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SIMの中に入ってるチップだけで80年代のコンピューターの処理能力上回ってるんだからすごい
現在、当たり前のように使っている電卓、パソコン、スマホ。全てこの計算作業が礎になっているのですね。記憶モジュールの画像には学生の時見たことがあったので、どうしてこれで記憶出来るのか不思議でなりませんでした。
電子計算機の動作原理をわかりやすく説明した優れた動画だと思う。現在のコンピューターにおいても原理的には同じ考え方が通じる。相違は作り方で、当時は人が1個1個のトランジスタなどの素子を接続していたり、半導体の技術が低いぶんを機械的な動作で実現していた。もちろんポケットに入るサイズじゃなかった。ちなみに動画のサムネイルは磁気ディスク装置の磁気ヘッド。
FACOM 懐かしすぎる自分は230-55だったが、オペレータに任せてたら遅いので自分で操作してたテープを掛け損なうと端が下に落ちて拾うのが大変だったな仕事(機械設計)の合間にFORTRANを独学で学んで業務合理化に貢献したのが自慢。時がたち、パソコンが一人一台の時代になると大規模プログラムでさえEXCELに移植できて合理化終了。自分も子会社に移動されるという合理化の憂き目にあう。
自分はFACOM Rで入ってIBM360系を使い続けたナウィンチェスターディスクがクラッシュしたときの破壊音は今も忘れられない
なぜサラリーマンは自分自身を合理化してしまうのか
生き証人がおってくさ
@@buddhagautama673 バカだから・・・
@ぺ天使 その顔文字もスマホが演算処理をして表示してくれてる、つまり、、使いこなせているんだよ!(ง •̀ω•́)ง✧
あけましておめでとうございます。ラズパイ調理の合間に貴チャネルの動画を見漁っています。今年も日本中、世界中が皆等しく電気電子技術の恩恵を賜われるよう、日々技術者として邁進いたします。
ありがとうございました。FACOMの制御回路が見られてよかったです。FACOM230の基本クロックは200kHzだったそうです。ビックリですね。
使われなくなった「電算室」という部屋が会社にあるけど、こういうのを置いてたんかな。今はミーティングルームとして使ってる。
恐らく年中冷房かけっぱなしで、メインフレームの筐体がいくつもおかれていた部屋なんだろう。夏には社員が涼みに来たりして
ラック一杯に詰め込まれた大量のプリント基板を小さなチップ1つで遥かに凌ぐようになるとは・・
確かに、プリント基板の部品の実装密度一つ見ても、現在とはまるで違う。いかに小さい空間に大量の部品を詰め込めるかが、進歩のカギになっているのかよく分かる。
ナレーション「声をそのまま電子計算機が受け入れるようになるでしょう」私(今なってるのかな…)「hey siri!電子計算機について調べて!」
俺 え~ねがいましては~コンピューター はい!
進みすぎ!w
アレクサ、通話を切ってw
「OK Google, コサイン45度はいくつ?」「答えは約 0.707107です」答えやがったw
14:10 アレクサ!上上下下左右左右BA!
「電子計算機の性能は一段と飛躍し、用途は更に拡大し、人類の進歩のために輝かしい功績を果たしてくれることでしょう」(17:03)最後にこう結ばれているが、この数年後にマイクロプロセッサ(1971年 Intel4004)が開発され、やがて電子計算機が普通の人の普通の毎日の暮らしに欠かせなくなることまでは想像できなかったことでしょうね。
カシオミニの販売は1972年で、そこから電卓が一般家庭に普及しましたからな。わずか5年後には個人向け需要が創出されるとは予想していなかったかもしれません。
中学に入って初めてPC-6001をいじった際に「コレは絶対に時代を変える鍵になる」という電撃に近い衝撃を受け、以来プログラミングや電子工作に邁進する中高大を経て技術者になりました。その時の直感通り、コンピューティングが社会のありとあらゆる分野で活用される時代になりましたが、未だにコンピュータを道具だと理解できずに目的にしてしまっている層が多いことが少々残念です。
富士通信機製造株式会社が富士通株式会社に社名変更するのが1967年なので、それまでの制作でしょう。30年前の上司がかつてこの機種を管理する技術者で、白衣を着て冷暖房完備の電算室で悪戦苦闘していたそうです。システムの形状から、「婚礼箪笥」と呼んでいたそうです。
嫁入り道具に、どうぞ。団地住まいなら、一棟潰してしまいますが(^^;
どうでもいいけど磁気テープの動きが好き過ぎる
昔の海外のSFドラマ「タイムトンネル」や「謎に円盤UFO」だとコンピュータルームは磁気テープ装置だけしか出てこない。
こんだけデカいコンピュータでも今でいうPICくらいの性能になっちゃうってのにロマンを感じる。
結局 いつの時代も技術を開発する人が優秀なのであって使用する人はこの時代も今の時代も同じなのだ
この頃の日本にこれだけのコンピュータがあるのも池田敏雄氏のお陰です。
現代人がどうぶつタワーバトルできるのも先人の努力の賜物なのですね。
私もこちらの会社で働いていました。とても懐かしかったです。
FACOM懐かしいですね。磁気テープやカードリーダーなど私が大学の計算機センターで利用していた頃の物に近いですね。ただ私の頃は、操作卓がキャラクターベースのブラウン管+キーボードになっていましたから、この映画は1965年~1970年頃のものでしょうか。私は科学技術計算にFACOMを利用していましたが、当時はジョブに割り当てられる計算時間やメモリの量が少なかったので、アルゴリズムを工夫するのに四苦八苦しましたね。
Love from india to japan 🇯🇵❤️🇮🇳
私が20台はじめの頃(1970年)の先輩技術者たちといったら、磁気テープの縞模様を見てどんなデータが記憶されているか読み取っていましたし、アセンブラのニーモニックでなくて、二進法の機械語を読んで、どんなプログラムかを理解していました。
当時はハンドアセンブルしたほうが早かったし、テープの内容を読む人も、書き換える人もいました。MTを見て内容を知るのは初めてききました。
宇宙戦艦ヤマトの初期の頃、雪がパンチテープを読んでいるシーンを思い出した。
「数値か文字を、活字のままで入力が行えるようになりました」↑おっ、プログラミング言語の登場かな?「光学式、文字読み取り装置。オースィーアールです」
インターフェイスの話ですね。プログラミング言語自体は存在していますから。アプリケーションでコンピューターを動かすという概念がなかったので、コンピュータを動かす度にいちいち目的のプログラムを書かなければならないのも面倒でしたが、せっかっく動かしても計算結果を見るまでエラーに気づかなかったり、デバッグするにも膨大な時間がかかったと思います。基本最初から最後までノーミスで作業しなければならないので凄いストレスでしょうね。
初代マリオブラザーズの情報量は24キロバイトです。ビットに直すと192000ビット。つまり192000個の1か0で表せるのです。原稿用紙480枚分1か0を描くだけです、みんなもやってみよう。
文字書けないの!?小説もかけないやん。(´;ω;`)
@@珍歩佐藤 小説を日本語で書くためには16桁の2進数を1文字に当てはめないといけないので、初代マリオブラザーズの容量、原稿用紙480枚だと、12000字書けますね。
+有馬佑昌 あ すみません僕の解読能力がなくて…きちんと説明していただきありがとうございます。(´;ω;`)
今さら言ってもしょうがないとは思うんだけど、こういう映像を制作するときは制作年を必ずクレジットに入れておいてほしいよね。
製作年が見当たりません。
@@MASAYOSHIKUMEGAWA 今入ってないものはしょうがないので、今後作るものにはできるだけ入れておいてほしいものですね、という話です。当時はあまり意味がないと思われていたのでしょうが、後で貴重な資料となった時に制作年があるのとないのとでは大違いでしょうから。
ものすごい高飛車
〜法人が税金からの補助とか貰ってるなら利用者が意見するのは当然だろうし。非営利ボランティアタダ働き快感慈善団体ならば意見するのは失礼だな🤗
映像を作るにしても、後で何かしらの貴重な資料になって欲しいと思ってるのではないかと思うのですが…そういうの無しで、単に作りたいから作ってるだけで他の人にとっての資料価値など知らん、てのが普通なんでしょうか。僕は、これからせっかく映像を作るなら少しの手間で将来の資料価値をあげませんか、ぐらいの意味で言ってるだけです。そんなに高飛車かな。
CPUが手作りのはんだ付け
操作盤にFacom231とあるので、64年以降に作成された映画なんでしょう。
発展の速度すごいな。
最後の実例紹介で出てくるダムは城山ダムで1965年竣工みたいなので映画制作年は1965年以降かな?あとロケット発射は発射台の特徴からカッパロケットかな?打ち上げ場所は1963年12月9日に開所された内之浦宇宙空間観測所かな?
城山ダムと本沢ダムを混同なすっているやうです。両方とも完成直後に見に行きました。
原理は今もほとんど変わってないんだよね
1964年頃のコンピューターですね。(FACOM 230)museum.ipsj.or.jp/computer/main/0001.htmlこの頃(1966年)、宇宙大作戦(スタートレック)ではすでにコミュニケーター(今の携帯電話風)がTVシリーズで使用されたいました。同じ頃、スパイ大作戦(ミッション・インポッシブル)ではドローンも登場しています。
現在世界最速の富岳の存在など、恐らく約55年前の当時からすれば、SFのような非現実的であり得ない性能と思うかもしれない。
最初のcosxのテーラー展開課題不当に面倒くさすぎて草も生えない
ボードの集積密度が恐ろしく低くてびっくりした。あのドでかいコンピューターの備える数々の装置より遥かに高性能なものが米粒のようなチップにI/Fを除いて全て収められ、それがワンコイン価格で手に入る時代が来るとは思ってなかっただろうなぁ。
勉強になりました!
富士通の旧称「富士通信機製造株式会社」が冒頭のクレジットに登場している。この映画製作から数十年…VOCALOIDやAIなるものが登場しようとは誰が想像し得ただろうか。それにしても、12:33紙テープ…懐かしいなァ
’70年後半だったか、応力計算するのにパンチテープ作って電話でNTTの大型コンピューターに接続して使ってました。ファックスの音みたいにピーヒャラ~って鳴ってましたねえ。
インタプリンタでベーシックだし フォートラン77 コボル 使ってた頃が懐かしい。オブジェクト指向になったらさっぱりだった
制作年が知りたいなぁ
ここに出てくるF602の後継のF603が1964年の発売らしいですからおそらくその数年前だと思うんですが、科学映像館の方でも制作年は把握できていないようです。
情報がパラレルバスではなくてシリアルなのが面白い
磁気コアメモリだ!(感動)
隔世の感を覚えます。。電子計算機…コンピュータは今やみんなの掌の中のアイテムになった。
昔も今も基本的な仕組みは変わらないんですね
37年前のフライスとか使ってるけどテープ読み取り装置がついてる、10年前ぐらいまでは現役で紙テープ使ってたらしい・・・今はもちろんUSBと言いたいけどテープからフロッピーディスクに進化しただけ
「集積回路」が今のチップ部品くらいの集積度しかないな。学研のマイキットを思い出す・・
電子工作的な方法で作れそうに見えるぞ…まじか
雪ankoM それがCPUの始まりなのよ。それを数百個合わせて今のパソコンがある。
電子工作で自作CPU作ってる人居たぞ
この映像のもっと前は、真空管だらけだったみたいだから、建築級の工作になってただろう
現在の大部分のコンピュータも作動原理は全く同じでしょうから基本原理の勉強になりました。回路の集積化というハードの技術での高速化や大容量記憶化がもうそろそろ、理論的な限界に近づいているらしいですが量子コンピュータによる単純二進法からの脱却によりどうなるのでしょう?
ウチの計算機分解してみたら小さいオジサンがカリカリ計算してた。
プログラム打ち間違えたらパンチカード切り貼りして修正しなきゃいけない時代かぁ…
二進化十進符号って習ったから知ってるけど、銀行のシステムでは今でも使ってるのかな
出力がディスプレイなくてプリンタのみ、入力が直接キーボードから打ち込めないし修正も大変、今から見るとなかなか不便だな
学生時代演習でプリントカードプログラミングをやりました。簡単なものだったので出来ましたが複雑なものは私には無理だと思いました。問題のあると思われる部分を止めてデバッグするというのが出来ませんから。
40年代だと思うけど、この頃からハードディスク、OCRが存在していたのは驚き…
紙テープ読み取りとかカード読み取り装置とか昔見たことがある。紙テープやカードにプログラムを書くんじゃなかったかなと思う。
現役で稼働している電子計算機のシステムをスペインの科学博物館で見たことが有るが、日本でも有るのだろうか?
現在でも富士通がリレー式コンピュータを保有しているようです。富士通の説明では、稼働するコンピュータの中では世界最古らしいです。
お母さんが内職で半田付けして納めた基板みたいでロマン。
半世紀以上前の電子計算機草創期の解説ですらもはやワケがわからなくて、自分は根っからの文系なのだなと思いました。子供のころは工作とか理科とかが大好きで、親はエンジニアにしたいと思ってたようですが、中学に入り数学が全くできないのが露呈すると親も諦めたようです。工作や理科が好きといっても単に遊びの延長みたいで面白かっただけで、理系的な素養とはまったく関係ないですね笑
数学は赤点野郎だったけど、10年プログラマーやってました。現実、プログラムってそんなもんですよ。
当時FANUCは黄色じゃなかったんだね。
穿孔テープは1文字でも間違うと最初から作り直し?
紙テープを切断・接続する補修用テープがあり、一穴単位で増やしたり減らしたりできたようです。(参考:www.cs.ube-c.ac.jp/retoro/kamitape2.html)うちの学校の実習用マシンはそんな便利なものがなかったので、一発勝負でした。
それを治すためにテープの切り貼りをして正しいものにする作業がありました。それをパッチ作業と呼んで今でもソフトの変更をパッチと呼ぶのはここからきてます。
@@風雷万三 「パッチを当てる」というのは元々物理的作業だった无ですね!なるほど
磁気テープ!! これぞコンピューターのイメージそのもの!!
あの操作卓でどうやって操作するんだ。
コアマトリックスがカッコイイw
10:20磁気テープの磁化面白い
その昔「てれふぉんかあど」なるものが御座いましてですなぁ、、、
大型機は発熱がすごそうプレスコットはかわいいもんなんだろうな
15:16のところ、映ってるNCはもしかしてFANUC?これが原型なのかな。
OCRってもうあったんですか!
電子計算機(コンピューター)が果たした役割は本当に大きい1964年の東京五輪や 1970年の大阪万博でも大活躍したことだろう!
初代マミヤプレスの生産ラインが写ってる すげー ありがとうございます!
在の電子計算機は、小指の爪に乗っかるような半導体で、この動画のような計算をやってのけているからね…。初期のコンピューターのエニアックも、今では、腕時計に入るようなマイクロチップの半導体になるのも納得だ。将来的には、スーパーコンピューターも、ノートパソコンのサイズになるのも時間の問題だ…。
ムーアの法則も成り立たなくなってそろそろ限界が来てるのでブレイクスルーを期待したいところですな
OCRって随分古い技術なんだな
太平洋の向こう側、選挙予想に初めて電子計算機が導入された時の番組。パソコンが出る1982年頃まで30年間、コンピューターのイメージは固定化されました。(紙テープを眺めて、"怪獣が!"とか…)ua-cam.com/video/5vjD0d8D9Ec/v-deo.html
二眼レフカメラをラインで組み立てている!
HDやOCRってこの頃からあったのね
現在は100円でも購入できる計算機。これは勉強になりますね
さすがに プリンタ付きプログラム電卓を100円で購入は無理かと!^^
未だに一般的なコンピューターの仕組みが2進法の読み書きしか出来ないという点では全く進歩が無いともいえる。
なるほどそんな回路になっていたのかうんやっぱりわからん
当時の技術もさっぱり理解できない…( ̄ー ̄) いつの時代に行っても通用しないわ。(´;ω;`)
今ではこのCPU(ラック)が手のひらサイズ。スパコン富岳のCPU(A64FX)でさえも……
あれ?テープの記録方法、時期きっぷと同じじゃないか?切符って電算テープなのかな
はい。磁気テープの技術そのままだそうです。(磁気式の自動改札の登場は1970年頃)
良くも悪くも秀才型なんだと思った。パンチテープの読み書きを優先し、法則に従った最も効率の良い方法を模索する事。これは経験が物を言う世界なので、正に日本的で年功序列で構わない。諸外国は新たな法則を生み出す者を採った。本邦は法則無視で効率の良い方法を模索する事は良しとしなかった。結果は歴然、このフィルム作成時一流だった本邦のIT産業は今、当時足元にも及ばなかった国の企業に抜かれる始末。全ては権威ある者が受け入れ(利用し)ようとする姿勢にあると思いますよ。
その新たな法則とは?
アポロが月に行ってた頃の映画やね
こんなの使っていた人はもう、現役引退していますよねー。数十年前の最新鋭機器ですよね。こんなに大きいのにただの計算機ですねー
50年程前の物ですね。 しかし、ただの’計算機’ではなくプログラムで動作するノイマン型のコンピュータであり現在のコンピュータとアーキテクチャ自体は基本的に変わりません。言葉の定義の問題になりますが、逆に、現在の物もただの計算機とも言えますね。
やべぇ、この動画見てcobolとか解ってしまうワイこの時代よりちょっと先の人種・・・昭和を感じる( ゚Д゚)コレ2進数やろうなぁとかフロチャート書いたなぁとか思い出してしまった・・・今じゃあのシステムが指の爪にも満たないチップでまかなえちゃんだぜ・・・そう思うと、世界初のコンピューター(1946年)ENICは1万6千個の真空管でできたコンピューターなんだから世界の進歩は異常なんだよなぁと1990年代頃のワイも思ってた・・・
ブロック崩し以前の問題だな。
ENIAC (1946年):300FLOPSFACOM230-75 (1977年):22MFLOPS (22000000FLOPS)iPhone6 (2014年):115GFLOPS (115000000000FLOPS)富岳 (2020年):415PFLOPS (415000000000000000FLOPS)・・・なんかもうすげぇ笑
昔の人はゆっくり書くんだな
丁寧に書かないとパンチ係の部署から苦情がくるんですよね。2人の女子社員が同じプログラムをパンチして差分をとるとかしてたみたいです。
根本的な仕組みは今のスマホも変わってないんだよな記憶装置がデジタルになってるけどねトランジスタが真空管だったなんて誰も信じないw
昔の丸の内が冒頭映ってる。三菱重工本社ビルかな。その後過激派に爆破されるビル
暑そう
磁気テープは256MBだったかな?確か
カス文系にはパルスを10進法で表す頭しかなかった2進法で表せるのはコンピュータらしさでもあるし理系くさいと思う
ワーッ、辛気臭!。だけど、当時は最新だったんだろうな。
このプリント基板もAtomには勝てないんやろなw
怪奇大作戦や日本沈没(TV版)で見た。
紙テープは使ったことが無い。カードならあるが。
私もさすがに、コンピュータの入力装置としての紙テープ装置は知らないですが、伝票を打ち出すプリンタのフォーム情報を設定するのに唯一残ってました。でも、予備のテープもないし、パンチする機械もすでになく、接着テープで補修して使用してました。
しかし、デカイなあ。。
In English please
パルスで計算や記憶をやってるように説明していたけど、これって計算機内部ではシリアルで処理していたってこと? しかもこの単純なエンコーディングだと雑音に弱いし高速化も望めない。速度が上がるとエッジがなまくらになって行って破綻する。それともパラレルで説明するのが複雑すぎるから絵的にわかりやすいシリアルで説明してる、いわゆる説明のための嘘なのかな。
シリアルでは無くパラレルですよ。データが流れる線(BUSといいますが)は8本or16本だと思いますが説明上1本で表しています。パラレルはある程度の速度(クロック周波数)までは早いのですが、高速度になると遅延が起きるので、全部揃うまで待たざるを得なくなってしまい処理速度が上がらなくなってしまいます。そのため速度を上げるためにシリアルにしています。もちろんエッジがなまくらになるのは、補正する回路を追加して対応してます。
パソコン使えばいいのに
うんこおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
SIMの中に入ってるチップだけで80年代のコンピューターの処理能力上回ってるんだからすごい
現在、当たり前のように使っている電卓、パソコン、スマホ。全てこの計算作業が礎になっているのですね。記憶モジュールの画像には学生の時見たことがあったので、どうしてこれで記憶出来るのか不思議でなりませんでした。
電子計算機の動作原理をわかりやすく説明した優れた動画だと思う。現在のコンピューターにおいても原理的には同じ考え方が通じる。相違は作り方で、当時は人が1個1個のトランジスタなどの素子を接続していたり、半導体の技術が低いぶんを機械的な動作で実現していた。もちろんポケットに入るサイズじゃなかった。ちなみに動画のサムネイルは磁気ディスク装置の磁気ヘッド。
FACOM 懐かしすぎる
自分は230-55だったが、オペレータに任せてたら遅いので自分で操作してた
テープを掛け損なうと端が下に落ちて拾うのが大変だったな
仕事(機械設計)の合間にFORTRANを独学で学んで業務合理化に貢献したのが自慢。
時がたち、パソコンが一人一台の時代になると大規模プログラムでさえEXCELに移植できて合理化終了。
自分も子会社に移動されるという合理化の憂き目にあう。
自分はFACOM Rで入ってIBM360系を使い続けたナ
ウィンチェスターディスクがクラッシュしたときの破壊音は今も忘れられない
なぜサラリーマンは自分自身を合理化してしまうのか
生き証人がおってくさ
@@buddhagautama673 バカだから・・・
@ぺ天使 その顔文字もスマホが演算処理をして表示してくれてる、つまり、、使いこなせているんだよ!(ง •̀ω•́)ง✧
あけましておめでとうございます。
ラズパイ調理の合間に貴チャネルの動画を見漁っています。
今年も日本中、世界中が皆等しく電気電子技術の恩恵を賜われるよう、日々技術者として邁進いたします。
ありがとうございました。FACOMの制御回路が見られてよかったです。FACOM230の基本クロックは200kHzだったそうです。ビックリですね。
使われなくなった「電算室」という部屋が会社にあるけど、こういうのを置いてたんかな。今はミーティングルームとして使ってる。
恐らく
年中冷房かけっぱなしで、メインフレームの筐体がいくつもおかれていた部屋なんだろう。夏には社員が涼みに来たりして
ラック一杯に詰め込まれた大量のプリント基板を小さなチップ1つで遥かに凌ぐようになるとは・・
確かに、プリント基板の部品の実装密度一つ見ても、現在とはまるで違う。いかに小さい空間に大量の部品を詰め込めるかが、進歩のカギになっているのかよく分かる。
ナレーション「声をそのまま電子計算機が受け入れるようになるでしょう」
私(今なってるのかな…)
「hey siri!電子計算機について調べて!」
俺 え~ねがいましては~
コンピューター はい!
進みすぎ!w
アレクサ、通話を切ってw
「OK Google, コサイン45度はいくつ?」
「答えは約 0.707107です」
答えやがったw
14:10 アレクサ!上上下下左右左右BA!
「電子計算機の性能は一段と飛躍し、用途は更に拡大し、人類の進歩のために輝かしい功績を果たしてくれることでしょう」(17:03)最後にこう結ばれているが、
この数年後にマイクロプロセッサ(1971年 Intel4004)が開発され、やがて電子計算機が普通の人の普通の毎日の暮らしに欠かせなくなることまでは想像できなかったことでしょうね。
カシオミニの販売は1972年で、そこから電卓が一般家庭に普及しましたからな。
わずか5年後には個人向け需要が創出されるとは予想していなかったかもしれません。
中学に入って初めてPC-6001をいじった際に「コレは絶対に時代を変える鍵になる」という電撃に近い衝撃を受け、以来プログラミングや電子工作に邁進する中高大を経て技術者になりました。
その時の直感通り、コンピューティングが社会のありとあらゆる分野で活用される時代になりましたが、未だにコンピュータを道具だと理解できずに目的にしてしまっている層が多いことが少々残念です。
富士通信機製造株式会社が富士通株式会社に社名変更するのが1967年なので、それまでの制作でしょう。30年前の上司がかつてこの機種を管理する技術者で、白衣を着て冷暖房完備の電算室で悪戦苦闘していたそうです。システムの形状から、「婚礼箪笥」と呼んでいたそうです。
嫁入り道具に、どうぞ。団地住まいなら、一棟潰してしまいますが(^^;
どうでもいいけど磁気テープの動きが好き過ぎる
昔の海外のSFドラマ「タイムトンネル」や「謎に円盤UFO」だとコンピュータルームは磁気テープ装置だけしか出てこない。
こんだけデカいコンピュータでも今でいうPICくらいの性能になっちゃうってのにロマンを感じる。
結局 いつの時代も技術を開発する人が優秀なのであって
使用する人はこの時代も今の時代も同じなのだ
この頃の日本にこれだけのコンピュータがあるのも池田敏雄氏のお陰です。
現代人がどうぶつタワーバトルできるのも先人の努力の賜物なのですね。
私もこちらの会社で働いていました。とても懐かしかったです。
FACOM懐かしいですね。磁気テープやカードリーダーなど私が大学の計算機センターで利用していた頃の物に近いですね。ただ私の頃は、操作卓がキャラクターベースのブラウン管+キーボードになっていましたから、この映画は1965年~1970年頃のものでしょうか。
私は科学技術計算にFACOMを利用していましたが、当時はジョブに割り当てられる計算時間やメモリの量が少なかったので、アルゴリズムを工夫するのに四苦八苦しましたね。
Love from india to japan 🇯🇵❤️🇮🇳
私が20台はじめの頃(1970年)の先輩技術者たちといったら、磁気テープの縞模様を
見てどんなデータが記憶されているか読み取っていましたし、
アセンブラのニーモニックでなくて、二進法の機械語を読んで、どんなプログラム
かを理解していました。
当時はハンドアセンブルしたほうが早かったし、テープの内容を読む人も、書き換える人も
いました。
MTを見て内容を知るのは初めてききました。
宇宙戦艦ヤマトの初期の頃、雪がパンチテープを読んでいるシーンを思い出した。
「数値か文字を、活字のままで入力が行えるようになりました」
↑おっ、プログラミング言語の登場かな?
「光学式、文字読み取り装置。オースィーアールです」
インターフェイスの話ですね。
プログラミング言語自体は存在していますから。
アプリケーションでコンピューターを動かすという概念がなかったので、コンピュータを動かす度にいちいち目的のプログラムを書かなければならないのも面倒でしたが、せっかっく動かしても計算結果を見るまでエラーに気づかなかったり、デバッグするにも膨大な時間がかかったと思います。基本最初から最後までノーミスで作業しなければならないので凄いストレスでしょうね。
初代マリオブラザーズの情報量は24キロバイトです。
ビットに直すと192000ビット。
つまり192000個の1か0で表せるのです。
原稿用紙480枚分1か0を描くだけです、みんなもやってみよう。
文字書けないの!?小説もかけないやん。(´;ω;`)
@@珍歩佐藤 小説を日本語で書くためには16桁の2進数を1文字に当てはめないといけないので、初代マリオブラザーズの容量、原稿用紙480枚だと、12000字書けますね。
+有馬佑昌 あ すみません僕の解読能力がなくて…きちんと説明していただきありがとうございます。(´;ω;`)
今さら言ってもしょうがないとは思うんだけど、こういう映像を制作するときは制作年を必ずクレジットに入れておいてほしいよね。
製作年が見当たりません。
@@MASAYOSHIKUMEGAWA 今入ってないものはしょうがないので、今後作るものにはできるだけ入れておいてほしいものですね、という話です。当時はあまり意味がないと思われていたのでしょうが、後で貴重な資料となった時に制作年があるのとないのとでは大違いでしょうから。
ものすごい高飛車
〜法人が税金からの補助とか貰ってるなら利用者が意見するのは当然だろうし。
非営利ボランティアタダ働き快感慈善団体ならば意見するのは失礼だな🤗
映像を作るにしても、後で何かしらの貴重な資料になって欲しいと思ってるのではないかと思うのですが…
そういうの無しで、単に作りたいから作ってるだけで他の人にとっての資料価値など知らん、てのが普通なんでしょうか。
僕は、これからせっかく映像を作るなら少しの手間で将来の資料価値をあげませんか、ぐらいの意味で言ってるだけです。そんなに高飛車かな。
CPUが手作りのはんだ付け
操作盤にFacom231とあるので、64年以降に作成された映画なんでしょう。
発展の速度すごいな。
最後の実例紹介で出てくるダムは城山ダムで1965年竣工みたいなので映画制作年は1965年以降かな?
あとロケット発射は発射台の特徴からカッパロケットかな?
打ち上げ場所は1963年12月9日に開所された内之浦宇宙空間観測所かな?
城山ダムと本沢ダムを混同なすっているやうです。
両方とも完成直後に見に行きました。
原理は今もほとんど変わってないんだよね
1964年頃のコンピューターですね。(FACOM 230)
museum.ipsj.or.jp/computer/main/0001.html
この頃(1966年)、宇宙大作戦(スタートレック)ではすでに
コミュニケーター(今の携帯電話風)がTVシリーズで
使用されたいました。
同じ頃、スパイ大作戦(ミッション・インポッシブル)ではドローンも
登場しています。
現在世界最速の富岳の存在など、恐らく約55年前の当時からすれば、SFのような非現実的であり得ない性能と思うかもしれない。
最初のcosxのテーラー展開課題不当に面倒くさすぎて草も生えない
ボードの集積密度が恐ろしく低くてびっくりした。
あのドでかいコンピューターの備える数々の装置より遥かに高性能なものが米粒のようなチップにI/Fを除いて全て収められ、それがワンコイン価格で手に入る時代が来るとは思ってなかっただろうなぁ。
勉強になりました!
富士通の旧称「富士通信機製造株式会社」が冒頭のクレジットに登場している。
この映画製作から数十年…VOCALOIDやAIなるものが登場しようとは誰が想像し得ただろうか。それにしても、12:33紙テープ…懐かしいなァ
’70年後半だったか、応力計算するのにパンチテープ作って電話でNTTの大型コンピューターに接続して使ってました。ファックスの音みたいにピーヒャラ~って鳴ってましたねえ。
インタプリンタでベーシックだし フォートラン77 コボル 使ってた頃が懐かしい。オブジェクト指向になったらさっぱりだった
制作年が知りたいなぁ
ここに出てくるF602の後継のF603が1964年の発売らしいですからおそらくその数年前だと思うんですが、科学映像館の方でも制作年は把握できていないようです。
情報がパラレルバスではなくてシリアルなのが面白い
磁気コアメモリだ!(感動)
隔世の感を覚えます。。電子計算機…コンピュータは今やみんなの掌の中のアイテムになった。
昔も今も基本的な仕組みは変わらないんですね
37年前のフライスとか使ってるけどテープ読み取り装置がついてる、10年前ぐらいまでは現役で紙テープ使ってたらしい・・・今はもちろんUSBと言いたいけどテープからフロッピーディスクに進化しただけ
「集積回路」が今のチップ部品くらいの集積度しかないな。学研のマイキットを思い出す・・
電子工作的な方法で作れそうに見えるぞ…まじか
雪ankoM
それがCPUの始まりなのよ。
それを数百個合わせて今のパソコンがある。
電子工作で自作CPU作ってる人居たぞ
この映像のもっと前は、真空管だらけだったみたいだから、建築級の工作になってただろう
現在の大部分のコンピュータも作動原理は全く同じでしょうから
基本原理の勉強になりました。
回路の集積化というハードの技術での高速化や大容量記憶化が
もうそろそろ、理論的な限界に近づいているらしいですが
量子コンピュータによる単純二進法からの脱却により
どうなるのでしょう?
ウチの計算機
分解してみたら
小さいオジサンがカリカリ計算してた。
プログラム打ち間違えたらパンチカード切り貼りして修正しなきゃいけない時代かぁ…
二進化十進符号って習ったから知ってるけど、銀行のシステムでは今でも使ってるのかな
出力がディスプレイなくてプリンタのみ、入力が直接キーボードから打ち込めないし修正も大変、今から見るとなかなか不便だな
学生時代演習でプリントカードプログラミングをやりました。簡単なものだったので出来ましたが複雑なものは私には無理だと思いました。問題のあると思われる部分を止めてデバッグするというのが出来ませんから。
40年代だと思うけど、この頃からハードディスク、OCRが存在していたのは驚き…
紙テープ読み取りとかカード読み取り装置とか昔見たことがある。紙テープやカードにプログラムを書くんじゃなかったかなと思う。
現役で稼働している電子計算機のシステムをスペインの科学博物館で
見たことが有るが、日本でも有るのだろうか?
現在でも富士通がリレー式コンピュータを保有しているようです。
富士通の説明では、稼働するコンピュータの中では世界最古らしいです。
お母さんが内職で半田付けして納めた基板みたいでロマン。
半世紀以上前の電子計算機草創期の解説ですらもはやワケがわからなくて、自分は根っからの文系なのだなと思いました。
子供のころは工作とか理科とかが大好きで、親はエンジニアにしたいと思ってたようですが、中学に入り数学が全くできないのが露呈すると親も諦めたようです。
工作や理科が好きといっても単に遊びの延長みたいで面白かっただけで、理系的な素養とはまったく関係ないですね笑
数学は赤点野郎だったけど、10年プログラマーやってました。現実、プログラムってそんなもんですよ。
当時FANUCは黄色じゃなかったんだね。
穿孔テープは1文字でも間違うと最初から作り直し?
紙テープを切断・接続する補修用テープがあり、一穴単位で増やしたり減らしたりできたようです。(参考:www.cs.ube-c.ac.jp/retoro/kamitape2.html)うちの学校の実習用マシンはそんな便利なものがなかったので、一発勝負でした。
それを治すためにテープの切り貼りをして正しいものにする作業がありました。
それをパッチ作業と呼んで今でもソフトの変更をパッチと呼ぶのはここからきてます。
@@風雷万三 「パッチを当てる」というのは元々物理的作業だった无ですね!なるほど
磁気テープ!! これぞコンピューターのイメージそのもの!!
あの操作卓でどうやって操作するんだ。
コアマトリックスがカッコイイw
10:20磁気テープの磁化
面白い
その昔「てれふぉんかあど」なるものが御座いましてですなぁ、、、
大型機は発熱がすごそう
プレスコットはかわいいもんなんだろうな
15:16のところ、映ってるNCはもしかしてFANUC?これが原型なのかな。
OCRってもうあったんですか!
電子計算機(コンピューター)が果たした役割は本当に大きい
1964年の東京五輪や 1970年の大阪万博でも大活躍したことだろう!
初代マミヤプレスの生産ラインが写ってる すげー ありがとうございます!
在の電子計算機は、小指の爪に乗っかるような半導体で、この動画のような計算をやってのけているからね…。
初期のコンピューターのエニアックも、今では、腕時計に入るようなマイクロチップの半導体になるのも納得だ。
将来的には、スーパーコンピューターも、ノートパソコンのサイズになるのも時間の問題だ…。
ムーアの法則も成り立たなくなってそろそろ限界が来てるのでブレイクスルーを期待したいところですな
OCRって随分古い技術なんだな
太平洋の向こう側、選挙予想に初めて電子計算機が導入された時の番組。パソコンが
出る1982年頃まで30年間、コンピューターのイメージは固定化されました。
(紙テープを眺めて、"怪獣が!"とか…)
ua-cam.com/video/5vjD0d8D9Ec/v-deo.html
二眼レフカメラをラインで組み立てている!
HDやOCRってこの頃からあったのね
現在は100円でも購入できる計算機。
これは勉強になりますね
さすがに プリンタ付きプログラム電卓を100円で購入は無理かと!^^
未だに一般的なコンピューターの仕組みが2進法の読み書きしか出来ないという点では全く進歩が無いともいえる。
なるほど
そんな回路になっていたのか
うん
やっぱり
わからん
当時の技術もさっぱり理解できない…( ̄ー ̄) いつの時代に行っても通用しないわ。(´;ω;`)
今ではこのCPU(ラック)が手のひらサイズ。スパコン富岳のCPU(A64FX)でさえも……
あれ?テープの記録方法、時期きっぷと同じじゃないか?
切符って電算テープなのかな
はい。磁気テープの技術そのままだそうです。(磁気式の自動改札の登場は1970年頃)
良くも悪くも秀才型なんだと思った。
パンチテープの読み書きを優先し、法則に従った最も効率の良い方法を模索する事。
これは経験が物を言う世界なので、正に日本的で年功序列で構わない。
諸外国は新たな法則を生み出す者を採った。
本邦は法則無視で効率の良い方法を模索する事は良しとしなかった。
結果は歴然、このフィルム作成時一流だった本邦のIT産業は今、当時足元にも及ばなかった国の企業に抜かれる始末。
全ては権威ある者が受け入れ(利用し)ようとする姿勢にあると思いますよ。
その新たな法則とは?
アポロが月に行ってた頃の映画やね
こんなの使っていた人はもう、現役引退していますよねー。
数十年前の最新鋭機器ですよね。
こんなに大きいのにただの計算機ですねー
50年程前の物ですね。 しかし、
ただの’計算機’ではなくプログラムで動作するノイマン型のコンピュータであり
現在のコンピュータとアーキテクチャ自体は基本的に変わりません。
言葉の定義の問題になりますが、逆に、現在の物もただの計算機とも言えますね。
やべぇ、この動画見てcobolとか解ってしまうワイこの時代よりちょっと先の人種・・・昭和を感じる( ゚Д゚)コレ2進数
やろうなぁとかフロチャート書いたなぁとか思い出してしまった・・・
今じゃあのシステムが指の爪にも満たないチップでまかなえちゃんだぜ・・・
そう思うと、世界初のコンピューター(1946年)ENICは1万6千個の真空管でできたコンピューターなんだから
世界の進歩は異常なんだよなぁと1990年代頃のワイも思ってた・・・
ブロック崩し以前の問題だな。
ENIAC (1946年):300FLOPS
FACOM230-75 (1977年):22MFLOPS (22000000FLOPS)
iPhone6 (2014年):115GFLOPS (115000000000FLOPS)
富岳 (2020年):415PFLOPS (415000000000000000FLOPS)
・・・なんかもうすげぇ笑
昔の人はゆっくり書くんだな
丁寧に書かないとパンチ係の部署から苦情がくるんですよね。
2人の女子社員が同じプログラムをパンチして差分をとるとかしてたみたいです。
根本的な仕組みは今のスマホも変わってないんだよな
記憶装置がデジタルになってるけどね
トランジスタが真空管だったなんて誰も信じないw
昔の丸の内が冒頭映ってる。三菱重工本社ビルかな。その後過激派に爆破されるビル
暑そう
磁気テープは256MBだったかな?確か
カス文系にはパルスを10進法で表す頭しかなかった
2進法で表せるのはコンピュータらしさでもあるし理系くさいと思う
ワーッ、辛気臭!。だけど、当時は最新だったんだろうな。
このプリント基板もAtomには勝てないんやろなw
怪奇大作戦や日本沈没(TV版)で見た。
紙テープは使ったことが無い。カードならあるが。
私もさすがに、コンピュータの入力装置としての紙テープ装置は知らないですが、伝票を打ち出すプリンタのフォーム情報を設定するのに唯一残ってました。でも、予備のテープもないし、パンチする機械もすでになく、接着テープで補修して使用してました。
しかし、デカイなあ。。
In English please
パルスで計算や記憶をやってるように説明していたけど、これって計算機内部ではシリアルで処理していたってこと? しかもこの単純なエンコーディングだと雑音に弱いし高速化も望めない。速度が上がるとエッジがなまくらになって行って破綻する。それともパラレルで説明するのが複雑すぎるから絵的にわかりやすいシリアルで説明してる、いわゆる説明のための嘘なのかな。
シリアルでは無くパラレルですよ。データが流れる線(BUSといいますが)は8本or16本だと思いますが説明上1本で表しています。パラレルはある程度の速度(クロック周波数)までは早いのですが、高速度になると遅延が起きるので、全部揃うまで待たざるを得なくなってしまい処理速度が上がらなくなってしまいます。そのため速度を上げるためにシリアルにしています。もちろんエッジがなまくらになるのは、補正する回路を追加して対応してます。
パソコン使えばいいのに
うんこおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!