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王者ポルシェがジャガー、ベンツやニッサン、トヨタ、マツダと個性的なマシンを生み出した。F-1に負けない面白さがあったグループC時代。個人的にはF-1よりも好きなカテゴリーでした。
NISMOの難波社長でさえ「あんなスピードで走るマシンの中に人間がいるのか」と驚いたくらい
当時、富士のオフィシャルやっていて、1コーナーで旗降っていたよ。とにかくこの車、音より早く来るもんだから、ぼやぼやしてるといつの間にか目の前を通過しているって感じでした。最終コーナーは排気音を聞いていると、全開でしたよ。
音より早く来るとは?どんな現象なのか気になります。音速は1200km/h位だと思うので、普通に考えると音より先に車体が来るのは不思議です。
車が見えてもエンジン音が聞こえない感じです。衝撃波はしなかったので、音速を超えている訳ではないと思います。音より早いというのは言い過ぎですねww
@@yukihiromitsuhashi7267 比喩表現でしょ
@@yukihiromitsuhashi7267 クッソつまんねー奴ってよく言われない?^^
@@yuu7676 富士の地形等による独特の現象があるのかと思ってました。そのスピードの為に他の車とは現車と音のタイミングが違うって事ですね!
まさに当時の富士のストレートでR92CPをリアルで見ていた。特に予選はメインスタンドでも目が追い付かないほど速かった。あと、当時自分もスポーツ走行枠で走っていたが、ダンロップコーナーはBコーナーと呼ばれていて、立ち上がりからアクセル全開で恐怖の260Rだった。
VRH35Z設計者の林教授から頂いた「勉強しなくていいから感性を磨け」というお言葉 今も常に意識しながら仕事してます。
グループCが終了した際、星野さん・長谷見さんはこれで死ぬことが無い、と胸をなでおろしたとか。
この動画を見た後では、さもありなん。ですね。
ニスモフェスティバルのトークショーで当時の日産ワークスドライバー星野一義選手と長谷見昌弘選手がこのマシンの予選アタックの怖さを語っていたのを覚えています!!富士スピードウェイのストレートスピードの速さは半端なくて迫力あったので当時観戦出来て良かったです!!👍😊
カテゴリー撤退した時に、あぁ、これで死ななくて済むんだな!と思った。てやつかな?(笑)
@@狂介-k4d レース後は二人顔を合わせて「良かったな、今日も生きて帰ってこれたな」って言いあう程だったらしいですね笑
@@3プッシュ そうなりますよね(笑)ドリキンでさえビビって踏めなかったみたいだし。つか富士のストレートで長谷見さんが飛んだ時はゾッとしたわ。恐ろしすぎる
観れたのか~、イイなぁ……(T0T)
@@狂介-k4d さん仰る通りです!!😊
グループCが無くなった時の星野さんと長谷見さんが言ったセリフが「俺達死なずにすんだ」ですからね。
長谷見さんの場合、富士でR91CPの前左タイヤがいきなりバーストしてスピンし、グラウンドエフェクト効果が裏返って浮き上がってクラッシュしたという事実があるので………。(付近に居たトヨタ側がそれを察知し急ブレーキし、スピンしながらも停止し事故を回避してました)(星野さんももちろん知ってるのでそういうのを含めて俺達死なずに済んだと言えたのでしょうね………。(ただR91CPは当時最新鋭のカーボンモノコック構造だった故に助かったというのもあるので……))
雨降ったらGTRのが速かった。今のGTの300と500は見てても面白くないが、当時gr.cとaの1クラスで混走セミ耐久やって欲しかった。32gtrはドライでも2cと同等のタイムで走ってたし2クラスのM3より遅いIMSA GTXクラスのRX7や310サニーがcカーと混走はかなりの速度差で危険だった。
燃費のみの規制(細かいルールは別として)だったのでメーカーのイメージ等各メーカーが考えるやり方で車両を制作していたのが面白かったカテゴリーでしたね。
天才、長谷見昌弘さんも予選フルアタックで生きた心地しなかった、と仰ってましたね。JSPCで常にポールポジション争いしていた、同僚星野和義さんと2人で予選終わる度に「生きてて良かった。」と言い合っていたとか。予選スペシャルエンジンに、予選用タイヤ、ワンラップスペシャルがワークスには当たり前の時代。見てる方はワクワクでしたが、ドライバーは常にこういうモンスターマシンと命削って格闘してた時代。旧富士のストレート、ブレーキングポイント到達時でも余裕でまだまだ加速状態だったと長谷見昌弘さん仰ってましたから、このシュミレート、かなり現実性高いですね。この時代の目撃者からすると、現在のモータースポーツにはあまり魅力感じませんね…もう一度このグループC復活しないかな…熱かったよな…ワークスもプライベーターも。
星野さんが日本一速い男になった理由のうちに日本一速い車に乗せられた男である事も含まれそうですな
高校時代に日産ファンの友人が「日産が本気になればF1でもHONDAの10倍強い」と毎日力説してたのがF1ファンの自分にとってはくっそうぜーと感じていましたが、そう言いたくなる気持ちも解る
グループC時代が一番好きだった、今のクルマはデザインが画一的だし当時より最高速が出ないせいか迫力に欠ける...まあ加速はずば抜けてるからそこは良いが
ユノディエールで確か星野さんが「目一杯に首を振っても疾走するマシンを目で捕らえられない。あんなのに乗っているかと思ったら背筋が寒くなった」てな話をしてましたな…
星野さんは毎回乗るときに気合を入れないとやってられなかった、と言ってましたね。また、雨が降ると温度差で窓が曇り、ホームストレートの度に孫の手のようなものの先にタオルをつけたもので手作業で窓を拭きながら走っていたらしいです。メカニックには再三 もうパワーはいらないと言っていたとか。狂気以外の何物でもないですね...
長谷見昌弘氏がラストランの時に【最期だからフルパワーで走らせてみようよ】ということで走らせたら400km出たっていう何かのインタビューで言ってたような…
いくらでも雑誌等で資料が出てくるから、興味のある人はちゃんと調べてほしいが、日産のR9○シリーズで最も馬力を出していたのは、動画で使われたモデリングのR91CP。R92CPでは、扱いやすくする方がラップタイムの向上になるので、予選でも1000馬力まで出してない。(だいたい850馬力ぐらいまでだったようだ)実戦においては予選であってもフルブーストまでかけるような事もなく、千数百馬力overでの400km伝説はあくまでテスト走行での話。(それでも余力を残して1000馬力とか軽く出るので、R91CPでは予選時には1000馬力出してたようだが)決勝中は600馬力~700馬力程度で走行するのがほとんど。グループCマシンの最高速が凄い理由の一つとして、動画内でも触れられているように、燃料の消費規制があるため、ダウンフォース発生量に対して空気抵抗が物凄く小さい事が挙げられる。80年代のターボ時代F1は、これまた計測器が存在しないため、ブースト圧からの推定値ではあるが、1.5Lのエンジンで1200馬力~1500馬力を搾り出している。ただし、タイヤはむき出し、ダウンフォースのために巨大なウィング、と空気抵抗の塊であるため、超高速コースでも400km/hには届いていない。また、燃費はとんでもなく悪い。
コレをデチューンして市販化しようとしてた当時の日産が凄いわ。
とち狂ってる
やっちゃえNISSAN
1990年代までRRCという団体があり、招待されたアメリカのチームがFISCOで実際に400km/hオーバーを記録していました。光電管を使用した精密な測定で、旧コントロールタワー前で停止状態からスタートし、ピット出口手前のスタートシグナル・ブリッジ付近で軽く400km/hを越えていました。それでも彼らにとっては無難に流した程度だったようです。
ファニーカーでもタイヤ温めるのに踏み過ぎたら200メートルくらいまで行ってましたねスタート脇の芝生に座って見てましたが、顔の皮膚まで震える凄まじいエンジンですよ
凄いスペックですね それこそ人間力!が試されるマシンだったのですね!電子制御では無い究極マシンを人間が操る凄い時代ですね、マシンもドライバーもとにかく凄い!
これ、当時のピットレーンで見たことが有る。ストレートを駆け抜けて行く音が印象に残っている。良い音では無く、雷が落ちた様なバリバリと云った感じだった。テスト走行だったけど、もの凄いパワーを発散しているのが判ったな。
グループCカー耐久レース大好きでした。最終コーナーからのストレートの速さったら!メインストレート横で見てるとあまりの速さに車を追っかけるのが追いつかないほどでした。おまけ)メインスタンド裏で売ってたソーセージ焼きそば懐かしいです
レース終了後は100円でした.
1980年代は化け物のような車もドライバーも多くいた。その関係で市販車も公表馬力は280馬力止まりでも実際は300馬力以上出しそうなエンジンをデチューンしたり、運動性能が高いことで馬力を目立たなくしていた時代。足回りやギヤは今の方がいいけど、エンジンの馬力とトルクは尋常じゃなかった。安全装置も今ほど優秀じゃなかったし、一歩間違えれば車が飛んでたしな!富士は事故があったから最終コーナーにシケインが出来て、トヨタ(?)が買い取ってからヘアピンとシケインの間にコーナーが出来たって記憶してる。シケインとコーナーが出来る前に練習走行に行ったことあるけど最終コーナーは度胸で回ってた記憶しかない。
昔のレーサーは パワステの技術が進化した際に「自分らの時代は終わった」と言ってたとかで新しい電子的な技術が増えるとそのぶん人間力ってのが失われてしまう気がします…だからこそ昔のレーサーもマシンもホントに凄いと言えますね今はシミュレーターで昔のレーサーやマシン凄かった!って体感出来る時代とも言えますから、彼等の活躍やマシン達は今後も語り継がれてく事でしょうね。
Bコーナー立ち上がりから全開で260Rを抜けて行く恐怖
あれから30年近く経つけど、市販車が安定して富士で300キロ出せる時代になっちゃったんですよね。 ブガッティとか。
タイムスリップ本当にして見に行きたいわリアルに見に行ってた親父が羨ましい…
今でも(コロナ渦除く)毎年秋に鈴鹿で「SUZUKA Sound of ENGINE」でCカーが走ります.400km/hというか300km/hも出てないでしょうけど・・・
当時バケモノでしたね。400キロからでも、まだ加速して行くって、言ってましたから。昔の富士は、最終コーナーを全開で立ち上がれましたからね、こんな、マシン同士でルマンで24時間バトルしてたなんて、スゴイ時代だったなぁ。
改修前の富士は、かなりスピードがのりましたね。Aコーナーに入る時は命懸けでしたね。当時、R32に乗るお医者さんが、Aコーナーで突っ込んで死にましたね。その他ヤバい話しが結構ありましたね。懐かしいです!
当時のグループCの話は「1500馬力のモンスターが、まるで死神のように手招きをしていた」って記事があるのでおすすめ
それ見ましたグループCカーの凄さと恐ろしさが伝わってくる記事ですね〜
F1ターボ時代でブーストのレギュレーションが比較的緩かった86年シーズンは予選時だと1500馬力もあったけど最高速はたいして伸び無いんでしたっけ。勿論、ギア比やセッティングもあるけどカウル形状がタイヤやコックピットをフルで覆っているCカーよりも空気の壁がF1の場合は邪魔するんですよね。それでも富士のロングストレートを剛音でブッちぎるターボ時代のF1も見てみたかったですわ。
確か当時の最速は350㎞/h位じゃなかったっけ?ベネトンB186BMWに乗ったゲルハルトベルガーがモンツァで叩き出したと記憶してる。
0km/hスタートしたとして、現代F1対決だと250km/hまでF1の勝ち、その後は余裕でCカーがぶっちぎるターボF1対決だと300km/hまでF1の勝ち、その後は余裕でCカーH2R対決だと、出だしの数十メートルだけH2Rの勝ち、後はぶっちりぎでCカーの勝ちって感じでしょうか。いろんな動画見て予想してみました。
@@ちろチロ-l1b 現代のF1にも、ターボ他が付いていますよ。
80年代後半F1ターボ時代のエンジン調べてたら、予選では燃料がガソリンですらなかったみたいですね
@@tc2488311 発がん性が高く刺激臭が強い添加物入れまくり。市販ガソリンに比べエンジン出力を40馬力上げる超スペシャルガソリンでしたから。当時リッター1万円てAS誌に書いてありました。防毒マスクみたいなのをして給油してるくらいヤバかったんでしょう
中々面白い検証デスね!富士の旧コース懐かしいです🍀改修前のオーバル有ったらもっと出ていたでしょうねー❗
アイルトンセナのコースレコードを破りこいつを周回遅れにする速さのXJR14がこわい…
昔の富士はダンロップシケインすらありませんでした。ヘアピンを立ち上がってから300Rを全開で抜けそのまま全開で最終コーナーへ、マシンは絶叫の音上げながらホームストレートへ立ち上がってきていました。高橋徹選手の事故があってからシケインが設置されました。
当時、事故現場を生で見てました🏎️
土屋圭市氏が番組の企画でこのクルマをドライブした後に長谷見氏に「風が揺れるのが見えますよ これは危ないすよ」と言っていた。
日産は2015年のルマンやWECでR92CPのようなシンプルで高性能なMRマシン作ればボロ負けする事は無かったのに勿体ない……😓
これセーフティーカー入ってる間は燃費20km/L位って聞いた事があるな、エコじゃん(燃費だけは)
長谷見さんの話しでは予選1200馬力オーバー、決勝は燃費セットで800馬力らしいです。
当時チーム監督だったR35GT-Rの開発でお馴染みの水野氏によると800ps前後にブーストを落とすとドライバビリティが良くなり安心してアクセルが踏み込める様になり、フルブースト時よりラップタイムが上がって行ったとの事です。92年シーズンの決勝では更に700ps位まで落としたらしいですがアクセスレスポンスやトルクの出方がどんどんリニアになりタイムが上がって星野氏が本当は5000~6000ccのNAエンジンじゃないのかと言う位乗りやすくて燃費の良いエンジンだったみたいですねそのリニアチャージコンセプトを市販車のR33タイプMのRB25DETに持ち込んだものの、評論家には高回転でパワーが出ないと散々な結果だったものの今のダウンサイジンクターボのはしりになった物でしたね。
「長谷見さん、お互い命があってよかったね」星野一義(談)
そのパワーを知るのは、予選担当の星野と長谷見の2人だけ!星野曰く二度と乗りたく無いそうで、予選が命懸けで、予選終了に安堵する位恐怖だったって事を何かで読みました!
この時のチーム監督はあのMr.GT-Rの水野だからね当時、世界耐久選手権の常勝マシンであったポルシェ962を過去の物にしほとんどレーシングカーと言えるポルシェ911GT2より車重が圧倒的に重かったGT-Rがそれより速いタイムを叩き出したのは本当に凄い事である零戦の堀越二郎より凄い人だったと言えると思う
電子制御や、その他のテクノロジーの発達で車の重さが昔ほど運動性能に影響せず、それを走行時の安定性のメリットの方に振り向けたと、何かの本で読んだ事があって水野さんの常識に捕らわれない発想に感心した記憶があります。
当時メインスタンドの前の金網に張り付いて観戦したことがありますが 本当に目で追えないぐらい速かったです 1,000km 耐久とかメインスタンドで午前中から見てると夕方には生ガスで中毒症状になってしまって 突然吐き気が襲って来た覚えがあります。
自動車メーカーの多い日本の中で日産は林氏、デザイナーの前澤氏、水野氏と素晴らしい方がいたんですね
林義正氏の著書は今の時代に読んでもほんまおもろい。オットーサイクルの現実を神様の造った理想のエンジンに少しでも近づけたい発想や努力、知識が素晴らしい!
速度上げてダウンフォース作らないと軽くて吹っ飛んでくお化け…
現に星野・長谷見は CP型で和田がR89の改良型で富士のストレートで宙舞っていますからね
このマシンのエンジンは林義正氏のセンスが光ったお宝。ただ車体の設計・性能には密かに不満を持っていたみたい。
シャーシに関してルマン商会→マーチ→ローラという流れでしたね。
5速~6速になっても最終コーナーでホイルスピンしてて、タイヤ痕が残ったなんて逸話もありますしね400kmは本当に出てたんだな…と思います
この車に6速は無い…
@@PTMY_998 そうでしたっけ!?勘違いすみませんヾ(・ω・`;)ノ4速~5速でしたw
@@くましゃ-g2g さん動画 5:41 あたりでも述べてますね
最終コーナで5速なら、最終コーナのボトム速度は何km/h?仮に300km/hだとして、そこから408km/h迄シフトup無しとは凄いね。
昔の富士って超高速サーキットなんて知らなかったぁ今はテクニカルといってもいいですね今もストレートは長いけど昔はもっとかぁ
最高出力は理論上1650PS出せたらしい
この頃の日産かっこよかった今はやっちゃえ日産からやっちまったな日産になってしまって…
ニスモフェスティバルで行った旧富士当時小学生ですが、微かに覚えてます。パドックへのトンネルが怖かったです。
この少し前の富士のバンクはライトが壁の方にあってそこに向かってアクセル全開にしないと曲がれないからドライバーは恐怖したという伝説を親父から聞いたことある。
割とあっさり出てびっくり最後曲がること考えないでギリギリ出るくらいかと思ってた30度バンクあるコースレイアウトならもっと余裕で出ますな
普通なら、300km/h超えたら加速が鈍ってくのに、何なのこのマシン(;・∀・)400m/h超えても、まだ余裕あるし
これで旧富士スピードウェイの30°バンク走ったら車体吹き飛ぶとかそんなレベルじゃない事故起きてたんだろうなぁ今は「人がギリギリ扱える速度と電子制御で勝負する」って時代になってる安全性をガン無視したらとんでもねえバケモン生み出せるんだろうけど
R92CPの心臓部が恐ろし過ぎる😨
今度、ポルシェ917/30Kでアタックしてみてくださいあいつも予選スペックは1500ps出てたようなので
当時を思い出して懐かしさに震えた
1200馬力で1LAPスペシャルタイヤだったから可能でしたな
ギア比の調整で410キロなんて余裕で超えてました
水野さん無双😊R35 GT-R哲学の源泉🏎️💨マシンかな⁉️。
富士スピードウェイは富士GCシリーズでの死亡事故が原因でレイアウトが変わっていったんですよね…30度バンクがあった頃なんて路面舗装も継ぎ接ぎだらけの超危険コースだったみたいだし、雨になりやすいから今のレイアウトになっても危険なイメージがあるなぁ。
旧コースのカント30°のコースを当時のカテゴリーグループ7の日産R382で走行するとバンク中程から車体のフロントカウルタイヤハウス付近に歪みが発生したようです。其くらい強烈なGが車体に加わっていた様です。まさに、グループCが廃止になり、星野さん、長谷見さんの此で、俺たち死ななくて済むなの言葉がマジであるのが納得できた。
R92CPが引退するときに星野さんと長谷見さんが「もう死ぬような思いをせずに済む…」と思ったとか
もっと楽しく感じるままに 技術の日産
昔の富士スピードウェイのコースレイアウトを初めて知りました。個人的にコチラの旧コースの方が好きかな。
2:26 ルーミアのわはー可愛いw 当時兄貴が峠で事故ってた
5:20最終コーナ3速じゃん。普通のギア比だと、ミニサーキットやジムカーナ以外は、スター以外1速は使わないが、この自動車は、1コーナやヘアピン、シケインが1速で分かるように、6速ミッションの2〜6速を使っているのと同じ。
ほんとにこの時期のCカーはいい意味でも悪い意味でも狂っていた
グループCは燃費競争の時代だったんですが…
そうそう.今の時代こそCカーのようなレギュレーションが必要だと思うんです.
ニスモに飾っていたこれのエンジンが欲しくて仕方なかったタービンもIHIのRX6でしたよね
日産ビジネスカレッジにエンジンとミッションのカットモデルありましたよ。あとエンジンにタービンとウエストゲート付いたカットモデルじゃないのも。
素晴らしい😂❤
オレのAE86は最終コーナーで5速に入れたらスピードが落ちてきたw
この時代のプロトタイプカーがレーシングカーの中で一番かっこいい。今のル・マンも技術ははるかに進歩しているけどなんであんなに不格好なのかと思う。
シケインが追加される前の富士はヘアピンカーブ越えたら1コーナーまで残りは全てストレートみたいなもの。さらに70年代後半からグランドエフェクトカー全盛期になりドライバーは恐怖心に打ち勝ってコーナーでもアクセルを開けていかないといけないという…路面は劣悪で荒れていたから事故多発という悪循環。シケインが追加されるも焼け石に水でターボ全盛期で年々性能アップ。予選用スペシャルタイヤに専用燃料まで登場し最後はほぼF1で燃費制限も撤廃。狂気の時代。
つべにあるDベルがドライブするポルシェ956による1983年富士オンボード映像は中々の狂気
このマシンでルマン(ユノディエールのシケインなし)走ったら、どんだけ最高速出るのだろうか・・・
最高速度だけなら長いストレートに特化した低ドラッグ仕様のカウルだったローラ製R89C〜90CK系列が出るかも知れません。しかしフロントのダウンフォースが92以前の追浜製以上に不足しているので「飛ぶ」可能性も有ります。公道部分が相当荒れているのでグランドエフェクトカーといえども姿勢を崩すとフワリと飛翔。
450以上は出てたかもしれないけどその前にクラッシュしてそうだね
@@佐藤りょうすけ-d6j 無理
@@金澤華 ベンツが後方2回宙返り1回ひねり決めましたね。wwwって笑い事じゃなかった。
懐かしいコースレイアウト!そう考えると1971年にPorscheがLe Mansで397㎞出したのはすごいレベルは違うけど6速MTから5速に乗り替えると5速からシフトアップしようとしてしまう
ウイングカーで、速度が高い方がダウンフォースを得られるから、怖いけど踏むしかないんでしたっけ。
水野氏の後日談で、実際は約720馬力だったってwikiで見たけど、実馬力は結局どんぐらいなんだろ❓️🙄まぁ720馬力でもバケモンに変わらないか…💦
ここまで来るとサルテサーキットのユノディエールでどこまで速度が出るのか気になりますね…。
グループCレースはチケットが高かった。だから地元民の僕らはいけないんだけど💦トランクに二人入ったりしてました。冨士霊園から歩いて入る奴もいた。「お前達蜘蛛の巣だらけだゾ!」そうまでしても見たかったー。
92CPでユノディエールをどのくらい出るのかやってもらえませんか?
うる覚えですが、旧富士コースで長谷見さんがCP92のテストで1分10秒を出したとか。非公式&伝説なので本当かどうかは定かではありません。
訂正CP92→R92CP
次のおすすめ動画に土屋さんがR92CPのアタック動画が出てきてて草そんなマシン乗りながらも喋れるドリキンがちょっとおかしい所もあったけどマシン自体がだいぶいかれとるww
実際のレース見たかったなぁ
これとフィットが戦っていたのか…
30度バンクを使わない旧コースなら 最も速く走れたのはM・アンドレッティさ 76年F1で優勝したがその時初めて インデイのオーバルコース経験者の速さがわかった 左回りで走れば アンドレッテイなら500Km出せた?かも?エルマノ・ロドリゲスがそれを証明している俺が中学生?のころだったが 左回りでの富士 まさしくインディだった鈴鹿とてシケインの無い時代のF2 速かったものね最も速かったのが・・・J・ラフィー シェブロンB40 BMW M12?だったか?俺は観ていた最終コーナー ラフィーのマシンだけは三輪走行だった 凄かったぞ
コレがユノディエールで最高速どこまで出るのか気になってしまいましたw
どうせならifの話として、30度バンクも見てみたい
日本独自カテゴリーでGCを復活すれば良い
こんなモンスターでもルマンで勝て無かったと言うね。 この時代に限らずポルシェ強すぎ(+_+)
PPは取れたんですけど…トラブルに泣きましたねー(^^;)
@Y.Gonza そうだったの!勘違いしてた
ポルシェ962Cに第一線の戦闘力が有ったのは87年まで。排気量を上げた最終改良時はかなり無理をしていた。肝心の日産ワークスは90年はマシンが未成熟かつ参戦チームを日欧米にサテライトまで増やして物量作戦のつもりが制御出来ず最後は仲違いする始末。例のPPタイムも故障により過給圧が制御出来ていなかった故という。91年は出たとしても移行期間なので旧規定車両には重量ハンデが効いていた。旧規定に属するターボカーでは善戦は難しい。現にジャガーは前年優勝時の輝きは無く、ポルシェは隠れワークスやプライベートもボロボロ。若造組はヤンチャして大きく出遅れたしベテラン組メルセデスはオーバーヒートで息絶える。余裕で優勝した92年デイトナですらオーバーヒートする兆候があったR91だから、仮に出場してメルセデスC11と競り合った場合はオーバーヒートで共倒れしていた可能性が高い。結局は主催者ACOに積極的なロビー活動して有利な条件を手に入れていた“あのチーム”が勝っていただろう。
星野氏の公式記録として380キロ弱出てたので、似たような加速だったのでしょう、、1速170キロって何ですか?w
6分40秒のところの曲なんていう曲なんですか?
排気量が2000cc 少なくて同等のパワーのF1エンジンの凄さを改めて感じる。
200Km程度の1レースで寿命を迎えるスプリント用とは用途が違うから比較はナンセンス
@@金澤華 F1決勝の走行距離は、300km以上、又は2時間と決まっているんだよ。
この動画の日産VRH35Zなど耐久レース用エンジンは、1レースあたり500kmから1000kmを数レース走り、デイトナ24時間では4300km、ルマン24時間では5000km以上走ります。ホンダRA166Eなど1980年代のF1エンジンは1.5リッターターボで予選1500馬力でしたが、予選での寿命は80km程度、決勝では350kmから400km程度であり、予選と決勝でエンジンを使い捨てていました。何故か昔から日産系もプリンス系もフォーミュラカーにはほとんど興味を示してなくて(エンジン供給は何度かしてますが)、最近のフォーミュラE参戦は地味に歴史的変化なのかもしれません。あと水野和敏氏による車体設計、林義正氏によるVRH35Zエンジン、日産宇宙航空事業部が車体製作を担当した純国産車であり、ドライバーもチームもほぼ日本人のみで構成されている点が大きいでしょうね。歴史を繙くならば、1970年代初頭の北米のサーキットで、L型4気筒1.6リッター・ターンフローSOHCのL16エンジンのダットサン510ブルーバードが、2リッター・クロスフローSOHCのM10エンジンのBMW2002を撃破してますが(ツインカムのアルファロメオ1750GTVも撃破)、M10エンジンは1980年代F1の1.5リッターターボ時代に何度も勝利を挙げているM12エンジンのベースですから、ちゃんと(間接的に)勝ってますね。
@@rockskylark9972 安心しました。F1決勝の走行距離が、セミ耐久に近いのは解ったようですね。
@@yamato3228 どうでしょう、「F1決勝の走行距離が、セミ耐久に近い」では全く足りてないような気もするのですが。まだ安心しないほうがいいかもしれませんね。
ル・マンでの成績は?と思ってググったら国際的には登場する2年前にカテゴリー無くなってたのね。
この時代のマシン達からは、汗と、そして血の臭いを感じるのは私だけでしょうか。もちろん大好きなのですが、個人的にはこの流れを受け継ぎ、多少はドライバーに寄り添う形となった90年代後半のマシン達が好きです。F50GT、911GT1、F1 GTR long tail、あげたらキリがありません。国産マシンだと、TOYOTAの霜降君やNISSANのR390なども海外マシンに負けない美しくカッコいいデザインで好きです。私のナンバーワンはCLK-GTRのオリジナルタイレ。あれはエロすぎた。
日産のR390は97年の黒赤カラーが今見てもカッコ良い!
軽自動車に1500馬力( ๐_๐)すげ👏✨
面白かったです^^。もう亡くなった知り合いが、ガレージに89だか90だか91だか持ってましたね。何での追浜から緊急の仕事が来て、見返りに何が欲しいと聞かれて「これくれ」って言ったとかw。まぁ書類上は存在しな車両扱いみたいです。確かインパネには外されたスイッチ穴があっれ「エアコン」って書いてあった記憶があります(英語だったかな?)。
ウイングカーでスピンすると、浮き上がるのはこの頃の車ですか?
そうです。実際のこのマシンは富士の1コーナーでスピンし、そのまま宙を舞って何回転もしています。
@@wishyourhappiness39 空力尖りまくってた時代ですね
シミュレーターやゲームでもサウンドの再現性を気にしてしまいますが、車外視点はともかく車内のサウンドが酷いですよね。動画の検証内容と関係がなくすみません…
この狂気の時代が有ったから車の技術が劇的に進化したのは事実。見てる側は面白かったがドライバーは生きた心地しなかっただろうな。
Le Mansで走らせて最高速してくださいよー!w
この子をル・マンのユノディエールに連れてって欲しいっす
これなんてシミュレーターですか?
王者ポルシェがジャガー、ベンツやニッサン、トヨタ、マツダと個性的なマシンを生み出した。F-1に負けない面白さがあったグループC時代。個人的にはF-1よりも好きなカテゴリーでした。
NISMOの難波社長でさえ「あんなスピードで走るマシンの中に人間がいるのか」と驚いたくらい
当時、富士のオフィシャルやっていて、1コーナーで旗降っていたよ。
とにかくこの車、音より早く来るもんだから、ぼやぼやしてるといつの間にか目の前を通過しているって感じでした。
最終コーナーは排気音を聞いていると、全開でしたよ。
音より早く来るとは?どんな現象なのか気になります。音速は1200km/h位だと思うので、普通に考えると音より先に車体が来るのは不思議です。
車が見えてもエンジン音が聞こえない感じです。
衝撃波はしなかったので、音速を超えている訳ではないと思います。
音より早いというのは言い過ぎですねww
@@yukihiromitsuhashi7267 比喩表現でしょ
@@yukihiromitsuhashi7267
クッソつまんねー奴ってよく言われない?^^
@@yuu7676 富士の地形等による独特の現象があるのかと思ってました。そのスピードの為に他の車とは現車と音のタイミングが違うって事ですね!
まさに当時の富士のストレートでR92CPをリアルで見ていた。
特に予選はメインスタンドでも目が追い付かないほど速かった。
あと、当時自分もスポーツ走行枠で走っていたが、ダンロップコーナーはBコーナーと呼ばれていて、立ち上がりからアクセル全開で恐怖の260Rだった。
VRH35Z設計者の林教授から頂いた「勉強しなくていいから感性を磨け」というお言葉 今も常に意識しながら仕事してます。
グループCが終了した際、星野さん・長谷見さんは
これで死ぬことが無い、と胸をなでおろしたとか。
この動画を見た後では、さもありなん。ですね。
ニスモフェスティバルのトークショーで当時の日産ワークスドライバー星野一義選手と長谷見昌弘選手がこのマシンの予選アタックの怖さを語っていたのを覚えています!!富士スピードウェイのストレートスピードの速さは半端なくて迫力あったので当時観戦出来て良かったです!!👍😊
カテゴリー撤退した時に、あぁ、これで死ななくて済むんだな!と思った。てやつかな?(笑)
@@狂介-k4d レース後は二人顔を合わせて「良かったな、今日も生きて帰ってこれたな」って言いあう程だったらしいですね笑
@@3プッシュ
そうなりますよね(笑)
ドリキンでさえビビって踏めなかったみたいだし。
つか富士のストレートで長谷見さんが飛んだ時はゾッとしたわ。恐ろしすぎる
観れたのか~、イイなぁ……(T0T)
@@狂介-k4d さん仰る通りです!!😊
グループCが無くなった時の星野さんと長谷見さんが言ったセリフが「俺達死なずにすんだ」ですからね。
長谷見さんの場合、富士でR91CPの前左タイヤがいきなりバーストしてスピンし、
グラウンドエフェクト効果が裏返って浮き上がってクラッシュしたという事実があるので………。(付近に居たトヨタ側がそれを察知し急ブレーキし、スピンしながらも停止し事故を回避してました)
(星野さんももちろん知ってるのでそういうのを含めて俺達死なずに済んだと言えたのでしょうね………。
(ただR91CPは当時最新鋭のカーボンモノコック構造だった故に助かったというのもあるので……))
雨降ったらGTRのが速かった。
今のGTの300と500は見てても面白くないが、当時gr.cとaの1クラスで混走セミ耐久やって欲しかった。
32gtrはドライでも2cと同等のタイムで走ってたし2クラスのM3より遅いIMSA GTXクラスの
RX7や310サニーがcカーと混走は
かなりの速度差で危険だった。
燃費のみの規制(細かいルールは別として)だったのでメーカーのイメージ等各メーカーが考えるやり方で車両を制作していたのが面白かったカテゴリーでしたね。
天才、長谷見昌弘さんも予選フルアタックで生きた心地しなかった、と仰ってましたね。
JSPCで常にポールポジション争いしていた、同僚星野和義さんと2人で予選終わる度に「生きてて良かった。」と言い合っていたとか。
予選スペシャルエンジンに、予選用タイヤ、ワンラップスペシャルがワークスには当たり前の時代。
見てる方はワクワクでしたが、ドライバーは常にこういうモンスターマシンと命削って格闘してた時代。
旧富士のストレート、ブレーキングポイント到達時でも余裕でまだまだ加速状態だったと長谷見昌弘さん仰ってましたから、このシュミレート、かなり現実性高いですね。
この時代の目撃者からすると、現在のモータースポーツにはあまり魅力感じませんね…
もう一度このグループC復活しないかな…
熱かったよな…ワークスもプライベーターも。
星野さんが日本一速い男になった理由のうちに
日本一速い車に乗せられた男である事も含まれそうですな
高校時代に日産ファンの友人が「日産が本気になればF1でもHONDAの10倍強い」と毎日力説してたのが
F1ファンの自分にとってはくっそうぜーと感じていましたが、そう言いたくなる気持ちも解る
グループC時代が一番好きだった、今のクルマはデザインが画一的だし当時より最高速が出ないせいか迫力に欠ける...まあ加速はずば抜けてるからそこは良いが
ユノディエールで確か星野さんが「目一杯に首を振っても疾走するマシンを目で捕らえられない。あんなのに乗っているかと思ったら背筋が寒くなった」てな話をしてましたな…
星野さんは毎回乗るときに気合を入れないとやってられなかった、と言ってましたね。また、雨が降ると温度差で窓が曇り、ホームストレートの度に孫の手のようなものの先にタオルをつけたもので手作業で窓を拭きながら走っていたらしいです。
メカニックには再三 もうパワーはいらないと言っていたとか。狂気以外の何物でもないですね...
長谷見昌弘氏がラストランの時に【最期だからフルパワーで走らせてみようよ】ということで走らせたら400km出たっていう何かのインタビューで言ってたような…
いくらでも雑誌等で資料が出てくるから、興味のある人はちゃんと調べてほしいが、
日産のR9○シリーズで最も馬力を出していたのは、動画で使われたモデリングのR91CP。
R92CPでは、扱いやすくする方がラップタイムの向上になるので、
予選でも1000馬力まで出してない。
(だいたい850馬力ぐらいまでだったようだ)
実戦においては予選であってもフルブーストまでかけるような事もなく、
千数百馬力overでの400km伝説はあくまでテスト走行での話。
(それでも余力を残して1000馬力とか軽く出るので、R91CPでは予選時には1000馬力出してたようだが)
決勝中は600馬力~700馬力程度で走行するのがほとんど。
グループCマシンの最高速が凄い理由の一つとして、動画内でも触れられているように、
燃料の消費規制があるため、ダウンフォース発生量に対して空気抵抗が物凄く小さい事が挙げられる。
80年代のターボ時代F1は、これまた計測器が存在しないため、ブースト圧からの推定値ではあるが、
1.5Lのエンジンで1200馬力~1500馬力を搾り出している。
ただし、タイヤはむき出し、ダウンフォースのために巨大なウィング、と空気抵抗の塊であるため、
超高速コースでも400km/hには届いていない。また、燃費はとんでもなく悪い。
コレをデチューンして市販化しようとしてた当時の日産が凄いわ。
とち狂ってる
やっちゃえNISSAN
1990年代までRRCという団体があり、招待されたアメリカのチームがFISCOで実際に400km/hオーバーを記録していました。
光電管を使用した精密な測定で、旧コントロールタワー前で停止状態からスタートし、ピット出口手前のスタートシグナル・ブリッジ付近で軽く400km/hを越えていました。
それでも彼らにとっては無難に流した程度だったようです。
ファニーカーでもタイヤ温めるのに踏み過ぎたら200メートルくらいまで行ってましたね
スタート脇の芝生に座って見てましたが、顔の皮膚まで震える凄まじいエンジンですよ
凄いスペックですね それこそ人間力!が試されるマシンだったのですね!
電子制御では無い究極マシンを人間が操る
凄い時代ですね、マシンもドライバーもとにかく凄い!
これ、当時のピットレーンで見たことが有る。
ストレートを駆け抜けて行く音が印象に残っている。
良い音では無く、雷が落ちた様なバリバリと云った感じだった。
テスト走行だったけど、もの凄いパワーを発散しているのが判ったな。
グループCカー耐久レース大好きでした。
最終コーナーからのストレートの速さったら!メインストレート横で見てるとあまりの速さに車を追っかけるのが追いつかないほどでした。
おまけ)メインスタンド裏で売ってたソーセージ焼きそば懐かしいです
レース終了後は100円でした.
1980年代は化け物のような車もドライバーも多くいた。その関係で市販車も公表馬力は280馬力止まりでも実際は300馬力以上出しそうなエンジンをデチューンしたり、運動性能が高いことで馬力を目立たなくしていた時代。足回りやギヤは今の方がいいけど、エンジンの馬力とトルクは尋常じゃなかった。安全装置も今ほど優秀じゃなかったし、一歩間違えれば車が飛んでたしな!富士は事故があったから最終コーナーにシケインが出来て、トヨタ(?)が買い取ってからヘアピンとシケインの間にコーナーが出来たって記憶してる。シケインとコーナーが出来る前に練習走行に行ったことあるけど最終コーナーは度胸で回ってた記憶しかない。
昔のレーサーは パワステの技術が進化した際に「自分らの時代は終わった」と言ってたとかで
新しい電子的な技術が増えるとそのぶん人間力ってのが失われてしまう気がします…
だからこそ昔のレーサーもマシンもホントに凄いと言えますね
今はシミュレーターで昔のレーサーやマシン凄かった!って体感出来る時代とも言えますから、彼等の活躍やマシン達は今後も語り継がれてく事でしょうね。
Bコーナー立ち上がりから全開で260Rを抜けて行く恐怖
あれから30年近く経つけど、市販車が安定して富士で300キロ出せる時代になっちゃったんですよね。 ブガッティとか。
タイムスリップ本当にして見に行きたいわ
リアルに見に行ってた親父が羨ましい…
今でも(コロナ渦除く)毎年秋に鈴鹿で「SUZUKA Sound of ENGINE」でCカーが走ります.400km/hというか300km/hも出てないでしょうけど・・・
当時バケモノでしたね。
400キロからでも、まだ加速して行くって、言ってましたから。
昔の富士は、最終コーナーを全開で立ち上がれましたからね、
こんな、マシン同士でルマンで24時間バトルしてたなんて、スゴイ時代だったなぁ。
改修前の富士は、かなりスピードがのりましたね。Aコーナーに入る時は命懸けでしたね。当時、R32に乗るお医者さんが、Aコーナーで突っ込んで死にましたね。その他ヤバい話しが結構ありましたね。懐かしいです!
当時のグループCの話は「1500馬力のモンスターが、まるで死神のように手招きをしていた」って記事があるのでおすすめ
それ見ました
グループCカーの凄さと恐ろしさが伝わってくる記事ですね〜
F1ターボ時代でブーストのレギュレーションが比較的緩かった86年シーズンは
予選時だと1500馬力もあったけど最高速はたいして伸び無いんでしたっけ。
勿論、ギア比やセッティングもあるけどカウル形状がタイヤやコックピットを
フルで覆っているCカーよりも空気の壁がF1の場合は邪魔するんですよね。
それでも富士のロングストレートを剛音でブッちぎるターボ時代のF1も見てみたかったですわ。
確か当時の最速は350㎞/h位じゃなかったっけ?ベネトンB186BMWに乗ったゲルハルトベルガーがモンツァで叩き出したと記憶してる。
0km/hスタートしたとして、
現代F1対決だと250km/hまでF1の勝ち、その後は余裕でCカーがぶっちぎる
ターボF1対決だと300km/hまでF1の勝ち、その後は余裕でCカー
H2R対決だと、出だしの数十メートルだけH2Rの勝ち、後はぶっちりぎでCカーの勝ちって感じでしょうか。
いろんな動画見て予想してみました。
@@ちろチロ-l1b
現代のF1にも、ターボ他が付いていますよ。
80年代後半F1ターボ時代のエンジン調べてたら、予選では燃料がガソリンですらなかったみたいですね
@@tc2488311 発がん性が高く刺激臭が強い添加物入れまくり。市販ガソリンに比べエンジン出力を40馬力上げる超スペシャルガソリンでしたから。
当時リッター1万円てAS誌に書いてありました。防毒マスクみたいなのをして給油してるくらいヤバかったんでしょう
中々面白い検証デスね!富士の旧コース懐かしいです🍀改修前のオーバル有ったらもっと出ていたでしょうねー❗
アイルトンセナのコースレコードを破りこいつを周回遅れにする速さのXJR14がこわい…
昔の富士はダンロップシケインすらありませんでした。ヘアピンを立ち上がってから300Rを全開で抜けそのまま全開で最終コーナーへ、
マシンは絶叫の音上げながらホームストレートへ立ち上がってきていました。
高橋徹選手の事故があってからシケインが設置されました。
当時、事故現場を生で見てました🏎️
土屋圭市氏が番組の企画でこのクルマをドライブした後に長谷見氏に「風が揺れるのが見えますよ これは危ないすよ」と言っていた。
日産は2015年のルマンやWECでR92CPのようなシンプルで高性能なMRマシン作ればボロ負けする事は無かったのに勿体ない……😓
これセーフティーカー入ってる間は燃費20km/L位って聞いた事があるな、エコじゃん(燃費だけは)
長谷見さんの話しでは予選1200馬力オーバー、決勝は燃費セットで800馬力らしいです。
当時チーム監督だったR35GT-Rの開発でお馴染みの水野氏によると
800ps前後にブーストを落とすとドライバビリティが良くなり
安心してアクセルが踏み込める様になり、フルブースト時より
ラップタイムが上がって行ったとの事です。
92年シーズンの決勝では更に700ps位まで落としたらしいですが
アクセスレスポンスやトルクの出方がどんどんリニアになりタイムが上がって
星野氏が本当は5000~6000ccのNAエンジンじゃないのかと言う位
乗りやすくて燃費の良いエンジンだったみたいですね
そのリニアチャージコンセプトを市販車のR33タイプMのRB25DETに
持ち込んだものの、評論家には高回転でパワーが出ないと散々な結果だったものの
今のダウンサイジンクターボのはしりになった物でしたね。
「長谷見さん、お互い命があってよかったね」星野一義(談)
そのパワーを知るのは、予選担当の星野と長谷見の2人だけ!
星野曰く二度と乗りたく無いそうで、予選が命懸けで、予選終了に安堵する位恐怖だったって事を何かで読みました!
この時のチーム監督はあのMr.GT-Rの水野だからね
当時、世界耐久選手権の常勝マシンであったポルシェ962を過去の物にし
ほとんどレーシングカーと言えるポルシェ911GT2より車重が圧倒的に重かったGT-Rがそれより速いタイムを叩き出したのは本当に凄い事である
零戦の堀越二郎より凄い人だったと言えると思う
電子制御や、その他のテクノロジーの発達で車の重さが昔ほど運動性能に影響せず、それを走行時の安定性のメリットの方に振り向けたと、何かの本で読んだ事があって水野さんの常識に捕らわれない発想に感心した記憶があります。
当時メインスタンドの前の金網に張り付いて観戦したことがありますが 本当に目で追えないぐらい速かったです 1,000km 耐久とかメインスタンドで午前中から見てると夕方には生ガスで中毒症状になってしまって 突然吐き気が襲って来た覚えがあります。
自動車メーカーの多い日本の中で日産は林氏、デザイナーの前澤氏、水野氏と素晴らしい方がいたんですね
林義正氏の著書は今の時代に読んでもほんまおもろい。オットーサイクルの現実を神様の造った理想のエンジンに少しでも近づけたい発想や努力、知識が素晴らしい!
速度上げてダウンフォース作らないと軽くて吹っ飛んでくお化け…
現に星野・長谷見は CP型で和田がR89の改良型で富士のストレートで宙舞っていますからね
このマシンのエンジンは林義正氏のセンスが光ったお宝。ただ車体の設計・性能には密かに不満を持っていたみたい。
シャーシに関してルマン商会→マーチ→ローラという流れでしたね。
5速~6速になっても最終コーナーでホイルスピンしてて、タイヤ痕が残ったなんて逸話もありますしね
400kmは本当に出てたんだな…と思います
この車に6速は無い…
@@PTMY_998
そうでしたっけ!?
勘違いすみませんヾ(・ω・`;)ノ
4速~5速でしたw
@@くましゃ-g2g さん
動画 5:41 あたりでも述べてますね
最終コーナで5速なら、最終コーナのボトム速度は何km/h?
仮に300km/hだとして、そこから408km/h迄シフトup無しとは凄いね。
昔の富士って超高速サーキットなんて知らなかったぁ今はテクニカルといってもいいですね
今もストレートは長いけど昔はもっとかぁ
最高出力は理論上1650PS出せたらしい
この頃の日産かっこよかった
今はやっちゃえ日産からやっちまったな日産になってしまって…
ニスモフェスティバルで行った旧富士
当時小学生ですが、微かに覚えてます。
パドックへのトンネルが怖かったです。
この少し前の富士のバンクはライトが壁の方にあってそこに向かってアクセル全開にしないと曲がれないからドライバーは恐怖したという伝説を親父から聞いたことある。
割とあっさり出てびっくり
最後曲がること考えないでギリギリ出るくらいかと思ってた
30度バンクあるコースレイアウトならもっと余裕で出ますな
普通なら、300km/h超えたら加速が鈍ってくのに、何なのこのマシン(;・∀・)
400m/h超えても、まだ余裕あるし
これで旧富士スピードウェイの30°バンク走ったら車体吹き飛ぶとかそんなレベルじゃない事故起きてたんだろうなぁ
今は「人がギリギリ扱える速度と電子制御で勝負する」って時代になってる
安全性をガン無視したらとんでもねえバケモン生み出せるんだろうけど
R92CPの心臓部が恐ろし過ぎる😨
今度、ポルシェ917/30Kでアタックしてみてください
あいつも予選スペックは1500ps出てたようなので
当時を思い出して懐かしさに震えた
1200馬力で1LAPスペシャルタイヤだったから可能でしたな
ギア比の調整で410キロなんて余裕で超えてました
水野さん無双😊
R35 GT-R哲学の源泉🏎️💨マシンかな⁉️。
富士スピードウェイは富士GCシリーズでの死亡事故が原因でレイアウトが変わっていったんですよね…30度バンクがあった頃なんて路面舗装も継ぎ接ぎだらけの超危険コースだったみたいだし、雨になりやすいから今のレイアウトになっても危険なイメージがあるなぁ。
旧コースのカント30°のコースを当時のカテゴリーグループ7の日産R382で走行するとバンク中程から車体のフロントカウルタイヤハウス付近に歪みが発生したようです。其くらい強烈なGが車体に加わっていた様です。まさに、グループCが廃止になり、星野さん、長谷見さんの此で、俺たち死ななくて済むなの言葉がマジであるのが納得できた。
R92CPが引退するときに星野さんと長谷見さんが「もう死ぬような思いをせずに済む…」と思ったとか
もっと楽しく感じるままに 技術の日産
昔の富士スピードウェイのコースレイアウトを初めて知りました。個人的にコチラの旧コースの方が好きかな。
2:26 ルーミアのわはー可愛いw 当時兄貴が峠で事故ってた
5:20最終コーナ3速じゃん。
普通のギア比だと、ミニサーキットやジムカーナ以外は、スター以外1速は使わないが、この自動車は、1コーナやヘアピン、シケインが1速で分かるように、6速ミッションの2〜6速を使っているのと同じ。
ほんとにこの時期のCカーはいい意味でも悪い意味でも狂っていた
グループCは燃費競争の時代だったんですが…
そうそう.今の時代こそCカーのようなレギュレーションが必要だと思うんです.
ニスモに飾っていたこれのエンジンが欲しくて仕方なかった
タービンもIHIのRX6でしたよね
日産ビジネスカレッジにエンジンとミッションのカットモデルありましたよ。
あとエンジンにタービンとウエストゲート付いたカットモデルじゃないのも。
素晴らしい😂❤
オレのAE86は最終コーナーで5速に入れたらスピードが落ちてきたw
この時代のプロトタイプカーがレーシングカーの中で一番かっこいい。今のル・マンも技術ははるかに進歩しているけどなんであんなに不格好なのかと思う。
シケインが追加される前の富士はヘアピンカーブ越えたら1コーナーまで残りは全てストレートみたいなもの。
さらに70年代後半からグランドエフェクトカー全盛期になりドライバーは恐怖心に打ち勝ってコーナーでもアクセルを開けていかないといけないという…
路面は劣悪で荒れていたから事故多発という悪循環。
シケインが追加されるも焼け石に水でターボ全盛期で年々性能アップ。予選用スペシャルタイヤに専用燃料まで登場し最後はほぼF1で燃費制限も撤廃。
狂気の時代。
つべにあるDベルがドライブするポルシェ956による1983年富士オンボード映像は中々の狂気
このマシンでルマン(ユノディエールのシケインなし)走ったら、どんだけ最高速出るのだろうか・・・
最高速度だけなら長いストレートに特化した低ドラッグ仕様のカウルだったローラ製R89C〜90CK系列が出るかも知れません。
しかしフロントのダウンフォースが92以前の追浜製以上に不足しているので「飛ぶ」可能性も有ります。
公道部分が相当荒れているのでグランドエフェクトカーといえども姿勢を崩すとフワリと飛翔。
450以上は出てたかもしれないけどその前にクラッシュしてそうだね
@@佐藤りょうすけ-d6j
無理
@@金澤華
ベンツが後方2回宙返り1回ひねり決めましたね。www
って笑い事じゃなかった。
懐かしいコースレイアウト!
そう考えると1971年にPorscheがLe Mansで397㎞出したのはすごい
レベルは違うけど6速MTから5速に乗り替えると
5速からシフトアップしようとしてしまう
ウイングカーで、速度が高い方がダウンフォースを得られるから、怖いけど踏むしかないんでしたっけ。
水野氏の後日談で、実際は約720馬力だったってwikiで見たけど、実馬力は結局どんぐらいなんだろ❓️🙄
まぁ720馬力でもバケモンに変わらないか…💦
ここまで来るとサルテサーキットのユノディエールでどこまで速度が出るのか気になりますね…。
グループCレースはチケットが高かった。だから地元民の僕らはいけないんだけど💦トランクに二人入ったりしてました。冨士霊園から歩いて入る奴もいた。「お前達蜘蛛の巣だらけだゾ!」そうまでしても見たかったー。
92CPでユノディエールをどのくらい出るのかやってもらえませんか?
うる覚えですが、
旧富士コースで長谷見さんがCP92のテストで1分10秒を出したとか。
非公式&伝説なので本当かどうかは定かではありません。
訂正CP92→R92CP
次のおすすめ動画に土屋さんがR92CPのアタック動画が出てきてて草
そんなマシン乗りながらも喋れるドリキンがちょっとおかしい所もあったけど
マシン自体がだいぶいかれとるww
実際のレース見たかったなぁ
これとフィットが戦っていたのか…
30度バンクを使わない旧コースなら 最も速く走れたのは
M・アンドレッティさ 76年F1で優勝したが
その時初めて インデイのオーバルコース経験者の速さが
わかった 左回りで走れば アンドレッテイなら
500Km出せた?かも?エルマノ・ロドリゲスがそれを証明している
俺が中学生?のころだったが 左回りでの富士 まさしくインディだった
鈴鹿とてシケインの無い時代のF2 速かったものね
最も速かったのが・・・J・ラフィー シェブロンB40 BMW M12?だったか?
俺は観ていた最終コーナー ラフィーのマシンだけは
三輪走行だった 凄かったぞ
コレがユノディエールで最高速どこまで出るのか気になってしまいましたw
どうせならifの話として、30度バンクも見てみたい
日本独自カテゴリーでGCを復活すれば良い
こんなモンスターでもルマンで勝て無かったと言うね。
この時代に限らずポルシェ強すぎ(+_+)
PPは取れたんですけど…トラブルに泣きましたねー(^^;)
@Y.Gonza そうだったの!勘違いしてた
ポルシェ962Cに第一線の戦闘力が有ったのは87年まで。
排気量を上げた最終改良時はかなり無理をしていた。
肝心の日産ワークスは90年はマシンが未成熟かつ参戦チームを日欧米にサテライトまで増やして物量作戦のつもりが制御出来ず最後は仲違いする始末。
例のPPタイムも故障により過給圧が制御出来ていなかった故という。
91年は出たとしても移行期間なので旧規定車両には重量ハンデが効いていた。旧規定に属するターボカーでは善戦は難しい。
現にジャガーは前年優勝時の輝きは無く、ポルシェは隠れワークスやプライベートもボロボロ。若造組はヤンチャして大きく出遅れたしベテラン組メルセデスはオーバーヒートで息絶える。
余裕で優勝した92年デイトナですらオーバーヒートする兆候があったR91だから、仮に出場してメルセデスC11と競り合った場合はオーバーヒートで共倒れしていた可能性が高い。
結局は主催者ACOに積極的なロビー活動して有利な条件を手に入れていた“あのチーム”が勝っていただろう。
星野氏の公式記録として380キロ弱出てたので、似たような加速だったのでしょう、、
1速170キロって何ですか?w
6分40秒のところの曲なんていう曲なんですか?
排気量が2000cc 少なくて同等のパワーのF1エンジンの凄さを改めて感じる。
200Km程度の1レースで寿命を迎えるスプリント用とは用途が違うから比較はナンセンス
@@金澤華
F1決勝の走行距離は、300km以上、又は2時間と決まっているんだよ。
この動画の日産VRH35Zなど耐久レース用エンジンは、1レースあたり500kmから1000kmを数レース走り、デイトナ24時間では4300km、ルマン24時間では5000km以上走ります。
ホンダRA166Eなど1980年代のF1エンジンは1.5リッターターボで予選1500馬力でしたが、予選での寿命は80km程度、決勝では350kmから400km程度であり、予選と決勝でエンジンを使い捨てていました。
何故か昔から日産系もプリンス系もフォーミュラカーにはほとんど興味を示してなくて(エンジン供給は何度かしてますが)、最近のフォーミュラE参戦は地味に歴史的変化なのかもしれません。
あと水野和敏氏による車体設計、林義正氏によるVRH35Zエンジン、日産宇宙航空事業部が車体製作を担当した純国産車であり、ドライバーもチームもほぼ日本人のみで構成されている点が大きいでしょうね。
歴史を繙くならば、1970年代初頭の北米のサーキットで、L型4気筒1.6リッター・ターンフローSOHCのL16エンジンのダットサン510ブルーバードが、2リッター・クロスフローSOHCのM10エンジンのBMW2002を撃破してますが(ツインカムのアルファロメオ1750GTVも撃破)、M10エンジンは1980年代F1の1.5リッターターボ時代に何度も勝利を挙げているM12エンジンのベースですから、ちゃんと(間接的に)勝ってますね。
@@rockskylark9972
安心しました。
F1決勝の走行距離が、セミ耐久に近いのは解ったようですね。
@@yamato3228 どうでしょう、「F1決勝の走行距離が、セミ耐久に近い」では全く足りてないような気もするのですが。まだ安心しないほうがいいかもしれませんね。
ル・マンでの成績は?と思ってググったら国際的には登場する2年前にカテゴリー無くなってたのね。
この時代のマシン達からは、汗と、そして血の臭いを感じるのは私だけでしょうか。もちろん大好きなのですが、個人的にはこの流れを受け継ぎ、多少はドライバーに寄り添う形となった90年代後半のマシン達が好きです。F50GT、911GT1、F1 GTR long tail、あげたらキリがありません。
国産マシンだと、TOYOTAの霜降君やNISSANのR390なども海外マシンに負けない美しくカッコいいデザインで好きです。
私のナンバーワンはCLK-GTRのオリジナルタイレ。
あれはエロすぎた。
日産のR390は97年の黒赤カラーが今見てもカッコ良い!
軽自動車に1500馬力( ๐_๐)
すげ👏✨
面白かったです^^。もう亡くなった知り合いが、ガレージに89だか90だか91だか持ってましたね。何での追浜から緊急の仕事が来て、見返りに何が欲しいと聞かれて「これくれ」って言ったとかw。まぁ書類上は存在しな車両扱いみたいです。確かインパネには外されたスイッチ穴があっれ「エアコン」って書いてあった記憶があります(英語だったかな?)。
ウイングカーでスピンすると、浮き上がるのは
この頃の車ですか?
そうです。
実際のこのマシンは富士の1コーナーでスピンし、そのまま宙を舞って何回転もしています。
@@wishyourhappiness39
空力尖りまくってた時代ですね
シミュレーターやゲームでもサウンドの再現性を気にしてしまいますが、車外視点はともかく車内のサウンドが酷いですよね。動画の検証内容と関係がなくすみません…
この狂気の時代が有ったから車の技術が劇的に進化したのは事実。
見てる側は面白かったがドライバーは生きた心地しなかっただろうな。
Le Mansで走らせて最高速してくださいよー!w
この子をル・マンのユノディエールに連れてって欲しいっす
これなんてシミュレーターですか?