Railroad Photo Movie Essay 210 江ノ電 江ノ島鎌倉観光線 江ノ島電鉄 140725
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- Опубліковано 29 сер 2024
- 説明 江ノ電、この愛称はいつまでも変わりません。 子供のころ、鎌倉に住んだこともあって、江ノ電には特別の思いがあります。 昔の写真に残念ながら藤沢側の併用軌道の写真がありません。 七里ガ浜から鎌倉までの区間、歩いた記憶があります。 平成22年に同じルートを歩きましたが、何とか終点までたどり着きました。 今と昔、編集していて感じるのは、昔は空が広かった。
稲村出身です。現在はカナダ住まい。「はぶか」、の手前は「今市フードセンター」、「肉の稲村亭」の向かいは金田書店。すずや、という駄菓子屋もありました。昭和43年当時は湘南学園小学校生でしたので鵠沼まで通学の毎日でした。七里には海水プールがあって2度ぐらい行ったかなあ。確かに、空が広かったですね。ありがとうございました。
昔の江ノ電は 乗用車を道端に止めて そのまま江ノ電に飛び乗る事ができる様な のんびりした余裕が感じられます。🙌🙋♂️
懐かしいお写真ありがとうございます.小学校5年まで湘南海岸公園駅前に住んでいました.到着する車両ごとに形が異なっていたのがとても楽しかったです.
造前の旧500系が何回もでいてきていますね。旧500系は昭和33年製、この時代には珍しく江ノ電で発注した車両で、で、この後、いろいろ改造されてゆきました。入線当時はクロスシートがあったり、オープンテープによるBGM装置が有ったり、かなり凝った作りだったようです。ヘッドライトの下部2灯化、ドアの1枚扉片開き化など、結構手をかけられたまま、冷房化されずに廃車されてゆきました。(足回りが特殊で、冷房装置を付けると、重量に耐えられなかったそうです。)画像の「七里ガ浜交換所」となっているのは、正しくは「峯が原信号所」です。タブレット閉塞の時代は小屋があって、係が電車が来るとタブレットを受け渡ししていましたね。肉の稲村亭のシューマイがとってもおいしかった。ww
昭和35年と言えば江ノ電の廃止が取り沙汰されていた頃。
こののちディスカバー・ジャパンの余慶で鎌倉観光の足、および江ノ電自体の観光資源としての価値が認められて安泰となりましたが、もしこの時モータリゼーションに負けて廃止されていたら鎌倉の街は今と全然違った雰囲気になっていたでしょう。正直ゾッとします。
希少な数々の画像ありがとうございます。江ノ電は海岸沿いを走るため車両の痛みが速く保守メンテが大変だったと聞きます。確かポール集電だと塩害でポールが折れるので日本で最初にビューゲルを採用した鉄道と記憶します。古い足回りに新造車体で頑張っていたことがよくわかります。デハ100型が現役でたくさん走っていたのも素晴らしいですね。電動貨車の電動貨車2の詳細画像も嬉しい限りです。1947年に東急から譲渡されたデト3011ですね。1970年3月に廃車となったそうです。
いいな江ノ電こちゃん! 爺さまのアイドルです! 貴重な写真よかった!
懐かしい写真を見せて頂きありがとうございます。私も沿線に住んでおりました。旧500系は良いですね。600、800と次々と引退して行き淋しく思った頃を思い出しました。
まさに文化財です。
ワンちゃんと散歩している御老人は、もうこの世にいないんだろうな…
ほとんど柵がついたかつかなかったかの違いだけでまったく風景が変わっていないですね!
いいな~! 江ノ電大好き! 新幹線よりもいいのだ!
この写真大事にしてください! 江ノ電子ちゃんのフアン爺爺でござる
2:02は腰越駅ですね
1:57 峰が原で、この時代は、ここにも駅員がいました。 鎌倉行きは、止まらず微速で動いたまま、運転士が窓側に移動し、駅員にタブレットを投げ渡し、藤沢行きの窓から出たタブレットをすくい取り などもみられました。
モノクロのトーンが綺麗です国産かコダックか気になってます。
いい写真です
写真のこどもは5、60代ですね
2:29
昔は有料道路なんですね
いつ頃までだったのでしょうか?
2:00 の映像は「七里ガ浜駅」とのテロップですが、正しくは「腰越駅」ではないでしょうか。
その通りです。駅を利用してました。
usのようにカープール適用するとか、sgのように侵入車両のナンバー規制とかしないとだめじゃないかな
BGM、なんていう名前ですか?
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番です