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ありがとうございます!
Super Thanks ありがとうございます お江戸いいねスタッフ一同
彦根の近江牛の味噌漬の件には続きがあるんですよね。井伊直弼から近江牛の贈呈を断ち切られた水戸斉昭が肉に飢えていたところに島津斉彬が自国薩摩の黒豚の味噌漬けを紹介し、食した斉昭は大変満足して黒豚の味噌漬けを薩摩から贈呈されるようになり、ここで水戸と薩摩のパイプが出来ました。斉昭の七男慶喜が豚好きになったのも、その流れによる物だったんですよね…
はー、面白い。当時の袖の下は、時流を変える事もあったんですな。まー、誰だって美味いものには弱いだろうけど。
わかりやすい解説、ありがとうございます。水戸烈公の肉の恨み、恐ろしや〜。
いつも楽しく拝見させて頂いております。今回もとても勉強になりました。まわりの人に話したくなる内容が満載で、何度も見返しております。桜田門外ノ変、案外牛肉の恨みも一因かも知れませんね(笑)。いつも貴重な江戸情報をシェア頂き、ありがとうございます♪
興味深い江戸話、ありがとうございます☀️魅力的な声、聞き入ってしまいます。頑張って下さい!
但馬出身ですが祖父曰く子を産めなくなった経産牛を食べる文化があったので、恐らく昔から食べていただろうとのことです。経産牛は独特の香りがあり今の和牛のような柔らかさはないものの、それを超える旨さがあったそうです
面白い動画をありがとうございます。とても為になりました!
いつも勉強させて頂いております!
毎回、楽しんでます。
今回もすごく楽しかったです‼️幕末の主要人物は肉を食べていた。というのは、なるほどなぁと思いました😄 徳川斉昭と井伊直弼の逸話はすごく面白かったです❗️ ほーりーの「がぉぉー」可愛い過ぎます❤️夢に出てきそう😍(笑)
ほーりーのガオーが可愛すぎて明日も生きれます
江戸時代の食事凄く興味深いです。楽しく拝見させていただきました。我が街横須賀の黒船来航時の様子など動画にして貰えたら嬉しいです。
肉食の禁令が何度も出されていた、ということは、やはり食べていたということですね(笑い)母の実家では、ウサギ肉ともやしの鍋が大変重宝がられていました。
あの大石内蔵助も牛肉が好物だったらしいですからね。
こんにちは最近、ホーリーさんの動画にハマった者です毎日繰り返し見ても興味がつきませんところで、ホーリーさんが出している江戸はすごいをどうしても読んでみたいのですがどこの書店も品切れ😭再販の予定はないのでしょうか?
電子書籍は?
@@Νέμεσις-ψ8ο 古い人間とお思いでしょうが、紙好きの蔵書家です。
御意。m(_ _)m
肉食文化についていろいろ説明されていて勉強になりました。
初めてコメントします。父親が、牛、豚、鶏を飼っていましたので、牛乳、卵、鶏肉で育ちました。
ほーりーさんの、DJー日本史を楽しみに聞いています。大変勉強になります。
へ~って勉強になります。
ほーりーさんのお話し、楽しかったです😃
数本動画拝見しましたが いい声! 好みの声です ほーりーさんの声は心地いい
田畑を荒らす獣を(それでも、命への)感謝を込めていただくのはジビエの基本です。それと、そもそも鯨・海豚は食べられていたので肉食文化はしっかりありました。 別の意味で抵抗は有るかも知れませんが、江戸時代からの伝統的な鯨・海豚食文化も紹介していただければさらに嬉しいです。
そう考えると和牛の元祖は近江牛って事になるかもですね。関西は牛、関東は豚の食文化の流れの一端を担って居るのかもです。おとぎ話でも、たぬき汁を食べたって話が無かったですかね~。
ためになります👍
肉は体を作る栄養が一通り含まれてるから何かしら栄養が足りてなくて不調な時、とりあえず肉食っとけば不足分を補うことができたんだろうな
いつも昔を楽しく味わい深く伝えていただきありがとうございます。肉食の禁令をお上が立場上お達しし、庶民は概ね従いながら、「これは山のクジラでございます。」とか「これは薬なんで食べてもいいですよね?」みたいにユーモアやトンチでお伺いをたて、お上も「うん、まあ、それなら仕方無いな。」みたいに大目に見る。はれて庶民はフラストレーションがたまらない程度にほどほどに楽しむ。このおおらかな文化がほんと面白いですね。今もこの本音と建前の文化は息づいていて、不思議ワールド日本はまだまだ健在ですね😄。ところでホーリーの姐御のガオー顔は夜行性でなく昼行性の明るい肉食獣だね。番外編で野獣コスで夜行性ガオー顔もまた、見してくだせえ😼。
ちゃんと可愛くしようとしてるのが好き
定かでは有りませんが、牛肉には熱を下げる、体温を下げる効能が有ると聞いています。夏場に焼肉を食べる方が居られますが、体温を下げる為、涼を補う為に食べると言う方も居るそうです。何れにせよ、江戸時代でも一部の方が食べていたのは、此の様な理由からかもしれませんね。
猪肉は牡丹や山くじら、鹿肉は紅葉って名前があるくらいだしね。でも日本人の平均身長が一番低かったのは江戸時代とも言われているね、肉食が少なかったから。
「ガオー」が可愛い!
今回も大変参考になりました(^^)
赤穂浪士の大石内蔵助も、牛肉を食べていたという話が、ありますね‼️
肉食っていうテーマがいいですね。歴史好きが色々うんちくこねたくなるテーマ。
肉食は表立って出来ないから、馬肉→さくら イノシシ→ぼたん 鶏肉→かしわ と言って誤魔化していた。
蔵前に有名なお店があるよね😃
いつも素晴らしい動画楽しく拝見させてもらってます。他界した祖父は明治生まれ、祖母は大正生まれでした。先代は遺影でしか会えませんがその時代背景を勿論、江戸ではございませんが昭和〜平成でも中央からの流れはあったと思います。ウチは田舎ですが少なくとも蕎麦屋 寿司屋 菓子屋 屋台の今でいう「あじまん」や夜鳴き焼鳥などありました。その全ての店が居酒屋でしたね。ガキの頃 親父に連れられて近くの河原で魚捕まえてそれを持って寿司屋行って焼いて食べさせてもらい 帰りに「きょうぎ に包んでもらって巻き寿司持って帰宅」母親に「何処に行ってきたんや!」って怒鳴られても土産の巻き寿司食べてチャンチャン♪これからも 色々 教えてください
肉食禁忌は建前で薬として食べるも建前。うさぎを1羽2羽と数えるのも禁忌でない鳥として扱ったから。確か将軍家は彦根藩に牛肉の味噌漬けをもっともってこいと催促しいます。本音は美味いから食っていた。
育ち盛りに動物性たんぱく質を食べるか食べないかでは背の伸び方に差が出ますからね。当時の南部の人に体格のいい人が多いのはそのせいということも考えられますね。
かすみ網猟ですずめや小鳥を食べる文化は江戸時代にはあったと思いますが。コメの産地ではすずめはタンパク源ですし。新潟では昔から食べていると。昔は普通にいろり端で焼いたとも聞きました。
薩摩では犬を〇して中を取りお米を入れて蒸し焼きにする「えのころ飯」というのがあったうちの熊本は言うまでもなく「馬刺し」です
〇国で犬を食べるのをなんだかんだ言う人がいるけど、人間以外ならみんな同じでは?人間も飢饉のときは普通に食べてたらしいけど(殺してでは無い)
さすが薩摩。そういえば朝鮮出兵の時に朝鮮半島から陶工を士族待遇で連れ帰ってますからね。
西郷隆盛が豚肉を好んで食したのは有名ですね。この間の「青天を衝け」で渋沢栄一を豚鍋でもてなしたシーンも史実にある話だし。
大坂適塾でも豚肉を食べていましたね。
NHKの歴史番組より余程知識がつく
ホーリーかわよ
6:29 ついたアダ名は「豚野郎」でした。かと思ったら違かった。
質問です。前回の江戸銭湯2を見て思ったんですが、下着について男子はふんどしが定番??・・江戸女子はどんな下着付けてたのでしょうか?
こっそり食べられていたといえば河豚もそうですね
上方落語に池田の猪買いという演目があります。淋病の対策として、まさに薬としての猪の肉。でも、台詞の中に「美味いやろなぁ」ってのがあり、やっぱり食の楽しみとして捉えられていたことも垣間見えます。牡丹鍋、食べてみたいなー。
私の小さい頃は牛肉なんて、年に一度大晦日にスキヤキとして食べるくらいだった。(私の家は飲食業なのに)豚肉だってそんなに食べなかった。
熊も食べてました。あれはうまいですからねー鹿も美味い今ユッケで食べられる唯一の肉が鹿です食品衛生法上牛はo157から食べられなくなりましたが鹿肉は規制されてないのでユッケ食べられますよ美味しいですよ〜奥多摩行くと食べられます。猪鹿は増えてて農家さんは大変みたいです。筍なんて猪に掘られて食べられてしまうので電気柵つけているようです。猪は雑食で冬眠中のヘビまで掘り起こして食べてしまうと農家の方が言ってましたミミズからヘビまで食ってしまうと言ってました猿もすごいですよ千葉も猿がすごいです鋸山なんて猿だらけですボートで釣りしてると石投げてくるんです。なので思いっきりロケット花火打ち込んでやりますけど!いそうなところ狙って。
熊は森の神だと思います。
ほーりーのガオーがかわいすぎて。襲われたいw
かわいい😂
肉も食べれたのですね。少し嬉しくなる。鳥は普通にたべられていたのでしょうね。ニワトリとかキジとかカモとか普通に食べたれていたのでしょうね。卵も卵かけご飯とか食べられたのでしょうね。卵焼きはありましたか。教えてください。
ももんじ屋の話しは聞いた事が有りましたが、それ以外は知らなかったので、ビックリ、そして、感心してしまいました。桜田門外ノ変の肉のゴシップ、笑えちゃいますねぇ〜、でも、確かに、それが世間の見方って事から見えて来るってのは感心しますし、その内容が笑えちゃいますねぇ〜。(笑)それに、あの新撰組が豚を飼って食べてたなんて〜、あの人達だけはってイメージでした!薩摩藩に関しては、スグに納得してしまいましたが、江戸の薩摩藩邸でもって事にはビックリしてしまいました〜。何せ、鹿児島弁って一様に言ってしまいますが、実は以前は村毎に言葉が違い、本当に通じるのは隣の村辺りまでで、それ以外は、下手したら意思疎通も難しかったとかも聞きます。そして、言葉がおかしい人を見つけた時には、農民でも斬り捨てる事が許されていて、その後藩に申し出る様になっていたとかの話しも聞いたことが有ります。(父の話しだけですので、真偽の程は定かでは有りません)この様な村毎の言葉の違いが、薩摩藩の意図的なものか、自然発生的になったのか、私には分かりませんが、どちらにしても、幕府の密偵からしたら厄介な話しで、薩摩藩の中心部にまで知られずに潜入する事は難しかったでしょうねぇ〜。(笑)逆に言うと、島津藩も幕府に内緒で色々とし易かったのでは無いでしょうか?(笑)実際、昭和の終わり頃に鹿児島の天文館で飲んでいた時に隣に居合わせたおじいさんと話していてなんの話しをしていたかは覚えて無いのですが、核心的な言葉が分からなかったので、飲み屋に居る人に聞いたら、皆が、「隣の村の言葉だとそれで、ウチの村ではこう言う、でも標準語ではなんて言ったら良いのかな〜?」ってな通訳を数名がしてくれて、やっとなんとか分かった事が有った位ですよ〜。私に取っては、印象的な出来事でした。(笑)
俺の嫁のご先祖様は井伊直弼の専属医師でした。井伊直弼は薬として牛肉を食べる事が出来なかった様なので滋養強壮に何を差し上げてたのかな?と思いながら拝見させて貰いました。嫁は牛肉大好きです(・∀・)
ほーりーさんは、肉食系なのですか?
《山くじら》という事はクジラが哺乳類だと知っていたのでしょうか?
四足獣であることを隠すために「くじら」を使っていたと言うことは、獣の類とは認識していなかったんじゃないですかね?ちなみに哺乳類などの分類がリンネによって発案されたのが1735年のことですから、江戸時代の人々には哺乳類と言う概念自体、未知だったと思います。蘭学者の中には知ってた人もいるかもしれませんが、分類学の知識が日本に入ってくるのは、明治になってからじゃないでしょうか?
仕事仲間のインド人は「ここは日本なのでOK」と言いながら牛肉を食べますよ。何時の時代も建前と本音は存在するのですね。
ムスリムの飲酒 彼等の料理が酒に合うから
安愚楽鍋、海江田。鶏は時告げ鳥としてそうは食べられていなかった。西洋でも鶏は、養殖によりビクトリア女王の時代以降によく食べられるようになった。クリスマスのガチョウや鴨の代用。あまり知られてないが、日本最大の屠殺場は、港区田町にある。港区ではドナドナによく出くわす。
「牛肉はエナジー源、いわば点滴」そうそう、疲れた時に牛肉の点滴打つとたちまちシャキッとする、ンなわけねえ.
ということは両国の「ももんじや」は江戸時代の創業かな。あと鴨肉など鳥肉は普通に食べられていたのですかね?
店員さんから聞いた話しですが、江戸時代は乾燥した猪肉や鹿肉などを薬として売っていた「薬局」だったそうです😊
@@青海豚 ヘェ。
北海道のアイヌや琉球と山奥の代々マタギのも普通に食べていたみたいよ。
流通や冷蔵・保存技術も限られている当時、卵や魚介類だってそう頻繁に口にできるものではないでしょうし、大豆食品とかの豆類くらいしかタンパク質の補給源は無かったでしょうね。また当時の人間はカロリーの大半を米から摂取してたとも聞きます。そう考えると慢性的なタンパク質や脂質不足が原因で体調を崩す人がいたことは想像に難くないですし、肉食が薬食いとされたというのも強ちただのこじつけというわけではないかもしれませんね。
えたひにんなどが牛革の加工を請け負っていたけど、精肉の仕事をしたり自分らが食べたりしてなかったのかな。
馬を食べる習慣は聞いていても、牛はなかったので合点がいきました。豚を食べるのも明治以後と思ってましたが、琉球経由で入ってたんですね。日本での犬を食べる文化の紹介もお願いしたい、生類憐みの令とセットで♪
ほりーのガォーにキュン死です
猪は 山の鯨と 言って食べ 兎は跳ねるぞ 鳥食い色々!!あと、忠臣蔵の大石内蔵助も薬食いで、肉を食べたりですね。
薬といえば木乃伊なんてのがありますね。
ホーリーと飲みに行きたい
マタギが卸していたんでしょうね。
むしろこういう肉の食べ方の方が健康的。
ガオー顔、かわゆい
かまって味噌漬け~。
かつては、戸隠神社で赦免箸を授けていたらしい。
禁令が出るってことは喰ってるってことなんですよねぇ。
江戸時代は男尊女卑だったのでしょうか?明治から戦前まで男尊女卑だったのではなく、戦争が多発して男子は戦死するので男性を立てていたのでは無いでしょうか?その辺り掘り下げてよろしくお願いします。たとえば男子は親が平民ならどう足掻いても武士にはなれませんが、女子は武家へ嫁ぐのも珍しく無く、女性の方が自分の子供を身分高い子にする可能性も高かったし。
ホ~リ~僕も肉食ですよ😍❤
牛肉は滋養強壮の薬なので、常食としては食されてない。薬種問屋の裏口から専用の鍋口から味噌漬を買ってた。使った鍋は三日三晩天日にて消毒しないと使えなかった。山鯨=猪は名前を替えて猟師が食べてた。
ジビエ系今でも普通に野生がいますが、家畜系の野生動物って日本にもいたのですか?イメージがわかない。
二ホンイノシシなどががいると思います。豚はイノシシを家畜化した動物です。
ウサギは鳥扱いだったから一羽二羽と扱い
すき焼きは、隠れて食べていた。
牛は農作業の為、鶏は卵のため、豚は残飯処理の為、そして山の漁師が野生の動物を捕る自分の田舎では、子供のころ、どこのお宅でも鶏はいましたし豚のいる家も、牛はホンの一部、ウサギもいました、鶏は卵を産まなくなったらシメて食べる、牛、豚は流石に見ませんでした、でもそうして人は生きて来たのでしょうそうそうヤギのいる家も有りました、乳を頂く為にヤギもシメル所は見たことが有りませんこれもナマの姿として、伝えていってもいいのかな?と思います
と畜場法では、牛、馬、豚、山羊、緬羊は定められた屠殺場以外ではと畜してはならないとあります。
@@てらちゃん-z1i さんそうなんですねだから、鶏だったのですね流石に牛や豚やヤギは見なかった
朝、メーメー言っているのを屠殺場に預け、午後取りに行くと真空パックされたのを受けとる。中の人は牛豚なら日常業務だが山羊だと心が痛むだろうか。まず獣医さんが検査し、多分豚用のレーンに流すだろう。最初は炭酸ガスか。お仕事ご苦労様。
現代では肉は必要ないと言う考えの人がいる様ですが、肉をあまり食べなかった徳川歴代将軍は150cm代 大きくても160cnあるかどうかと聞きます、綱吉に限っては一番小さかったと言うから肉食文化で体型も変わるので肉は大切だなぁと思いました
ただ綱吉は子種を作るために水戸光圀の領土から贈られた牛肉を食べていたと言う話はありますね。
Itsumo-doori, taihen na benkyoo o sase-te itadaki-mashita. Edo no Mikushoku bunka Omoshiroi desu-neee.
ひい婆さんは鶏肉しか食べてなかったな
ほ━り━さんの動画の最初のポ━ズ可愛いです。ほ━り━さんに食べられたい。❤️ドMかな?でも、ほ━り━さんなら良いや。こんな可愛い人に噛み付かれて、爪で引き裂かれるなら本望だね!
新しい物にうるさいのは今の世も変わらんな
肉を食していたんだね😲
幕府も目こぼししてたんですかね。おおらかというかw。
狐は雑食で寄生虫が多く不味かったと聞いていますが、どうなんでしょう?
Arigatogozaimasu
誰でしたっけ……味噌漬けの牛肉が大好きで、焼くためだけの部屋作ってこっそり食べてた将軍がいたような気がする。武士、庶民はそれなりにお肉を(四つ足を)食べていたようですが、皇室の食卓に正式に四つ足の肉が登ったのは明治天皇の時代になってからというので流石に神道の大元である皇室はずっと禁令を守っていたんですね……かつて賢所に仕える女官は皇居内では肉を食べず、稀に外出先でお肉を食べたら二~三日は神事に関われなかったと聞きました。
歴女ってなぜか美女が多いよね。それにしても土方歳三はいい男だなあ。
四つ足食べると4代たたるといわれた!
大便革命読んで赤肉そこそこ控えてる。
脚気は白米の所為だと思います!ビタミン不足怖い怖い。
『薬食』ですよね。現代は食用の牛豚鳥肉のイメージしかありませんが、おそらくその時代、肉は不味く臭く食えなかったんじゃないかと思います。私も悪食で、野のうさぎ、鹿、山羊、熊、猪、等、いただきましたが、美味しく頂けたのは鹿だけでした。
こんばんはー🌙😃❗お待ちして居りました。薬食いですね。江戸患いの話もあり、うさぎも四つ足ではなく、一羽として鳥扱いとか。また、近いうちに、宜しくお願い致します。m(_ _)m
鯨は海に居るから、魚の一種、猪は「山くじら」とされ、食されたそうな。😅
がお食べられたい。
狼は食べないでほしかった😰
7:35 ほーりーちゃん!さすがの新撰組も「豚肉」は飼ってなかったとおもうよww
ありがとうございます!
Super Thanks ありがとうございます お江戸いいねスタッフ一同
彦根の近江牛の味噌漬の件には続きがあるんですよね。井伊直弼から近江牛の贈呈を断ち切られた水戸斉昭が肉に飢えていたところに島津斉彬が自国薩摩の黒豚の味噌漬けを紹介し、食した斉昭は大変満足して黒豚の味噌漬けを薩摩から贈呈されるようになり、ここで水戸と薩摩のパイプが出来ました。斉昭の七男慶喜が豚好きになったのも、その流れによる物だったんですよね…
はー、面白い。当時の袖の下は、時流を変える事もあったんですな。まー、誰だって美味いものには弱いだろうけど。
わかりやすい解説、ありがとうございます。
水戸烈公の肉の恨み、恐ろしや〜。
いつも楽しく拝見させて頂いております。今回もとても勉強になりました。まわりの人に話したくなる内容が満載で、何度も見返しております。桜田門外ノ変、案外牛肉の恨みも一因かも知れませんね(笑)。
いつも貴重な江戸情報をシェア頂き、ありがとうございます♪
興味深い江戸話、ありがとうございます☀️
魅力的な声、聞き入ってしまいます。
頑張って下さい!
但馬出身ですが祖父曰く子を産めなくなった経産牛を食べる文化があったので、恐らく昔から食べていただろうとのことです。
経産牛は独特の香りがあり今の和牛のような柔らかさはないものの、それを超える旨さがあったそうです
面白い動画をありがとうございます。とても為になりました!
いつも勉強させて
頂いております!
毎回、楽しんでます。
今回もすごく楽しかったです‼️幕末の主要人物は肉を食べていた。というのは、なるほどなぁと思いました😄 徳川斉昭と井伊直弼の逸話はすごく面白かったです❗️ ほーりーの「がぉぉー」可愛い過ぎます❤️夢に出てきそう😍(笑)
ほーりーのガオーが可愛すぎて明日も生きれます
江戸時代の食事凄く興味深いです。
楽しく拝見させていただきました。
我が街横須賀の黒船来航時の様子など動画にして貰えたら嬉しいです。
肉食の禁令が何度も出されていた、ということは、やはり食べていたということですね(笑い)
母の実家では、ウサギ肉ともやしの鍋が大変重宝がられていました。
あの大石内蔵助も牛肉が好物だったらしいですからね。
こんにちは
最近、ホーリーさんの動画にハマった者です
毎日繰り返し見ても興味がつきません
ところで、ホーリーさんが出している
江戸はすごいをどうしても読んでみたいのですがどこの書店も品切れ😭再販の予定はないのでしょうか?
電子書籍は?
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肉食文化についていろいろ説明されていて勉強になりました。
初めてコメントします。
父親が、牛、豚、鶏を飼っていましたので、牛乳、卵、鶏肉で育ちました。
ほーりーさんの、DJー日本史を楽しみに聞いています。大変勉強になります。
へ~って勉強になります。
ほーりーさんのお話し、
楽しかったです😃
数本動画拝見しましたが いい声! 好みの声です ほーりーさんの声は心地いい
田畑を荒らす獣を(それでも、命への)感謝を込めていただくのはジビエの基本です。それと、そもそも鯨・海豚は食べられていたので肉食文化はしっかりありました。
別の意味で抵抗は有るかも知れませんが、江戸時代からの伝統的な鯨・海豚食文化も紹介していただければさらに嬉しいです。
そう考えると和牛の元祖は近江牛って事になるかもですね。
関西は牛、関東は豚の食文化の流れの一端を担って居るのかもです。
おとぎ話でも、たぬき汁を食べたって話が無かったですかね~。
ためになります👍
肉は体を作る栄養が一通り含まれてるから何かしら栄養が足りてなくて不調な時、とりあえず肉食っとけば不足分を補うことができたんだろうな
いつも昔を楽しく味わい深く伝えていただきありがとうございます。肉食の禁令をお上が立場上お達しし、庶民は概ね従いながら、「これは山のクジラでございます。」とか「これは薬なんで食べてもいいですよね?」みたいにユーモアやトンチでお伺いをたて、お上も「うん、まあ、それなら仕方無いな。」みたいに大目に見る。はれて庶民はフラストレーションがたまらない程度にほどほどに楽しむ。このおおらかな文化がほんと面白いですね。今もこの本音と建前の文化は息づいていて、不思議ワールド日本はまだまだ健在ですね😄。ところでホーリーの姐御のガオー顔は夜行性でなく昼行性の明るい肉食獣だね。番外編で野獣コスで夜行性ガオー顔もまた、見してくだせえ😼。
ちゃんと可愛くしようとしてるのが好き
定かでは有りませんが、牛肉には熱を下げる、体温を下げる効能が有ると聞いています。
夏場に焼肉を食べる方が居られますが、体温を下げる為、涼を補う為に食べると言う方も居るそうです。
何れにせよ、江戸時代でも一部の方が食べていたのは、此の様な理由からかもしれませんね。
猪肉は牡丹や山くじら、鹿肉は紅葉って名前があるくらいだしね。
でも日本人の平均身長が一番低かったのは江戸時代とも言われているね、
肉食が少なかったから。
「ガオー」が可愛い!
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赤穂浪士の大石内蔵助も、牛肉を食べていたという話が、ありますね‼️
肉食っていうテーマがいいですね。歴史好きが色々うんちくこねたくなるテーマ。
肉食は表立って出来ないから、馬肉→さくら イノシシ→ぼたん 鶏肉→かしわ と言って誤魔化していた。
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他界した祖父は明治生まれ、祖母は大正生まれでした。
先代は遺影でしか会えませんが
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昭和〜平成でも中央からの流れはあったと思います。
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母親に「何処に行ってきたんや!」って怒鳴られても
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肉食禁忌は建前で薬として食べるも建前。
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確か将軍家は彦根藩に牛肉の味噌漬けをもっともってこいと催促しいます。
本音は美味いから食っていた。
育ち盛りに動物性たんぱく質を食べるか食べないかでは背の伸び方に差が出ますからね。当時の南部の人に体格のいい人が多いのはそのせいということも考えられますね。
かすみ網猟ですずめや小鳥を食べる文化は江戸時代にはあったと思いますが。
コメの産地ではすずめはタンパク源ですし。新潟では昔から食べていると。昔は普通にいろり端で焼いたとも聞きました。
薩摩では犬を〇して中を取りお米を入れて蒸し焼きにする「えのころ飯」というのがあった
うちの熊本は言うまでもなく「馬刺し」です
〇国で犬を食べるのをなんだかんだ言う人がいるけど、人間以外ならみんな同じでは?人間も飢饉のときは普通に食べてたらしいけど(殺してでは無い)
さすが薩摩。そういえば朝鮮出兵の時に朝鮮半島から陶工を士族待遇で連れ帰ってますからね。
西郷隆盛が豚肉を好んで食したのは有名ですね。この間の「青天を衝け」で渋沢栄一を豚鍋でもてなしたシーンも史実にある話だし。
大坂適塾でも豚肉を食べていましたね。
NHKの歴史番組より余程知識がつく
ホーリーかわよ
6:29 ついたアダ名は「豚野郎」でした。かと思ったら違かった。
質問です。前回の江戸銭湯2を見て思ったんですが、下着について
男子はふんどしが定番??・・江戸女子はどんな下着付けてたのでしょうか?
こっそり食べられていたといえば河豚もそうですね
上方落語に池田の猪買いという演目があります。
淋病の対策として、まさに薬としての猪の肉。
でも、台詞の中に「美味いやろなぁ」ってのがあり、
やっぱり食の楽しみとして捉えられていたことも垣間見えます。
牡丹鍋、食べてみたいなー。
私の小さい頃は牛肉なんて、年に一度大晦日にスキヤキとして食べるくらいだった。(私の家は飲食業なのに)
豚肉だってそんなに食べなかった。
熊も食べてました。あれはうまいですからねー鹿も美味い今ユッケで食べられる唯一の肉が鹿です食品衛生法上牛はo157から食べられなくなりましたが鹿肉は規制されてないのでユッケ食べられますよ美味しいですよ〜奥多摩行くと食べられます。猪鹿は増えてて農家さんは大変みたいです。筍なんて猪に掘られて食べられてしまうので電気柵つけているようです。猪は雑食で冬眠中のヘビまで掘り起こして食べてしまうと農家の方が言ってましたミミズからヘビまで食ってしまうと言ってました猿もすごいですよ千葉も猿がすごいです鋸山なんて猿だらけですボートで釣りしてると石投げてくるんです。なので思いっきりロケット花火打ち込んでやりますけど!いそうなところ狙って。
熊は森の神だと思います。
ほーりーのガオーがかわいすぎて。
襲われたいw
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肉も食べれたのですね。少し嬉しくなる。鳥は普通にたべられていたのでしょうね。ニワトリとかキジとかカモとか普通に食べたれていたのでしょうね。卵も卵かけご飯とか食べられたのでしょうね。卵焼きはありましたか。教えてください。
ももんじ屋の話しは聞いた事が有りましたが、それ以外は知らなかったので、ビックリ、そして、感心してしまいました。
桜田門外ノ変の肉のゴシップ、笑えちゃいますねぇ〜、でも、確かに、それが世間の見方って事から見えて来るってのは感心しますし、その内容が笑えちゃいますねぇ〜。(笑)
それに、あの新撰組が豚を飼って食べてたなんて〜、あの人達だけはってイメージでした!
薩摩藩に関しては、スグに納得してしまいましたが、江戸の薩摩藩邸でもって事にはビックリしてしまいました〜。
何せ、鹿児島弁って一様に言ってしまいますが、実は以前は村毎に言葉が違い、本当に通じるのは隣の村辺りまでで、それ以外は、下手したら意思疎通も難しかったとかも聞きます。
そして、言葉がおかしい人を見つけた時には、農民でも斬り捨てる事が許されていて、その後藩に申し出る様になっていたとかの話しも聞いたことが有ります。(父の話しだけですので、真偽の程は定かでは有りません)
この様な村毎の言葉の違いが、薩摩藩の意図的なものか、自然発生的になったのか、私には分かりませんが、どちらにしても、幕府の密偵からしたら厄介な話しで、薩摩藩の中心部にまで知られずに潜入する事は難しかったでしょうねぇ〜。(笑)
逆に言うと、島津藩も幕府に内緒で色々とし易かったのでは無いでしょうか?(笑)
実際、昭和の終わり頃に鹿児島の天文館で飲んでいた時に隣に居合わせたおじいさんと話していてなんの話しをしていたかは覚えて無いのですが、核心的な言葉が分からなかったので、飲み屋に居る人に聞いたら、皆が、「隣の村の言葉だとそれで、ウチの村ではこう言う、でも標準語ではなんて言ったら良いのかな〜?」ってな通訳を数名がしてくれて、やっとなんとか分かった事が有った位ですよ〜。
私に取っては、印象的な出来事でした。(笑)
俺の嫁のご先祖様は井伊直弼の専属医師でした。井伊直弼は薬として牛肉を食べる事が出来なかった様なので滋養強壮に何を差し上げてたのかな?と思いながら拝見させて貰いました。嫁は牛肉大好きです(・∀・)
ほーりーさんは、肉食系なのですか?
《山くじら》という事はクジラが哺乳類だと知っていたのでしょうか?
四足獣であることを隠すために「くじら」を使っていたと言うことは、
獣の類とは認識していなかったんじゃないですかね?
ちなみに哺乳類などの分類がリンネによって発案されたのが1735年のことですから、
江戸時代の人々には哺乳類と言う概念自体、未知だったと思います。
蘭学者の中には知ってた人もいるかもしれませんが、
分類学の知識が日本に入ってくるのは、明治になってからじゃないでしょうか?
仕事仲間のインド人は「ここは日本なのでOK」と言いながら牛肉を食べますよ。
何時の時代も建前と本音は存在するのですね。
ムスリムの飲酒 彼等の料理が酒に合うから
安愚楽鍋、海江田。
鶏は時告げ鳥としてそうは食べられていなかった。
西洋でも鶏は、養殖によりビクトリア女王の時代以降によく食べられるようになった。クリスマスのガチョウや鴨の代用。
あまり知られてないが、日本最大の屠殺場は、港区田町にある。港区ではドナドナによく出くわす。
「牛肉はエナジー源、いわば点滴」
そうそう、疲れた時に牛肉の点滴打つとたちまちシャキッとする、ンなわけねえ.
ということは両国の「ももんじや」は江戸時代の創業かな。
あと鴨肉など鳥肉は普通に食べられていたのですかね?
店員さんから聞いた話しですが、江戸時代は乾燥した猪肉や鹿肉などを薬として売っていた「薬局」だったそうです😊
@@青海豚 ヘェ。
北海道のアイヌや琉球と山奥の代々マタギのも普通に食べていたみたいよ。
流通や冷蔵・保存技術も限られている当時、卵や魚介類だってそう頻繁に口にできるものではないでしょうし、大豆食品とかの豆類くらいしかタンパク質の補給源は無かったでしょうね。また当時の人間はカロリーの大半を米から摂取してたとも聞きます。そう考えると慢性的なタンパク質や脂質不足が原因で体調を崩す人がいたことは想像に難くないですし、肉食が薬食いとされたというのも強ちただのこじつけというわけではないかもしれませんね。
えたひにんなどが牛革の加工を請け負っていたけど、精肉の仕事をしたり自分らが食べたりしてなかったのかな。
馬を食べる習慣は聞いていても、牛はなかったので合点がいきました。
豚を食べるのも明治以後と思ってましたが、琉球経由で入ってたんですね。
日本での犬を食べる文化の紹介もお願いしたい、生類憐みの令とセットで♪
ほりーのガォーにキュン死です
猪は 山の鯨と 言って食べ 兎は跳ねるぞ 鳥食い色々!!
あと、忠臣蔵の大石内蔵助も薬食いで、肉を食べたりですね。
薬といえば木乃伊なんてのがありますね。
ホーリーと飲みに行きたい
マタギが卸していたんでしょうね。
むしろこういう肉の食べ方の方が健康的。
ガオー顔、かわゆい
かまって味噌漬け~。
かつては、戸隠神社で赦免箸を授けていたらしい。
禁令が出るってことは喰ってるってことなんですよねぇ。
江戸時代は男尊女卑だったのでしょうか?
明治から戦前まで男尊女卑だったのではなく、戦争が多発して男子は戦死するので男性を立てていたのでは無いでしょうか?
その辺り掘り下げてよろしくお願いします。
たとえば男子は親が平民ならどう足掻いても武士にはなれませんが、女子は武家へ嫁ぐのも珍しく無く、女性の方が自分の子供を身分高い子にする可能性も高かったし。
ホ~リ~僕も肉食ですよ😍❤
牛肉は滋養強壮の薬なので、常食としては食されてない。
薬種問屋の裏口から専用の鍋口から味噌漬を買ってた。
使った鍋は三日三晩天日にて
消毒しないと使えなかった。
山鯨=猪は名前を替えて猟師が食べてた。
ジビエ系今でも普通に野生がいますが、家畜系の野生動物って日本にもいたのですか?イメージがわかない。
二ホンイノシシなどががいると思います。豚はイノシシを家畜化した動物です。
ウサギは鳥扱いだったから一羽二羽と扱い
すき焼きは、隠れて食べていた。
牛は農作業の為、鶏は卵のため、豚は残飯処理の為、そして山の漁師が野生の動物を捕る
自分の田舎では、子供のころ、どこのお宅でも鶏はいましたし豚のいる家も、牛はホンの一部、ウサギもいました、
鶏は卵を産まなくなったらシメて食べる、牛、豚は流石に見ませんでした、
でもそうして人は生きて来たのでしょう
そうそうヤギのいる家も有りました、乳を頂く為に
ヤギもシメル所は見たことが有りません
これもナマの姿として、伝えていってもいいのかな?
と思います
と畜場法では、牛、馬、豚、山羊、緬羊は定められた屠殺場以外ではと畜してはならないとあります。
@@てらちゃん-z1i さん
そうなんですね
だから、鶏だったのですね
流石に牛や豚やヤギは見なかった
朝、メーメー言っているのを屠殺場に預け、午後取りに行くと真空パックされたのを受けとる。中の人は牛豚なら日常業務だが山羊だと心が痛むだろうか。まず獣医さんが検査し、多分豚用のレーンに流すだろう。最初は炭酸ガスか。お仕事ご苦労様。
現代では肉は必要ないと言う考えの人がいる様ですが、肉をあまり食べなかった徳川歴代将軍は150cm代 大きくても160cnあるかどうかと聞きます、綱吉に限っては一番小さかったと言うから肉食文化で体型も変わるので肉は大切だなぁと思いました
ただ綱吉は子種を作るために水戸光圀の領土から贈られた牛肉を食べていたと言う話はありますね。
Itsumo-doori, taihen na benkyoo o sase-te itadaki-mashita. Edo no Mikushoku bunka Omoshiroi desu-neee.
ひい婆さんは鶏肉しか食べてなかったな
ほ━り━さんの動画の最初のポ━ズ可愛いです。ほ━り━さんに食べられたい。❤️ドMかな?でも、ほ━り━さんなら良いや。こんな可愛い人に噛み付かれて、爪で引き裂かれるなら本望だね!
新しい物にうるさいのは
今の世も変わらんな
肉を食していたんだね😲
幕府も目こぼししてたんですかね。おおらかというかw。
狐は雑食で寄生虫が多く不味かったと聞いていますが、どうなんでしょう?
Arigatogozaimasu
誰でしたっけ……味噌漬けの牛肉が大好きで、焼くためだけの部屋作ってこっそり食べてた将軍がいたような気がする。
武士、庶民はそれなりにお肉を(四つ足を)食べていたようですが、皇室の食卓に正式に四つ足の肉が登ったのは明治天皇の時代になってからというので
流石に神道の大元である皇室はずっと禁令を守っていたんですね……かつて賢所に仕える女官は皇居内では肉を食べず、稀に外出先でお肉を食べたら二~三日は神事に関われなかったと聞きました。
歴女ってなぜか美女が多いよね。それにしても土方歳三はいい男だなあ。
四つ足食べると4代たたるといわれた!
大便革命読んで赤肉そこそこ控えてる。
脚気は白米の所為だと思います!
ビタミン不足怖い怖い。
『薬食』ですよね。
現代は食用の牛豚鳥肉のイメージしかありませんが、
おそらくその時代、肉は不味く臭く食えなかったんじゃないかと思います。
私も悪食で、野のうさぎ、鹿、山羊、熊、猪、等、いただきましたが、
美味しく頂けたのは鹿だけでした。
こんばんはー🌙😃❗お待ちして居りました。薬食いですね。江戸患いの話もあり、うさぎも四つ足ではなく、一羽として鳥扱いとか。
また、近いうちに、宜しくお願い致します。m(_ _)m
鯨は海に居るから、魚の一種、猪は「山くじら」とされ、食されたそうな。😅
がお食べられたい。
狼は食べないでほしかった😰
7:35 ほーりーちゃん!さすがの新撰組も「豚肉」は飼ってなかったとおもうよww