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橋上駅になる前の館林駅に入線する、200系りょうもう号、3050系、8000系車両懐かしい。😮😅
吊り掛けが良い音だしてますね。3000系は台車がバラバラで楽しめました。 懐かしいです。
大昔になるのかな、子供の頃に大宮から岩槻までの4駅を走る東武に良く田舎に行くのに乗りました。真っ白より少し黄ばんた青のラインもない電車でした。大宮−大和田−七里−岩槻夜に乗ることが多く当時は街灯も少なく真っ暗な車窓が印象的てした。未だに亀戸−曳舟をたまに乗るので座面の厚いシートがしっくりきます。最新より居眠りするのはやはり古い車両ですね。
未更新の8000系の6両貫通編成が、伊勢崎線で走っていたのにびっくりしました‼️
8000系と3000系、更に5000 系も並ぶとみんな同じ顔していて、吊り掛け、カルダン聞き放題でした。
2024年時点で30年も前になってしまいました…早いものです…
おー★貴重映像ですね。
3:56は3456Fとレアな並びナンバーがいますね。😆💡
3456Fだけ 空転
3:30はかっこいい。同じ顔がまさに並んだ瞬間
これらの系列は、すべて同じ顔です。[3000・5000・8000]8000系は、リニューアルされて使われていますが、3000・5000系は、もう使われてないですね。。。まぁ、3ドアと4ドアの違いとか、つりかけ式かじゃないかとか違いは、やっぱり色々ありますね(*´∀`*)つりかけ式は、乗り心地悪いらしいですが、乗ってみたかった(´・ω・`)(リニューアルされて使われている8000系は、もう違う顔です。)
阪急思い出したこれ
当時の東武鉄道を代表する、”東武顔”で、当時は当たり前のように見れたと言いますが、今となっては、、、
昔は東武の車両を毎日見れるとこに住んでた。コンプの音が独特で忘れられない。伊勢崎~浅草は準急で一発で、しかも1120円で安くて所要時間も今より短かかったからよく乗った。
『りょうもう』号、特急格上げ前。本線に8000系がバリバリ主力の頃、3000系が現役晩年時代ですね!
小泉線の3356が派手に空転してたな…
この頃、自分の中で一番東武電車に興味を抱いていた時代。勿論、78や73にも興味がありました!
懐かしいです。つりかけ車が現役でがんばっていた頃ですね!学生時代、佐野線で通っていて3050系がほとんどでたまに8000系が入ってくる事を思い出しました。夏の暑い時に非冷房3050系は扇風機がフル回転してました。この数年後に5000系に置き換えになりました。
地元だけに懐かしいかつての国鉄に通じる部分がある
私が高校通ってた時は主に8000系、7800系、1800系(りょうもう号)~10000系が導入されたのは私が卒業して1ヶ月後くらい後でした。因みに伊勢崎線の「足利市駅」まで通ってました。
懐かしいです子供の時に両親と乗りました
3:30やばすぎ
イコライザー台車が時代を感じさせますね…
3:18窓の動きが今よりなめらか
群馬県大間々町の友達、両毛号の事をモウモウ号と呼んでいる❗❤(笑)さすが酪農の県 群馬県モウモウ号 バンザイ❗❤
103系の低運先頭車両の前面補強を付け始めた年ですね。😆💡この年から写真撮り初めました。😆
当時は足回りだけ古い半端で地味な車種という認識で興味がなかったが、今思えばこの時代にイコライザー台車がしかも東京近郊で乗れるというのは稀有な存在だった。それと車両のみならず、ホーム建物も当時はありふれていたが今では見かけることも少ない懐かしいスタイルですね。
2020年太田から6両通勤車がラストラン
懐かしい館林駅だ
このころ準急A、Bがありました
当時の友達に準急A・Bの違いを説明した記憶があります。
確か伊勢崎線だけ。日光線はBのみ。
準急Aの停車駅は、浅草〜北千住間の各駅と西新井、草加、越谷、せんげん台、春日部、東武動物公園(旧杉戸)、久喜、加須、羽生、館林、足利市、太田〜伊勢崎間の各駅停車。(まだ新越谷は、各駅停車のみの停車駅だった)。ですね!!
8160Fは2000年まで未更新車でした
確か2018年ぐらいで廃車に成っていました。😅💡
昔野田線に走っていた、3000系を思い出します。もし間違っていれば髙橋光治に返信して下さい。
2分40秒過ぎの8000系は野田線でまだ走っている。(もちろん、更新されている。)3分30秒ころの8000系は6コテで58に見えた。たしか、野田線でまだ走っている。
現行りょうもう号(200系)って結構古いんですネ♪リバティは久し振りの特急列車。リバティはあちこち利用してるみたいですね。日光、鬼怒川温泉、会津、大宮方面(アーバンパークライン)…そしてりょうもう号。快速廃止…6050系の少しずつの引退(本線からは完全引退しちゃいましたけど)。300、350系の引退。リバティが頑張り過ぎて立場が無くなった!?。
200系列は車体はまだ特急車として通用しそうですけど、200系はDRCの機器を流用(既に製造後60年以上経過してるものあり)してますのでむしろそれら足回りの寿命のほうが…
館林〜西小泉が4車両もある…今は2車両しかないのに…
確か2015年から乗客が減少した生で 小泉 佐野線はワンマン運転をはじめましたので佐野線は3両 小泉線は2両になりました
小泉線の3050だけ空転しているということは粘着がないのかな
僕は、東武はガタがきている車両が走るからこそ味が出るものだと思いますね。東武の車両がアルナ工機から日立製作所(A‐train)に代わってからというものの、東武らしさが無くなってしまったように思います。僕の知っている東武は、うるさいし遅いけれどどこか憎めない・・・・・・そんな車両が走っている路線なんです。
30000系列以降はエコ過ぎ。
まだ200系りょうもうがデビューしたてのころだ
釣り掛けだらけ。東京にもこんなに釣り掛け車がいたのに、いまや全国を探しても少ない絶滅危惧ですね。
森西将之 今吊り掛け車両が走ってるのは三重の三岐鉄道という鉄道の北勢線という路線と四日市あすなろう鉄道という鉄道の2路線だけです。
路面電車も結構残ってたりしますね。都内から一番近いのは江ノ電1000形(3次車以前)あと電気機関車は出力の関係上、いまだ吊りかけで製造してますが、ほぼ貨物向けしかないので、一般の乗客がしっかり聞く機会が少ないのが難点。
2年前まで都電荒川線7000形がそうでしたよ。😆💡東京都の中ではそれが最後😅
3050系に訂正します。先頭車が3150形なので間違えたようです。
ちゃちワイパー
説明とタグが「3150系」になっていますが、「3050系」ですよ。
JR東なんかこの時代ダサくて技術の浅い車両ばっかりでしたよね
103系の低運先頭車の前面補強を付け始めた年💡
橋上駅になる前の館林駅に入線する、200系りょうもう号、3050系、8000系車両懐かしい。😮😅
吊り掛けが良い音だしてますね。
3000系は台車がバラバラで楽しめました。 懐かしいです。
大昔になるのかな、子供の頃に大宮から岩槻までの4駅を走る東武に良く田舎に行くのに乗りました。真っ白より少し黄ばんた青のラインもない電車でした。
大宮−大和田−七里−岩槻
夜に乗ることが多く当時は街灯も少なく真っ暗な車窓が印象的てした。
未だに亀戸−曳舟をたまに乗るので座面の厚いシートがしっくりきます。
最新より居眠りするのはやはり古い車両ですね。
未更新の8000系の6両貫通編成が、伊勢崎線で走っていたのにびっくりしました‼️
8000系と3000系、更に5000 系も並ぶとみんな同じ顔していて、吊り掛け、カルダン聞き放題でした。
2024年時点で30年も前になってしまいました…
早いものです…
おー★貴重映像ですね。
3:56は3456Fとレアな並びナンバーがいますね。😆💡
3456Fだけ 空転
3:30はかっこいい。同じ顔がまさに並んだ瞬間
これらの系列は、すべて同じ顔です。
[3000・5000・8000]
8000系は、リニューアルされて使われていますが、3000・5000系は、もう使われてないですね。。。
まぁ、3ドアと4ドアの違いとか、つりかけ式かじゃないかとか違いは、やっぱり色々ありますね(*´∀`*)
つりかけ式は、乗り心地悪いらしいですが、乗ってみたかった(´・ω・`)
(リニューアルされて使われている8000系は、もう違う顔です。)
阪急思い出したこれ
当時の東武鉄道を代表する、”東武顔”で、当時は当たり前のように見れたと言いますが、今となっては、、、
昔は東武の車両を毎日見れるとこに住んでた。コンプの音が独特で忘れられない。
伊勢崎~浅草は準急で一発で、しかも1120円で安くて所要時間も今より短かかったからよく乗った。
『りょうもう』号、特急格上げ前。本線に8000系がバリバリ主力の頃、3000系が現役晩年時代ですね!
小泉線の3356が派手に空転してたな…
この頃、自分の中で一番東武電車に興味を抱いていた時代。勿論、78や73にも興味がありました!
懐かしいです。つりかけ車が現役でがんばっていた頃ですね!学生時代、佐野線で通っていて3050系がほとんどでたまに8000系が入ってくる事を思い出しました。夏の暑い時に非冷房3050系は扇風機がフル回転してました。この数年後に5000系に置き換えになりました。
地元だけに懐かしい
かつての国鉄に通じる部分がある
私が高校通ってた時は主に8000系、7800系、1800系(りょうもう号)~10000系が導入されたのは私が卒業して1ヶ月後くらい後でした。
因みに伊勢崎線の「足利市駅」まで通ってました。
懐かしいです
子供の時に両親と乗りました
3:30やばすぎ
イコライザー台車が時代を感じさせますね…
3:18
窓の動きが今よりなめらか
群馬県大間々町の友達、両毛号の事を
モウモウ号と呼んでいる❗❤(笑)
さすが酪農の県 群馬県
モウモウ号 バンザイ❗❤
103系の低運先頭車両の前面補強を付け始めた年ですね。😆💡この年から写真撮り初めました。😆
当時は足回りだけ古い半端で地味な車種という認識で興味がなかったが、今思えばこの時代にイコライザー台車がしかも東京近郊で乗れるというのは稀有な存在だった。
それと車両のみならず、ホーム建物も当時はありふれていたが今では見かけることも少ない懐かしいスタイルですね。
2020年太田から6両通勤車がラストラン
懐かしい館林駅だ
このころ
準急A、Bがありました
当時の友達に準急A・Bの違いを説明した記憶があります。
確か伊勢崎線だけ。
日光線はBのみ。
準急Aの停車駅は、浅草〜北千住間の各駅と西新井、草加、越谷、せんげん台、春日部、東武動物公園(旧杉戸)、久喜、加須、羽生、館林、足利市、太田〜伊勢崎間の各駅停車。(まだ新越谷は、各駅停車のみの停車駅だった)。ですね!!
8160Fは2000年まで未更新車でした
確か2018年ぐらいで廃車に成っていました。😅💡
昔野田線に走っていた、3000系を思い出します。もし間違っていれば髙橋光治に返信して下さい。
2分40秒過ぎの8000系は野田線でまだ走っている。(もちろん、更新されている。)
3分30秒ころの8000系は6コテで58に見えた。たしか、野田線でまだ走っている。
現行りょうもう号(200系)って結構古いんですネ♪
リバティは久し振りの特急列車。
リバティはあちこち利用してるみたいですね。
日光、鬼怒川温泉、会津、大宮方面(アーバンパークライン)…そしてりょうもう号。
快速廃止…6050系の少しずつの引退(本線からは完全引退しちゃいましたけど)。
300、350系の引退。
リバティが頑張り過ぎて立場が無くなった!?。
200系列は車体はまだ特急車として通用しそうですけど、200系はDRCの機器を流用(既に製造後60年以上経過してるものあり)してますのでむしろそれら足回りの寿命のほうが…
館林〜西小泉が4車両もある…
今は2車両しかないのに…
確か2015年から乗客が減少した生で 小泉 佐野線はワンマン運転をはじめましたので佐野線は3両 小泉線は2両になりました
小泉線の3050だけ空転しているということは
粘着がないのかな
僕は、東武はガタがきている車両が走るからこそ味が出るものだと思いますね。
東武の車両がアルナ工機から日立製作所(A‐train)に代わってからというものの、東武らしさが無くなってしまったように思います。
僕の知っている東武は、うるさいし遅いけれどどこか憎めない・・・・・・そんな車両が走っている路線なんです。
30000系列以降はエコ過ぎ。
まだ200系りょうもうがデビューしたてのころだ
釣り掛けだらけ。
東京にもこんなに釣り掛け車がいたのに、いまや全国を探しても少ない絶滅危惧ですね。
森西将之 今吊り掛け車両が走ってるのは三重の三岐鉄道という鉄道の北勢線という路線と四日市あすなろう鉄道という鉄道の2路線だけです。
路面電車も結構残ってたりしますね。
都内から一番近いのは江ノ電1000形(3次車以前)
あと電気機関車は出力の関係上、いまだ吊りかけで製造してますが、
ほぼ貨物向けしかないので、一般の乗客がしっかり聞く機会が少ないのが難点。
2年前まで都電荒川線7000形がそうでしたよ。😆💡東京都の中ではそれが最後😅
3050系に訂正します。先頭車が3150形なので間違えたようです。
ちゃちワイパー
説明とタグが「3150系」になっていますが、「3050系」ですよ。
JR東なんかこの時代ダサくて技術の浅い車両ばっかりでしたよね
103系の低運先頭車の前面補強を付け始めた年💡