Japanese National Railways Tohoku Main Line, etc. (1985 Summer) Near Higashi Jujo Station Series 4
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- Опубліковано 1 лют 2023
- Thank you for watching. -Series 4 contains 30 Wham 80000 two-axle wagons, which are now towed by EF65, and a freight train towed by EF64. In addition, it captures the EF65 towed passenger train and the EF81 towed "Expo Liner". This is a video taken in 1985 with a high-band beta movie.
#EF65 Traction Wham 80000
#EF64 Towing Luggage Train
#EF81 Towing expo liner - Авто та транспорт
新特急なすの号、久喜~上野まで、良く乗ってました~‼️凄く懐かしいですね‼️♥️
コメントありがとうございます。
お楽しみいただけたようで何よりです。
1:53付近からのEF65PF前期+マニ50+14系寝台+座席の編成は急行「能登」ですね。
客車時代の急行「能登」は高二や田端のEF62のイメージが強いですが、そのEF62が転籍する迄の1985年3月から1986年10月迄の1年半だけ上野〜高崎間のみ田端のEF65前期型が担当したレアな運用でしたね。
コメントありがとうございます。
説明文に追加記載させていただきます。
貴重かつ詳細な情報ありがとうございました。
@@ZIPANG1067
序でに「能登」の後に来た同じく前期PFとマニ、14系座席車の編成は急行「八甲田」ですね。
こちらは93年のダイヤ改正迄上野〜黒磯間を前期PFが担当してましたね。
ありがとうございます。
こちらも追加記載させていただきます。
@@captain-pikasama ↑この動画の頃、その「八甲田」で北海道に向かったオッサン😁
能登っぽいけど、EF65なので八甲田か、おがか?
と思いましたが、解決しました。
ありがとうございます。
前編の東十条③では「新型車輛に食指が動かず」みたいなコメントをしてしまいましたが、改めて見ると「国鉄型」は型も色も端正ですね。無くなって初めて、その良さが分かろと言う事です。EF65の単機回送の重々しいジョイント音、機関車のみの「足音」は迫力満点です!
コメントありがとうございます。
無くなってからその良さに気付くことは、意外と多いかもしれませんね。
♪失うとき初めて、眩しかった時を知るの😁
後半に出てくる新特急は走り始めた頃でしょうか。特急といえば485系の系列が当たり前だと思っていましたから、子供ながらに「これが特急?」と思ったのを覚えています。
コメントありがとうございます。
1982年から新幹線上野駅開業まで、「新幹線リレー号」として運用されていましたが、1985年3月で役目が終了。新特急として走り始めた年の夏、ということになるかもしれませんね。
にわかファン的推察なので、詳しい方のコメント待ちですね。
『星丸マーク』の『エキスポライナー』で 時代がわかります。
103系や115系のクーラーからはドレン水が出ているので 現代の夏ほどではないにしろ暑かったのもわかります。
京浜東北線は やっぱり中間の3〜4両が非冷房ですね。
コメントありがとうございます。
エキスポライナーのヘッドマークは、『コスモ星丸』というキャラクターがベースになっているようですね。
そういえば、つくば科学万博やってましたね
この頃のL特急やブルトレは編成が長いのでカレチは大変だったでしょうね…
コメントありがとうございます。
『カレチ』が分からず、検索してしまいました。
なるほど、合点がいきました。
@@ZIPANG1067
乗客の女性がカレチと仲良くなったら、カレシになりますね。w
優等列車は車掌3人乗務とかが普通の時代でしたね
安心感がありました
ワムの最後尾にヨが連結されていないのは、この頃は違和感がありましたね。
コメントありがとうございます。
尻切れトンボという感じですよね。
@@ZIPANG1067
飾りじゃないのよ♪ 赤い反射版…
189系あさまの4両目のパンタ下がってるのは何でだ!?
コメントありがとうございます。
省エネ? とかですかね。詳しい方のコメント待ちでしょうか。
@@ZIPANG1067
1ユニット故障の為に、パンタ降下しているのではと思います。
当時小2でした
コメントありがとうございます。
自分が小学校2年生の頃の記憶は、あまり無いですね。
覚えているのは、そろばん塾に通ってたぐらいですかね。
@@ZIPANG1067
そうですね
国鉄末期でしたが最寄駅の八高線箱根ヶ崎駅では、窓口で手書きのきっぷ(長距離の乗車券や指定席特急券)を売っていました
近距離きっぷの自動券売機もまだ設置されておらず、窓口で硬券も売ってました
夏休みに母と新潟の実家に帰省する何日か前、上越新幹線のきっぷを一緒に買いに行った覚えがあります
その時は駅係員がどこかに電話して指定席をとった後、手書きによりきっぷを作ってました
八高線の八王子〜高麗川はその数年前にCTC化されていたので、当時の駅業務は「日本交通観光社」の社員が行っていた気がします(名札を見た記憶あり)
ちなみにCTC化されタブレット交換をしなくなった為だと思うのですが、駅舎からホームへの構内踏切が廃止され、新たに跨線橋が掛けられ面倒になった思い出もあります
国鉄時代とはいえ、東京都八王子市でも手書きの切符ですか。
読む内にそのやり取りが、モノクロでイメージされてしまいました。
この時の夏に群馬県で悲しい事故がありましたね…
けど、秋には所沢でお祭り騒ぎがありました。
当時高2でした😁