【神武東征】山あいの村に残る敵対豪族の終焉の地

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  • Опубліковано 24 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 381

  • @かるかん-u1u
    @かるかん-u1u Місяць тому +87

    宇陀市や川上神社周辺はとてもロマンのある地域だと思います
    また、桜井市出雲にあるダイノダイラも謎多い場所で古代日本の秘密が多くあると思っています
    本当に奈良県は素敵です

  • @knts2905
    @knts2905 Місяць тому +245

    天皇家って要は古代最初期にたくさんいた豪族の中で、覇者になり得て、かつ絶対的ブランディングにも成功した一族ってことよね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +101

      色々意見ありますがそういう事でしょうね。
      で、神様とか書かれてるのは威厳を保つというか、仰る通りブランディング的な事かもしれない。
      だから、スサノオとか本当にそういう暴れん坊な豪族がいた、と私は考えています。

    • @knts2905
      @knts2905 Місяць тому +46

      @@怪奇な歴史研究室 超古代から日本人はブランドに弱いというのも面白いですし、打倒してゼロから自分で始めるより神輿には乗っけといたままで、実権だけ頂くほうが楽チンでいいやってのも、古代からそうなんかい!!て感じでおもしろいすね。

    • @aquacrown9654
      @aquacrown9654 Місяць тому +14

      西洋でも王権神授説とかがあるので、多くの人を統べる根拠として人より上の存在をあてがうのは割と人類に普遍的なことかもしれない。
      むしろ近代科学の発展に伴って超自然的存在の価値が薄れてきている現代が特殊すぎるかも。

    • @田中太郎-e1i1q
      @田中太郎-e1i1q Місяць тому +3

      @@aquacrown9654 「王権神授説も天皇制も、上位の存在に根拠を求める点では類似している」といった視点は確かに興味深いですが、それを「人類に普遍的」と捉えるのはやや過剰です。天皇制と王権神授説は全く異なる宗教的・文化的背景から生まれた制度であり、それぞれの文脈を理解しつつ比較すべきです。
      例えば、天皇制は神道の神話に根差し、王権神授説はキリスト教の神学に基づくという違いを強調すれば、より歴史的に正確な議論が可能になります。

    • @aquacrown9654
      @aquacrown9654 Місяць тому +3

      @@田中太郎-e1i1q
      日本国内閣総理大臣とアメリカ大統領は違う制度に属するから国家元首として括るのは不当だ、という主張をする人でしょうか

  • @レオン-g8q
    @レオン-g8q Місяць тому +56

    隊長 待ってました!!!
    今回も素晴らしい動画をありがとうございます!!!
    いつかお時間がある時で結構です…メンバーシップ限定動画で今回 超要約された辺りのお話を何回かに分けていただいても結構ですので是非お話しいただきたい!!!
    夏休み中ずっと祖母宅で過ごした際、子ども向けの古事記を毎年読んでいた元変な子=現ガチ勢の心からのお願いにございますれば何卒よろしくお願い申し上げ奉りまする🙇💦
    それから→「どうか対向車が来ませんように😢」と祈りながらイニシャルDばりのドライビングテクニックを心臓バクバクしながら毎度拝見していることを申し添えます。
    さて…これから今までのチャンネル動画を一通りまた拝見します。何回拝見しても飽きず勉強になり、楽しいです🎶ありがとうございます🙇

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +15

      ありがとうございます!
      限定ならいいかもしれないですねえ。
      だけど、古事記、マジで長くて、さらに神様が黄泉の国へ行ったりとか
      内容がぶっ飛びすぎてて、ついてけなくて眠くなりますよ笑

    • @レオン-g8q
      @レオン-g8q Місяць тому +7

      @@怪奇な歴史研究室 ご検討いただけそうで嬉しいです🎶お待ちします!!!
      今、古事記を現代語訳でも読もうとすれば絶対に暴力的な睡魔に完敗する自信があります👍なぜ小学生の頃にあんなに夢中になれたのか…きっと純粋だったのでしょうね~

  • @ats3516
    @ats3516 20 днів тому +12

    行きたくても行けない場所を見れる、本当に神動画。最高

  • @ヌュトラピス
    @ヌュトラピス Місяць тому +73

    本当に貴重な動画。歴史学と地理学をミックスして日本史を紐解いていく、しっかりその土地を訪れるのが素晴らしい。ちゃんとそこで人々が大昔から生活をし続けて、そこまでの道中を酷道とはいえ整備してくれたかつての日本国家のおかげでこの動画が生まれてたというところにほんと感謝とロマンを感じてしまいます。願わくばずっと語り継がれて、忘れ去られないようにしていきたい

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +8

      たしかに酷道とはいえ道のおかげ。
      そういう視点に気づかせていただきありがとうございます。

  • @mr.chin-chyan
    @mr.chin-chyan Місяць тому +87

    神武天皇の東征となると、もう神話の域ですけど日本各地にこういった痕跡が残って伝承されていることがどれだけ素晴らしいか。
    今回の動画を見て改めて実感しましたね。
    日本各地にはまだまだこういった場所があると再認識させてくれますね。

  • @5140m
    @5140m Місяць тому +42

    結局は勝者達が創り上げた歴史。
    真実を知るにはあまりにも情報が足りない。
    だからこそ面白くロマン溢れていますね。

  • @r.h.9402
    @r.h.9402 Місяць тому +61

    約2600年前の神武天皇にまつわる地名が残されていたとは驚きと共に、古い地名を長きに渡り大切に使う日本人の信心深さを感じた。
    奈良には何度も旅行に行ったが宇陀に行かなかったのは不覚だった。これからの人生で必ず行きたい

  • @えのちゃんえのちゃん
    @えのちゃんえのちゃん Місяць тому +19

    魏志倭人伝かで、倭人は「暦」を理解していないみたいな記述があり、春秋暦だったのでは?との説もありますね。1年が半年と。特に初期10代目くらいまでの天皇は。

  • @03da35
    @03da35 Місяць тому +14

    今回も重厚な動画のuploadありがとうございます。室長はあらゆる時代の歴史に精通しておられますね。本業をされながらどこにそれだけの研究時間があるのかつくづく頭の下がる思いです。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +2

      いえいえ、ありがとうございます。これからも精進いたします。

  • @xyzbomb
    @xyzbomb Місяць тому +40

    血原という地名を変更せずに残されていることに感銘を受けました。古事記は本来の日本人は性に対しておおらかだった事が伺えて読んでいて楽しいですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +14

      性的な表現はたくさんでてきます。
      だからそういう男女の象徴の神社とかにあるじゃないですか。
      まあ、本能ですからね、本来。

    • @cclemon9793
      @cclemon9793 Місяць тому

      おおらかと言ったら聞こえはいいけど所謂性犯罪も多かったと思いますよ。
      ただそれをおおらかの一言でまとめるのが日本人ぽいですけどね。
      過去も今も日本は性におおらかでav等や例え犯罪系でもよしとされてます。風俗やソープもあります。少女愛的側面もある。
      いい意味で言うとおおらか悪い意味で言うと性はセンシティブな事を知らない。
      現代のは当時生きてないので一概には言えませんが。

    • @cclemon9793
      @cclemon9793 Місяць тому +1

      いい意味で言うと性におおらか悪い意味で言うと性にガサツ。
      そういう意味で当時は性○罪が多くて困ってたと思いますよ。
      現代でもavや嗜好的日本は特殊ですから。
      それをおおらかというのも日本人的な気がします。

  • @フジカワさとし
    @フジカワさとし Місяць тому +6

    仕事で大阪からナビに従ってこの辺りの酷道に迷い込んだことがあるけど、この道幅で一方通行じゃないし途中で「この先は崖崩れで通れません」とかいきなりナビに言われて踏み外したら即崖下みたいな道を2kmくらいバックで引き返して散々な目にあったのを思い出した。

  • @hiro-ym4vh
    @hiro-ym4vh 15 днів тому +2

    神武東征のあらすじを予習しといてよかった。この動画、今風に言うと「聖地巡礼」でしょうか。楽しめました👍️

  • @こつむ-z4f
    @こつむ-z4f Місяць тому +26

    奈良へ来てくださったんですね、それも行きにくい宇陀へ!ありがとうございます♬

  • @リコピン-n7j
    @リコピン-n7j Місяць тому +85

    言い伝えも記録もこれだけあると、とても神話とは思えないほどのリアリティがありますね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +29

      実際に場所が代々残っているというのが、すごいですよね。。
      おそらくは戦国時代とか江戸時代でも村では語られたわけでしょう。時代により祀られ方とかに差はあれど。

    • @いぬ-i7y
      @いぬ-i7y Місяць тому +3

      神話は現実を元に脚色してるからリアルに見える

  • @eh3063
    @eh3063 Місяць тому +9

    動画アップ楽しみにしておりました。
    いや酷道、見てるだけでヒヤヒヤですね💦。
    昔高知中村にいた時にちょくちょく走った酷道439号(ヨサク)を思い出し、ちょっと懐かしかったです。
    「ダンスっちまったらおしまい」には笑いました。
    天孫降臨から神武天皇や長髄彦、金鵄のエピソードは子供の頃に明治生まれの祖母から良く聞きました。しかしこんな場所に神武天皇所縁の場所が有ったとは全く知らず、大変にためになりました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +6

      ここはかなりマニアックで山の奥という感じですが、
      エウカシの話自体は古事記で語られるそれなりに知られた話で、
      まさかこんなところは思いませんでした。

  • @user-bbryO664
    @user-bbryO664 Місяць тому +6

    4:19 アマテラスの事を可愛くコメントしてる主様、最高ですw

  • @専業猫
    @専業猫 Місяць тому +11

    九州の知り合いの知り合い(笑)が、郷土史とか色々調べていて、平な山の上に住んでいた姫様がいたらしいという。何やら巫女のような神子のような事をしていて、今はもうその伝承?も知る人が少なくなったという。私がそれを聞いたのも30年くらい前です。今回の動画とはあまり関係ないかも知れません。いつも楽しみにしております。

  • @KyonKyon-q5n
    @KyonKyon-q5n Місяць тому +3

    教科書と神武天皇ファッションくらいしか知らなかったけど勉強になりました
    ありがとうございます

  • @1128templiers
    @1128templiers 22 дні тому +3

    真実、この動画を見なければ一生知らないままでした。
    ご紹介くださりありがとうございます。
    訪問困難な土地のレポートご苦労様です。
    AIの天照がすごくいい!

  • @おたま-p6h
    @おたま-p6h Місяць тому +8

    更新嬉しいです😊ありがとうございます。苦手な古代史ではありますが、なかなかにおもしろいのも事実。主様、いつも忘れていく記憶と記録を掘り起こして下さりありがとうございます🙇‍♀️スリル満点の酷道もヒヤヒヤもんでしたね!

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +3

      ありがとうございます。古代とか日本神話は話がぶっ飛びすぎてて
      現実感がなくて、頭に入ってきにくいんですよね。わかります。

  • @ぽゆ二郎
    @ぽゆ二郎 21 день тому +4

    実在性はともかく
    神話のモチーフになった
    何かがあった場所と思うと
    これはこれで面白い

  • @tosijoy
    @tosijoy Місяць тому +6

    目的地に向かって車を走らせてるシーンは、いつも過去の歴史の一場面にタイムスリップしてるようで、わくわく感(時には慄きながら…)が有ります。😊ありがとうございます。

  • @buriburizaemon-w4x
    @buriburizaemon-w4x Місяць тому +242

    不敬かも知れませんが、日本中の古墳、遺跡をすべて発掘して欲しいと思ったこともあります。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +79

      それをしないから、つい少し前も古墳から超貴重な古代の剣かなんかを一般人が見つけましたよね。
      台風ででてきたとかなのかな、、すごい話です。

    • @momohiki2000
      @momohiki2000 Місяць тому +51

      古墳の周辺に住んでいた人達はその堀の水を灌漑に使っていたとか、極端だけどそのくらいのユルさがあってもいいですよね

    • @nameko1
      @nameko1 Місяць тому +6

      私も同じく思います😊

    • @AI-GHQ
      @AI-GHQ Місяць тому +27

      古墳はコンビニより多いらしいので「お金出して下さい」が関係各所の本音ではないでしょうか?ミステリーとか浪漫のままの方が良いのか、本当の事や歴史的事実をはっきりさせたいのか、色々あるでしょう。手品の種明かしをされた時に”知らなきゃよかった”と思う事はあります。知りたいけど”本当にそれで良いの?”と私は戸惑います。

    • @masakomasako382
      @masakomasako382 Місяць тому +2

      @@AI-GHQ でも知りたい笑

  • @rayerdarumo5754
    @rayerdarumo5754 Місяць тому +4

    今回も素晴らしかったです。
    自分だけでは行けない場所の動画、心から楽しんでいます。
    神代〜初期の頃の天皇の知識がいまいち薄く、何度資料や本などを読んでも頭に入ってきません。
    本棚を漁って、もう一度読んでみます。
    いつも運転技術が高度で感心してしまいます。
    行きも大変そうですが、帰りはもっと大変そうですね。
    どうぞお気をつけてドライブなさってください。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +2

      ありがとうございます。天皇がたくさんいて、
      見慣れない漢字だしはいってきにくいんですよね。
      神様が途中から天皇になるとかもぶっ飛んでて難しい。

    • @rayerdarumo5754
      @rayerdarumo5754 Місяць тому +1

      @@怪奇な歴史研究室 さま
      昨日、早速本を見つけて読みました。
      神武天皇とヤマトタケルがどうもごっちゃになっていて、ヤマトタケルと大国主命がごっちゃになっています。
      それと、日本の神話とギリシャ神話って、少し似てるなと思っています。

  • @hayatokanekon6339
    @hayatokanekon6339 Місяць тому +13

    日本創世から、天皇即位までの道程。今回は浪漫溢れる内容でした😊
    「血原」は水が溜まる湿地の事を指す事もあるそうです。ある意味稲作と関連された呼び名なのかも知れませんね。次回も楽しみに待っております😊

  • @user-ei8sp6tx3l
    @user-ei8sp6tx3l Місяць тому +5

    数々の動画、歴史好きで拝聴してます😃
    主さんのお一人で巡る興味そそられ、大切になされている現地、住人の配慮もされ、スマートな取材は紳士😊
    怖がりの私には貴重な映像で有り難く、日本🇯🇵歴史のロマンを感じます。危険な事、ご無理はなきように☺️

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +2

      ありがとうございます。変態紳士ですからね。

    • @user-ei8sp6tx3l
      @user-ei8sp6tx3l Місяць тому +2

      @@怪奇な歴史研究室 さんへ
      わざわざお返事恐縮です
      安全重視で深掘りして下さい😊

  • @なーちゃん-n3p
    @なーちゃん-n3p Місяць тому +8

    更新待ってました❤

  • @0328_tokimune
    @0328_tokimune Місяць тому +11

    こんばんは!待ってました

  • @さんかくまる-g8c
    @さんかくまる-g8c Місяць тому +34

    ちょうど今古代史にドハマりしてて、何てタイミングのいい動画を上げてくださり嬉しいです!
    神武天皇はフィクションと言われているのに、その行動が割と具体的だったりしますよね
    天照大神の岩戸に隠れたのが日食ならヤマトタケルのヤマタノオロチは土砂災害なのかな?それだったら崩れた土砂の中から剣が出て来たというのも納得です
    神話を読み解き、天皇の系譜を辿っていくのも面白いですね、神話時代は名前が難しくてなかなか頭に入ってこないのが難点ですけど…w

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +16

      それはいいタイミング。そうなんですよ、比喩表現かもしれなくそこもロマンですね。
      古代だと、謎過ぎて、どんな人でも平等に自由に考察できるんですよね、ある意味。

    • @ronkon1000
      @ronkon1000 Місяць тому

      ヤマタノオロチは治水だな。なお、八俣の八は、「たくさん」って意味。斐伊川の治水と灌漑、鉄器(天叢雲剣がメタファー)の利用による稲作の普及を、あの伝説は象徴しているみたい。

  • @チェルシーお父さん-s8q
    @チェルシーお父さん-s8q Місяць тому +4

    私も宗教とは別に、動画で竹内睦泰さんの古事記の宇宙の本を知り古代の日本の歴史や神話に興味を持ちました。今年は、奈良県の橿原神宮に行きました。今度は宮崎県にも行きたいです。AIアマテラスいいですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +3

      神武東征ルートを巡ってみたいですね、何日かかるやら。。

  • @maisuu8516
    @maisuu8516 Місяць тому +4

    このチャンネルで神武東征を取り上げてくれるとは……
    個人的に胸熱です。
    いつか神武東征のルート巡ってみたい

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +2

      古代はすべてが諸説というか、
      色々な見解もありため、若干、動画が難しい部分もあるんですよね。

  • @nari-tech5052
    @nari-tech5052 Місяць тому +4

    とても興味深いお話でした、いつか訪れてみたいです

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +1

      うお!ありがとうございます!
      宇陀は何もないですが、奈良のこの地域は近くには色々ありますしオススメです。

  • @三澤多恵子
    @三澤多恵子 15 днів тому +2

    車で移動しても、こんなに大変なのに、歩いていったなんて、東制もらくてはない!!

  • @Ocha.oiiii4
    @Ocha.oiiii4 Місяць тому +16

    最近チャンネル知って寝る間も惜しんで動画みてます!更新ありがとうございます😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +3

      ありがたいお言葉、恐れ入ります、ありがとうございます。

  • @錦ト
    @錦ト 13 днів тому +1

    血原あたりの米食べてます!美味しいですよ✨

  • @tairanotomomori714
    @tairanotomomori714 Місяць тому +4

    面白かった!
    ありがとうございます

  • @魔王-q6y
    @魔王-q6y 18 днів тому +2

    不運(ハードラック)とダンス💃しなくて良かった︎︎👍❗( ꒪ͧ-꒪ͧ)💦爆笑🎉😂🎉
    チャンネル登録しました︎︎👍😊
    思いっきりツボ🏺でした😂
    三重や奈良はちょっと外れると、こんな酷道ばかりやからハラハラしますよね🤔⁉️💦
    ⛩️血原神社🐉行ってみようと思います︎︎👍😂
    イカした動画ありがとうございました🙇‍❗

  • @諸坂義仁
    @諸坂義仁 Місяць тому +15

    いつも興味深い動画ありがとうございます!
    個人的には、仏教伝来の起源がより遡りつつある中(起源3世紀頃?)、710年に編纂された古事記にいつも知りたい所を煙に巻かれる思いがします。
    確実に“元ネタ“となった出来事は存在したのでしょうが、後世の脚色、天皇家の権威付けの“ツール“としての側面もかなり強いと感じますね。
    あ、私は皇室否定派ではありません。念の為…😅

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +7

      ありがとうございます。両方可能性はありますね。
      私も古事記について、神武東征は外の民族の混血民で、
      日本固有の豪族を納得させるための説とか
      色々とそっち側の説も読んだことあります。

    • @asdfgh-bo8vv
      @asdfgh-bo8vv 26 днів тому

      人為的に創作された権威であることを理解できているのになぜ肯定派?

    • @諸坂義仁
      @諸坂義仁 25 днів тому

      @@asdfgh-bo8vv
      多分、左派やリベラルな発想の人間からは詭弁とか言われそうですが(苦笑)、何だかんだで人一人の一生より遥かに長い2000年以上もの間紡がれてきたこの国のカタチを、大前提として前向きに捉えているからでしょうか。
      時の権力者(貴族、武士、大名他)もその気になれば根絶やしに出来たものを、結局は皇統を立ててきた訳で…。
      遠き古の浪漫に思いを馳せるのは個人的に大好きですが、翻って我が身を思えば、御先祖様1人欠ければそもそも存在してませんし、それらの方々が(発端は兎も角)連綿と深層で日本の中心に据えてきた御一族をとても否定なんて出来ません…
      あくまで個人的な見解ですが、答えになってませんかね?上手く書けませんが、長文失礼しました😅

  • @marusy8
    @marusy8 Місяць тому +26

    よっ!待ってました。

  • @kaikoba6254
    @kaikoba6254 Місяць тому +8

    おつかれさまです。
    奈良で頭文字Dをなされ
    地元民としては うれしいです♡
    古事記分野 大好きです🎉
    長生きな天皇さん、同じ名前を
    複数人で世襲されたのでしょうか。
    (勝手に考察)
    続編お待ちします❗️

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +3

      ああ、世襲説もありますね。
      何しろ、無限に可能性広がるのが古代のおもしろいところです。
      ただ、何もなかったという事は絶対になくて、
      中国側の書には海の向こうに倭人がいたとはっきり書かれているんです。

    • @kaikoba6254
      @kaikoba6254 Місяць тому +2

      旧唐書や魏志倭人伝など読むと
      面白いですね☺️
      長髄彦さんを祀る神社巡りを
      してみたいです。

  • @天照-jpn
    @天照-jpn Місяць тому +1

    タイトル見ただけで惹かれて見に来た。凄い着眼点だなぁ…

  • @yacgmiya9768
    @yacgmiya9768 9 днів тому

    神武天皇に纏わる話はロマンで溢れていますね。神津嶽も登拝されると、面白いですよ!

  • @tontangui
    @tontangui Місяць тому +11

    楽しみ😊

  • @布施俊徳丸
    @布施俊徳丸 Місяць тому +9

    神武が上陸した東大阪市の盾津は紀元前後が海岸線であるため神武東征の大体の時期は分かってきています。
    神武東征の話の否定も
    邪馬台国のヤマト説の否定も明治時代には地質学がなく知るすべか無かった、古代の大阪平野が海だった事実を知らずに誤った判断をしていただけでしかなかったわけです。

  • @IrukaKumano
    @IrukaKumano 10 днів тому +1

    機会があれば福岡県に多くある高木神社なんかも調べてほしいです。

  • @Y_0229
    @Y_0229 Місяць тому +1

    春秋二倍暦説というのを初めて知ったので興味深かった!魏志倭人伝の注釈に由来する説のようですね。
    当時はもちろん病院もなく出産も命がけ、生まれてから成人になるまでも命がけという時代だと季節をいくつ越したかが齢の目安になってても不思議はなさそう
    愛する我が子が寒い時期を1つ乗り越えて耕す季節を迎えてくれた、暑い時期をまた1つ乗り越えて収穫の季節を迎えてくれた。
    当時の一般住民にはカレンダー的な知識もない時代、何かそういう親心的なロマンも感じる動画でしたw

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому

      当時の倭は暦をあんまり理解してなかったみたいな話もあるみたいで。

  • @masakomasako382
    @masakomasako382 Місяць тому +16

    隊長お疲れさまです
    私はガチ勢です!神武天皇のお顔日本人ばなれしてます。古時計を歌ってた方みたいです。
    隊長のお話1時間でも2時間でも歓迎します。
    感動しました

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +8

      古代の人の顔は濃いですよねw

    • @whm1rg
      @whm1rg Місяць тому +6

      そう言えば、平井堅は三重県名張市の出身です。

    • @masakomasako382
      @masakomasako382 Місяць тому +2

      @@whm1rg えーっ!そうなんですか!ビックリです!

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +2

      言われてみれば忍者フェイスですね

  • @東丈-u8r
    @東丈-u8r 19 днів тому +3

    神武天皇、沖縄にも縁があるみたいですよ😊

  • @okame-z8c
    @okame-z8c Місяць тому +10

    キター!!神武東征!古代の話は本当におもしろいですよね!よく、山蔭の表先生の動画やTOIAND VLOGも視聴します。しかし、、学校の歴史では全然教わらない。。一体何をもって正しい歴の勉強なのか。。酷道の撮影お疲れさまでした!にゃんこなら喜び💕 できれば、縄文の考え方の争いの無い世界に戻ってほしいですね

  • @ちゅん太-f2e
    @ちゅん太-f2e Місяць тому +111

    「卑弥呼」は「姫尊」のことを指す。古代名前を他人に露にすることはなかった。それは呪詛の対象になるからだ。「姫尊」の前には地名などが付いたとも思われるが定かではない。仮に卑弥呼が皇統譜に連なるのならば、「卑弥呼」という名ではない。記紀の「ヤマトトトビモモソヒメ」がそうだとする説もあるが、おそらく違うだろう。ヤマトトトビとは「トトビ=人が死ぬ比喩」てせはなくて「大和+都(助詞のノ)+トビ(地名登美か)」かも知れない。「モモソ」とは魏から送られた多くの衣(ソ)のことだとする説もあるが、箸墓に葺かれた多くの石(モモは多くの、ソは石のこと)だとするのが順当だと思う。要は「大和の登美におわして多くの石に葺かれて眠る古墳の主」といった意味か。さて卑弥呼は記紀に見られないという。たしか海部氏系譜にあるという説もあるが、かのマクモニーグルによる透視が真実に近いと思う。さて、毎回面白い。博識+行動力の向かうところ敵なし(笑)

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +29

      大陸側からのだから「卑」という字があるんでしょうかね。
      日本の正史にのってこないものが多くありますからね。
      でも、中国の漢書とかには、海の向こうに倭人が住むと書かれていたりする、ロマンですよ。

    • @ちゅん太-f2e
      @ちゅん太-f2e Місяць тому +15

      @@怪奇な歴史研究室 「卑」字については様々な意見があるが、どうやら向こうの字書には倭人「ひ」発音に当てる漢字群の上位に「卑」字があって、その採用には別段の意味はないらしいですよ。

    • @5140m
      @5140m Місяць тому +1

      お見事

    • @橘花門
      @橘花門 Місяць тому

      なんでビにしているの?日はヒ。登美ではなくて迹迹日ですよ。ヤマトのトトヒのモモソひめ。モモは、百。ソは襲名の襲。ヤマトの歴代の日の垂迹の日(太陽神)の霊的な存在。この日の部分を、変えちゃダメでしょ。😊

  • @eaupon
    @eaupon Місяць тому +1

    すごい面白かったです。応援してます

  • @おだいふく-x6t
    @おだいふく-x6t Місяць тому +5

    三重県から奈良県に向かう山間の隘路がなにかいわくありの感じがします。深い樹木を縫うように進む道の上にいきなり白装束の卑弥呼のような女性がいたらこわいですね。むかし岩下志麻さんの卑弥呼なんて映画ありましたけれど、あんな感じの岩下卑弥呼がでてきたら恐怖そのものです。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +3

      丑の刻参りみたいですね

    • @おだいふく-x6t
      @おだいふく-x6t Місяць тому

      @@怪奇な歴史研究室 伊勢神宮が表の歴史を現し、その奧というか裏街道が吉野や高野山などの熊野街道なのかもしれませんね。後醍醐天皇も古事記のいわれに習って吉野の山奥に引きこもったのかもしれません。紀伊半島を中心とした古来~中世~現代までの歴史の闇を解きほぐすと、何かが見えてくるのかもしれないですね。その点ここに着目したぬしさんの目は慧眼だと思います。

  • @rikao199
    @rikao199 Місяць тому +3

    今回も日本史の先生の余談的な内容盛り沢山で知らないことだらけでした😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +3

      も少し邪馬台国とかもふれたかったのですが、
      それはまた別の機会にと思いまして。

    • @rikao199
      @rikao199 Місяць тому +2

      @怪奇な歴史研究室 卑弥呼が出てくれば邪馬台国ですね☺️楽しみにしてます🥰

  • @ayuki12345
    @ayuki12345 Місяць тому +3

    更新お待ちしていました
    古代史はロマンですね

  • @西祐
    @西祐 Місяць тому +2

    この時代の話しはあまり私は触れたことがありませんでしたこれは面白いですね、少し勉強してみます

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +2

      神様が途中で天皇になるとか、字も複雑で、理解が難しいけどおもしろいですよ。

  • @user.pickles
    @user.pickles Місяць тому +4

    大己貴神社 福岡県朝倉の地は弥永にある我が国で最も古いといわれている神社 福岡県朝倉郡筑前町[旧三輪町]弥永にある[大己貴神社]我が国で最も古いといわれている神社のひとつです・奈良の大神神社 [三輪明神] 周りの地名は、大己貴神社周辺の地名と似てますよね 九州からの関西へ移り住んだ可能性がありますよね

  • @empmile6119
    @empmile6119 Місяць тому +2

    このような場所が残っている、そんな日本がすき

  • @真高賢一
    @真高賢一 Місяць тому +6

    合戦場に現れた金の鳥とは金色の鳶の事ではないですか。旧日本軍で武功の有った軍人に授与された金鳶(きんし)勲章は、この故事から来たものです。

  • @壺谷又五
    @壺谷又五 Місяць тому +10

    橿原神宮も魅力ですが、こういう伝承の残る地もかなり魅力です。ありがとうございます。

  • @しげ-t7w
    @しげ-t7w Місяць тому +2

    AIアマテラスが可愛いすぎて
    今までの話が吹き飛びました

  • @otokih4797
    @otokih4797 Місяць тому +10

    待ってました!と目に涙(笑)ありがとうございます。
    古事記、私も何度も挑戦しました。
    凄い道筋でも集落に行きつくのですね。
    古代大和からの人間の凄さに恐れ入ります。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +7

      古事記は内容がぶっ飛んでるのと、
      神様の名前が長すぎて、なかなか入ってこないところがありますね。

    • @らぷ-e8x
      @らぷ-e8x Місяць тому

      @@怪奇な歴史研究室 しかも複数の名前があるから余計混乱しますね。
      バナナ型神話など海外の神話との共通点が多いことも興味深い...というかやはり渡来と結びつきます。

  • @さくら-v9x6g
    @さくら-v9x6g Місяць тому +6

    熊野市にも花の巌神社という神武天皇関係の立派な神社がありますね

  • @泰之進II
    @泰之進II Місяць тому +8

    このチャンネルの大ファンです!
    神武天皇を取り上げていただき、とても嬉しく思います。
    ありがとうございます。
    邪馬台国と日本書紀・古事記がリンクしないのは、大和王朝と邪馬台国は全く別の国だったからでしょうね。
    卑弥呼の後に男の王が継ぎ、その後に女性の壱与が邪馬台国を継ぎますが、女性が大和王朝において立て続けにトップになった歴史はありません。全く別の国であることがわかります。
    邪馬台国は九州の山門(やまと)郡にあった国だと思います。
    この地には女王の山である女山(弥生時代の出土品もある)や女王塚(伝・田油津媛墓)や女王に関する史跡や魏志倭人伝に記載のある卑弥呼の墓の特徴と合致する権現塚古墳もあります。
    この山門(邪馬台国)に関する記述が、日本書紀にもあり、神功皇后が九州遠征した際に、山門に田油津媛という女王がいて、神功皇后に攻め滅ぼされたという記述があります。
    邪馬台国は4世紀後半に神功皇后により攻め滅ぼされ、卑弥呼没後の150年後も女王が君臨している国であり、田油津媛をもって早々に歴史から消えたことが、記録が少ない理由でしょう。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +1

      ありがとうございます。邪馬台国はやっぱ別ですかね。
      九州だとは私も思うのですが、そのうちこのへんもやりたい。

    • @泰之進II
      @泰之進II Місяць тому +1

      @@怪奇な歴史研究室
      是非よろしくお願いします😊
      楽しみにしてます!
      魏志倭人伝に「倭の北岸にある狗邪韓国に到着する。これまでが七千余里である。」とあるので、当時の中国(魏)の人は朝鮮半島南部は倭人の国との認識だったようです。
      邪馬台国を含んで北九州から朝鮮半島南部にかけて、緩やかな倭人連合があったのでしょう。
      日本側の日本書紀や高句麗の好太王碑や三国史記に4世紀に倭国が朝鮮半島にたびたび進出する記録が出てくるのも邪馬台国の滅亡により、その影響が朝鮮半島南部に及んだことが起因しているのかもしれないです。
      古代はロマンあります😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +1

      そう、そのへんも興味深いんですよ。
      ただ、その時代やり始めると、そのうち、中国の三国志もやりだしてしまいそう笑

    • @huckeco6561
      @huckeco6561 Місяць тому +1

      @@泰之進II
      魏志韓伝には倭国との国境が朝鮮半島の南部にあるように
      記述されてますね。
      そして邪馬台国の衰退に伴い倭人連合が弱体化の懸念があって
      大和朝廷に支援を願う為に
      ”都怒我阿羅斯等”が来着したと言われてますよね。

    • @恵-o6g
      @恵-o6g Місяць тому

      あり得ない。
      大和には製鉄遺跡が全くない。それに対して九州北部には多数の製鉄遺跡があり、最古のもので2世紀のカラカミ遺跡がある。
      また、大和の古墳から鉄はほとんど出ていない。それに対し、九州北部の遺跡は弥生時代のものでも多数の鉄が出土している。
      鉄はヒッタイト発祥と言われており、それが東へと伝わった最終地点が日本なのだから、海を渡ってきたのは確実で、朝鮮や中国により近い九州北部が鉄において先行しているのは当然。
      それは馬にしても同じです。
      戦闘において鉄と馬の導入が九州北部より遥かに遅れている大和が、どうやって九州北部を神宮皇后時代に倒せるというの?

  • @誠士-d4d
    @誠士-d4d Місяць тому +1

    今回もお疲れでした✨✨
    古代でヤマトタケルについて調べた後だったので 興味深いお話でした
    にしてもあの道💦事故なくなによりです

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +1

      あの山道で事故ったら電波ないし、集落まで何kmもある。終わりですよ。
      冗談抜きで、雪なら命にかかわると思う。冬は通行止めかもですが。

  • @ベイダールー
    @ベイダールー Місяць тому +6

    もしよければですが、いつか北部九州の装飾古墳や、天皇の軍により滅ぼされた九州の領主、筑紫君磐井についても調べてみてほしいです
    関西の古墳と違い、ヴィヴィットでサイケデリックな幻想的な壁画があり、本当に古代日本のものなのかと疑いたくなるようなものがたくさんあります。
    なかには、うきは市の珍敷塚古墳のように古代エジプトに似たモチーフ(鳥と船など)の壁画もあります。
    筑紫君磐井についても、かつて九州にはヤマトと違う王朝があったという説があったり興味深いです

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому

      興味深いですね、やっぱ九州か。ペトログリフもありますしね。

  • @橘未央-b6e
    @橘未央-b6e Місяць тому +4

    待っておりました。
    狭い狭い山道を延々と走ってましたが、私には無理。
    古事記は読んだ事がありますが、神様達が活躍する時代の話が面白くて好きですね。
    天の岩戸のお話、因幡の白兎、海幸彦と山幸彦のお話
    ……etc。子供の頃に慣れ親しんだ昔話(神話)、今のお子様達で知ってる子は少なさそう。
    神武天皇の物語も神話と歴史の事実が混在していて、日本の歴史の長さと謎の奥深さを実感します。
    討たれた豪族をお祀りする神社があるのも、鎮魂の意味もあるのでしょうか。人の気配が無くとも、きちんと管理していて大事になさってるのがよく分かります。清浄な雰囲気が画面を通じて感じられました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +5

      紀元前660年がほんとなら日本はダントツで最古の国家ですが、
      さすがにそれは誇張で弥生頃だとしても、日本は世界的に歴史が長いほうですね。
      なので、そういう歴史ある国の古代の神話はロマンがでてきますよね。

  • @エットちゃん-z4x
    @エットちゃん-z4x Місяць тому +3

    人にとっては遠い昔ですが、自然界にはほんのさっきの出来事なんだろうなぁ。

  • @コーヒーうまい-t1e
    @コーヒーうまい-t1e Місяць тому +5

    神話といえどもそれなりの下地があると思いますので、
    神武天皇は実在説は私も賛成します。
    戦の記録なども、魏志倭人伝とはいえ実際にそれなりの戦いがあって勝利をしたことで、
    有力な存在になったと思われます。
    首領殿の知識の深さはさすがです!

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому

      いえいえ、私も歴史家の意見とかを照らし合わせており、
      たぶん情報のアップデートは一生続くのだと思います。

    • @ronkon1000
      @ronkon1000 Місяць тому +1

      天皇家もさかのぼれば、徳川家の祖、栃木から三河に移ってきた世良田次郎三郎みたいに初代はいたはずで、それが神武ってことですね。部族の酋長みたいなもので、神武って名前ではなかっただろうけど。

  • @wouldhrough
    @wouldhrough Місяць тому +24

    はっきりトゲのある言い方で言ってしまうと、神武って食料を求めてやって来た賊みたいに感じました😅笑
    奈良にやって来て即位も、武力で乗っ取ったって所は、イギリスのノルマン・コンクエストみたいな感じだなと思いました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +14

      まあ、そうですよ、おそらく。ただ、解説ではトゲをなくすために
      「世の平和統治のため東征した」という言い方が多いですかね。

    • @会計士くん
      @会計士くん Місяць тому +3

      昔の覇者ってみんなそんなもんやない?

    • @wouldhrough
      @wouldhrough Місяць тому

      @@会計士くん
      勝った方が正しくなりますからね。

  • @上原隆則-l9k
    @上原隆則-l9k Місяць тому +3

    素晴らしい 古代ロマン

  • @mikiono1126
    @mikiono1126 Місяць тому +3

    おおー、宇陀か!行ってみたい場所の一つです。

  • @MrBachura
    @MrBachura Місяць тому +22

    そう。この神武東征のように、邪馬台国は九州で興り、近畿に移動した。と思ってます。
    なので邪馬台国は九州も近畿も時期によりどちらも正しい。と思ってます。
    しかし、古代史まで造詣が深いとは、、
    あと丁度橿原神宮来週行く予定です笑

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +6

      私も実は橿原神宮も行ったんですけどねw、飛鳥とかあのへんも今回行ってるので。

    • @三澤多恵子
      @三澤多恵子 11 днів тому

      @@MrBachura 最近、邪馬台国は、伊予だったという、UA-camに興味を持ってます!!全然今までそんな話聞かなかったので、なかなか面白いですよ!!

  • @好昭-q5f
    @好昭-q5f 20 днів тому +1

    いつの時代も歴史は勝者の歴史。古事記・日本書紀にも言える事。国譲りや神武東征等は、平和のための戦いだったと思いたいです。太平洋戦争もしかり。平和な日本があるのも八百万の神のおかげです。

  • @佐藤裕太-b1o
    @佐藤裕太-b1o Місяць тому +4

    ふと思ったことですが……いわゆる聖徳太子架空論は「当時、皇族の1人として斑鳩に居住していた厩戸王は実在したが、推古天皇の皇太子及び摂政として憲法十七条・冠位十二階制の導入と遣隋使という政策を実施した聖徳太子は後世の創作であり架空の人物である」というものが概要です。
    そして、この論理を逆手に取る形で「九州地方から大軍勢を率いて、神々の加護の下、大和を大規模な暴力・武力制圧し例の四字熟語の建国宣言を発して、大王つまり初代天皇に即位したとされる神武天皇は架空であるが、九州地方からシルクロードのキャラバンみたいに旅立って、瀬戸内海地方を交易しながら移動する旅路の末に大和の三輪地方の豪族に婿入りと橿原地方に入植したイワレビコノ命(天皇号成立時に天皇号を追贈される)に相当する個人の実在は否定できない」という概要で「神武天皇実在論」を論じることができるでしょう……か?

  • @clippers4307
    @clippers4307 Місяць тому +5

    2000年以上まえから、景色に変化がないのかもしれませんね。
    ❨血原なんて地名をつけないでしょ、普通の感覚では❩

  • @AI-GHQ
    @AI-GHQ Місяць тому +2

    狭い川沿いの道に杉林って日本中ありますよね。あの狭い道は日本の原風景と思う事があります。

  • @user-Kirei_Kotomine
    @user-Kirei_Kotomine Місяць тому +2

    いつも楽しく拝見しています。タブラツヒメ辺りも動画にしていただけると嬉しいです。

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 Місяць тому +3

    いつもありがとうございます。😮
    宇陀市は、龍穴神社など行きました。昨日は、柳生藩ゆかりの忍辱山、円成寺へ行きました。
    いつも楽しい動画ありがとうございます😊 桓武天皇が仏教勢力から離れるため、京都に遷都したとも。😅

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +4

      あと、八咫烏神社行きたかったけど、時間の都合でいけませんでしたね。

  • @cclemon9793
    @cclemon9793 Місяць тому +1

    日本は全て和合していったというのを熱心に信じてる人も多いですよね。
    本当の歴史はどこにあるのか。
    本当に八百万の神はさらに昔は居たのかもしれませんが。

  • @ちゅん太-f2e
    @ちゅん太-f2e Місяць тому +5

    …卑弥呼は関係なかったね。神武の敵対したエウカシは多分、「穿つ」からの造語で、縄文式住居を「穴を掘って住む人」としたものかな。長脛彦はトミ~と記されるが、先々月発掘された「富雄丸山古墳」の「富」との関連がある。また副葬された異形の蛇行剣が、蛇祭祀で物部氏との関係が伺われる。神武東征の真実は不明だが、ある時期の何かを示しているのかも知れない。古代は謎が多いというか分からないことだらけ。後編を期待してますよ~

  • @mg4259
    @mg4259 Місяць тому +4

    八咫烏は3本足の大烏ですね。サッカー日本代表チームのエンブレムにもなってますね。☺️
    自衛隊でも陸海空様々な部隊で部隊章等に八咫烏が用いられてます。☺️
    外国だと鷲ですが日本は烏ですね。☺️

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +4

      この八咫鳥が秘密結社だとか都市伝説も色々ありますね。
      まあ、それくらい神聖な日本を代表する象徴みたいな感じなのでしょうね。

    • @mg4259
      @mg4259 Місяць тому +2

      ですね。☺️
      あと八咫烏は勝利の象徴でもありますね。☺️

    • @ronkon1000
      @ronkon1000 Місяць тому

      熊野から奈良ってすごい大峰山とか山岳信仰の山を抜けていくから、ナビゲーターは絶対必要だったと思う。それがその山に精通した部族の八咫烏ってことだよね、たぶん。

  • @0000aiyu0000
    @0000aiyu0000 Місяць тому +2

    田舎の酷道たまにこんな道ありますね。大量の落ち葉でタイヤが滑って恐ろしかった思い出があります。

  • @トム-j7d
    @トム-j7d Місяць тому +13

    三重から奈良へと続く道は、とても味わい深いですネ
    動画の配信有難うございます。今回もとても勉強になりました。
    (=^x^=)

  • @Mocha0630cha
    @Mocha0630cha Місяць тому +2

    宇賀神社、ウカノミタマとも関係ありそう。生駒は富長髄彦の本拠地と伝わります。トミという地名も沢山残っており埋もれてしまった歴史があるようで。奈良は奥深い。

  • @細井賢一-u2h
    @細井賢一-u2h Місяць тому +3

    少々盛ってるところが神話にはありますね、でも実に面白い動画良かったです。

  • @TheOtherKine
    @TheOtherKine Місяць тому +1

    面白いな〜

  • @oinarisann
    @oinarisann Місяць тому +1

    おもろいチャンネル見つけて嬉しい

  • @ヨシ-f9w
    @ヨシ-f9w Місяць тому +4

    九州の大噴火が天の岩戸伝説を
    あらわしたものいう説もありますよ
    大噴火の煙の影響で昼間なのに
    夜のように暗くなった為です

  • @りうすもうん
    @りうすもうん Місяць тому +1

    こういう道は、車でターンできないと泣きそうになりますよね、、、

  • @富美石田
    @富美石田 Місяць тому +1

    最近私も名張に行ったところだったんですが😣かなり道がくねくねしていてもしかしたらこの近くを通ったかも知れないなと思いました🎉
    とてもこんなところにこんなものがあるとは思えなかったんですが😣
    動画有難うございます🙇👍

  • @じゅりあな-k2z
    @じゅりあな-k2z Місяць тому +2

    空が暗くなり金の鳥が現れた・・・日食が起きたのかなと思ってしまいました。

  • @kanetawerewolf
    @kanetawerewolf Місяць тому +2

    素晴らしい 😂

  • @たむらまろ-q9q
    @たむらまろ-q9q Місяць тому +6

    9分なのに大河ドラマ一本見たかのような満足感…🤗たまに山の城に行くのにあんな酷道を通りますが、ひたすら対向車来るな!と神に祈っています☺️

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +2

      ありがとうございます。たしかに、ダラダラ長くはしないようにしてますね。

  • @jf178082035
    @jf178082035 Місяць тому +1

    旧約聖書を読めば納得する。
    同時代を生きた人々はかなりの長寿であった。

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 Місяць тому +3

    いやあ、すごい道ですね。宇陀の山道は縄文のころには既にあったのかもしれませんね。まさかこれほどのすごい林道とは知りませんでした。
    日本書紀 三/神武 戊午年八月乙未、天皇使徴兄滑及弟滑者〈○中略〉時兄滑不来、弟滑即詣至、因拝軍門而告之曰、臣兄兄滑之為逆状也、
    〈○中略〉天皇即遣道臣命察其逆状、時道臣命審知  云々という
    『記紀』の神武神話で兄滑・弟滑のエピソードは、実在人物のことではなくて、古代豪族の兄磯城・弟磯城という表現によって、
    神武天皇に協力した部族と、協力的でなかった部族の比喩なのかもしれませんね。
    たぶんここでいう神武天皇とは生まれた場所も時代も異なる神武天皇が複数人実在していたような感じですね。
    その王たちを神武東征の神話で一つの時代の歴史物語として書いたのでしょう。
    それぞれの神武天皇にとっては、同じ物語でも、意味が全く異なる物語である気がします。
    兄磯城・弟磯城の物語は、わざわざ磯城という名前を書いていることから、大和王権草創期の初代皇室海王家に協力し、やがて融合同一化し大和王朝となる
    後の第9代まで続く、歴史書には出てこない出雲系磯城王家のことを書いている暗喩なのかもしれないと思いました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +2

      そうですね、あと八咫烏ももしかすると神武側に味方し案内した豪族の象徴かも。
      これ和気清麻呂の場合だと、九州でイノシシが土地を案内するんですが、
      それでイノシシが狛犬の神社とかがあるわけなのですが、
      これのイノシシは秦氏の事という説もあり、そういう比喩表現かもしれません。

  • @jinjyamovie
    @jinjyamovie Місяць тому +2

    神武の東征はいろいろ言われていますが、
    神武を崇神と考えた場合にはこの東征が現実的かなと思いますね。
    磯城瑞籬宮伝承地が大神神社から少し離れた天理教の近くにありますが
    そこから東征したならわりと良い線行っている気がします。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +1

      あと、ヤマトタケルなんかも言われますが、
      複数の人物の活躍を神武東征と一つにした説とかもなくはないかもですね。

    • @jinjyamovie
      @jinjyamovie Місяць тому +1

      @@怪奇な歴史研究室
      倭姫の元伊勢探しの旅が 宇陀からのルートで伊勢入りしているのでその辺り
      年代がごっちゃになている感じはしてます。

  • @nakanaka6973
    @nakanaka6973 Місяць тому +3

    もしも東征があったとするなら、従士団(日本史の概念じゃないけど)みたいな集団で東に向かったのか?飢饉という現実的な問題が動機だとしても、どうしてこんなに長距離を移動する必要があったのか?謎が多いと感じました。
    いずれにせよロマンを感じる話ではありますね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому

      神武のあと空白の代もあるので、かなり謎ですね。

    • @ronkon1000
      @ronkon1000 Місяць тому

      ヤマトタケルが複数の英雄を象徴したように、神武も複数の部族の長を合わせたものかもですね。斎藤道山も、実は親子二代で美濃をゲットしたように、神武も何代か経て東征してきた。市川團十郎って、成田屋に何人かいると思いますけど、第〇代神武天皇、みたいな。世襲名だったら、1人の事績として伝えられても無理がないと思います。

  • @takahiro-pw6lw
    @takahiro-pw6lw 11 днів тому +1

    天照大御神可愛い

  • @sankyusan
    @sankyusan Місяць тому +2

    かなりタイトなスケジュールにて三重、奈良、大阪と廻られておられたのですね・・本当に頭が下がります。またの来寧、来阪の際には、日本屈指の酷道、暗峠をイニシャルDばりに体感をして頂きましょう。。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +4

      お疲れ様です!暗峠は酷道として有名ですね、雰囲気あるし。
      最後の正行ゆかりの地は本当に貴重でした。
      ありがとうございます。帰って確認したら古墳の中と付近の映像だけなぜかピンボケしていて、
      それ以外は普通に撮れているという謎現象がありました。
      カメラは壊れておらず、、貴重な石室の映像だけぼやけていて、、怖い系の現象?、と思いました。。

    • @sankyusan
      @sankyusan Місяць тому +2

      経塚古墳はやはり凄い異空間です。祠堂での儀礼が滞ってしまっていることの影響があるのかもしれません。先はもうやめときましょうとおっしゃられたあたりは、まさに正行、正時の終焉地と伝わる天王堂ヶ芝すぐの脇道でした。あそこは何度行きましても息が詰まりそうになります。内心、やめておこうかとも迷いましたが、動画に遺して頂くことも供養になるかと存じまして、、やっぱりかなりなものをお感じになられたのでしょう。すみませんでした。本当にありがとうございました😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +1

      いえ、貴重な体験でありがとうございました。感謝しかございません。
      ですが、古墳の石室だけ全部ぼやけてたのが残念で…笑
      一般の人も来れないような古墳で、間違いなくお経の石室は貴重映像なわけです。
      カメラがぼやけたのは、これが最初で最後で、今も故障していません。
      古墳の外の入口あたりからぼやけてて中の映像も。。
      上に登ると地蔵様おられましたが、そこからのカットは完全に直っています。
      あそこはけっこう怖い場所ですね。

    • @sankyusan
      @sankyusan Місяць тому +2

      @@怪奇な歴史研究室 さま
      あそこに僧侶でない者が1人で入れたら強者です。最近に隣の市にも関連調査に行きましたらあの経塚古墳の如来蔵石碑の翌年に、同じように法華経の一石一字塔が建てられてありました。江戸時代、疫病があの範囲であり、村人たちがかなり怯えて収めようと亡くなった方々の供養と共に必死に願掛けを行ったのだと思われます。隣の市の方は疫病は近くの古墳の祟りとされ、古墳近くに塔がありました。同じく、こちら側も疫病にて、それは古墳の祟りとして、古墳へと一石一字を納めたのでしょう。いずれにしましても慰霊、供養は大切であると改めて思いました。まさに慰霊の旅。感謝致します。合掌