婚前の私を知ってる人は、今30代で杖をついて歩いてる私を見て驚きます。走るのが得意で常に走り回ってるようなおてんば娘だったので車椅子に乗ってる時に会った友達は言葉を失ってました。今の杖をついてる私しか知らない人も病気と共に年をとるに連れて増えてきましたけど、やっぱり過去の私は今と違うし、走り回りたいのにできないもどかしさがある中で、いまの自分の障害を個性と言われるのは違和感があります。社会が障害者をもっと理解しようと努力して、差別化を無くすために、オブラートに包んで表現してるのだろうなとは思うのですが、なんか腑に落ちないですよね、、、
高校の時に片目の視力を失い、もう片方も通院手術。障害者ではないし、健常者でもない存在で、居場所がない人生。進学校のペースについていけず、心労が重なり退学。その後も手術し、運転免許を持っていないことでも詮索され、面接では退学の経歴の説明で目の事を話すと視力を言わされたり、現在の通院の有無を探られたり。雇い主が何にも傷がない人材を探しているのは良く分かるから仕方ないと思ってるけど、個性なんていう言葉で済まされるものじゃない。どんなに頑張っても、ふだん気にしてないように過ごしていても、ずっと足枷です。
はまゆうさんの話し方や声が大好きです。個性、と言い出した人はおそらく当事者ではないと思います。息子が発達障害があります。私が初めてこの言葉を聞いたのは、ある占い師の人(対面で占ってもらった時)からだったのですが、聞いた瞬間から違和感を感じ、「この人は何を言ってるんだろう?」と思いました。色んな場面でその言葉を見聞きする度に違和感を感じていたのですが、ある知り合いの方が「障害は個性じゃない、その人の事情だ」と言っていて、めっちゃ納得しました。
何でもかんでもポジティブに「障害って個性ですよね」て言う人、実は何も考えてないんだろうなって思っちゃう
私も冷たい言葉だと思います。理解もせずに簡単に決めつけないでって思います。発信ありがとうございます。
さすがに喋りが上手い。内容も納得できるし
障害だろうがなんだろうがニュートラルに個人の特徴=個性と呼ぶだけなら別に違和感ない気がします。ただ、障害のことを本当にニュートラルに捉えていたら、わざわざ個性だとは言わないと思うんですよね。。あえて個性と呼ぶことにはきっと意図があるだろうし、無理やりプラスに?表現しようとか、なにか現実から目を背けようとしているならちょっと違うのかなと思います。
やっと公にこう話してくれる方が出てきてくれて嬉しいです。「障害は個性」って、ほんとに嫌というか、ずっと納得できなくて。個性って、障害みたいなそんなものではなくて、その人自身の内面から出るその人らしさを言うものだって言う思いがあるので、それは違う!ってずっと思っていました。それに、私には知的障害と自閉症の兄がいて、どうやってもこれを個性だなんて、そんなお花畑みたいな言葉で収めてほしくなかったです。障害は障害であって、家族も大変だし、本人だって苦しそうで、これを個性って、、、24時間テレビの世界を障害者のすべてと思ってないとそんな言葉出てこんわって。それとともに、兄の個性はそこじゃない!明るくて人が大好きで歌が大好きで人懐こい、障害が重くて周りに迷惑かけても周りに愛してもらっていた、それが兄の個性なんですけど??って。長年のつっかえが取れたくらい、大きく頷きながらお話聞かせていただきました。ありがとうございます❣
【感想】ジェニファー何度も何度も繰り返し聞きました。わたしは、自分が個性と言うワードを使う場面について考えました。 まず他人に直接言うことは、ないなって思いました。自分自身についても使わないって思いました。個性ってどうすることもできない揺るがないものについて、使う言葉のように感じます。 あえて使うなら、個性的って言葉。個性的な髪型、個性的な絵、個性的な人、個性的な味。褒めるところがない時に逃げる時に 使う言葉。それでも、わざわざ他人には、いわないな。
とてもわかりやすいお話。ありがとうございます。「個性」が言われていた時期、何で違和感があったのが頷けました。
“障害は個性”という表現は、主に発達障害者に対して使われる気がします。障がい者と言っても、症状や重度、先天性・後天性など、人それぞれです。それを考慮していないことで、今回のような違和感につながったと私は感じました。また、おっしゃるように、テレビは注目度を重視して発信していると思います。資本主義なのでメディアに限らず、個人もバズりを目指して発信しているように思います。そういう発信の内容は、本当に大事なものが抜け落ちていると私は思っています。なので、そういうものに振り回されず、今回の濱田さんのように、多くの人が自分なりの意見を持てるようになって欲しいと思いました。
【感想】ハム障害を個性ということは、違和感があると思います。私にも知的障害の妹がいますが、障害のある中に、本が好きとか、おしゃれが好きとか、その人の持った特長が浮き出ると個性かなと思います。障害=個性は少し無理があるので、根付かなかったのではないかなと思います。
肉体的な側面で言うならば、身体的な障害を個性だと言うのは合っていないように思う。しかし、障害があるからできる考え方、例えば目が見えない事をフリに笑いを取るのは、目が見えない方にしか出来ない個性と言って差し支えないとも思う。(それは例えば音痴な人がマンキンで歌って笑いを取るのと同じでは)確かに無理矢理ポジティブなイメージで押し切ろうとしている人が「障害は個性」と言っている感も否めないが、自分は障害から生まれる人間の精神的な個性は有ると思う。
障害は個性では無い!賛成ですあくまで何かの障害になっている疾患、失陥、不備…であって…オブラートに包んで言う必要は全く無い優しさでもなんでもない言ったからって差別にもならない
ツイッターから来て、初めて動画を拝見し、じっくりお話を聞きました。話し方がすごくわかりやすくて、伊集院光さんみたいだなって思いました。落語とかやられたらぴったりな感じがしました。話がトピックからずれてしまってすみません😅これからも、応援します。
おそらくですが昔は社会的に障害者のかたに対する理解が足りてなかったり、特別視する機会が多かったから濱田さんが仰ったようにマイナスイメージを払拭しようと言葉だけが独り歩きしたんだと私も思いました。今は完全だとはいいませんが20年、30年前よりは障害者のかたに対する社会的配慮も充実はしてきていると思うので「過渡期」にあたるときに、障害は個性と言う言葉は障害をもったかたのことを理解することにおいてのきっかけの一つにはなったように思います。私もこの言葉には、モヤモヤした気持ちがありました…
RN:偏頭痛ガイコツ【感想】私は「障害は個性」というフレーズは、知的ハンディや発達ハンディに対して、揶揄された側がカウンターとして遣う言葉だとぼんやり思っていました(思い込み怖い!)ですが実際、はまゆうさんの言うように、テレビで言っている場合が多いですね。外野が言うと全然ニュアンス変わって来ますね。確かにかつてはプラスのイメージを付与する為に遣い出したのかも…命に関わる症状を“個性”で片付けるのは冷たいし、相手の事全然見ていないなぁ、と思いました。
個性ってオリジナリティな事に使われるものだと思ってます。障害は障害症状は症状個性は個性まとめて個性と言われると、問題解決しにくくなったりするから、まとめられるのは困ります。
すごく共感しました。私は障害を個性と言われると、より周りに「他人事」と投げられたような感覚を受けてました。「良い風に言っといてあげたよ」的な。濱田さんの喋り方がとてもわかりやすくて、合間にフォローや補足を入れるタイミングも絶妙で、常に聞き手の気持ちを考えながら皆んなで一緒に話してる様に感じました。優しい気持ちになりました😊
「障害も個性」は障害者と共に歩む優しい社会作りのお題目に合致したんだと思います。障害者というのは兎角差別の対象になりがちです。胎児の段階で障害が発見されれば堕胎することも考えられ、大人になり結婚しようとすれば相手の両親に反対される…。そういう差別意識を「個性」という都合のいい言葉でまずはふんわりと人々の意識から変えていこうとしてるのだと思う。
障害が障害として認められてるのは特に重い症状があるからなのに、個性って言うのはすごく違和感がある相対的平等と絶対的平等を混同してる感じ
人の邪念に敏感な人だな、ドキッとした障害に対する差別や忌避感をなくそうとするあまり、個性という言葉で当事者が抱える問題を矮小化してしまっていたんだよね「太っているのも個性」から「自分の体型が嫌でも、そのありのままの気持ちを受け入れよう」に変わってきてるみたいに、濱田さんみたいな考え方も増えてきてるとは思う
濱田さんの話の組み立てとプレゼン能力が圧巻過ぎます😊関東の寄席で濱田さんの漫談聞きたいな
もう何十年も前に、自分の子を障害者と認めたくない親が、健常者学級に入れようとしたり、個性と呼んだりしていたのをみたのが最初でした。認めたくないって時点でものすごく障害者差別してるなっと思った記憶があります。顔面マヒの知人がいますが障害者手帳はありません。対象ですらありません。彼女の顔に対して個性などと思ったこともないし、彼女だってそう思っていません。個性ってややネガティブが入った言い回しのときに使うんです。障害は個性というのは嫌いです。特徴だと思います。例えば警察に目撃証言をする際に話す内容、それが特徴です。個性とは言いません。
当事者が個性と発信していたり、障害を持った我が子に対し個性として受け入れてるご家族などを見るので、悪い表現じゃないと思ってました。思ったのは「個性」という言葉の捉え方の違いなのかなあと。障害を持っていることで「普通じゃない」という扱いはよくない、そもそも普通とはなんだ?となったときに、人それぞれ見た目や性格など同じ人はいなくて、「みんな違う」という表現で個性と言っているのかなと。言い換えるならステータスとかでしょうか、肌の色、目の大きさ、鼻の形、髪型、服装、好きな食べ物、嫌いな色…こういったそれぞれが持つ自分のプロフィール的なものを個性と表した結果なのかなと。それは個性ではなく、趣味だったり趣向だったり、病名だったりなのでは?っていうところはありますが、「本人にとって嬉しいこと嬉しくないこと良いこと悪いこと好きなこと嫌いなこと全て含めてこれが今のあなたなんだね、大多数のものが普通でそうじゃない人は普通じゃないとかそんなのは無くて、みんなそれぞれ生い立ちも性格も趣味趣向も何もかも違う特徴を持ってるよね」=個性だね、と表してる感じかなあと思いました。
分かりやすい話でした。さすが話しのプロです。そして「当事者」なのでその言葉に説得力があります。
障がい者でも健常者でも、苦手なことやできないことを個性と言わなくて良いと思います。例えば病気や事故で片腕がない人の「片腕がない」ことを個性と言うんじゃなくて、「ある片腕でいろんなことができる」とか「腕とは全く関係ない素晴らしい面を見つける」ことなどに目を向けるというか。医療従事者ですが、障がいのある当事者が自分から障がいを個性と言っているのを聞いたことがないです。言っているのはたいてい親や周りの人達、メディア…もちろんポジティブに捉えたいという気持ちは十分理解できますが、個人的にはそう思います。
私も大学で、当事者でも無い 特別講師?が「障害は個性」と言っていて、その反論を感想レポートにしたことあります😂妹は障害があります。それを個性って…言葉が話せないことが?重度の知的障害を持って生まれたことが?心臓の手術を何回もしたことが?妹はそんな個性が欲しくて生まれたわけじゃない。健康な身体が得られるなら、それが良かったに決まってる…「個性」といえるのは、個性と決めていいのは、本人だけだろと思います。何を個性としたいかは、障害者も健常者も、だれでも、選べるはずだと私は思います。はまださんの言うように、障害を個性としてしまうと、「明るい」とか「面白い」とか「本が好き」とかの「その人らしさ」を全部無視している気がします……はまださんのように上手に言語化できなかったので、首もげるくらいうなずきながら見ました。
私も障害は個性とは違うって考えです。よしもとの舞台で初めてはまゆうさん見て、出演者の中で一番おもしろかったです!これからも応援してます。こういうコメントって本人に届くのかな?
48歳、双極性障害(躁鬱病)、聴覚情報処理障害、パンセクシャル。私の場合、精神疾患については脳機能障害だから「病気」という認識です。主治医、看護師などの医療従事者は「個性」とは言わないですね。精神病棟に行った際も医療従事者の方々は「個性」とは言わなかったな。聴覚処理障害については治療がなく難聴のままですが何とかなってます。それも私の「特徴」。「LGBT+」の性同一性障害に関しては捉え方が様々ですが「個性」を主張する方が多いと思います。昨今のLGBT+は「個性、個性」の時代です。私は病気も障害も「特徴」だと思ってます。上手く説明ができないのだけど、辛さを隠したり逃げたりするために「個性」という言葉を使う方も居るのかなって。
濱田さんの動画、たまたま出てきたので、動画タイトルの話も聞いてみたいと思って見ました。おっしゃられている内容にすごく共感しました。個性という言葉に置き換えることをもしその発言者の優しさであるならば、それは違うかもしれないですね。
大学で障害児教育専攻してて、とある教科の先生が「障害は個性」論者だったんだけど、私は違和感を感じてて試験で個性というのは違うんじゃない的な事を書いたら点数もらえなかったなぁってことを思い出しました。いろんな考えがあっていいと思うんですけどね。
なぜ違うのか論理的な説明がなければ、その意見は単なる感想でしかないのでは。
障害=個性て言われるのほんとに嫌いだから、こういう発信してくれて嬉しいです。障害を個性って言われてしまうと、あくまで個性なんだから健常者と同じレベルで仕事、生活しなさいって事になる。個性って言われて嬉しい人は特に困難を感じてない自称ADHDの人だけだと思います。
私は精神障害を抱えているのですが、それを「異常」だと言われたことがあります。あの時はものすごい怒りに包まれましたが、その言葉を発した男は貶すことを喜んでるようで満面の笑顔で言ってきたので、反論する気すら起きませんでした。もう何年も前のことですが、未だにイラッとします。
私も障害者です。「障害者」を「個性」と呼ぶことについて何も考えたことがなかったので、そういう意見・背景があったんだと参考になりました。個人的な意見ですが、呼び方を変えたところで本質は変わらないと考えていたので「どうでもええわ」と思っていました。どんな言い方をしようと自身の障害や周りの方の目も対応もあまり変わらないので。「障害」を「個性」って言い換えるのは「デブ」を「ぽっちゃり」に言い換えるのと同じぐらいの認識でした。
実際その通りだと思うわ。
障害者と仰ってらしたので聞きたいんですけど(議論とか批判をしたいわけではないです)、あなたが認識していたことで障害を個性と言い換えることはデブをぽっちゃりと言い換えるのと同じぐらいだと書いてたのを見たのですが、デブって悪口感があってそれをマイルドにしようとしてぽっちゃりって言うのかなと私は考えてたので、どうですか、障害をお持ちだと障害者と言われることに何か思うことあります?悪口に聞こえるとか, 例えばバカにされてる、自分より上だと思ってるなど。別になくてもあっても良いのですが、当事者の方にどういう認識なのかなと思ってるか聞きたいなと思って。歴史はしりませんが健常者が障害者と言う言葉を作ったのだと思いますし。長々とすみません。私もあなたのように障害、個性について何も考えたことなく呼び方が変わるとなにか大きく変わるかは私も疑問なので。
@@tigergate7962 あくまで自分のことなのですが、「障害者であること」、言葉を選ばずに言うと「正常ではない体」なのはその通りで事実なので、そう呼ばれることについてはなんとも思っていませんし、なんなら「そうなんだよねー、ははは」ぐらいの気持ちです。表現方法よりも、必要な配慮や手助けができる環境が重要だと思ってます。障害と言っても多岐にわたるので、一人一人必要な配慮は違いますが・・・。障害由来でバカにされた心当たりや経験が無いのでなんとも・・・そうなると私の「デブ」ってのは良くありませんね。「太っている」を「ぽっちゃり」ってポジティブ感出してるのが好きじゃないんです。開き直ってないか?痩せれないのを誤魔化してないか?って思っちゃって。
ここのコメントで多くの皆さんが言われているように、言葉の言い回し云々でなく、障害のある方もない方もより良く暮らしていける社会作りを具体的に描いて進めていく事が大切であると感じました。皆で自分たちの今の社会のあり方に疑問を持って身近な所からより良く変えていくにはどんな事ができるか考えるのは素晴らしい事だと思います。
松田聖子さん主演のダウン症の子供を授かるドラマの中で「この子の個性だから産みます」みたいな台詞があったのを強く覚えています。ドラマは素敵だったのですが、強く覚えてた理由がちょっとのどに突っかかってたからかもしれないです。
病気や障害を個性というのは、冷たいようだけど、その人を一人の個人として尊重しようとしてるんだと思いますよ、ただ履き違える人もいますよね
分かります!!私の子供には発達障害があって学校の先生からは個性と言われます。私的には「障害と名前がついてるなら病気だよ。治らない病気ならそれを踏まえて誰かに助けてを言えるように、出来ないなら出来ないなりの精一杯の努力をしなさい。ありがとう、ごめんなさいは絶対に言えるようにしなさい。発達障害は何も悪くない!!と子供に言っています!この言葉が正解か不正解かは分かりませんが…
【感想】船大工濱田さん、今回のテーマはとても心にくるものかありました。自分はこのことについてどう考えていただろう…と。障害を個性と言い切ることには違和感はありつつも、テレビで障害は個性だと言われている印象は私も強くありますし、その二つをどう捉えるべきか、障害を持った方自身が言う場合と、障害を持った方に向かって言う場合と、立場によってその言葉の意味も変わってくるんじゃないかとも思いました。学生時代に障害を持った友達がいましたが、付き合いが長くなればなるほど障害のことがその子の一部として溶け込んでいきますが、ではそれが個性かと言われるとそれはやはり違いますよね。でもその子と接する上では個性のひとつとして捉えているような自分もいて、ずっともやもやしていました。濱田さんのお話を聞いて障害は障害、個性は個性で敢えて交ぜて考える必要はないんだと気づきました。なぜ理由もわからずにそれをやろうとしていたか?というのか3つ目のお話だと思いますが、本当にそうですね。なぜわざわざ障害とは個性なのか?を自分の中で問い続けていたのかがわかって、なんだか目から鱗という感じでした。今回きついと感じる人が多いと思いながらも発信してくれて考えるきっかけになりましたし、やっぱり濱田さんの話し方にはすごく惹きつけられるものがあるなぁとも感じました!こういう話を聞いて、ドキッとしてしまう自分が私はなんとなく嫌です。私はなにかを期待していたんだろうか、とか、思い込んでいた自分に気がついたような感じがしたんですね。うまく言えませんが、もっとこういう話を自然に聞いたり話せる自分や世の中になったら生きやすいだろうなぁなどと思いました。
29年間グレーとして生きざる得なかったものです思いっきりADHDです結局個性として取られて流行りのADHDねの感覚で終わらせて本当の困り感の理解をしようとしない人を見るもの障害としてヤバいやつと迫害されたり、それは甘えであると批判されたりしたりするのもどっちにしても苦痛なだけなのですよねまぁ自分が格別分かりにくい特性の持ち主だからかもしれませんが人並みの幸せが欲しいなと思いますよやっぱり努力と工夫を自分だけ駆使しても周りの理解がなければ社会不適合者として会社を辞めざる得ないので社会の立ち位置としてはニートですね業務自体はできるのにただ人と工夫と努力をしても上手くいかなくてニートせざる得ないのはなんだか複雑な気持ちになりますよ
正直言って障害か個性とか呼び方はどっちでもいいと思ってます。そんなことより同じ人として尊厳持って接して欲しい…ただそれだけです。
奥深い話だなと思いました。正直「個性」という1つの言葉に対し、人によって微妙に捉え方や使い方がが違うのでは?と思いました。だからこそ、言葉の独り歩きが起こっているのかもと。私は「障害は個性」と初めて聞いた時、納得する部分が正直ありました。腫れ物扱いをする訳でもなく、可哀想な人でもなく、1人の人間として向き合えばいいんだと気づくきっかけになったから。それまでは、助けてあげなきゃいけない存在という思いが強かったから。でも、症状や命の危険があることまで個性で片付けられているという濱佑さんの指摘にはハッとしました。自分の中では、そういう場合は個性でないと言い切るけど、社会全体で「障害は個性」という概念が広まった結果、色んな解釈や都合のいい使われ方になってきてしまったんだなと思いした。表現って難しいですね。
わたしも同じ感想をもちました。個性って単語に込められてるニュアンスが人によってちがってるな、と。私も障害は個性だと聞いて、「障害はその人の日常であり、当たり前のことで、可哀想なことじゃない、かわいそうって勝手に決めて同情するのは失礼かも、普通にしよう」ってかなり反省しました。「障害者」という線引は差別という人も、「個性」という言葉で片付けてられたくない、という人も、言いたいことって、根っこは同じようなことなのではないかという気がします。
どんどん発信してほしいですね!!やはり、当事者の気持ちや意見が大事だと思いますし、それを想像で理解するよりかは本当の声のほうがいいですし。障害が個性と言う発想は主に知的障害の理解の中で生まれてきたのかなと思います。苦手なことが多いのですが、逆に自分にはないものを感じ、そこに凄さを感じることもあるので、肯定的に理解する中で生まれたのかなと。特にその子供を持つ親が命の尊さを感じる中でその言葉は強くなっていったのかなと。もちろん、身体障害やいろんな障害を持つ方にも、だからこそ感じる凄さを感じることもあります。そういう中で生まれてきたのかなと思いますが、そもそも障害とは何を指すのかという理解が進む中で個性という発想は少なくなったのかなと思います。最近は障害というのは、その方を指すのではなく、社会との障壁のことを障害という考え方になってるのかなと思いますし、その方が全部の障害に対しての理解や辻褄があうと感じています。社会にメガネというものがなければメガネをかけてる人はみんな視覚障害になる中、いろんな症状があっても社会が対応できれば障害ではなくなるという発想になります。社会の対応というのは、医療や文明や環境やインフラなどになるのかなと。とにかく、いろんな理解が進む中で、世間の理解とはずれがありますし、障害といってもたくさんの状況や状態があり、それについてどういう気持ちや考え方があるかもそれぞれなので、ひとくくりで考えるのが難しいけど、理解する側はそこまで細かく見れないことも難しさのような気がしてしまいますね。
「個性」という言葉で片付けることに、障がいを理解しようとする姿勢の無さが感じ取れる。つまり、そこに"冷たさ"を感じるということですかね?実際に障がいを持つ濱田さんだからこそ分かる感覚で、障がいに対する理解が深まったように思います。
こんにちは、金子一広です。視覚障害者(弱視)です。障害を個性として捉えるようになったのは医療、福祉の関係者だと思います。先天性と後天性も含めて障害を受容していく過程の段階のうち、個人が最初に受容するイメージを個性としているのではないかと思います。そして、障害者個人が成長していく過程で人として社会に認められる存在となって自立していきます。能力の差があり成長が止まる人や緩やかに成長する人、社会に溶け込める形など多様性があるの思います。障害者個人にとっては厄介なものでしかないですね。できればそんな個性はいらないね。受け止め方は社会の環境や時代によって変化していると思います。頑張りましょう。🙏💕応援してます。
たぶん、濵田さんの言うとおり、よくメディアで障害を持った小さい子供が取り上げられた時に「障害」と呼ぶとクレームがとんでもなく来るから、手っ取り早く「個性」に置き換えたんでしょうね。 誰もが深く考えてメディアを見ないからね。 考えずに、棘もなく受け取られやすい。 濵田さんのように深掘りできる人はめちゃくちゃ少ないよね。 特に50歳代以上のテレビをたくさん見る人。
私は当事者ではありませんが、ずっとテレビで発信される個性という考えに違和感を持っていました。こうやって自分の違和感がしっかり動画にされていて腑に落ちました。こういった当事者の方が発信する動画は大切ですね。
結局症状によって個性として扱われたいか病気として扱われたいか当人がどう思うか次第だと思う。そいつらに一々合わせてられんのよな、仲良くなった奴がいればそいつには合わせてやりたいと思うけど。
ほんまやね。会社にASDの人いるけど個性だからASDの人がいてもうまくやれっていうのは本当に負担。毎日イライラする。病気っていってくれたら優しくできるわ。
人生の中でながらく疑問・不満に思っていた事を、見事に説明していただきありがとうございます。私は子供のころの交通事故で障害者になりました。例えば体育の時間で、鉄棒が下手だという個性と、鉄棒が身体的に不可能だという事はまったく違います。やはり障害を個性と解釈するのは、無理がありますよね。
逆のことを学校で言われた事があります。
「近眼や乱視で眼鏡をかけているなら、それは個性やファッションでなく、君は視力障がい者なんだよ。裸眼で生活できないでしょう?」と。
すごくハッとしたのを思い出しました。
「個性」というカードからは「扱いづらいものにはフタをしよう」という下心がにじんでいるように思います。だから多分冷たく感じるのかもしれません。
偶然お見かけした動画ですが、自分は本当の正直な気持ちを聞くことができて嬉しかったです。
障害の中でも特に発達障害の際に個性というワードが使われていると思います。個性というワードでは片付けられないくらいの、生きづらさを彼らは抱えていると感じます。
私はADHD、すなわち発達障害当事者です。
個人的には自分の生き方が普通ですし常識だと思っているので、ハッキリ言って健常者の方々の感覚は理解できません。(薬によって症状を緩和すれば体験はできるかもしれないですが)
それと同じように自分も周りには理解されることはないとずっと感じています。
これこそが隔たりであり障害のという言葉の本質だと僕は考えています。
個性ではない事を彼ら自身が認めて、きちんとケアを受けるべきだと思います。
特にグレーの人。
発達障害だと言うことを隠して採用されたり、働き続けたりしてる人が大勢いて、本人も一緒に働いてる人たちも苦しいです。
発達障害ってファッション感覚で自称する人最近増えたよね。特異な才能を持っているのなんて一握りで、大多数は普通の人より劣っているだけなのにね。
発達障害の子を育てるサポーターの立場です。
本当に個性という言葉では片付けられません。
道路に飛び出して車に轢かれそうになるのが個性なのか。
強度行動障害で血が出るまで頭を壁に叩きつけるのが個性なのか。
癇癪起こして暴れるのが個性なのか。
あくまでも、命に別状のない、他者に迷惑をかけない範囲が個性であって、それを逸脱してしまったらもう個性ではないです。
周りの人もしんどい
中学生の時にASDって診断されたんだけど、母親に発達障害×アートみたいなイベントに連れて行かれてモヤっとした記憶がある。内に秘めたるものを表現しよう的なノリの大人が草間彌生を語っててなかなかキツかった。個性や才能はあくまで個人のものであって属性(障害の有無等)と安直に紐づけるのは残酷だと思う
物凄く分かります。
妹が障害持ちですが障害なんて無い方が良いに決まってるし個性なんて言葉で誤魔化さないで欲しいです。
初めてこの言葉を聞いたのはテレビで障害児を持つお母さんが言っていたと思います。
その時は「うーん・・・。」と言う感想でしたがお母さん本人がそう思うことで気持ちが楽になったりいい方向に考えられるならいいのでしょう。
一般人が障害全てを安易にくくって「個性」というのは違うと思います。
感想 いと
私は母親が後天的な身体障害を持っており、弟が先天的な知的障害を持っています。亡くなった祖母も足が不自由で常に車椅子に乗っていました。そして、そのような環境で育った私自身も現在大学で特別支援教育について学んでいます。
私の大学で教鞭を執っておられる特別支援教育の専門の先生も障害を個性と呼ぶことには注意が必要だと講義の中で仰っていました。私も濱田さんや先生が仰る通り、障害を個性という一言だけであしらうのは失礼だと思います。なぜなら、無責任な個性という言葉は、その障害によって困っている人がいるという事実を無視することになると思うからです。現在は社会の側が障害のある人が豊かに生活する体制を充分に整えられていないのに、都合の良い「個性」という言葉を用いて見せかけだけのインクルーシブを実現させているにすぎません。結局は当事者に対して何も配慮していない自己満足な「個性」だと感じました。まずは障害のある人が健常者とほとんど同じ生活ができる体制を整えてからやっと「障害は個性だ」と言うことができるのだと思います。
「命に関わる病を抱えてる方に"それはあなたの個性です"と言えるか?」←まさにおっしゃる通りだと思いました。
過去に乙武洋匡さんの「五体不満足」が大ベストセラーになり、生まれつきの四肢欠損ながらもポジティブに生きる彼の存在が有名になった。その頃ぐらいから世間で「障害は個性」って言葉を見かけるようになった気がする。でも乙武さん自身は確か当時「個性って内容によって羨ましがられたりするけど、僕は『障害は個性』だとは思わない。だって誰も『私も障害者になりたい』なんて思う人いないでしょ?」って何かで言ってた。
1本大満足
@@user-gq4kn5ns1y やーねーwでも5股できるほどの1本なんでしょうね
障害を個性というのは「ひどい」とか「間違っている」じゃなくて、「冷たい」と表現する所にセンスを感じるし、話を聞いてても言葉を大事にしてるのが伝わってきました。
ほんとそれねぇ
賢さ感じちゃうよね
ですね。必ずしも間違ってるわけでもないですしね。目が良いのが個性なら悪いのももちろん個性でしょうし。言われた側がそれで良い気分になるかどうかは別ですが
我が家の長男は発達障害ですが、今まで一度も障害が個性だと思ったことはありません。
本人は毎日生きるのに必死で、いくら個性と言われても前向きになる余裕なんて全くなくて、明らかに生きづらさを感じて過ごしています。
響きだけ障害のある人たちにとって優しい感じにするのではなく、心底優しい世の中になってくれることを切に願います😢
健常者だからと言って優しくされるわけでもなく、日本の現状は外人と裕福層と老人に優しい国だからね。このままもし障害者にだけ優しくしたらかなりの批判を受けると思うよ。
同じく障害当事者として、とても腑に落ちる動画でした。
私は人に自分の障害を話したくないので必死に健常者のフリをして、定期的に誘われる同窓会にも元気だった頃しか知らない友人に会うのが怖くて断り続けています。
障害をひた隠しにして、周りの人に迷惑をかけないようにして、そうやって生きていこうと決めたのは障害を負った日からなので「個性」と簡単に言われるとすごく複雑な気持ちになります。神様からの贈り物「ギフテッド」と称されることもありますが、そちらも理解し難いです。
障害をわざわざ障がい(がいは平仮名)と書くのも、行き過ぎた配慮に感じてしまいますね…。
おそらくその漢字をひらがなにする配慮は「害を与える側」みたいに見えるから...って事なんでしょうね。でも本当は「害に感じている側」なので「個性」と言われると日々ストレス感じている者としては「だからみんなと同じ!ねっ😉」って色んなバリアフリーも取り上げらるような気持ちになりますね。「個性」なら自分らしく自由に生きていけるけど「障害」は世の中生きていくには努力ややりたくても出来ない悔しさなど色々あります。「個性」を「障害者としてひいて見るんじゃなく友好的に受け入れ理解しよう」って意味なら良いのですが「妊娠は病気じゃない」って言葉と同じに「だから甘えるな」という意味に取られると困りますね。
自分も中途障害で同じような理由で昔の知人には会ってないです。
チャレンジドという言葉も「別にチャレンジしたくなかったけど😅」と思いますね。
@@user-hr2ey4zt1i
ですよね。「障害って乗り越えられる強さを持ってる人にしか与えられないんだから大丈夫!」とかも...勝手に「乗り越えられる」とか決めんなや💥👊って言いたくなる。
@@カノン819 さん
しれっと傷ついたのは「俺だったら生きてられないは」とナチュラルに言われたこと😅
面白かったのが「俺がお前のスロープになる」(その友人とも疎遠になっしまいましたが)😀
@@user-hr2ey4zt1i
貴方はすごいって意味で言った言葉かもしれないですが、気分がいいものじゃないですね。表面上だけ理解者になったつもりの人とは疎遠になって正解ですよ。
私も障害は個性とは違うと思います。濱田さんが素直に思う気持ちを表現する事で、皆が考える機会につながると思うので、これからも、どんどん表現して下さい!
私は双極性障害とアスペルガーで障害者認定されていますが、これは治したい「症状」であり、「個性」とは思いたくないです。酷くなると死に直結する、そういうものを確かに個性で片付けては欲しくないものですね。
個性とは、症状とは、病気とは。考えるきっかけをいただけて嬉しかったです。いい環境でのびのび生きていきます!ありがとうございます!
小さい子供で余命数年なんて難病をたまに聞いたりするけど、そんな人に「それも個性ですよね」は言えないってのはわかるし、冷たいを通り越して人として言って良いのかって考えたときに、はまゆうさんが指摘することはわかる。
病気と障害は少し違うんではないのかなと思います。
私は視覚障害持ってますが濱田さんとは別の病気です。
私の「網膜色素変性症」という病気ですが、濱田さんの「先天性緑内障」という病気も含めて、「視覚障害」というのは目の病気を全部引っくるめた言葉じゃないかなと私は思います。
まじでそれな。
本気で困ってるのに
「誰でもそうだよ」「一つの個性」という掛け言葉にどれだけ意気消沈していたか。
障害を才能として活用できてる障害者本人が「自分のハンデを個性として活かして生きてます」って自発的に発信できるようになって初めて、その障害はその方にとって個性だと思います。
障害は障害だろ…
活用できてたとしてもハンディキャップに代わりはない
ラジオネーム AYA
感想
濱田君 こんにちは
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉がありますが
私は、この言葉が苦手です。
辛い出来事が起こった人を励ましているつもりなんでしょうけど
その人は神様に選ばれたつもりはないと思うので。
「障害は個性」も、励ましているつもりなんでしょうけど、そんな個性はいらないでしょうし。
濱田君が思っている事をお話してくれるシリーズは、見ている方が物事を深く考えるきっかけになると思うので良いと思います。
恋です!きっかけに濱田さんのUA-camを見ている者です!いつも楽しく拝見させて頂いています。
私の2歳の子供が知的障害です。
私も障害を個性と言う事に違和感があります。こう言っておけば世間的に良く思われるという偉い人の汚い心を感じます。
個性だと簡単に決めつけるのではなく、大事なのは一人一人の障害を理解し特性に寄り添える事だと思います。
障害を持って産まれてきても生きやすい、産まれてきて良かったと思える社会になって欲しいですね。
流行らせて、みんなを乗っからせて、旨味がなくなったから去っていく。すごくしっくりきます。
障害に《マイナスイメージ持ってませんよ》といい人のふりをして、その実、《だから手厚く扱って心配しなくてもいいんだよね。障害を持って落ち込んでいる人は、本人のせいだよね》と突き放しているような、そんな気がします。
めちゃくちゃ共感しました。
子供が先天性の難病があり、それを個性と思うことはできません。特に他人から言われると、じゃああなたこの病気個性としていります?と言いたくなります。都合のいい言葉ですよね、個性って。
「障害は個性」はあくまで当事者が自身を鼓舞する為に使う言葉であって、その苦労を知らない他人が簡単に使ってはいけないと思います。
障害は社会で考えて解決する課題でもあるのに、個性という言葉は、どこか他人事で突き放したような感覚になるっていうか…
本人が「これはこれで悪くない」と前向きに受け止めているなら個性と言っても問題無いと思うけど
他人の苦しみを個性と呼ぶのは残酷だよ
こんばんは☺️
ドラマ楽しませていただきました🙏
大学生の息子が吃音障害です。
幼い頃からマネされイジメられた経緯があります。
先程息子に個性の事を聞いてみました。
「個性と言われるとその通りで、それで終わるけど…なんか突き放されるような気がする。だから前向きで言ってくれてるのはわかるけどどちらかと言うと嫌だ」と。
親の私も励ますつもりで個性だよと伝えがちだったのでびっくりしました。
考える機会をくださりありがとうございました🙇♀️
私の失態フルコースを見ても心の底から「個性」だと思ってくれる会社やパートナーに出会いて〜〜〜〜
元彼にADHD打ち明けたら「甘えすぎ」「俺なら治せると思う」と言われた時本当怖かった
それは怖い😢
ADHD打ち明けてそう言われるって相手がやべー奴だから、逃げるしかないわね
打ち明けずに仕事出来ない、日常に支障出てるってなると、なんやコイツってなるけど
元彼さんは「うつ病は甘え」とかも言いそうですね。
感想 きよぷ
「障害は個性」って、当事者の人が言ってるのはあまり聞いたことがない気がします。当事者以外の人が、耳ざわりの良いことを言おうとして言っている(本質からは目をそらして)、という印象があるので私もこの言葉はモヤモヤしていました。なので濱田さんよくぞ言及してくださった!という気持ちです(大人になってからADHDと言われましたが、幼い頃から軽度難聴持ちなのでハンディキャップ感はずっと持っていました)
3つ目の話、下世話かもとおっしゃっていますが、実際マスメディアってそういう側面は正直あると思います。
「障害は個性」という言葉をよく聞いたころは、「障害者を病人として扱わないで欲しい」「健常者と同じひとりの人間なんだ」という障害者の言葉も一緒に聞かれました。当時は障害がある人にとって「障害がある人は病気でかわいそうだから助けてあげるべき存在」という見られ方が不快で、それを汲んでの「障害は個性」だと思っていました。
世の中の環境は少しずつ変化してるし、当事者の思いも様々ありますよね。ひとくくりにせず一人ひとりと関係を構築した時、障害の有無にかかわらず相手を大事にできるのかなと思いました。
同じく「障害は個性」は元々「特別扱いしないで1人の人として扱って欲しい」という障害者からの言葉として認識していました。
「障害は個性」と言う言葉で救われる当事者も、突き落とされるような感覚になる当事者もいるということですね。
当然のことながら、相手にレッテルを貼ることなく1人の人として向き合うことが大切なんだと動画とこのコメントを通して思いました。
私の父方には、精神・発達・知的・人格・身体障碍とすべてそろっています。私は、精神障害と知的障害と身体障碍の身内を介護し生活費を賄うために必死に働いてきました。そのことは別に苦労とも苦痛とも感じてませんが、障碍者とその家族の悲哀は身に染みて感じています。だからこそ、「障害もまた個性」とかほざく愚物は吐き気を覚えます。
生物生理学的には、「障害」は生物としてのバグなんです。哀しいかな、これは事実です。その事実を認めたうえで、同じ人間としてともに歩んでいくのが「人の道」なわけです。昨今のLGBT狂騒曲みりゃわかる通り、この「人の道」を理解できない自称「リベラル」のバカがいます。どうしようもない連中です
めちゃめちゃ共感です!!
私は片耳の聴力がないんですが障害者手帳はもらえないグレーゾーン的な扱いです!!個性と言う言葉が出始めた頃からとても違和感だったし、それは個性なんかじゃない‼️と強く思ってました。なので濱田さんのこの動画はとても嬉しかったです。
片耳聞こえなくても手帳もらえないんですね、、、厳しい
めちゃくちゃわかります。
私はアスペルガー症候群ですが個性で片付けられるのは嫌だなと思っていました。
言語化して下さってありがとうございます。
私もASDです。悩んでいます。
そんな個性いらない。マジョリティになりたかった。
治るなら治りたい。
でも、治らないから頑張るしかないんだけどさ…
障害が病気が先にあり、それゆえに社会にでて個性と扱われるのはなんか違う気がする
そもそも個性という言葉にプラスイメージが付いてる事が間違ってる。個性はプラスでもありマイナスでもある。
個性によって死ぬ人もいる。個性はオリジナリティあふれる素敵なものなんかじゃない。
感想 ミニピン
今回の濱田さんの話で、そもそも個性って何?って自分に置き換えて考えてみたけど、何か難しく、そんな一括りでは表せへんなぁって思って結局自分の個性分からなかったです。私の双子の妹も遺伝の病気で脳の血管障害で血管が細くなる難病指定されてますが、それを個性やから!って言われたら、『ん?何が?個性?どんな個性?』って聞き返したくなりますね。
きっと濱田さんの想像通りテレビの中の上手い言い方的な感じでの『障害は個性だよ✊🏻』みたいな事だと思うし、一般の方々でそんな風に本気で思ってる人なんか居ないんじゃない?と私は思います😁
そんな綺麗事?みたいな事よりも障害を持ってる方や困ってる方の手助けや皆んなが過ごしやすい社会をどう作っていくか。そうゆう当たり前の事をテレビですべきじゃないのかなぁ🤔と思いました。
anoさんの「普変」って曲で、「その個性を大事に」に対して「むかつく」と言う歌詞があるのですが、それと同じことだと思います。本人は普通にしたいのにそれを個性とかいうキラキラポジティブで片付けられたらたまったものではないです。とても腑に落ちました。
個性だとかギフトだとか変な言い方しだすのは、障害を受け入れられない親だと思います。
はまゆうさんUA-cam始めたの知って即登録。はまゆう節好きなんです。
納得です。車椅子バスケに携わったものとしてマネージャーさせていただいたけど、私はスポーツとして面白かったから、携わったのに、ボランティアして偉いねーと言われ、ボランティアの気分ではやってないねんけど…って溝は深まって違和感しか残らんかったのを思い出しました
発達障害の子供がいます。
私も障害は個性では無いと思います。
個性とはあくまでも生活に支障をきたさない、生命を脅かさないものです。
今世の中で障害と認定されている事は、誰かの支援を必要としている、事故などに巻き込まれてしまう可能性が高い状態です。
これを個性と片付けられてしまったら、定型の子よりも時間も苦労もお金もかけて育ててる意味がわからなくなります。
でも、障害は個性という事で助けられている保護者の人も多いんですよね。
何年か前に知人に「障害は個性か?」と尋ねられて、個性ではない、障害は障害だと答えたらそこから無視されてます。
当時は知らなかったのですが、その方のお子さんに重度の知的障害がありました。
きっとその方は個性だと考える事で、辛い気持ちに蓋をしていたのだと思います。
そんな時に障害は個性じゃないと否定されてしまったので無視という形になったのでしょう。
そのくらいデリケートな問題だと感じております。
とても参考になりました。
もし私が同じ質問をされたら
『人それぞれ、その人の考え方によるので。
ただ私は⚪︎⚪︎だと思います。』と答えるようにします。
お互いを尊重しあいたいです。
私の記憶の中では、障害を個性と言い出したのは、障害のあるお子さんをお持ちの母親たちだったように思います。
また、発達障害という障害や言葉が出始めたころに、昔なら障害者にならなかった、納得できない、という親御さんたちの声も聞きました。
子供の障害を認められないんだなと思った記憶があります。
それと同時に、その母親たちは障害者を差別しているとも感じました。決して自分の子供は彼ら障害者の仲間ではない、と強く思い込もうとしているようで。
特に先天性の場合、そうやって救われようとする親御さんがいるんだろうと思いましたね。
だからあるときから個性を第三者が使うようになって、とても違和感を覚えました。
障害を個性とするのは、障害という目を向けなければならない現実を、個性というカバーで覆い被せることによって、障害を持たない人が、障害から目を背けようとしているような感じがします。
濱田さんの意見にはとても賛同できますし、今回の動画で、障害=個性の冷たさを感じることができました。ありがとうございます
私は「障害も個性」というフレーズって、元々既存の個性の概念で障害を捉えようっていう意味じゃなかったんじゃないかなと思っています。
このフレーズは、むしろ「個性」の概念を既存の意味より大きく拡張することで、人類全体のお互いの違いを、属性や障害の有無といったバラバラの概念じゃなくて「個性」という統一概念で理解しようっていうムーブメントだったんじゃないでしょうか。
そうすることで、障害に限らず人種や性別といった属性で断絶を生むことなく、 お互いに助け合っていこうっていう発想に基づいてたのかなって思っています。
違和感のある表現なのは確かで、言葉ばかり広まって理念が置いてけぼりになっているとすれば良くないことですが、理念としては一定の評価をしてもいいのかなって思ってます。
同意見です。
本来の「個性」の意味とは違うかもしれないけれど、個性という言葉で片付けようとしてるわけでもなく、本人にとって良くも悪くもその人自身という、幅広い意味で個性という言葉に変わってきてるのかなって思います。
人類みな違う、人種性別性格見た目…何もかもみんな違うそれぞれが持つ個性、そこにポジティブな意味もネガティブな意味も差別的な意味も無くて、個々の特徴とか特性とかそういう意味で個性と表現した人と、本来の意味での個性で捉えた人の間で、個性の価値観のすれ違いが起きてるのかなって印象です。
「個性」の概念の拡張、すごくしっくり来ました。
社会がもっと発達し、今「障害者」と言われている人が「健常者」とほぼ同じ生活を送れるようになったとき、眼鏡使用者が視覚障害者と呼ばれないように障害も「個性」の範疇に収まっていくのかなと思いました。
理念としては素晴らしいですね。でも結果はその運動の中に障害者があまりいなくて、外野が勝手に盛り上がって少しずつズレた。といった感じでしょうか?
現在障害者に差別は減っていますが、それは単に情報と教育が量が増えたから理解が深まっただけと私は考えています。
病気の症状を個性って言うなら“あぁガンになったの?半年ぐらいしか生きられない個性だね”って言う事もあるという事だね
感想 すまいりぃ
私は先天性の視覚障害があり、弱視ですが、一度も障害を個性と考えたことはありませんでした。かと言って、弱点だとも思っていません。私の息子(同級生にも、知的障害の友達がいたりします)が良く言っています。「障害者は自分がなりたくてなった訳でもない。特別に思うのではなく、普通に他の人と同じように、自然に付き合うのが良いと思う。困っていることはフォローし合えば良いだけのことだよね」と。濱田さん、こういうことをスパッと言ってくれてありがたいです。
はじめは個性と言われて「私はあなたを認めています」ってゆう意味でとらえていたので嬉しい気持ちがありしたが、時間が経つにつれ変わってきて〝多様性を認めている自分“ってゆうのをアピールしたいだけなんじゃないかなと感じるようになりました。
言われると心がギュッとなります。
発達障害の友達がいたけど 変わってるけど友達 わがままだけど友達 と認識してました
ある日 その子の障害を先生から習い その日からその子が保護すべき対象になってしまい なんだか寂しくて寂しくて 結局 元の関係には戻れなかったなぁ
以下個人的な見解です。その言葉が生まれたのは、障害を持つ子供を持つ親であったり、障害を持つ本人がそのように発信し始めたからだと思っています。さすがに、障害と何の縁もない人から障害のことを個性と言い換えようとはならないです。生まれた理由も、おそらくは障害者としてではなく他の人と可能な限り同じように扱ってほしい(あるいはそう思いたい)という決して安直なものではなくそれなりの苦悩があって出てきたのではないかと思っています。ただ、そういう考えの人が障害者の全てではないのも事実だと思います。少なくとも健常者から安易に言っていい言葉ではないと思っています。
「障害は個性」は当事者が自身の特徴をポジティブに捉える分にはいいと思う。
ただ、障害を持っていない他人が言うと、障害をポジティブに捉えようと変換するあまり、当事者の苦悩を見て見ぬふりをしてしまう恐れがあると思う。
分かる。
オレも直系親族が全員、糖尿病で、自分で「糖尿病のサラブレッド」って言うけど。
世間で遺伝的に特定の病気を抱えやすい人に「サラブレッドですね!」は、殴られてもしょうがないと思う(笑)
私は発達障害と学習障害を抱えています。この方に言いたかったこと全て言ってもらって安心しました。
わたしも精神障害があるから思うけど、この障害のせいで子どもの頃からとても生きづらかったし、生きるのが辛かった。
そのおかげで、精神疾患を発病した。
障害は社会の中で生きていく上で障害になることも知ってほしい。
わたしも同じです。登校拒否から始まり、まわりの人は子供がいる年齢ですが、正社員として働いたこともなく資本主義の中では生きていけません😢
濱田さんの考え方も凄く納得させられたし、話のまとめかたが聞きやすくて心地よかったです。いつか生で濱田さんの漫談聞いてみたいものです。
確かに。障がい=個性って概念は無理あると思った。
病気で苦しんでる方に「個性ですね」なんて絶対言えない。
個性という言葉で片付けてる、端に寄せてる感がある。
私は1型糖尿病で障害者の括りには入っていないけれど、日々の苦労を個性と「片付け」られたら不信に思う。
感想 お話興味深く聞かせて頂きました。
実際に
障害を持つ濱祐さんの感じていることを
知れて嬉しかったです。
濱祐さんの言うように、不治の病の人に
個性とは、絶対言えないです。
個性と捉えて気持ちが楽になってる方の
話も聞いてみたくなりました。
個性と捉える人って大体が健常者。
障害がある子を持つ親が言ったりしてるのを見る。
それって当事者を守ってるというより、親や関係者が自分自身の心を守ってるように見えてしまう。
それで守れるなら構わないけどね。
自分も当事者ですがほぼ同意。しかし受け取り手の環境や受け取り方次第では悪意にも善意にもなる言葉ですね。オブラート系の言葉。言葉なんて全てそうなんでしょうが。でも、全国的に障害は個性なんてお茶の間で広めちゃったのが良くなかったと思ってます。おっしゃる通り注目される話題の餌にするには絶好のフレーズだったから使われただけ。変に広まって障害は個性だから前向こうとか言われても…じゃああなたも個性作りましょ?そんで一緒に前向こう?って捻くれますよ自分なら。
障害のがいの字も自分は何か嫌で。害が嫌な人も居るんだろうけど、害があるから上手く生活出来ないところもあるし、これもオブラートにつつんどこみたいな違和感があって気持ち悪くなるんですよね。
人間って難しいです。
私も出産時にSLEとゆう難病である事が判明しそれから薬の服用を開始しました。その後、その病気自体は安定してるのですが、薬の副作用で骨壊死になり、両肩、膝、股関節が全てイカれて今は身体障害者です。他にも肺高血圧症も発症して、手術が受けれない体です。今回、動画を見させてもらって共感しました。私の病気も障害も私の人生の途中からついてきたもので、20歳を過ぎるまでは無かった物です。だから学生時代の私や結婚前の私を知ってる人は、今30代で杖をついて歩いてる私を見て驚きます。走るのが得意で常に走り回ってるようなおてんば娘だったので車椅子に乗ってる時に会った友達は言葉を失ってました。今の杖をついてる私しか知らない人も病気と共に年をとるに連れて増えてきましたけど、やっぱり過去の私は今と違うし、走り回りたいのにできないもどかしさがある中で、いまの自分の障害を個性と言われるのは違和感があります。社会が障害者をもっと理解しようと努力して、差別化を無くすために、オブラートに包んで表現してるのだろうなとは思うのですが、なんか腑に落ちないですよね、、、
高校の時に片目の視力を失い、もう片方も通院手術。障害者ではないし、健常者でもない存在で、居場所がない人生。
進学校のペースについていけず、心労が重なり退学。その後も手術し、運転免許を持っていないことでも詮索され、面接では退学の経歴の説明で目の事を話すと視力を言わされたり、現在の通院の有無を探られたり。雇い主が何にも傷がない人材を探しているのは良く分かるから仕方ないと思ってるけど、個性なんていう言葉で済まされるものじゃない。どんなに頑張っても、ふだん気にしてないように過ごしていても、ずっと足枷です。
はまゆうさんの話し方や声が大好きです。個性、と言い出した人はおそらく当事者ではないと思います。息子が発達障害があります。私が初めてこの言葉を聞いたのは、ある占い師の人(対面で占ってもらった時)からだったのですが、聞いた瞬間から違和感を感じ、「この人は何を言ってるんだろう?」と思いました。色んな場面でその言葉を見聞きする度に違和感を感じていたのですが、ある知り合いの方が「障害は個性じゃない、その人の事情だ」と言っていて、めっちゃ納得しました。
何でもかんでもポジティブに「障害って個性ですよね」て言う人、実は何も考えてないんだろうなって思っちゃう
私も冷たい言葉だと思います。理解もせずに簡単に決めつけないでって思います。発信ありがとうございます。
さすがに喋りが上手い。内容も納得できるし
障害だろうがなんだろうがニュートラルに個人の特徴=個性と呼ぶだけなら別に違和感ない気がします。
ただ、障害のことを本当にニュートラルに捉えていたら、わざわざ個性だとは言わないと思うんですよね。。
あえて個性と呼ぶことにはきっと意図があるだろうし、無理やりプラスに?表現しようとか、なにか現実から目を背けようとしているならちょっと違うのかなと思います。
やっと公にこう話してくれる方が出てきてくれて嬉しいです。
「障害は個性」って、ほんとに嫌というか、ずっと納得できなくて。
個性って、障害みたいなそんなものではなくて、その人自身の内面から出るその人らしさを言うものだって言う思いがあるので、それは違う!ってずっと思っていました。
それに、私には知的障害と自閉症の兄がいて、どうやってもこれを個性だなんて、そんなお花畑みたいな言葉で収めてほしくなかったです。
障害は障害であって、家族も大変だし、本人だって苦しそうで、これを個性って、、、24時間テレビの世界を障害者のすべてと思ってないとそんな言葉出てこんわって。
それとともに、兄の個性はそこじゃない!明るくて人が大好きで歌が大好きで人懐こい、障害が重くて周りに迷惑かけても周りに愛してもらっていた、それが兄の個性なんですけど??って。
長年のつっかえが取れたくらい、大きく頷きながらお話聞かせていただきました。
ありがとうございます❣
【感想】ジェニファー
何度も何度も繰り返し聞きました。
わたしは、自分が個性と言うワードを使う場面について考えました。
まず他人に直接言うことは、ないなって思いました。自分自身についても使わないって思いました。個性ってどうすることもできない揺るがないものについて、使う言葉のように感じます。
あえて使うなら、個性的って言葉。個性的な髪型、個性的な絵、個性的な人、個性的な味。褒めるところがない時に逃げる時に 使う言葉。それでも、わざわざ他人には、いわないな。
とてもわかりやすいお話。ありがとうございます。「個性」が言われていた時期、何で違和感があったのが頷けました。
“障害は個性”という表現は、主に発達障害者に対して使われる気がします。
障がい者と言っても、症状や重度、先天性・後天性など、人それぞれです。
それを考慮していないことで、今回のような違和感につながったと私は感じました。
また、おっしゃるように、テレビは注目度を重視して発信していると思います。
資本主義なのでメディアに限らず、個人もバズりを目指して発信しているように思います。
そういう発信の内容は、本当に大事なものが抜け落ちていると私は思っています。
なので、そういうものに振り回されず、今回の濱田さんのように、多くの人が自分なりの意見を持てるようになって欲しいと思いました。
【感想】ハム
障害を個性ということは、違和感があると思います。私にも知的障害の妹がいますが、障害のある中に、本が好きとか、おしゃれが好きとか、その人の持った特長が浮き出ると個性かなと思います。
障害=個性は少し無理があるので、根付かなかったのではないかなと思います。
肉体的な側面で言うならば、身体的な障害を個性だと言うのは合っていないように思う。
しかし、障害があるからできる考え方、例えば目が見えない事をフリに笑いを取るのは、目が見えない方にしか出来ない個性と言って差し支えないとも思う。(それは例えば音痴な人がマンキンで歌って笑いを取るのと同じでは)
確かに無理矢理ポジティブなイメージで押し切ろうとしている人が「障害は個性」と言っている感も否めないが、自分は障害から生まれる人間の精神的な個性は有ると思う。
障害は個性では無い!賛成です
あくまで何かの障害になっている疾患、失陥、不備…であって…オブラートに包んで言う必要は全く無い
優しさでもなんでもない
言ったからって差別にもならない
ツイッターから来て、初めて動画を拝見し、じっくりお話を聞きました。話し方がすごくわかりやすくて、伊集院光さんみたいだなって思いました。落語とかやられたらぴったりな感じがしました。話がトピックからずれてしまってすみません😅これからも、応援します。
おそらくですが昔は社会的に障害者のかたに対する理解が足りてなかったり、特別視する機会が多かったから濱田さんが仰ったようにマイナスイメージを払拭しようと言葉だけが独り歩きしたんだと私も思いました。今は完全だとはいいませんが20年、30年前よりは
障害者のかたに対する社会的配慮も充実はしてきていると思うので
「過渡期」にあたるときに、障害は個性と言う言葉は障害をもったかたのことを理解することにおいてのきっかけの一つにはなったように思います。
私もこの言葉には、モヤモヤした気持ちがありました…
RN:偏頭痛ガイコツ
【感想】
私は「障害は個性」というフレーズは、知的ハンディや発達ハンディに対して、揶揄された側がカウンターとして遣う言葉だとぼんやり思っていました(思い込み怖い!)
ですが実際、はまゆうさんの言うように、テレビで言っている場合が多いですね。外野が言うと全然ニュアンス変わって来ますね。
確かにかつてはプラスのイメージを付与する為に遣い出したのかも…
命に関わる症状を“個性”で片付けるのは冷たいし、相手の事全然見ていないなぁ、と思いました。
個性ってオリジナリティな事に使われるものだと思ってます。
障害は障害
症状は症状
個性は個性
まとめて個性と言われると、問題解決しにくくなったりするから、まとめられるのは困ります。
すごく共感しました。
私は障害を個性と言われると、より周りに「他人事」と投げられたような感覚を受けてました。「良い風に言っといてあげたよ」的な。
濱田さんの喋り方がとてもわかりやすくて、合間にフォローや補足を入れるタイミングも絶妙で、
常に聞き手の気持ちを考えながら皆んなで一緒に話してる様に感じました。
優しい気持ちになりました😊
「障害も個性」は障害者と共に歩む優しい社会作りのお題目に合致したんだと思います。障害者というのは兎角差別の対象になりがちです。胎児の段階で障害が発見されれば堕胎することも考えられ、大人になり結婚しようとすれば相手の両親に反対される…。そういう差別意識を「個性」という都合のいい言葉でまずはふんわりと人々の意識から変えていこうとしてるのだと思う。
障害が障害として認められてるのは特に重い症状があるからなのに、個性って言うのはすごく違和感がある
相対的平等と絶対的平等を混同してる感じ
人の邪念に敏感な人だな、ドキッとした
障害に対する差別や忌避感をなくそうとするあまり、個性という言葉で当事者が抱える問題を矮小化してしまっていたんだよね
「太っているのも個性」から「自分の体型が嫌でも、そのありのままの気持ちを受け入れよう」に変わってきてるみたいに、濱田さんみたいな考え方も増えてきてるとは思う
濱田さんの話の組み立てとプレゼン能力が圧巻過ぎます😊関東の寄席で濱田さんの漫談聞きたいな
もう何十年も前に、自分の子を障害者と認めたくない親が、健常者学級に入れようとしたり、個性と呼んだりしていたのをみたのが最初でした。
認めたくないって時点でものすごく障害者差別してるなっと思った記憶があります。
顔面マヒの知人がいますが障害者手帳はありません。対象ですらありません。彼女の顔に対して個性などと思ったこともないし、彼女だってそう思っていません。
個性ってややネガティブが入った言い回しのときに使うんです。
障害は個性というのは嫌いです。
特徴だと思います。
例えば警察に目撃証言をする際に話す内容、それが特徴です。個性とは言いません。
当事者が個性と発信していたり、障害を持った我が子に対し個性として受け入れてるご家族などを見るので、悪い表現じゃないと思ってました。
思ったのは「個性」という言葉の捉え方の違いなのかなあと。
障害を持っていることで「普通じゃない」という扱いはよくない、そもそも普通とはなんだ?となったときに、人それぞれ見た目や性格など同じ人はいなくて、「みんな違う」という表現で個性と言っているのかなと。
言い換えるならステータスとかでしょうか、肌の色、目の大きさ、鼻の形、髪型、服装、好きな食べ物、嫌いな色…こういったそれぞれが持つ自分のプロフィール的なものを個性と表した結果なのかなと。
それは個性ではなく、趣味だったり趣向だったり、病名だったりなのでは?っていうところはありますが、「本人にとって嬉しいこと嬉しくないこと良いこと悪いこと好きなこと嫌いなこと全て含めてこれが今のあなたなんだね、大多数のものが普通でそうじゃない人は普通じゃないとかそんなのは無くて、みんなそれぞれ生い立ちも性格も趣味趣向も何もかも違う特徴を持ってるよね」=個性だね、と表してる感じかなあと思いました。
分かりやすい話でした。さすが話しのプロです。
そして「当事者」なのでその言葉に説得力があります。
障がい者でも健常者でも、苦手なことやできないことを個性と言わなくて良いと思います。例えば病気や事故で片腕がない人の「片腕がない」ことを個性と言うんじゃなくて、「ある片腕でいろんなことができる」とか「腕とは全く関係ない素晴らしい面を見つける」ことなどに目を向けるというか。医療従事者ですが、障がいのある当事者が自分から障がいを個性と言っているのを聞いたことがないです。言っているのはたいてい親や周りの人達、メディア…もちろんポジティブに捉えたいという気持ちは十分理解できますが、個人的にはそう思います。
私も大学で、当事者でも無い 特別講師?が「障害は個性」と言っていて、その反論を感想レポートにしたことあります😂
妹は障害があります。それを個性って…言葉が話せないことが?重度の知的障害を持って生まれたことが?心臓の手術を何回もしたことが?
妹はそんな個性が欲しくて生まれたわけじゃない。健康な身体が得られるなら、それが良かったに決まってる…「個性」といえるのは、個性と決めていいのは、本人だけだろと思います。何を個性としたいかは、障害者も健常者も、だれでも、選べるはずだと私は思います。
はまださんの言うように、障害を個性としてしまうと、「明るい」とか「面白い」とか「本が好き」とかの「その人らしさ」を全部無視している気がします……はまださんのように上手に言語化できなかったので、首もげるくらいうなずきながら見ました。
私も障害は個性とは違うって考えです。
よしもとの舞台で初めてはまゆうさん見て、出演者の中で一番おもしろかったです!これからも応援してます。こういうコメントって本人に届くのかな?
48歳、双極性障害(躁鬱病)、聴覚情報処理障害、パンセクシャル。
私の場合、精神疾患については脳機能障害だから「病気」という認識です。主治医、看護師などの医療従事者は「個性」とは言わないですね。
精神病棟に行った際も医療従事者の方々は「個性」とは言わなかったな。
聴覚処理障害については治療がなく難聴のままですが何とかなってます。それも私の「特徴」。
「LGBT+」の性同一性障害に関しては捉え方が様々ですが「個性」を主張する方が多いと思います。昨今のLGBT+は「個性、個性」の時代です。
私は病気も障害も「特徴」だと思ってます。
上手く説明ができないのだけど、辛さを隠したり逃げたりするために「個性」という言葉を使う方も居るのかなって。
濱田さんの動画、たまたま出てきたので、動画タイトルの話も聞いてみたいと思って見ました。
おっしゃられている内容にすごく共感しました。個性という言葉に置き換えることをもしその発言者の優しさであるならば、それは違うかもしれないですね。
大学で障害児教育専攻してて、とある教科の先生が「障害は個性」論者だったんだけど、私は違和感を感じてて試験で個性というのは違うんじゃない的な事を書いたら点数もらえなかったなぁってことを思い出しました。いろんな考えがあっていいと思うんですけどね。
なぜ違うのか論理的な説明がなければ、その意見は単なる感想でしかないのでは。
障害=個性て言われるのほんとに嫌いだから、こういう発信してくれて嬉しいです。
障害を個性って言われてしまうと、あくまで個性なんだから健常者と同じレベルで仕事、生活しなさいって事になる。
個性って言われて嬉しい人は特に困難を感じてない自称ADHDの人だけだと思います。
私は精神障害を抱えているのですが、それを「異常」だと言われたことがあります。
あの時はものすごい怒りに包まれましたが、その言葉を発した男は貶すことを喜んでるようで満面の笑顔で言ってきたので、反論する気すら起きませんでした。
もう何年も前のことですが、未だにイラッとします。
私も障害者です。「障害者」を「個性」と呼ぶことについて何も考えたことがなかったので、そういう意見・背景があったんだと参考になりました。
個人的な意見ですが、呼び方を変えたところで本質は変わらないと考えていたので「どうでもええわ」と思っていました。どんな言い方をしようと自身の障害や周りの方の目も対応もあまり変わらないので。
「障害」を「個性」って言い換えるのは「デブ」を「ぽっちゃり」に言い換えるのと同じぐらいの認識でした。
実際その通りだと思うわ。
障害者と仰ってらしたので聞きたいんですけど(議論とか批判をしたいわけではないです)、あなたが認識していたことで障害を個性と言い換えることはデブをぽっちゃりと言い換えるのと同じぐらいだと書いてたのを見たのですが、デブって悪口感があってそれをマイルドにしようとしてぽっちゃりって言うのかなと私は考えてたので、どうですか、障害をお持ちだと障害者と言われることに何か思うことあります?悪口に聞こえるとか, 例えばバカにされてる、自分より上だと思ってるなど。別になくてもあっても良いのですが、当事者の方にどういう認識なのかなと思ってるか聞きたいなと思って。歴史はしりませんが健常者が障害者と言う言葉を作ったのだと思いますし。長々とすみません。私もあなたのように障害、個性について何も考えたことなく呼び方が変わるとなにか大きく変わるかは私も疑問なので。
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あくまで自分のことなのですが、「障害者であること」、言葉を選ばずに言うと「正常ではない体」なのはその通りで事実なので、そう呼ばれることについてはなんとも思っていませんし、なんなら「そうなんだよねー、ははは」ぐらいの気持ちです。
表現方法よりも、必要な配慮や手助けができる環境が重要だと思ってます。障害と言っても多岐にわたるので、一人一人必要な配慮は違いますが・・・。
障害由来でバカにされた心当たりや経験が無いのでなんとも・・・
そうなると私の「デブ」ってのは良くありませんね。「太っている」を「ぽっちゃり」ってポジティブ感出してるのが好きじゃないんです。開き直ってないか?痩せれないのを誤魔化してないか?って思っちゃって。
ここのコメントで多くの皆さんが言われているように、言葉の言い回し云々でなく、障害のある方もない方もより良く暮らしていける社会作りを具体的に描いて進めていく事が大切であると感じました。皆で自分たちの今の社会のあり方に疑問を持って身近な所からより良く変えていくにはどんな事ができるか考えるのは素晴らしい事だと思います。
松田聖子さん主演のダウン症の子供を授かるドラマの中で「この子の個性だから産みます」みたいな台詞があったのを強く覚えています。
ドラマは素敵だったのですが、強く覚えてた理由がちょっとのどに突っかかってたからかもしれないです。
病気や障害を個性というのは、冷たいようだけど、その人を一人の個人として尊重しようとしてるんだと思いますよ、ただ履き違える人もいますよね
分かります!!私の子供には発達障害があって学校の先生からは個性と言われます。私的には「障害と名前がついてるなら病気だよ。治らない病気ならそれを踏まえて誰かに助けてを言えるように、出来ないなら出来ないなりの精一杯の努力をしなさい。ありがとう、ごめんなさいは絶対に言えるようにしなさい。発達障害は何も悪くない!!と子供に言っています!この言葉が正解か不正解かは分かりませんが…
【感想】船大工
濱田さん、今回のテーマはとても心にくるものかありました。自分はこのことについてどう考えていただろう…と。
障害を個性と言い切ることには違和感はありつつも、テレビで障害は個性だと言われている印象は私も強くありますし、その二つをどう捉えるべきか、障害を持った方自身が言う場合と、障害を持った方に向かって言う場合と、立場によってその言葉の意味も変わってくるんじゃないかとも思いました。
学生時代に障害を持った友達がいましたが、付き合いが長くなればなるほど障害のことがその子の一部として溶け込んでいきますが、ではそれが個性かと言われるとそれはやはり違いますよね。でもその子と接する上では個性のひとつとして捉えているような自分もいて、ずっともやもやしていました。
濱田さんのお話を聞いて障害は障害、個性は個性で敢えて交ぜて考える必要はないんだと気づきました。なぜ理由もわからずにそれをやろうとしていたか?というのか3つ目のお話だと思いますが、本当にそうですね。なぜわざわざ障害とは個性なのか?を自分の中で問い続けていたのかがわかって、なんだか目から鱗という感じでした。
今回きついと感じる人が多いと思いながらも発信してくれて考えるきっかけになりましたし、やっぱり濱田さんの話し方にはすごく惹きつけられるものがあるなぁとも感じました!こういう話を聞いて、ドキッとしてしまう自分が私はなんとなく嫌です。私はなにかを期待していたんだろうか、とか、思い込んでいた自分に気がついたような感じがしたんですね。うまく言えませんが、もっとこういう話を自然に聞いたり話せる自分や世の中になったら生きやすいだろうなぁなどと思いました。
29年間グレーとして生きざる得なかったものです
思いっきりADHDです
結局個性として取られて流行りのADHDねの感覚で終わらせて本当の困り感の理解をしようとしない人を見るもの
障害としてヤバいやつと迫害されたり、それは甘えであると批判されたりしたりするのも
どっちにしても苦痛なだけなのですよね
まぁ自分が格別分かりにくい特性の持ち主だからかもしれませんが
人並みの幸せが欲しいなと思いますよ
やっぱり努力と工夫を自分だけ駆使しても周りの理解がなければ社会不適合者として会社を辞めざる得ないので
社会の立ち位置としてはニートですね
業務自体はできるのにただ人と工夫と努力をしても上手くいかなくてニートせざる得ないのはなんだか複雑な気持ちになりますよ
正直言って障害か個性とか呼び方はどっちでもいいと思ってます。
そんなことより同じ人として尊厳持って接して欲しい…ただそれだけです。
奥深い話だなと思いました。
正直「個性」という1つの言葉に対し、人によって微妙に捉え方や使い方がが違うのでは?と思いました。
だからこそ、言葉の独り歩きが起こっているのかもと。
私は「障害は個性」と初めて聞いた時、納得する部分が正直ありました。
腫れ物扱いをする訳でもなく、可哀想な人でもなく、1人の人間として向き合えばいいんだと気づくきっかけになったから。それまでは、助けてあげなきゃいけない存在という思いが強かったから。
でも、症状や命の危険があることまで個性で片付けられているという濱佑さんの指摘にはハッとしました。
自分の中では、そういう場合は個性でないと言い切るけど、社会全体で「障害は個性」という概念が広まった結果、色んな解釈や都合のいい使われ方になってきてしまったんだなと思いした。
表現って難しいですね。
わたしも同じ感想をもちました。個性って単語に込められてるニュアンスが人によってちがってるな、と。
私も障害は個性だと聞いて、「障害はその人の日常であり、当たり前のことで、可哀想なことじゃない、かわいそうって勝手に決めて同情するのは失礼かも、普通にしよう」ってかなり反省しました。
「障害者」という線引は差別という人も、「個性」という言葉で片付けてられたくない、という人も、言いたいことって、根っこは同じようなことなのではないかという気がします。
どんどん発信してほしいですね!!
やはり、当事者の気持ちや意見が大事だと思いますし、それを想像で理解するよりかは本当の声のほうがいいですし。
障害が個性と言う発想は主に知的障害の理解の中で生まれてきたのかなと思います。
苦手なことが多いのですが、逆に自分にはないものを感じ、そこに凄さを感じることもあるので、肯定的に理解する中で生まれたのかなと。
特にその子供を持つ親が命の尊さを感じる中でその言葉は強くなっていったのかなと。
もちろん、身体障害やいろんな障害を持つ方にも、だからこそ感じる凄さを感じることもあります。
そういう中で生まれてきたのかなと思いますが、そもそも障害とは何を指すのかという理解が進む中で個性という発想は少なくなったのかなと思います。
最近は障害というのは、その方を指すのではなく、社会との障壁のことを障害という考え方になってるのかなと思いますし、その方が全部の障害に対しての理解や辻褄があうと感じています。
社会にメガネというものがなければメガネをかけてる人はみんな視覚障害になる中、いろんな症状があっても社会が対応できれば障害ではなくなるという発想になります。
社会の対応というのは、医療や文明や環境やインフラなどになるのかなと。
とにかく、いろんな理解が進む中で、世間の理解とはずれがありますし、障害といってもたくさんの状況や状態があり、それについてどういう気持ちや考え方があるかもそれぞれなので、ひとくくりで考えるのが難しいけど、理解する側はそこまで細かく見れないことも難しさのような気がしてしまいますね。
「個性」という言葉で片付けることに、障がいを理解しようとする姿勢の無さが感じ取れる。つまり、そこに"冷たさ"を感じるということですかね?実際に障がいを持つ濱田さんだからこそ分かる感覚で、障がいに対する理解が深まったように思います。
こんにちは、金子一広です。
視覚障害者(弱視)です。障害を個性として捉えるようになったのは医療、福祉の関係者だと思います。先天性と後天性も含めて障害を受容していく過程の段階のうち、個人が最初に受容するイメージを個性としているのではないかと思います。そして、障害者個人が成長していく過程で人として社会に認められる存在となって自立していきます。能力の差があり成長が止まる人や緩やかに成長する人、社会に溶け込める形など多様性があるの思います。障害者個人にとっては厄介なものでしかないですね。できればそんな個性はいらないね。受け止め方は社会の環境や時代によって変化していると思います。頑張りましょう。🙏💕応援してます。
たぶん、濵田さんの言うとおり、よくメディアで障害を持った小さい子供が取り上げられた時に「障害」と呼ぶとクレームがとんでもなく来るから、手っ取り早く「個性」に置き換えたんでしょうね。 誰もが深く考えてメディアを見ないからね。 考えずに、棘もなく受け取られやすい。 濵田さんのように深掘りできる人はめちゃくちゃ少ないよね。 特に50歳代以上のテレビをたくさん見る人。
私は当事者ではありませんが、ずっとテレビで発信される個性という考えに違和感を持っていました。
こうやって自分の違和感がしっかり動画にされていて腑に落ちました。
こういった当事者の方が発信する動画は大切ですね。
結局症状によって個性として扱われたいか病気として扱われたいか当人がどう思うか次第だと思う。
そいつらに一々合わせてられんのよな、仲良くなった奴がいればそいつには合わせてやりたいと思うけど。
ほんまやね。会社にASDの人いるけど個性だからASDの人がいてもうまくやれっていうのは本当に負担。毎日イライラする。
病気っていってくれたら優しくできるわ。
人生の中でながらく疑問・不満に思っていた事を、見事に説明していただきありがとうございます。
私は子供のころの交通事故で障害者になりました。
例えば体育の時間で、鉄棒が下手だという個性と、鉄棒が身体的に不可能だという事はまったく違います。
やはり障害を個性と解釈するのは、無理がありますよね。