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西廻り航路と北前船のおかげで昆布だしをペーストした関西の食文化が花開いたと思うので、河村瑞軒には感謝しかない。
鉄道ができるまで数百年間も物流の中心にいた海運すごいからな
相も変わらずなんと素晴らしい内容なんでしょう!最高です
もう江戸時代には、船舶を利用した全国ネットの物流網が発達していたのはスゴイですね🐈確かにあの当時何トンも一度に輸送出来るのは船舶🚢北前船始め、航路を切り開いて行った先人達の航海技術も素晴らしいですね🦔今や遥か遠い世界中から日本に物資が運ばれ、また世界中に日本の産物が運ばれる🌐日本、そして世界中と繋がっていると思うとロマンが有りますね🕊️
着眼点がいつも面白くて楽しんでます!
高校の日本史でどうしてもイメージできなかった東廻り航路・西廻り航路・樽廻船などがやっと理解できました。何十年間の盲が開かれた思いです。
長期休館していた函館の高田屋嘉兵衛資料館が再開したのでぜひ行きたいと思ってます。
日本橋の下を商船が行き交う光景は素晴らしいものだったでしょうね。新潟から下関を回って大阪までいくルートを開発するという着眼点はすごいですね。地図だけで見たら、陸路使った方が俄然早そうですが、積荷の載せ替え、陸路での移動の負担がかなり大きいものだったんですね。各地を回って商売をしながら移動していく形に変化していくことで、さらに意義あるルートに変わっていったなど。変化していく様が非常に興味深く面白かったです。
現代はトラックや列車など陸路での国内輸送がメインですが、江戸時代の船を使った水上交通網の発達には驚かされました。米や酒、木綿など各地の特産品を消費地に送るまで、航路開拓や廻船の様子が伝わってきて面白かったです。
琵琶湖運河を作りたくなる気持ちがわかる・・・
物凄くわかりやすかったです!コンパクトにまとめられてるしテキストとしても最高でした!ありがとうございます。
とても分かりやすかったです!おもしろい!
大阪が天下の台所として栄えたのも江戸の需要を支えるためだったのか
配信感謝申し上げます。勉強させて、頂きました。素晴らしい。
河村 瑞賢ってものすごく偉大な人だったんですね。日本の物流の礎を築いた人といっても過言ではないでしょう。
7:59 昔開港した中に何故辺鄙な場所の下田?と調べましたが、江戸〜大阪の航路に加え東北方面からの折り返し地点で重要な場所だということを知りました
帆一枚で、船を操っていたのですね。外洋に出れないよう、補助の帆をつけれなかったのですね。
オイラのご先祖は京都の高瀬川の船の渡しをやってたんですが、多分???元は福井の北前船が冬の間に出航出来ないので大阪付近で碇を下ろして船を休めていたのを内陸の河川の運送に進出した方々って思ってます。福井の嶺北に同じ姓名の人が多いんで?そんな仮説を思ってたら、江戸時代の詳しい情報投稿なので、ある程度は間違ってなかったて思います。明治維新以降に内陸交通の発展で海上輸送は減って行きますが、大正の初め頃までは海上輸送は行われていた様ですね。
廻船の速度どのくらいかぐぐったら平均6.5ノット(時速12km/h)ぐらいだそうです
この時代の日本の海運は、 上方の酒を1秒でも早く江戸に運ぶって目的でボートレースみたいね事をやってたから凄く高性能化したのよね。酒はみんな好きだし、お金にもなる、でも樽に入れて運ぶもんだから最大戦速で運ばないとアルコールが抜けちゃうからね。陸は飛脚組合の妨害でほとんど進歩しなかった。
今も海運が栄えていたら、なーと思いを馳せます。
4:07 18:33なるべく多くの荷を積むため甲板は無かった。この結果として弁才船が難破し易くなったのではないですか。
食品の流通に伴い食文化も流通していたのでしょうね
海運がこれだけ発達してたのにTVの時代劇で海運モノを見たことがないのはやっぱり製作費の問題なんだろうか
昔、竹中直人さん主演で「菜の花の沖」をやった事がありますね。特に民放でやらないのは、制作費が大変だからかもしれません
松本幸四郎主演の時代劇、舟が出てくるシーンがあったがあからさまにスタジオ撮影と分かる出来でした
子供の頃、廻船問屋の事を海鮮問屋と思ってて、お魚を扱ってる問屋は代官と悪い事してたのか…って思ってた!
干鰯や昆布なんかも商品として扱ってたから当たらずとも遠からず?
高価な輸出用の俵物を扱っていた海鮮問屋なら悪どいことをやっていたかも
江戸に人口が集中したから街道(道路)が整備されてないから大量に速く物資が運べる海運業が流行った
なのでペリー来航時に品川沖に黒船が居座わられると物流が止まるという軍艦の隣をすり抜けトライするのは無謀(敵対行為と解釈される恐れあり)
浮力って凄いなぁ。
徳川の世に入って反乱防止の目的で外洋に出てる複数の帆がある大型船を作るのが禁止され小型化し帆が一本だけになり嵐でそれが折れて難破や遭難が多発したとあるんで儲けが多いも同時にリスクがある印象です。
こんだけ海運が確立した状態でのペリー来航の衝撃はものすごかったろうに数隻の軍艦で国家存亡を脅かせるんだからそりゃお台場作るのも分かる
日本を縦断する中央運河を作ればよかったのでは
琵琶湖を中継して、日本海岸そして、伊勢湾を運河でつながれば、…❤
@@公一-k7s 母なる運河
これだけ海運が発達していたのに、旅客船はなかったんですかね?江戸から大坂まで徒歩で約15日、船ならもっと早いだろうけど。やっぱり、安全性とか関所を通らないとダメとかだったんですかね。出女に入り鉄砲とか、、、
幕府が江戸湾に直接戦力を送り込まれるのを恐れて海運や船の構造に色々制限を付けていたそうです。
旅客船は瀬戸内海を通るものならありましたよ。東海道の宿場の経営を守るために太平洋を渡る旅客船は禁止されていましたが。
西日本の大名参勤交代は播磨の室津まで海路、そこから陸路ということが多かったみたいです
結局は江戸時代の庶民は貧乏。だから、陸路やろ。新選組オタクなんで時代劇見てたら土方歳三が『コレから伏見まで行く、馬を借りてくる』なんてセリフがあったけど、昔はリース料金も高かったと私は想像してますけどね。
陽だまりの樹で東京大阪間を船で移動するシーンがあるんですけど、あれは手塚治虫の創作だったんですかね?
江戸時代の海運業と云うか船なんか大したことないだろ。残念だがこの時代は欧米の船の方が遥かに進んでいる。北前船なんか大したことないと思うが。
何に悔しがってるのか知らないが、この動画の中で外洋船の話なんか一度も出てきて無いよ…
声がきつい。もう少しソフトにしてほしいなあ
西廻り航路と北前船のおかげで昆布だしをペーストした関西の食文化が花開いたと思うので、河村瑞軒には感謝しかない。
鉄道ができるまで数百年間も物流の中心にいた海運すごいからな
相も変わらずなんと素晴らしい内容なんでしょう!最高です
もう江戸時代には、船舶を利用した全国ネットの物流網が発達していたのはスゴイですね🐈
確かにあの当時何トンも一度に輸送出来るのは船舶🚢
北前船始め、航路を切り開いて行った先人達の航海技術も素晴らしいですね🦔
今や遥か遠い世界中から日本に物資が運ばれ、また世界中に日本の産物が運ばれる🌐
日本、そして世界中と繋がっていると思うとロマンが有りますね🕊️
着眼点がいつも面白くて楽しんでます!
高校の日本史でどうしてもイメージできなかった東廻り航路・西廻り航路・樽廻船などが
やっと理解できました。何十年間の盲が開かれた思いです。
長期休館していた函館の高田屋嘉兵衛資料館が再開したのでぜひ行きたいと思ってます。
日本橋の下を商船が行き交う光景は素晴らしいものだったでしょうね。
新潟から下関を回って大阪までいくルートを開発するという着眼点はすごいですね。地図だけで見たら、陸路使った方が俄然早そうですが、積荷の載せ替え、陸路での移動の負担がかなり大きいものだったんですね。
各地を回って商売をしながら移動していく形に変化していくことで、さらに意義あるルートに変わっていったなど。変化していく様が非常に興味深く面白かったです。
現代はトラックや列車など陸路での国内輸送がメインですが、江戸時代の船を使った水上交通網の発達には驚かされました。
米や酒、木綿など各地の特産品を消費地に送るまで、航路開拓や廻船の様子が伝わってきて面白かったです。
琵琶湖運河を作りたくなる気持ちがわかる・・・
物凄くわかりやすかったです!
コンパクトにまとめられてるしテキストとしても最高でした!
ありがとうございます。
とても分かりやすかったです!おもしろい!
大阪が天下の台所として栄えたのも江戸の需要を支えるためだったのか
配信感謝申し上げます。勉強させて、頂きました。素晴らしい。
河村 瑞賢ってものすごく偉大な人だったんですね。日本の物流の礎を築いた人といっても過言ではないでしょう。
7:59 昔開港した中に何故辺鄙な場所の下田?と調べましたが、江戸〜大阪の航路に加え東北方面からの折り返し地点で重要な場所だということを知りました
帆一枚で、船を操っていたのですね。外洋に出れないよう、補助の帆をつけれなかったのですね。
オイラのご先祖は京都の高瀬川の船の渡しをやってたんですが、多分???元は福井の北前船が冬の間に出航出来ないので大阪付近で碇を下ろして船を休めていたのを内陸の河川の運送に進出した方々って思ってます。
福井の嶺北に同じ姓名の人が多いんで?
そんな仮説を思ってたら、江戸時代の詳しい情報投稿なので、ある程度は間違ってなかったて思います。
明治維新以降に内陸交通の発展で海上輸送は減って行きますが、大正の初め頃までは海上輸送は行われていた様ですね。
廻船の速度どのくらいかぐぐったら平均6.5ノット(時速12km/h)ぐらいだそうです
この時代の日本の海運は、 上方の酒を1秒でも早く江戸に運ぶって目的でボートレースみたいね事をやってたから凄く高性能化したのよね。
酒はみんな好きだし、お金にもなる、でも樽に入れて運ぶもんだから最大戦速で運ばないとアルコールが抜けちゃうからね。
陸は飛脚組合の妨害でほとんど進歩しなかった。
今も海運が栄えていたら、なーと思いを馳せます。
4:07 18:33なるべく多くの荷を積むため甲板は無かった。
この結果として弁才船が難破し易くなったのではないですか。
食品の流通に伴い食文化も流通していたのでしょうね
海運がこれだけ発達してたのにTVの時代劇で海運モノを見たことがないのはやっぱり製作費の問題なんだろうか
昔、竹中直人さん主演で「菜の花の沖」をやった事がありますね。
特に民放でやらないのは、制作費が大変だからかもしれません
松本幸四郎主演の時代劇、舟が出てくるシーンがあったがあからさまにスタジオ撮影と分かる出来でした
子供の頃、廻船問屋の事を海鮮問屋と思ってて、お魚を扱ってる問屋は代官と悪い事してたのか…って思ってた!
干鰯や昆布なんかも商品として扱ってたから当たらずとも遠からず?
高価な輸出用の俵物を扱っていた海鮮問屋なら悪どいことをやっていたかも
江戸に人口が集中したから街道(道路)が整備されてないから大量に速く物資が運べる海運業が流行った
なのでペリー来航時に品川沖に黒船が居座わられると物流が止まるという
軍艦の隣をすり抜けトライするのは無謀(敵対行為と解釈される恐れあり)
浮力って凄いなぁ。
徳川の世に入って反乱防止の目的で外洋に出てる複数の帆がある大型船を作るのが禁止され
小型化し帆が一本だけになり嵐でそれが折れて難破や遭難が多発したとあるんで
儲けが多いも同時にリスクがある印象です。
こんだけ海運が確立した状態でのペリー来航の衝撃はものすごかったろうに
数隻の軍艦で国家存亡を脅かせるんだからそりゃお台場作るのも分かる
日本を縦断する中央運河を作ればよかったのでは
琵琶湖を中継して、日本海岸そして、伊勢湾を運河でつながれば、…❤
@@公一-k7s 母なる運河
これだけ海運が発達していたのに、旅客船はなかったんですかね?
江戸から大坂まで徒歩で約15日、船ならもっと早いだろうけど。
やっぱり、安全性とか関所を通らないとダメとかだったんですかね。
出女に入り鉄砲とか、、、
幕府が江戸湾に直接戦力を送り込まれるのを恐れて海運や船の構造に色々制限を付けていたそうです。
旅客船は瀬戸内海を通るものならありましたよ。
東海道の宿場の経営を守るために太平洋を渡る旅客船は禁止されていましたが。
西日本の大名参勤交代は播磨の室津まで海路、そこから陸路ということが多かったみたいです
結局は江戸時代の庶民は貧乏。
だから、陸路やろ。
新選組オタクなんで時代劇見てたら土方歳三が『コレから伏見まで行く、馬を借りてくる』なんてセリフがあったけど、昔はリース料金も高かったと私は想像してますけどね。
陽だまりの樹で東京大阪間を船で移動するシーンがあるんですけど、あれは手塚治虫の創作だったんですかね?
江戸時代の海運業と云うか船なんか大したことないだろ。残念だがこの時代は欧米の船の方が遥かに進んでいる。北前船なんか大したことないと思うが。
何に悔しがってるのか知らないが、この動画の中で外洋船の話なんか一度も出てきて無いよ…
声がきつい。もう少しソフトにしてほしいなあ