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この型のギャランは本当にカッコよかった!いまでも好き!
22歳の時に初めて買った新車がVR-4RS(E38A)でした。購入時はセリカGT-4、レガシーRS-RA、パルサーGT i-Rが候補でした。3年で10万キロダートトライアルにも出場してましたが大きなトラブルなくとても丈夫で速い車でした。その後GC8インプレッサ、ランエボⅤ.ⅨMRに乗り継いでおります。あの時VR-4に乗ったおかげで今でもモータースポーツを続けられていると思っています。
6代目は歴代ギャランの中でもスタイルの良さがずば抜けていると思う。
軽量化された競技モデルのE38AのVR4ですが、最終型を6年落ちで買って未だ乗り続けております❗
大事に乗れよ?
現役でe39a最終モデル乗ってます大切に乗りたいですね坂道手間のブレーキングその後アクセル踏み込めば滑る事無くグングン登っていく素晴らしい車です乗り心地満点です長距離疲れませんこれからも乗り続けます
私は30年以上前に新車で乗ってました。E39の最終型です。当時はゼロヨン全盛期で、どこでも無敵でしたね。のちにR32GTRが現れ始めて負けるようになりましたが。今でももう一回乗ってみたいなとは思いますが、もういい玉がないし、あっても偉い高いので、いい思い出に取っておきます。
6代目ギャランのスタイリングは5ナンバーセダンの理想だと思ってる😊
この型のギャラン、カッコいいですよね🎵ライバルだったレガシィ共々、好きでした♥️
E39Aが、初めて自分で買った車です。4G63はトルク太いのでATとの相性も良く、重さにも関わらず街中でもキビキビ走ることが出来る良い車です。今はEC5Aに乗っています。
車に興味を持つきっかけとなった車であり、現愛車でもあります(RSですが)身近では見かけなくなりましたが、乗ってる方のコメントを見て嬉しくなりました。動画が二部構成で驚きましたが、後編も楽しみにしています。
アリ・バタネン先生の名言「ラリーではアクセルは全開か全閉のどちらかしかないんだよ」その言葉通りのドライバーでした
VR-4で印象に残るのは、1989年の1000湖ラリー。完全にM・エリクソンの実力。最終戦RACラリーのP・アイリッカラの優勝。ライバルの脱落もあったけど地元アイリッカラの作戦勝ち。そして翌年1990年。まずエボリューションモデルの認可が降りての初戦。K・エリクソンのアクロポリス激走!リザルト自体は8位だったけど32SSでトップタイム!TTEのボス“オベ・アンダーソン“が「インチキをしてるっ!」と言ったぐらい“エリクソンショック“と“VR-4ショック“は激しかったらしい。ハイライトは1000湖ラリー!スカンジナビアン以外はこの地で勝たせはしないって言う信念のもとアリ・バタネンとVR-4の激走は激しかった。1000湖で勝ってチャンピオンになりたいC・サインツも普通じゃしない走りで対抗。バタネンも追走してレース自体が完全にこの二人にコントロールされていたらしい。最終レグでスペアタイヤも外してマッドフラップ、その他剥がせる物は全て剥ぎ取って勝負に出たバタネンも力及ばず第2位!3日間走ってその差1秒と少し!ラリーでは異常です。3位もK・エリクソンのVR-4!サインツとの差約5秒弱!これも異常タイム!あん時のギャランはカッコよかったあ!1990年1000湖ラリーのVHF!今でも宝物です。最後に、Xトラックの初期のトランスファーはサイドレバー引くとFRオンリーになります。ST165が何故ヘアピンでMRみたいな動きをしたか不思議でしたがカラクリを知って納得!
Xトラックミッションは、この80年代後半時点ではラリー界ではまだ新参者だったけど、TTEとRAEでのWRCの実戦経験による相乗効果により、急速にポテンシャルと耐久性が向上していきましたね。
E35Aヴィエントに乗ってました。これ以降、愛車は軽四にシフトしましたが、よく走るしデザインも優れたいい車でした。
おぉっ!コイツはあらゆる日本車の中でワシが最も好きなクルマ🎵もし神様に「過去の日本車の中で一台だけ選んで新車状態のモノをオマエに授けよう」と言われたら、迷うこと無くコレを選びますわ~♪o((〃∇〃o))((o〃∇〃))o♪後編も楽しみにしてま~す🎵
E3#Aは本当に良い車でしたね。車遊びを始めた頃A175ランタボを乗っていましたが、ご縁があってギャランのラリー車に乗り換えました。曲がらないなんて言われてましたが、リアのトラクションが物凄く有って、良いハンドリングでした。その後CD5Aの1800ランサーが登場してCD CE9Aのエボシリーズに続きますね。4G##+4WDのパッケージが確立されたのがギャランからでしたから、当初の設計思想が本当に優れていたんだと思います。CD5Aランサーは、余り光を当てられる事がないですが、当時 ギャラン レガシィ パルサー相手に、海外ラリー経験者が1800ランサーに乗って国内選手権では大活躍していました。国内外のラリーが盛り上がる時期の楽しい時代ですね。
220psのVR-4に乗っていたよ。黒銀ツートンが良かった。2人目の子供ができたので3年乗ってスターワゴンに買い替えてしまった。高速乗っていて3速に落しアクセルを踏み込むとフロントがフッと浮き上がり加速していく。たまんなかったな~。ラリーアートのイタボラ製のハンドルだ自慢だった。
ギャランがあったからエボがある
短大の自動車部に在籍していた頃、ディーラーが試乗車としてVR-4を貸してくれたことがあった。ラジオもエアコンもなく、窓は手でくるくるのストイックなモデルだったけど大柄なボディをパワーで強引に引っ張る様はそれまで体験したレビン・トレノ、スターレット、サニーなどとは次元の違う車に見えた。
高速クルーズ時の4ws恩恵か、車線変更時の安定さに誰も言及してない、とにかくいい車でしたよ。
時は1989年まだバブル期が残るこの時期に三菱自動車に入社しWRCでアリ・バタネン選手が優勝した時は社内で大盛り上がりでした。パリ・ダカではの篠塚健次郎(三菱の社員時代)だったこともあり数度お話を伺いました。懐かしい時代でした。
篠塚さんは、冬に清里で雪道講習会を開催しています。もっとも、コロナ禍と清里に雪がなくて2年連続中止になってます(泣)
アリバタネンは三菱では優勝してないですよギャランの優勝ドライバーはミカエルエリクソン、ペンティアイリッカラ、パトリックトウジアック、ケネスエリクソン、篠塚建次郎です
アリバタネンの優勝は、オペルとフォードとプジョーです。三菱での参戦は、90年の1000湖ラリーの2位が最高です。スバルでも、93年の1000湖ラリーで2位が最高です。なにか勘違いをされていると思われます。
当時の三菱って車格違いの同じ様な顔の車が多かったたイメージ、でもこの世代のギャランが一番好きギャランVR-4はおじさんが乗ってましたが確か5ナンバーで意外に小さいと思いました剛性も当時としてはあったんじゃないかなぁ、元気な走りしていました
コーワン総監督も、木全監督も、篠塚健次郎、トミマキネン、ケネスエリクソン、アリバタネン、リチャードバーンズ、ミカエルエリクソンも皆会いました。今でも愛機ですが、ドッシリとして良いラリーカーです。ロールゲージやタワーバー、足回りを変えれば曲がらなくはないです。
38・39ギャランはちょっとした衝撃だったネ。ハイパワーターボ四駆のポテンシャルを、素直に体現したクルマだった。ズレますが…39ギャランのAMGに乗ってた頃がある。AMGは値段がVR-4と同じくらい。速くて実用性もある良いクルマでしたネ。
嘗てE39AギャランVR-4に乗ってました。オーガニックフォルムと呼ばれたボディデザインは、好き嫌いがハッキリしていた車だと思います。今でも2年に1度は会う大学時代の友人にも乗ってるお前さんには悪いけど、俺はこのギャランのデザインは好きにはなれないが、後部座席の座り心地とヘッドクリアランスの高さは最高に良いセダンだと褒めてた事を今でも思い出します。120km/h以上の速度で走らせると燃費が悪化するのは玉に瑕でしたが、それ以外には非の打ち所がない車でしたよ。親戚の葬式とかにも何度か駆り出されましたが、後部座席の頭上に余裕があるせいか、乗った人は皆一様にタクシーよりも乗り降りしやすいと絶賛されました。
サーキットレースに於いてもギャランVR-4もランエボもスーパー耐久レースでGT-Rを下して総合優勝してしまいました。ランエボに至ってはポルシェまでも軍門に下ってましたからね。
この型のギャラン、FF2リッターのグレードMXを父が乗っていて、逆スラントのフロントノーズとドアのS字のプレスラインがスゴくカッコよかったのを覚えています
オイラも乗ってましたよMX。思ってたよりも乗りやすくて運転が楽でした。その後H27Aミニカに乗ったりもしましたが、今はCP9A(6)に乗ってます。お財布に厳しいけれど、乗ってて楽しいです。憧れであり夢だったから。w
220psの38RSに乗ってました。とにかくまっすぐ走るクルマで全然曲がらなかったけどドリフトさせると安定感が最高でした。39も何台か乗ったけど38は別物だった。日本車では一番好きです。
懐かしいなぁ。ギャランVR-4。シノケンがガンガン走ってたなぁ。三菱重工の駐車場はほぼギャランやらパジェロやらだったよ(*^^*)
アンドリュー•コーワン(三菱)とオベ・アンダーソン(豊田)は俺の時代の“神”でしたから(-_-)ノシ
グランツーリスモだと直線番長な印象あるけど、ドッカンターボが楽しいVR4は一時代築いた名車だと思う。
エボリューションなんとかみたいに名前は付かなかったけど実はギャランも毎年進化してたんだよね。1987VR-4RS205馬力から始まって↓1988VR-4RS205馬力クロス↓1989VR-4RS220馬力&15インチブレーキ↓1990VR-4RS240馬力秋ぐらいに出てたんで、オールスターダートトライアルに納車から突貫で作ってデビューとか。
三菱のラリーのイメージだと艶消しブラックボンネットの初代ランサーからだなあ
1:32その日産自動車のラリー参戦車両の耐久試験を担当したドライバーの一人が後のチームインパル代表星野一義だったりしますね。
長谷見昌弘御大もそうでしたね。星野一義御大と共にモトクロスライダー時代のノウハウがあればこそでしたね。
初めて乗った車です。親父のおさがりでした。ずっと乗ってれば良かったと後悔してます。
WRCだけでなくN1(現スーパー耐久) にも出場してたなぁ‼️
その時代の三代目ランサーはあまりモータースポーツのイメージが無く、ミラージュの方はサーキットレースのミラージュカップのイメージが強かった。
三菱は篠塚健次郎のイメージ強い
特別仕様車のEXEの名付け親でしたっけ?
0:59からの解説で70年代からと話されていますが、正確には、67年10月にコルト800オーストラリア輸出の為の耐久テストを兼ねたサザンクロスラリー出場が始まりです。成績が良かった為にラリー向きとわかった三菱重工は、次モデルであるコルト1500もラリーに出場させて、2005年までラリー活動を続けていくことになったのです。
我が愛機‼️E39Aの解説❗ありがとうございます❗ST165・E39Aを乗っていたが、まずノーマルベースでST165はボディ剛性・MTとも完成度がいまいち❗E39A(エテルナ使用)ボディ剛性・MTは完成度は良かったが足回り柔らか過ぎてブレーキがカックンブレーキが問題があったがストリートショック替えると改善したがガチガチセットでなく柔らかめのほうがコントロールしやすくなりストラットバー追加でフロント剛性が上がりより扱い易いマシンとなった‼️🐶
240馬力になったVR4 雑誌で曲がらない 重いとか酷評されたしたが 普段の使用なら最高傑作です! RS用のクロスミッション オイルクーラー サイドドアビーム標準装備乗り心地は楽 VR4は始めから普段乗りの設定で出してますから 購入して長く乗ってる方多かったですランエボと共に最高傑作の車です
VR-4、私の中で。三菱での名車です!
この頃の三菱車は好きでした
1989年はレギュラーのバタネンと1000湖優勝のミカエル・エリクソンの他に篠塚建次郎さんとコリン・マクレーの父ちゃんも乗ってましたね。どこのテレビ局かは忘れてしまいましたけど深夜にアクロポリス・ラリーを放送して、バタネン・篠塚さん・マクレーの父ちゃんの3台体制で参加してた番組を覚えています。
モータースポーツの放送っていったらテレ朝だった。東海地区は名古屋テレビだった。ル・マン、パリダカールラリーは夢中になって録画していた。
その番組見ましたバタネンと篠塚が同じチーム?!と驚きました結局レイドではプジョーチーム所属だった事を理由にクビにしましたがだったらソノートに引っ張って欲しかったです
痛い子ほどカワイイの格言のように、車の三菱、バイクのスズキ大好きです。ファーストカーミニキャブ、仕事キャンター、趣味車スタリオンに乗ってます。(コルトギャランも乗ってた)オンリーワン三菱最高!
スタッフにもレジェンドが揃ってましたね。
実はボディーサイズはCT系のベースとなったCS系ランサーセディア とサイズはほぼ同じ
それだけランサーが大きく重くなったって事だ。CB3A セダンからCS5Wセディアワゴンに乗り換えた時に小回りが利かないって思ったから。
‘89、RACラリーの優勝ドライバー、ペンティ・アイリッカラも実はランサーターボに乗ってるんだよなー。しかも競技で。確かイギリス国内選手権のイベントで4位入賞だったと記憶してる。
初代ランサーGSRでもラリーやってた記憶が・・・一度だけ乗せてもらった思い出が
ギャランvr4に一目惚れしたから将来は乗りたいなぁ
VR4は最終モデルの時にAMGパーツ沢山貰って買いましたー後に買ったエボ2より運転しやすかったっす
三菱のターボ車らしく下からトルクが出る速いクルマだったけどとにかく曲がらなかったwランチアデルタとかもそうだけど曲がらない車体を無理矢理ハンドルでねじ伏せるような
VR-4某所のストリートゼロヨンで圧倒的なのがいたよ。
んーサスとロールバーでかなり曲がりますよ
三菱のWRCの復活を期待しています、三菱は欧州向けにコルトの復活があるとネットニュースになっていたので三菱のWRCの復活をラリーファンを待っています。
日本が元気やった善き時代✨三菱他、車のテレビコマーシャルもオシャレでお金かかってたなぁ。今、乗りたい車が無いから嫌々軽四乗ってメインは電車です。電気自動車乗るなら、電車乗ればいい。
初期型のE39乗ってたけど、良い車だった。低速トルクはバカみたいに太いからすぐにタイヤが鳴いた。ロングホイルベースとステアリングの切れ角の無さは都内の駐車場では泣きを見た。空いていても奥のドン付では切り返し不能になって入れられない。あらかじめ入り口からバックとか、諦めるとか。重さの要因の一つにバンパーが樹脂製に見えて、実はスチールに被せてあるだけという今の車のシャシの衝突安全フレームみたいだった。こいつが重いけど丈夫で、樹脂バンパーの車にぶつかってもかすり傷で済んで、相手を完全に潰すという重戦車ブリ。しかし、この重量が効いていたのかトルクとパワーのせいか、クラッチの寿命が5万キロだったのは痛かった。渋滞のタッチアンドゴーは辛かったなあ。
自分は最終のE38に乗ってましたが、クラッチを耐熱性の高いセラメタに替えることは必須でしたね。これをしないと4WD+ターボの優位性が生かせないと言っても過言ではなかったです。 替えてしまえば高回転半クラが使えるので半クラによる倍力効果ですごいダッシュが出来ました。
@@inukoiji E38とはスパルタンですねw初期型のE39は三菱のディーラーの話しでは4G63エンジンに爆弾を抱えていて、オイルポンプのシールが破裂するというリーコールギリの状態だったそうです。案の定自分のも破裂してエンジンルームはオイルまみれになりました。どの生産ラインからかは分からないけど、対策パーツをコッソリとラインに入れ替えて、対策されていないエンジンはコッソリと格安で交換していたらしいですww
お初です!うおぉぉ、懐かしいですなあ!ギャランドゥ、じゃなかった、ギャランVR-4は仲間の弟が乗ってましたが、なかなか速くていい車でしたね。因みに前の地元の隣りのオッサンは、ランサーGSR乗ってましたな。三菱は人気が昔からありますね。因みに愛車は、デリカD5のガソリンです。三菱の歴史について、詳しく解説してますな。ランエボ乗ってた会社の同僚は、二人共盗難にあいましたね、可哀想に。車屋さんの話しでは、イギリスに持ってかれたのではとの事。海外で三菱車大人気ですからね。
VR-4 205ps, 220ps を中古で手に入れて乗りましたが、205psの方が2500rpmからターボがしっかり効いてパワフルに感じましたね。 雪道でも速いし、室内もトランクも広くて実用性も良かったんですよね。
パリダカが有名になったのはカップヌードルとハウンド・ドッグのおかげ。
実家で昔VR-4じゃなくてMXに乗ってましたが、車体かっちりしてて13万km過ぎても全く弛んだ感じ無くガタピシもせず周囲の見切りも良いし運転し易い車でした。外板ベチベチ叩いても日産ホンダマツダよりがっちりしてて分厚い気がした。最後は妹が運転中に信号無視のミキサー車にフロント右側から突っ込まれて御臨終でした。
VR-4乗ってました。懐かしいです。
「日産やトヨタはサファリなんかの国際ラリーで実績をあげて」というなら、同時期に三菱がコルトランサーでサザンクロスやサファリで大活躍したのは「実績」ではないんですか。
サファリ活躍した順は日産→三菱→日産→トヨタですよねえ
自分が最初に乗った車がこれでしたけど、曲がらないギアボックスすぐ壊れるオイルは漏れてるのが普通と、故障耐性が養われた車でしたそのあとはエボ乗ったり普通の車も乗ったけれど今でもまた乗りたくなります乗りた過ぎたので最近ギャランフォルティスを買ってしまうくらい今でもギャランは好きです重量が重すぎてかつての軽快さはないものの、気持ち悪いくらい曲がる走りやすい車です同じギャランでも代替わりすると全く違う車になるのもギャランの面白いとこですねメーカーは形容しようがないくらい嫌いになってしまいましたけどね
良い車でしたよ!! VR-4が買えなくてエテルナVR-4買いました!!(知ってるかなぁ) 当時めちゃくちゃ速かった!! でも燃費が市街地8キロ 高速12キロ
ランタボ(IC無)に乗ってましたがミッションの2〜3間が離れ過ぎててその上弱いので積替えないとと思ってた頃に、VR-4をゼロヨンで初めて見て時代を感じたのは懐かしい思い出。(その後、R32等の本格的な4wd時代が)
VR−4ではないですが、91年型1.8ヴィエントを中古で乗っていました。初めて自分で買ったクルマで、友人からは何でセダンと半ばバカにされていましたが、マッシブな内外装と広々とした室内(特に後席)、低速トルクは薄かったもののしっかり走ってくれたエンジンがお気に入りでした。ただ、買った中古車屋がハズレだったのか購入から4年でエンジントラブルに見舞われ、泣く泣く手放す事に‥。でも、元気な頃の三菱車と出会えた事は、僕にとっては良き思い出となっています。長文、失礼しました。
ギャラン好きだよ♥20パジェロのラリーカッケー(๑•̀ㅂ•́)و✧
VR-4は売れたねぇ
そのせいでAMGが・・・。
パリダカのパジェロはフランスのソノート社が開発運用して、エンジンは2.2Lの4G63、ターボについてはHKSがかかわってた。ギャランに関してはRAE(ラリーアート・ヨーロッパ)が運用、初期のターボはIHIじゃなかったかな。PWM制御の時点でHKSに変更してた記憶が。J.Pフォントネのパジェロに乗ったけどドグミッションだったから軽自動車みたいにクラッチが軽かった。ケネス・エリクソンのギャランはブレーキががっつり左にオフセットしてあって、普通の感覚じゃ乗れなかったっけ。
ブレーキとクラッチの配置が逆になってたと三菱の社員が言ってた
@@LASREPLASMA 逆ではないですね。ua-cam.com/video/wsyllRiuHuU/v-deo.html この動画の53秒当たりから足元の映像があります。クラッチ側にブレーキがついてるのが確認できるかと思います。
モータージャーナリストの星島浩さんがずっとギャランvr4を所有していたし、技術てんこ盛りのこの車を超える車が出てこないと褒めていたのに、三菱で不正事件があってとても残念そうだった
可変バルブ採用のシリウスDASHエンジンを搭載したΣのVRエクストラの事も思い出して欲しいなぁ。
ラリーアートヨーロッパ の木全巌総監督大好き 尊敬してます。NHKBSのWRCの番組で ドライバーに気持良く運転してもらうのが彼らの仕事。ドライバーに気持ちよく運転させるのが我々の仕事。木全監督は人思いで素晴らしい人です。VR-4の4G63形ターボエンジンの乾いたアイドリングと 三菱石油 のロゴのカラーリングは今でもお気に入り。バタネンもいいドライバー。車を壊さないケネス エリクソンも好きなドライバーの一人。
ランサーEXターボでラリ-復活したが、4WD装備してなくてランサーEXでは苦戦した。4WDの時代に変わっていた。
このE30系ギャランだけど、ぢつはFFと4WDではシャシが別物だった。FFではボディとエンジンこそ刷新したけど足周りは実質先代E10系のキャリーオーバーだった。それが4WDではリアダブルウィッシュボーンのマルチリンクとなり、この躍進で一代後からFF車もリアが、ギャランに至っては四輪がマルチリンクを奢った。ギャランがなくなり、GSパッケージでフロントストラット、リアマルチリンクが標準となり今に至る。初代ランサーの時代はリーフリジットが正義みたいだった会社の変貌が窺える。やはり三菱を鍛えるのはラリーという事。先代社長はソレ辞めちゃったからなぁ。
コルト1100の頃からラリー活動してたんじゃ?
そうですよね。この動画の冒頭にアンドリュー コーワンの名前を出してますけど、それより前、三菱がまだフォーミュラーの方に力を入れていてラリー参戦のノウハウがなかった時に木全巌さんが車の作り方から乗り方までラリー参戦のノウハウを教えて三菱のワークスラリー活動が始まったと聞いてます。その時の車がコルトでしたね。
ダグスチュワート(後のラリーアートオーストラリア監督)ですよね
筋肉質な走りに徹したギャラン史上最強車
我が家の最初のツインカムはE35Aの89年後期型のヴィエントでした、本当に良い車でした、早く日産と資本提携を解消して、またE3型を現在にブラッシュアップした新型ギャランを三菱独自開発して、出して欲しいです
15:08確かこの頃パリダカではライバルチーム(ジャン・トッド率いるプジョー)の車に乗っていた様な…三菱側のワークスドライバーの一人が篠塚建次郎だったはず。
バタネンは二つの契約がありパリダカ等レイド競技は三菱パジェロのライバルであるプジョーで参戦しWRCは三菱ギャランで参戦していましたそのためデビュー戦の88年RACではバタネンと篠塚がギャランで参戦一ヶ月後のパリダカではバタネンがプジョー、篠塚は三菱パジェロという日本人からしたら珍事が起きます恐らくクビになったのもこの契約が遠因にあると思いますWRCのギャランでは攻めすぎてリタイヤが多く勝利に繋がらないパリダカでは三菱に立ちはだかりプジョーに勝利を貢献する三菱(日本人)からしたら許せなかったんだと思いますでもそれなら三菱パジェロに乗ってもらえば良かったのにと思います
このギャランはギャランシグマの後継ではなくランサーEXと泣かず飛ばずのトレディアのモデルチェンジ車かとシグマは90年まで一般販売されてタクシーが99年まで売られていました87年にギャランシグマの2000ターボから1600車が生産中止変わりにV6の2000になりました。
三菱ねぇ好きだったけど再起不能だろう
この車、僕が小中学生の頃の時にお父さんが乗ってました。
当時後輩が乗ってたけど全然曲がらんってぼやいてたなあ
三菱は60年代からコルト1000Fや1100Fでサザンクロスラリーに出てますよ。
廃棄された200台分のスタリオン4WDのパーツ…°д°)限定で売れば良かったのに。
Yukkuri 👍
12:15PWM制御ってあまり関係が無さそうな鉄道車両のインバータ制御技術としての方が有名かも…自分はそっちで単語だけは知ってたので。
4WSの話は後編か...
白羽の矢が刺さるw
GT4の初期車にしてたな
ランエボはr32に乗ってたころ後ろからスッと近付かれてあっっっというまにちぎられてから たとえ見た目ノーマルでもエボには近付かなくなったものよ!ランエボの速さはヤバイくれーだったもん!えっ?テメーがポンコツなだけだろ?って?まぁそりゃそうだけどさ!
タイミングベルトが切れるんだよね、車検に入れる半月前にタイミングベルトが切れた、88000キロで、エンジン壊れて廃車です
自分の知り合いも10万kmの結構手前で切れてた。
初代ランサーも。
Galant A112
何だ、GTOの原型じゃないかww
復帰?で又リコール隠しするんだろ?所詮財閥出身
この型のギャランは本当にカッコよかった!いまでも好き!
22歳の時に初めて買った新車がVR-4RS(E38A)でした。購入時はセリカGT-4、レガシーRS-RA、パルサーGT i-Rが候補でした。3年で10万キロダートトライアルにも出場してましたが大きなトラブルなくとても丈夫で速い車でした。その後GC8インプレッサ、ランエボⅤ.ⅨMRに乗り継いでおります。あの時VR-4に乗ったおかげで今でもモータースポーツを続けられていると思っています。
6代目は歴代ギャランの中でもスタイルの良さがずば抜けていると思う。
軽量化された競技モデルのE38AのVR4ですが、最終型を6年落ちで買って未だ乗り続けております❗
大事に乗れよ?
現役でe39a最終モデル乗ってます
大切に乗りたいですね
坂道手間のブレーキングその後アクセル踏み込めば滑る事無くグングン登っていく素晴らしい車です乗り心地満点です長距離疲れませんこれからも乗り続けます
私は30年以上前に新車で乗ってました。
E39の最終型です。
当時はゼロヨン全盛期で、どこでも無敵でしたね。
のちにR32GTRが現れ始めて負けるようになりましたが。
今でももう一回乗ってみたいなとは思いますが、
もういい玉がないし、あっても偉い高いので、
いい思い出に取っておきます。
6代目ギャランのスタイリングは5ナンバーセダンの理想だと思ってる😊
この型のギャラン、カッコいいですよね🎵ライバルだったレガシィ共々、好きでした♥️
E39Aが、初めて自分で買った車です。4G63はトルク太いのでATとの相性も良く、重さにも関わらず街中でもキビキビ走ることが出来る良い車です。今はEC5Aに乗っています。
車に興味を持つきっかけとなった車であり、現愛車でもあります(RSですが)
身近では見かけなくなりましたが、乗ってる方のコメントを見て嬉しくなりました。
動画が二部構成で驚きましたが、後編も楽しみにしています。
アリ・バタネン先生の名言
「ラリーではアクセルは全開か全閉のどちらかしかないんだよ」
その言葉通りのドライバーでした
VR-4で印象に残るのは、1989年の1000湖ラリー。完全にM・エリクソンの実力。最終戦RACラリーのP・アイリッカラの優勝。ライバルの脱落もあったけど地元アイリッカラの作戦勝ち。そして翌年1990年。まずエボリューションモデルの認可が降りての初戦。K・エリクソンのアクロポリス激走!リザルト自体は8位だったけど32SSでトップタイム!TTEのボス“オベ・アンダーソン“が「インチキをしてるっ!」と言ったぐらい“エリクソンショック“と“VR-4ショック“は激しかったらしい。ハイライトは1000湖ラリー!スカンジナビアン以外はこの地で勝たせはしないって言う信念のもとアリ・バタネンとVR-4の激走は激しかった。1000湖で勝ってチャンピオンになりたいC・サインツも普通じゃしない走りで対抗。バタネンも追走してレース自体が完全にこの二人にコントロールされていたらしい。最終レグでスペアタイヤも外してマッドフラップ、その他剥がせる物は全て剥ぎ取って勝負に出たバタネンも力及ばず第2位!3日間走ってその差1秒と少し!ラリーでは異常です。3位もK・エリクソンのVR-4!サインツとの差約5秒弱!これも異常タイム!あん時のギャランはカッコよかったあ!1990年1000湖ラリーのVHF!今でも宝物です。
最後に、Xトラックの初期のトランスファーはサイドレバー引くとFRオンリーになります。ST165が何故ヘアピンでMRみたいな動きをしたか不思議でしたがカラクリを知って納得!
Xトラックミッションは、この80年代後半時点ではラリー界ではまだ新参者だったけど、TTEとRAEでのWRCの実戦経験による相乗効果により、急速にポテンシャルと耐久性が向上していきましたね。
E35Aヴィエントに乗ってました。
これ以降、愛車は軽四にシフトしましたが、よく走るしデザインも優れたいい車でした。
おぉっ!
コイツはあらゆる日本車の中でワシが最も好きなクルマ🎵
もし神様に
「過去の日本車の中で一台だけ選んで新車状態のモノをオマエに授けよう」
と言われたら、迷うこと無くコレを選びますわ~
♪o((〃∇〃o))((o〃∇〃))o♪
後編も楽しみにしてま~す🎵
E3#Aは本当に良い車でしたね。
車遊びを始めた頃A175ランタボを乗っていましたが、ご縁があってギャランのラリー車に乗り換えました。
曲がらないなんて言われてましたが、リアのトラクションが物凄く有って、良いハンドリングでした。
その後CD5Aの1800ランサーが登場してCD CE9Aのエボシリーズに続きますね。
4G##+4WDのパッケージが確立されたのがギャランからでしたから、当初の設計思想が本当に優れていたんだと思います。
CD5Aランサーは、余り光を当てられる事がないですが、当時 ギャラン レガシィ パルサー相手に、海外ラリー経験者が1800ランサーに乗って国内選手権では大活躍していました。
国内外のラリーが盛り上がる時期の楽しい時代ですね。
220psのVR-4に乗っていたよ。黒銀ツートンが良かった。
2人目の子供ができたので3年乗ってスターワゴンに買い替えてしまった。
高速乗っていて3速に落しアクセルを踏み込むとフロントがフッと浮き上がり加速していく。
たまんなかったな~。
ラリーアートのイタボラ製のハンドルだ自慢だった。
ギャランがあったからエボがある
短大の自動車部に在籍していた頃、ディーラーが試乗車としてVR-4を貸してくれたことがあった。ラジオもエアコンもなく、窓は手でくるくるのストイックなモデルだったけど大柄なボディをパワーで強引に引っ張る様はそれまで体験したレビン・トレノ、スターレット、サニーなどとは次元の違う車に見えた。
高速クルーズ時の4ws恩恵か、車線変更時の安定さに誰も言及してない、とにかくいい車でしたよ。
時は1989年まだバブル期が残るこの時期に三菱自動車に入社しWRCでアリ・バタネン選手が優勝した時は社内で大盛り上がりでした。パリ・ダカではの篠塚健次郎(三菱の社員時代)だったこともあり数度お話を伺いました。懐かしい時代でした。
篠塚さんは、冬に清里で雪道講習会を開催しています。
もっとも、コロナ禍と清里に雪がなくて2年連続中止になってます(泣)
アリバタネンは三菱では優勝してないですよ
ギャランの優勝ドライバーは
ミカエルエリクソン、ペンティアイリッカラ、パトリックトウジアック、ケネスエリクソン、篠塚建次郎です
アリバタネンの優勝は、オペルとフォードとプジョーです。
三菱での参戦は、90年の1000湖ラリーの2位が最高です。
スバルでも、93年の1000湖ラリーで2位が最高です。
なにか勘違いをされていると思われます。
当時の三菱って車格違いの同じ様な顔の車が多かったたイメージ、でもこの世代のギャランが一番好き
ギャランVR-4はおじさんが乗ってましたが確か5ナンバーで意外に小さいと思いました
剛性も当時としてはあったんじゃないかなぁ、元気な走りしていました
コーワン総監督も、木全監督も、篠塚健次郎、トミマキネン、ケネスエリクソン、アリバタネン、リチャードバーンズ、ミカエルエリクソンも皆会いました。今でも愛機ですが、ドッシリとして良いラリーカーです。ロールゲージやタワーバー、足回りを変えれば曲がらなくはないです。
38・39ギャランはちょっとした衝撃だったネ。ハイパワーターボ四駆のポテンシャルを、素直に体現したクルマだった。ズレますが…39ギャランのAMGに乗ってた頃がある。AMGは値段がVR-4と同じくらい。速くて実用性もある良いクルマでしたネ。
嘗てE39AギャランVR-4に乗ってました。オーガニックフォルムと呼ばれたボディデザインは、好き嫌いがハッキリしていた車だと思います。
今でも2年に1度は会う大学時代の友人にも乗ってるお前さんには悪いけど、俺はこのギャランのデザインは好きにはなれないが、後部座席の
座り心地とヘッドクリアランスの高さは最高に良いセダンだと褒めてた事を今でも思い出します。
120km/h以上の速度で走らせると燃費が悪化するのは玉に瑕でしたが、それ以外には非の打ち所がない車でしたよ。
親戚の葬式とかにも何度か駆り出されましたが、後部座席の頭上に余裕があるせいか、乗った人は皆一様にタクシーよりも乗り降りしやすいと絶賛されました。
サーキットレースに於いてもギャランVR-4もランエボもスーパー耐久レースでGT-Rを下して総合優勝してしまいました。ランエボに至ってはポルシェまでも軍門に下ってましたからね。
この型のギャラン、FF2リッターのグレードMXを父が乗っていて、逆スラントのフロントノーズとドアのS字のプレスラインがスゴくカッコよかったのを覚えています
オイラも乗ってましたよMX。思ってたよりも乗りやすくて運転が楽でした。
その後H27Aミニカに乗ったりもしましたが、今はCP9A(6)に乗ってます。お財布に厳しいけれど、乗ってて楽しいです。憧れであり夢だったから。w
220psの38RSに乗ってました。とにかくまっすぐ走るクルマで全然曲がらなかったけどドリフトさせると安定感が最高でした。39も何台か乗ったけど38は別物だった。日本車では一番好きです。
懐かしいなぁ。
ギャランVR-4。
シノケンがガンガン走ってたなぁ。
三菱重工の駐車場はほぼギャランやらパジェロやらだったよ(*^^*)
アンドリュー•コーワン(三菱)とオベ・アンダーソン(豊田)は俺の時代の“神”でしたから(-_-)ノシ
グランツーリスモだと直線番長な印象あるけど、ドッカンターボが楽しいVR4は一時代築いた名車だと思う。
エボリューションなんとかみたいに名前は付かなかったけど実はギャランも毎年進化してたんだよね。
1987VR-4RS205馬力から始まって
↓
1988VR-4RS205馬力クロス
↓
1989VR-4RS220馬力&15インチブレーキ
↓
1990VR-4RS240馬力
秋ぐらいに出てたんで、オールスターダートトライアルに納車から突貫で作ってデビューとか。
三菱のラリーのイメージだと艶消しブラックボンネットの初代ランサーからだなあ
1:32
その日産自動車のラリー参戦車両の耐久試験を担当したドライバーの一人が後のチームインパル代表星野一義だったりしますね。
長谷見昌弘御大もそうでしたね。星野一義御大と共にモトクロスライダー時代のノウハウがあればこそでしたね。
初めて乗った車です。親父のおさがりでした。ずっと乗ってれば良かったと後悔してます。
WRCだけ
でなくN1(現スーパー耐久) にも出場してたなぁ‼️
その時代の三代目ランサーはあまりモータースポーツのイメージが無く、ミラージュの方はサーキットレースのミラージュカップのイメージが強かった。
三菱は篠塚健次郎のイメージ強い
特別仕様車のEXEの名付け親でしたっけ?
0:59からの解説で70年代からと話されていますが、正確には、67年10月にコルト800オーストラリア輸出の為の耐久テストを兼ねたサザンクロスラリー出場が始まりです。
成績が良かった為にラリー向きとわかった三菱重工は、次モデルであるコルト1500もラリーに出場させて、2005年までラリー活動を続けていくことになったのです。
我が愛機‼️E39Aの解説❗ありがとうございます❗
ST165・E39Aを乗っていたが、まずノーマルベースでST165はボディ剛性・MTとも完成度がいまいち❗
E39A(エテルナ使用)ボディ剛性・MTは完成度は良かったが足回り柔らか過ぎてブレーキがカックンブレーキが問題があったがストリートショック替えると改善したがガチガチセットでなく柔らかめのほうがコントロールしやすくなりストラットバー追加でフロント剛性が上がりより扱い易いマシンとなった‼️🐶
240馬力になったVR4 雑誌で曲がらない 重いとか酷評されたしたが 普段の使用なら最高傑作です! RS用のクロスミッション オイルクーラー サイドドアビーム標準装備
乗り心地は楽 VR4は始めから普段乗りの設定で出してますから 購入して長く乗ってる方多かったです
ランエボと共に最高傑作の車です
VR-4、私の中で。三菱での名車です!
この頃の三菱車は好きでした
1989年はレギュラーのバタネンと1000湖優勝のミカエル・エリクソンの他に篠塚建次郎さんとコリン・マクレーの父ちゃんも乗ってましたね。
どこのテレビ局かは忘れてしまいましたけど深夜にアクロポリス・ラリーを放送して、バタネン・篠塚さん・マクレーの父ちゃんの3台体制で参加してた番組を覚えています。
モータースポーツの放送っていったらテレ朝だった。東海地区は名古屋テレビだった。
ル・マン、パリダカールラリーは夢中になって録画していた。
その番組見ました
バタネンと篠塚が同じチーム?!と驚きました
結局レイドではプジョーチーム所属だった事を理由にクビにしましたが
だったらソノートに引っ張って欲しかったです
痛い子ほどカワイイの格言のように、車の三菱、バイクのスズキ大好きです。
ファーストカーミニキャブ、仕事キャンター、趣味車スタリオンに乗ってます。(コルトギャランも乗ってた)
オンリーワン三菱最高!
スタッフにもレジェンドが揃ってましたね。
実はボディーサイズはCT系のベースとなったCS系ランサーセディア とサイズはほぼ同じ
それだけランサーが大きく重くなったって事だ。CB3A セダンからCS5Wセディアワゴンに乗り換えた時に小回りが利かないって思ったから。
‘89、RACラリーの優勝ドライバー、ペンティ・アイリッカラも実はランサーターボに乗ってるんだよなー。しかも競技で。
確かイギリス国内選手権のイベントで4位入賞だったと記憶してる。
初代ランサーGSRでもラリーやってた記憶が・・・一度だけ乗せてもらった思い出が
ギャランvr4に一目惚れしたから将来は乗りたいなぁ
VR4は最終モデルの時にAMGパーツ沢山貰って買いましたー後に買ったエボ2より運転しやすかったっす
三菱のターボ車らしく下からトルクが出る速いクルマだったけど
とにかく曲がらなかったw
ランチアデルタとかもそうだけど曲がらない車体を無理矢理ハンドルでねじ伏せるような
VR-4某所のストリートゼロヨンで圧倒的なのがいたよ。
んーサスとロールバーでかなり曲がりますよ
三菱のWRCの復活を期待しています、三菱は欧州向けにコルトの復活があるとネットニュースになっていたので三菱のWRCの復活をラリーファンを待っています。
日本が元気やった善き時代✨
三菱他、車のテレビコマーシャルもオシャレでお金かかってたなぁ。
今、乗りたい車が無いから嫌々軽四乗ってメインは電車です。
電気自動車乗るなら、電車乗ればいい。
初期型のE39乗ってたけど、良い車だった。低速トルクはバカみたいに太いからすぐにタイヤが鳴いた。
ロングホイルベースとステアリングの切れ角の無さは都内の駐車場では泣きを見た。空いていても奥のドン付では切り返し不能になって入れられない。あらかじめ入り口からバックとか、諦めるとか。
重さの要因の一つにバンパーが樹脂製に見えて、実はスチールに被せてあるだけという今の車のシャシの衝突安全フレームみたいだった。こいつが重いけど丈夫で、樹脂バンパーの車にぶつかってもかすり傷で済んで、相手を完全に潰すという重戦車ブリ。
しかし、この重量が効いていたのかトルクとパワーのせいか、クラッチの寿命が5万キロだったのは痛かった。渋滞のタッチアンドゴーは辛かったなあ。
自分は最終のE38に乗ってましたが、クラッチを耐熱性の高いセラメタに替えることは必須でしたね。これをしないと4WD+ターボの優位性が生かせないと言っても過言ではなかったです。 替えてしまえば高回転半クラが使えるので半クラによる倍力効果ですごいダッシュが出来ました。
@@inukoiji E38とはスパルタンですねw初期型のE39は三菱のディーラーの話しでは4G63エンジンに爆弾を抱えていて、オイルポンプのシールが破裂するというリーコールギリの状態だったそうです。案の定自分のも破裂してエンジンルームはオイルまみれになりました。どの生産ラインからかは分からないけど、対策パーツをコッソリとラインに入れ替えて、対策されていないエンジンはコッソリと格安で交換していたらしいですww
お初です!うおぉぉ、懐かしいですなあ!ギャランドゥ、じゃなかった、ギャランVR-4は仲間の弟が乗ってましたが、なかなか速くていい車でしたね。因みに前の地元の隣りのオッサンは、ランサーGSR乗ってましたな。三菱は人気が昔からありますね。因みに愛車は、デリカD5のガソリンです。三菱の歴史について、詳しく解説してますな。ランエボ乗ってた会社の同僚は、二人共盗難にあいましたね、可哀想に。車屋さんの話しでは、イギリスに持ってかれたのではとの事。海外で三菱車大人気ですからね。
VR-4 205ps, 220ps を中古で手に入れて乗りましたが、205psの方が2500rpmからターボがしっかり効いてパワフルに感じましたね。 雪道でも速いし、室内もトランクも広くて実用性も良かったんですよね。
パリダカが有名になったのはカップヌードルとハウンド・ドッグのおかげ。
実家で昔VR-4じゃなくてMXに乗ってましたが、車体かっちりしてて13万km過ぎても全く弛んだ感じ無くガタピシもせず周囲の見切りも良いし運転し易い車でした。外板ベチベチ叩いても日産ホンダマツダよりがっちりしてて分厚い気がした。
最後は妹が運転中に信号無視のミキサー車にフロント右側から突っ込まれて御臨終でした。
VR-4乗ってました。懐かしいです。
「日産やトヨタはサファリなんかの国際ラリーで実績をあげて」というなら、同時期に三菱がコルトランサーでサザンクロスやサファリで大活躍したのは「実績」ではないんですか。
サファリ活躍した順は
日産→三菱→日産→トヨタですよねえ
自分が最初に乗った車がこれでしたけど、曲がらないギアボックスすぐ壊れるオイルは漏れてるのが普通と、故障耐性が養われた車でした
そのあとはエボ乗ったり普通の車も乗ったけれど今でもまた乗りたくなります
乗りた過ぎたので最近ギャランフォルティスを買ってしまうくらい今でもギャランは好きです
重量が重すぎてかつての軽快さはないものの、気持ち悪いくらい曲がる走りやすい車です
同じギャランでも代替わりすると全く違う車になるのもギャランの面白いとこですね
メーカーは形容しようがないくらい嫌いになってしまいましたけどね
良い車でしたよ!! VR-4が買えなくてエテルナVR-4買いました!!(知ってるかなぁ) 当時めちゃくちゃ速かった!! でも燃費が市街地8キロ 高速12キロ
ランタボ(IC無)に乗ってましたがミッションの2〜3間が離れ過ぎててその上弱いので積替えないとと思ってた頃に、VR-4をゼロヨンで初めて見て時代を感じたのは懐かしい思い出。(その後、R32等の本格的な4wd時代が)
VR−4ではないですが、91年型1.8ヴィエントを中古で乗っていました。
初めて自分で買ったクルマで、
友人からは何でセダンと半ばバカにされていましたが、マッシブな内外装と広々とした室内(特に後席)、低速トルクは薄かったもののしっかり走ってくれたエンジンがお気に入りでした。
ただ、買った中古車屋がハズレだったのか購入から4年でエンジントラブルに見舞われ、泣く泣く手放す事に‥。
でも、元気な頃の三菱車と出会えた事は、僕にとっては良き思い出となっています。
長文、失礼しました。
ギャラン好きだよ♥
20パジェロのラリー
カッケー(๑•̀ㅂ•́)و✧
VR-4は売れたねぇ
そのせいでAMGが・・・。
パリダカのパジェロはフランスのソノート社が開発運用して、エンジンは2.2Lの4G63、ターボについてはHKSがかかわってた。ギャランに関してはRAE(ラリーアート・ヨーロッパ)が運用、初期のターボはIHIじゃなかったかな。PWM制御の時点でHKSに変更してた記憶が。
J.Pフォントネのパジェロに乗ったけどドグミッションだったから軽自動車みたいにクラッチが軽かった。ケネス・エリクソンのギャランはブレーキががっつり左にオフセットしてあって、普通の感覚じゃ乗れなかったっけ。
ブレーキとクラッチの配置が逆になってたと三菱の社員が言ってた
@@LASREPLASMA 逆ではないですね。
ua-cam.com/video/wsyllRiuHuU/v-deo.html この動画の53秒当たりから足元の映像があります。
クラッチ側にブレーキがついてるのが確認できるかと思います。
モータージャーナリストの星島浩さんがずっとギャランvr4を所有していたし、技術てんこ盛りのこの車を超える車が出てこないと褒めていたのに、三菱で不正事件があってとても残念そうだった
可変バルブ採用のシリウスDASHエンジンを搭載したΣのVRエクストラの事も思い出して欲しいなぁ。
ラリーアートヨーロッパ の木全巌総監督大好き 尊敬してます。NHKBSのWRCの番組で ドライバーに気持良く運転してもらうのが彼らの仕事。ドライバーに気持ちよく運転させるのが我々の仕事。木全監督は人思いで素晴らしい人です。VR-4の4G63形ターボエンジンの乾いたアイドリングと 三菱石油 のロゴのカラーリングは今でもお気に入り。
バタネンもいいドライバー。車を壊さないケネス エリクソンも好きなドライバーの一人。
ランサーEXターボでラリ-復活したが、4WD装備してなくてランサーEXでは苦戦した。4WDの時代に変わっていた。
このE30系ギャランだけど、
ぢつはFFと4WDではシャシが別物だった。
FFではボディとエンジンこそ刷新したけど足周りは実質先代E10系のキャリーオーバーだった。
それが4WDではリアダブルウィッシュボーンのマルチリンクとなり、この躍進で一代後からFF車もリアが、ギャランに至っては四輪がマルチリンクを奢った。
ギャランがなくなり、GSパッケージでフロントストラット、リアマルチリンクが標準となり今に至る。
初代ランサーの時代はリーフリジットが正義みたいだった会社の変貌が窺える。
やはり三菱を鍛えるのはラリーという事。
先代社長はソレ辞めちゃったからなぁ。
コルト1100の頃からラリー活動してたんじゃ?
そうですよね。この動画の冒頭にアンドリュー コーワンの名前を出してますけど、それより前、三菱がまだフォーミュラーの方に力を入れていてラリー参戦のノウハウがなかった時に木全巌さんが車の作り方から乗り方までラリー参戦のノウハウを教えて三菱のワークスラリー活動が始まったと聞いてます。その時の車がコルトでしたね。
ダグスチュワート(後のラリーアートオーストラリア監督)ですよね
筋肉質な走りに徹したギャラン史上最強車
我が家の最初のツインカムはE35Aの89年後期型のヴィエントでした、本当に良い車でした、早く日産と資本提携を解消して、またE3型を現在にブラッシュアップした新型ギャランを三菱独自開発して、出して欲しいです
15:08
確かこの頃パリダカではライバルチーム(ジャン・トッド率いるプジョー)の車に乗っていた様な…三菱側のワークスドライバーの一人が篠塚建次郎だったはず。
バタネンは二つの契約があり
パリダカ等レイド競技は三菱パジェロのライバルであるプジョーで参戦し
WRCは三菱ギャランで参戦していました
そのためデビュー戦の88年RACではバタネンと篠塚がギャランで参戦
一ヶ月後のパリダカではバタネンがプジョー、篠塚は三菱パジェロという
日本人からしたら珍事が起きます
恐らくクビになったのもこの契約が遠因にあると思います
WRCのギャランでは攻めすぎてリタイヤが多く
勝利に繋がらない
パリダカでは三菱に立ちはだかりプジョーに勝利を貢献する
三菱(日本人)からしたら許せなかったんだと思います
でもそれなら三菱パジェロに乗ってもらえば良かったのにと思います
このギャランはギャランシグマの後継ではなくランサーEXと泣かず飛ばずのトレディアのモデルチェンジ車かとシグマは90年まで一般販売されてタクシーが99年まで売られていました87年にギャランシグマの2000ターボから1600車が生産中止変わりにV6の2000になりました。
三菱ねぇ
好きだったけど再起不能だろう
この車、僕が小中学生の頃の時にお父さんが乗ってました。
当時後輩が乗ってたけど全然曲がらんってぼやいてたなあ
三菱は60年代からコルト1000Fや1100Fでサザンクロスラリーに出てますよ。
廃棄された200台分のスタリオン4WDのパーツ…°д°)
限定で売れば良かったのに。
Yukkuri 👍
12:15
PWM制御ってあまり関係が無さそうな鉄道車両のインバータ制御技術としての方が有名かも…自分はそっちで単語だけは知ってたので。
4WSの話は後編か...
白羽の矢が刺さるw
GT4の初期車にしてたな
ランエボはr32に乗ってたころ後ろからスッと近付かれてあっっっというまにちぎられてから たとえ見た目ノーマルでも
エボには近付かなくなったものよ!ランエボの速さはヤバイくれーだったもん!
えっ?テメーがポンコツなだけだろ?って?まぁそりゃそうだけどさ!
タイミングベルトが切れるんだよね、車検に入れる半月前にタイミングベルトが切れた、88000キロで、エンジン壊れて廃車です
自分の知り合いも10万kmの結構手前で切れてた。
初代ランサーも。
Galant A112
何だ、GTOの原型じゃないかww
復帰?で又リコール隠しするんだろ?所詮財閥出身