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生きてたら確実に歴史は違っていたでしょうな。あと、個人的に最後のパソコンで編集を行う周瑜が好きです笑
ボリューム満載の動画ありがとうございます。曹操は孫策を警戒こそしましたが、郭嘉をして軽率な行動により暗殺されることになると予言しその通りになってしまいました。長江という地勢的な条件もありましたが孫策には陳登、孫権には張遼、孫亮以降は羊祜などの傑物に北上を阻まれ、ついに天下を伺うことすら出来なかった。大将が孫策でかつ、官渡の戦いの頃が本当にワンチャンだったんですよね。
26歳で亡くなっているのに解説動画が約50分!!こんなところからも偉大さがわかりますね
孫策が長生きしてればなぁ
孫策も世の中が見えすぎていた1人世の中からすると動きが早すぎたんやな……あと、尾崎豊と享年一緒なんやね(関係ないけど)
太史慈は兵卒と二人で偵察に出ている。『時獨與一騎卒遇策。』これは自分と一騎卒(兵卒)と共に孫策に遭遇したと言う意味だから二人になる。
容姿も良く戦に強く本人も強く頭が良くて人としての魅力もあって…そりゃ早死するよね!
陶謙というか、陶謙領の徐州は結構怖いところだったのですね。袁術も最初はいい君主でしたね
兵を率いても、個人の強さも半端なかったと思う。孫堅、孫策がもし生きていたら呉は最強だったかも。孫策は個人の戦闘能力は呂布も関羽も張飛よりも強かったかも
もし孫策が存命だったら赤壁でもノリノリで参戦してたんかな?
孫策なら徹底抗戦、曹操が警戒するほどの才気をもっているので、呉は史実以上に手強くなっているかもしれませんね!ただ、孫策が在命なら曹操も最大限の警戒をするでしょうから、万全な状態になるまで攻めないとか、史実通りに開戦しても計略や奇襲などを警戒して史実通りの完勝は難しかったかもしれません!
江東の小覇王というのは上奏文の内容からとられたものなんですかね
小覇王といわれた孫策はだてじゃないよね
すごく、分かりやすくありがとうございます。是非、蜀漢の「姜維」をリクエストします。宜しくお願いします。
孫策さんは、勇猛で、優れた人物ですが、残忍に反抗した人物の3族皆殺しにした為に、多数の怨みをかって、暗殺されてしまいました。曹操さんも、似たような事をしたのに、生き残るのは、歴史の皮肉と云うべきなのでしょうか…
皮肉では無いだろ父親もそうだが死ぬべくして死んだ、自分の身を守る事が出来なかっただけ😅
歴史の皮肉ではない。当人のスケールの大きさの違いだ。孫策に曹操のような用心深さがなかった。曹操は窮地に何度も陥ったが、典韋や許褚など優れた親衛隊たちの活躍や本人の優れた状況判断によって逃れることができた。だが孫策は苛烈に攻めることができても自信や軽率から自分を守ることにおいて知恵が及ばなかったということだ。
@@Fahrenheit76 なるほど。たしかに。勉強になります。
@@ふなたく 従者を置いてくほど狩に夢中になったところを狙われたから、そうですね。💦
呉に、郭嘉のような智謀の士がいなかったのも原因でしょうね。命を狙われているのにも関わらず軽率な行動をとる孫策の危うさに気づく将がいたのなら、孫策に諫言するなり、周泰のような人間を護衛につけて最優先で孫策を守らせていたのなら、郭嘉の読み通りに死ぬ事はなかったでしょうから(^_^;)
すごい用兵家ではあるけど、やっぱり陸康を攻めた際の虐殺はまずかったなぁ。もちろん袁術って愚物の下にいたんでしょうがない面はあるけど
孫策の勇猛さや機転等は確かだったでしょうけど、自身の安全の確保や、余計な恨みを生まないように配慮する等、主君としての基本的な守りを軽んじているのが曹操との違いですね。それに曹操は人材を得る手腕が孫策以上にあったでしょうし、人材のレベルも孫策陣営との差は歴然でしょう。実際に、「孫策は君主としての資質に欠ける男。所詮は時間とともに自滅する」と曹操達に思われていたんじゃないでしょうか。
寡兵とは兵力が少ないと言う意味。こういう時は募兵か徴兵の語を使います。募兵は志願者で徴兵は強制です。
死ぬとき虚空に向かって剣を振りかざし、于吉にそれはじぶん自身が作り出した敵、いわば幻影だと嘲弄され傷口が開いて死んだというあほ過ぎる話が好き三国無双などのゲームでは呉の武将はちんぴら風に描かれているが、呉下の阿蒙なんて言葉が残ってるし中国の南の方の人はそういう人が多かったのかもしれないね甘寧を倒した沙摩柯が多少勉強すると孫策風の人間になるのかも
親父の孫堅と比べたらどちらが優秀だったのかな?
圧倒的に息子
孫策は信長と似ているような気がする。
生きてたら確実に歴史は違っていたでしょうな。
あと、個人的に最後のパソコンで編集を行う周瑜が好きです笑
ボリューム満載の動画ありがとうございます。
曹操は孫策を警戒こそしましたが、郭嘉をして軽率な行動により暗殺されることになると予言しその通りになってしまいました。長江という地勢的な条件もありましたが孫策には陳登、孫権には張遼、孫亮以降は羊祜などの傑物に北上を阻まれ、ついに天下を伺うことすら出来なかった。大将が孫策でかつ、官渡の戦いの頃が本当にワンチャンだったんですよね。
26歳で亡くなっているのに解説動画が約50分!!
こんなところからも偉大さがわかりますね
孫策が長生きしてればなぁ
孫策も世の中が見えすぎていた1人
世の中からすると動きが早すぎたんやな……
あと、尾崎豊と享年一緒なんやね
(関係ないけど)
太史慈は兵卒と二人で偵察に出ている。
『時獨與一騎卒遇策。』
これは自分と一騎卒(兵卒)と共に孫策に遭遇したと言う意味だから二人になる。
容姿も良く戦に強く本人も強く頭が良くて人としての魅力もあって…そりゃ早死するよね!
陶謙というか、陶謙領の徐州は結構怖いところだったのですね。
袁術も最初はいい君主でしたね
兵を率いても、個人の強さも半端なかったと思う。孫堅、孫策がもし生きていたら呉は最強だったかも。孫策は個人の戦闘能力は呂布も関羽も張飛よりも強かったかも
もし孫策が存命だったら赤壁でもノリノリで参戦してたんかな?
孫策なら徹底抗戦、曹操が警戒するほどの才気をもっているので、呉は史実以上に手強くなっているかもしれませんね!
ただ、孫策が在命なら曹操も最大限の警戒をするでしょうから、万全な状態になるまで攻めないとか、史実通りに開戦しても計略や奇襲などを警戒して史実通りの完勝は難しかったかもしれません!
江東の小覇王というのは上奏文の内容からとられたものなんですかね
小覇王といわれた孫策はだてじゃないよね
すごく、分かりやすくありがとうございます。
是非、蜀漢の「姜維」をリクエストします。
宜しくお願いします。
孫策さんは、勇猛で、優れた人物ですが、残忍に反抗した人物の3族皆殺しにした為に、多数の怨みをかって、暗殺されてしまいました。曹操さんも、似たような事をしたのに、生き残るのは、歴史の皮肉と云うべきなのでしょうか…
皮肉では無いだろ父親もそうだが死ぬべくして死んだ、自分の身を守る事が出来なかっただけ😅
歴史の皮肉ではない。当人のスケールの大きさの違いだ。孫策に曹操のような用心深さがなかった。曹操は窮地に何度も陥ったが、典韋や許褚など優れた親衛隊たちの活躍や本人の優れた状況判断によって逃れることができた。だが孫策は苛烈に攻めることができても自信や軽率から自分を守ることにおいて知恵が及ばなかったということだ。
@@Fahrenheit76 なるほど。たしかに。勉強になります。
@@ふなたく 従者を置いてくほど狩に夢中になったところを狙われたから、そうですね。💦
呉に、郭嘉のような智謀の士がいなかったのも原因でしょうね。
命を狙われているのにも関わらず軽率な行動をとる孫策の危うさに気づく将がいたのなら、孫策に諫言するなり、周泰のような人間を護衛につけて最優先で孫策を守らせていたのなら、郭嘉の読み通りに死ぬ事はなかったでしょうから(^_^;)
すごい用兵家ではあるけど、やっぱり陸康を攻めた際の虐殺はまずかったなぁ。もちろん袁術って愚物の下にいたんでしょうがない面はあるけど
孫策の勇猛さや機転等は確かだったでしょうけど、
自身の安全の確保や、余計な恨みを生まないように配慮する等、主君としての基本的な守りを軽んじているのが曹操との違いですね。
それに曹操は人材を得る手腕が孫策以上にあったでしょうし、人材のレベルも孫策陣営との差は歴然でしょう。
実際に、「孫策は君主としての資質に欠ける男。所詮は時間とともに自滅する」と曹操達に思われていたんじゃないでしょうか。
寡兵とは兵力が少ないと言う意味。
こういう時は募兵か徴兵の語を使います。募兵は志願者で徴兵は強制です。
死ぬとき虚空に向かって剣を振りかざし、于吉にそれはじぶん自身が作り出した敵、いわば幻影だと嘲弄され傷口が開いて死んだというあほ過ぎる話が好き
三国無双などのゲームでは呉の武将はちんぴら風に描かれているが、呉下の阿蒙なんて言葉が残ってるし中国の南の方の人はそういう人が多かったのかもしれないね
甘寧を倒した沙摩柯が多少勉強すると孫策風の人間になるのかも
親父の孫堅と比べたらどちらが優秀だったのかな?
圧倒的に息子
孫策は信長と似ているような気がする。