「芭蕉『奥の細道』の深みと軽み」3 旅のクライマックス「平泉」

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  • Опубліковано 24 кві 2022
  • なぜ芭蕉は「平泉」の章を、『奥の細道』の中心に据えたのか?

КОМЕНТАРІ • 10

  • @user-kb3hp2qu8k
    @user-kb3hp2qu8k Місяць тому

    配信を、ありがとうございます。

  • @th-di1gr
    @th-di1gr Рік тому +1

    丁寧なご説明に🎉改めてじっくり「奥の細道」学ばせて頂きました

  • @user-mn7eb8jb6f
    @user-mn7eb8jb6f Рік тому

    最上川 の部分。 以下の出典は何でしょうか。「最上川は・・・碁点・隼などいふ恐ろしき難所あり~水みなぎって船危ふし。

    • @user-zr9en7co4d
      @user-zr9en7co4d  Рік тому

      もちろん『奥の細道』ですが。それとも別のことをお尋ねなのでしょうか。

    • @user-mn7eb8jb6f
      @user-mn7eb8jb6f Рік тому

      当方の単純ミスでした。@@user-zr9en7co4d

    • @user-mn7eb8jb6f
      @user-mn7eb8jb6f Рік тому

      当方、仙台の者ですが、「壺の碑」のところで、すこしややこしい質問があるのですが宜しいですか?

    • @user-zr9en7co4d
      @user-zr9en7co4d  Рік тому

      どうそ

    • @user-mn7eb8jb6f
      @user-mn7eb8jb6f Рік тому

      @@user-zr9en7co4d様、 ありがとうございます。「壺の碑」に、かの画図にまかせてたどり行ば、奥の細道の山際に十符の菅あり」とあります。当方所有本の註解に、奥の細道についてこうあります。「三千風らによって、仙台市東北、岩切の東光寺付近の七北田川(冠川)沿いの道と設定されていた」とあります。また、俳句HP「林誠司 俳句オデッセイ」では、三千風がこの道を奥の細道と名付けたことに由来して、芭蕉は作品名を「奥の細道」としたとあります。三千風の著作にくわしく当たればよいのでしょうが・・・・・。
      確かに東光寺や七北田川にはこの名残が感じられますが、しかし、仙台の俳句人からこのことは聞いたことがありません。はたして、三千風の名づけが、作品名「奥の細道」となったのか、まったく関係ないことなのかについて、どうお考えになられますか? 地元人としては気になるところです。よろしくお願いします。