【ゆっくり解説】新潟の守護神「大河津分水」【東洋一の大工事】
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- Опубліковано 8 вер 2024
- 新潟県にある大河津分水はかつて東洋一の大工事とも呼ばれたこともある土木遺産。その建設工事をゆっくり解説します。※再アップ
【参考・引用元】
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www.pwri.go.jp...
tsubame-kankou...
ja.wikipedia.o...
www.hrr.mlit.go...
www.ktr.mlit.g...
www.zenken.com...
www.yachiyo-en...
mainichi.jp/ar...
mainichi.jp/se...
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生まれも育ちも分水の者です!
大河津分水は自分にとってまさに身近な存在であり暮らしの一部です。
小学校の総合学習でも大河津分水のことを勉強したことがありますが、改めてその存在の大きさを感じさせられます。
建設に関わった全ての先人達に感謝と敬意を表したいです。
これからも末永く我々の街や暮らしを守っていってほしいです。
これが無かったら2019年の超巨大台風で新潟市おろか新潟県自体が機能不全に陥ってた。けどこの分水路があっても氾濫間近だったから天災は恐ろしい
横田切れ記念公園という小さい公園が自宅から歩いて10分のところにあります。祖父もこの工事に携わって事故死しています。
治水の大事さが多くの人にわかっていただけるといいですね。取り上げていただけてありがとうございます。
新潟県の一部地域では、小学校等で大河津分水の社会科見学が実施されます。しかし、小学生の知識ではそもそもインフラ自体をあまり理解できないことと、教諭自身がこのインフラの戦略的価値を理解していないこともあるため、重要性の周知が疎かになっている感じがします。この動画はそれを一気に解決してくれると思いますわ。
小学4年生の時社会科の授業は大河津分水についてでした
大河津資料館見学に行きましまた
自分も小5の校外学習で行きましたよ。
新潟出身者です。
確かに小学生の時、社会科や資料館見学に行きましたね~
ただ、理解出来ないながらも習っていたからこそ「大河津」と聞いただけでピピッと来る。
そして心ある人は改めて学ぶ。
小4の時社会の授業で行ったわ、懐かしい。
新潟県民です。
先人の知恵と未来に残る仕事を誇りに思い感謝いたします。
分水の工事に関わったけど!
魚が、繁殖するように、ソダって言う、木の枝を束にして川に入れて、産卵場所を確保したり、大変な工事だった
大雨の度に大量放水してくれてるの見ると地元民として誇りに思います。信濃川沿いに住んでる者として感謝してもしきれません。
この動画は越後平野を語る上で最重要な大河津分水路の事を実にわかりやすく紹介している
新潟県内の小学校の社会科の資料に利用しても良いくらいだ
新潟県民として御礼申し上げます
新潟は1年の半分が雨と言われてます
本当に洪水に悩まされている県
でも先人たちのおかげで不安なく暮らせています。感謝しかありません。
今は白鳥が田んぼにきて冬がきたなぁと感じています。
新潟県民です。大河津分水路をとりあえずくれてありがとうございます!
地元新潟、江戸時代初期くらいまで湖潟ばかりだった地元をここまで穀倉地へと開発したご先祖に感謝します。
動画ありがとうございます!今年は、大河津分水通水100周年です。先ほど、大河津で行われた水防訓練に参加しました。災害がおこりませんように。
この分水よりも上流地域の出身の者ですが小学校の授業で習いました
当時の教師が分水の近所の出身だったせいかやたらと詳しかったな
越後平野の豊かな営みは洪水との格闘の歴史の上に成り立っていると強く認識したものです
そしてコメント欄に新潟県民がたくさん集まっていてウレシイw
でも分水町の名が平成の大合併によって消えたのはサビシイ…
小生は下流の人間でしたが、先人たちのおかげで今の生を受けています。ただただ感謝するのみです。小学生の時に遠足で行ったことがあります。学校でももっとこういうことを教えて欲しいと思います。地元を離れ60年近くなりますがこういう話は嬉しく、涙が出ます。ありがとうございました。
新潟県民として誇らしいでござる
そうでござるな。
うむ。
さようさよう(+・`ω・´)キリッ
そうでござるな( ・`ω・´)
さよう(・∀・)
「海は荒海、むこうは佐渡よ」
と1922年に北原白秋が詞に歌った童謡のタイトルは『砂山』
かつて信濃川の河口、寄居浜より西岸は砂山だった
(一説によると三重だったという話で完全に砂丘だ)
大河津分水により信濃川本流の土砂流出が事実上全く途絶えた現在
砂山は完全に消えてしまい、波打ち際が海岸道路まで浸食する勢い!
代わりに海鮮市場として関東でも有名な寺泊が完全に砂山化している
人間の力、というより自然の地形改変能力の凄さに驚きを隠せない
長岡市住みだけど大河津分水がこんなに凄い建設物だとは思わなかった。
県民としての誇りが増えそう。
教えてくれてありがとうございます
やっぱり土木って人間の力も自然の力も感じられる素晴らしいテーマだよ
県民です。取り上げてくださってありがとうございます!
今、大河津分水路は通水以来の課題だった河口部の拡幅の大工事をやってます。新たな橋がかかったり、第二床固も新しくしたりと、そうとう大規模にやってます。
そっちも取り上げてもらえるとうれしいです!
この前現場の前通りました!
新潟の実家に住んでいた時に小学校の遠足で大河津分水の見学に行ったのを思い出しました。建設工事中はダイナマイトも使用してたようです。
当時、最先端の建設機械(輸入品)も投入されてます
更に信濃川下流にある関屋分水路も江戸時代から構想があったそうですね
大河津分水があってなお、平成16年には新潟県内11箇所の堤防が決壊する大水害が起きました。(私の家や周辺は千と千尋よろしく水没…)
新潟県は海抜が低かったり、沼地、砂地が多く、県名に潟が入っている通り水に弱い土地であり、令和になっても水と戦い続けています。
新潟県民だけど、ここまで詳しくは知らなかったわ
ありがとう
こないだ寺泊に行った時に分水路に色々重機があったけどこの動画で何がされているのか分かりました、県民としてありがとうございます。
昨年の千曲川氾濫の水がそのまま新潟の信濃川(千曲川)下流域に来たのですが、大河津分水のおかげで何事もありませんでした。
新潟下越エリアの守護神なのは間違いないです。
信濃川はこれと併せて、1970年代に行われた「関屋分水路」の開発も新潟市にとってはなくてはならないです。
これらの大工事がなければ、新潟市の発展も、農作物の安定的な収穫もなしえないです。
改めて先人たちの努力に感謝するしかないです。
ちなみにこの分水路出口周辺は、市町村合併前は「西蒲原郡分水(ぶんすい)町」という町名がついていました。
新潟市周辺に住んでても「分水」って聞くと大河津分水のことでしたが、時代とともに忘れ去られていくのがなんだかさみしいです。
分水町に父親の実家があり、子どもの頃は年に数回は行っていました。でも、大人になって行かなくなって分水町が燕市と合併して無くなったのを最近まで知りませんでした。
新潟を取り上げて頂いてありがとうございます。
西川・新川立体交差(新潟市西区)も取り上げていただけると嬉しいです。
小学生のころ、社会科見学で行きました、懐かしです、
新川も難工事でしたね。
実家にとても近いです。
大河津分水完成以前の信濃川の水量は滅茶苦茶大量にあって、鉄道網があまり発達していなかった新潟地域において、信濃川及び信濃川支流河川は越後平野における重要な交通網だった。
明治の近代化以降の信濃川では河川蒸気船と呼ばれる船が運航されており、越後平野の人と物の流れを支えてきた。大河津分水完成後は水量が激減して大型の河川蒸気船の運航は不可能になってしまい、物流に支障をきたす様になる。
その代替として整備されたのが新潟電鉄であった。河川蒸気船が担っていた物流を一手に担い、越後平野の内陸部と新潟市を繋げていた。
そんな新潟電鉄も戦後のモータリゼーションの流れで衰退し、約20年程前に全線廃線に。今は国道八号及び北陸自動車道が越後平野の物流を支えている。
子供のころ、分水から寺泊に行くときによく大河津分水の横を車で通って行ってたなあ。当時は普通の川だなーって思ってたけど、山を削ったところに作っていたんですね。改めて大河津分水の凄さを知りました、、、
懐かしい、そんなにすごい建築物だったのですね。この年になって知りました。ちゃんと先生の話しを聞いていれば良かったです。桜の名勝で花見でよく行きました。
新潟県民です。
土木は正直地味な印象でしたが、安全面や経済面を支えるのに大きな役割を果たしていることが分かりました。
しかも大河津分水が建設されるまでに様々な障害や困難があったのもありドラマを感じました。
これのおかげで、美味しいお米を食べながら生きてこられたのですね!
大河津分水、今日で通水100周年🎉
流域に住んでます、小学生の遠足で大河津分水の資料館に行きました。
当時はちょっと大きい川ぐらいの印象でしたけど、先人達の苦労や努力があったんだなぁと感謝ですね。
うちの地元の話でうれしい
新潟県出身ですが知らない部分も多かったです。ありがとうございました。
新潟という名が示す通り、新潟県には沼沢地の名残を示す地名がたくさんあります。大河津分水路は人工の川なわけですが、掘削の際に排出された大量の土砂は、そのまま湿地の埋め立てに転用されています。あまりの水はけの悪さから、昭和初期のころまでの田植えといえば舟を使って行われていたほどだったのです。まさに、一石二鳥の大土木工事でした。
大河津分水路は凄いよ。
過去の先人達のおかげで、
今の新潟があると言っても過言では無い。
大河津分水について紹介してくれてありがとう!
以前リクエストした者です!本当に作ってもらえるとは思わずとても嬉しいです!ありがとうございます。視聴が遅くなってしまい申し訳ないですー(T . T)
建築物に興味を持てると、そこらじゅうに建造物があるから人生楽しくなりそう。
私の父親の実家が分水町にあります。今は合併で名前が変わりましたけど。大河津分水は名前は知っていましたけど、こんな重要な物だったとは知らなかったです。
新潟市では大河津分水の開通で大規模な海岸浸食に悩まされました
その対策として大規模な突堤群と人工リーフが整備されています
新川の開通でも大規模な海岸侵食が発生しているとか。新川の影響で西側の四ツ郷屋の海岸が削られ(現在進行中)、その土砂はさらに西側の巻漁港の突堤の右岸側に堆積し、堆積した土砂を重機で掘り出してダンプで別の場所に運んでいます。(放置すると将来、国道が砂で埋まってしまう) 放水路を作ると水害は減るけど別の影響が出ることは認識が必要だと思われますね。
元新潟県民です。小学校の社会科見学で見に行った記憶がありますが、詳細はさっぱり記憶に残ってません。
多分、紹介の仕方とかが悪くて、退屈で記憶に残らなかったんでしょうね。
軽妙な語り口とインパクトのあるデータの提示で改めて地元の建造物のすごさを理解できました。
ありがとうございました。
新潟の歴史は治水の歴史ですね
信濃川の派川である中之口川は直江兼続が改修し
直江川と呼ばれていました
中ノ口川じゃなかったっけ?
読みはすぐえ?
@@kanmei.channel 「なおえ」だよ
@@non5837
近場の三条に直江って書いてすぐえって読む地名あったから、聞いてみました。
ありがとう
@@kanmei.channel どういたしまして。
ちな、ウチの実家があったのは、その直江兼続(樋口与六)の出身地です。
人類の叡智で災害を乗り越える、これぞ土木の醍醐味。
大学生の時に生涯ずっと洗掘の研究をしていた教授がいました。当時は本当に地味な研究だなーと思ってました。
愛媛に住んでいても大河津分水に関する記事がしばしば目に入ります。
四国松山沖の小さな島出身の方が技官として難工事の指揮を執っていて、その功績などから地元に胸像が建立されたという数年前のニュースで大河津分水のことを知りました。
この動画で地形などイメージが湧き知識を補うことができました。ありがとうございます。
四国の瀬戸内側で水不足に悩む地域では、幕末の頃から分水嶺の向こう側から導水しようという計画がありました(トンネルは別子銅山の鉱夫で掘る)が、実現したのは同じく後年になってからでした。
新潟に人がたくさん住めるようになったのはこの工事のおかげらしいね。江戸時代の地図を見ると巨大な川が複雑に流れまくってて、すごく不便そう
大規模な治水にとても興味を引かれます。
恵みにも厄災にもなる河川に、長い時間と多大な労力を費やして立ち向かってきた先人達の努力の結晶ですから。
初めて新潟市で実際に信濃川の河口付近を見て、「日本一長い川の割に川幅が狭いな」と感じましたが、大河津分水と関屋分水で二度分水して、水量を調整しているからと聞いて合点がいった。それ以前の河口付近の川幅は、現在の3倍も有ったそうです。大河津分水については名前だけ知っておりましたが、大変わかり易い解説でよく理解できました。
新潟ありがとうございます。
新潟出身ですが、ここまで大規模だったとは…。他の方も書いてますが、新潟市にあります西川・新川立体交差という、世にも珍しい川の立体交差も是非!!!
水を差すようですいません、埼玉県の白岡市には市内だけで9か所も川の立体交差があるんです・・・
信濃川の流路に手が入ってる事自体は割と知られてると思うんですけど、
それがこんな大事だったとは知りませんでした・・・
日本各地の大河には大昔から付替え工事ほか多大な治水工事が行われてます。安全はタダでは手に入りませんね
通ったことが有ります。
山を開削しているような川だったので、あれ?なんか変だなと思っておりました。。
帰ってきてから地図で調べたらなるほどやっぱり開削してたのかと思いました。
詳しい動画ありがとうございます。
好評しました!
因みに現在は河口の幅を広くするとのことで河口付近の野積橋を掛け変え、河口幅を広くして多く放流できるようにするための工事をしてます。
めっちゃ地元!大河津分水の堰はとてもかっこいいですし、特に可動堰はゲートを開閉する油圧シリンダーが並んでいる姿を見るとまるで戦艦のような雰囲気です。そして可能であれば、八ッ場ダムor黒部ダムも紹介してほしいです!
ガキの頃小学校のイベントで現場に直接行ったが水が渦巻いてたりと圧倒された。怖かったが、強烈に引き寄せられるものがあった。ということで、治水関係のインフラを見に行くのが大好き。ダム良いっすね。
とても面白くて好きですどんどんup待ってます
2:00 空から見ると、この距離の人工河川を作るってたしかにすごい大工事だな
同じ信濃川つながりで重要文化財にもなってる萬代橋は日本人のみでケーソン工法によって施工された日本第一号の橋らしいですね
新潟地震でも完成したばかりの昭和大橋が落橋したのに、萬代橋はびくともせずに、市民の復興を支えました。
大河津分水がある地域の名前は、
新潟県燕市分水。です!
分水小学校、分水中学校、分水高校があります。
昔々の話だけど木曽三川の治水工事もなかなかすごい
昔から洪水がいかに恐れられていたのかがよく分かる
スエズ運河 全長193km
パナマ運河 全長80km、高低差26m、高さ96mの山地を通過
世界を見るとまだまだ上があるな…!
これは授業や講義でやりました。この動画は掴みとしてはいい教材にもなりそうですね。水たまりが多いから新“潟”と呼ばれています。横田切れは石碑があります。ちなみにですが、新潟市にもうひとつの分水路があります。
車で3分のとこに我が家がありますが…
初めて知ることもあり映像にしてもらって助かります
以前見たことがあってその時はコメントしなかったんですが、この動画のクオリティの高さに感服しました!恐らく県外の方と見受けますがよく勉強されてなおかつわかりやすい動画を作っていただきありがとうございました。
私は本業柄、またライフワーク柄こういった地域のこと、細かなことも伝えていきたいと思っているので、この動画をまずは紹介したいと思います。この動画はおすすめですね♪
意外と面白いから大河津資料館行ってみてね。
治水工事は大変ですよね
自分の地元も大工事の記録が残ってて、大変だったと聞いてます
最近チャンネルを見つけて、めちゃくちゃハマっていますw
大河津分水路って地理の授業で出てきても、治水のために作ったんだよ、程度にしか教えられないので、このような動画はとても新鮮でした
個人的には、荒川放水路とかの紹介もやってほしいと思いました
これからも動画、楽しみにしてます!
ウチの地元も四十年前の大洪水で河川を徹底的に工事したんで近年の大雨でもあんまり不安無いわ(万が一恐れて大規模な整備もやってたし) 本当にありがたい
私も新潟県民です。私の地域は小学校や中学校で世界でも珍しい、新川と西川という川が人工的に立体交差していて、それが凄いということを嫌というほど聞かされました笑
大河津分水もそうですがいくら素晴らしいインフラ建設でも小学生の私たちには難しいなと今となっては思います
渡良瀬遊水地ってのも
台風19号の時活躍したんだよな...
確か足尾鉱山の毒を流すために作られた
貯水池だった気がする
流すというか遊水地下流から先に流さないための巨大沈殿槽ですね
渡良瀬遊水地で常時水を湛えている谷中湖で釣れる魚は基本食用不適と
されてたようですが足尾銅山も閉山して大分経って鉱毒の蓄積もなくなり
普通に食えます
@@blueblackinkblot 湖水はもう鉱毒はないですが、
湖底の土壌にはまだ鉱毒が残っており、水・土壌ともに
現在でも定期的に調査しているらしいです。
地元だぁぁぁぁぁ ありがとうございます!
すごく面白い!
床止めとか、いつも見てるのに何のためにあるのか知らなかったよ。
建築の世界って、一般人にはSFだと思う。なんか凄いことはわかるけど、どう凄いかわかってない。
知るほどに、驚異の世界!もっと勉強させて下さい。応援してます!
新潟を取り上げてくれてありがとうございます!
あと、大河津分水より北側に広がる西蒲原一帯にも、建設当時に排水能力東洋一と言われた新川河口排水機場や新川・西川立体交差など面白いものもありますよ!
川は本来洪水とかで流れが変わってしまうのだろうけど、人為的に整備して流れを制御できるようになったんだなと最近気づく。当たり前のようだけど現在、洪水の被害がある程度抑えられているのは土木技術の発展と継続的な管理のおかげだと思う。
これはすごい工事ですね。そんな昔にそんな設備が作られていたとは驚きました。
去年の台風19号では上流域では豪雨だったけど下流域はほどほどの雨だから良かったけどそれでもあと3mで堤防超えるところまで水位があがってたな
インフラに携わってるとそんな危ないから近寄るなと言われてるところに飛び込まなくちゃいけないのが辛いところよね
新潟県民です。やはりこれは地元の誇りです
今日見てきました。
濁流の力強さと自然の圧倒的力
それを適切に排出(ガス抜き)出来なかった場合に牙をむいたらと考えたらとても怖い思いをしてきました。
また、現在は拡張工事を行っているので完成が楽しみです。
コレが無かったら去年の台風19号で新潟市街地は水没してただろうね
土木技術って地味だけど面白いね
我が地元の一大傑作を取り上げていただき感謝の至りです😄
もし出来ましたら大河津の更に下流に位置する関屋分水についても取り上げて頂ければ幸いです😁✨✨
新潟・福島豪雨のとき家の横の川が切れかけてたし、氾濫しそうだったからこれがなかったうちの家水没していたんだろうなぁ
今回の治水の話を見て、小学校時代に習った木曽三川の治水の話を思い出しました。大きな川にはやはり洪水は付き物なんですね
もし面白い話になりそうなら、木曽三川の治水の歴史を取り上げていただけると嬉しいです
すご〜い。利根川東遷にも匹敵するような気がするよ。
おー!ほぼ地元だー!
なんか嬉しいな!
話しは明治時代の1875年頃に旅した英国人イザベラ・バードの内容によりますと新潟市中心には多くの運河が流れていて輸送手段は全て川に頼っていたと言われ丁度新潟市はオランダのアムステルダムの如くと言われ道路より川が多く作られていたと言うのです。確かに東仲通りでも今の商店街の古町でもほとんんどの大きな道路は元々は運河その物です。でも東京の江戸時代でもその様な排水路が多く、浅草観音様の上野よりは殆どがハスの畑だった=沼地。
長岡市の山手側もつい最近まで沼地でハスの産地、でしたから。とにかく新潟市や新潟県内は水はけが悪くその方法で信濃川川から遠い内野近辺には新川を作り明治時代にはその工事などもかなり進んでいた。現在London在住者からです。
とても分かりやすかった!
いつか 利根川の壮大な 治水史の解説も、
是非このチャンネルでみてみたい。
用事で近くに行ったので見に行ったんだけど「なんか水門みたいな施設」低度の認識しかなかったからピンポイントで解説してくれるの助かる、下手したら関東の外殻放水路並みの重要度やんけ!
マジ嬉しい
巨大土木工事はロマンがありますね!
とっても詳しく解説されていて、普段は見えない水の下の仕組みについて知ることができてよかったです。
長野県の天竜川の小渋ダム周辺の歴史なども面白いので良かったら調べてみてください!
面白くて分かりやすい!治水の話にはドラマが沢山ありそうですね!
色々拝見していますがいつも感心させられます。
渡瀬遊水池も忘れてはいけない
足尾銅山鉱毒事件によってできた
大河津分水の近く?にはホテル公楽園という1階はドライブイン、2階が
宿泊施設という昭和がそのまま残った建物がありますね
昭和を感じたいなら是非
4㌔さきですね
まさに新潟の守護神だわ。
ちなみに大河津分水があるのは旧分水町
桜もきれいですよ!
河川工事で思い出したのは、東京の荒川放水路、中川放水路です。
聞いた話によると東武鉄道は走る線路を移動させられたらしいです。
堀切駅付近ですね。
「3年B組金八先生」の撮影場所(特に主題歌歌唱のバック映像)です。
これが無かったころはイチゴ(越後)平野なんてがんは、毎年大水になる度に水浸しになって、胸まで浸かって稲刈りをしんばねかったもんだ。
越後(えちご)ですよ
@@user-di3mu3rt2o としょり(年寄り)はNSTをイヌイステーとか上越新幹線をジョウイツ新幹線とか言うもんだて。
@@keroagunso
※越後(えちご)です。
@@user-di3mu3rt2o ゐちご?
@@keroagunso えちごです
信越線が山沿いを走ってる理由に納得した。