Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
"ここでしか見られないレアな極真空手の動画を"”極真サムライ Kyokushin Samurai”ua-cam.com/channels/4A2liyidIilq-4iD6sIpSw.html定期的に未見の試合動画をアップ&解説土曜日以外にも不定期にアップいたしますのでチャンネル登録よろしくお願いいたしますまた試合のリクエストも可能なかぎり対応いたします動画のコメント欄に書き込みしてください
橋爪師範 本当に素晴らしいおつかれさまでした押忍
橋爪選手の気迫と技素晴らしいです!第9回ウエイトに出場してたとはしりませんでした。貴重な試合ありがとうございました。
4年半ブランクは大きかったですね。まだ若かったので続けてほしかったです。
家から道場まで鉄下駄で走って来てました。この大会の後くらいから道場を離れて地方でボクシングをしていたと思います。それを松井館長が探し出して極真に連れ帰ったと記憶しています。
貴重な当時のエピソードありがとうございます☺そんなことがあったんですね!またなにかありましたらお知らせくださいませ!
確かプロボクシングで、アポロジム(大阪)所属で8回戦まで行ってますね。才能ありますよね❗️
金子戦の後も無差別全日本で御子柴選手と対戦したりしてます。
おおっ💦存じ上げませんでした💦💦ご指摘ありがとうございます。動画の内容を変えることができないのでこの場で訂正させていただきます。また何かありましたらお知らせくださいませ。
気迫に溢れたいい選手でしたね。ホントにもっと現役を続けていれば、優勝戦線に食い込んでいたのではないでしょうか?
同感です。とても強い選手でしたね☺
橋爪先輩は、中間距離で戦えば滅法強いです。トンプソンや松井館長との試合で、その強さを証明されました。その反面、間合いを潰してくるパワーファイターは苦手でした💦生来の負けん気の強さが災いして、相手と打ち合ってしまうせいです。小井選手や奥村(兄)選手や入来選手には、相性が悪かったですね・・残念ながら全日本でもベスト8入りはなく、世界大会でも敢闘賞などの受賞はありませんでした。記録上では特筆される選手ではないですが、見る者の魂を奮い立たせる気迫溢れる戦いが、橋爪先輩の真骨頂でした。
第4回世界大会は体重判定で橋爪秀彦選手の勝利だと思っています。
体重差があってもものともせず奮戦しましたが残念でしたね。翌年の全日本も出場してほしかったです。
そのまま進めば黒澤にも不戦勝だし、4位になれてましたね。
@@jackamano3338 さん 橋爪先輩は、緑選手との対戦を熱望していらっしゃいました。世界大会前の強化合宿で、緑選手がこの大会で選手生活を終えて、故郷の奄美大島に戻って家業を継ぐという事を聞いていらしたので「俺、緑さんとは試合してへんからなぁ。世界大会で勝負したいな~~」とよく仰っていました。トンプソンに体重判定で勝利していれば、ベスト8をかけて緑選手との待望の対戦でした😢
おそらく最後の大会は京都府空手道選手権大会という地方大会では
当方の確認不足でこの試合以降にも出場されているようですね。他の方の書き込みにもありましたが動画内の字幕は訂正できませんが、この場で訂正させていただきます。また何かありましたらお知らせくださいませ。ありがとうございました。
中村誠師範率いる兵庫支部隆盛の立役者、初期のウエイト制の中心選手でしたマイケルトンプソンとの世界大会の試合は極真闇の部分で橋爪さんには気の毒でそれ以降の大会で活躍されると思っていたのですが…中量級の旗頭として更に台頭して欲しかった
トンプソン戦は本当に残念でしたね。若くて続けて試合に出てほしかった選手でした。コメント入れていただきありがとうございました。
松井館長を2回も寝転ばした試合は、どの試合でしたかね🧐
第18回全日本でしたね。その試合もいつかご紹介いたします。コメントありがとうございました。
途中一時期プロボクサーでしたね
そうなんですね!戦績調べても見つからなくて知りませんでした。
@@KyokushinSamurai-vu2dj アポロジムからデビューして数戦やってたと思います。新人王トーナメントの途中で負けてたはず。
@@ARISUNIZUN さん よくご存じですね!橋爪先輩は、ボクシング西日本新人王トーナメントの決勝戦に進出なさいました。決勝戦での敗退後に控室に御挨拶に伺うと「ローキックかましたら勝てたんやけどな~~」と冗談めかして仰っていました😄
最高審判長の裁定ってなんですか?試合ごとにルールが変わるんですか?
当時はこういう「曖昧」な判定が見受けられましたね。選手はたまったもんじゃないでしょうが💦
これは橋爪選手の勝ちでしょう@@KyokushinSamurai-vu2dj
@@KyokushinSamurai-vu2dj さん 長文で失礼いたします。奇縁ですが、トンプソン選手は「曖昧」な判定の対象になることが多かったです。前回の第3回世界大会では、中村師範と2回目の延長戦を引き分けて、順当なら体重判定で勝利していました。それを大山館長のお裁きがひっくり返して、延々と延長戦を戦い、5回目の延長戦で体力を使い果たして、中村師範に敗退しました。この大会の準決勝でも、同じ様なことがありました。松井先輩(当時)との試合で、フットワークを駆使して小気味よく攻めるトンプソンが、副審のジャッジを集めていました。旗が2本上がり、これは3-0で松井先輩の敗退か・・という試合内容でしたが、主審の郷田師範は頑なに引き分けの裁定。2-0で延長戦が繰り返されました。会場は外国人選手とそのセコンドによる大ブーイング👎に包まれて、異様な雰囲気でした。さすがに今度は2-0の裁定はできないぞ・・という空気の中で、松井先輩の右上段回し蹴りが一閃‼トンプソンを鮮やかに斬って落とし、会場を熱狂させて雰囲気を一変させました👍👍※橋爪先輩は、試合場の最前線で他の日本選手と共に、懸命に松井先輩を応援していました。松井先輩が大逆転勝利をおさめた瞬間、右隣にいた緑選手と抱き合って跳び上がっていました。「身体中に寒ぶイボが出た・・」(標準語訳:全身に鳥肌が立った・・)と興奮しきりでした😳当時は相手に明確にダメージを与えて勝つ組手が主流だったため、フットワークを駆使するトンプソンの戦い方は、判定勝ち狙いと捉えられることもありました。緑選手のように一本勝ちや技ありを取れたり、もしくは活躍時期が後年であったなら、さらに評価の高かった選手でしょう。何度も「曖昧」な判定の対象になったトンプソンも、不運な選手だったと思っています。
@@大場華太郎-s8b 中村戦のあとトンプソンは「(延長ばかりで)まだやるのか?」と述懐していましたね笑良くも悪くも日本側ジャッジに振り回された選手でした
"ここでしか見られないレアな極真空手の動画を"
”極真サムライ Kyokushin Samurai”
ua-cam.com/channels/4A2liyidIilq-4iD6sIpSw.html
定期的に未見の試合動画をアップ&解説
土曜日以外にも不定期にアップいたしますので
チャンネル登録よろしくお願いいたします
また試合のリクエストも可能なかぎり対応いたします
動画のコメント欄に書き込みしてください
橋爪師範 本当に素晴らしいおつかれさまでした押忍
橋爪選手の気迫と技素晴らしいです!
第9回ウエイトに出場してたとはしりませんでした。
貴重な試合ありがとうございました。
4年半ブランクは大きかったですね。まだ若かったので続けてほしかったです。
家から道場まで鉄下駄で走って来てました。この大会の後くらいから道場を離れて地方でボクシングをしていたと思います。それを松井館長が探し出して極真に連れ帰ったと記憶しています。
貴重な当時のエピソードありがとうございます☺
そんなことがあったんですね!
またなにかありましたらお知らせくださいませ!
確かプロボクシングで、アポロジム(大阪)所属で8回戦まで行ってますね。才能ありますよね❗️
金子戦の後も無差別全日本で御子柴選手と対戦したりしてます。
おおっ💦存じ上げませんでした💦💦
ご指摘ありがとうございます。
動画の内容を変えることができないのでこの場で訂正させていただきます。
また何かありましたらお知らせくださいませ。
気迫に溢れたいい選手でしたね。ホントにもっと現役を続けていれば、優勝戦線に食い込んでいたのではないでしょうか?
同感です。とても強い選手でしたね☺
橋爪先輩は、中間距離で戦えば滅法強いです。
トンプソンや松井館長との試合で、その強さを証明されました。
その反面、間合いを潰してくるパワーファイターは苦手でした💦
生来の負けん気の強さが災いして、相手と打ち合ってしまうせいです。
小井選手や奥村(兄)選手や入来選手には、相性が悪かったですね・・
残念ながら全日本でもベスト8入りはなく、世界大会でも敢闘賞などの受賞はありませんでした。
記録上では特筆される選手ではないですが、見る者の魂を奮い立たせる気迫溢れる戦いが、橋爪先輩の真骨頂でした。
第4回世界大会は体重判定で橋爪秀彦選手の勝利だと思っています。
体重差があってもものともせず奮戦しましたが残念でしたね。翌年の全日本も出場してほしかったです。
そのまま進めば黒澤にも不戦勝だし、4位になれてましたね。
@@jackamano3338 さん 橋爪先輩は、緑選手との対戦を熱望していらっしゃいました。
世界大会前の強化合宿で、緑選手がこの大会で選手生活を終えて、故郷の奄美大島に戻って家業を継ぐという事を聞いていらしたので
「俺、緑さんとは試合してへんからなぁ。世界大会で勝負したいな~~」とよく仰っていました。
トンプソンに体重判定で勝利していれば、ベスト8をかけて緑選手との待望の対戦でした😢
おそらく最後の大会は京都府空手道選手権大会という地方大会では
当方の確認不足でこの試合以降にも出場されているようですね。他の方の書き込みにもありましたが動画内の字幕は訂正できませんが、この場で訂正させていただきます。
また何かありましたらお知らせくださいませ。ありがとうございました。
中村誠師範率いる兵庫支部隆盛の立役者、初期のウエイト制の中心選手でした
マイケルトンプソンとの世界大会の試合は極真闇の部分で橋爪さんには気の毒でそれ以降の大会で活躍されると思っていたのですが…中量級の旗頭として更に台頭して欲しかった
トンプソン戦は本当に残念でしたね。
若くて続けて試合に出てほしかった選手でした。
コメント入れていただきありがとうございました。
松井館長を2回も寝転ばした試合は、どの試合でしたかね🧐
第18回全日本でしたね。その試合もいつかご紹介いたします。
コメントありがとうございました。
途中一時期プロボクサーでしたね
そうなんですね!戦績調べても見つからなくて知りませんでした。
@@KyokushinSamurai-vu2dj アポロジムからデビューして数戦やってたと思います。新人王トーナメントの途中で負けてたはず。
@@ARISUNIZUN さん よくご存じですね!
橋爪先輩は、ボクシング西日本新人王トーナメントの決勝戦に進出なさいました。
決勝戦での敗退後に控室に御挨拶に伺うと「ローキックかましたら勝てたんやけどな~~」
と冗談めかして仰っていました😄
最高審判長の裁定ってなんですか?試合ごとにルールが変わるんですか?
当時はこういう「曖昧」な判定が見受けられましたね。選手はたまったもんじゃないでしょうが💦
これは橋爪選手の勝ちでしょう@@KyokushinSamurai-vu2dj
@@KyokushinSamurai-vu2dj さん 長文で失礼いたします。
奇縁ですが、トンプソン選手は「曖昧」な判定の対象になることが多かったです。
前回の第3回世界大会では、中村師範と2回目の延長戦を引き分けて、順当なら体重判定で勝利していました。
それを大山館長のお裁きがひっくり返して、延々と延長戦を戦い、5回目の延長戦で体力を使い果たして、中村師範に敗退しました。
この大会の準決勝でも、同じ様なことがありました。
松井先輩(当時)との試合で、フットワークを駆使して小気味よく攻めるトンプソンが、副審のジャッジを集めていました。
旗が2本上がり、これは3-0で松井先輩の敗退か・・という試合内容でしたが、主審の郷田師範は頑なに引き分けの裁定。2-0で延長戦が繰り返されました。
会場は外国人選手とそのセコンドによる大ブーイング👎に包まれて、異様な雰囲気でした。
さすがに今度は2-0の裁定はできないぞ・・という空気の中で、松井先輩の右上段回し蹴りが一閃‼
トンプソンを鮮やかに斬って落とし、会場を熱狂させて雰囲気を一変させました👍👍
※橋爪先輩は、試合場の最前線で他の日本選手と共に、懸命に松井先輩を応援していました。
松井先輩が大逆転勝利をおさめた瞬間、右隣にいた緑選手と抱き合って跳び上がっていました。
「身体中に寒ぶイボが出た・・」(標準語訳:全身に鳥肌が立った・・)と興奮しきりでした😳
当時は相手に明確にダメージを与えて勝つ組手が主流だったため、フットワークを駆使するトンプソンの戦い方は、判定勝ち狙いと捉えられることもありました。
緑選手のように一本勝ちや技ありを取れたり、もしくは活躍時期が後年であったなら、さらに評価の高かった選手でしょう。
何度も「曖昧」な判定の対象になったトンプソンも、不運な選手だったと思っています。
@@大場華太郎-s8b 中村戦のあとトンプソンは「(延長ばかりで)まだやるのか?」と述懐していましたね笑
良くも悪くも日本側ジャッジに振り回された選手でした