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懐かしい。本線を80km以上で激走した時の叫ぶような音が忘れられません。
懐かしい😊UPありがとうございます😊
京急500系車両のつりかけ式モーター音と京浜蒲田駅の第一京浜の踏切の音も懐かしいです。🚃
たった一度しか乗ってないのに、この吊りかけの強烈な印象だけ覚えてる
元々はセミクロスシート搭載の優等列車でしたね。バイキング特急時代が華やかでした。
500形…京急本線と逗子線用の急行もありましたね
引退直前に空港線に乗りに行きました。まだ京浜蒲田が地上ホームで第一京浜に踏切所がありました。空港線も現在とは違い空港アクセスとは程遠い路線で当時の羽田空港駅は現在の天空橋駅です。物凄く小さい駅だった印象です。
400型も同時に走っていましたよね。(初代の600)両方とも外見の改造を沢山したので、面白いです。しかもあのバイクみたいな音~~!
京急釣りかけ車は150kwモーターを(カルダン車の時代にもかかわらず)わざわざ新しく作り替えたり、全電動車編成にするために在来車間と機器のタライ回しを繰り返したりで長期延命を前提かと見えたような大掛かりな改造、更新工事したものの性能的には京急の輸送条件の変化に対応しきれず結局は短命でした。500形は戦後の京急で最も長年活躍した車両でもあります。
地元が京急沿線なのですが、500形に乗った記憶はないです…。でもこの吊りかけ駆動の音声聞いていると子供の頃乗った東武佐野線(当時は葛生線って呼ばれてました)思い出しました。ジョイント音や踏み切りの警告音とか。
この当時は東急電鉄に例えると、池上線や目蒲線の様なまだまだ都内のローカル線の様な佇まいが有りましたね。現在では都営浅草線直通の急行電車も走り羽田空港国際線ターミナルまで乗り入れ“✈️空港線”らしくなり出世しましたね。
昔、久里浜、浦賀から貨物車両が有ったのを見るのが好きでした。確か貨物用のエレベータも有った覚えが!
関東だと、京急が一番吊り掛け駆動車の淘汰が早かった気がしますね。京急は元々高加減速を求められる線区だったこともあってか、本線では国鉄線との競争もあって吊り掛け車の淘汰がどこよりも早かったと思います。
遅かったのが東武、西武、東急
@@N--jv3go東急は路面電車の世田谷線に吊りかけ残存してたけど東急鉄道線だと1989年に旧3000番台の吊りかけ電車は引退したから京急や相鉄より3年遅く小田急 京王とは同じくらい西武は多摩湖線3両が最期
@@N--jv3go 上記の路線で共通するのが低速の車両があっても支障のない路線の存在かな。
私は通学で乗って個人論ですがオ−ル400形の記憶で当時ははっきりみてました。間違えてません…それは1985年でした。空港線は400,大師線は700といったところ
つりかけ駆動ながら高加速(150kw車2M1T編成の場合)が体験できた。
国鉄線の電車とスピード勝負しなければならないので、やはり速いんですよね。
@@asokai2346 それでも釣りかけ車は本線では急行にしか使えず運用上ネックになった。冷房がなく乗り入れできないから特急にも使えない。本線の急行は運用ネックになった車両の吹き溜まりみたいな感じがした
400系も走っていた記憶
当日の400形は側線で休んでゐたやうに思ひます。始発なので音声に記録されてゐませんが、地上時代の京浜蒲田駅の佇まひも懐かしく思ひ出されます。
京急最後のつりかけ車500形も最後は空港線で使ってましたね。しかも当時は羽田空港第1・第2まで開業してなくて品川方面に直通するのもなく、線内折り返しだけでした。
当時の路線は海老取川の手前で終わっており、海老取川の先にある羽田空港にはバスの乗り継ぎが必要でした。駅の先には後年「天空橋」と名を変へる鉄橋が架かってゐますが、羽田への延伸は地下経由となり、現在その一帯は駐車場になってゐます。動画の後半に配置された写真は、旧羽田空港駅とその先の鉄橋を記録したものです。
懐かしい。本線を80km以上で激走した時の叫ぶような音が忘れられません。
懐かしい😊UPありがとうございます😊
京急500系車両のつりかけ式モーター音と京浜蒲田駅の第一京浜の踏切の音も懐かしいです。🚃
たった一度しか乗ってないのに、この吊りかけの強烈な印象だけ覚えてる
元々はセミクロスシート搭載の優等列車でしたね。バイキング特急時代が華やかでした。
500形…京急本線と逗子線用の急行もありましたね
引退直前に空港線に乗りに行きました。
まだ京浜蒲田が地上ホームで第一京浜に踏切所がありました。
空港線も現在とは違い空港アクセスとは程遠い路線で当時の羽田空港駅は現在の天空橋駅です。
物凄く小さい駅だった印象です。
400型も同時に走っていましたよね。(初代の600)両方とも外見の改造を沢山したので、面白いです。しかもあのバイクみたいな音~~!
京急釣りかけ車は150kwモーターを(カルダン車の時代にもかかわらず)わざわざ新しく作り替えたり、全電動車編成にするために在来車間と機器のタライ回しを繰り返したりで長期延命を前提かと見えたような大掛かりな改造、更新工事したものの性能的には京急の輸送条件の変化に対応しきれず結局は短命でした。500形は戦後の京急で最も長年活躍した車両でもあります。
地元が京急沿線なのですが、500形に乗った記憶はないです…。
でもこの吊りかけ駆動の音声聞いていると子供の頃乗った東武佐野線(当時は葛生線って呼ばれてました)思い出しました。
ジョイント音や踏み切りの警告音とか。
この当時は東急電鉄に例えると、池上線や目蒲線の様なまだまだ都内のローカル線の様な佇まいが有りましたね。現在では都営浅草線直通の急行電車も走り羽田空港国際線ターミナルまで乗り入れ“✈️空港線”らしくなり出世しましたね。
昔、久里浜、浦賀から貨物車両が有ったのを見るのが好きでした。
確か貨物用のエレベータも有った覚えが!
関東だと、京急が一番吊り掛け駆動車の淘汰が早かった気がしますね。京急は元々高加減速を求められる線区だったこともあってか、本線では国鉄線との競争もあって吊り掛け車の淘汰がどこよりも早かったと思います。
遅かったのが東武、西武、東急
@@N--jv3go
東急は路面電車の世田谷線に吊りかけ残存してたけど
東急鉄道線だと1989年に旧3000番台の
吊りかけ電車は引退したから京急や相鉄より3年遅く小田急 京王とは同じくらい西武は多摩湖線3両が最期
@@N--jv3go 上記の路線で共通するのが低速の車両があっても支障のない路線の存在かな。
私は通学で乗って
個人論ですが
オ−ル400形の記憶で
当時ははっきりみてました。
間違えてません…
それは1985年でした。
空港線は400,大師線は700といったところ
つりかけ駆動ながら高加速(150kw車2M1T編成の場合)が体験できた。
国鉄線の電車とスピード勝負しなければならないので、やはり速いんですよね。
@@asokai2346 それでも釣りかけ車は本線では急行にしか使えず運用上ネックになった。冷房がなく乗り入れできないから特急にも使えない。本線の急行は運用ネックになった車両の吹き溜まりみたいな感じがした
400系も走っていた記憶
当日の400形は側線で休んでゐたやうに思ひます。始発なので音声に記録されてゐませんが、地上時代の京浜蒲田駅の佇まひも懐かしく思ひ出されます。
京急最後のつりかけ車500形も最後は空港線で使ってましたね。しかも当時は羽田空港第1・第2まで開業してなくて品川方面に直通するのもなく、線内折り返しだけでした。
当時の路線は海老取川の手前で終わっており、海老取川の先にある羽田空港にはバスの乗り継ぎが必要でした。駅の先には後年「天空橋」と名を変へる鉄橋が架かってゐますが、羽田への延伸は地下経由となり、現在その一帯は駐車場になってゐます。
動画の後半に配置された写真は、旧羽田空港駅とその先の鉄橋を記録したものです。