しながわのチカラ 艶やかに彩る!華のおいらん道中
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- Опубліковано 7 січ 2025
- 品川の伝統と文化遺産を伝える『しながわ宿場まつり』。
その初日を飾るのが『おいらん道中』。花魁(おいらん)に扮した女性たちが旧東海道を艶やかに彩る。
花魁(おいらん)とは吉原遊郭で位の高い遊女のこと。花魁(おいらん)が馴染み客を迎えにいくときには美しく着飾り、遊郭を練り歩いた。この行き帰りの様を旅に見立てて『おいらん道中』と呼んだ。
このイベントを運営するのは地域の人たちである。
おいらん奉行役 大橋登さん「なかなか続けていくのは大変ではあるのですけれど、みなさんの笑顔を見ていると続けていかなくちゃいけないのかなと思うことでございますね」
かつての花街(かがい)・はなまちだった品川宿の面影をイベントとして再現した『おいらん道中』を追う。
江戸の頃、東海道第一の宿場として栄えた品川。
こちらには、かつて食売(めしうり)旅(はた)籠(ご)屋の相模屋があった。食売旅籠屋は食売女(めしうりおんな)と称した遊女のいる宿。相模屋は外壁が土蔵のような壁であったことから、土蔵相模と呼ばれた。
現在の北品川周辺は、江戸の頃、俗に北の吉原に対して、南の品川といわれ、花街(かがい)・はなまちとして賑わいをみせた。
こちらは土蔵相模から北に100メートルほどの場所。ここにはかつて、島崎楼があったといわれている。時代が明治になると食売旅籠屋は貸し座敷へと営業形態を改めた。
品川宿の花街(かがい)は一部を残し昭和7年、現在の東品川一丁目に集団で移転。この地域が新たに花街(かがい)となる。しかし、この地にあった花街(かがい)は昭和40年代の終わり頃に終焉を迎えた。
花街(かがい)として賑わった当時の品川宿がイベントとして蘇る。
『おいらん道中』は旧東海道を京急・北品川駅付近から品川橋までの区間、およそ850メートルが舞台となる。明治23年より呉服店を営む尾張屋。こちらの店は『おいらん道中』を運営する中心的な役割を担っている。イベントの実行委員でもある大橋さんに伺った。
「商店街の活性化を目的としてはじめました。祖父の時代に大名行列をやったことがあるという話を聞きまして、それを何回かやったあとに、しながわの花街の雰囲気をだそうということで『大名行列』から『おいらん道中』になった」
昭和30年代の半ば頃に始まった『おいらん道中』平成21年まで品川神社の例大祭の日に開催されていた。
「『おいらん道中』と神社のお神輿のお仕事の関係で人手がどうしても足りなくなってしまうことで中止しましたところ、『どうしてやらないんだ』あっちこっちに電話がかかってしまった。それで『宿場まつり』に移ることになりました」
『おいらん道中』は平成24年から『しながわ宿場まつり』の前夜祭として開催されることとなった。
これは昭和30年代の半ば頃から『おいらん道中』で使われている衣装。
1回目から参加し、イベントの基礎を作り上げた千種太夫も身につけた貴重な着物である。
千種(ちぐさ)太夫(だゆう)から直接指導を受けた渡部(わたべ)さんにお聞きした。
「私が指導を受けた時は80歳を過ぎていたと思います。踊りも大変上手で、いきいきとしてやってられた。ひとつひとつの教えを承って、なるべく自分の身にしようとがんばってきました」
千種太夫の勇退にあわせ、花魁(おいらん)役は一般公募となった。
北品川一丁目の町会会館『北一会館』。この日集まったのは運営スタッフの方たち。キャストの選考会である。応募者33人のなかから、花魁役を選ぶ。
「花魁になれるのは5名ですので写真とプロフィールで判断していただければと思いますのでよろしくお願いします」
スタッフが厳選した結果、花魁役の5人が決定した。
イベントの2週間前。尾張屋に姿を見せたのは……。花魁役の方たちである。娘さんと訪ねてきたのは堀口さん。
「旧東海道沿いに住んでいるので『おいらん道中』を娘と一緒にしたいなと思って参加しました」
「はるかも(練習)やってるよ。おうちで。かつら役?」
「かむろ役」
出演者の方たちは店の奥にある部屋で花魁(おいらん)の歩き方『外(そと)八文(はちもんじ)字』の稽古を始める。
指導するのは、花魁役を10年以上にわたり務めた渡部さん。
「内側の角を下につけるようにして、自分の目の前にきたら返して、前にすーっと出します」
店の外に出て、下駄を履く花魁役の皆さん。
「足をすぐに上げない。腰をまっすぐ前に出す」
外八文字の稽古が続けられる。繰り返し歩かないと下駄と足が馴染まないようだ。
今回初めて外国人の花魁役が参加。シンガポール出身のレイチェルさんだ。
「(職場の)同僚がしながわに住んでいるので『おいらん道中』というイベントも同僚が教えてくれました。おいらんの特別の歩き方はすごい難しそうですね」
『おいらん道中』まで、あと二週間。それぞれ、理想のおいらんを演じるため、稽古に励む日々を送る。
『おいらん道中』の本番当日。北一会館に出演者の方たちが集まってきた。
プロのメイクスタッフに化粧をしてもらう彼女たち。目尻や唇が赤く塗られ、花魁の表情に変わる。
着物に袖を通すとかつらが載せられる。艶(あで)やかな花魁の誕生である。
「意外に着付けがけっこう締められて、大変だな」
「かつらが重いですね。首がどうにかなっちゃいそう」
下駄に足をくぐらせた彼女たち。人力車に乗って、地域を巡る。イベントの告知である。
「わあ、きれい。きれい、似合ってる」
福田さんは、普段働いている店で告知を行った。夕方。花魁役の方たちは人力車に乗って、イベントの出発地に移動する。いよいよ『おいらん道中』の幕が上がる。
江戸時代の華やかさが、いまに蘇る『おいらん道中』。美しく着飾った花魁が、かむろなどを従え、旧東海道を練り歩く。
かむろとは遊女見習いの少女のこと。花魁役を務める堀口さんの娘さんもかむろ役である。
艶やかな着物に高下駄。旧東海道を彩る花魁役の方たち。この日に向けて稽古をした歩き方『外八文字』を堂々と披露することができた。
「見物客の数がものすごく多くて、ちょっと圧倒されてしまいました」
「このおまつりがすごいたくさんの人に支えられてなりたっているのだなというのが、とても実感しました」
「娘と一緒に人力車に乗ったのですけれど、それがすごく良い記念になりました」
イベントの警備を指揮した大橋さん。
「外国の方に参加してもらい国際色が豊な『おいらん道中』がちょっとできたことがうれしかった。いままで50年ぐらい続いてきたので、今後も続けていきたいと思います」
地域の文化を次世代へつなぐイベント『おいらん道中』。華やかなお祭りの裏には、運営スタッフやキャストの地道な努力がある。出演者は、やがて、運営スタッフに加わり、『おいらん道中』は、未来の品川でも華麗に幕を開けることだろう。