破産寸前だった靖国神社を救うために宮司が考えたとんでも計画とは?【靖国神社】【参拝】【歴史】【幕末】【雑学】【解説】【ブラタモリ】【遊就館】【能】【おもしろ】【聞き流し】【解説】

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  • Опубліковано 24 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 12

  • @TokyoTrivia
    @TokyoTrivia  2 роки тому +15

    書きたい気持ちは重々わかりますが、今回文化面を解説しているので、政治的なコメントは、どんなものであっても、私が眉をひそめるものでも、私が賛同できるものであっても、一律削除とさせていただきますので、ご了承いただければと存じます。

  • @司高橋-e3m
    @司高橋-e3m Рік тому +6

    タクシー会社のくだり、よくご存知ですね。戦争厳しい状況に、たくさんあった中小企業のタクシー会社を、四社に集約する事になったと聞いています。

    • @TokyoTrivia
      @TokyoTrivia  Рік тому +1

      お褒めいただきありがとうございます!
      昔からこういう雑学を集めるのが好きなのです・・・笑
      補足情報も大変うれしいですね!
      ありがとうございます!

  • @jimmyosmer
    @jimmyosmer 7 місяців тому +1

    昭和の時代に四国愛媛県川之江市(現四国中央市)に「國光(こっこう)製紙」と言う製紙会社が在り、現在も東証一部のユニ・チャーム(株)として発展して居ますね。

  • @hermes0825love
    @hermes0825love 2 роки тому +2

    神田明神はテーマパーク化してますね。
    能楽堂は地下に追いやられちゃったんですね。

    • @TokyoTrivia
      @TokyoTrivia  2 роки тому +1

      確かに様々な催しがなされていますね~
      ただ、神田明神は商売の神様である性質上進んで時代に合わせているというのが、見解のようですね~

  • @会津松平家の容保
    @会津松平家の容保 Рік тому +3

    今、地方の神職がいない神社も破産寸前です。街の中にあっても参拝者は少ない。氏子も少なく維持管理費も少ないです。

    • @TokyoTrivia
      @TokyoTrivia  Рік тому +2

      文化の変容に伴って、どこも厳しいと聞きますね~
      都内の神社は商業色を出すか、不動産で賄うかのどちらかというのが多いようですね~

  • @京子-t4z
    @京子-t4z Рік тому +2

    へー面白かった。
    明治10年、上野勧業博覧会に次いで、明治28年 京都岡崎村に勧業館が建ち、博覧会がもようされました。
    岡崎は上野のようです.この勧業館の裏手、疏水を挟んで京都市の観世会館が昭和33年に建ちました。
    ワタシが高校生の頃、昭和40年、よく通いました。
    クラスメイト21人中2人が仕舞いを習っていましたから そのつてでただ券をもらって見に行きました.結構 追っかけの女子が多かったようです.時代ですか?

    • @TokyoTrivia
      @TokyoTrivia  Рік тому +2

      ご覧いただきありがとうございます!
      岡崎の勧業館調べてみましたが、昔は非常に優美な建物で、現代のものは美術館のように立派ですね~
      日舞を習う人は私が学生時代周りにもいましたが、仕舞はいませんでしたね~
      なので、時代というより場所柄といった感じかもしれませんね~
      追っかけ文化は、楽しそうですよね~
      関西が本場ですが、東京にも有楽町に宝塚劇場がありまして、横を通るとファンの女性たちがきれいに整列して、出待ちしているのをよく見かけますね~
      私自身はあまり、熱中するタイプではないので、追っかけしたことありませんが、追いかけたくなる気持ちはわかりますね~