【ゆっくり解説】島津義久・義弘兄弟相克編その7ー慶長の役(後)泗川の戦いと露梁海戦でこれまでの汚名を一気に返上!
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- Опубліковано 7 жов 2024
- 今回は慶長の役で島津義弘・忠恒が明・朝鮮軍相手に奇跡的な大勝利を挙げた泗川の戦いと、朝鮮出兵最後の大会戦になった露梁海戦の二つを中心に義弘・忠恒が日本に撤兵を果たすまでの展開を解説していきます。
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なんでこんなにグダグダなのに戦うと強いんだろう…
まぁ、野戦限定の島津だから、数人強い先駆けがいたんでしょう
信長の野望だと革新地域だけど、神仏頼みの寄り合い世帯で、武田や北条の方がずっと革新的
武闘派島津のことはいろんなところで聞きますが、具体的ないきさつもしれて楽しい動画でした。有難うございます。
いつもは内輪でグダグダ揉めてるけど、外から喧嘩売られたら途端に団結して強くなる、漫画に出てくるヤンキー高校みたいなノリだな。
島津征伐の際
豊臣秀吉と合戦で
慎重派なのは義久
だけだった
義弘と歳久、家久
は戦う気満々
しかし、伊集院忠棟の不審な動きを
察した歳久は途端に慎重派になる。
家久の病死をキッカケに秀吉の軍門に降る。
こうした義弘公の人徳が発揮されるのが関ヶ原の戦いの時で島津の軍勢が小勢で苦境に立たされている義弘さあを救えと義弘公に縁を持った兵達が薩摩から三々五々走って義弘公の下に集うのは感動的です。
忠恒公が固く禁じていたにも関わらず義弘公の死後十三人の人々が殉死を遂げています。
ただ悲しい事に彼等の行動は忠恒公の逆鱗に触れ殉死を遂げた忠義の人々と評価されるのは後になります。
三成って他で例えると梶原景時ポジション。主君からの信頼は厚いが権勢を振るえたのも頼朝、秀吉あってのもので死後すぐに失脚した。周りから恨みを買っていて汚れ役をするのも大変だな。
やっぱり 島津と言ったらこれだよね
伊集院忠棟なかなか主家を舐め腐った動きをして粛清ゲージ貯める。これは伊集院一族根絶やし気持ちえええってなるよ。、
島津家と近衛家の関係は、平氏滅亡後に、島津荘の荘園領主が近衛家になり、その下司に惟宗(島津)忠久が任命されて以来の関係であって、キツネ、お稲荷さん云々は後付けだと思います。さらに遡れば、惟宗氏がそもそも近衛家の家司の家柄らしい(源頼朝の御家人と二足の草鞋)。ただし惟宗(島津)忠久は出生の経緯が不詳・複雑で、実父と目される惟宗忠康の官位も低く、惟宗氏の本流ではない。
渡海軍はなんだかんだで戦慣れしてたのが活きてるなぁと
お稲荷さんが島津家の守り神なのは初代の忠久の話の件もあるだろうけど もしかすると出自である秦氏とも関係あるかもしれないですね 秦氏が稲荷神社の総本山 伏見稲荷大社の創建に携わっていたようなのでその流れで代々守護神にしていたのかなと
明と朝鮮軍さぁ、普通に勝てる戦いに負けるとか恥ずかし過ぎだろ。
突撃を楽しみに待つ
これは大河ドラマは無いですね。いやはや面倒臭い話だ
見どころたっぷりなのに勿体ない
伝説の戦いが遂に幕を切った!
なるほど、朝鮮通信使に島津義弘の異名「鬼石曼子」の話したら当の通信使たちは全然知らなかったってエピソードも話盛ったからなのね(島津義弘・wikiより)
その後の歴史を知っている人からすると、
ここでは島津義弘と同格として、加藤清正と小西行長の名前があるというのが何とも味わい深い。
特に小西行長は「名前は聴くけどどんな活躍をした武将なの⁉️」って感じですね。
次回ついに忠恒が動き出すのか!!!
三成は今まで嫌いだったけど、このシリーズを通して見直しましたw
戦中のBGM好きなのですが、島津と合わせると何かグダグダ感も感じられて笑えますw
そういえば亀寿にあてがわれてる女性キャラ可愛いですね
コメントありがとうございます!BGMは狙ったわけではないんですが😆😆イラストが可愛い系なのは個人的趣味です😅😅
ゆっくり戦国史さんのBGMセンス凄いな〜と思います😊
BGMが本当色々な所でピッタリなのでBGMを聴くだけでも、ゆっくり戦国史さんが紹介してくださる色々な場面が浮かんで楽しいです😊
島津って小勢で結果を残してるけど大軍を動かす構造的欠陥を抱えた状態で膨張した結果が秀吉の九州征伐だったと思うと、まんま日本人だけで多民族国家を作ろうとして爆発四散した大日本帝国感ある
島津が優秀なのは一軍の将までで、多数の軍を率いる軍団となると途端に纏まりがなくなる、というのは兵士や一指揮官が優秀で個々の戦場として見れば大勝も多いが、戦略や目的が曖昧で勝利を上手く生かせない旧日本軍と似てますね
島津も旧日本軍も物量の前に敗北したのは事実ですが
豊臣軍もアメリカ軍も敗北は想定内に入れつつ、敗北しても崩れない様な戦い方が出来ていたと思います
一方の島津軍と旧日本軍は負けると一気に後退したのは、やはり組織で戦う近代的な戦いではなく一軍一軍の強さに依存したものだったのでしょうね……
凄い日本人好みではあるよね→小勢で結果残す、目先の戦は物凄い華々しい、責任取ってくれる権威の下で無軌道に暴走してる間は勝てるけど不利になると責任押し付け合い
真田昌幸も好まれるけど最後は結局寂しい末路だったりするしなぁ…(周り引っ掻き回すのは良いけど大局的には影響しないし外交的信頼もすっからかん+上田城で勝って調子づいて関ケ原終了後にも関わらず森家と戦してそれ咎められて法的に罰せられて蟄居で律儀に徹した信之が最終的に得をするし戦略的価値も大きい)
島津に限らず戦国大名の多くの実態が豪族の寄り合い世帯だった事を考えると島津のグダグダは時代的に仕方ない面が多かったのでしょう。
でも大日本帝国の場合は近代的な国民国家でそれをやらかしてますから無様さがより引き立ちますね。
一番のりー 最高の動画をありがとうございます
伊集院忠棟「従軍しません、後方支援しません、勝手に中央とパイプを作ります、悪評を広めます、半独立勢力を作ろうとします、
主君筋の経営に介入しようとします、できれば主家乗っ取りもしたいと思っています・・・・」 大丈夫、まだ2アウトってところやろ
相州家と伊集院家がもともとの島津宗家からどのぐらい離れていたかというとどっこいどっこいなので、似たような家がいくつもある島津家のなかで筆頭の地位が見えてきたと思ってても乗っ取り意識はなかったような気も。指導者として義弘とかが強かった・同調する有力家もなかったんだから客観的にみたらアウトではあるけど。
えぇ…豊臣恩顧で完全独立したほうが安全じゃね?
次は権臣伊集院忠棟が忠恒にブッ殺される話ですね😱
実は、義弘の忠臣
長寿院盛淳も
忠恒から疎まれる
元々蒲生地頭で
一門から一目
置かれていた家柄
関ヶ原で討死にしたお陰で一族は
御難を避けられた
後に阿多氏を名乗っていました
義久の家老
平田一族も忠恒に
睨まれて誅殺
されていますね
忠恒は島津の
第六天魔王です。