山田清士
山田清士
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Railroad Photo Movie Essay 磐越西線 猪苗代 磐梯町 140831
説明 国鉄磐越西線 猪苗代 翁島 磐梯町周辺 昭和40年8月撮影
仲間と出かけた夏休み、新津から、磐越西線、磐越東線と抜けて帰ってきました。 背景に磐梯山、手前には広く広がる稲穂の中を D50、D51、DF50の牽引する貨物列車、旅客列車、キハ26系急行が駆け抜けます。
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Відео

Railroad Photo Movie Essay 熊本 立野スイッチバック
Переглядів 1,7 тис.10 років тому
説明 九州旅行 長崎から熊本を経て阿蘇へ。 熊本駅でり特急「はやぶさ」の発車、豊肥本線の立野スイッチバック、高森線第2白川橋梁を通過するC12牽引の列車、阿蘇山草千里、を経て大分方面へ。 九州旅行はまだ続きます。 この動画はBGMをパブリックドメインの音楽に変更して再度アップロード
Railroad Photo Movie Essay 磐越東西線 平 添乗
Переглядів 9 тис.10 років тому
説明 昭和41年5月 鉄道研究部の集合地点が常磐線「平」(今のいわき」集合に対して、東北線周りで遠回りして参加、磐越西線「中山宿」、郡山から磐越東線で撮影しながら平へ移動。 移動中、駅で停車中に先頭に回り機関車の撮影をしていたら、「乗ってみる?」と言われて、一も二もなく即答「はい、お願いします」ということで一駅間乗せてもらいました。 平機関区は生憎の雨、あまり良い写真はこの時には撮れませんでした。
Railroad Photo Movie Essay 350 九州 貝島炭鉱専用線 筑前宮田 コッペル 九州 140730
Переглядів 9 тис.10 років тому
説明 九州 筑前宮田 貝島炭鉱専用線のコッペル。 ドイツ コッペル製輸入蒸気機関車としては最大。 2年振りの九州。 今回は知人の車の陸送というアルバイトで、アルバイト料の代わりに1週間九州を回らせてもらうという、お得なアルバイトでした。 おまけに、帰りも、知人の代わりに東京転勤になった人の車を運ぶという2重のアルバイトになりました。
Railroad Photo Movie Essay 302 日本炭砿専用鉄道 八幡 C12 八幡製鉄
Переглядів 4,1 тис.10 років тому
説明 前日東京を立って、翌日九州入り。 八幡周辺の撮影、その後、移動して日本炭砿専用鉄道の撮影。 C12が主力の石炭専用列車の撮影。 機関車が、灰と汚れで、全体が灰色になっていて、モノクロ写真だとグレーに塗装したように見えるのが変な感じでした。
Railroad Photo Movie Essay 215 花巻電鉄 馬面電車 花巻 急行同時到着
Переглядів 34 тис.10 років тому
説明 仲間と東北旅行した時に立ち寄りました。 当時は蒸気機関車に主体を置いて撮影旅行したために、あまり写真は撮っていませんでした。 花巻電鉄といえば、馬面電車、このころは、もう現役で、常時走ることはなく、車庫で静かに過ごしていたようです。 途中の駅(停留所)で下りて、近くのユースホステルに泊まった記憶があります。 個々の記録が見つからず、停留所名が不明です。
Railroad Photo Movie Essay 210 江ノ電 江ノ島鎌倉観光線 江ノ島電鉄 140725
Переглядів 41 тис.10 років тому
説明 江ノ電、この愛称はいつまでも変わりません。 子供のころ、鎌倉に住んだこともあって、江ノ電には特別の思いがあります。 昔の写真に残念ながら藤沢側の併用軌道の写真がありません。 七里ガ浜から鎌倉までの区間、歩いた記憶があります。 平成22年に同じルートを歩きましたが、何とか終点までたどり着きました。 今と昔、編集していて感じるのは、昔は空が広かった。
Railroad Photo Movie Essay 010 新津機関区 C51 D50 140724
Переглядів 23 тис.10 років тому
説明 当時、既に廃車が進んでいたC51、関東から近くで配属されていた機関区が新津機関区でした。 楽しみに出かけたのですが、残念ながら動輪がボックス動輪に交換されていて、うれしさも今一だったのを覚えています。 周りが田んぼに囲まれていて、静かな、落ち着いた雰囲気だったのを覚えています。 とにかく、このシリーズを整理していると、昔の空は広くて明るかったと感じます。
Railroad Photo Movie Essay 800 大井町線 玉電 二子玉川園
Переглядів 122 тис.10 років тому
説明 東急大井町線は、当時、南武線の溝の口駅まででしたが、その先、小田急江ノ島線 中央林間駅までの延長が決まり、延長工事が始まっていました。 二子玉川大橋は国道246号線との併用軌道で多摩川を渡っていましたが、横に鉄道専用の橋を架け、併用軌道を廃止することになっていました。 その工事真っ盛りの中、最後の併用軌道の記録に出かけました。 開通後、大井町線から田園都市線と名前も変わりました。 東急多摩川線(通称 玉電)の終着駅二子玉川園駅も大工事中でした。 その後、玉電も地下鉄化になり、田園都市線の名前は、渋谷 中央林間間の直通路線の名称となり、二子玉川園 大井町駅間は元の大井町線に戻りました。
Railroad Photo Movie Essay 210 草軽電鉄 上州三原 軽井沢 草津 デキ21140722
Переглядів 43 тис.10 років тому
説明 昭和36年4月末 両親と一緒に出掛けた軽井沢、面白い汽車が走っているからと父に連れられて行った所が上州三原、軽井沢から、ものすごい悪路を通って着きました。 当時前縁の台風の影響で、軽井沢、上州三原間が不通になり、そのまま廃止になった後、上州三原、草津間だけが動いていましたが、その後しばらくして、全線廃止となりました。 このデキ21が私の最初に鉄道写真を意識してとった写真になりました。 私のフィルム#001がこの写真です。 いまから思えば、どうしてもっと沢山の写真を撮らなかったのか、残念至極です。
Railroad Photo Movie Essay 301 長崎本線 大草 喜々津 かもめ さくら C60 DD51 140723
Переглядів 16 тис.10 років тому
説明 卒業記念九州一周旅行編 第2弾 九州へ入ってから3日目長崎へ。 前日の夜、仲間と落ち合って、翌日、大草 喜々津間の大カーブへ。 主要幹線だけあって、列車スケジュールも一杯、主力のSL C60の引くブルートレイン「さくら」、旅客列車、新入りのDD51、ディーゼル特急「かもめ」、種々多彩な列車が走っていました。
Railroad Photo Movie Essay 050 8620 花輪線 龍ヶ森 荒屋新町
Переглядів 5 тис.10 років тому
説明 昭和39年春休み、仲間たちと東北へ撮影旅行に出かけた時の作品です。 3月の終わりなのにまだ雪がかなり残っていて寒かったのを覚えています。 龍ヶ森という駅名は今は安比高原駅として、スキー場では有名な場所となりました。 「花輪線」という路線名も、今の流行なのか、「十和田八幡平四季彩ライン」と、なんか一発では覚えられない路線名になっています。
Railroad Photo Movie Essay 250 常磐線 富岡 夜ノ森 平機関区 140712
Переглядів 4,1 тис.10 років тому
説明 Photo Movie Essayをアップロードするようになって、整理したデータを見ているときに、「夜ノ森」のタイトルが目に入りました。 この辺りは現在(平成26年)、原発事故のため、帰還困難区域、居住制限区域の一部になっています。 常磐線 富岡と夜ノ森の間の大カーブは関東エリアでは、列車全体が一望できるので、よく知られていました。 正月休みの一日、日帰りで撮ってきた写真シリーズです。 いまどのような状態になっているのか気掛かりです。
Railroad Photo Movie Essay 300 B20 鹿児島機関区 吉松機関区 大畑ループ線
Переглядів 16 тис.10 років тому
説明 昭和40年の春休み、高校卒業記念で、九州旅行を計画。 卒業式を終えてすぐに出発、約2週間をかけて、九州を回りました。 北九州の炭鉱地帯の専用線のSL、長崎、平戸、熊本、阿蘇、宮崎、鹿児島と九州をSの字状にグルっと回りました。 このムービーはその九州一周旅行の第1作です。
Railroad Photo Movie Essay 100 形式600 常磐線 四ッ倉
Переглядів 2,1 тис.10 років тому
説明 四ッ倉の600 常磐線四ッ倉駅の磐城セメント(住友セメント)の入れ替え作業をしていた形式600 A8系の中でもこの形が一番良いのではないでしょうか? 特にキャブの窓周りの上部の曲線、兄貴分の形式230譲りの微妙なカーブは抜群です。
Railroad Photo Movie Essay 500 BRIENZ ROTHORN BAHN
Переглядів 59310 років тому
Railroad Photo Movie Essay 500 BRIENZ ROTHORN BAHN
Railroad Photo Movie Essay 200 日本硫黄沼尻鉄道
Переглядів 38 тис.10 років тому
Railroad Photo Movie Essay 200 日本硫黄沼尻鉄道
Railroad Photo Movie Essay 001 C62 広島機関区 呉線
Переглядів 25 тис.10 років тому
Railroad Photo Movie Essay 001 C62 広島機関区 呉線

КОМЕНТАРІ

  • @sesemehebenebebebebebebebebe

    0:30 以降、花巻駅からは南北どちらの方向も背景にこういった山はありません。架線もないので釜石駅ではないでしょうか。

  • @yamachan1425
    @yamachan1425 6 днів тому

    懐かしいお写真、有難うございます。 わたしはS27生まれで、S50年まで玉電の「新町」近くに在住でした。 ところでお写真の2:48~(下りデハ40形)用賀 桜新町間は、用賀 瀬田間 ですね。 既出でしたら恐縮です。

  • @green_line
    @green_line 8 днів тому

    動画を拝見致しました。鹿児島機関区には1971年頃に私も行きました。B20 10が操車場で貨物の入れ換えをやっていました。このB20 10のナンバープレートは金属ではなくて木製だったと思います。懐かしいですね! 肥薩線は未だに復旧工事着工に取りかかってないですけど、どうなるのでしょう・・?

  • @user-kz6ho6oh5c
    @user-kz6ho6oh5c Місяць тому

    この時代は地域的に縁のなかった事もあり直接見た事がありませんでした。大学で渋谷に通う時は玉電は廃止されて1年経った後でした。しかしながら鉄道の足跡はそこかしこに見られました。今は跡形もありませんが。

  • @asaki337
    @asaki337 2 місяці тому

    二子玉川駅付近の写真。富士見会館が映ってますね。20年前に二子玉川に住んでいましたが、辛うじて富士見会館が残っていました。

  • @user-pn8nf5kv5i
    @user-pn8nf5kv5i 2 місяці тому

    素晴らしいです、本当にありがとうございました。

  • @user-dq6tb8fm8o
    @user-dq6tb8fm8o 2 місяці тому

    昭和30年頃、夏休みに住んでいた福岡県から母親の実家のある宮崎県飯野に行く途中の大畑駅でホームに噴水があったのを覚えています。停車時間が長かったので乗客の多くの人がこの水を飲んだり水筒に水を補給していました、今はどうなっているのでしょね。

  • @user-zg4et7wb3d
    @user-zg4et7wb3d 5 місяців тому

    東急は東横線や全ての線路でアクロバットみたいな工事を手掛けてますね。二子玉川の橋は向ヶ丘遊園へ遠足で毎回渡りました。乗用車だと電車車両下側が真横に見えて怖かった😅

  • @たちばなゆうとぉ
    @たちばなゆうとぉ 10 місяців тому

    花巻ってこういった観光資源いっぱいあったんだよね。 先人が作ってくれた物を守れずに廃れていった。 自分が子供の頃花巻市内には百貨店が3つもあった。ボーリング施設も2つあった車通りと人通りが多くてゴミゴミしてて田舎だけど都会感があった。 あそこにいた人達はどこにいったのだろう。百貨店は、ボーリング施設は 全て夢の中に消えていった

    • @表参道-z7k
      @表参道-z7k 3 місяці тому

      新幹線の駅を外されたのが原因でしょうね 誰のせいかは知りませんがw

  • @user-yc4so2ze2w
    @user-yc4so2ze2w 11 місяців тому

    青森県大館ではなく秋田県大館です。小坂銅山は大館市の隣の秋田県鹿角郡小坂町です。

  • @user-gs2zz9gj4r
    @user-gs2zz9gj4r Рік тому

    今はあなた100何歳?

  • @eatoneaton7141
    @eatoneaton7141 Рік тому

    子供のころのスキーといえば竜が森

  • @user-kz6ho6oh5c
    @user-kz6ho6oh5c Рік тому

    いいねぇ❗国鉄時代の機関区飽きる事はないね。

  • @talentstepyoshi
    @talentstepyoshi Рік тому

    二子橋を徒歩で渡って二子新地側を歩くと、旧大山街道との段差がきつく、道幅も狭いのに気づいた。これまで何度も橋と線路を改修しているのだから、地元の発言力のある人がなにか言って、なんとかできなかったのだろうか。

  • @user-kb1hb3oe7j
    @user-kb1hb3oe7j Рік тому

    素晴らしいです‼️うちの親父もSL撮影してたら家宝になりましたが一枚も無😫残念です‼️

  • @user-kb1hb3oe7j
    @user-kb1hb3oe7j Рік тому

    もしタイムマシン有れば、この時代のシロクニ爆走撮影したいです‼️あと機関庫や、C62-49号機解体反対します‼️今あれば復活したかもしれないのに残念です‼️

  • @poissonblanc3106
    @poissonblanc3106 Рік тому

    SLからは、風格や頼もしさが感じられるが、 ディーゼルには、何故か、郷愁が漂う

  • @poissonblanc3106
    @poissonblanc3106 Рік тому

    usのようにカープール適用するとか、sgのように侵入車両のナンバー規制とかしないとだめじゃないかな

  • @user-hc9fi7pd5l
    @user-hc9fi7pd5l Рік тому

    C62懐かしいですね。昔梅小路機関区で乗務していました

  • @valvelive5428
    @valvelive5428 Рік тому

    希少な数々の画像ありがとうございます。江ノ電は海岸沿いを走るため車両の痛みが速く保守メンテが大変だったと聞きます。確かポール集電だと塩害でポールが折れるので日本で最初にビューゲルを採用した鉄道と記憶します。古い足回りに新造車体で頑張っていたことがよくわかります。デハ100型が現役でたくさん走っていたのも素晴らしいですね。電動貨車の電動貨車2の詳細画像も嬉しい限りです。1947年に東急から譲渡されたデト3011ですね。1970年3月に廃車となったそうです。

  • @user-uz4gu4yf2g
    @user-uz4gu4yf2g Рік тому

    東急田園都市線(当時は大井町線)が開業した時に、当時の二子玉川園〜二子新地前間は二子橋併用軌道を単線で渡っていました。所が60年代に入ると車が徐々に増え63年10月から同間の高架化並びに溝の口〜中央林間間の延伸工事が始まり、66年3月19日から上記が高架化されその2週間後に溝の口〜長津田間が開業しました。その後も延伸工事は継続され、68年にはつくし野・その4年後にはすずかけ台・更に4年半後にはすずかけ台〜つきみ野間が開業され初期は単線営業でしたが延伸につれつきみ野を除いて複線化され、そして最後の1駅となったつきみ野〜中央林間が開業し田園都市線は初期開業から18年で全てが繋がり(あざみ野は77年5月開業)、開業時は単線営業だったつきみ野も複線化されました。田園都市線は79年8月からはその座を新玉川線(現・存在せず)・半蔵門線直通車(当時は東急8500系・先月引退)に譲り、大井町〜二子玉川間(2009年に溝の口迄延伸)を大井町線名称に戻され現在に至り、現在は大井町線に急行運転が施行され大井町発田園都市線直通運転も施行中です。

  • @user-ul5jv3zh2o
    @user-ul5jv3zh2o Рік тому

    ありがとー御座いました。とても懐かしく拝見致しました。

  • @user-jk1pw6bi6j
    @user-jk1pw6bi6j Рік тому

    私は、昭和43年に関西線でC57139に八田駅~蟹江駅まで機関車に添乗させていただきました。その時の機関士さん現在95歳と親交があります。本当に有難いことです。当時の機関士さんの中には結構内緒で添乗させてくれました。C57と置き換わったDD51にも亀山駅~八田駅まで添乗させて頂いた事もあります。今から思うと夢のようなできごとです。

  • @kenji-f973
    @kenji-f973 Рік тому

    大変貴重な映像をありがとうございます。足尾の映像は通洞口ではなく有木口だと思います。

  • @akiomatsumoto7923
    @akiomatsumoto7923 Рік тому

    音楽のせいもありますが、これらのSLをみるともの悲しさを感じます。

  • @user-jy7xz2ni6y
    @user-jy7xz2ni6y Рік тому

    東園に交換設備があったなんて今の姿からは想像もつきません。それから1:50あたりの島鉄車両はキハ55ではないでしょうか。扉の位置、窓の数、タイフォンの数から推察いたしました。それがわかるほどの鮮明な画像を残されているのは驚きです。

  • @akiomatsumoto7923
    @akiomatsumoto7923 Рік тому

    60年近く前に慣れ親しんだC59にC62懐かしい。

  • @Chabudaichabudai
    @Chabudaichabudai 2 роки тому

    どうしてこんなに不穏なBGMなの? ホラーっぽい

  • @かんのん-h6k
    @かんのん-h6k 2 роки тому

    お疲れ様です。物心ついたころには廃線になった後ですが、遺構であるとか懐かしい画像が有りました。有難うございます。 2:04~デキが保存されていたのは軽井沢中学校の方ですね。2:18~後方は今は既に無い木造校舎です。国道を背にして撮影されたのでしょう、背景の山は離山になります。現在、機関車は、しなの鉄道軽井沢駅の 旧駅舎口の前に屋外展示されています。

  • @user-pp1ti3hw4v
    @user-pp1ti3hw4v 2 роки тому

    昭和38年迄貝島炭鉱に済んでいました毎日学校の帰り。懐かしく思いますありがとうございます私は今癌でがんばってます:74歳

  • @otaki8796
    @otaki8796 2 роки тому

    とても素晴らしい写真の数々、ありがとうございました。私も一時期鉄道の写真を撮りましたが、愛用したローライ35はピントを合わせるのが難しく、失敗ばかりしていました。でも一番迷ったのが風景の中の鉄道を撮るのか、車両を撮るのかでした。結局どっちつかずで終わってしまいました。

  • @dentetsun3918
    @dentetsun3918 2 роки тому

    東急の併用軌道部分、二子橋が今日と比べ大きく変化した部分ですね。きれいな画像で見れました。

  • @rom8880
    @rom8880 2 роки тому

    私も鉄道雑誌では数枚の写真は見ていますが これだけたくさんの写真を見せていただくと脳内補完で動画になってきます この時代の日本に生活したかった(^o^) 今の世界ほんとうに便利なんだろうか( ̄ー ̄)

  • @user-fj7lr7qx6w
    @user-fj7lr7qx6w 2 роки тому

    昔の江ノ電は 乗用車を道端に止めて そのまま江ノ電に飛び乗る事ができる様な のんびりした余裕が感じられます。🙌🙋‍♂️

  • @出来の悪いおっちゃん
    @出来の悪いおっちゃん 2 роки тому

    時折カラー復元写真を混ぜてスライドしているのは絶妙ですね~私が生まれる前のファンタジックな世界が現実へとつながる気がしました。貴重な映像ありがとうございました。

  • @zpotz8170
    @zpotz8170 2 роки тому

    二子玉川園と多摩川園は東急沿線の子供たちの御用達遊園地でしたね。遠足でいくみたいな遠くにありました。新玉川線がない時代です。

  • @akiomatsumoto7923
    @akiomatsumoto7923 2 роки тому

    C62の50号機をみんなで力を合わせて作りませんか?クラウドファンディングで資金を募り、日立笠戸工場で復刻版として新車を造る。不可能ではないと思います。できたC62は山口線の新山口~津和野で走らせてもらう。どうでしょうか?

  • @user-tf9ct9xk8h
    @user-tf9ct9xk8h 2 роки тому

    鉄道ファンで乗り鉄の鉄道やバスで旅するのが好きな者です。  スマホでほかの動画を見てましたら、この動画が表示されて見ました。  私は、草軽電鉄を体験すらできない、もっと後の世代の人間ですが、当時のまだかろうじて存在していた実際の草軽電鉄を体験されたこと、わたくしから考えたらうらやましいです!  当時の保存されていた電気機関車は、ご存知かと思いますが、デキ13のはずで、確か今は軽井沢駅だったかの駅前か駅近くに保存されているかと思います。 (それより以前は確か中軽井沢駅の近くに保存されてたように思います。その時、私もフィルムカメラ時代でしたが、訪問してその電気機関車をカメラに収めてます!)  保存のデキ13は窓が中サン一本だけが入った、あまり草軽電鉄のほかの機関車にはない窓の形態ですのでデキ13だと分かりやすいです。  私は鉄道自体は体験できるはずもなく、鉄道雑誌や鉄道書籍の写真や復刻版時刻表や鉄道模型で雰囲気を味わってます!  もしこの時代にいたら、どんな鉄道旅をして、草軽電鉄に乗ったかと、鉄道旅を頭の中で空想シュミレーションしたりすることで楽しんでます。  貴重な写真をアップしていただき、ありがとうございました。  それでは失礼します。(終わり)

  • @kumavich2010
    @kumavich2010 2 роки тому

    素晴らしい、懐かしい景色をありがとうございます 学校に上がる前、中耕地の南側、谷川にかかる丸太の橋を渡ったところに住んでいました 二子橋を二子玉川大橋という言い方をしていたことはあったのですか?

  • @user-re5id7rl8z
    @user-re5id7rl8z 2 роки тому

    動画内に、チラッと映った「富士観会館」が懐かしい。そこで会食をしました。

  • @さすらいのアルバトロス

    ライトパシフィックの元祖 最晩年のC51の足回りに 時代の流れを感じます❗ スポークからボックスへ

  • @user-lu4ph6pn3m
    @user-lu4ph6pn3m 2 роки тому

    このつばめは481系ですね 冒頭に登場するのは平からやって来た46でしたね 貴重な映像ありがとうございます

  • @nonbeeman2347
    @nonbeeman2347 3 роки тому

    最後のエンドロール好きです。

  • @さすらいのアルバトロス

    現役時代のC62を見たのは 下関で待機中の姿だけ… 4歳の夏 1961(昭和36)年 8月始めに 特急かもめに 乗ったのが唯一の接点…

  • @KAIHIN-hu4ov
    @KAIHIN-hu4ov 3 роки тому

    うちのじいちゃんに見せたら懐かしいと言ってくれました。ありがとうございます。

  • @haisentetsudouryou
    @haisentetsudouryou 3 роки тому

    貴重な写真尾数々ですね。ありがとうございます。

  • @shinpeikitajima7115
    @shinpeikitajima7115 3 роки тому

    昭和35年と言えば江ノ電の廃止が取り沙汰されていた頃。 こののちディスカバー・ジャパンの余慶で鎌倉観光の足、および江ノ電自体の観光資源としての価値が認められて安泰となりましたが、もしこの時モータリゼーションに負けて廃止されていたら鎌倉の街は今と全然違った雰囲気になっていたでしょう。正直ゾッとします。

  • @user-fw1zd9vg8r
    @user-fw1zd9vg8r 3 роки тому

    釜石線になる前の花巻の町中を通っていた軽便鉄道とかの路線も魅力ですよね 今の鳥ヶ崎神社の裏を通って今のびっくりドンキーのアタリを通ってリアス海外の道沿いに今の似内駅くらいまで取っていた路線 今のほっかほっか亭の裏の道が昔の鉄道の橋があった場所だなって地図を見ているとわかってくる 橋が架かってないのに斜めに川に入っている道がある

  • @user-zz7lw4iq1h
    @user-zz7lw4iq1h 3 роки тому

    映画「カルメン故郷に歸る」でカラー映像の草軽電鉄が見られますね。子供のときにお世話になった方が草津出身で、その方が子供のときに草津の始発駅で運転士さんに「運転台に乗っけて!」と頼むと気軽に乗せてくれたみたいです。昭和30年代初めののんびりした光景が目に浮かびます。

  • @出来の悪いおっちゃん
    @出来の悪いおっちゃん 3 роки тому

    やっぱりC51はスポーク動輪ですよね~!!