【ゆっくり解説】戦場で何を食べていたのか?ww2米軍のコンバットレーション戦闘糧食
Вставка
- Опубліковано 25 сер 2024
- 以前B29の解説の中で、
ちょっと取り上げたコンバットレーションを、
掘り下げてみました。
ショップ疾風:suzuri.jp/Shop...
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#ゆっくり解説 #兵器 #コンバットレーション #第二次大戦
#米軍
むかし、ベトナム戦争の末期だったと思いますが、東京で大学生活を送っていた頃、沖縄出身の学友がこれを持ってきました。何のラベルもない若草色の大きな缶詰で、開けるとさらに缶詰が入っていて、これはスパゲッティナポリタンでした。他にコーヒーや調味品の小袋、歯磨き用?ガム、タバコ、など入っていて、これでは日本は勝てなかったなあ…と妙に納得した記憶があります。しかも悔しいことに結構美味しかったです。
歳とったせいか、最近は兵器よりもこういった兵站面の方が面白く感じるようになりました(笑)
とても良い動画でした。
6割が餓死という調査もある
@@senasakura345 日本餓死の原因は、通商破壊
(怒)
以上
ドッジライン知らない
馬の餌食っていきのびたんだよ
いわゆる「戦果」として評価されない分野について、
事実を積み上げ、検証し、必要な分を現地に届ける、という
地道かつ必須な作業を積み上げた当時の(双方の)軍官僚には敬意を評したい。
「戦力」とは、兵站まで含めてどれだけ準備できているか、まで見ないと意味がないと良くわかる。
日本軍の戦闘糧食が意外に豊富なのに驚いた。それをしっかり調べている米軍はやっぱり凄い!
名目的ね、実際は現地調達が多いかも
カロリーベースで考えたらアメリカ製に長所、健康面では日本製とそれぞれ一長一短だね
@@coloradokafe 両方食べれたらいいなあ
アメリカ軍は日本軍に対して膨大なレポート残していますね。海外のアーカイブのサイトに対米軍放送の「東京ローズ」のラジオ録音が残ってたりしますね。
粉末の醬油は、持ち運びに便利そうだね。
シベリアに抑留された人の手記の中で、日本軍の糧秣倉庫などから粉末醤油を押収したソビエト軍は小麦粉だと思い込んで日本軍捕虜に配布したとか。日本兵が「こんなに大量の粉末醤油を配っても意味がない」と抗議してもソビエト兵は聞き入れなかったそうで、あちらでは粉末調味料というものを見たことがないのでは?と思った。
味の素などの調味料は戦前からアメリカに輸出されていたそうですが本格的に普及が始まったのは戦後になってからのようですからね。ましてや当時のソ連の石頭連中には理解できない代物だったのかもしれません。
@@user-lg2rx8kt5t さん、今は、ロシア『マヨネーズうめえ!!』だけどな
@@THE.Everestlist
北国はカロリー消費が激しいからね
以前、自衛隊の缶飯レーションをイベントで頂いてウチに持ち帰って来たらお袋が「レーション缶かぁ……戦後直ぐの時配給で貰ったり闇市で買って来たりしてだいぶ食べたなぁ……」とちょっと渋い顔をして言ってましたネ……
チョコレートは「ウチの近所に来たりした進駐軍の兵隊さんがよろしかったらどうぞ!って置いて行ってくれたねぇ……ちょっと味が濃かったネ(;^ω^)」と生前思い出話で話してくれましたね
自衛隊のおかず缶って味濃いですよね。酒の肴に丁度いいです。
ハーシーのチョコだね
@@user-ws2dj5um8c さま ハーシーのチョコは、なんかブタ臭いっていうか、チーズの悪くなったやつみたいな臭いで、、、嫌いでした(63歳)
うちの婆ちゃん、戦時中に家の床下に穴掘ってそこで配給米で作ったドブロクを精製して営業販売して糊口を凌いだそうです。
物が不足している時代だったので売り上げは良かったとのこと。当時でも密造酒は違法でした🤫
サイパンでゼロ戦パクった部隊、米軍食が重たくてしんどかったとかで
日本軍の残してた鳥の缶詰等に手を出して食欲不振が回復とか日記にあった。
Dレーションは大量に作った結果、非常用の筈が半ば日常品になってしまい、部隊によっては3食全てDレーションというブラック部隊が出てきて士気がドン底になったとか。
Cレーションに同封された粉末レモンジュースも、歯磨き粉代わりにされたくらい評判が悪かった。
ちなみに、ドイツ軍ではファンタの粉末が同封されていた。
なので「ヒトラーの秘密兵器」と揶揄されてたとか・・・。
母が米軍に貰ったチョコーレートが美味しくなかったと言ってたけど、やっと理由が分かりました。ずっと不思議だった。
あまり取り上げられることのないところによく着目したよねえ。
この兵士の食事のことは士気にもかかわるけども、不平不満の原因もなるから非常に重要
そのことはあの「三国志」にのなかにも出てくる。
ナポレオンも「陸軍は、胃袋の状態で行動が決まる」と言ってたほど食料の補給には気を使ってましたからね。食料保存と輸送のためにとある発明家の瓶詰食料を採用するほどに。なのに当の本人は「空腹になったら食う」という食事時間を決めない人で、専属料理人が怒って辞めていくのがよく見る風景だったとか。
ビクトリーガーデンや日本の携帯口糧に対する米兵のレポートなど、他ではみられない内容でよかったっす。
日本軍もいろんな缶詰類を採用してたそうですが、下士官・兵の口には牛缶くらいしか入らず、三日もすると見るのも嫌になった、とかは戦記ものでも目にしますね。
映画 フューリー でCレーションをあげろって言われてDレーションならあるよーって言ってた戦車兵居たな
大変興味深いお話しでした、私の父は太平洋戦争末期に陸軍の兵士として中国大陸で戦ったそうです。やはり食糧事情は悪く、まだ食う物があるだけマシだったとか…栄養のバランスなんか二の次で食料の確保が第一!ここからしてアメリカに敵うはずが無いですよね。
おや、うちの祖父の後輩に当たりますな、そうなると
うちの祖父、盧溝橋事件から招集されて終戦まで戦ってましたから
@@user-ws2dj5um8c 様 破れかぶれの日本軍は、結局「特攻」だったそうです。志願とは名ばかりで事実上「強制」で、行かないと言う選択は口が裂けても言えない状況だったそうです。手榴弾や地雷を持って敵の車両に飛び込め!だったとか…あと少し戦争が長引いたら父は死んでいたそうです。(現実に戦闘が中止となったのは8月15日では無く、何日も経ってからと言っていました) メッセージにさっき気がつきました、返信が遅くなり申し訳ないです🙇
一気に雰囲気変わりましたね!w
面白くていいと思います!兵器だけではなく
様々な点で解説するって言うのも面白いですね!
米軍は志願者を募って飢餓が戦闘に与える影響を研究。その結果、兵士への重大な影響が確認され、補給を真剣に研究者した。
ん?研究者するんですか?「研究者する」とは?
@@めざましテレビ つまらない揚げ足取り、よくない、やめようね
兵站のまつわる教訓や研究は何時の時代からあると思ってるの(笑
@@user-yj6cq5vr5y wwww
わざとやったんだよ
子供ならまだしもいい歳こいた大人がこんなしょうもないこと一々書き込んでると思うとゾッとするな…
初っ端の分類や説明が端的で判り易くとっても興味深かったです。これからも継続して鑑賞したいです。GJです。ありがとうございました。
米軍のレーションが第2次大戦以前から研究されていたという、興味深い動画だった。
東南アジアのお土産でチョコレート貰ったことがあったけど、あっちのチョコもやっぱり高温でも溶けないんだよね。
そんかし、日本のチョコみたいに冷たい方が良いだろうと思って冷蔵庫で冷やしたりすると、硬くて硬くて噛み砕くのに一苦労しちゃうの(´・ω・`)
なんだっけ、ココアパウダーを固めてるんだっけ?
一日分だけで2.5kgも・・・ Dレーションのオチは想像通りだが逆に甘味料が枯渇してた日本にはありがたい話だと思う。米兵の好物だったらくれないだろうし。
レーションを取り上げるなら当時の米軍のファーストエイドキットを取り上げて欲しい。
あれは凄いよ。
個人的に一番感心したのはチューブ式の使い捨て注射器(´・ω・`)
小さなモルフィネ注射器とか傷口に振りかけるサルファ粉末とかは映画でも出てくるね
ライアンに出てたウェイドがプスプス刺してたやつかな?
@@nopperabou542 ヘルメットポンポン叩くのすこ
点滴の概念、輸血を前提としてるのが凄いですね
プスっとモルヒネ挿してサルファ材をさらさらふりかける一連の流れ好き
素晴らしい動画ありがとうございます!
面白いお話でした!
数はともかく、質では我が国の戦闘糧食もけして負けてないと言うことですね。でも前線の兵士に届かなければ意味ないですね。
日本軍は輜重を異常に軽視した欠陥軍だった。
軍隊の士気や能力はトップクラスだったけど。
@@vuytskkさん。 軽視はしてないですよ。補給の重要性は教本でものべています。自軍の兵たん能力の限界を超えた作戦をしただけです。
@@user-eh8ze4wv8z 軽視というか輜重兵を軽んじてたのは明らかです。
そういう歌もありました。
@@vuytskk @vuytskk さん。「輜重輸卒(しちょうゆそつ)が兵隊ならば、蝶々蜻蛉(ちょうちょうとんぼ)も鳥のうち」でしょうか。
この歌が歌われた当時は日露戦の頃まさに輜重輸卒は兵ではなく人夫であり兵ではありません。別に輜重兵がいます。この後制度が改正され二等兵となります。
@@user-eh8ze4wv8z 陸軍士官学校を出たひとが書いた本を読みましたが、輜重に配属された同級生は死ぬほど落ち込んでいたそうです。
補給が軽視されていたのはアメリカ、イギリス等当時の先進国に比べての話で、ソ連など発展途上国よりはマシだったとは思います。
ガダルカナル戦の初期、米海軍の輸送船が日本艦隊を恐れて撤収してしまい、補給が苦しくなった海兵隊員たちが日本軍の糧食を鹵獲して食べたところ、ホタテの水煮缶や牛缶が特に好評だった模様
面白かったです日本番もやって欲しいです
11:50あたりにでてくる尾西は尾西食品かな?今はアルファ米の非常食で有名だね。
私も、感じました。防災品・キャンプでお世話になっている、美味しいごはん。マニュファクチャー 大阪・尾西って。コメント失礼しました。
次回はUボート(各国潜水艦)飯の解説もお願いします。
第二次世界大戦中のアメリカなら個々の兵士に携行食を持たせなくても基地に帰れば暖かくて新鮮な食事が出てくるように思える。
アメリカ兵から貰った缶詰に「おやつセットがあった」と聞いた事があり、調べても出てこなかったのですがこの動画でBユニットではないかと思いました。
ここ数年、UA-camrさんがUPしてた最近の各国のレーションは、市販品が取り入れられたりしてたね、
米軍のは、チーズが不味いとか言われてた気がします。
日本軍の戦闘糧食、雑誌の記事で、航空兵がラムネを機上で開栓したら噴き出して、窓ガラスに付いたりして大変だったとか言うのがあったかな。
何かの雑誌に載っていましたね。零戦パイロットが交戦前に開けたサイダーが気圧の差で吹き出して風防を汚してしまい慌ててマフラーで拭くも乾いて取れない。その様子に僚機は何してんの?と思っていたそうです。(あとで聞いてばか笑い)それ以来サイダーは貰ったとたんに飲んでお茶を詰めて持っていくとしていたそうです
坂井三郎氏がガダルカナルに向かう途中での出来事でしたかな?
日本軍はチューブ入りのチョコレートを配給してたって聞いたけど、「子供にあげたらペッて吐き出してた、慣れない味だったからだろう」とかいう個人的な体験談を呼んだことがある(´・ω・`)
美味いと先に食べてしまうは本当で、戦記を読んだら、乾パンについてる金平糖を食べて捨ててたら、食料が尽きて捨てた乾パン拾って食べたって。補給が止まるって思ってないからね。
日本軍のチューブ入りソフトチョコレートはウィスキー入りだからそりゃ子供に食わせたら吐き出すわ…。
日本軍で問題だったのはせっかく種類が豊富だったのに前線まで行き渡らなかったこと.携行する食糧が少なくおおむね3日分くらいしか用意していなかったこと
後は全て現地で調達せよ。ってことだったこと.特に陸軍はその傾向が強かったみたいです。今もあんまり変わらないけど上のお偉いさんが根性論で済ませた事でしょう。
逆に現地調達無しで作戦ができたのはアメリカくらいだったと思います
日本軍の失敗は補給を軽視していた感もありますね。漫画家の水木しげる氏みたいに南国に行って現地の人と仲良く出来るなんて稀なことなんでしょうね。
太平洋戦争前までは、十分な補給が出来てましたよ。
中国戦線でも、ビスケットと水飴は欲しがるだけ持たせるように輜重部隊に訓示がありましたし。
@@hirose795 ua-cam.com/video/hTNaWn_G3cY/v-deo.html を推薦します。
戦死・戦傷死より、戦病死のほうが多い。ビスケットと水飴だけだって、生命を支え得る量が支給できていたら、飢餓者は出ない。「輜重部隊に訓示」したところで、実際には給与できていないでしょう。
フィンランド軍の第2次大戦のビスケット、メッチャデカくてA3用紙くらいのやつを1枚渡されて自分で割ってスープに溶かして食べるヤツだった
戦後日本人が貰っていた米軍のチョコレートは栄養価が高い事もあり闇市で高額(現在の価格で一枚数万円)で売れたため子供だけでなく皆欲しがったという話聞いたことがある。
一方のアメリカ軍は兵士一人当たり毎日チョコレートが支給されていた事を思うと複雑な気持ちになる。
8:30 日本ばっかりが総力戦な印象だったけど、こういうの見るとアメリカも割と総力戦な所あったんだねえ。
せやね、向こうも学校の校庭畑にしてたって聞いて驚いた。
チョコとかの嗜好品も確か配給制だったはず
アメリカの場合はいかに大量生産できて効率的に配れるかって感じがする。
そのためにカロリーと携行性を重点に置いて味やバリエーションは二の次って感じ。
極限下で腹ペコになれば味がどうだろうと何でも美味く感じるって考え方が本当に合理的ですね。
因みにアマプラでハーシー社のドキュメンタリーあったけど当時としては大きな工場と近くに社宅と小さな街を作る正しく量産体制の整った施設を作れるんだから、二次大戦でこれだけの戦闘糧食を提供出来るのも納得。
食わないと戦えないって、人間は厄介だな。ロボット兵が出来ても、燃料とメンテは要るけど。
やっぱ飯が無いと戦えないわな・・・
日本軍の戦闘糧食のレポートは、つまり鹵獲品の戦闘糧食も有効利用しようとしたということですね。
まあ、鹵獲できれば利用しましょう。とはいえ私は韓国の蚕の蛹(さなぎ)缶は食えたがオーストラリアのベシマイトはダメだったなあ。
状況によっては敵の糧食で飢えを凌げ!ってことでしょうね。
日本も、駄菓子業界が開発すれば、レーションできると思う。日本の駄菓子クオリティは海外より遥かに高い。
ドラッグストアのダイエット食コーナーにたくさんあるよ(´・ω・`)
ベトナム戦争でベトナム原住民兵士用のレーション作ってってアメリカ軍の少佐が
上層部にお伺いしたら「5年と100万ドルかかる」と言われて
沖縄の食品会社に頼んだら「2か月と200ドル」と言われて
(南ベトナムで作ると毒を盛られる可能性があるため)
少佐の自費で作らせた(大量の注文は軍の費用)という話を聞いたことがあります('ω')
@@user-es6rw4db9h どんなの作ったんですかね?サーターアンダギーぽいのかな?気になります
@@user-rk7vi5nq8l さん。
昔(20年前とかそのあたり)の軍系の本で読んだ記憶があるのですが、
今のネットで調べても全く出てこないのですよね('ω')
たぶん、お米がベースだと思うのですが、メニューに関しては記載がなかったか
あっしの記憶が抜けております('ω')
@@user-es6rw4db9h わずか2ヶ月で作ってしまうとかチートですなぁ
( ̄▽ ̄;)
ギブミーチョコレイトの正体がDレーションってことがものすごくショックでした・・・。
日本の歴史15巻とかだとしっかり明治のチョコレートみたいになってた記憶があります
はだしのゲンでも完全に描が板チョコですねぇ
板チョコではないんだよなぁ
そんなとこまでウソが・・・・GHQの陰湿さは徹底してますね。明治製菓は当時から国策会社だし、今は外資に乗っ取られた製薬会社で、国民の健康の仕事はしていませんよね。さーてみなさん!お菓子を食べて皆で元気に成人病になりましょう・・・です
71年前の旧日本軍の缶詰が発見されて一つ開けてみたら食べる事が可能な状態だったそうで、戦前は缶詰を欧米向けに輸出していたくらいなので品質自体は悪くないんですよね。十分な数を作れていたら、そして運ぶことができていたら…。
生産性も品質のうちなんやで
大正生まれ 従軍看護婦の母親が、缶詰信者で、死後 物置から膨らんだ缶詰が出るわ出るわ…彼女に戦後は遂に訪れなかったようです。(..)
それどこの情報?
日本で最初に生産された缶詰はイワシのオイルサーディンで、輸出用だったのだそうな(´・ω・`)
送れなかったのが一番の問題です。
こんだけ食料について考えてるアメリカでさえ、食料不足が問題にならなくなったのは湾岸戦争以降と言われてますからね…。
アメリカ兵が日本人だけではなくイギリス人女性の気を引く為にチョコレートを配っていた(勝戦国とは言え、物資不足に悩まされていた)そうです。軍部も「チョコレートはなるべく家族に送る様に」と苦言を呈していたらしいです。
Dレーションの「あまり美味しくない」開発要求は軍用カンパンと通じるなぁ
昭和55年頃だったかな 岩国でCレイションを1ダース買いました。
味は 想像通り?・・・・1ダースに1つ缶切りがついてました。
実は 缶切り欲しさに 1ダース買いました(笑)。
よき切れます・・・今は、キーホルダーになってます。
いわゆるP-38オープナーというやつでしょうか。自分もアメちゃんのと自衛隊のをキャンプ用品の中に入れています。
※90年代頃岩国基地の近くでMREをいくつか買いましたが、メニューの中にはどうしても完食できないものがありましたね。( ´Д`)
そうです その缶切りです。
当時 国鉄岩国駅のはす向かいに米軍などの放出品を売ってる店がありました。
他にもいろいろ買いました。
放出品の入札でいろいろ仕入れてたようでした。
左ハンドルのジープも放出品で 出品されることもあったようです。
折りたたみ式の缶切りは日本製(アイデアル製)のが握る部分が大きめなので良いです。
日本製の 調べました。
使いやすそうですね・・キャンプに行って缶切りが無い・・たまにやります。
ないと困ります・・以前 忘れてサバイルナイフで缶を開けました・・刃が・・・
で 今では 非常用で キーホルダーにしてます(なるべく小さいのがいいので)。
私が幼稚園児の頃お隣さんが黒人の海兵隊で補給部隊の人で同い年ぐらいの隣りの子供とよく言葉は通じなくてもよく遊んでたので昼飯を一緒に食べたりCレーションの缶詰をもらったりしてたな!(沖縄祖国復帰直後の話)
Cレーションのフォルム大好き
戦前の研究の通りアメリカの若者は贅沢な暮らしに馴れてそれが当たり前に成っているので過酷な戦場環境に我々日本兵の様には耐える事が出来ない…のだが
そんな事はアメリカ軍も承知しており
ゆえに自軍の兵員達を過酷な環境に置かぬ様に物凄い努力をした
アメリカ兵はハムエッグにトーストの朝食を食べ
パンケーキとコーヒーのデザートを堪能し
昼にはステーキを食べ
冷えたコーラを飲みながらジャンルをパトロールし
休憩の際は
チョコレートアイスクリームを食べた
これだけ贅沢な環境なら
どんなに贅沢に馴れたアメリカの若者とは言え
祖国の為に命をかけて戦う事が出来た
研究によって導き出された判断は間違っていないが
アメリカの国力の前にはそんな研究何の意味もなかった
Cレーションからアメリカの[マズイ携行糧食]の悪習が続いていたのか…。
あと、[続・ミリ飯おかわり!]という書籍で紹介されていたのですがアメリカ国内の軍事演習では。
国内で流通している市販品の詰め合わせセットのようなレーションがあるそうです。
興味深い動画でした。
うちの父は支那事変で広東に赴きましたが、まだ初期だったので、食料は豊富に送られて来るし、支那人も鶏肉、豚肉、牛肉等を売りに来るので、すき焼きも楽しんだそうです。しかし、お砂糖は常に不足したとの事。疲れてるから体が糖分を要求するのでしょうね。夜食にはお善哉(関東ではお汁粉)や安倍川餅が喜ばれたとか。
因みに、お砂糖が切れた時のメニューはカレー、天ぷら、豚カツ、ビーフカツだったとかw
ある軍事史に書かれていたのですが、「アメリカの強さの理由が兵站と医療である」と。
つまり、「アメリカは生き残らせるという考えがどの国より大切にされていたからだ」と。
確かに、輸送船が片っ端から撃沈させられる日本軍がその点において劣ったのは仕方ないと
言われるかも知れない。だが、アメリカの思想があれば、まず南海の孤島なんぞで戦わない。
自衛隊の戦闘糧食の味は市販のレトルトパックや缶詰と変わらない程美味いが米軍のレーションと比べての欠点はトイレットペーパーやインスタントコーヒ、ガム、キャンディ等の日用品や嗜好品が無い事で有る。災害時の被災者に戦闘糧食を配布するなら日用品や嗜好品を加えた方が良いと思う。
ガムって空腹しのげますよね。
@@user-se9cy3di1r でも日本では人前でガムを噛む行為はふしだらに見えるから。
日本の場合はお菓子などの嗜好品は必要に応じて市販品を追加で支給してるらしいですね
ただ、311以降は栄養補助を目的にパウチ式のゼリーやチョコバーなどを制式に導入したらしですが
1970年代、雑貨屋や登山用品店に、米軍放出のMCIや RCI等が販売されていた。RCIは当時でも製造されて10年以上経過していたはずだが、MCIは80年代半ばまで、普通に入手できました。味も微妙なミリタリー風?戦争ごっこで死ぬ程、食べました。☮️
気にしなければ缶詰は製造後20年は食べられますよ。…缶詰20年、乾パン30年って感じかな。
@@prc148mbitr 昔、なんかの記事で読みましたが、1960年代に19世紀末の缶詰がフランスの家の地下室で発見されて実際に食べた人がいたらしい、不味いけど、一応食べられたそうです。また米西戦争で支給されたハードタック(堅パン)は1861年の南北戦争中の製造だった!
ま、MCIは見つけても食べないほうがいい🆖🙅
@@02tuka40 確か米西戦争ってアメリカ軍のロジスティックスの脆弱性と入札談合とかで食糧が腐ってスペイン人から殺された兵隊よりもシカゴの精肉業者に殺されたやつが多かったとか言われてましたよね。これ以降アメリカ軍が物流兵站を重視するようになったんだとか…まあ銃ですらも後方では南北戦争時のスプリングフィールドをトラップドアに改造した銃が使われてたとか…
これを見ると日本軍が補給を軽視した、と言うより日本には戦争を維持する程の補給を持続する事が出来なかったが正解かな
持続出来ないなら出来ないなりに戦略を変えないと…。取り敢えず戦線広げすぎ。
ギブミーと云って貰ったチョコレートはDレーションのだったのかな と思ってたら最期でそうだった。
ビクトリーガーデンと同じような事は、日本でもやっていましたね。
日本中に芋畑が作られました。
兵隊さんのための食料では無くて、国民が食べるためのものでしたが
経済封鎖中のキューバでもやってる。
自家菜園でとれた農作物は課税対象外ということにしたら、みんなやり始めて結構成功したらしい(´・ω・`)
米軍ミリメシでベチャッとした料理好き
豆缶だろうね
私の母は、進駐軍から紙袋入りの砂糖とチョコレート貰ったと言っているが、レーションの砂糖とチョコレートだったんだろうなあ。
アメリカの銃後の映像や画像がたくさん使われていて、興味深い動画です。
バレンタイン少佐はダダ余りのレーションをばら撒いていたのが真相だったという事が判明された
「わりと もっともらしく きこえるわね」
普段の工業力といざという時の団結力が合わさると、恐ろしいですね( ;´・ω・`)
>いざという時の団結力
心からの協力だからなぁ。
ここらは独立戦争での民兵とかの伝統か。
おそらく、我が国は上意下達だったんだろう。
悔しいけど。
日本も色々やっていたんだが、やはり工業規模と輸送能力が問題だったのか。因みに野菜の缶詰で誰も食いたくない物としてあげられているのが里芋の缶詰。
米海兵隊がガ島に入って日本軍の拠点奪った時、海兵隊も敵軍の物資を使う習慣があって、まず思っていたのが「早く本隊来てくれ!」。実は今でこそヘルシーだ健康だ和食だという事で注目を浴びる日本の食だが、当時は全く口に合わない物ばっかりだったらしい。何せ魚の干物なんかオレ見たことないぞこれなんだ?といった状態だったからね。
因みに日本軍が米軍の拠点襲撃して占拠して物資を奪った時、白い粉があったので水に溶かして食ったら翌日食った奴全員お腹がピーピー状態になった。これを見た人全員「何!アメ公は味方に毒を食わしているのか!」と怒っていた。それはなんとホットケーキミックスの粉だった。
レプリカ?復刻版?のCレーションを食べた感想。
直射日光で温められる昼食は、なかなかの味。
冷たいまま食べる朝夕食は、栄養優先と思って食べる。
ビタミン補給用のレモンパウダーは...水がもったいないと思うくらいの酸味。
Dレーション 子供の時食べた。凄く堅いので フライパンで焼いて溶かそうとしたけれど 直ぐには溶けない。で 包丁で削って食べました。味は表面に油分が浮いて まだら模様になった チョコの味 その後食べたハーシーも同じ味でした。
校庭 芋畠 護国芋だったんだって
航空食 葡萄酒 羊羹 チョコ ビタミン剤 あったんだって
伯父はヒコーキ乗りでした
国力の違いを痛感させられますね・・
面白かったです。登録しました。
いまもチョコバーやシリアル系は入ってるのよく見るな運用地域によるだろうけど市販品で済ましているケースもある感じ
ありゃ、久では?
少し前に
過去動画一気見してしまった。
継続キボンヌ。ここのは大好こだー
「ゆでたジャガイモよりややマシ」な味のクソ硬いチョコバー、どんなものか一度食べてみたいな。
今のMREレーションの前のCレーションは何度か食べた事があるが 味はMREよりも良かった
1980年代くらいまで東急ハンズで缶詰主体の昔式のレーションが買えた。
MCIだかMREだか忘れたけど、米兵を震撼せしめた“悪魔の四本指”って異名のソーセージなかったっけ?(笑)
あったね
自衛隊の時はレーション旨くてそればっか食ってた。
食料自給率は軍事の一環で100%の自給率が必須。米国はそれを理解していて日本は理解していない
MREよりは美味しそう…
MREにteriyakiがあったりするのが驚きです。
67年ころ、冬山の昼食用に、1人分づつのパッケージ化した、「レーション」を実験。チョコレート・ビスケット・バターなどで1000カロリー超。チーズじゃなくバターとしたのは、やはりカロリー。しかし不評だった。
尾西食品、戦時中からあったんやぁ😮 山へ行くときアルファ米お世話になった😊
腹が減っては戦はできない。いつの時代でも通用する格言ですね。
おにぎりも合戦の携行食だったんだよね
米という調理に水と火が必要で、調理時に煙が出るというおおよそ戦場で食うには厳しい食い物が主食の時点で結構不利だよな日本
地味に無煙炊飯法を開発してたような…?
なるほど、イタリアはそれで…
前線では調理しませんよ。
後方で調理して前線へ運んでました(´・ω・`)
ベトナム戦争ではその米を食べるベトコンに負けました…(;´Д`)
パンだってかさばったり手間かかったり、乾パン化して解決図ると今度は不味いですしねえ
終戦後、米兵らが「ギブ・ミー・チョコレート」で配ってたチョコはマトモなチョコで、チョコの費用は日本政府が出してたとか
ハーシーのチョコが年々薄くなって買わなくなった。
但しトロピカルバーは戦後占領地の子供に配るものとして大好評でした。
日本でギブミーチョコレートと言えばこれ
戦後GHQから昭和天皇にチョコレートが贈られたことがあったようですか、詳細が不明でした。そこで、HERSHEY'Sのチョコレートが贈られたと思っていたのですが、案外レーションを贈ったのかも知れませんね。
GHQだからやっぱりHERSHY’Sのチョコだと思うよ。マッカーサーがDレーションを食うとは思えん。
牟田口「兵士には草を食わせておけばよい!」
手前は安全な後方でのんびりすき焼き食ってるカス、原爆を落とした米国より責任押し付けて逃げ出した旧日本軍の高級将校の方が残虐だと思うわ
11:26 米は解るが、大麦・小麦も餅にして、更に缶に入れてたのか、日本軍。・・・餅になるの?
ああ、やっぱり・・・>米軍が戦後日本の子供に配っていたチョコは、大量に余っていたDレーション
腹が減っては、戦は出来ん❗
We can't battle when we are hungry.
米軍は戦闘糧食のシステム化を進めていたからねーこれまでは保存と耐久性優先だったが、これからは味にも拘るか?
ハーシーのチョコバーとか最高かよ!
戦後日本でGIが子供らに配ったのもこれかな
って、おしまいに言及されてましたね。すいません
米軍のレーションは開発当初からヤバかったのが伝わってくる。硬くて食べ辛いチョコレートとか、まるで食べ物のような何かを感じるw
戦場での数少ない娯楽だから大事よね
フランス軍は戦場でも調理に時間をかけてしっかりと食事を摂るからフランス兵の士気は英軍よりも高かったとかいう話は聞いたことがある(´・ω・`)
@@nuruosan4398 だからWW1での戦死者数が多かったと。
「米軍が何を食べてたのか?ww」に見えた。
高校生の時社会科の先生が戦後配給で貰った米軍の食糧パックを見て贅沢な中身に驚いたと言ってました。
手塚治虫の漫画で見たわ
3:25 戦前と言われているが、米軍はフライングタイガースなど既に大陸の国民義勇軍に協力していた。150万食ぐらい配布されてるだろうよ。
レーションとはちと離れるが、極地探検などでは「ぺミカン」という肉、油脂、ナッツを練って固めたものが流行していた。イヌイットの食べ物のコピー。
米海軍の潜水艦を視察した本海軍昇降は愕然としたよむ
パンとハムと牛乳だけで何日でも戦える米兵の粗食ぶりに簡単してたわ
たしかに高カロリーではあったが日本人から守ればありえない粗食
それが真実
米は毎日炊かないとならん、パンは3日に一度焼けばok