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当時の参加各車、ここまで外観が市販車そのまま、というのが魅力ですね。このルールは、今改めて復活しても良いかも。
フォードシエラは後のエスコートRSコスワースに発展形が導入された独特な形状のリアスポイラーがツボでした。マツダもかつてランティスクーペのマツダスピード仕様に似た形状のリアスポイラーを装着してましたね。
この控えめな掴みどころがないデザインがなんとも渋くて好きw
コスモオイルのシエラね!土屋選手がかっこ良かったなぁ。長谷見選手相手にドリフト決めて3位に入っていましたね。マカオGPでは、土屋選手は、ピロボ-ルが折れてリタイアになりショック受けてたんだけれど。でも、ワトソンズ?のグラベットのシエラとBMW.M3がデッドヒート!!(クラッシュして負けていまいましたけれど)いぶし銀の走りを見せていましたね。
日本車の多くが前後にオーバーハングが長くボディ剛性も足りていないから改造前提とは言えGr.Aに出てきても激戦区で切磋琢磨した欧州車の敵ではなかったシエラのコンポーネントや外装の一部はWRC用エスコートやRS200に流用されたね
個人的にはスカイライン派だったけど、RS500のあのリアスポイラーはカッコ良かったなぁ😃
TEXACOカラーのシエラを初めてみた時は衝撃的でしたね。
『トップギア』か『グランドツーリング』のどちらかで言っていたのか忘れちゃったけど、この車は人気の割に防犯対策がガバガバだったので、ハイエースやランクル並に盗まれまくっていたらしい。
この頃のハコ車レースは楽しみだったなぁ〜コスワースは日本車とか関係無く好みな車だった。
シエラ コスワース4×4は阪神淡路大震災で火災から助け出されていた写真が話題になりました。その個体は近年売りに出されてカーセンサーに載っていたみたいですが、まだ日本で走っているんですかね?
末期の90年頃の見崎清志&長坂尚樹組の乗る黄色いライトカバーと青白ボディのFETシエラが記憶にある。周知のとおりこの頃はもう32GTRに歯が立たず、のちにGTRにチェンジしたけど見崎選手がトヨタ系なので?パーツの供給が遅れがちになってたとか。。
GT7(グランツーリスモ7)というゲームのファンなんですが、その中で一番お気に入りの車がこのRS500です。デザインがたまりません。パワーがあるのですがハンドルの切れがイマイチという、なかなかのじゃじゃ馬ですが、エンジン音もノリノリで最高です。
RS500の500って生産台数の意味だったのか。勉強になりました。
待ち望んだクルマの解説、ありがとうございます!!バブル景気の訪れがもう少し早ければ、シエラRSの正規輸入もあったかも…あと大体のクルマは足元が締まると、カッコ良く見えて来るんですよね~🎵
フォードエスコートRS1800MKも名車だよな ラリードライバーからどんなにヤバイ状態になっても立て直せるって絶対的な信頼があったらしい
コスワースだとGT-Rのエンジンの基本設計をやってたりEJ25のコンプリートエンジンをリリースしてたりもしてますね…
スカイラインGTS-R 星野さんのフロントとリアのスポイラーはフルカーボン製で市販車の5分の1の軽さ「色塗っちゃえばわかんないでしょ(笑)」いい時代でしたね🤣
あの頃のフォードは空力が いかにも 良さそうなコンセプトカーのプローブシリーズ(アメリカでマツダ車ベースで作ってたクーペに名前だけ流用)でシエラみたいなスタイルを推していたけど解析技術の進歩で流線型みたいにしなくても良くできる様になったので保守的な 自動車らしい形 のモンデオに戻ってしまった
っ[句読点]
海外に住んでいた時、同僚が乗っていた。つまらん故障が多くて、部品割りふりが雑なので故障すると、ユニットで交換みたいな事を言ってたな…
タミヤの24分の1プラモで乗用のXR4iが出ていまして、なんだコレ? というのがこの車との出会い。その後、Gr.Aのテレビ放送(地上波)で長坂選手のトランピオシエラを見て、あーそういうことか、と。フォードはこのころ、アメリカ、ヨーロッパに加え、日本フォードを展開しており、フォード顔のカペラやファミリア、さらにキアのフェスティバを売っていたので、結構な数のフォード車が日本を闊歩しておりましたが、残念ながらシエラは日本には入らなかったんです。動画では、セダンじゃなくてサルーンと呼称しているのがイギリス的で、好感度UPでした。いつも楽しみに見てますよー。
コスワースは元々ロータスにいたコスティンとダグワースが独立したエンジン屋。当時のロータスがフォードエンジンを主なベースに使っていたので、その流れからフォードを手掛けるようになった。
此の後4WDになってクアトロと戦ったのは驚き👀‼️
故デニス・フルム氏(1967年F1ワールドチャンピオン)の名言、「なに、レースに勝てばそいつがもっとも美しいマシンさ」ww
この動画を見てたら、アルファ155の市販車からDTMマシンの見た目の変わり様にびっくりしたのを思い出す
シエラやエスコートのリアウイングは憧れで、子供の頃プラモを作ったのを思い出しますなつかしい!
そいや全日本のシエラってエッゲンバーガーとアンディ・ロウズチューンの2車種出てたんですね。(;´∀`)エッゲンバーガー車がドイツなので左ハン、アンディ・ロウズ車が英国BTCC向けで右ハンって違いだったかと。バブル期でこういうレーシングモデルの日本導入も考えてみると多い時代って感じありますw
エッゲンバーガー ワークス車 アンディロウズ サテライト車 中身が違いすぎた
ありがとうございます。
後輩が4ドアサファイアの4WDコスワース乗ってたな。そいつの影響で自分はエスコート乗ってる
4ドアのシエラは、フォード サファイヤだとおもいます。
作りかけのプラモデル仕上げましょうかねぇ説明書もデカールも紛失していたの忘れてた…
パーツ少ないですし、ネットの画像見て作れば意外となんとかなりますよ。デカールは確か社外品がヤ●オクとかでたまに出回ってるのでそれを入手するなり、あえてデカール無しで綺麗な純正カラーにしてみるのもいいと思います!
@@skyline038delta さんボディのカラーがトランピオピューミニシエラ(青と黄色の2トーン)なので、色の塗り分けが面倒なんですよ
欧州法人覗いていませんが、本国ではフォード"ブランド"のセダン崩壊状態・・・脱線致しますが、四輪モタスポで良く聞き(四輪免許取得R32デビュー頃)二輪モタスポ4ストe/gも僅かに手掛けたコスワースながら、自宅戻り、近場元ホームコースでのミニバイクレースでは、店舗/ショップ関与薄いチームがパロって「カスワース」と(笑)それでも、毎回良い位置付けていました。語彙力失礼ながら・・・
ガッデム!
近所で1度だけ白色のシエラコスワース見ました!
たくチャンネルさん!何処で見ましたか?
@@内田治-u5s 地元の岡崎の環状線で一度だけ走ってる姿を見ました!!
@@takumi-830 ;小生です!有難うございます
私は走る煉瓦と言われたVOLVOの240Tが好きです。
見た目がズングリムックリなんで私はサーキットでは走るカバ。ラリーでは跳ぶカバなんて自分で命名していました。実際に乗る機会もあり乗ったのですが R Sコスワースはパワステがなくて苦労しましたね。セダンのサファイアはパワステありましたけど
シエラと言えば、フランソワ・デルクールの駆った4ドアセダン『シエラ・サファイアRSコスワース4x4』を思い出します。1991年だったと思いますが、『モンテカルロ・ラリー』での活躍!下馬評にも載らなかったデルクール選手がトップタイムを連発!サインツ選手もビアシオン選手も驚きまくっていました。結果は3位でしたが、名門『フォード・モータース』の復活には十分だったと思います。
フォードシエラRSですね。スゴい車ですね。フォードシエラのデザイン好きです。国産車は日産スカイラインR32型トヨタス一プラを凌ぐコスワ一ス。
シエラの当時の輸入元は近鉄モータース近鉄グループとはいえ、GMのヤナセに比べると弱小でしたリクエストですがホールデン・コモドアをお願いします外観は2.0クラスですが、積んでるエンジンは5.0のV8オーストラリアのクルマなので、アメリカ同様V8信仰がホールデンはGMグループだったので、シエラの対抗という意味合いもありました
80年代以降は日本国内のフォードの販売網がマツダと提携した関係で、メインはオートラマ、欧州フォードが近鉄モータースと複雑な関係になってしまったのもシエラが正規販売されなかった理由の一つですね近鉄モータースはリンカーン、マーキュリーブランドの日本での輸入権を持ってた上にオートラマの販売網にも参加してたので余計ややこしくなってたのもありますね日本では同クラスのテルスターとバッティングしてしまうというのが理由だったみたいですが
此ってあのボルボチューニングした「エッゲンバーガー」なんだよね!(^-^)/
このエンジンがカプチーノにスワップされて販売されてたのか〜
日本ではシエラコスワースでプライベーターがよく戦えていたけどテキサコシエラには軽く捻られたなーそれにしてもエッゲンバーガーは強いレース屋(箱車屋?)ですねー
そんな強者を駆逐したのがR32 GT-Rなんですよね
ん~ですね。31も熟成がすすんだらシエラより速かったけどねぇ(苦笑い
この頃になるとツーリングカー用エヴォリューションモデル開発に熱心だったのはDTMに熱を上げていたダイムラーとBMWくらいなのでね
スポーツはライ・・・orz
やっぱり、あのグループA規定の排気量毎(ターボは係数1.7)に車重やタイヤ幅が決められ、また空力も後年のJGTCのように使えない状況下ではシエラのようなFR車は限界だったんですよね。オーストラリアのATCCでは日本のシエラより魔改造され、更に勝ち過ぎた影響で92年より『主催者イジメ』と言われたハンデ(ブースト規制で550馬力以下に落とされ、+100キロのハンデウェイト)を課されたR32が、直線で引き離される/簡単に並ばれてもコーナーの速さ&立ち上がりラインの自由さや鋭さを武器に勝っていた(R32のドライバーの1人のジム・リチャーズもシエラはレース後半リヤタイヤがタレて常にふらついていたって話してました)のは、やはり(ハイパワーを出せる)&パワーバンドが広いRB26&それを無駄無く路面に伝えれる4WDを生み出した『日産の技術』の勝利ですよね。あれを見て育った私は『もはやFRの時代は終わった』と確信しました。
R32GTR登場前夜。
ワークスとプライベーターチームの車は足回りから別物だったと長坂氏がレーシングオンでコメントしていましたよ
シエラは清水建設がスポンサーしてましたねーいつかきっと‥
Q8 デレクールオリオールに負けたけど至極
ドイツで売れまくったせいでコブラ11では破壊の常連だった。
WRCにも出ててたな~
日本ではSUGOで燃えた…。
もとは ダサい系実は カッコいいダサカッコいい 大好きです プラモデルは 手に入れました
ドイツはクーペデザインが好きだから、ランティスが国内販売を止めても、ドイツで売れてたって話があったな。
これって、マツダのファミリアのOEMじゃない6:50日本市場でふるわなかったのも…
コルシカで勝った、最後の後輪駆動車(^^)て…あれ?『2駆ラリーカー』としては、ずっと後の『F2のクサラ』が勝ってるのかな…
FIAT131乗りの自分はWRC最後のFRチャンピオンカー=公道最速のFR車と詭弁を弄していますww
@@深沢橋の下 ワークス撤退した後の『エスコート(Mk.2)』が、'80年代初めにチャンピオンになってたような、無いような…(^^;)?記憶が曖昧でゴメンナサイ。
むむむ……今調べたら仰る通りですね。1980 FIAT 131 ABARTH1981 FORD ESCORT 18001982 OPEL ASCONA 400昔、自分が見た資料が間違っていたか自分の記憶が壊れているかだったようです。あぁ、恥ずかしいw
@@深沢橋の下 気にしないで下さいな。此方も『半信半疑』だったんで…(^^;)事実、'82年のアスコナ(※確か、ワルター・ロール)は綺麗さっぱり抜け落ちてましたし↓↓只、あの年も、タイトルを争ってたムートンさんに『身内(父)の不幸』が起きてなかったら…『女性チャンピオン』が誕生してたのかも、と思わなかったり(^^;)
シエラのRSは昔、何度か街中で見かけた事あるけど普通のタイプは見た事無いな
細かいですが、JTCじゃなくてJTCC(JapaneseTouringCarChampionship)ですね英国ならBTCC(BritishTouringCarChampionship)
グループA規定下で争われていた時はJTCで、JTCCの呼称は2.0L NA/2WDで争われたニューツーリング規定からです。
そして英国から量産車メーカーはいなくなった(´・ω・`)
USA version, Merkur XR4 TIも、みてください。
R32が来るまで強かった車
うわぁ、フォードシエラの市販車ってこんなにダサい車だったのか!wwwRSコスワースは、本当に無双してたなぁ〜。初期形の顔つきや二段リヤスポイラーは、ラリーで活躍したエスコートにそっくりだな。あれはアレでカッコよかったなw
ラリーで!活躍できないとね!
ベース車調べてガッカリしたクルマだなぁ?
そんなに違うか?
当時GrA、見てたけどシエラは動画で言うほどのものではなかったよ。
ケツから3メーターくらい火🔥吹いてたな😂
当時の参加各車、ここまで外観が市販車そのまま、というのが魅力ですね。このルールは、今改めて復活しても良いかも。
フォードシエラは後のエスコートRSコスワースに発展形が導入された独特な形状のリアスポイラーがツボでした。マツダもかつてランティスクーペのマツダスピード仕様に似た形状のリアスポイラーを装着してましたね。
この控えめな掴みどころがないデザインがなんとも渋くて好きw
コスモオイルのシエラね!
土屋選手がかっこ良かったなぁ。
長谷見選手相手にドリフト決めて3位に入っていましたね。
マカオGPでは、土屋選手は、ピロボ-ルが折れてリタイアになりショック受けてたんだけれど。
でも、ワトソンズ?のグラベットのシエラとBMW.M3がデッドヒート!!(クラッシュして負けていまいましたけれど)いぶし銀の走りを見せていましたね。
日本車の多くが前後にオーバーハングが長くボディ剛性も足りていないから改造前提とは言えGr.Aに出てきても激戦区で切磋琢磨した欧州車の敵ではなかった
シエラのコンポーネントや外装の一部はWRC用エスコートやRS200に流用されたね
個人的にはスカイライン派だったけど、RS500のあのリアスポイラーはカッコ良かったなぁ😃
TEXACOカラーのシエラを初めてみた時は衝撃的でしたね。
『トップギア』か『グランドツーリング』のどちらかで言っていたのか忘れちゃったけど、この車は人気の割に防犯対策がガバガバだったので、
ハイエースやランクル並に盗まれまくっていたらしい。
この頃のハコ車レースは楽しみだったなぁ〜コスワースは日本車とか関係無く好みな車だった。
シエラ コスワース4×4は阪神淡路大震災で火災から助け出されていた写真が話題になりました。
その個体は近年売りに出されてカーセンサーに載っていたみたいですが、まだ日本で走っているんですかね?
末期の90年頃の見崎清志&長坂尚樹組の乗る黄色いライトカバーと青白ボディのFETシエラが記憶にある。周知のとおりこの頃はもう32GTRに歯が立たず、のちにGTRにチェンジしたけど見崎選手がトヨタ系なので?パーツの供給が遅れがちになってたとか。。
GT7(グランツーリスモ7)というゲームのファンなんですが、その中で一番お気に入りの車がこのRS500です。デザインがたまりません。パワーがあるのですがハンドルの切れがイマイチという、なかなかのじゃじゃ馬ですが、エンジン音もノリノリで最高です。
RS500の500って生産台数の意味だったのか。
勉強になりました。
待ち望んだクルマの解説、ありがとうございます!!
バブル景気の訪れがもう少し早ければ、シエラRSの正規輸入もあったかも…
あと大体のクルマは足元が締まると、カッコ良く見えて来るんですよね~🎵
フォードエスコートRS1800MKも名車だよな ラリードライバーからどんなにヤバイ状態になっても立て直せるって絶対的な信頼があったらしい
コスワースだとGT-Rのエンジンの基本設計をやってたりEJ25のコンプリートエンジンをリリースしてたりもしてますね…
スカイラインGTS-R 星野さんのフロントとリアのスポイラーはフルカーボン製で市販車の5分の1の軽さ「色塗っちゃえばわかんないでしょ(笑)」いい時代でしたね🤣
あの頃のフォードは空力が いかにも 良さそうなコンセプトカーのプローブシリーズ(アメリカでマツダ車ベースで作ってたクーペに名前だけ流用)でシエラみたいなスタイルを推していたけど
解析技術の進歩で流線型みたいにしなくても良くできる様になったので保守的な 自動車らしい形 のモンデオに戻ってしまった
っ[句読点]
海外に住んでいた時、同僚が乗っていた。つまらん故障が多くて、部品割りふりが雑なので故障すると、ユニットで交換みたいな事を言ってたな…
タミヤの24分の1プラモで乗用のXR4iが出ていまして、なんだコレ? というのがこの車との出会い。
その後、Gr.Aのテレビ放送(地上波)で長坂選手のトランピオシエラを見て、あーそういうことか、と。
フォードはこのころ、アメリカ、ヨーロッパに加え、日本フォードを展開しており、フォード顔のカペラやファミリア、さらにキアのフェスティバを売っていたので、結構な数のフォード車が日本を闊歩しておりましたが、残念ながらシエラは日本には入らなかったんです。
動画では、セダンじゃなくてサルーンと呼称しているのがイギリス的で、好感度UPでした。
いつも楽しみに見てますよー。
コスワースは元々ロータスにいたコスティンとダグワースが独立したエンジン屋。当時のロータスがフォードエンジンを主なベースに使っていたので、その流れからフォードを手掛けるようになった。
此の後4WDになってクアトロと戦ったのは驚き👀‼️
故デニス・フルム氏(1967年F1ワールドチャンピオン)の名言、
「なに、レースに勝てばそいつがもっとも美しいマシンさ」ww
この動画を見てたら、アルファ155の市販車からDTMマシンの見た目の変わり様にびっくりしたのを思い出す
シエラやエスコートのリアウイングは憧れで、子供の頃プラモを作ったのを思い出します
なつかしい!
そいや全日本のシエラってエッゲンバーガーとアンディ・ロウズチューンの2車種出てたんですね。
(;´∀`)エッゲンバーガー車がドイツなので左ハン、アンディ・ロウズ車が英国BTCC向けで右ハンって違いだったかと。
バブル期でこういうレーシングモデルの日本導入も考えてみると多い時代って感じありますw
エッゲンバーガー ワークス車 アンディロウズ サテライト車 中身が違いすぎた
ありがとうございます。
後輩が4ドアサファイアの4WDコスワース乗ってたな。そいつの影響で自分はエスコート乗ってる
4ドアのシエラは、フォード サファイヤだとおもいます。
作りかけのプラモデル仕上げましょうかねぇ
説明書もデカールも紛失していたの忘れてた…
パーツ少ないですし、ネットの画像見て作れば意外となんとかなりますよ。
デカールは確か社外品がヤ●オクとかでたまに出回ってるのでそれを入手するなり、あえてデカール無しで綺麗な純正カラーにしてみるのもいいと思います!
@@skyline038delta さん
ボディのカラーが
トランピオピューミニシエラ
(青と黄色の2トーン)
なので、色の塗り分けが面倒なんですよ
欧州法人覗いていませんが、本国ではフォード"ブランド"のセダン崩壊状態・・・
脱線致しますが、四輪モタスポで良く聞き(四輪免許取得R32デビュー頃)二輪モタスポ4ストe/gも僅かに手掛けたコスワースながら、自宅戻り、近場元ホームコースでのミニバイクレースでは、店舗/ショップ関与薄いチームがパロって「カスワース」と(笑)それでも、毎回良い位置付けていました。語彙力失礼ながら・・・
ガッデム!
近所で1度だけ白色のシエラコスワース見ました!
たくチャンネルさん!何処で見ましたか?
@@内田治-u5s 地元の岡崎の環状線で一度だけ走ってる姿を見ました!!
@@takumi-830 ;小生です!有難うございます
私は走る煉瓦と言われたVOLVOの240Tが好きです。
見た目がズングリムックリなんで私はサーキットでは走るカバ。ラリーでは跳ぶカバなんて自分で命名していました。実際に乗る機会もあり乗ったのですが R Sコスワースはパワステがなくて苦労しましたね。セダンのサファイアはパワステありましたけど
シエラと言えば、フランソワ・デルクールの駆った4ドアセダン『シエラ・サファイアRSコスワース4x4』を思い出します。1991年だったと思いますが、『モンテカルロ・ラリー』での活躍!下馬評にも載らなかったデルクール選手がトップタイムを連発!サインツ選手もビアシオン選手も驚きまくっていました。結果は3位でしたが、名門『フォード・モータース』の復活には十分だったと思います。
フォードシエラRSですね。スゴい車ですね。フォードシエラのデザイン好きです。国産車は日産スカイラインR32型トヨタス一プラを凌ぐコスワ一ス。
シエラの当時の輸入元は近鉄モータース
近鉄グループとはいえ、GMのヤナセに比べると弱小でした
リクエストですがホールデン・コモドアをお願いします
外観は2.0クラスですが、積んでるエンジンは5.0のV8
オーストラリアのクルマなので、アメリカ同様V8信仰が
ホールデンはGMグループだったので、シエラの対抗という意味合いもありました
80年代以降は日本国内のフォードの販売網がマツダと提携した関係で、
メインはオートラマ、欧州フォードが近鉄モータースと
複雑な関係になってしまったのもシエラが正規販売されなかった理由の一つですね
近鉄モータースはリンカーン、マーキュリーブランドの日本での輸入権を持ってた上に
オートラマの販売網にも参加してたので余計ややこしくなってたのもありますね
日本では同クラスのテルスターとバッティングしてしまうというのが理由だったみたいですが
此ってあのボルボチューニングした「エッゲンバーガー」なんだよね!(^-^)/
このエンジンがカプチーノにスワップされて販売されてたのか〜
日本ではシエラコスワースでプライベーターがよく戦えていたけどテキサコシエラには軽く捻られたなー
それにしてもエッゲンバーガーは強いレース屋(箱車屋?)ですねー
そんな強者を駆逐したのがR32 GT-Rなんですよね
ん~ですね。31も熟成がすすんだらシエラより速かったけどねぇ(苦笑い
この頃になるとツーリングカー用エヴォリューションモデル開発に熱心だったのはDTMに熱を上げていたダイムラーとBMWくらいなのでね
スポーツはライ・・・orz
やっぱり、あのグループA規定の排気量毎(ターボは係数1.7)に車重やタイヤ幅が決められ、また空力も後年のJGTCのように使えない状況下ではシエラのようなFR車は限界だったんですよね。
オーストラリアのATCCでは日本のシエラより魔改造され、更に勝ち過ぎた影響で92年より『主催者イジメ』と言われたハンデ(ブースト規制で550馬力以下に落とされ、+100キロのハンデウェイト)を課されたR32が、直線で引き離される/簡単に並ばれてもコーナーの速さ&立ち上がりラインの自由さや鋭さを武器に勝っていた(R32のドライバーの1人のジム・リチャーズもシエラはレース後半リヤタイヤがタレて常にふらついていたって話してました)のは、やはり(ハイパワーを出せる)&パワーバンドが広いRB26&それを無駄無く路面に伝えれる4WDを生み出した『日産の技術』の勝利ですよね。
あれを見て育った私は『もはやFRの時代は終わった』と確信しました。
R32GTR登場前夜。
ワークスとプライベーターチームの車は足回りから別物だったと長坂氏がレーシングオンでコメントしていましたよ
シエラは清水建設がスポンサーしてましたねー
いつかきっと‥
Q8 デレクール
オリオールに負けたけど至極
ドイツで売れまくったせいでコブラ11では破壊の常連だった。
WRCにも出ててたな~
日本ではSUGOで燃えた…。
もとは ダサい系
実は カッコいい
ダサカッコいい 大好きです プラモデルは 手に入れました
ドイツはクーペデザインが好きだから、ランティスが国内販売を止めても、ドイツで売れてたって話があったな。
これって、マツダのファミリアのOEMじゃない
6:50
日本市場でふるわなかったのも…
コルシカで勝った、最後の後輪駆動車(^^)
て…あれ?
『2駆ラリーカー』としては、ずっと後の『F2のクサラ』が勝ってるのかな…
FIAT131乗りの自分は
WRC最後のFRチャンピオンカー=公道最速のFR車
と詭弁を弄していますww
@@深沢橋の下
ワークス撤退した後の『エスコート(Mk.2)』が、'80年代初めにチャンピオンになってたような、無いような…(^^;)?
記憶が曖昧でゴメンナサイ。
むむむ……今調べたら仰る通りですね。
1980 FIAT 131 ABARTH
1981 FORD ESCORT 1800
1982 OPEL ASCONA 400
昔、自分が見た資料が間違っていたか自分の記憶が壊れているかだったようです。
あぁ、恥ずかしいw
@@深沢橋の下 気にしないで下さいな。此方も『半信半疑』だったんで…(^^;)
事実、'82年のアスコナ(※確か、ワルター・ロール)は綺麗さっぱり抜け落ちてましたし↓↓
只、あの年も、タイトルを争ってたムートンさんに『身内(父)の不幸』が起きてなかったら…『女性チャンピオン』が誕生してたのかも、と思わなかったり(^^;)
シエラのRSは昔、何度か街中で見かけた事あるけど普通のタイプは見た事無いな
細かいですが、JTCじゃなくてJTCC(JapaneseTouringCarChampionship)ですね
英国ならBTCC(BritishTouringCarChampionship)
グループA規定下で争われていた時はJTCで、JTCCの呼称は2.0L NA/2WDで争われたニューツーリング規定からです。
そして英国から量産車メーカーはいなくなった(´・ω・`)
USA version, Merkur XR4 TIも、みてください。
R32が来るまで強かった車
うわぁ、フォードシエラの市販車ってこんなにダサい車だったのか!www
RSコスワースは、本当に無双してたなぁ〜。
初期形の顔つきや二段リヤスポイラーは、ラリーで活躍したエスコートにそっくりだな。あれはアレでカッコよかったなw
ラリーで!活躍できないとね!
ベース車調べてガッカリしたクルマだなぁ?
そんなに違うか?
当時GrA、見てたけどシエラは動画で言うほどのものではなかったよ。
ケツから3メーターくらい火🔥吹いてたな😂
ありがとうございます。