吉田松陰 身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

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  • Опубліковано 6 вер 2024

КОМЕНТАРІ • 30

  • @my-eg8ge
    @my-eg8ge 2 роки тому +14

    松陰が弟子達に一番教えたかったのはその思想ではなく「学び続け行動し続ける」という姿勢でしょうね。それが長州を単純な攘夷主義にしなかった理由の一つだろうし、それが長州ひいては日本の運命に大きな影響を与えたのだと思う。

  • @shinsaku_kihei
    @shinsaku_kihei 2 роки тому +13

    松陰先生を取り上げていただき有難うございました🙏

    • @jiroyamada7449
      @jiroyamada7449 2 роки тому +4

      吉田松陰と言われると
      ”?”ってなり
      松陰先生と言い直したくなる
      山口県民の性

    • @phoenityan
      @phoenityan 2 роки тому

      勝って官軍扱いだからいいけど松下村塾の塾生ってただのテロリストだよ
      歴史を変えた以上教科書から消すわけにはいかんけど
      教科書から山口県の黒歴史を消そうとしたり簒奪を誇ったり
      山口県民の性ってどんだけマッチポンプなのよ?

  • @user-ne8ph7fn8x
    @user-ne8ph7fn8x Місяць тому +1

    これからもよろしくお願いいたします❤️

  • @hironobushi
    @hironobushi 2 роки тому +4

    実は、吉田松陰先生の評伝を最初に書いたのは、日本人ではない。
    『ジキルとハイド』の作者のロバート・ルイス・スティーブンソンとの事。
    興味深いです。

    • @user-rz7oy1vn7z
      @user-rz7oy1vn7z 11 місяців тому +2

      宇宙一高潔な人物と記してますね。誰だっけ、松門のだれかが維新後イギリスに留学した時、スチーブンソンに松陰先生を自慢したとか。

  • @user-jo4sc6hh9m
    @user-jo4sc6hh9m 2 роки тому +7

    密航が見つかった際もペリーが幕府に松陰を許すよういったりしてるんですよね。

  • @user-ut5mo6ci7o
    @user-ut5mo6ci7o 2 роки тому +6

    思ったより過激思想で驚いた!

    • @seattleslew2332
      @seattleslew2332 2 роки тому

      ただの過激派ですよ
      幕末はろくな人間がいない
      バカとアホが戦ってアホが勝った

  • @RekishiRyoko
    @RekishiRyoko 2 роки тому +8

    秀吉より行動力あってクレイジーすぎて草

  • @user-rt9uo7th1f
    @user-rt9uo7th1f 2 роки тому +2

    松陰が脱藩したのは親の敵討ちを目論む友人宮部の東北旅行に同行するためだった。しかし宮部は結局敵討ちを実行しなかった。このことが松陰の最期に少なくない影響を与えたはずだ

    • @akirakitahara3752
      @akirakitahara3752 2 роки тому +3

      敵討ちを実行しなかったのは南部藩の江幡五郎です  by熊本

    • @user-rt9uo7th1f
      @user-rt9uo7th1f 2 роки тому +2

      @@akirakitahara3752 さん
      教えていただきありがとうございます。松陰は友人が命が惜しくて敵討ちを実行しなかったと考えたのでしょう。松陰があんな最期を遂げたのは『自分は命を惜しまない』という友人への反発心からではないでしょか

    • @user-di2yq5sn3b
      @user-di2yq5sn3b 2 місяці тому +2

      後付けで、えらい人に、した。それほどに、長州には、人が、いなかった。

  • @asa01053
    @asa01053 Рік тому +1

    泣けてきます🥺

  • @user-fn9ie5kj5l
    @user-fn9ie5kj5l 2 роки тому +5

    松下村塾は梁山泊さながらですね。

  • @user-zu6tc9mb7s
    @user-zu6tc9mb7s 2 роки тому

    会津藩士との交流も旅の途中であったと聞きます。どこで道が分れてしまったのか…?

  • @abbtk14
    @abbtk14 2 роки тому +1

    塾生の実数は50名から90名ほどらしく、明治になってから経歴の箔付けに塾生を名乗る人が次々現れ200名以上にもなった…という説もありますね。本当に吉田松陰の講義を聞いて啓蒙された人物なら、そんないじましい真似はしないでしょうに…。

  • @user-di2yq5sn3b
    @user-di2yq5sn3b 2 місяці тому +1

    なにも、やってな人です。

  • @user-bb2lv6hx8e
    @user-bb2lv6hx8e 2 роки тому +2

    草莽掘起→民衆による国造り

  • @user-di2yq5sn3b
    @user-di2yq5sn3b 2 місяці тому +1

    あの顔、29歳、見える?60過ぎにしか、見えん。

  • @user-eb2on1qm3e
    @user-eb2on1qm3e 4 місяці тому

    長州のビンラディン

  • @user-lw5zz9is8c
    @user-lw5zz9is8c 2 роки тому +1

    吉田松陰さんって実在したのかなぁ?

  • @user-qj4vn9iv4f
    @user-qj4vn9iv4f 10 місяців тому

    キレイゴトしか上手くない
    たいしたやつじゃない

    • @msss8036
      @msss8036 5 місяців тому

      逆にたいした人物は誰なの?