防衛省、市ヶ谷記念館公開=東京裁判、三島由紀夫自決の舞台

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  • Опубліковано 21 лип 2024
  • 防衛省は10日、敷地内(東京都新宿区市谷本村町)に設けられた市ヶ谷記念館を報道陣に公開した。建物は旧陸軍士官学校本部として建造され、庁舎建設に伴い移設・復元された旧1号館。ここでは、東京裁判が開かれた大講堂や作家の三島由紀夫が自決した部屋など、歴史の舞台を目の当たりにできる。
     記念館は敷地の西端に位置し、正門から左手に数分歩いた場所に建っている。旧1号館の竣工は1937(昭和12)年。大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部の使用、米軍による接収を経て、陸上自衛隊東部方面総監部などが置かれた。東京・六本木から市ヶ谷地区へ庁舎が移転するに当たり、象徴的な部分を残して移設され、記念館となった。白壁が目に映え、堂々としたたたずまい。規模は縮小されたが豪華な正面玄関はかつての雄姿を忍ばせている。三島が自衛隊に決起を促すために立ったのが、この玄関上のバルコニー。窓の奥には、後に自決した部屋が顔をのぞかせている。
     玄関ホールには、記念館のシンボルとなっている旧1号館の大時計と桜のオブジェのほか、防衛庁当時の砲金製看板と中曽根康弘元首相が揮毫(きごう)した木製看板が置かれている。この先にあるのが、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で法廷として使われた大講堂だ。中に入り正面を望むと、壇上に掲げられた「玉座」の文字が真っ先に飛び込んでくる。玉座は奥行きが感じられるように遠近法のデザインが用いられ、一方、玉座から望める2階部分など人が立つ場所は、全てが低く見えるよう工夫がなされている。
     床に敷き詰められているのは、30センチ角のナラ材約7200枚。その大部分が創建当時の部材を再利用している。その上にはショーケースが並び、軍服や刀、千人針布など戦争当時の遺品を数多く展示。終戦前日に開かれた御前会議の様子を描いた絵画や、太平洋戦争の激戦地である硫黄島で指揮を執った栗林忠道中将の見事な画手紙など貴重な品々も拝観できる。
     右奥の扉を出ていくと、玉座へと向かう天皇陛下専用の木製階段が現れる。14段あり、スリッパを脱いで上っていくと、驚くほど足の裏に板がしっくりとなじむ。最初の段には盛り上がりが、上部4段は窪みが施されているためという。心遣いがある当時の建築技術も体験できる。
     東京裁判の際、一般傍聴人席が設けられた2階には、旧陸軍大臣室と陛下の休息所であった旧便殿の間がある。大臣室は後に、陸自東部方面総監の執務室として使われ、三島が総監を監禁した部屋。乱闘の際にできた刀傷が、扉に3カ所残る。三島がバルコニーに出たのは左端の窓から。今は部屋の窓全てが開かない状態となっている。
     隣の旧便殿の間には、34(昭和9)年に群馬県で行われた特別演習の際に撮影された写真が飾られている。約3800人全員に焦点が合う希少な画像。最前列の昭和天皇をはじめ、東条英機大将、山本五十六大将の顔もはっきりとうかがうことができる。
     防衛省は、記念館や庁舎などを見学する「市ヶ谷台ツアー」を月曜から金曜まで(祝日、年末年始除く)、午前と午後に各1回実施。電話またはインターネットで、見学希望日の2カ月前から2日前まで予約できる。年間の来訪者数は2万人に上るという。
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