昔日の碓氷峠と鉄道車輛たち~JNR Shinetsu Line USUI pass, Abt railway locomotives were running in old days

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  • Опубліковано 12 сер 2022
  • この週末のお題は碓氷峠です。今の横川駅の碓氷峠鉄道文化むらのことではなく、ED42の活躍した時代の碓氷峠です。
    いわゆるラック&レイルの一種の“アプト式”を採用した、横川~軽井沢の66‰の鉄道を取り巻く鉄道車輛の紹介です。
    何も知らない方にもラック&レイルの構造とか迫力とか理解いただけるような内容にしてみました。
    蒸気機関車を中心に編集を始めたのですが、なんだかんだでED42中心になってしまいました。
    横川の高崎のD51、軽井沢では長野のD51、D50を登場させ、小諸、長野と様々な蒸気機関車も顔を出します。
    また、旧型客車も登場してきます。難しいクイズもあります。
    様々盛りだくさんですので、よろしくご覧いただきコメント頂けば幸いです。
    #蒸気機関車 #旧型客車 #アプト式 #D50 #ED42 #ED40 #D50 #D51 #木造客車 #横川 #軽井沢 #8620
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    (Credit)
    Railway Cogwheel Close-up movie by Kecko flic.kr/p/4RWnbB
  • Авто та транспорт

КОМЕНТАРІ • 141

  • @京成3050
    @京成3050 Рік тому +2

    開いているD50ともはやすっからかんな9600 型9648ですね

  • @oichiro7396
    @oichiro7396 3 місяці тому +2

    祖父に連れられ父親の実家(現在の東御市)に行った時はアプト式だった様です。
    祖父がアプト式は歯車がかみ合ってとか教えてくれたのをなんとなく覚えてます。
    横川駅での長い停車時間に牛乳を買ってもらい飲んだのを覚えてますね。そしてたくさんのトンネル。
    軽井沢からのけん引の機関車は分かりませんが、信号が腕木式は覚えてます。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  3 місяці тому

      ご視聴いただきありがとうございます。
      私も信越線沿いは思い出深い一方で、動画にもある様にあの轟音は恐怖でした。写真としての興味はあまり感じませんでしたが、通るたびに食す釜飯は良かったです。
      同じ物を今食べてもコンビニ弁当と変わらないのは残念です。釜飯が悪いわけでは無いんですよ。

  • @user-et9ny3ni9b
    @user-et9ny3ni9b 9 місяців тому +2

    🚇️私(秀記)が2歳7ヶ月のとき、横軽が廃止。←トミックスモデルワールドのビデオで何度も見た(🚂HOゲージのSL特集シーンもあった)。😢懐かしい!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  9 місяців тому

      秀記さん、碓氷峠も見ていただきありがとうございました。

  • @user-wk2ij1fr9g
    @user-wk2ij1fr9g Місяць тому +1

    ED42、客車の場合運転席がないので先頭にED42を1両、後部に3両繋いでいました、でもキハ82、57は運転席があったので後部3両だけで良かったのです。
    キハ57は、キハ20とかで試運転したときブレーキのロッドがアプト歯車が引っかかるのでディスクブレーキにしました。
    旧客のオロは推定の通りです。
    空気バネはキハ82、57はラック区間はパンクさせて運転していました。
    ナゾはまだまだ多いですね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Місяць тому +1

      冨山淳一さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      日本中の鉄道がどこも普通の姿になっていて、不思議とか謎とかが殆ど無くなってしまいました。ありきたりの写真を並べるだけでなく、皆さんと在りし日の鉄道の謎も探っていきたいです。

  • @user-gb5jf5he7r
    @user-gb5jf5he7r 2 роки тому +12

    この時代のED42でゆっくりとした碓氷峠の鉄道旅は本当に憧れです!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +8

      ご視聴頂きありがとうございます。
      日本ではもう無理ですが、中国行けばラックレイルはなかったと思いますが、ループ線あり、旧型客車ありで楽しめるかもしれません。風景が単調で長すぎて飽きますけど。

    • @user-jz8lp4kc9r
      @user-jz8lp4kc9r Рік тому +4

      別に「ゆっくり」ではないと思います。「これが限界」それが事実だと思います。たとえEF63以降の新機軸が導入されていたとしても「輸送障害」は免れない筈です。

    • @jjjj6075
      @jjjj6075 Рік тому +4

      本来、ラックレール鉄道は小規模輸送に使用される方式です。幹線鉄道に使用するものではありません。迂回してでも緩勾配の線路を建設するのが普通だと思います

  • @pin5861
    @pin5861 2 роки тому +11

    5:49の車両はスロハフ31と思われます。
    2輛しか造られなかった珍車です。
    サボの行先は新宿行と見えるかな。
    中央線普通列車で使用された経緯があるようです。
    他にも31が付く形式にスロフ31とスロハ31がありますが、
    こちらの2形式は窓柱上下に縦リベットが2列あり、スロハ31は窓が2つユニットになっています。
    動画上で言われたオロ31を否定できるのは、
    オロ31には行先サボ直上にベンチレーターが無い、
    窓の天地が狭い、全ての窓柱上下に縦に2列のリベットがある、サボの上の窓から右側に2個又は3個目の窓柱上下に縦向きに鋼板継目板とリベットがある、透けて見える床下に17m車特有の魚腹台枠に見えない。
    とまぁ、ボロクソですんまそん。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      ご視聴頂きありがとうございます。サボはおそらく新宿行きですね。ご指摘の通り17mにしてはちょっと床下が?とは思っていました。
      スロハフ31はやんごとなき車両がもとのようですが、廃車解体のために長野に来たのでしょうね。

    • @pin5861
      @pin5861 2 роки тому +3

      @@Yukkuri-Lab さん
      スロハフ31は2輛とも昭和38年に格下げされて、スハフ34 20番台になったようです。
      スロハフ時代の晩年は飯田町所属で中央本線普通列車で活躍という記述を見つけましたが、
      なんせ資料が少ない車輛です。
      やんごとなきとは現代の人たちに例えが判るかな^^

  • @京成3050
    @京成3050 Рік тому +2

    う~ん?スロハフ31 2だと思われます

  • @noborutuba6042
    @noborutuba6042 Рік тому +6

    コメント失礼致します。
    車両の写真が凄いのは当然として、一番感動したのは、軽井沢駅の航空写真。
    トンネルの手前に、1980年をもって閉鎖されてしまった、母校の寮がうつっていること。
    最後に山上学校で泊まったときは中学1年でした。
    夜、63のトンネル入るときの汽笛の音を今でも覚えています。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому +4

      ご視聴頂きありがとうございます。何気なしに使った国土地理院の写真が記憶を呼び起こすことができたことは良かったです。今後も懐かしく思える写真等をお届けできるかもしれませんので、ぜひよろしくお願いいたします。

  • @mad1186
    @mad1186 2 роки тому +7

    初めての横軽は1971.4.3上り あさま2号 でした。もう粘着運転でしたが下り急勾配なのは子供にもわかりました。
    高校生のとき奈良から乗った亀山行普通列車に偶然キハ57-1が連結されていたので迷わず乗りました。気のせいか乗り心地が良かったように感じました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      ご視聴頂きありがとうございます。碓氷峠があったことで雇用も確保でき、技術も進歩したわけで、意味のない鉄道ではなかったし、それが無ければ軽井沢も発展していなかったでしょうね。

  • @kw6644
    @kw6644 2 роки тому +6

    今回も盛りだくさんで良かったです。アプト時代を体験された事は羨ましいかぎりです。自分は粘着運転時代のあさま/信州しか知りません。峠の釜めしは大人の具材で当時子供の自分には美味しく感じませんでした。長野工場は駅の跨線橋からよく見えました。夕暮れ薄暗い中解体待ちの蒸気が無数有る光景は怖いイメージが子供心にありました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +3

      ご視聴頂きありがとうございます。峠の釜めしはいつの間にかデパート等で買えるようになって、家で食べると違うんですよね。やはり横川で買って汽車の中で食べるとおいしくて、入れ物を洗って家に持ち帰るというパターンが懐かしいです。窓が開かない特急列車は…とかTVのコマーシャルがありました。

  • @osaki205
    @osaki205 2 роки тому +4

    アプト式時代の碓氷峠は67パーミルの区間もあったそうです

  • @Yankee-Tiffany
    @Yankee-Tiffany 5 днів тому +1

    世界の機関車と高速鉄道をお願い。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 днів тому

      ご視聴頂きありがとうございました。
      非制式蒸気機関車とその他の鉄道は、サブチャンネルでやるようにしますので、ご期待下さい。

  • @bakayarou4545
    @bakayarou4545 2 роки тому +3

    この時代の軽井沢はめちゃくちゃいいね〜、興奮するよ

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +3

      ご視聴頂きありがとうございます。航空写真は昭和22年のものですが、すでに立派な駅前の環境ですね。横川の停車時間で身支度し、峠の釜めしを食べて軽井沢に降り立つという風情がある旅がありました。

    • @bakayarou4545
      @bakayarou4545 2 роки тому +3

      たまらんだろうなぁ〜

  • @user-fb4qk2zn9y
    @user-fb4qk2zn9y 2 роки тому +8

    今回は思った以上に濃い内容で良かったかですよ
    🌠昔の客車時代の白山は青大将のスハ44を臨時連結して峠を越えた事も有りましたね💡
    又何かの関係で碓氷峠特集組んでください楽しみにしています。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      ご視聴頂きありがとうございます。時間を取ったのに製作に時間がかかりすぎました。評価いただきうれしいです。ありがとうございます。

  • @user-mj4hf8vv9s
    @user-mj4hf8vv9s 2 роки тому +3

    今日もとても面白かったです。今度はEF62やEF63が出てくる碓氷峠も見たいですね、

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      ご視聴頂きありがとうございます。面白かったと伺い嬉しいです。
      また情報を集めて碓氷峠はやってみたいです。

  • @VC-us5st
    @VC-us5st Рік тому +1

    ラックレールや車両についている歯車で急勾配を進む鉄道方式は『アプト式』だけでなく、色んな種類があるんですね。勉強になりました。アプト式は3本のラックで急勾配を越える列車を支えていたんですね。しかし、当時、首都圏と日本海側を結ぶ主要路線だった信越本線は輸送量がひっ迫していたから1963年に『粘着運転』を利用したEF63に置き換えられたんですよね。それにしても、現役当時のED42やアプト式時代の横軽の写真は大変貴重です!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      VC10型機関車3800番台さん、ご視聴頂きありがとうございます。粘着運転するようになってから碓氷峠を通ったのは一度きりでした。後部補機を走行中に見に行ったことがあって、その轟音に恐れおののいたのも懐かしい思い出です。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому +2

    現在もアプト式を採用しているのは大井川鐵道井川線の長島ダム湖の区間。ED90形。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      乗られたことありますか?

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab 様、ないです。TVの旅番組では、何回も見たことがあります。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      楽しそうですけど、遠いんですよね。浜松に居た頃よくバイクで千頭行きましたが、運賃高いし時間もかかるので乗ったことはありません。

  • @yingfu55814
    @yingfu55814 Рік тому

    いつも楽しませていただいています。今回の碓氷峠編も良かったです。1940年の映画『光と影』に横川駅でED42+暖房車が客車に連結されるシーンがあります。現役時代の映像なのでちょっと感動ものですよ。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      コメントありがとうございます!楽しんでいただけて嬉しいです。碓氷峠編もお気に入りいただけたようで、ありがとうございます。また、映画『光と影』のシーンについても興味深く拝見しました。現役時代の映像は歴史を感じさせるものがありますね。今後も、より良いコンテンツをお届けできるよう努めてまいりますので、引き続きご覧いただけますと幸いです。

  • @exp.m.k.2300
    @exp.m.k.2300 2 роки тому +5

    アプト式ばかり注目されがちですが、現在近鉄が目下研究中の架線式と第三軌条のハイブリッド、いわゆる二刀流はすでにここで実現されていたのですね...

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      ご視聴頂きありがとうございます。自動車を個人で所有する時代が過去のものになれば、水素や燃料電池のトラムがラックレイルで走り回るような時代になるのでしょう。日本は山国ですからね。そしてJRは新幹線以外無くなる。と夢想しています。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому +1

      完全私鉄網⁉️

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      JRが運営するところもあるかも。

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u 2 роки тому +5

    アプト式は、鉄道唱歌にも唄われてましたね。
    アプト蒸機を全て解体してしまったのは残念ですね。(鉄道遺産の概念が無かった頃ですからね。)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。昔歌った記憶有ります。でも単調な調べで好きな歌ではなかったような。碓氷峠は長い停車時間のワクワク感が好きで、碓氷峠を超えて旅行に行くときは楽しかったです。ループ線を越える旅行ではトンネルで余り感慨なかったです。。

    • @user-df3fg3jj1u
      @user-df3fg3jj1u 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab さん、碓氷越えを体験したなんて、とても羨ましいです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      碓氷峠って東京から感覚的に近いんですよ。つまり安旅行に適していたわけで、中央線の小仏峠+長時間停車イベントって感じです。温泉旅行が好きな係累がいたので。

    • @user-cg6eb3gp7d
      @user-cg6eb3gp7d 2 роки тому

      上毛かるたにもあったような?(・ε・` )

  • @user-bz8ze1jo5f
    @user-bz8ze1jo5f Рік тому +1

    碓氷峠廃止になったのに
    おぎのやは頑張ってますね
    峠の釜めしより玄米弁当派の自分には入手困難で困りますけど

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      ご視聴頂きありがとうございました。峠の釜めしは今どこでも入手できるようになってから、ありがたみが無くなりました。入れ物も今では邪魔になりますね。(昔は持ち帰って使っていた)

  • @meitoku5581
    @meitoku5581 2 роки тому +2

    ご存じかもしれませんが、参考文献を紹介します。
     『碓氷峠を越えたアプト式鉄道』(清水昇、交通新聞社新書)
     碓氷峠の歴史について、明治~廃止に至るまで要領よくまとめられています。建設、レール、運転方式、機関車について、非常に詳しいです。しかも、著者・清水氏、元国鉄車掌で、在来線時代の特急「あさま」に乗務経験があります。まさに「書くべく人が書いた本」です。
     巻末には、明治26年(1893年)~アプト式廃止の昭和38年(1963年)までの「列車編成とトン数の変遷」との図表があります。この図表によれば、昭和17年(1942年)以降は、機関車は軽井沢方1両、横川方3両でした。

  • @user-xn4iz2fl1s
    @user-xn4iz2fl1s 2 роки тому +1

    霊夢さんお帰りなさい。夏休みを満喫されたようで何よりです(笑
    私が高校3年生の時に碓氷峠は廃線となりました。高崎線・上越線の近郊列車、貨物列車の容量を確保するのはもちろん、新幹線があれば結局はそっちに乗ってしまうんですが、何か喪失感はありますね。
    今回も勉強になる内容と、清涼感あふれる山岳鉄道の風景をありがとうございます。
    (C53動画でも涼しくなれましたが、あれはコメントした通り、ホラーでしたので^^;)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。魔理沙は日本のカレンダー通りなので夏休みも正月休み無いんですよ。
      碓氷峠は、横川停車+釜めし+ED42+トンネルがセットで楽しむところだったので、粘着EF63の時代は関心無くなりました。新幹線は乗ったこともないです。軽井沢方面は東京に近いので、車になってしまいますね。

  • @SFlanker4117
    @SFlanker4117 Рік тому +1

    碓氷峠、EFが現役の時行ってみたかった。
    廃止後の文化村しか行けて無いや。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому +2

      SFlanker4117さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      私は、粘着になってから一度しか碓氷峠を通っていません。アプト式の音とか横川の停車とか他では得難い経験でした。

  • @user-ou8eg4tp9e
    @user-ou8eg4tp9e 2 роки тому +2

    アプト式はスピードが出ないから上に電圧も低くましてや第三軌条方式 所要時間短縮には不向きだから
    新線に切り替えた上に 粘着式のめどが付いたから碓氷峠から撤退したし
    さらに機関車も3~4台使用するし それに機関車とラックレール、電気を流している第三軌条のメンテナンスも
    やらなきゃいけないので コスト削減と所要時間短縮のために 犠牲になってしまったのかも知れませんね

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。諸外国からは見るとアプト式を本線級の幹線に使うのはクレージーだそうです。でも標高が高い軽井沢にたどり着かなければならないので、トンネル掘ることできませんよね。あの区間のコストは相当なものでしょう。でもなくなってしまってもほとんどの人が困らないというのも驚きでした。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому +2

    アプト式から粘着式の電気機関車に置き換わったのが、昭和38年。
    明治時代の頃は、アプト式蒸気機関車が碓氷峠上り下りした。
    しかし、山林火災の懸念から、大正時代早々に電化された。最初に導入されたのがEC40形、ED42形。ED42形は、昭和38年まで活躍した。昭和38年に導入されたのが碓氷峠専用電機機関車EF63形。
    二重ブレーキシステムを採用している為に総重量108㌧と日本最重量電機機関車。
    重連総括制御システムで、列車を登り下りした。また、169系と189系、489系と協調運転制御システムを備え、登りはEF63形で、下りは169系と189系と489系の力を借りて峠を下った。
    北陸新幹線長野開業後は、転用先が全くなく、全車廃車となってしまった。
    EF631号機とCーC軸配置のEF621号機が碓氷峠鉄道博物館に茶色に復元されて保存されている。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      いつもご視聴頂きありがとうございます。うまくまとめていただきありがとうございます。
      EF63は車内から写したものが何枚かあったのですが、今回載せませんでした。アプト式が無くなってから興味が無くなったからですね。今の方々はEF63のほうが関心あるのでしょうが、ED42辺りだとなんか蒸気機関車の香りがしていいんですけど、EF63はあまり興味のない機関車の一つでした。

  • @user-xm7kn2vw1n
    @user-xm7kn2vw1n 2 роки тому +1

    井川線のアプトライン、2020年11月に乗りました。
    凄い音がしました。
    また、千頭駅のヒロの動画を見に来てください。
    🙏お願いします。🙏

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      色々なところに出かけられているのですね。羨ましいです。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому +2

    ED401号機、日本鉄道記念物で重要文化財(日本鉄道遺産)に指定された。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      そうですね。まさか重要文化財とは。このお陰で永久にしっかり残してくれることでしょう。

  • @user-ys6rm4ut4d
    @user-ys6rm4ut4d 2 роки тому +1

    EF63の試運転の時に下り勾配で非常ブレーキを掛けた所、連結器がちぎれたとか後ろに連結していた電車の車体と台車が分離して浮き上がった等の話を聞いた事がありますがアプト式、粘着式問わず碓氷峠は鉄道の難所だったのですね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      いつもご視聴頂きありがとうございます。本線級の鉄道をラックレイルにするのは狂気ということで碓氷峠は諸外国で有名だったそうです。運用を含め昔の日本の縮図を見ているようで今思うと面白いです。

    • @user-fm6oe3ck4j
      @user-fm6oe3ck4j 2 роки тому +1

      試運転で連結器がぶっちぎれたのは登り勾配上での試験の時だったはずです。
      EF63の粘着力が凄すぎて他の車輌が突き飛ばされる形で連結器がちぎれたり、車体が浮き上がって台車と分離したりといった事故が発生したそうです。

  • @user-yi8go4ws1m
    @user-yi8go4ws1m Рік тому +1

    あれれ!
    アプト式蒸気機関車なら碓氷峠鉄道文化むらで電気機関車と共に運転されていた様な気がします!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      和鉄D51 498 さん、ご視聴頂きありがとうございます。碓氷峠の博物館ですが行ったことないので良く知りませんがアプト式の蒸気機関車はなかったと思います。

  • @user-xc8zx9fo8e
    @user-xc8zx9fo8e Рік тому +1

    キハ57は碓氷峠のアプト式廃止後、小海線で使われるようになったので乗りました。空気バネ車なので少し乗り心地がいいのがわかりました。
    それから何年もたち、小海線の清里、野辺山のブームが訪れた頃、松本と北アルプスの登山基地である上高地との間に、スイスの登山鉄道類似のアプト式鉄道のようなものをつくるなんていう話もありました。
    予算やその他の理由でこの話は立ち消えになってしまいました。実現していたら日本にもスイスのような登山鉄道ができていたことでしょう。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому +1

      権三郎平衛さん、ご視聴頂きありがとうございます。
      キハ57を特定されているんですね。ディーゼルカーや電車は私は外観がよほど違わないと何が何だかわかりません。
      アプト式等の第三レールの歯車を使う鉄道は確かにスイスに多いですね。日本は道路網が急速にレベルアップしたので鉄道の出る幕は無いし、観光用や遊園地では経験には良いですが、それでは趣味としては面白く無いです。でも都心のトラムを拡大させるのは私は良いと思います。都内のアップダウンが多いところは歯車というのもありえるかも。

    • @user-xc8zx9fo8e
      @user-xc8zx9fo8e Рік тому +1

      @@Yukkuri-Lab さん
      キハ57は碓氷峠のED42との連結用につくられた特別なキハ58の一種です。床下機器をラックレールに接触させないように車体を空気ばねで持ち上げるのです(169系や189系などの電車の場合は逆に空気ばねをパンクさせる。)。
      その後わずか2年で、EF63による粘着運転になってしまった後は、キハ57はキハ58や他の気動車などと混用され、小海線、高山線、関西線、紀勢線、四国島内各線の急行、普通列車等で運用されるようになりました。
      特に急行運用においては空気ばねであることを活かし、指定席車によく用いられるようになりました。キハ58、キハ56(キハ58の北海道用:車内の床が、スパイク付き雪靴対応の「木張り」で、窓は「2重窓」。)はコイルバネ車なので、キハ57は「台車」を見ればすぐわかります。
      上高地の場合は行ったことのある人は分かると思うのですが、上高地までは、「個人の」自家用車等では乗り入れることはできません。途中の国道158号付近の駐車場に自分の車などを止めて、バスやタクシーで行くしかありません。釜トンネル以北の上高地まで(県道24号内)は一般車の乗り入れが禁止だからです。松本(JR)か新島々(松本電鉄上高地線)からの場合は、そのまま各当駅から、バスかタクシーです。
      そういうことや環境保護などのこともあって、一時は登山鉄道を造るという話もありました。
      都心ではトラムはまずないと思います。トラムの有効性は人口50万人~100万人の間あたりくらいの街が最適だとされます。これより人口が多いと地下鉄、これより少ないとバスが有効とされます。今年3月開業のトラムの新設された栃木県の宇都宮市は人口50万人クラスです。
      交通渋滞の原因になるとして廃止された都電でしたが、都電の荒川線や、東急の世田谷線の場合は専用軌道が多かった(それぞれの専用軌道率は荒川線が約9割、世田谷線が約10割)ために廃止を免れました。
      まあ東京や大阪などの端っこ辺りならば、あり得るかもしれませんが。
      都内のアップダウンが多いところは、まあ普通に考えると「歯車」というのもありえないと思います。歩行者や自動車等が引っ掛かって危険ですし、確実に交通渋滞の原因になるからです。
      この動画はとても面白かったので、また他のものもアップしてください。御健闘祈ります。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому +1

      権三郎平衛さん、碓氷峠はまたやりたいです。峠の後の軽井沢からのD50やD51の動画は以前アップしました。次は高崎〜横川をやりたいと思っています。こちらは今でも蒸気が走っていますし。

  • @homarejumo2134
    @homarejumo2134 2 роки тому +2

    ED42の27号機は戦時モデルで、窓枠が簡素なのが分かりますよね。
    一度めがね橋まで線路跡を徒歩で登った事がありますが本当にキツイ!
    あの区間をノーブレーキで重力のままに走らせると1分持たずに100km/hに達して脱線確実だとか…

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      ご視聴頂きありがとうございます。電気機関車やDLの窓枠を気にされる(H形ゴムだとか、日除け有無とか)方々多いのですが、これは蒸気の煙突の形を気にするようなものなのでしょうか?

    • @homarejumo2134
      @homarejumo2134 Рік тому +2

      @@Yukkuri-Lab
      わたしはそんなに気にする方ではないのですが、戦時設計は省略されている部分があって何となく見た目が安っぽいのは分かります。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому +1

      私はD52、D51は苦手なほうなのですが、戦時設計タイプだけはどちらもとても好きです。後年ちゃんと性能は出るように整備しなおされたのでなおさらです。

  • @user-br8qb8un8t
    @user-br8qb8un8t Рік тому +1

    ED42は、客車、貨物列車の時は軽井沢方に1両、横川方に3両連結する。気動車の場合は運転手がいるから横川方に3両連結する。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      ご視聴頂きありがとうございます。ご教授頂きありがとうございます。そうしますと動画にあるED42が軽井沢で増結車両を持ってきているシーンですが、尾灯を出している1輌なのでご説明通りになりますね。

    • @user-br8qb8un8t
      @user-br8qb8un8t Рік тому +1

      @@Yukkuri-Lab お返事ありがとうございます。自分は63の時代で車の免許を取ってカメラを趣味にしたのは昭和天皇が健在で消費税が3%付く頃の時からで実車を見たわけでなく鉄道雑誌やビデオ等から横軽の経歴を知りました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      そうなんですね。私はEF63の時代の写真は一枚ありましたが、碓氷峠自体に興味がなくなっていて全然知らないのです。

    • @user-br8qb8un8t
      @user-br8qb8un8t Рік тому +1

      @@Yukkuri-Lab カメラを始めた時は、東海道本線を走るブルートレイン全盛期で65から66へ代わった頃でよく小田厚を飛ばして根府川橋梁で撮りましたよ。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      私は前の会社勤めの時は、東京駅四時発のさくらが通るころ線路側の窓に行って眺めるのが好きでした。電気のブルトレ自体を撮りに多摩川に行ったことも一回あります。

  • @user-wb3wg3we8w
    @user-wb3wg3we8w 2 роки тому +1

    ラックレールの類が4種類も有ることにビックリしました。👀
    それだけ、鉄道の勾配対策の歴史が長いとか、多様性、独自性が有った、ということでしょうか?🤔
    なかなか興味深かったです。👀

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。距離の比較ではアプト式が碓氷峠のせいで一番だったとか。四種類以上あるようで、動画のアメリカのNew Hampshireの蒸気が活躍しているところでは別の仕組み(名前)でした。特許とか作りやすさとかコストとかそれぞれの事情でベストがあるのでしょうね。

    • @user-wb3wg3we8w
      @user-wb3wg3we8w 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab 様、
      返信ありがとうございます。
      鉄道の勾配対策についても、ところ変われば技術変わる、で面白いですね。💓
      今回は、重点がアプト式機関車だったと思いますが、軽量客車を投入された伝統的昼行客レの急行白山が、自分個人的に気になりました。🧐
      割と遅くまで残った、昼行客レ三羽ガラスが、急行ニセコ、白山、十和田(みちのく)だと思っております。😂

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。10系を導入したのは碓氷峠で重量がありバウンシングするからだったと聞きました。本当かどうか別ですが軽いに越したことないですからね。
      白山は伝統急行でDC急行後も選ぶ人が多かったとか。客車って発車しても飛び乗れるから、停車時間に余裕があることで人気だったのかな?DCはうるさいし意外と排気ガス臭いですしね。

  • @k.i1428
    @k.i1428 2 роки тому +1

    第三軌条だと、架線柱がなくて、スッキリ。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。そうですね。危ないですけれど。

    • @psychedelicraspberry517
      @psychedelicraspberry517 Рік тому

      おねがいマイメロディ すっきり♪

  • @hr31izayoi
    @hr31izayoi Рік тому +1

    5:54 床下機器の位置的にオハ31の帯あり?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。
      珍車のスロハフ31というご賢察を視聴者様から頂きました。サボはどうも新宿であろうこと。なのですが、情報量が少なすぎますね。

  • @user-lp4vp8cf2y
    @user-lp4vp8cf2y 2 роки тому +6

    初めて碓氷峠に行ったのは廃止になる2年程前だったかと思います。
    車内でも分かる急勾配、空気バネをパンクさせた硬い乗り心地に衝撃を受けました
    EF63のブロワー音、それらを眺めながら食べた釜飯の美味かった事😋
    新幹線は速くて便利ですがなんか味気なくて…

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。新線後も何度か通っているのですが、車内からの写真があるのはほんのわずかでした。別の方にもお返事したのですが、アプト式が無くなって興味が無くなったと思っています。
      本線級が分断されなくなってしまうのは当時衝撃でした。おそらく住民からの強い声が上がって復活するだろうとか思っていましたが、時代は信越本線を必要としていなかったんですね。日本中貨物輸送も激減しましたし。
      新幹線が走るようになったころには、軽井沢辺りは車になってしまいJRで行ったことはありません。

  • @user-td3jq5xn3y
    @user-td3jq5xn3y 2 роки тому +2

    魔理沙感電!ビリビリ!💥🤰⚡🌡️🤔

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      ご視聴頂きありがとうございます。第三軌条は剥き出しで600Vあるので、感電するものはなかったのか疑問だったので、魔理沙を感電させました。

  • @ShunRailwayCh
    @ShunRailwayCh 2 роки тому +2

    なるほどこんなに手間がかかるなら直江津、東京直通でも廃止しますね。EF63で粘着式になったとはいえ機関車を連結する手間はありますからね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。本線級が分断され3セク移譲された事実は少しショックでした。東京から近いしローカル線でのんびり行くことができなくなったんだぁという感覚でした。
      横川の機関区や設備を残しておくことは膨大な負債になるんですね。

    • @ShunRailwayCh
      @ShunRailwayCh 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab 日本海縦貫線が分断されているのは信じられませんよね。北陸新幹線が東だけの運用なら北陸本線は生き残れたのでしょうか?

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z 2 роки тому +2

      @@ShunRailwayCh さん
      北陸線が元々JR西日本の管轄だったから分割運用は無理だったのでは?(大糸線の非電化区間もJR西日本管轄)

    • @ShunRailwayCh
      @ShunRailwayCh 2 роки тому +1

      @@user-fz4qk1mj2z なるほど。ならどういった条件ならできますかね?

    • @user-fz4qk1mj2z
      @user-fz4qk1mj2z 2 роки тому +1

      @@ShunRailwayCh さん
      何より、新幹線の並行在来線の分割第三セクター移管は、JR各社の共通認識だから、運用がどうとかの問題じゃないのかな?

  • @user-bk1sp2gc8q
    @user-bk1sp2gc8q 2 роки тому +6

    ED42というと、一時期は動態保存されていたのを思い出しますな
    ただ、架線電圧600V対応なので、ヨ3500に変圧器つけて無理やり動かしていたそうです
    現在は軌道モーターカーで前後させるだけにとどまっていますが、それでもロッドをガタゴトさせて動く姿は壮観です
    まったくの余談ですが、碓氷峠の機関車は常に横川側の運転台を使用するので、軽井沢に向かうときはバック運転となります
    そのため、推進運転の法令で時速25㎞までしか出せなかったそうです

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      いつもご視聴頂きありがとうございます。鉄道村のED42って動かないんですか。てっきり動いていると思っていました。碓氷峠のアプト式って、幹線で採用した点で世界でも例を見ないそうですね。(アホと言われているような感じ)

    • @user-hv9rf9nm7h
      @user-hv9rf9nm7h 2 роки тому +3

      碓氷峠の最高速度は坂を下る時に旅客列車で38km/h、貨物列車で22km/hでした…
      「25km/h」というのは進行方向の先頭でブレーキ操作が出来ない場合の速度制限です
      余談ですが、上野駅発着の客車列車が尾久客車区(現 車両センター)から回送される時は客車のブレーキ管に制動弁を接続して非常ブレーキ操作を可能にする事で「最高速度45km/h」で運転していました

    • @user-bk1sp2gc8q
      @user-bk1sp2gc8q 2 роки тому +3

      @@user-hv9rf9nm7h ちなみに、アプト式時代の最高速度は時速18㎞でした
      また、推進運転は運転士が直接前方を確認できない場合の最高速度が時速25㎞で、監視員を配置した場合の最高速度が時速45㎞です
      推進運転で上野発着を例にしていますが、古くは東京に到着して最後尾に展望車を連結した優等列車の転向にも使われていました
      この時は展望車のデッキに監視員を配置し、ラッパを吹いて運転士に知らせたそうです

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      そうですよね。以外に速い。はくつるが登場したころ品川客車区から直行で来てました。あれはひっくり返す必要が無かったからかな?

    • @user-hv9rf9nm7h
      @user-hv9rf9nm7h 2 роки тому +2

      @@Yukkuri-Lab 様
      客車時代の「はつかり」は上野口では三河島と田端を結ぶ貨物線で転向してましたね…
      おそらく座席方向が固定されていた「スハ44系」が消えた事で編成の向きを変える必要性が無くなるどころか、向きが違う事で床下機器や電気・空気配管の整備点検時に支障してしまう為でしょうねぇ…

  • @user-mb2dl9tg8d
    @user-mb2dl9tg8d 2 роки тому +1

    魔理沙感電www
    第三軌条が、東京メトロのそれよりも華奢に見えます。
    ED42は、横川方3両、軽井沢方1両で運用されていたのでは?
    新線時代のEF63、井川線のアプト機関車は、勾配の低い方に連結されています。多分、連結分離が起きても機関車が受け止めるように安全に停止させるためでは?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      ご視聴頂きありがとうございます。650Vでもむき出しで誰でも触れられるので、狸とか狐の感電トラブルってなかったのかな?と思って魔理沙を感電させました。
      ED42の3台、4台連結は常に横川側というのは分かりますが、軽井沢から戻るときはどうなのか?2台+2台というのはあったのかどうかがわかっていません。

    • @user-mb2dl9tg8d
      @user-mb2dl9tg8d Рік тому +1

      @@Yukkuri-Lab 様
      軽井沢方向、横川方向共にED42の連結は同じではなかったか?と考えます。
      (ここからは素人考えになりますが)
      この時代の鉄道車輌は「自動空気ブレーキ」が主役で、電気指令なぞ無い客車貨車、さらには気動車は元空気溜メ引通しがあるものの、客車と同様のA動作弁式で、このような車輌がひしめく古き善き時代。万が一、66.7/1000の勾配で速やかに緊急停止させるには、列車の前後からブレーキ管の圧を抜く必要があるはずなのです。
      客車貨車のブレーキ制御弁には、非常ブレーキ時に制御弁を介してブレーキ管圧を抜く動作をする構造になっていますが、さらに確実性を持たせたのでは?
      と思います。

  • @locale233joban2
    @locale233joban2 2 роки тому +2

    そう言えばピフ?って言う
    碓氷峠専用緩急車がいたって
    聞いたことがあります。
    現代の技術ではEF63を超える出力
    の機関車は作れても、
    EF63と同等のブレーキ性能は
    中々作れないらしいですね…
    単線でラック式でもいいので
    現役の鉄道線として復活して
    欲しいですけど維持管理が
    相当難しいでしょうね…
    (2000年代生まれで碓氷峠すら
    無くなっていた時代に生まれたので
    鉄道での碓氷峠越を経験出来なかったのが
    残念です)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。ピフの存在まで認識していませんでした。教えていただきありがとうございます。ネットで調べましたが、なるほどなという感想です。その後ヌ200に置き換わって粘着後まで生きていたのですね。
      理不尽な環境を走る鉄道ってとても魅力的ですよね。日本には無くなりましたが、まだ外国には魅力的な鉄道がたくさんありますので、これから是非見に行ってください。

  • @k.i1428
    @k.i1428 2 роки тому +1

    海外の第三軌条レールを見ると、カバーなしの、レールむき出しが、あります。日本ではありえないです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      欧州は線路内立入りはご法度で、小さい頃から危ない危ないと躾けられているので、警報器の鳴らない踏切でも大丈夫なのかもしれませんね。

  • @N--jv3go
    @N--jv3go 2 роки тому +12

    機関車付け替えを含みこの区間は30分くらい掛かっていたかと思う時間効率は確かに良くなかったが主要幹線のこの場所をあっさり廃止してしまったJR東日本と国土交通省は何考えていたのだろうか、思い返せばJR東日本がサービス低下に方針転換したのはこの時が最初だろうか、こんなことを繰り返せば会社がどうなるか早く気づいて欲しいのだが、もう日本の鉄道はこの程度の需要しかないのかもしれない。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +7

      ご視聴頂きありがとうございます。廃止後代行バスがあるようですが、あまり利用者は無いし廃止後利用者の不便さをアピールする記事も見た記憶有りません。貨物輸送は元々メジャーな路線ではないので、新幹線で十分ということでこの意味ではJRも国も良い見識だったと思います。雇用という点では大きなマイナスだったでしょうけど。

    • @user-em7su8gg6l
      @user-em7su8gg6l 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab
      それに廃止にしてなかったら鉄道文化村は無かったわけですし、プラスの面も大きいと思います。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      そういうご意見も貴重ですね!

    • @fukurayuza4921
      @fukurayuza4921 2 роки тому +1

      >サービス低下に方針転換
      1993年に東北秋田地区の50系客車列車を廃止にして701系に転換したのが始まりだと思うが。

    • @Yankee-Tiffany
      @Yankee-Tiffany 20 годин тому

      在来線の長距離需要が無いからかな?