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百年の孤独読んだんだが、情景の輝かしさや手に取るように伝わってくる筆致にはとても感動したし決して倫理的とは言えないであろう登場人物にも作者は強い愛情を注ぎ、敬意を持っていることが伝わってきて非常に好感を持ったけど、一方で安いラノベやポルノ小説みたいな描写がところどころ差し挟まれててなにこれ?てなった
Xで以前、「#昔読んだふりをしました」という愉快なタグがあり面白かったです。今でもちょこちょこ投稿されてるからつい見てしまいます 笑
ちょっと話それちゃいますが、毎回楽しく拝見している方にコメントを読み上げて貰えるのって、メチャクチャ嬉しいですね。ありがとうございました。
プルーストは高遠弘美という天才翻訳家が登場したので、読みやすくなりました。1冊ずつ、ひとつの長編小説として読めるよ。。最近気になっているのは源氏物語です。瀬戸内寂聴さんの現代語訳で読もうとしましたが、断念しました。仏教臭いというか、違う感じ。で、イギリス人のアーサー・ウェイリーの源氏物語。アマゾンで見てもらえばわかるけど、表紙がクリムトの『接吻』だよ。エンペラーのファーストプリンスは、右大臣の娘、レディ弘徽殿の皇子。おいおい、ロマンス小説の文体かよ。翻訳家は大事です。『百年の孤独』の鼓直さんは、ボルヘスの詩集やドノソの『夜のみだらな鳥』、カルペンティエールの『時との戦い』を訳しているけど、鼓直さんの評伝があってもいいくらいの人です。ラテンアメリカには、マルケス以外にも、天才がうじゃうじゃいますね。イサベル・アジェンデの『精霊たちの家』もよかったよ。
トルストイ、シェークスピア、ピンチョン、夏目漱石、三島由紀夫、大江健三郎などなど、、本棚に置いてはあるがどうしても手が伸びない
古典とは「今読み返しているんです」とは言うが、「今読んでるところです」とはあまり言わない本である。 ────イタロ・カルヴィーノ
哲学科卒ですが『存在と時間』、カントの三批判書、『精神現象学』・・・正直読んだとは言えないレベルでした・・・
アサヒ、たしかに文学やカルチャー情報ポッドキャストやってほしい。絶対に需要あると思う。
逆に「それ好きならこれ読みなよ」をどういう風に勧めたら良いのか、というのは面白い問になりそうですね。強い言葉を使い過ぎると、かえって敬遠されてしまう。"ドッキ"を重視し過ぎると、他者に伝達する事は完全に無意味になってしまう。
突然の留置所で笑った
中上健次。実は一度チャレンジしたけど、文章がどうにも頭に入らなかった。ピンチョンや大江の方がまだ理解出来るほどで、たぶんわたしは日本一中上健次を読む才能がない女なんだろうと諦めた。でも未練たらしく、中上健次を評論する本をダラダラ読んで「こんな話なのか。面白そうだなあ」と、ノーストレスで読める人を羨んでいる。中上健次に比べたら『百年の孤独』なんてサクサクいけた方だ。悔しいなあ。
重圧に負けて百年の孤独読んでます
声、言葉、雰囲気が良い。 ポッドキャストで喋って欲しい。 58歳おじさん。
東野圭吾俺も一冊も読んでいない
「百年の孤独」はもう1ヶ月以上かけて毎日チビチビ読んでますw やっと3分の2くらい読みました。
例の鈍器本、図書館で借りたけど途中で挫折しました。寝そべって本を読むんですが、腕だけでは支えられなかったです。それ本? とう嫁さんのリアクションがこの本のピークでした。
本の場合、読んでないと(ぶっちゃけた話し)恥ずかしいという感覚があるけれど、本当はそれって、おかしなことだ。音楽や、映画の場合は、そういうことはない。本も、音楽や映画と同じように、考えればいいのだと思う。自分が好きなものを聴く。自分が観たいから観る。それでいいのだと思う。ちなみに、「百年の孤独」なんて、普通、読めない。私は、たまたま自分の世界に合っていたから読んだけど、余程の読書好きの人でなければ読めないものだと思う。(百年の孤独が好きだ=読んだという人の多くは、作家とか評論家といったある種のプロだ。)普通の人は、普通、読めないと思う。
「ああ、その本ならもう読んだよ」って言うために本読んでる、って意見を見たことあるよ
読んだけど読んだことにしてよいのか現象は確かにありますね。中上の『枯木灘』はよく分からなかったです。名著とはそういうものなのかもしれませんが。。
「これを読まなきゃ読書は語れない」というのはおおよそ「前半はしんどいけど最後まで読み通す価値はありますよ」くらいの意味合いでしょうね。挙がってる作品ざっと見た感じ。
傷のなめ合い企画かもしれない
そもそもこれを読んでなきゃいけない! みたいなことを言われたり圧力を感じたことがないな~大学で文学部とか専攻しているとそういうのあるんだろうかむしろ一般読書人?同士で話しているとめちゃくちゃ辻村深月の話が出てくるので、最近読んでるかな
「世界の名作文学を5分で語る」 さんは「知らない」とか「読んでない」とかは絶対言えないタイプ
いや、「読んでない」と度々おっしゃってますよ
配信者のコメントとコメント欄のズレが面白い
百年の孤独読んだんだが、情景の輝かしさや手に取るように伝わってくる筆致にはとても感動したし
決して倫理的とは言えないであろう登場人物にも作者は強い愛情を注ぎ、敬意を持っていることが伝わってきて非常に好感を持ったけど、
一方で安いラノベやポルノ小説みたいな描写がところどころ差し挟まれててなにこれ?てなった
Xで以前、「#昔読んだふりをしました」という愉快なタグがあり面白かったです。今でもちょこちょこ投稿されてるからつい見てしまいます 笑
ちょっと話それちゃいますが、毎回楽しく拝見している方にコメントを読み上げて貰えるのって、メチャクチャ嬉しいですね。ありがとうございました。
プルーストは高遠弘美という天才翻訳家が登場したので、読みやすくなりました。1冊ずつ、ひとつの長編小説として読めるよ。。最近気になっているのは源氏物語です。瀬戸内寂聴さんの現代語訳で読もうとしましたが、断念しました。仏教臭いというか、違う感じ。で、イギリス人のアーサー・ウェイリーの源氏物語。アマゾンで見てもらえばわかるけど、表紙がクリムトの『接吻』だよ。エンペラーのファーストプリンスは、右大臣の娘、レディ弘徽殿の皇子。おいおい、ロマンス小説の文体かよ。翻訳家は大事です。『百年の孤独』の鼓直さんは、ボルヘスの詩集やドノソの『夜のみだらな鳥』、カルペンティエールの『時との戦い』を訳しているけど、鼓直さんの評伝があってもいいくらいの人です。ラテンアメリカには、マルケス以外にも、天才がうじゃうじゃいますね。イサベル・アジェンデの『精霊たちの家』もよかったよ。
トルストイ、シェークスピア、ピンチョン、夏目漱石、三島由紀夫、大江健三郎などなど、、
本棚に置いてはあるがどうしても手が伸びない
古典とは「今読み返しているんです」とは言うが、「今読んでるところです」とはあまり言わない本である。 ────イタロ・カルヴィーノ
哲学科卒ですが『存在と時間』、カントの三批判書、『精神現象学』・・・正直読んだとは言えないレベルでした・・・
アサヒ、たしかに文学やカルチャー情報ポッドキャストやってほしい。
絶対に需要あると思う。
逆に「それ好きならこれ読みなよ」をどういう風に勧めたら良いのか、というのは面白い問になりそうですね。
強い言葉を使い過ぎると、かえって敬遠されてしまう。
"ドッキ"を重視し過ぎると、他者に伝達する事は完全に無意味になってしまう。
突然の留置所で笑った
中上健次。実は一度チャレンジしたけど、文章がどうにも頭に入らなかった。
ピンチョンや大江の方がまだ理解出来るほどで、たぶんわたしは日本一中上健次を読む才能がない女なんだろうと諦めた。でも未練たらしく、中上健次を評論する本をダラダラ読んで「こんな話なのか。面白そうだなあ」と、ノーストレスで読める人を羨んでいる。中上健次に比べたら『百年の孤独』なんてサクサクいけた方だ。悔しいなあ。
重圧に負けて百年の孤独読んでます
声、言葉、雰囲気が良い。 ポッドキャストで喋って欲しい。 58歳おじさん。
東野圭吾俺も一冊も読んでいない
「百年の孤独」はもう1ヶ月以上かけて毎日チビチビ読んでますw やっと3分の2くらい読みました。
例の鈍器本、図書館で借りたけど途中で挫折しました。
寝そべって本を読むんですが、腕だけでは支えられなかったです。
それ本? とう嫁さんのリアクションがこの本のピークでした。
本の場合、読んでないと(ぶっちゃけた話し)恥ずかしいという感覚があるけれど、本当はそれって、おかしなことだ。
音楽や、映画の場合は、そういうことはない。
本も、音楽や映画と同じように、考えればいいのだと思う。
自分が好きなものを聴く。自分が観たいから観る。
それでいいのだと思う。
ちなみに、「百年の孤独」なんて、普通、読めない。
私は、たまたま自分の世界に合っていたから読んだけど、余程の読書好きの人でなければ読めないものだと思う。
(百年の孤独が好きだ=読んだという人の多くは、作家とか評論家といったある種のプロだ。)
普通の人は、普通、読めないと思う。
「ああ、その本ならもう読んだよ」って言うために本読んでる、って意見を見たことあるよ
読んだけど読んだことにしてよいのか現象は確かにありますね。中上の『枯木灘』はよく分からなかったです。名著とはそういうものなのかもしれませんが。。
「これを読まなきゃ読書は語れない」というのはおおよそ「前半はしんどいけど最後まで読み通す価値はありますよ」くらいの意味合いでしょうね。挙がってる作品ざっと見た感じ。
傷のなめ合い企画かもしれない
そもそもこれを読んでなきゃいけない! みたいなことを言われたり圧力を感じたことがないな~
大学で文学部とか専攻しているとそういうのあるんだろうか
むしろ一般読書人?同士で話しているとめちゃくちゃ辻村深月の話が出てくるので、最近読んでるかな
「世界の名作文学を5分で語る」 さんは「知らない」とか「読んでない」とかは絶対言えないタイプ
いや、「読んでない」と度々おっしゃってますよ
配信者のコメントとコメント欄のズレが面白い