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「オランダはオランダ人が作った」めっちゃ冷静で好きwアムステルダムの街の写真いつ見ても凄い
オランダの大堤防ほんと大好き2000年前から記述があった場所の干拓ってだけでロマンを感じる
オランダは干拓地のよわよわ地盤で大型機関車が使えず、長距離電車が早くから走っていた。それを見た島秀雄が日本で高速電車特急を走らせようと思いついた、ある意味新幹線の起源の地でもある。
国土も政治も自分たちで作った国ですからね。それにしても全ての造形がデザイン性あり、美しいなぁ。
オランダで車好きの友達に、オランダの「峠」連れてくわって言われて横乗りしてったら、小高い丘だったの思い出した。地形が平坦だから、遠くまで見渡せて綺麗だったなぁ。
アムステルダムのダムってダムだったんだ
ダムそのものは現存しませんが跡地はダム広場という街の中心地になり王宮や教会があります。
@@kagemusha250 さすがにもうないのか
例えるなら愛知の豊田市がTOYOTAに由来してるようなもんか
バカ乙
@@-_8663 ざぁこ♡ざぁこ♡
木曽三川の完全分離も、オランダ人のヨハニス・デ・レーケの功績に集約されるこれがあってこそ三重県は東海地方の一部に加わることができたと行ってもいいほど当方愛知県民ですが、木曽三川分流工事は小学校で学び実地見学もいったほどです
当方、岐阜県民ですが、同じく小学校で習いました。海津町、治水タワー、千本松原は見に行きますよね。
習ったわそれ
薩摩藩が犠牲になったんだっけ?
@@ペンコフスキー大佐 それは江戸時代の工事です三川完全分離がされたのは明治時代で、このときお雇い外国人のデレーケが活躍しました
桑名出身のバリバリの地元民なんですが、愛知や岐阜でも学ばれるんですね。冷静に考えれば輪中地帯は3県に跨ってますね…。行ったことがあるかもしれませんが、多度山頂から分流工事の全容を眺めることができます。時の首相の山縣有朋も工事の視察のために登頂したとか。
滋賀県には「オランダ堰堤」なるものが存在します。天井川だった草津川の源流の山にある砂防ダムです。明治期にオランダの技術を導入し、はげ山と化していた山の植林と砂防ダム建設を併用して、治山治水が行われました。
自分達の弱点となりうる水を敵に対しての水責めとして利用するという戦術は凄い
オランダを訪れたときにアムステルダム近郊で風車をたくさん見ました。現在は排水の用途は電動ポンプに置き換わっていて、風車は観光資源として残されており老朽化を防ぐためにボランティアの家族が住んでいるんだそうです。実際、周囲の環境も保全されていてとても美しい場所でしたよ。アムステルダム駅は東京駅のモデルになった駅としても知られていますね。今回も非常にわくわくする話で面白かったです。
私の地元も江戸時代の干拓地域で、明治以降は工場が立ち並ぶ下町となったので、オランダには親近感があります。
秋田県にはかつて八郎潟という湖がありました。その湖は全国一位の琵琶湖に次ぐ二位の面積でした。(ちなみに今の全国二位は霞ヶ浦です。)八郎潟を干拓して大規模農地にし、水稲を栽培するという計画で干拓し今は秋田県大潟村という一つの村になっています。しかし現在、米の需要が減ってきているためかぼちゃや野菜なども栽培しています。しかし、干拓した土地は排水性が悪く農機具がスタックしてしまうなど問題もあります。(日本語がおかしな所があるかもしれませんご了承ください)
因みにアムステルダムの海抜(水位)を表す単位はNormaal Amsterdams Peil略してNAPと言う単位を使うのですが(Peilはオランダ語で基準)明治期、御雇外国人のオランダ人の名残で現在でも東京湾の平均海面はTokyo Peil略してT.P.と言います。このT.P.の高さを大元として日本のあらゆる橋や建物、鉄道を作って、富士山の標高を算出する大元の単位になってたりします。日本の土木にとって最も影響の受けた外国技術ですね。
オランダを日本は大好きだったからね…信長
均整が取れていて本当に美しいですね。
よく拝見させていただいてます。地元の大河津分水や鍋立山トンネルが紹介されてるのを見てから、土木から見た世界がとてもおもしろく、また聞きやすい解説で投稿を楽しみにしています。暑さ本番な今日この頃、お身体には気をつけてください。
福島県郡山市の安積疎水を造ってくれてありがとう😆💕✨
あさか疏水ってお雇いのオランダ人がつくったんですね!初めて知りました
@@聖なるトマト-y8h ファン・ドールンは郡山の小学校で社会科で勉強しますよ
@@RisingSun2683 そうなんですね!僕は郡山出身じゃないですけど、知り合いに沢山いるので聞いてみます!
利根川の東遷、江戸の埋め立て事業もオランダ並みに凄いと思う。天気の子でもあったけど、利根川を東京湾から鹿島へ流し変えてなきゃ世界トップクラスの都市には発展しなかったでしょう。今の東京はかつて湿地か水の底だった場所が多いです。
家康が何故に江戸にこだわったか?不明なんだよねぇ~~~そうじゃなきゃ、山削り川作らないし埋め立てまでやらない物
@@浦島隆-b9x 家康に頃の江戸は超ど田舎で何も無いような所だったけど、変なしがらみも無いのでむしろ自分の拠点を一から作り上げるには都合が良かったという説が有りますね。
都市の発展の上では後背地の広さが重要であるため、日本一広い関東平野は魅力的だったのかも知れませんね
当時は築城のおかげで土木技術がと労働力の動員システムが急速発達してた時代なんでやれる自信があったんだろうなぁと言うか秀吉くんに押しやられた以上やらざるを得ないし
@@genpo7739 悲しき宮仕え…武家仕え?
ほんと面白い。最近ハマりました…わかりやすい解説ありがとうございます。
暴れ川で有名な木曽三川の治水工事を行ったのもオランダ人だったな
えっ?薩摩藩では?
@@ethica2481 木曽三川の完全分離はヨハニスデレーケ主導の明治の工事によりますこの効果は絶大なものがありました薩摩藩士による宝暦治水ではまだ不十分であり、洪水発生を大きく落とすことはできませんでした(この辺も東海の人は小学校の授業で学んでいます)
教えて頂きありがとうございました。薩摩藩の木曽川工事の苦労については伝説化していて岐阜県と鹿児島県の交流にも繋がっているのです。その後のことを教えて下さりありがとうございました。
日本の場合岡山県が似たような歴史をもってますね。倉敷市とか、旧真備町を除けば室町以前からあった集落は富くらいで、ほぼ全域が干拓による土地です。岡山の場合だとほとんど1580〜1630年の間に干拓されたのに対して、オランダも大規模なものは17世紀が主とは言え12世紀とかから干拓を続けてるので本当凄いですよね…当時の動員能力や技術だと相当困難だったと思います。
本当にこのチャンネルは面白い。土木特化型ゆっくりは貴重
すんごい建造物。メンテナス費だけでもものすごい額になりそう。
アムステルダムってダムみたいな名前だなぁと思ったら本当にダムで草
そっか〜。アムステルダムってそんな歴史があったんやな。治水の技術もすんげー。ユーロが導入されたぐらいに行ったけど、、、すんごいスレた街やったな〜。観光客で賑わってて、スリとかも多いし。
damはオランダ語由来ですが、英語のdomと同源語ですから、堰を作って、その周辺に街を形成するという低地国家ならではの小粋な発想が言葉に表れています。
ゾイデル海の干拓事業の真似ごとで、わが国も八郎潟や諫早湾の干潟を農地や住宅地にしてきました。しかし、その後の生態系保全や漁業者への補償については冷淡であり、本家との差を感ぜずにいられません。
滋賀で山登りしてたときにオランダ堰堤なる名前の砂防ダムとデ・レーケの銅像があったなあこんな偉い人だとは知らなかったけど
ちょうど鉄腕DASHでここ数週間風車について取り上げられていたからこの動画を作られたのですね!タイムリーだ笑
めっちゃ勉強になるチャンネルや❗️
面白かったですオランダって九州くらいのサイズなんですねすごい国力だと感じます
わい、岐阜県南部民、ヨハネス・イ・デレーケの名が聞けて感動。他のコメントにもあるけど、薩摩藩が治水事業をしてくださったのは、江戸後期の調所広郷よりちょい前の時代。デレーケは明治になってから。当時の岐阜県南部は、大雨の度に川の流れる場所が変わるアマゾン状態でした。それを薩摩藩の大工事とデレーケの工事で、今の三川分流の形になります。
昔そのての話をよく聞いてたなー、学校内での見学とかで。懐かしい
まさか本当に紹介してくれるとは思いませんでした。ありがとうございます。
水を制するものは、土木を制すオランダの土木技術の高さがわかる動画ですね
高地に潜むエネルギーを持った水と戦う日本の悩みが解決される技術ばかりではないので独自研究努力して土石流や崩土の被害から少しでも国民を守って欲しい。
日本国内にも似たような物があるのがまた…長大堤防→諫早湾干拓事業。木曽三川の堤防等。道路が運河や河川の下を潜る→天井川。雨等で沈む橋梁や道路→沈下橋。
農業分野でも技術面でかなーり先端を行くオランダ。鎖国時代からも長らく縁もあるんだし、もっと交流を深めたいですね。
アムステルダムの防塞線、40cmってのがまた絶妙だなぁ。20cm以下だとそこまで足止め効果が無いだろうし、60cm以上になって来ると小型のボートが通れる様になって逆に敵の輸送手段を増やしてしまう可能性が有るからね。馬車や自動車の類いは一切使えず、かと言って人間が歩くには深い40cmという深さ設定は実に合理的でイヤラシイ。
40cmで通れるのはオフロードバイクだけだけど一度でも転んでキャブやタンクに水入ったら動かなくなるし海水混ざってる場所ならブレーキディスク良く洗い流す時間と真水の余裕が無い限り錆びて一週間後には使えなくなる。でも実際戦争になったら掘削するなり深くするなりは多少時間かければできるから時間稼ぎって事だね。オランダ自身が台湾で鄭成功に水路を浚渫開拓されて負けてる。
@@meroppa1 まぁ正直現代の軍用車(ハンヴィーとか)であれば40cmなんて水溜りみたいなもんだと思うけど、時代は馬車がバリバリ現役の一次大戦前だからね。当時は重機なんて物も無いから全部手で掘らないといけないから相当時間かかったはず。
古くからの偉大な治水事業には、本当に驚きます。アムステルダムの冬は降雪は少ない様ですが、北海からの風が容赦なく吹き付け底冷えがします。夏でもたまに最高気温が10c前後の日も有ります。お店などで時々、驚くほどつっけんどんな物言いをされる時が有りますが、一般に英語が良く通じます。コペンハーゲンも小規模ながら運河が有り、街並みと建物が似ています。
技術とプロジェクトを進められる資金力が凄い😳
東インド会社とかもそうですよね
ヨーロッパが気候変動問題に積極的なのも、国が無くなるかもしれない切実な理由のため、とも聞いたことありますね
オランダの治水が気になってました!有難い動画🙏
明治初期の日本で治水工事を手がけたデ・レーケやエッセルもオランダ人ですな。
自然吸気ちゃんとターボチャージャーちゃんかと勘違いした。毎度為になる。
オランダは、チューリップの名産地で最近はあじさいも生産しています。低地が多いので、チューリップやあじさいなどの商業花苗を生産することに特化して、農家がしっかり所得を得るようにしていると思います。ドイツやフランスは、小麦や大豆、じゃがいもなどが生産しやすいので。
小さい国ほど限られた条件の中で最大限に物を生み出そうとする。オランダは大規模の農園で特定の作物や品種しか作らないようにする事で効率上げたみたいですね。農業や経済の全体主義。漁業や釣りも規制が厳しいようで、一旦釣り上げたからには海や川に捨ててはいけず食うなり肥料にするなり有効利用しろと決められてるものがある。現地の実体も知らないしオランダ語の解釈の幅も知らないけど表面上はそうなってる。
秋田県の大潟村もオランダの技術で作られたと聞いた気がする…
いつも勉强になります!確かに、オランダ人以上の匠は居ないかもと思ってしまった。
あの立体交差UA-camのショートで見たけどオランダにあったんだ
農業も土木もすごいなオランダ
道路の上を通る船は知ってたけど、他は知らなかったオランダ行って治水建造物を見てみたいな🇳🇱
はーーーオランダってすごいのね!アムステルダムに行ってみたくなっちゃった
面白かったです。ありがとうございます。
勉強になるなー。高評価👍✨
5:20 バビロンプロジェクトですね
ヨハニス・デ・レーケはデルタ計画のあったNoord-BevelandのZeeland Bridgeの近くの築堤職人の息子だね。締め切り大堤防Afsluitdijkと、埋め立て中止になったHoutribdijkは実際に車で走行したことがあります。無理に土地をつくったから牧草地での乳牛飼育が多くて、Goudaとか、Edamのチーズが輸出されてますね。
今から60年程前、父親の末弟が土木で有名なM建設からオランダ留学を拝命した。当然、反日感情がまだ強い中、アジア系差別の強い国であったらしい。浚渫等の設計・実務を学び帰国。叔父は二度と欧州には出向かなかった。しかし、留学経験は高度経済成長期に出世の足掛かりとなり、基礎土木部長職まで達した。
それで?
私も初めてアムステルダムへ行ったのは76年で、戦後まだ30年。アジア系差別はひしひしと感じました。叔父様が留学をされたのは、其の15年前ならなおさらでしたでしょう。しかも植民地だったインドネシアが日本軍に占領されましたから。日本では大体オランダ人に好感を持っていますが、その逆は少なく若者位です。あのロシアのピョートル大帝ですら、和蘭へ留学をして技術文化を取り入れて、ロシアのヨーロッパ化に力を入れたのですから。
オランダ人の闇として、土地への執着は並々ならぬものがありますからね。日本のインドネシア占領はそれ以前から燻ぶっていた独立運動の火に油を注いだようなものでしたし。ちなみに南アフリカに住む白人アフリカーナー(ボーア人)もオランダ人をルーツに持つ人々です。
@@ゼネラルキッド さん 多民族国家カナダ在住で元会社社長、同僚もアフリカーナーです。南アで英国式の教育を受けた様ですが、一種独特のアクセントの英語を話します。
「アムステルダム」ってこれで一塊の単語(おそらくオランダ語)だと思ったら、「アムステル・ダム」だって言うのが、驚き
洪水との戦いの果てに、環境も考慮しなきゃって、大変だよな、港湾土木工事も進化するわ、
いま一番面白いチャンネル!
日本の治水シリーズもやってほしいでござる
オランダハーフとしてこの動画は嬉しい笑笑
水面の下の道路がパッと見てだまし絵っぽくておもろいですね。
江戸の治水事業とかもやって欲しいなあ
流石覇権国になった事のある国だ…
ゾイデル海干拓 ほぼパトレイバーのバビロンプロジェクトですげー ほんとにやった所あるんだなぁ
やってることは長崎県の諫早湾干拓事業も同じですよ。なぜかこっちは叩かれてますが・・・
岡山の児島湾干拓の方が近い気がしますね…企画自体オランダ人技師のムルデルの持ち込みでしたし、少なからず影響を受けてると思います
@@fep2901 絵面が衝撃的過ぎたんじゃないですかね?ギロチンみたいでしたしとはいえ従来の工法だと例えば児島湖締切堤防は明治14年の計画立案から昭和38年の完成まで半世紀以上かかってますし、自分は技術の進歩ってすげーなーと感心しましたが
これらの干拓部分は2000年前には陸地だったものが、12世紀から13世紀にかけての大洪水で侵蝕・崩壊・水没した部分というなあ。
ちゃんと環境に配慮してるのが文明人らしくていいね
毎回スゲー面白い!
オランダいつか行ってみたいなぁ
今度干拓として賛否両論あった諫早湾干拓を取り上げてほしいですね。
水没する橋で溢れんばかりのオランダ人の水への闘争意思が感じられた
電車でドイツからオランダに向かう時に、何の囲いもなく、まるで野生動物のように牛や羊が自由に野原にいるのが見えたんだよね。でも、よく見ると水で区切られてた。あれ見た時かなり感動したな、水を利用しまくってる
産業が斜陽に成れば、思想を売るしかないって現実を感じる。かつての覇権国家の成れの果てだわな。
オランダのスへべニンゲンっていう海岸すき
オランダの技術支援で作られた常願寺川の砂防ダムもすごいそうですね。
デ・レーケは長良川決壊を救った神
こういう美しい場所に住みたい...
オランダと言えば、ユーロ紙幣のデザインにある建造物を全て作った話好き
締め切り大堤防の基礎には、桑の根っこが埋められてるって土木屋さんが言ってた。
日本の国土は海面上に山脈が突き出たような物なので、確かに平地が少ない💦
1942年の干拓地ってドイツ占領下でやってたのか?
昔、木曽三川公園に見学しにいったが、ここで海津市の木曽三川分流工事と繋がった(岐阜県民)
そんなオランダですが、ドイツの豪雨を契機とするライン川水系の異常増水で南部を中心に水没の被害を受けたようです。ライン川と運河でつながってるマース川があふれ、流域のマーストリヒト~ベルギーのリエージュ一帯が深刻な被害となっていると。元が湿地帯ゆえに水が引きづらいのが心配です…冬が来る前に何とかなるといいのですが。
ちなみにあちらの冬、子供のころ(大体15~20年位前)に経験したからわかるのですがものすっごい寒いです。朝起きたら車のフロントガラスが凍り付いて全く見えないのは当たり前、各家庭にほぼ必ず作り付けてある集中暖房系を作動させないと寒すぎてつらい(北海道をイメージしたらわかりやすいかも)。緯度も高く、夏は日が長い(21時でもまだ外が明るいレベル)代わり冬はほんと太陽の出ている時間が短いので、気温も上がらないのです。しかもこの暖房系って家の地下に加熱の機械が設置してあるので…当然水に浸かってお釈迦になってる可能性が。冬までにある程度使えるようにしておかないと本当に大変なことになりそうです
岡山の干拓事業も藤田財閥がオランダ人の技師を招き基本設計をした
近代土木はオランダに学んだところは多いが江戸時代からの治水技術は農業土木としては当時世界一だったと思う農水省のHPで「水土の礎」を見て欲しい
日本では諫早湾干拓が変換期かなそれまでの産業育成重視の土地造成から環境保全重視(漁業権も絡む)になり計画は堤防造成、湾の閉め切りにまで至ったもの計画の見直し,門の開放問題等中途半端なままで未だに係争中
技術が形成した土地ですね
すごい、ただその一言に尽きる
日本の様に風向きが日々時々刻々変わるのではなく、オランダはほぼ同じ方向から吹くという天恵があるから風車を活用出来たんだよね。と言う訳で、オランダ風車の延長線上にある巨大ブレードの風力発電は日本の気候風土には全然合わない。どうしても日本で風力発電とか風力利用に拘るなら、風向きが東西南北目まぐるしく変わっても風力が微風から台風の暴風まで大幅に変化しても使える日本オリジナルの風車を開発しなくてはダメだって事なのさ。
佐賀や長崎が日本の首都だったらこんな風になったんかな
上流からの洪水にはどういう対策があるのでしょうか。オランダ人が東京の治水していたらもっと水感がある街になっていたんですかね。
「オランダはオランダ人が作った」ちょっと笑えるw
オランダに神話があったら、半分以上がドラゴン退治伝説だらけになりそうだwあと、昔「好きなダムアンケートサイト」で黒部ダムとかに紛れてアムステルダムやロッテルダムがあって、ギャグかと思ってたら、ほんとにダムだったんだなって。Zガンダムとかもあったから紛らわしかったわw
見れば見るほどアトランティスの外観なんだよなぁ。関係ないけど。
幕府がヨーロッパの知識でオランダ(蘭学)を重視するのが分かりますよね。
オランダが先進国だったからというよりたまたまオランダくらいとしか関わり持ってなかったからでは。江戸後半には英仏の方が優れていただろうに開国まで関わらなかったし。
今度、ヨーロッパに行く予定があります。見ておいた方が良い建設などありますか?
2015年のINQUA(国際第四紀学連合)の巡検でオランダの軟弱地層を研究している研究者と日本の地盤沈下と3.11の液状化跡の巡検を行った.私が震災直後の千葉県美浜区の液状化写真を持っていたので補足説明を色々させてもらった.その研究者から「何で日本の液状は判定法が深度方向に不連続なんだ」と問われ,「層序学の分からない建築屋と土木屋が作った指針だから民間(つまり私)はそれに従わなければならないんだ」と答えた.本当は守秘義務違反なのだが,会社自体が存在を忘れている液状化層の生写真を見せたら感動して貰えた.
日本の橋動画も見てみたいです🙆
8:03 脳がバグったかと思ったw なんだこれww
淡水化ってどうやってやるんだ
濃尾平野を切り取って巨大化したのがオランダなのか(?)
風車は 農作物を加工するのに 使うと 思っていました。
「オランダはオランダ人が作った」めっちゃ冷静で好きw
アムステルダムの街の写真いつ見ても凄い
オランダの大堤防ほんと大好き
2000年前から記述があった場所の干拓ってだけでロマンを感じる
オランダは干拓地のよわよわ地盤で大型機関車が使えず、長距離電車が早くから走っていた。
それを見た島秀雄が日本で高速電車特急を走らせようと思いついた、ある意味新幹線の起源の地でもある。
国土も政治も自分たちで作った国ですからね。
それにしても全ての造形がデザイン性あり、美しいなぁ。
オランダで車好きの友達に、オランダの「峠」連れてくわって言われて横乗りしてったら、小高い丘だったの思い出した。地形が平坦だから、遠くまで見渡せて綺麗だったなぁ。
アムステルダムのダムってダムだったんだ
ダムそのものは現存しませんが跡地はダム広場という街の中心地になり王宮や教会があります。
@@kagemusha250 さすがにもうないのか
例えるなら愛知の豊田市がTOYOTAに由来してるようなもんか
バカ乙
@@-_8663 ざぁこ♡ざぁこ♡
木曽三川の完全分離も、オランダ人のヨハニス・デ・レーケの功績に集約される
これがあってこそ三重県は東海地方の一部に加わることができたと行ってもいいほど
当方愛知県民ですが、木曽三川分流工事は小学校で学び実地見学もいったほどです
当方、岐阜県民ですが、同じく小学校で習いました。
海津町、治水タワー、千本松原は見に行きますよね。
習ったわそれ
薩摩藩が犠牲になったんだっけ?
@@ペンコフスキー大佐
それは江戸時代の工事です
三川完全分離がされたのは明治時代で、このときお雇い外国人のデレーケが活躍しました
桑名出身のバリバリの地元民なんですが、愛知や岐阜でも学ばれるんですね。冷静に考えれば輪中地帯は3県に跨ってますね…。
行ったことがあるかもしれませんが、多度山頂から分流工事の全容を眺めることができます。時の首相の山縣有朋も工事の視察のために登頂したとか。
滋賀県には「オランダ堰堤」なるものが存在します。天井川だった草津川の源流の山にある砂防ダムです。明治期にオランダの技術を導入し、はげ山と化していた山の植林と砂防ダム建設を併用して、治山治水が行われました。
自分達の弱点となりうる水を敵に対しての水責めとして利用するという戦術は凄い
オランダを訪れたときにアムステルダム近郊で風車をたくさん見ました。
現在は排水の用途は電動ポンプに置き換わっていて、風車は観光資源として残されており
老朽化を防ぐためにボランティアの家族が住んでいるんだそうです。
実際、周囲の環境も保全されていてとても美しい場所でしたよ。
アムステルダム駅は東京駅のモデルになった駅としても知られていますね。
今回も非常にわくわくする話で面白かったです。
私の地元も江戸時代の干拓地域で、明治以降は工場が立ち並ぶ下町となったので、オランダには親近感があります。
秋田県にはかつて八郎潟という湖がありました。その湖は全国一位の琵琶湖に次ぐ二位の面積でした。(ちなみに今の全国二位は霞ヶ浦です。)八郎潟を干拓して大規模農地にし、水稲を栽培するという計画で干拓し今は秋田県大潟村という一つの村になっています。しかし現在、米の需要が減ってきているためかぼちゃや野菜なども栽培しています。
しかし、干拓した土地は排水性が悪く農機具がスタックしてしまうなど問題もあります。
(日本語がおかしな所があるかもしれませんご了承ください)
因みに
アムステルダムの海抜(水位)を表す単位は
Normaal Amsterdams Peil略してNAPと言う単位を使うのですが(Peilはオランダ語で基準)
明治期、御雇外国人のオランダ人の名残で現在でも東京湾の平均海面はTokyo Peil略してT.P.と言います。
このT.P.の高さを大元として日本のあらゆる橋や建物、鉄道を作って、富士山の標高を算出する大元の単位になってたりします。
日本の土木にとって最も影響の受けた外国技術ですね。
オランダを日本は大好きだったからね…信長
均整が取れていて本当に美しいですね。
よく拝見させていただいてます。地元の大河津分水や鍋立山トンネルが紹介されてるのを見てから、土木から見た世界がとてもおもしろく、また聞きやすい解説で投稿を楽しみにしています。
暑さ本番な今日この頃、お身体には気をつけてください。
福島県郡山市の安積疎水を造ってくれてありがとう😆💕✨
あさか疏水ってお雇いのオランダ人がつくったんですね!
初めて知りました
@@聖なるトマト-y8h ファン・ドールンは郡山の小学校で社会科で勉強しますよ
@@RisingSun2683 そうなんですね!僕は郡山出身じゃないですけど、知り合いに沢山いるので聞いてみます!
利根川の東遷、江戸の埋め立て事業もオランダ並みに凄いと思う。
天気の子でもあったけど、利根川を東京湾から鹿島へ流し変えてなきゃ世界トップクラスの都市には発展しなかったでしょう。今の東京はかつて湿地か水の底だった場所が多いです。
家康が何故に江戸にこだわったか?不明なんだよねぇ~~~
そうじゃなきゃ、山削り川作らないし埋め立てまでやらない物
@@浦島隆-b9x
家康に頃の江戸は超ど田舎で何も無いような所だったけど、変なしがらみも無いのでむしろ自分の拠点を一から作り上げるには都合が良かったという説が有りますね。
都市の発展の上では後背地の広さが重要であるため、日本一広い関東平野は魅力的だったのかも知れませんね
当時は築城のおかげで土木技術がと労働力の動員システムが急速発達してた時代なんでやれる自信があったんだろうなぁ
と言うか秀吉くんに押しやられた以上やらざるを得ないし
@@genpo7739
悲しき宮仕え…武家仕え?
ほんと面白い。最近ハマりました…わかりやすい解説ありがとうございます。
暴れ川で有名な木曽三川の治水工事を行ったのもオランダ人だったな
えっ?薩摩藩では?
@@ethica2481
木曽三川の完全分離は
ヨハニスデレーケ主導の明治の工事によります
この効果は絶大なものがありました
薩摩藩士による宝暦治水ではまだ不十分であり、洪水発生を大きく落とすことはできませんでした
(この辺も東海の人は小学校の授業で学んでいます)
教えて頂きありがとうございました。薩摩藩の木曽川工事の苦労については伝説化していて岐阜県と鹿児島県の交流にも繋がっているのです。その後のことを教えて下さりありがとうございました。
日本の場合岡山県が似たような歴史をもってますね。倉敷市とか、旧真備町を除けば室町以前からあった集落は富くらいで、ほぼ全域が干拓による土地です。
岡山の場合だとほとんど1580〜1630年の間に干拓されたのに対して、オランダも大規模なものは17世紀が主とは言え12世紀とかから干拓を続けてるので本当凄いですよね…当時の動員能力や技術だと相当困難だったと思います。
本当にこのチャンネルは面白い。土木特化型ゆっくりは貴重
すんごい建造物。メンテナス費だけでもものすごい額になりそう。
アムステルダムってダムみたいな名前だなぁと思ったら本当にダムで草
そっか〜。アムステルダムってそんな歴史があったんやな。治水の技術もすんげー。ユーロが導入されたぐらいに行ったけど、、、すんごいスレた街やったな〜。
観光客で賑わってて、スリとかも多いし。
damはオランダ語由来ですが、英語のdomと同源語ですから、堰を作って、その周辺に街を形成するという低地国家ならではの小粋な発想が言葉に表れています。
ゾイデル海の干拓事業の真似ごとで、わが国も八郎潟や諫早湾の干潟を農地や住宅地にしてきました。しかし、その後の生態系保全や漁業者への補償については冷淡であり、本家との差を感ぜずにいられません。
滋賀で山登りしてたときにオランダ堰堤なる名前の砂防ダムとデ・レーケの銅像があったなあ
こんな偉い人だとは知らなかったけど
ちょうど鉄腕DASHでここ数週間風車について取り上げられていたからこの動画を作られたのですね!タイムリーだ笑
めっちゃ勉強になるチャンネルや❗️
面白かったです
オランダって九州くらいのサイズなんですね
すごい国力だと感じます
わい、岐阜県南部民、ヨハネス・イ・デレーケの名が聞けて感動。
他のコメントにもあるけど、薩摩藩が治水事業をしてくださったのは、江戸後期の調所広郷よりちょい前の時代。
デレーケは明治になってから。
当時の岐阜県南部は、大雨の度に川の流れる場所が変わるアマゾン状態でした。
それを薩摩藩の大工事とデレーケの工事で、今の三川分流の形になります。
昔そのての話をよく聞いてたなー、学校内での見学とかで。懐かしい
まさか本当に紹介してくれるとは思いませんでした。ありがとうございます。
水を制するものは、土木を制す
オランダの土木技術の高さがわかる動画ですね
高地に潜むエネルギーを持った水と戦う日本の悩みが
解決される技術ばかりではないので独自研究努力して
土石流や崩土の被害から少しでも国民を守って欲しい。
日本国内にも似たような物があるのがまた…
長大堤防→諫早湾干拓事業。木曽三川の堤防等。
道路が運河や河川の下を潜る→天井川。
雨等で沈む橋梁や道路→沈下橋。
農業分野でも技術面でかなーり先端を行くオランダ。
鎖国時代からも長らく縁もあるんだし、もっと交流を深めたいですね。
アムステルダムの防塞線、40cmってのがまた絶妙だなぁ。20cm以下だとそこまで足止め効果が無いだろうし、60cm以上になって来ると小型のボートが通れる様になって逆に敵の輸送手段を増やしてしまう可能性が有るからね。馬車や自動車の類いは一切使えず、かと言って人間が歩くには深い40cmという深さ設定は実に合理的でイヤラシイ。
40cmで通れるのはオフロードバイクだけだけど一度でも転んでキャブやタンクに水入ったら動かなくなるし海水混ざってる場所ならブレーキディスク良く洗い流す時間と真水の余裕が無い限り錆びて一週間後には使えなくなる。でも実際戦争になったら掘削するなり深くするなりは多少時間かければできるから時間稼ぎって事だね。オランダ自身が台湾で鄭成功に水路を浚渫開拓されて負けてる。
@@meroppa1 まぁ正直現代の軍用車(ハンヴィーとか)であれば40cmなんて水溜りみたいなもんだと思うけど、時代は馬車がバリバリ現役の一次大戦前だからね。当時は重機なんて物も無いから全部手で掘らないといけないから相当時間かかったはず。
古くからの偉大な治水事業には、本当に驚きます。アムステルダムの冬は降雪は少ない様ですが、北海からの風が容赦なく吹き付け底冷えがします。夏でもたまに最高気温が10c前後の日も有ります。お店などで時々、驚くほどつっけんどんな物言いをされる時が有りますが、一般に英語が良く通じます。コペンハーゲンも小規模ながら運河が有り、街並みと建物が似ています。
技術とプロジェクトを進められる資金力が凄い😳
東インド会社とかもそうですよね
ヨーロッパが気候変動問題に積極的なのも、国が無くなるかもしれない切実な理由のため、とも聞いたことありますね
オランダの治水が気になってました!有難い動画🙏
明治初期の日本で治水工事を手がけたデ・レーケやエッセルもオランダ人ですな。
自然吸気ちゃんとターボチャージャーちゃんかと勘違いした。毎度為になる。
オランダは、チューリップの名産地で最近はあじさいも生産しています。
低地が多いので、チューリップやあじさいなどの商業花苗を生産することに特化して、農家がしっかり所得を得るようにしていると思います。
ドイツやフランスは、小麦や大豆、じゃがいもなどが生産しやすいので。
小さい国ほど限られた条件の中で最大限に物を生み出そうとする。オランダは大規模の農園で特定の作物や品種しか作らないようにする事で効率上げたみたいですね。農業や経済の全体主義。漁業や釣りも規制が厳しいようで、一旦釣り上げたからには海や川に捨ててはいけず食うなり肥料にするなり有効利用しろと決められてるものがある。現地の実体も知らないしオランダ語の解釈の幅も知らないけど表面上はそうなってる。
秋田県の大潟村もオランダの技術で作られたと聞いた気がする…
いつも勉强になります!
確かに、オランダ人以上の匠は居ないかもと思ってしまった。
あの立体交差UA-camのショートで見たけどオランダにあったんだ
農業も土木もすごいなオランダ
道路の上を通る船は知ってたけど、他は知らなかった
オランダ行って治水建造物を見てみたいな🇳🇱
はーーーオランダってすごいのね!
アムステルダムに行ってみたくなっちゃった
面白かったです。
ありがとうございます。
勉強になるなー。
高評価👍✨
5:20 バビロンプロジェクトですね
ヨハニス・デ・レーケはデルタ計画のあったNoord-BevelandのZeeland Bridgeの近くの築堤職人の息子だね。締め切り大堤防Afsluitdijkと、埋め立て中止になったHoutribdijkは実際に車で走行したことがあります。無理に土地をつくったから牧草地での乳牛飼育が多くて、Goudaとか、Edamのチーズが輸出されてますね。
今から60年程前、父親の末弟が土木で有名なM建設からオランダ留学を拝命した。
当然、反日感情がまだ強い中、アジア系差別の強い国であったらしい。
浚渫等の設計・実務を学び帰国。
叔父は二度と欧州には出向かなかった。
しかし、留学経験は高度経済成長期に出世の足掛かりとなり、基礎土木部長職まで達した。
それで?
私も初めてアムステルダムへ行ったのは76年で、戦後まだ30年。アジア系差別はひしひしと感じました。叔父様が留学をされたのは、其の15年前ならなおさらでしたでしょう。しかも植民地だったインドネシアが日本軍に占領されましたから。日本では大体オランダ人に好感を持っていますが、その逆は少なく若者位です。あのロシアのピョートル大帝ですら、和蘭へ留学をして技術文化を取り入れて、ロシアのヨーロッパ化に力を入れたのですから。
オランダ人の闇として、土地への執着は並々ならぬものがありますからね。日本のインドネシア占領はそれ以前から燻ぶっていた独立運動の火に油を注いだようなものでしたし。ちなみに南アフリカに住む白人アフリカーナー(ボーア人)もオランダ人をルーツに持つ人々です。
@@ゼネラルキッド さん 多民族国家カナダ在住で元会社社長、同僚もアフリカーナーです。南アで英国式の教育を受けた様ですが、一種独特のアクセントの英語を話します。
「アムステルダム」ってこれで一塊の単語(おそらくオランダ語)だと思ったら、「アムステル・ダム」だって言うのが、驚き
洪水との戦いの果てに、環境も考慮しなきゃって、大変だよな、港湾土木工事も進化するわ、
いま一番面白いチャンネル!
日本の治水シリーズもやってほしいでござる
オランダハーフとしてこの動画は嬉しい笑笑
水面の下の道路がパッと見てだまし絵っぽくておもろいですね。
江戸の治水事業とかもやって欲しいなあ
流石覇権国になった事のある国だ…
ゾイデル海干拓 ほぼパトレイバーのバビロンプロジェクトですげー ほんとにやった所あるんだなぁ
やってることは長崎県の諫早湾干拓事業も同じですよ。なぜかこっちは叩かれてますが・・・
岡山の児島湾干拓の方が近い気がしますね…
企画自体オランダ人技師のムルデルの持ち込みでしたし、少なからず影響を受けてると思います
@@fep2901 絵面が衝撃的過ぎたんじゃないですかね?ギロチンみたいでしたし
とはいえ従来の工法だと例えば児島湖締切堤防は明治14年の計画立案から昭和38年の完成まで半世紀以上かかってますし、自分は技術の進歩ってすげーなーと感心しましたが
これらの干拓部分は2000年前には陸地だったものが、12世紀から13世紀にかけての大洪水で侵蝕・崩壊・水没した部分というなあ。
ちゃんと環境に配慮してるのが文明人らしくていいね
毎回スゲー面白い!
オランダいつか行ってみたいなぁ
今度干拓として賛否両論あった諫早湾干拓を取り上げてほしいですね。
水没する橋で溢れんばかりのオランダ人の水への闘争意思が感じられた
電車でドイツからオランダに向かう時に、何の囲いもなく、まるで野生動物のように牛や羊が自由に野原にいるのが見えたんだよね。でも、よく見ると水で区切られてた。あれ見た時かなり感動したな、水を利用しまくってる
産業が斜陽に成れば、思想を売るしかないって現実を感じる。かつての覇権国家の成れの果てだわな。
オランダのスへべニンゲンっていう海岸すき
オランダの技術支援で作られた常願寺川の砂防ダムもすごいそうですね。
デ・レーケは長良川決壊を救った神
こういう美しい場所に住みたい...
オランダと言えば、ユーロ紙幣のデザインにある建造物を全て作った話好き
締め切り大堤防の基礎には、桑の根っこが埋められてるって土木屋さんが言ってた。
日本の国土は海面上に山脈が突き出たような物なので、確かに平地が少ない💦
1942年の干拓地ってドイツ占領下でやってたのか?
昔、木曽三川公園に見学しにいったが、ここで海津市の木曽三川分流工事と繋がった(岐阜県民)
そんなオランダですが、ドイツの豪雨を契機とするライン川水系の異常増水で南部を中心に水没の被害を受けたようです。
ライン川と運河でつながってるマース川があふれ、流域のマーストリヒト~ベルギーのリエージュ一帯が深刻な被害となっていると。
元が湿地帯ゆえに水が引きづらいのが心配です…冬が来る前に何とかなるといいのですが。
ちなみにあちらの冬、子供のころ(大体15~20年位前)に経験したからわかるのですがものすっごい寒いです。
朝起きたら車のフロントガラスが凍り付いて全く見えないのは当たり前、各家庭にほぼ必ず作り付けてある集中暖房系を作動させないと寒すぎてつらい(北海道をイメージしたらわかりやすいかも)。緯度も高く、夏は日が長い(21時でもまだ外が明るいレベル)代わり冬はほんと太陽の出ている時間が短いので、気温も上がらないのです。
しかもこの暖房系って家の地下に加熱の機械が設置してあるので…当然水に浸かってお釈迦になってる可能性が。冬までにある程度使えるようにしておかないと本当に大変なことになりそうです
岡山の干拓事業も藤田財閥が
オランダ人の技師を招き基本設計をした
近代土木はオランダに学んだところは多いが
江戸時代からの治水技術は農業土木としては当時世界一だったと思う
農水省のHPで「水土の礎」を見て欲しい
日本では諫早湾干拓が変換期かな
それまでの産業育成重視の土地造成から
環境保全重視(漁業権も絡む)になり
計画は堤防造成、湾の閉め切りにまで至ったもの
計画の見直し,門の開放問題等中途半端なままで未だに係争中
技術が形成した土地ですね
すごい、ただその一言に尽きる
日本の様に風向きが日々時々刻々変わるのではなく、オランダはほぼ同じ方向から吹くという天恵があるから風車を活用出来たんだよね。
と言う訳で、オランダ風車の延長線上にある巨大ブレードの風力発電は日本の気候風土には全然合わない。どうしても日本で風力発電とか風力利用に拘るなら、風向きが東西南北目まぐるしく変わっても風力が微風から台風の暴風まで大幅に変化しても使える日本オリジナルの風車を開発しなくてはダメだって事なのさ。
佐賀や長崎が日本の首都だったらこんな風になったんかな
上流からの洪水にはどういう対策があるのでしょうか。オランダ人が東京の治水していたらもっと水感がある街になっていたんですかね。
「オランダはオランダ人が作った」ちょっと笑えるw
オランダに神話があったら、半分以上がドラゴン退治伝説だらけになりそうだw
あと、昔「好きなダムアンケートサイト」で黒部ダムとかに紛れてアムステルダムやロッテルダムがあって、ギャグかと思ってたら、ほんとにダムだったんだなって。
Zガンダムとかもあったから紛らわしかったわw
見れば見るほどアトランティスの外観なんだよなぁ。
関係ないけど。
幕府がヨーロッパの知識でオランダ(蘭学)を重視するのが分かりますよね。
オランダが先進国だったからというよりたまたまオランダくらいとしか関わり持ってなかったからでは。江戸後半には英仏の方が優れていただろうに開国まで関わらなかったし。
今度、ヨーロッパに行く予定があります。
見ておいた方が良い建設などありますか?
2015年のINQUA(国際第四紀学連合)の巡検でオランダの軟弱地層を研究している研究者と日本の地盤沈下と3.11の液状化跡の巡検を行った.私が震災直後の千葉県美浜区の液状化写真を持っていたので補足説明を色々させてもらった.その研究者から「何で日本の液状は判定法が深度方向に不連続なんだ」と問われ,「層序学の分からない建築屋と土木屋が作った指針だから民間(つまり私)はそれに従わなければならないんだ」と答えた.本当は守秘義務違反なのだが,会社自体が存在を忘れている液状化層の生写真を見せたら感動して貰えた.
日本の橋動画も見てみたいです🙆
8:03 脳がバグったかと思ったw なんだこれww
淡水化ってどうやってやるんだ
濃尾平野を切り取って巨大化したのがオランダなのか(?)
風車は 農作物を加工するのに 使うと 思っていました。