【島津家呪いの歴史】いわくの現地4ヶ所へ

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  • Опубліковано 17 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 347

  • @霧島-f8b
    @霧島-f8b 2 місяці тому +41

    鹿児島伊佐市(大口市)、新納忠元の忠元生まれですが、島津家がこんなに分家があり、本家、分家との間に争いが多かったとは、初めて知りました。島津家と言えば、鎌倉時代に鎌倉から鹿児島の地に移り住み、島津四兄弟の活躍から幕末の島津斉彬、久光については、知っていましたが、今回勉強になりました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  2 місяці тому +7

      私も今回の動画作成にあたり、島津を調べなおし、勉強になった。とにかく分家がすごい。

  • @新城優-y7n
    @新城優-y7n 3 місяці тому +73

    毎回思うのですが、緻密な取材に感服いたします。

  • @kuusan-p4v
    @kuusan-p4v 3 місяці тому +50

    鹿児島住みなのに初めて知るところもあって本当に興味深い…。
    今回の動画も面白かったです!

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 3 місяці тому +27

    島津氏の歴史にも頼朝公が絡んでいるようで。静御前の赤子を砂浜に埋めた場所は、実際には砂浜でなく、別の場所があるという識者もいるようです。信長や義経は、カリスマ、ストレートなイメージ、頼朝公は、なんとなく、嫉妬深くネチネチしたイメージがあります。あの当時は、身分の高い女性の正座の作法は、片膝座り、長い立派な太刀を身に着けたそうです。今秋も龍谷ミュージアムに行く予定です。島津氏の貴重な動画感謝しています。😮

  • @橘未央-b6e
    @橘未央-b6e 3 місяці тому +64

    勇猛果敢な一族の島津氏。その裏には長い歴史の間に激しい攻防があったのですね。
    今はただ、御霊が安寧で居られる事を願うのみです。

  • @エットちゃん-z4x
    @エットちゃん-z4x 3 місяці тому +78

    更新ありがとうございます。
    全力で生き抜いた方々の痕跡、感無量です

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 3 місяці тому +19

    九州も複雑なんですね。大友宗麟が実際には、合戦のほとんどは、家臣がやっていたらしく、キリスト教に関心を示すようになったのは、彼の後半生を過ぎた頃と聞きます。
    神社の御神木が何かを語りかけるようでした。300人塚に献花があり、少し安堵しました。島津氏は、源平藤橘のいずれかと思い込んでいました。ありがとうございます😮

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +6

      大友氏は切支丹の土地を広げるため戦するとか、そういうブッとんだほうでしたね。島津義弘が関ケ原からぼろぼろに落ちているとき、
      助けたのは立花氏か。

    • @大場華太郎-s8b
      @大場華太郎-s8b 3 місяці тому +5

      @@怪奇な歴史研究室 さん 大友宗麟ではなく、立花左近将監宗茂ですよ。
      実父の高橋紹運が、島津家との戦いで壮烈な討ち死にをしているので、島津義弘を討ち取ることを進言する家臣が少なからずいたのですが、彼はその家臣らを𠮟りつけて島津への闇討ちも許さずに、無事に薩摩へと落ち延びさせました😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +6

      そうだ、立花氏だ、間違えました笑、修正しときます。

  • @mfukushima777
    @mfukushima777 3 місяці тому +39

    ご先祖が島津家の家臣だったと伝わる只の一般人です。
    祖父が都城出身でした。
    小生は関東住まいです。
    投稿主の方は、中世史を専門に学ばれた方でしょうか?
    凄く内容の濃い見応えのある動画で大変勉強に成りました。
    ありがとうございました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +13

      けっこうご先祖様がゆかりある方多いですね。
      私は第二次世界大戦とか近代史のほうがほんとは得意ですね~

  • @大トロケット
    @大トロケット 3 місяці тому +13

    鹿児島編、バイクで史跡巡りが趣味な地元民としてとても楽しめました!アップロードありがとうございます♪
    後半に写っていた仁王像を柔らかく表現したような石像、何処かで見たような記憶が有り辿って見ると大隅半島肝付郡に有る旗山神社の石像に様式がそっくりでした。(ここは戦地に向う兵隊さんの祈願場所でした)
    更に肝付郡の、諸説有りますが旧ドラえもんのスネ夫役で有名な故肝付兼太氏が肝付氏の当主という説も有り興味深いところで有ります。
    又、武家繋がりで言うと大隅半島の島津家に敗れた歴代当主の墓は当時島津家のお膝元の現鹿児島市に向かって背を向けて建立されているのも興味深いです。
    90年代に大隅半島視点からの島津家と対立した某大名の歴史モノのミュージカルに音楽担当で色々勉強させてもらいました♪
    あとは神代の時代、大隅半島に有るウガヤフキアエズの墓とされる川沿いの吾平山陵、ここは宮内庁の管轄なのですが現在は上流の汚染によって夏場は汚れた藻の繁殖によって神域が汚されている気がします😢。
    もし良かったら、鹿児島の大隅半島編も期待しております。もし良かったら不肖私もご協力したいてす♪
    大隅半島の佐多岬近くのオカルトと勘違いされる話だと、苗字が「猿喰」(さるばん)という方々がいらしてとても不遇な思いをされてらっしゃいますが、まず猿を食べてたのではなく、住んでた場所がお猿さんが沢蟹食べてたのに由来してるのにとんでもない苗字になってもうて役所で苗字変更されてる方が多いと聞きました。
    あとは神々が大隅半島から船出して東征の旅に出たという教育委員会お墨付きの解説付きの港が有ったり、有る意味大隅半島は歴史考証するのにはめっちゃ楽しいですよ~。
    機会がございましたら是非ともいらっしゃって下さいませ~♪

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +4

      大隅半島は行かなかったんですよね、知覧側は今回いきました。
      いつか行ってみたいですね、マニアーックな史跡あったら是非メールくださいませ!

    • @大トロケット
      @大トロケット 3 місяці тому +4

      @@怪奇な歴史研究室 ご返信ありがとうございます。大隅半島はあまり怪奇な史跡無いように思えますが、私が出生時にお宮参りした神社は元は寺院であり、明治期の廃仏毀釈で石仏が深く削られて、後に並列に鳥居を配置した珍しい神社となりました。その後神主さんは代々無くした物の場所を言い当てたりと神通力で有名です。
      私もツーリングで訪れた際に神主様とお話できて、大腸に持病が有るのを言い当てられてびっくりしました。
      大隅半島の旧海軍海上自衛隊鹿屋航空基地内の基地史料館には旧陸軍特攻基地跡の知覧平和会館とは戦争と平和に対するアプローチが、よりどうしたら平和に
      繋がるのか、平和を脅かすものに対抗する術を持つことへの具体的な展示がなされているので、お時間がございましたら両方ともご見学なさってそれぞれ異なる平和へのアプローチを考えてみるのも良いのかもと思います✨

    • @きみ-n4c
      @きみ-n4c 3 місяці тому +5

      肝付家の子孫の者です、語り継がれていますのが、島津家と肝付の戦で肝属川が真っ赤になるくらいの激しい戦いがあり、負けた肝付には「この地に残るののであれば姓を変えよ、姓を名乗りたければ他の地へ行け」とのことで薩摩半島北薩に移ったとの事で、謀反を起こさぬ様に島津家からは7人の見張り番が付き、いまでもその姓の方は居られる様です。

  • @kotetuiai3276
    @kotetuiai3276 3 місяці тому +81

    島津家発祥の地にも関わらず300塚の荒れ放題は怨霊の力の為に何もできないのかな? 整備してちゃんと祀って欲しい。

  • @誠士-d4d
    @誠士-d4d 3 місяці тому +22

    こんばんわ
    島津家ってこんなに複雑ドロドロだったんですね
    勉強になりました
    いつもありがとうございます お疲れ様です

  • @ボヤッキーのユースフ
    @ボヤッキーのユースフ 3 місяці тому +9

    少人数で挑んであの島津を唸らせるほどの剛勇とは凄まじい。
    武勇のみならず采配の方もきっと達人クラスだったんでしょうね。
    残念ながら全国区ではほぼ無名。
    大いなる歴史の濁流の底に埋もれてしまった英傑を
    紹介してくださり感謝です。
    「人は空ばかり見てる〜♪」
    中島みゆきさんの「地上の星」の歌詞の一節を
    思い出しましたよ。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +2

      地方豪族クラスのこういう無名の武士もいっぱいいたんですよねえ。

    • @ボヤッキーのユースフ
      @ボヤッキーのユースフ 3 місяці тому +1

      @@怪奇な歴史研究室 いっぱいいたんでしょうねぇ…。もし信長の時代に生きてた人物ならば、ゲームにも勇将として登場して最低でも赤井直正や長野業正クラスの評価はされてたんじゃないかなぁ。

  • @KM-hs8fu
    @KM-hs8fu 2 місяці тому +7

    最近このチャンネルを知ったのですが、クオリティ高すぎてびっくりしてます。
    いろいろ今拝見してますが、知らないことだらけでそれにも驚いてます、。
    あと声がめちゃくちゃ良いですね。
    エンディングのBGMと映像がどんどん切り替わるエフェクトもカッコよすぎです。
    センスの塊でしょうか😅
    日本の隠された伝承、逸話、忘却された歴史の数々、、今後もどんどん掘り起こしていただきたいです。

  • @今沢尚友
    @今沢尚友 3 місяці тому +11

    鹿児島在住者です。もっと早くに知りたかった動画です。これからゆっくり拝見させていただきます。
    興味深い動画これからも応援しています😊😊😊

  • @shinsaku_kihei
    @shinsaku_kihei 3 місяці тому +17

    いつも楽しみにしております
    ナレーションが好きなんだよなぁ

  • @Ringoame4
    @Ringoame4 3 місяці тому +20

    過去と現在が時を超えて重なり合うような、その場所に当時を垣間見るような気持ちになるこのチャンネルが好きです。

  • @Okayu3
    @Okayu3 2 місяці тому +8

    こういうの生々しくて歴史を肌で感じられる。なんだか血が騒ぐ🩸
    お疲れ様でした。ありがとうございます🙇‍♀️

  • @rikao199
    @rikao199 3 місяці тому +24

    鹿児島シリーズ待ってました😊❤
    内容盛り沢山なので何回か視聴します😅

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +8

      ありがとうございます。
      島津家だけで本来何本も動画作れるくらいの話なんですよね。。

    • @rikao199
      @rikao199 3 місяці тому +7

      @@怪奇な歴史研究室 そうなんですね😍全部聞きたいです☺️✨

  • @pataraxminx7495
    @pataraxminx7495 3 місяці тому +13

    盛り沢山の島津編ありがとうございます🙏
    有名な4兄弟の島津以外にもあったのですね。
    そして島津内での争いも…
    北原氏の話も初めて知りました。哀しい姫のお話も…見所多く、何度も見返したいと思います。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +8

      けっこう長くなってしいましたが、
      そうですね、2~3回くらい見ていただいてもいい回かも

  • @ちょこ-p9p
    @ちょこ-p9p 3 місяці тому +39

    島津家ってこんな大変な一族だったんですね、😢
    九州って本州と歴史の奥深さが違って怖い恐ろしいところありますね。
    なかなか人が移動しずらい離れ地だったからでしょうか
    今回もゾーッとしながらもとても面白かったです、島津家、パート2も楽しみにしています。😅❤

    • @saejima1326
      @saejima1326 3 місяці тому +7

      戦国時代は有名な武士の一族にはよくある話でしょ😅
      家督争いなんて

  • @斉藤一-w2o
    @斉藤一-w2o 3 місяці тому +11

    いつも各地域の貴重な歴史の紹介、ありがとうございます♪

  • @yy-jf5jv
    @yy-jf5jv 3 місяці тому +9

    歴史の中での島津という名の、光と闇の狭間というか、なんとも言えないですね。
    素晴らしい動画ありがとうございます

  • @user-hm5vo4gj7r
    @user-hm5vo4gj7r 3 місяці тому +11

    今回も引き込まれましたね〜!時間帯なのか?タイムスリップしたかの様なロケーションで自分なら昼間でも一人は心細い(笑)更新アップ嬉しかったです。ありがとうございます🎉

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому

      私の動画は夜見るのを推奨しています。より世界観に引き込まれるからです。

  • @タンカレージン
    @タンカレージン 3 місяці тому +9

    戦国期の島津にこんなことがあったとは知りませんでした。分家の争いは知っていましたが、まさか三百塚があるとは…秀吉も酷過ぎますね…

  • @タコ焼き次郎
    @タコ焼き次郎 3 місяці тому +73

    大義に生き、忠義に散った
    300人のもののふたちに
    合掌。

  • @kiyotashiro6992
    @kiyotashiro6992 3 місяці тому +7

    いつもチャンネル拝見しております。タイトルを見て、出水の三百塚だろうと察しはついていましたが、名君と呼ばれた島津忠兼公をよもやご紹介されるとは思わず…私の実家は野田領主だった忠兼公の配下だった郷士格の家です。若宮神社は小さい時のかくれんぼなどの遊び場でした。はたまた出水の三百塚は高校の通学路。立て看板、昔は狭い歩道沿いにきちんと経ってましたが。。。
    出水周辺には郷士集落が点在しており、出水の麓集落含め、現在でも玉石垣の武家屋敷群が残っております。島津家の方針で、出水は北境の重要な防衛拠点だったからです。敵侵攻時には各地域でゲリラ戦術が展開できるよう、鹿児島県内には武家屋敷群がたくさん存在しています。
    是非、次回いらした時には、武家屋敷群もご覧いただければと思います。
    今後のご活躍お祈りいたします。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +2

      ありがとうございます。若宮神社でかくれんぼとは。。
      神隠しに合いそうな神秘的な空間でしたよ。
      そうです、武家屋敷行きたかったのです、、
      時間の都合でいけず、また絶対行きたいと思ってます。

  • @sk-wy6ws
    @sk-wy6ws Місяць тому +2

    祖母が大口市(伊佐市)の人でした。北薩地方の風景がとても懐かしいです。そしてこんなに多くの英霊たちの痕跡があるのですね。とても勉強になりました。ありがとうございます。

  • @user-thisyear424
    @user-thisyear424 3 місяці тому +12

    凄い調べられましたね。
    ありがとうございます。
    勉強になります。
    出水市、宮之城町、薩摩町、横川町
    横軸の不思議が沢山有りそうですね。

  • @kuma-mame1
    @kuma-mame1 3 місяці тому +10

    今日、初めて知りました。島津家、色々な戦国武将が居ますが、その中で実は一番最強だと思っている鬼島津にスポットを当てて頂きありがとうございます。

  • @mゆうり
    @mゆうり 3 місяці тому +9

    私の先祖は南九州一帯を納めてた藤原の末裔の西家、小山田です、先祖のお墓は加治木町にあり文化財になって、その頃の島津は一豪族でしたが力をつけた島津は蒲生など一族を赤子まで惨殺する非道を重ね我が小山田は藤原の子孫ということもあったのか配置換えで済みましたが何か島津であったのか我が先祖を祀った神社⛩️が水害にあった時島津が仁王像も寄進してます、蒲生氏に至っては地元の子供が次々と神隠しに遭いお墓を建てた所治りました、そのお墓も中々重い空気感があります。

  • @レオちゃんミーちゃん
    @レオちゃんミーちゃん 3 місяці тому +13

    島津家にも主家と分家色々あるんですねー
    勉強になります。
    一族内での勢力争い…いつの時代も人間は愚かしいですね。
    配信ありがとうございます。

  • @マリアアントニア
    @マリアアントニア 3 місяці тому +4

    島津家の歴史が長く、家系図を見ながら説明を聴いていても、頭が追い付かず熟知出来ない😭
    家臣が300人も次々と切腹って、私的には「死ぬことないのになぁ〜、別の生き方を見つければ良いのに…敵方について生き残りチャンスを待てば良いのに」とか思ってしまいます。
    島津家は斉彬の時代だけ知ってて、それ以前の事はあまり知らなかったので、勉強になりました。
    霧島神社だけ観光で行った私😭

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +1

      これでも家系図はかなり簡略化していて、まあ分家が多いんですよね。
      斉彬と久光、戦国時代が島津は有名ですからね。

  • @おぅす-t7f
    @おぅす-t7f 3 місяці тому +11

    島津の人、勝っても負けててもいっつも楽しそうなの好き

  • @みなづきみなみ
    @みなづきみなみ 4 дні тому

    内容の濃い動画をありがとうございます。首都圏から大隅半島に移住してきた者です。大隅といえば肝付氏が有名ですが、戦国時代島津宗家に滅ぼされた筆頭家老の家系・伊集院氏という有力な一族もおり、自分はその居城跡近くに住んでいます。
    宗家側についたのか?薩摩半島側で生き延びている流れもありますが、都城とも関わりが深かった大隅半島側の流れについては、消されている歴史が多いです。古戦場だったことが分からなくなっている場所に人が家を建て、不幸に遭った話もあります。

  • @kanat3267
    @kanat3267 3 місяці тому +8

    島津家、先祖一族が仕えた時代もあったようです。
    親の代で京都に住んでいますが、関係者が島津姓。
    元が秦氏なら腑に落ちました。
    そしてラストのシーン。島津家の方々が、投稿者さまに感謝の意をあらわしているように感じました。島津家の人々は権力を誇示というより、自分たちに戦う力があることを自負しているようで、取り上げてもらうことで魂が救われているようです。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +2

      秦氏のいくつかある系統のひとつが島津だと思います。
      鎌倉時代からの名門中の名門ですね。島津家。

    • @masayafujiki8471
      @masayafujiki8471 3 місяці тому +2

      島津源蔵氏の祖先は、太閤秀吉に検地で協力し、島津を名乗るようになり、それまでは、井上を名乗っていたそうです。初代の源蔵は、電気自動車で通勤。島津製作所の社旗もにていますね。確か島津記念館か島津製作所のホムペにそのような説明がされていました。😮

  • @太陽郁弥
    @太陽郁弥 3 місяці тому +13

    縦軸と横軸の考え面白いですね。そんなふうに考えたことはなかったかもしれません😮

  • @ヤナセ-x2z
    @ヤナセ-x2z 3 місяці тому +7

    最近両親がご先祖様の歴史を辿っていた際に、薩州島津家の家臣だったが改易のため別の地に移り住んだという話を聞きました。
    三百塚という史跡は知りませんでした。
    打ち果てた塚は悲しいです。
    今度お参りしてみます

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому

      へー、じゃあまさに今回のお話、、
      別の地で主君に仕えた武士もいたんでしょうねえ。

  • @おはな-m5v
    @おはな-m5v 3 місяці тому +23

    島津家の歴史がこんなに複雑なんて初めて知りました😂
    戦いのピタゴラスイッチって言葉がピッタリすぎて…笑
    悲劇的ではありますが、敵にも認められるほど強く戦った上に、最後に一句刻んでいけるのがカッコいいですね。死ぬ時は一句刻めるぐらいの何かを成し遂げたいものです。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +3

      おはなちゃんはキミか!笑

    • @おはな-m5v
      @おはな-m5v 3 місяці тому +2

      @@怪奇な歴史研究室 私です〜🫶
      先日はメンシプの問い合わせにご対応いただきありがとうございました!

  • @torikara0604
    @torikara0604 3 місяці тому +5

    日本史系のゲームアプリのオフ会が地元鹿児島であった時に参加したんですけど、
    他の参加者の方が「薩摩はエゲツないんだよな〜」「これだから島津は〜」と口々に貶すのを聞きながら、内心「そんなん戦国の激動の時代ならどこも同じだろ?」ってちょっぴり腹が立ってましたが、
    この動画を見て島津家ってもしや日本史上最も残虐だったりしないか不安になりました🥶😱

  • @ももやましゃん井卜
    @ももやましゃん井卜 3 місяці тому +5

    前から思ってた。
    島津家のゆかりの地をいくつか訪問した時の栄華とは程遠い恨みつらみ物悲しさ。物凄い怨念を感じた。
    恐らくだけど相当数の影武者が用意され島津家の武勇が作られた。
    要するに1人の武勇を作り上げるために数十以上の当人と影武者が死に最後に生き残った影武者が島津として家督を継いでいったのではないか思う。

  • @user-bbryO664
    @user-bbryO664 3 місяці тому +12

    同じ一族、でも最期は一族同士で戦い、秀吉の命により出兵し戻れば全て奪われていた。そして帰る場所すら奪われた一族は死を選んだ...。悲しい。どうか数人でもいい、安らかに眠って欲しい。

  • @nari-tech5052
    @nari-tech5052 3 місяці тому +1

    ありがとうございます!

  • @たむらまろ-q9q
    @たむらまろ-q9q 3 місяці тому +5

    警察制度の祖、川路利良の銅像がこんなところにあるなんて知りませんでした😮!旅行のとき鹿児島の警察署でも見たような…🤔
    怪寄さんの動画は教科書では習わない裏の部分を知ることができ、大変勉強になります。
    鬼島津に認められるなんて、すごい青年がいたものです🤗❇️

  • @うぐ-j2t
    @うぐ-j2t 3 місяці тому +14

    昔の方は本当に凄いです!現代人の私達ではきっと途中で諦めると思う😅
    後でゆっくりもう一度動画見ようと思います

  • @みんみん-t3v
    @みんみん-t3v 3 місяці тому +20

    わぁ☺️更新😊
    待ってました❗

  • @実生-v1q
    @実生-v1q 3 місяці тому +12

    更新ありがとうございます。お待ちしておりました!何度も拝見致します。

  • @log4646
    @log4646 3 місяці тому +3

    鹿児島出身ですが、昔の人たちは忠誠と覚悟が人一倍違いますね。そんな主人に支えたものたちに尊敬の念を抱きますね。

  • @クロタカ-o4i
    @クロタカ-o4i 3 місяці тому +7

    キタコレ😊
    酒を飲みながら、拝見します🍶

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +3

      夜、酒のみながら見るのが一番いいです。私の動画は。はい。

  • @user-uc841yyi
    @user-uc841yyi 3 місяці тому +9

    ガッツリ近所が出ていて嬉しいです、そして、島津の知らない歴史も知ることができました。
    ありがとうございます😊

  • @カエル男-x1q
    @カエル男-x1q Місяць тому +2

    6:30くらいから音楽、映像ともども鳥肌ものでした。

  • @大悟加藤-f7f
    @大悟加藤-f7f 3 місяці тому +5

    しかし良く調べてお詳しいし, 行動力がある. 島津が鎌倉時代に鎌倉幕府の御家人で守護として鹿児島入りしたのは知っていましたが, 島津家内でこんなに内紛があった事は知らなかった. 本当にこんなマイナーな出来事を良く調べあげましたね. 驚きました.😮
    しかし秀吉は やはり驕っていたのか, 碌な事をしていないのが この動画で再確認できました. 九州征伐で抵抗した島津家を恨み 少しでも弱体化させたかったのでしょう.
    主家である織田家も蔑ろにした秀吉は やはり好きにはなれません..
    島津家もこんな事があったのに 良く関ヶ原で西軍に付き, 大坂の陣でも陰で豊臣家を支えたものだと思います. 薩摩武士の恩顧を大切にする律儀さだったのですかね?
    島津家は好きな戦国大名の一つです.
    また戦国期の武将の話を楽しみにしています. 頑張って下さい.😊👍

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому

      ありがとうございます。
      島津も最初は東軍につこうとしてたんですよね、
      伏見城で元忠に拒絶され西軍についた流れだったと思いますが、
      三成への義も多少なりともあったとは思います。

  • @masakoyura7822
    @masakoyura7822 3 місяці тому +9

    島津家にこんな分家が数多くあったとは知りませんでした 毎回思いますが歴史は残酷 多大な命の犠牲の上に現代を生きる私達がいる このことを忘れないようにしないと

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 3 місяці тому +22

    主さま、お待ちしておりました。
    300人切腹、恐ろしいです😢😂
    関ヶ原では、しんがりを務めた島津隊がたくさん亡くなりましたね😮

  • @KK-so4hv
    @KK-so4hv 3 місяці тому +11

    秀吉がもっと理性を持ってた頃なら、こんな悲しいことにはならんかったんだろうな

  • @tomoe0603vivivi
    @tomoe0603vivivi 3 місяці тому +7

    更新楽しみにしています!知らない歴史をしれるのは楽しいです。しかも現地の動画まで……暑い中お疲れ様でした!いつかメンバーシップになりたいです😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +1

      ありがとうございます。メンバーはほんとに気が向いたらでいいです。

  • @pontarou01
    @pontarou01 3 місяці тому +50

    わたしゃ会津だけど薩摩は強いだけじゃなくて情を重んじるとこはいいと思うです。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +12

      長州のほうがやっぱ嫌いなのかなあ

    • @政宗-n8z
      @政宗-n8z 3 місяці тому +10

      ​@怪奇な歴史研究室  脇からすみません。私の肌感ですが、長州には深い嫌悪に近い思いがありますね。私は長州にも多少縁があり、民間の華やかな正月の迎え方とか羨ましいと思う所もありますが、会津の方々の未だに消えない思いは薩摩や土佐とは比べ物にならないと思います。

    • @pontarou01
      @pontarou01 3 місяці тому +6

      @@政宗-n8z
      土佐藩兵はとても統率が取れてて評判良かったそうです。

  • @otokih4797
    @otokih4797 3 місяці тому +6

    恐れ多くも御身に災い無き事を祈念いたします!
    祓いたまへ
    浄めたまへ
    守りたまへ
    幸へたまへ
    かしこみかしこみ申す!
    興味深い動画です。ありがとうございます!

  • @だいすけ-h8k
    @だいすけ-h8k 3 місяці тому +25

    島津家の強さの秘密が分かるような動画でした
    途中武田信玄が出てきましたが、島津家は信濃(長野県)にもいて
    上杉謙信に従い武田信玄と川中島で戦ったみたいです

    • @mg4259
      @mg4259 3 місяці тому +9

      現在の長野市長沼、赤沼地籍を領地としていた島津家ですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +6

      それも動画で取り上げてもおもしろいかも

    • @mg4259
      @mg4259 3 місяці тому +7

      同じ長野市内の若穂保科地籍は保科正之公の保科家後の会津松平家の発祥の地です。
      隣の須坂市井上地籍は毛利元就公に粛清された井上元兼公と同族の井上家が領地としていました。

  • @メークイーン男爵-z7g
    @メークイーン男爵-z7g 3 місяці тому +8

    動画終盤の「謎の施設」については微かな記憶が残ってますが、1997年の住宅地図で確認したところ「観音寺」となってました。
    臨済宗相国寺派の寺院のようで、現在も寺院名簿には載ってますね。
    切腹した彼らの居城は東に3キロほど離れた出水小学校の背後にある亀ヶ城(こどもの頃はシロヤマと呼んでました)だと思われます。
    もはや近寄ることも叶わなかったのか、追い返されてここを終焉の地に選んだのか。
    廃城後の江戸期は小学校の正面側に武家屋敷群(現観光スポット)が整備されて、跡地は外縁に点在する石垣などが確認できる程度で
    大部分はゆっくりと木々に飲み込まれていったようです。 まさに「つわものどもが夢の跡」。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому

      おお、やはりお寺でしたか、しかし今は廃寺になっていなければいいのですが。人の気配がなかったような。。
      あの三百塚も観音寺さんが管理しているのかもしれないですね。

  • @細井賢一-u2h
    @細井賢一-u2h 3 місяці тому +21

    島津家の歴史かなり根深いですね😮

    • @masayafujiki8471
      @masayafujiki8471 3 місяці тому +3

      九州は、陶氏の、最後も凄惨だったようです。😢

  • @tosijoy
    @tosijoy 3 місяці тому +6

    戦国時代から、遥か先、島津家は、日本の歴史においても、重大な立ち位置にお有りますよね。
    歴史の重みを思います。

  • @ramen-soba-udon2203
    @ramen-soba-udon2203 3 місяці тому +3

    日本史が好きな自分にとって最高のチャンネルを見つけました
    どの動画も面白くて最高です
    楽しく見させていただいてます
    時間があるときに山梨県周辺の甲斐武田氏関連の動画をいつか見れたらなと思います

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому

      武田信玄のお墓とかストック動画であるんですよね、いつか、動画にしたいですね。

    • @ramen-soba-udon2203
      @ramen-soba-udon2203 2 місяці тому

      @@怪奇な歴史研究室 そうだったんですね!!
      楽しみにしております😊

  • @畑中則仁
    @畑中則仁 3 місяці тому +7

    このような場所は昼の明るいときの景色と夜の暗いときの景色とで全く感じるのが違うんだよね。

  • @ちゅん太-f2e
    @ちゅん太-f2e 3 місяці тому +18

    今回は迫力ある武家と土地の話。日本の歴史の血生臭さが漂ってくる物語。秀逸です(喜)

  • @tairanotomomori714
    @tairanotomomori714 Місяць тому +2

    川路の話が出ている動画はこれだったんですね!
    銅像がこんな所にあるとは!

  • @九戸政実-z6p
    @九戸政実-z6p 3 місяці тому +30

    戦闘に次ぐ戦闘ばかり……。
    そら、最強の血に飢えた鉄機兵が誕生するわな……😱

    • @kouzouji-h2i
      @kouzouji-h2i 3 місяці тому +3

      名古屋から来月九戸城跡に行きます。薩摩隼人は外城で郷中を作り若者たちを育成し軍団化する組織を作り上げていた、又示現流を磨き武士としての矜持を鍛錬した。

  • @レモン-m5l
    @レモン-m5l 3 місяці тому +5

    内容もさることながら、イケボで耳馴染みの良い喋り口調。中村トオルさんにちょっと声似てる

  • @kousei-vq5gd
    @kousei-vq5gd Місяць тому +4

    島津家の血筋が今の日本で影響力を持っていると言うのがすごく興味深い、、やっぱり昔からの名家は遺伝子も優秀だろうし積み上げてきた心構えや思念があるから現代でも強いんだろうなー

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Місяць тому +1

      最近でもタイムリーに話題で、秋篠宮家の佳子様のお相手が、島津家の末裔といわれてますよね。

    • @kousei-vq5gd
      @kousei-vq5gd Місяць тому +1

      @@怪奇な歴史研究室 さん
      驚くほど島津の血筋は皇室に入り込んでいるんですね。勉強になりました。

  • @ごろろ-r1z
    @ごろろ-r1z 3 місяці тому +4

    お勧めで流れてきてふと拝視聴しました。もともと島津に興味と敬意を持っていたので面白かったです。鹿児島県、こういったところも訪問してみたいです。

  • @marusy8
    @marusy8 3 місяці тому +4

    長旅お疲れ様です。興味深い話をありがとうございます。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +1

      ちょっと今回はマニアックです、ユーチューブじゃ多分でてこないでしょうね。

  • @木之花桜
    @木之花桜 3 місяці тому +25

    更新ありがとうございます、お疲れ様です。
    これだけの出来事をこの尺にまとめられるのは凄いです!この度も大変勉強になりました。
    三百塚の御由緒書きが傾いたままになっているのは少し切ないですね…。
    😂不謹慎ながら、お家騒動の連鎖がピタゴラスイッチと唐突な小僧猫に笑いましたw

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +9

      ありがとうございます。
      島津家まだまだあるんですよ、本動画はこれでもかなりまとめましたね。。

  • @checkgolf
    @checkgolf 3 місяці тому +5

    動画、ありがとうございます😊

  • @わこ-n6u
    @わこ-n6u 3 місяці тому +16

    すごい。一族が一丸となり最強に君臨し続けたのかと思っていました。 姫の伝説も何かの暗号みたいで気になります。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +11

      一族内で戦いまくりですね、
      それも一族外の敵とも戦いながらです。。
      動画で伝えきれてない戦いもまだ多数あります。
      むちゃくちゃですよ笑、島津家

  • @海街-y7b
    @海街-y7b 3 місяці тому +4

    時間のある時…行ってみたい😊

  • @たねいち-j2f
    @たねいち-j2f 3 місяці тому +5

    時が流れて風化していく首塚だけど 真新しい花が添えられ 地域の人が変わらず大事にしていることがわかる

  • @つやくん-u5z
    @つやくん-u5z 3 місяці тому +8

    兵どもが夢の跡と言いますが…
    それではすまされないエネルギーを現場に行くと感じるのでしょうか…
    今回も強烈でした!

  • @孝貴
    @孝貴 2 місяці тому +4

    東北の南部一族も味方同士親戚とか争いとか多いイメージ、動乱の時代戦国時代ってすごい時代だわ

  • @nari-tech5052
    @nari-tech5052 3 місяці тому +4

    私の地元も関係していて勉強になりました

  • @のき猫-j6v
    @のき猫-j6v 3 місяці тому +3

    島津家といえば斉彬と篤姫の印象ばかりだったので💦島津家の歴史が知れて良かったです。
    安良神社の姫様は可哀想でしたがお宮を建てて祀って下さった村人達の思いが伝わります。昔は毎日が命懸けだったかと思うと切ないです。見応えのある動画をありがとうございました

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому

      ありがとうございます。斉彬あたりの動画もやってもいいかもですね。

  • @西祐
    @西祐 3 місяці тому +10

    島津家といえば丸十の家紋と関ヶ原合戦の適中突破くらいしか知りませんでしたがなかなか深いですね…
    隊長の言う縦軸と横軸の過去現在はよくわかりますよ…私も同類の変態です

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +6

      そうですね、歴史に興味ない人は関ケ原すら知りませんが、
      今回はけっこうマニアックな島津深掘りて感じですね。

  • @piisonpaason
    @piisonpaason 3 місяці тому +4

    島津家は沖縄に侵攻してきたので、県民の僕からするとあんまり良い印象ではないし、表面的しか分からなかったが、この動画で島津も色々苦労してきたんだなと深層まで知れた。良い勉強になります。

  • @コーヒーうまい-t1e
    @コーヒーうまい-t1e 3 місяці тому +9

    首領殿お疲れ様です!
    勉強になります。
    島津家は本当に戦いの歴史そのものですね。
    300人は相当の無念でしょうね。
    帰る場所を奪われたことは、相当の屈辱だったことを想像できます。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +2

      当時の武士にはそれが全てですから、
      現代の我々がリストラにあうとかの比じゃないんですよね、武士の魂そのものがお家。

  • @ALPHA-cj9me
    @ALPHA-cj9me 3 місяці тому +4

    それだけと覚悟を持って生きてた人々に尊敬する。切腹の先に有るものが見えてないと、なかなか出来る事では無い。

  • @なみみな-w8h
    @なみみな-w8h 3 місяці тому +4

    宮崎県えびの市の八幡丘に鎮座する八幡神社には総州島津氏最後の当主、島津犬太郎久林(ひさもり)公が祀られています。家督争いの末、奥州島津の忠国公に攻められ、神社前で落馬し、17歳で非業の最期を遂げた久林公の怨念の為に神社前は騎馬のまま通ると神罰が下るという伝説がありました。

  • @okame-z8c
    @okame-z8c 3 місяці тому +17

    生麦事件、、やっちまったー!なんだろうけど、、今の日本の状態を見ていると外国人の無礼、、なんか島津の気持ちもわかるような気がします。。なんで、いつも他国と違い、日本は自国の習慣や文化を受け入れない外国人に腹を立てると日本人が悪くなってしまうのか、、確かに島津は血気盛んかもしれませんが手を合わせたくもなります。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +6

      たしかに、現代の問題とかぶる、ただ不用意にやってはだめです。
      中国で日本人が〇された事件が最近ありましたが、日本はそれを外交カードに巧みに使ってます。
      よく誤解されてますが、中国て日本企業に撤退されたら終わるんですよね。

    • @okame-z8c
      @okame-z8c 3 місяці тому +4

      @@怪奇な歴史研究室 やったことについては反対です。ただ、今の日本このくらい自国の習慣を慮る政治家がいないことにこの気持ちを乗せました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +3

      それはそうですね。

  • @みーこテト
    @みーこテト 3 місяці тому +3

    鹿児島と言えば島津家ですが、鹿屋・野崎・岸良辺りだと肝付家の影響がそこかしこに残っていますね。一番は六月燈をしません。都城はしますがね。肝付家に嫁いだ島津家のお姫様の話は有名ですね。

  • @mg4259
    @mg4259 3 місяці тому +14

    島津家に限らず当時は他の勢力との戦いより一族内での争いの方が多かったのかもしれないですね。
    戦国時代以降島津家は最強の戦闘集団と名高いですが鎌倉時代は逆に弱くて有名だったとも言われてます。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +4

      鎌倉頃の初期島津はぜんぜんで3州の支配から、
      薩摩1州すらまともに統治できないところまでいきます。

  • @加川伸一-t6m
    @加川伸一-t6m 3 місяці тому +2

    この前は仙台の忌み地の動画出してたので東北の動画なのかなと思っていましたが、島津家😮鹿児島‼️日本全国対象なのですね❗調査も大変でしょうけど、応援してますよ😊

  • @sarusaru3973
    @sarusaru3973 3 місяці тому +2

    面白い!異空間の場所に佇んでボーっとしたらつながりそうですね。

  • @江陽-j8s
    @江陽-j8s 3 місяці тому +3

    木牟礼城後が近いのですが、義虎を知らない方が多いです。野田町が近く島津家の墓もありますが興味がないようです。島津家の歴史を知るいい題材・機会なのにもったいないと思う今日この頃です。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому

      義虎はそうですね、知らない方けっこういるかもですね。

  • @ipconfig67454
    @ipconfig67454 2 місяці тому +3

    すばらしい。学生時代
    寝てばっかだった俺が見てしまう。

  • @mr.chin-chyan
    @mr.chin-chyan 3 місяці тому +11

    動画の序盤に出てきた川路利良ですが「だんドーン」というタイトルで漫画化されて連載してますね。
    島津家もよく蟲毒の様な内輪もめしながら断絶せずに、現在に至ったものかと驚きですよ。
    薩摩隼人の逸話に関しては色々とエグイ逸話も知っていますけど、共通するのはこの人たちの命ってここまで軽い価値観なのかなと。
    旧日本軍にもその価値観が脈づいていて、先の戦争で悪い方向に進んで滅んだように思えます。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +3

      漫画があるんですね、知らなかった。

    • @mr.chin-chyan
      @mr.chin-chyan 3 місяці тому +4

      @@怪奇な歴史研究室 幕末から明治において警察が出来るまでの歴史漫画で、かなり調べて描かれてます。
      ちなみに作者さんは元女性警察官です。

  • @chihoamnos0721
    @chihoamnos0721 3 місяці тому +8

    今も住んでいる出水市にこんな歴史があったとは知りませんでした。多くの血が流れた場所にある倒れてしまった看板が悲しいです。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому

      あと、特攻碑公園とか。行きました。次の動画でやります。

  • @ゲス沢直樹
    @ゲス沢直樹 3 місяці тому +3

    秦氏がルーツなら島津家が今も深く日本と繋がってるのも頷けます。
    戦いの歴史ばかりの島津家が戦国時代もなんやかんやと生き残り、周りから一目置かれている一族という点でも天下を取っていたというのは島津だったとも言えますね笑

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +1

      秦氏も系統がいくつかあり、その一つが島津とは言われていますよね。
      いわゆる華族という一族ですね。財閥やら政界やら、
      影響力があるのは現代もなのか、それが私にもわかりませんが。

  • @なみみな-w8h
    @なみみな-w8h 3 місяці тому +2

    有力分家の都城島津氏こと北郷氏(ほんごうし)の祀る兼喜神社の御祭神、北郷氏10代時久公の長男、北郷相久公もいつか取り上げて下さいませ😆

  • @pekadon_sevilla2008
    @pekadon_sevilla2008 3 місяці тому +12

    戦国期、どこも内輪もめで出遅れ感がありました。
    島津は後背が無く、立地に恵まれてたがソレが足かせに。
    昔の考えなど理解出来る訳無いのだろうけど、
    自分の両親は共に7人兄妹であったが、遺産相続など
    醜い争いは一切無かったので、理解に苦しむ。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +5

      なるほど、遺産の揉める話はいたるところで聞きます。
      揉めなかったのは素晴らしいですね。

  • @香鹿
    @香鹿 3 місяці тому +3

    他の自称守護と違って薩摩守護は継承していたが兄の心変わりで倒されてしまった薩州家…いろいろ怨念が深そうですね
    誰も家を建てない場所…これもいわゆる忌地なんでしょう(田んぼと道路はありますが)

  • @v_v157
    @v_v157 3 місяці тому +4

    16:08のエンディングに挿入するカットインに11:43のカエルが必ず使われるだろうと予測したが、出番は無かったみたいです。
    このカエルは見事に擬態しながら、誰にも気付かれず悠久の時を過ごしているのでしょう。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  3 місяці тому +2

      笑、そこを気にするあなたはなかなかのプロです。ありがとうございます。

  • @Kazuma_knight
    @Kazuma_knight 2 місяці тому +1

    チャンネル登録させていただきました。島津薩州家があったの初めて知りました(貴久・義弘・豊久・家久は知っています)

  • @mt3103mzkqt
    @mt3103mzkqt 3 місяці тому +2

    九州へようこそ😊いらっしゃいませ!