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エブリィに乗るようになって、あらためてこの車種が多く走っているのか、意識するようになった仕事の足として、ファミリー車として大活躍してる鈴木氏は94歳ということは昭和5年生まれ、昭和一桁。懸命に働き、戦後の復興にいかに貢献くださったことか偉大な実績に感謝とともに、ご冥福を!!
お疲れ様です。我々庶民の味方である鈴木修相談役のご冥福をお祈り申し上げます。自分が初めて購入したスズキ車はワゴンR(MH21S)でした。この車も気に入ってましたが、スイフト(ZC11S)の5MTに乗りたくて代替しました。この車は約11年乗りまして、スズキ車の品質の高さを知った良い車でしたね。この次にアルトワークス(HA36S)に乗り換え、走りの楽しさな満足していましたが、実用性と走りの良さを求めるようになり、2年半後に現在のエブリイに辿り着きました。ワゴンR以来スズキ車以外の車を購入検討することすらなくなりました。というかスズキ車の指名買いなので競合すらしていません。おそらくこれからもそうだと思います。もっとも今のエブリイが良い車過ぎて当分の間代替などしないと思います。これだけ良い車を世に出せたのも、鈴木修相談役が社長時代からの、ただのコストカットではない、合理的な経営判断があったからだと思います。そのおかげで車両価格が抑えられて、修理する際の純正部品も他社より安いので、自分はこれからもスズキ車に乗り続けたいと思います。ジークスズキ!
私はスズキの精神といいますかコンセプトが好きでした。私自身スズ菌に感染していると思っていましたし貧乏人の味方「スズキ」が大好きです。修さんが守ってきたものを今後どう受け継いでいけるのか私は見守っていきたいです。ジークスズキ!
貧乏人の味方、鈴木修さんのご冥福を お祈り申し上げます。岐阜県の下呂出身で、小学校の担任の先生の同級生でした。その先生も今年の5月に亡くなりました。人もクルマもいつかは無くなりますね。自分は、過去にアルト、ジムニー、ワゴンRと、SUZUKIのクルマに乗ってきました。これからも貧乏人の味方である会社でいて欲しいです。インドに進出した功績も大きいですね。😊
司令官による我らの鈴木修への追悼ありがとうございます
修さんの車を所有することはまだしていませんが、125ccのスクーターは乗ってます。それが人生初ススギ。バイクでは愛着込めて鈴菌なんて言われたりしてますが、いいモノ作ってくれていますね。修さんは初代社長ではありませんが、1代でここまでの大企業に成長されてその力量と情熱は本当に凄かったと思います。ご冥福をお祈りします。スズキを代表するワゴンRと言えば悔しい思いをしたことがあります。まだワゴンR登場前のアルトから派生したアルトハッスルだった時代(知ってる人いるかな??)、三菱トッポに乗ってましたが、この手の車の先駆者がワゴンRだと大々的に宣伝されたこと。その後トッポとワゴンRは販売実績で大差となり、モデルチェンジを重ねたトッポの最後の方のモデルはワゴンRとウリ二つでした。スズキの完勝でしたね。試乗車インプレ拝見しましたが、やはりNAのCVTはいい走りしてますね。これでちょっと踏むとやかましくなるから評論家たちは直ぐに高速乗るならターボが良いと言ってしまいますが、この繋がり感と吹け上がり感はとても良いと思います。21年間26万キロ乗ってきたタウンボックスはいよいよ来月車検を前に廃車とすることにしました。設計は90年代終わりから2000年代初頭のもので、確かにご指摘通りハンドルにずっと振動が伝わってきて疲れの要因にもなってました。計算してみるとこの21年間の丸々1年間以上を車上にて人生を送ったことになります。まぁ良く乗ったなと思います。次も軽バンです。
スバル乗りですが、スズキの独創性や一貫して庶民の味方で居てくれる所が好きです修さんは最後まで頑張って下さったと思います本当に惜しい人を亡くしてしまいました…ご冥福をお祈りします
司令官アルトとワゴンR、軽自動車業界に革命的変革をもたらしたスズキの名車、しかしそれも時代の要求の変化で第一線から退いていく。。我々は大きな役割を果たしたそれらのクルマに敬意を送りつつ、これからの時代を活きていくのですね。鈴木修さん、義理の父上とご自身共に婿養子であったが、一族経営の会社の中でひときわ鋭い判断力で引っ張るカリスマであった反面、モータースとの家族的繋がりを大切にされ、誰からも敬愛を集めるお人柄だったようですね。コロナの最中、近くのバイク屋さんが「景気が悪くなってもスズキだけは販売店大会を続けてくれている。修さんも元気だ」と言ってました。豊田章男さんが修さんを「憧れの経営者」と呼んでいますね。章男さんが社長就任したときからトヨタは「街一番の自動車会社を目指す」と言ってきました。思えば、修さんがご自身を「中小企業のオヤジ」と名乗っていたアレをブレイクダウンし、「地元や販売店に愛される企業たれ」を形を変えて表現したものなのでしょう。このお二人の対談をUA-camで観ましたが、以来「一族経営+各地元に愛されることを目指す」企業って良いんだな、と思いました。俊宏社長、偉大な経営者のお父様に代わって一人で切り盛りは出来ないと、集団指導体制を組まれたとのことですが、ここまで大成功してるんじゃないでしょうか。新車発表会で章男さんバリにステージパフォーマンスしたり、革ツナギで登場したり、章男さん同様自らフロントマン&ピエロを引き受けていらっしゃるのが微笑ましいです。近年はお顔が修さんにそっくりの瞬間があります。アルト/ワゴンRの果たした役割から鈴木修さんの偉業と人物を偲ぶ今回の動画、見事でした。急なお願いだったにも関わらず1日で仕上げて頂き、ありがとうございました。既にコメントしておられる皆さんも、スズキと修さんへの思い入れ、敬愛は大きなものがあるようです。最後に、鈴木修さん、本当に素晴らしいクルマの数々と自動車産業の隆盛、そして何よりスズキ自動車を大きく育てて頂きありがとうございました。どうぞごゆっくりお休み下さい。我々はこれからもスズキを愛していきます。
うちの親は、家と車高を建てて、その他にもちろん金はかかるから、車はスズキでした。アルトバン、カルタスワゴンでした。大人になり、我が家、kei地震のとき役に立った、下が高いから助かった、スイフトse−z初めての普通車、keiと同じサイズ14インチ使えたのが嬉しかった、要するに使い回しできた。そして、今はワゴンR現行前期です。スズキがなかったら、厳しかったと思います。なので貧乏人や節約したい人には嬉しメーカー、鈴木修相談役、お疲れ様でした。ありがとう御座いました
ジークスズキ! お疲れ様です。これから・・・司令官に同意です。私たちにはエブリイがある。大切に楽しく乗って活きましょう!今年もあと3日。2024年楽しい動画をありがとうございました。2025年もよろしくお願いいたします。それではまた。ご安全に!
司令官コンスコは😊我らが鈴木会長の追悼動画ありがとうございます初スズキは2ストキャリーでした。昔モトクロスやっていたのでスズキはバイクのほうが馴染み深いです。75〜92RM125.250を7台乗り継ぎました。リアサスペンションが好きでした。エンジンは高回転型で上がよく回りましたが低速は少し弱かった。92年RM250は中でも最高のバイクでした。車はエブリィとワゴンRに乗りました、今もワゴンRに乗ってます。これからもスズキさんには庶民の為に安くいい車やバイクを作っていただきたいです😊鈴木会長、安らかに…
アルトもワゴンRも今までに無いジャンルを創造した名車ですね。第一線から退いているとはいえ、現在でもラインナップされ続けていることがスズキのスピリットを感じます。唯一新車で乗ったのはスイフトとハスラーです。どちらも満足度とコストパフォーマンスは他社を圧倒していたと思います。俺たちのスズキ、根強いファンが多いメーカーでもあり修会長の存在も同様です。ご冥福をお祈りします。
喜寿の年老いた私に年老いた魅力あるワゴンR 5MT、似合ってると思います。ラメのブレザーの似合った鈴木修さん、まだまだ頑張ってほしかったですね。スズキを見守ってください。
司令官殿、お疲れ様です。ランボルギーニ・カウンタックをデザインしたマルチェロ・ガンディーニ氏は、(この方も、今年の3月にお亡くなりになっています)実際にワゴンR(恐らく厳密には、欧米版ワゴンRワイドのオペルアギーラ)を愛用していたそうで、しかも、世界で最も優れたデザインのクルマは、日本のマイクロカー(軽自動車)だ。とも話していた記録があり、正しく傑作と言っても過言でないと思います。
修会長と呼んだ方がしっくり来ますが兎に角お疲れ様でした。豊田章男さんが修会長をリスペクトしている様子の動画は良いですねぇ。軽自動車が日本規格として根付いた様々な場面で活躍してくれましたが、亡くなられた事で税金も含めて此の先が心配です。抑えが無くなった様な気がしますよ😢
一族経営というと正直あまりいい言い方で使われることが少ないと思いますが一貫して創業時の方針を貫くという点でスズキと鈴木おやじの場合は安い車を提供し続けてくれて偉大ですね。車も人も老いる…それこそいろんな意味でコンスコン先生がいつも投げ掛けている「いきのびることが出来るか」という問いかけ。今年も鋭い考察の動画をたくさんありがとうございました。新年も期待しておりますm(_ _)m
また偉大な方がご逝去されましたね(泣)!心よりご冥福をお祈りします。
献杯モードの司令官も魅力的です。
小林麻美の宣伝してたやつですね
エブリィに乗るようになって、あらためてこの車種が多く走っているのか、意識するようになった
仕事の足として、ファミリー車として大活躍してる
鈴木氏は94歳ということは昭和5年生まれ、昭和一桁。懸命に働き、戦後の復興にいかに貢献くださったことか
偉大な実績に感謝とともに、ご冥福を!!
お疲れ様です。
我々庶民の味方である鈴木修相談役のご冥福をお祈り申し上げます。
自分が初めて購入したスズキ車はワゴンR(MH21S)でした。この車も気に入ってましたが、スイフト(ZC11S)の5MTに乗りたくて代替しました。この車は約11年乗りまして、スズキ車の品質の高さを知った良い車でしたね。この次にアルトワークス(HA36S)に乗り換え、走りの楽しさな満足していましたが、実用性と走りの良さを求めるようになり、2年半後に現在のエブリイに辿り着きました。ワゴンR以来スズキ車以外の車を購入検討することすらなくなりました。というかスズキ車の指名買いなので競合すらしていません。おそらくこれからもそうだと思います。もっとも今のエブリイが良い車過ぎて当分の間代替などしないと思います。これだけ良い車を世に出せたのも、鈴木修相談役が社長時代からの、ただのコストカットではない、合理的な経営判断があったからだと思います。そのおかげで車両価格が抑えられて、修理する際の純正部品も他社より安いので、自分はこれからもスズキ車に乗り続けたいと思います。ジークスズキ!
私はスズキの精神といいますかコンセプトが好きでした。
私自身スズ菌に感染していると思っていましたし貧乏人の味方「スズキ」が大好きです。
修さんが守ってきたものを今後どう受け継いでいけるのか私は見守っていきたいです。
ジークスズキ!
貧乏人の味方、鈴木修さんのご冥福を お祈り申し上げます。岐阜県の下呂出身で、小学校の担任の先生の同級生でした。その先生も今年の5月に亡くなりました。人もクルマもいつかは無くなりますね。自分は、過去にアルト、ジムニー、ワゴンRと、SUZUKIのクルマに乗ってきました。これからも貧乏人の味方である会社でいて欲しいです。インドに進出した功績も大きいですね。😊
司令官による我らの鈴木修への追悼ありがとうございます
修さんの車を所有することはまだしていませんが、125ccのスクーターは乗ってます。それが人生初ススギ。バイクでは愛着込めて鈴菌なんて言われたりしてますが、いいモノ作ってくれていますね。
修さんは初代社長ではありませんが、1代でここまでの大企業に成長されてその力量と情熱は本当に凄かったと思います。ご冥福をお祈りします。
スズキを代表するワゴンRと言えば悔しい思いをしたことがあります。まだワゴンR登場前のアルトから派生したアルトハッスルだった時代(知ってる人いるかな??)、三菱トッポに乗ってましたが、この手の車の先駆者がワゴンRだと大々的に宣伝されたこと。その後トッポとワゴンRは販売実績で大差となり、モデルチェンジを重ねたトッポの最後の方のモデルはワゴンRとウリ二つでした。スズキの完勝でしたね。
試乗車インプレ拝見しましたが、やはりNAのCVTはいい走りしてますね。これでちょっと踏むとやかましくなるから評論家たちは直ぐに高速乗るならターボが良いと言ってしまいますが、この繋がり感と吹け上がり感はとても良いと思います。
21年間26万キロ乗ってきたタウンボックスはいよいよ来月車検を前に廃車とすることにしました。設計は90年代終わりから2000年代初頭のもので、確かにご指摘通りハンドルにずっと振動が伝わってきて疲れの要因にもなってました。計算してみるとこの21年間の丸々1年間以上を車上にて人生を送ったことになります。まぁ良く乗ったなと思います。次も軽バンです。
スバル乗りですが、スズキの独創性や一貫して庶民の味方で居てくれる所が好きです
修さんは最後まで頑張って下さったと思います
本当に惜しい人を亡くしてしまいました…ご冥福をお祈りします
司令官
アルトとワゴンR、軽自動車業界に革命的変革をもたらしたスズキの名車、しかしそれも時代の要求の変化で第一線から退いていく。。我々は大きな役割を果たしたそれらのクルマに敬意を送りつつ、これからの時代を活きていくのですね。
鈴木修さん、義理の父上とご自身共に婿養子であったが、一族経営の会社の中でひときわ鋭い判断力で引っ張るカリスマであった反面、モータースとの家族的繋がりを大切にされ、誰からも敬愛を集めるお人柄だったようですね。コロナの最中、近くのバイク屋さんが「景気が悪くなってもスズキだけは販売店大会を続けてくれている。修さんも元気だ」と言ってました。
豊田章男さんが修さんを「憧れの経営者」と呼んでいますね。章男さんが社長就任したときからトヨタは「街一番の自動車会社を目指す」と言ってきました。思えば、修さんがご自身を「中小企業のオヤジ」と名乗っていたアレをブレイクダウンし、「地元や販売店に愛される企業たれ」を形を変えて表現したものなのでしょう。
このお二人の対談をUA-camで観ましたが、以来「一族経営+各地元に愛されることを目指す」企業って良いんだな、と思いました。
俊宏社長、偉大な経営者のお父様に代わって一人で切り盛りは出来ないと、集団指導体制を組まれたとのことですが、ここまで大成功してるんじゃないでしょうか。新車発表会で章男さんバリにステージパフォーマンスしたり、革ツナギで登場したり、章男さん同様自らフロントマン&ピエロを引き受けていらっしゃるのが微笑ましいです。近年はお顔が修さんにそっくりの瞬間があります。
アルト/ワゴンRの果たした役割から鈴木修さんの偉業と人物を偲ぶ今回の動画、見事でした。急なお願いだったにも関わらず1日で仕上げて頂き、ありがとうございました。
既にコメントしておられる皆さんも、スズキと修さんへの思い入れ、敬愛は大きなものがあるようです。
最後に、
鈴木修さん、本当に素晴らしいクルマの数々と自動車産業の隆盛、そして何よりスズキ自動車を大きく育てて頂きありがとうございました。
どうぞごゆっくりお休み下さい。我々はこれからもスズキを愛していきます。
うちの親は、家と車高を建てて、その他にもちろん金はかかるから、車はスズキでした。アルトバン、カルタスワゴンでした。大人になり、我が家、kei地震のとき役に立った、下が高いから助かった、スイフトse−z初めての普通車、keiと同じサイズ14インチ使えたのが嬉しかった、要するに使い回しできた。そして、今はワゴンR現行前期です。スズキがなかったら、厳しかったと思います。なので貧乏人や節約したい人には嬉しメーカー、鈴木修相談役、お疲れ様でした。ありがとう御座いました
ジークスズキ! お疲れ様です。
これから・・・司令官に同意です。私たちにはエブリイがある。
大切に楽しく乗って活きましょう!今年もあと3日。2024年楽しい動画をありがとうございました。
2025年もよろしくお願いいたします。それではまた。ご安全に!
司令官コンスコは😊
我らが鈴木会長の追悼動画ありがとうございます
初スズキは2ストキャリーでした。昔モトクロスやっていたのでスズキはバイクのほうが馴染み深いです。75〜92RM125.250を7台乗り継ぎました。リアサスペンションが好きでした。エンジンは高回転型で上がよく回りましたが低速は少し弱かった。
92年RM250は中でも最高のバイクでした。車はエブリィとワゴンRに乗りました、今もワゴンRに乗ってます。これからもスズキさんには庶民の為に安くいい車やバイクを作っていただきたいです😊
鈴木会長、安らかに…
アルトもワゴンRも今までに無いジャンルを創造した名車ですね。第一線から退いているとはいえ、現在でもラインナップされ続けていることがスズキのスピリットを感じます。
唯一新車で乗ったのはスイフトとハスラーです。どちらも満足度とコストパフォーマンスは他社を圧倒していたと思います。
俺たちのスズキ、根強いファンが多いメーカーでもあり修会長の存在も同様です。ご冥福をお祈りします。
喜寿の年老いた私に年老いた魅力あるワゴンR 5MT、似合ってると思います。
ラメのブレザーの似合った鈴木修さん、まだまだ頑張ってほしかったですね。スズキを見守ってください。
司令官殿、お疲れ様です。
ランボルギーニ・カウンタックをデザインしたマルチェロ・ガンディーニ氏は、
(この方も、今年の3月にお亡くなりになっています)
実際にワゴンR(恐らく厳密には、欧米版ワゴンRワイドのオペルアギーラ)を愛用していたそうで、
しかも、世界で最も優れたデザインのクルマは、日本のマイクロカー(軽自動車)だ。
とも話していた記録があり、正しく傑作と言っても過言でないと思います。
修会長と呼んだ方がしっくり来ますが兎に角お疲れ様でした。
豊田章男さんが修会長をリスペクトしている様子の動画は良いですねぇ。
軽自動車が日本規格として根付いた様々な場面で活躍してくれましたが、亡くなられた事で税金も含めて此の先が心配です。
抑えが無くなった様な気がしますよ😢
一族経営というと正直あまりいい言い方で使われることが少ないと思いますが一貫して創業時の方針を貫くという点でスズキと鈴木おやじの場合は安い車を提供し続けてくれて偉大ですね。
車も人も老いる…
それこそいろんな意味でコンスコン先生がいつも投げ掛けている「いきのびることが出来るか」という問いかけ。
今年も鋭い考察の動画をたくさんありがとうございました。
新年も期待しておりますm(_ _)m
また偉大な方がご逝去されましたね(泣)!
心よりご冥福をお祈りします。
献杯モードの司令官も魅力的です。
小林麻美の宣伝してたやつですね