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「光る君へ」では、まひろとききょうが仲良しに描かれていたのに、紫式部が清少納言を酷評する理由がよくわかりました。いろいろな文献を引用して、わかりやすく解説していただきありがとうございます。
とても深い考察 ありがとうございました。
良くわかりました次回解説もお願いします
11:00〜「桐壺更衣も定子も帝の子を産んだ後 皇子が2〜3歳の時に亡くなります」の部分。 桐壺更衣は兎も角、定子が敦康親王を産んだのが長保元年11/7。その僅か13ヶ月後に媄子を産んだのが長保二年12/15です。 21世紀のWHOですら「出産したら, 次の子を安全に産むには少なくとも18ヶ月は空けねばならず、理想は24ヶ月(2年間)空けるように」と推奨しています。 一条帝は、彰子が里帰りした隙を狙って定子を内裏に呼び寄せ、出産直後の定子と「事をやって」しまっているのです❗️ 花山帝といい一条帝といい、相手を愛しているのではなく、欲(つまり性欲)を制御できずに常に相手と昼夜添い寝をし続けたがために母胎(母体も)を崩壊させてしまったのですよね。 本来なら、定子がタヒんだ時、ナレーションで「お産による胎盤(後産)出て来ぬ故 命を落としたのだ」と言わねばならぬのに一切言わずに、ただ「定子は その年の暮れに姫皇子を出産し 世を去った」としかナレーションせず❗️ 故に視聴者は,伊周や清少納言が言うように「左大臣が定子を56したのだ」と思うでしょうね。 そもそも、妊娠の期間中から定子は体調が悪く衰弱していたので、本人も「出産時は身がもたないのでは」と案じて「遺書の歌」を書いたらしいですね。 胎盤(後産)が降りずに命を落としたのが事実なのだから(道長による精神的嫌がらせも有ったのでしょうが), 何故にNHKはハッキリと言わぬのか不可解, 不可解❗️
いつも深い考察で解説してくださりありがとうございます。詮子がどうして薬を飲まないと決意していたのかわからなかったのですが、シネマリンさんすごいです。第4回のいきさつをすっかり忘れていました。次回の解説動画も楽しみにしています。
心だに、いかなる身にか…この下りから後半のシネマリンさんの考察に、物語というものの面白さを改めて知りましたいつもご配信楽しみにしています源氏物語、紫式部、平安時代をここまで生き生きとした深みのある物語にした大石静さんの光る君へは毎回楽しみにしています
定子については式部や道長側から見た彼女,清少納言や一条天皇から見た彼女は違うのではないかなと思います。身近で彼女を見知った人々を魅了する魅力が確かに定子にはあり彼女が悲劇へと落ちていったのは確かに彼女自身の策略ではなく運命に翻弄されて又帝の彼女への深すぎる愛情がそこに拍車をかけた部分は大きかったと思います。それを誰が責められるのか,今,責められはしないと言う清少納言の気持ちでしょう。最高権力者である道長に対し表向きに直接の反発は出来ないが定子の物語を美しく描く事で道長に対する悪評を立て追い詰める意図も確かにあった事でしょうね。式部は道長派のに作家なのでその様な状況を打破する為に直接枕草子の批判ではなく描く作品により道長側から見た定子への考えを鋭い言葉で批判する事なくさりげなく取り入れている所に物凄い才能を感じますね。源氏物語の中で定子は確かに悲劇のヒロインでもありながら帝や都の政にとっては難しい存在だったという事なのですね。それを読む帝にも自分の責任の一端をかんじさせる事も出来るし彼女の悲劇をただの悲劇と捉えず様読者に様々な気づきを与える事が出来る,,。本当に天才的ですね。現代に通じる政治家同士のメディア戦の様な,しかも物凄く巧妙な,鳥肌物です。2人の才媛のバチバチの闘いをさらにわかりやすく解説してくださり,ありがとうございます。
今回も興味深い考察ありがとうございました紫式部日記購入して読み始めたのですが、史実とドラマとの違いを感じてドラマに入り込めない気持ちがして読むのをやめてしまいました。今はドラマを楽しみたいので。道長とのつらい別れのとき、私は私らしく自分の生まれてきた意味を考えるというセリフがありましたよね。これからまひろが自分らしい道を実感し、花開いていく様子が描かれるといいなと思っています。道長とのこれからも期待してしまいます。史実よりドラマが一番なので…。
「光る君へ」では、まひろとききょうが仲良しに描かれていたのに、紫式部が清少納言を酷評する理由がよくわかりました。いろいろな文献を引用して、わかりやすく解説していただきありがとうございます。
とても深い考察 ありがとうございました。
良くわかりました
次回解説もお願いします
11:00〜「桐壺更衣も定子も帝の子を産んだ後 皇子が2〜3歳の時に亡くなります」の部分。
桐壺更衣は兎も角、定子が敦康親王を産んだのが長保元年11/7。その僅か13ヶ月後に媄子を産んだのが長保二年12/15です。
21世紀のWHOですら「出産したら, 次の子を安全に産むには少なくとも18ヶ月は空けねばならず、理想は24ヶ月(2年間)空けるように」と推奨しています。
一条帝は、彰子が里帰りした隙を狙って定子を内裏に呼び寄せ、出産直後の定子と「事をやって」しまっているのです❗️
花山帝といい一条帝といい、相手を愛しているのではなく、欲(つまり性欲)を制御できずに常に相手と昼夜添い寝をし続けたがために母胎(母体も)を崩壊させてしまったのですよね。
本来なら、定子がタヒんだ時、ナレーションで「お産による胎盤(後産)出て来ぬ故 命を落としたのだ」と言わねばならぬのに一切言わずに、ただ「定子は その年の暮れに姫皇子を出産し 世を去った」としかナレーションせず❗️
故に視聴者は,伊周や清少納言が言うように「左大臣が定子を56したのだ」と思うでしょうね。
そもそも、妊娠の期間中から定子は体調が悪く衰弱していたので、本人も「出産時は身がもたないのでは」と案じて「遺書の歌」を書いたらしいですね。
胎盤(後産)が降りずに命を落としたのが事実なのだから(道長による精神的嫌がらせも有ったのでしょうが), 何故にNHKはハッキリと言わぬのか不可解, 不可解❗️
いつも深い考察で解説してくださりありがとうございます。詮子がどうして薬を飲まないと決意していたのかわからなかったのですが、シネマリンさんすごいです。第4回のいきさつをすっかり忘れていました。次回の解説動画も楽しみにしています。
心だに、いかなる身にか…
この下りから後半のシネマリンさんの考察に、物語というものの面白さを改めて知りました
いつもご配信楽しみにしています
源氏物語、紫式部、平安時代をここまで生き生きとした深みのある物語にした大石静さんの光る君へは毎回楽しみにしています
定子については式部や道長側から見た彼女,清少納言や一条天皇から見た彼女は違うのではないかなと思います。
身近で彼女を見知った人々を魅了する魅力が確かに定子にはあり彼女が悲劇へと落ちていったのは確かに彼女自身の策略ではなく運命に翻弄されて又帝の彼女への深すぎる愛情がそこに拍車をかけた部分は大きかったと思います。それを誰が責められるのか,今,責められはしないと言う清少納言の気持ちでしょう。最高権力者である道長に対し表向きに直接の反発は出来ないが定子の物語を美しく描く事で道長に対する悪評を立て追い詰める意図も確かにあった事でしょうね。
式部は道長派のに作家なのでその様な状況を打破する為に直接枕草子の批判ではなく描く作品により道長側から見た定子への考えを鋭い言葉で批判する事なくさりげなく取り入れている所に物凄い才能を感じますね。
源氏物語の中で定子は確かに悲劇のヒロインでもありながら帝や都の政にとっては難しい存在だったという事なのですね。
それを読む帝にも自分の責任の一端をかんじさせる事も出来るし彼女の悲劇をただの悲劇と捉えず様読者に様々な気づきを与える事が出来る,,。本当に天才的ですね。
現代に通じる政治家同士のメディア戦の様な,しかも物凄く巧妙な,鳥肌物です。
2人の才媛のバチバチの闘いをさらにわかりやすく解説してくださり,ありがとうございます。
今回も興味深い考察ありがとうございました
紫式部日記購入して読み始めたのですが、史実とドラマとの違いを感じてドラマに入り込めない気持ちがして読むのをやめてしまいました。今はドラマを楽しみたいので。
道長とのつらい別れのとき、私は私らしく自分の生まれてきた意味を考えるというセリフがありましたよね。これからまひろが自分らしい道を実感し、花開いていく様子が描かれるといいなと思っています。道長とのこれからも期待してしまいます。史実よりドラマが一番なので…。