昭和54年の写真に映っていた井戸を探してみる

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  • Опубліковано 2 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 29

  • @伸一小熊
    @伸一小熊 7 місяців тому +10

    当時井戸はたくさん有った記憶が…
    東京都北区岩渕の路地にもありましたよ。
    1980年代、東京23区内唯一の酒蔵も有ったし。
    古き良き昭和でしたね…

  • @eekitreatment
    @eekitreatment 7 місяців тому +2

    実に良いものを見せてくれて有り難う、感謝いたします。

  • @さくら茄子
    @さくら茄子 7 місяців тому +16

    何度か訪れていますが、この菊坂辺りの細い路地は、未だに昭和が残る不思議ところです。聞くところによると、この一帯は戦災の被害から免れたために古い家屋や井戸が残っているとのことです。一葉が使ったとされる井戸の周辺は、一般の方が住まわれているので、写真もそこそこに通り過ぎていますが、以前は井戸の横に文京区教育委員会の案内板がありました。今は撤去されています。

  • @藤村龍也
    @藤村龍也 Місяць тому

    菊坂の裏?炭団坂や鐙坂(あぶみさか)も風情がありますね。それと菊坂に銭湯があったけど無くなったそうですね。淋しい😢

  • @川田裕-p4u
    @川田裕-p4u 7 місяців тому +7

    いつも楽しく拝見させて頂いています。😊本当に趣がありますね❗

  • @kurorock4087
    @kurorock4087 7 місяців тому +16

    本郷の有名な井戸かと思っていたら、その井戸でした。
    昭和54年に撮られた子供達は44年を経てAIでカラー化されるとは思ってもいなかったでしょう。

  • @松岡春樹-v4u
    @松岡春樹-v4u 7 місяців тому +2

    新宿区だった我が家にも、庭先と屋内勝手口付近に井戸が二つありました。野菜や果物を洗ったり冷やしたり、樹木に水やりをしたりしていましたね。東京は河川も多く、地下水も豊富なんですよね。それにしても、あらためて才女の果敢なさに触れた動画でした。ありがとうございます。

  • @yk-fd7hu
    @yk-fd7hu 7 місяців тому +5

    一葉さんは何回か引越しをしてますね。吉原近くの下谷龍泉町に荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いて、そこでの体験が後の小説「たけくらべ」の題材にもなっています。登場人物のモデルになった人も吉原近くに住んでいたらしくお墓もあったりします。今でも地元の人に愛される作家さんです。

  • @yu_ino6478
    @yu_ino6478 7 місяців тому +13

    「午前洗濯を少しす。」と一葉は日記(明25・4)に記しています。菊坂では、一葉が針
    仕事と洗濯仕事で生計を支えていましたから、紹介されている井戸は、一葉と一家の家計
    も潤すものでした。一葉が使い、120年経った今でも現存しているこの井戸、貴重な文化
    資源です。

  • @danslejardindecytrus
    @danslejardindecytrus 7 місяців тому +7

    Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 👍🙏

  • @toshitani2705
    @toshitani2705 7 місяців тому +12

    かの石川啄木も終焉の地は春日近辺だったとか。一ツ橋や護国寺に多く点在する出版社は徒歩圏内、東大も近くて下宿や借間も多かったから文豪から売れない作家まで住むことが出来る地だったのではないでしょうか?

  • @r.v.w9696
    @r.v.w9696 7 місяців тому +7

    こちら何度か訪れたことありますが
    時間を超えた旅はやはり面白いですね
    大田区の馬込から大森にも文士、文豪が集っていた地域がありますが
    同じように
     ❛ 坂のある地域 ❜
    です
    不思議と同じですね
    当時の作家、文士、文化人は
    坂になにを見たのでしょうか?
    皆さんはどう思われますか?

  • @jfujiwara777
    @jfujiwara777 7 місяців тому +10

    ここら辺は良い水が出るんですよ 金魚屋もちかくにあつたね

    • @keyhay-5492
      @keyhay-5492 7 місяців тому +6

      菊坂の金魚屋さん無くなったのですね。東京の山手線の内側に金魚屋さんがあって驚いた覚えがあります。住居表示も本郷区(昔の区の文字が変換候補にありません)と書いてあったり戦前からあると思われる高級御下宿と書いてある玄関の硝子も中の廊下もピカピカに磨きあげられた下宿もありました。この下宿に住んでた学生も学徒出陣で戦場に送られたのかなあと思っていました。

  • @ratio5754
    @ratio5754 6 місяців тому +1

    半世紀以上前になりますが、雑司ヶ谷で商いをしていた親戚の敷地内に井戸がありました。近所の路地にも何か所かあったと記憶しています。

  • @woyadgy
    @woyadgy 7 місяців тому +8

    この井戸は菊坂沿いの谷筋なので水が出るんですよね。ただ、今時の水質を東大の研究室が調べて、見なかったことにしよう、ということだったと聞いてます。

  • @昭喜-v1g
    @昭喜-v1g 7 місяців тому +3

    お札になったといえば、野口英世も1000円札になっていますね。どちらもお金には苦労した人ですが、名は残しています。

  • @user-du7y6ak4i5
    @user-du7y6ak4i5 18 днів тому

    オダキュウTIMEさんの動画でいつも思うこと
    地方都市なら一大観光施設になりそうな魅力的な建物や施設が住宅地の中にひっそりと保存されてる東京
    これらを自力で観光しようと思うと何日かかるのでしょうか
    動画を再生するだけでほんとに贅沢な観光させてもらってます。

  • @eekitreatment
    @eekitreatment 7 місяців тому

    なんとも、皮肉な1葉の人生です。それほど文才のある女性が短命でこの世を去るとはね。この井戸の有るところを見ると、昔に私の住んだ一帯、私の実家浅草の下町、には江戸末期には長屋が3件あり、その中心部に井戸が有りました。実家のいえが新しく4階建てビルの工事をした際、長屋のあった部分の井戸が地下2meter辺りから現れ、ビル工事のため、井戸の後は潰しましたが、多くの人がその井戸飲み水で暮らしていたかと、思うとこの動画をみて、涙ながら悲しくなりました。
    一葉が苦しんでくらした時代でも井戸からの水をのみながら、生活をしていたと、思うと悲しいです。
    肺炎を起こす人は、呼吸器がよわく、かつ家が隙間だらけで、寒い夜などに暖房もない状況で暮らしていた事がよくわかります。
    私の妻も肺がよわく、知り合った時には、半分肺炎を患ってましたが、その後、なんとか子供を授かり、現在は結婚して43年目、
    ただし、妻は英国人、日本で知り合った、私が助けた様に結婚しました。子供は遺伝研究所に勤め、私どもは、Londonに移り住み、 小さな庭も綺麗な日本風に仕上げ、日本の中級クラスの造園会社の知り合いに写真も見せたら、プロ級ですよと、喜んでました。私の妻も一葉ト同じ弱い体してますが、産まれながら身についた超能力で面倒みながら助け合ってます。
    人生とは辛くとも二人で分かち合って苦しみを乗り越える事に意味あると75才になってはじめてわかりましたよ。ロンドンより、

  • @仙石-w8j
    @仙石-w8j 2 місяці тому

    会社が本郷に有った時、菊坂散策したことがあります。

  • @firstnamefamilyname5844
    @firstnamefamilyname5844 7 місяців тому +4

    御茶ノ水駅からも近いからかな?

  • @ao1341go
    @ao1341go 7 місяців тому +7

    菊坂。。。文人達が多く集まり、交流もあったのでしょうか?
    ちなみに宮沢賢治は私と同じ誕生日で親近感があります笑

  • @透藤木
    @透藤木 7 місяців тому +1

    まだこの頃は、この辺りの周辺は、来ないから何とも言えません。

  • @marphyjohn9465
    @marphyjohn9465 7 місяців тому +1

    その井戸は、つるべを取られた方ですか?それとも、もらい水の方ですか?

  • @maxterhecht
    @maxterhecht 7 місяців тому

    菊亭大納言は、知ってるけどな?