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2:38 この写真後ろの車が疾走感にあふれてて好き
この車めっちゃ丸っこくて可愛いからすこ
このデザインなら現代でもスズキや三菱で発売されてもおかしくはない。ってかパジェロミニで似たようなデザインの車が発売されてたよね?
同感😂可愛い😊
ヤンキー共は「プアマンズ・ジープ」と呼んでたが、一方で鹵獲車両は使い倒したと…
くろがね四起ですね。日本国内てかつて日本内燃機の代理店をしていた方が納屋に保管していたのを、クラファンで復活させましたね(1300万円かかったとか)。しかし保管状態は良くなく部品はほとんど新造したとか。グリル上のエンブレムに縦に「くろがね」と書いてあります。
NPO法人 防衛技術博物館を創る会が所有する車両ですね。修復費用は最終的にクラファンの1,300万円を含む2,000万円以上がかかっています。出来るだけ当時の部品を活かして修復したために費用がかかってしまいましたが、エンジンは9割が当時の部品を使用し、ドアも7割程が当時の鉄板が残されているようです。鉄屑同然のボロボロな状態から、新車同然に修復した職人さんやメカニックの皆さんには脱帽です。
戦後最初の軽自動車の規格は全長2.8m幅1m高さ2m150cc(4サイクル)と本車よりも更に小さいものでした。当時の日本人には本車が小型車の基準で、軽自動車の規格はこれよりも小さくなければならなかったのだと思われます。
じいちゃんは馬で出勤していたが、腰を悪くしてから、これに乗って出金していた。関東軍の経理左官だったし。
この車輌 知波単学園の福ちゃんが大洗町の某お好み焼き店の駐車場に止めていたであります!
ありがちな軍部からの過大な要求がなかったのも幸いだったのかもしれませんね。何しろ戦前(昭和15年頃)の日本の自動車保有数が5万台程度でしたからね(ちなみにアメリカは約2900万台)当時の日本の国情に合った軍用自動車だったと思います。だからこそちゃんと活躍できたのかと。
陸軍は割り切りが良かったが海軍はあれもこれもと柔軟性に欠けた。
映画「硫黄島からの手紙」で栗林中将に対し部下が「視察にジープを使いますか?」と聞くシーンがありますが、本来なら「くろがねを使いますか?」と言うべきでした。もっとも硫黄島で実際にくろがねが運用されていたとしても、よほどのミリオタでない限り観客には何のことか分からないので、映画的には仕方なかったのでしょうね。
当時の人から聞いた話では戦時中(昭和20年初め頃か)既に国内でも民間人にもジープという言い方は広まっていた様です。
@@gamopy 将校が将官に対して使う言葉じゃない
今だと乗務員保護が最重要視されるから生まれてこないんだろうな小さくてこんな可愛い軍用車
インド軍のようにスズキのジムニーを採用して、独自に開発する可能性は低いです。
汎用軽機動車もちっこくて可愛いよ
この時期でパートタイム4WD方式を採用してた時点で凄いなあと。そりゃあ後発のジープのように人や荷物が積めて、武装が追加できてフルタイム4WDの方が優れているけど...それでも国産でここまで作れたのは当時としては立派だと思う。これが後にジープ/パジェロの血が入るけど、73式小型トラックのご先祖様と考えると、感慨深いですねぇ。
フルタイム全駆だとパートタイム全駆より複雑になる等で、優れているとは言えないべ?
Jeepもパートタイムですよ。ただし、Jeepは副変速機もあってHi-Lo切り替えができるので、くろがね四起よりも悪路走破性が高いです。それでもくろがね四起が画期的な車両だったことは間違いありませんが。73式小型トラックはJeepのライセンス生産版の三菱ジープ、もしくはその乗用性能進化版であるパジェロの系譜なので、アメリカのJeepがご先祖様ですね。くろがね四起はあくまで四輪駆動「乗用車」ですので、どちらかと言えばレオーネとかに繋がりそうです。
丸っこくて可愛いデザイン
「兵器」でありながら みんなを笑顔にするステキな車ですね
これ確か生産終了間際には、前線からの要求でピックアップトラック型も生産されたとか。やはり積載能力は必要だったんですね。
見た目が大好き。ディフォルメされたかのような見た目でドラゴンボールとかにでてきそう。
実はジープより構想が早かったが、ペリーのころには産業が整っていたアメリカと比較するには日本にはスピードが足りなかった。
欲しい!
車と写ってる人が皆、良い笑顔😃
石川県の日本自動車博物館に一台あったと思います。
日本自動車博物館所蔵のくろがね四起は後期型ですね。静岡県の防衛技術博物館を創る会が前期型を所有しています。オーバーヒート対策などのマイナーチェンジがされているので比較すると面白いです。
@@ryo1615 その日本自動車博物館のくろがね四起の展示台なのですが、階段にタイヤ痕が残っていました(20年前)自走であの天井すれすれになる台のてっぺんまで登ったのだから、大したものだと思いました。
記念写真みたいな感じで撮ってる写真に写ってる人が嬉しそうな顔してる。
お、今回は「くろがね四起」ですか!少し前に現存する車両が民間有志の手によって、レストアされた事でニュースや雑誌等で話題になっていましたよね。まぁ~……ジープやキューベルワーゲンに比べると、「お粗末」な所も目立ちますが、これが今日に至る”日本車”の元祖として、後の自動車大国日本の礎を築いたと思うと、感慨深いものがありますね。あと動画内の写真で、捕獲した車両に連合軍兵士達が楽しそうに乗っていたりするのが、何処となく微笑ましい物があります(笑)
「プアマンズ・ジープ(貧乏人のジープ)」とバカにしていた癖して、鹵獲車両は使い倒したそうですから
デザインかわいいですねアップありがとうございます!
ありがとうございます😊
にっちな乗用車をありがとう。先頃にレストアが完了して話題に成っていましたね。基礎工業力特に工作機械をほとんど海外製に頼っていた時期の生産車。ラダーフレームにプレスボデー空冷V2気筒、ミッションはフォード製だったんですね。OILとかの性能も現在とは比べ物にならず冶金技術も欧米に劣っていた時代です。でもキューベルワーゲンてオバーヒートしたなんて利かないな。ファンが4翔でしたか?
アフリカ戦線ではオーバーヒート防止のため、エンジン冷却のための車両休止時間確保をかなり厳格に守らせていたようです。
ワーゲンのファン4枚だったの⁉️5枚とずっと思ってた。水冷組むと部品も整備も複雑化するからだろけどボディデザインから水冷向けのカッコしてる。
@@松尾浩一-s8t くろがねが4翔だったかと、ワーゲンはファーンカウリングがあったかと
@@nuruosan4398 なるほど運用の仕方だしたか、某経営者を空冷信者にしてF1で死亡者が
これ確か、数年前(5年くらい前かな)、ロシアのyoutubeチャンネル視てたら納屋か何かにあったコレを動く様に復旧、動く様にしてましたね。くろがね→東急くろがね→日産車体だったかな。
国情に合わせて小さくなって可愛いのが多いがこれも可愛いな。戦間期の近代化がしっかりなされていればより活躍したかも…
そもそもJeepと比較する軍用車ではないのです。あくまでサイドカー・バイクに屋根を付けて四輪化したものと捉えるべきなのです。此れは満州の厳しい気候では身体を露出して走るバイクだと乗員が耐えられないことが開発要因の一つだったとか。
とは言え、そこそこなデザインでは❓アプ&デパ・アングルにトレールハイト(最低地上高)はこの頃にしてはいい線行ってると思うケド…。
@@松尾浩一-s8t 貶しているわけではないのですよ。寧ろ私個人的には好きな車両です。ただねぇ...古書店で見た昔の雑誌ではJeepやワーゲンと比較して「日本陸軍車両は駄目だ駄目だ」の批判の繰り返し記事が多かったから。どういう目的をもって開発・発注されたのか?開発年代や当時の技術水準を全く考慮せず、ただ単にカタログ上のスペックだけを見て批判する識者が昔に多くいたんですよね。
@@黑き史 ご返信🙇ありがとうです。いえいえ貶めて無いの文体から判ります、冷静な方と。クラシカルだけど良いデザインでロマン有るカタチですよね。こんな型のコ達見てると戦争クソ‼️と感じます…でも無かったらデビューや進化もせんだろから、やっぱ歴史は皮肉です。
@@松尾浩一-s8t いえいえ此方こそ有難う御座います。私自身過去「ジムニー乗り」だったので、あの当時まだ「技術後進国」だった日本が「よくぞ製造したものだ」と感心したものなのです。やはり此の種の車両は「軽さが命」なんですよね。叶うなら一度乗ってみたい車両です。
これ欲しい!
バルブスプリング露出の設計で始動時毎回油差しで注油しながらの運用ですよね
パートタイム四駆で普段はFRとして駆動力を伝えるのか。なんかラリーカーとして現代の技術でリファインすれば和製ランチア・ストラトスとして通用しそう。もしくはヒルクライムみたいな峠道専用カーとしてリファインすると面白そう。以上、素人考えでした(笑)
技術者の蒔田鉄司氏が起業した会社で、大倉財閥傘下の日本自動車傘下になりましたが戦時中に関西系の寺田財閥に買収され蒔田氏は退社し蒔田氏がいなくなった事で陸軍とのコネクションが薄れていきました。三輪トラックメーカーだったので空冷エンジン、それもハーレーダビッドソンのものが参考になったのは排気量や構造などから明らかです。後に陸軍からの要望で戦争末期にトヨタがジープを参考に開発したAK10なる四輪駆動車を開発していましたが時すでに遅く量産は出来ない状態でした。それが戦後警察予備隊の制式車両のコンペに出されたトヨタジープBJ(ジープは商標のためランドクルーザーに改名)の源流になります。戦後のくろがねは三輪トラックの再生産からスタートしましたが放漫経営による生産設備やディーラー網の整備の遅れが原因でオオタと合併の上東急傘下になりますが電鉄系企業には荷が重かったようで自社による自動車生産を断念し、現在は日産工機として日産のエンジンなどを作る子会社となっています
バトルフィールドシリーズでこの車両を知りました。ピックアップ型はガルパンに出ていましたね。
黒金四軌は今オークションに出たとすると、かなり高額な車になっています。
日本軍の車両生産、開発が産業と照らし合わせてもスムーズだったのは東條英機首相の権力と産業に国家がバックにいて色々支援したから。経理将校の運用計画もよくできていたのも大きい。
ジムニー用にボディキット出したら面白そうだなあ。こんな不景気じゃなければスズキなんか作りそうだけど、インドでジムニートラックあるかもう無理か。光岡辺りでコンプリートカーとかあっても良いなあ。ただ光岡の味じゃないからこれも無理か。
鹵獲された画像が多いのは、それだけ前線に出る頻度が多かったということでもあるのでしょうね。
とても納得しました♪
カッコいいなぁ
この自動車をもし現代にリメイクしたら売れるんじゃないかな?第一可愛い。😍😍
うぽつです😊
ありがとうございます!
この時代の兵隊さん達に今の軽トラ4駆とジムニー10万台くらい差し入れしたら喜ぶだろうなぁ
ダットサン、そして東海の"陸王"の紹介をお願いします。もちろんハーレー・ダビットサンも♪。
リクエスト承りましたよ!
スカイラインの桜井技士が設計した陸王四起のほうが性能は良かったというんだけど、なぜか採用されなかったとか。
電気自動車としてデザインをオマージュした車を出せば、それなりに売れそう。
ジムニーも荷物なんて殆ど載せられんし、それより小さい車体じゃ荷物なんて全く載らんわな。だが、自衛隊でもパジェロと高機動車では求められる役割が全く違う。他国の小型車と比べても仕方あるまい。
どこかに残ってるかなまさにジムニーのご先祖
石川の自動車博物館に展示されていましたよ。
…ってか殆ど初期型ジムニーのサイズ。あの頃(1970年頃)のクルマってそんくらい小さくて頑張り屋だったンだ、今の人達知らんだろけど。
車のコンピュータ制御化が進む今の時代に車好きが欲するのはこんな車だと思う。
会社の後輩が2stのジムニーに乗ってました。こっそり会社のメチルアルコールぱくって給油してたのは内緒ですw
NPO法人 防衛技術博物館を創る会が前期型を修復し、動態保存しています。
防衛技術博物館を作る会が1台フルレストアして動態保存しとるはずやで。
ここから日本の国産自動車の歴史が、始まったとも言えますね👍!!
小松にある日本自動車博物館で実物を見たことあるけれど、メチャクチャ小さいんだよな。360CC時代の軽自動車みたいな感じ。あれで、現在の軽装甲機動車とかパジェロみたいな運用していたのだから、いかに慎ましい事か。ウィリスジープやキューベルワーゲンと比べると、日本の工業化の水準やモータリゼーションの遅れが実感させられる。
ジープの運用が開始されたのは95式の5年も後の1941年だし、キューベルワーゲンも1939年生産開始のうえ後輪駆動だし、軍用4輪駆動車の運用に関してはむしろ日本は進んでいましたよ。
流石にホイールベースが短すぎてクルクルスピンしそうで怖いな。偵察連絡目的とはいえなんで設計思想の尖ったラリーカーみたいなパッケージングにしたんだ陸軍…。
こんな形の車を現代車として生産したら売れるのでは?
デザインとしては売れるけど安全基準としては売れないから無理
近所の街乗り用にいいかな?と思ったら積載量が少ないのね。残念だ。
もう少し大型化して、37mm速射砲や99式自動砲?山砲のけん引・運搬車があってもよかったかも
アメリカ式のジーブ→ウェポンキャリア→2.5トン→5トンよりも、ヨーロッパ式の短ホイールベース→長ホイールベース→94式トラックで、チハたんのいない軽騎兵や捜索隊むけに考えてみた
ザ・コックピットの鉄の竜騎兵に名前だけ出てきた♪。米軍からハブマンズ・ジープ(貧乏人ジープ)と呼ばれたが結構使われた😊。
これのプラモが、タミヤから出ていたよ
ケンペーくんの乗っている車ですね。
こんな形のクルマいいなぁ
火葬戦記の多くは現代の日本のイメージから当時も高い技術力があったかのように描かれるがトンでもない。当時の日本の技術はエンジン技術で10年、材料技術で20年、プロペラ技術で30年遅れていると言われていた。昭和初期、日本には中国市場開拓を目指すアメリカのビッグスリーが進出してきていて、国内自動車産業はまさに勃興期にあり、日本国内でもモータリーゼーションが起きかけていた。しかし、国内自動車産業保護を目指す陸軍が色々画策して日本国内の米国企業を締め出し、大陸での無茶もあって米自動車企業は日本から撤退・・・それで日本の自動車産業が育つと陸軍は考えたが、日本の自動車産業はこの動画にあるように海外から高性能・高品質な部品を買うことで成り立っていたから、結局日本でのモータリーゼーションは戦後まで延期になってしまう。陸軍自身は日本の自動車産業と工業力の発展を見越し、米軍でさえ真っ青になるほどの機械化・火力化された近代的軍編成を夢見ていたんですけどね。産業への不当な介入と日中戦争ですべてはオジャンになってしまった。
飛行機も戦車もエンジンが…
今でも時折、高性能で画期的なメカの部品は海外製を入れて組付けてる。ターボやティプトロニック、ブレーキ等々。そんでもリファインして更に高性能化させる日本製のコワさよ。ただトーシロさんが首突っ込んで指揮取ると失敗する好例、シビリアンコントロールの逆もまた真なり…。
@@松尾浩一-s8t 日本の場合はWW2での資源不足・技術不足に対する反動で基礎研究にかなり注力しましたからね。特に材料技術研究に手を付けはじめたのは戦後になってからです。自国に一定以上の基礎研究が根付いてないと、他国の技術をコピーすることはできません。
生産台数5000台弱って、ジープの生産台数65万台弱と較べると悲しい(ノ_・。)
ドイツよりアメリカのジープより早く出来た世界初の4輪駆動の軍用車。日本人の発想は先を行っている。日本人の先見性は素晴らしい。おう?ヨシ
簡易な輸送能力を持ち合わせていない時点で先を行っていてもジープには全く敵ってないから
@@ポイフルアポロ簡易な輸送能力ってどんなのですか?
同じ名前の車両が………
ある意味待ってました的ネタ👍旧日本軍ジープ…サイズ的殆どジムニーの旧車‼️ちっこくて働き者の元祖はナント日産だった❗。今でも小型高性能なのにジムニーを制式採用しないのはこの辺のコンプレックス有るからかな⁉️サス配置なんか昔の国産車殆どコレだからね。トラック型は改造した人のセンスに感心👍。タイヤも良く、あの頃であの扁平率にオールテレーンパターン採用なんてセンスありすぎ。
軽自動車で復活したら買うけどねー
334いいね行きました。
慰安婦の婆さんが言ってたが流石にコレをジープは無理があるんじゃねぇかな
あの婆さん、ヘリコプターで連れてかれたとも言ってたような。
@@tiko-ko3wo その次には戦艦大和に乗せられたとかほざいてたしな。「息をするように嘘をつく」の代表例よ。
朝鮮戦争時の米軍のジープですよね?
2:38 この写真後ろの車が疾走感にあふれてて好き
この車めっちゃ丸っこくて可愛いからすこ
このデザインなら現代でもスズキや三菱で発売されてもおかしくはない。
ってかパジェロミニで似たようなデザインの車が発売されてたよね?
同感😂可愛い😊
ヤンキー共は「プアマンズ・ジープ」と呼んでたが、一方で鹵獲車両は使い倒したと…
くろがね四起ですね。日本国内てかつて日本内燃機の代理店をしていた方が納屋に保管していたのを、クラファンで復活させましたね(1300万円かかったとか)。しかし保管状態は良くなく部品はほとんど新造したとか。グリル上のエンブレムに縦に「くろがね」と書いてあります。
NPO法人 防衛技術博物館を創る会が所有する車両ですね。
修復費用は最終的にクラファンの1,300万円を含む2,000万円以上がかかっています。出来るだけ当時の部品を活かして修復したために費用がかかってしまいましたが、エンジンは9割が当時の部品を使用し、ドアも7割程が当時の鉄板が残されているようです。
鉄屑同然のボロボロな状態から、新車同然に修復した職人さんやメカニックの皆さんには脱帽です。
戦後最初の軽自動車の規格は全長2.8m幅1m高さ2m150cc(4サイクル)と本車よりも更に小さいものでした。
当時の日本人には本車が小型車の基準で、軽自動車の規格はこれよりも小さくなければならなかったのだと思われます。
じいちゃんは馬で出勤していたが、腰を悪くしてから、これに乗って出金していた。関東軍の経理左官だったし。
この車輌 知波単学園の
福ちゃんが大洗町の某
お好み焼き店の駐車場に
止めていたであります!
ありがちな軍部からの過大な要求がなかったのも幸いだったのかもしれませんね。
何しろ戦前(昭和15年頃)の日本の自動車保有数が5万台程度でしたからね(ちなみにアメリカは約2900万台)
当時の日本の国情に合った軍用自動車だったと思います。だからこそちゃんと活躍できたのかと。
陸軍は割り切りが良かったが海軍はあれもこれもと柔軟性に欠けた。
映画「硫黄島からの手紙」で栗林中将に対し部下が「視察にジープを使いますか?」と聞くシーンがありますが、本来なら「くろがねを使いますか?」と言うべきでした。
もっとも硫黄島で実際にくろがねが運用されていたとしても、よほどのミリオタでない限り観客には何のことか分からないので、映画的には仕方なかったのでしょうね。
当時の人から聞いた話では戦時中(昭和20年初め頃か)既に国内でも民間人にもジープという言い方は広まっていた様です。
@@gamopy 将校が将官に対して使う言葉じゃない
今だと乗務員保護が最重要視されるから生まれてこないんだろうな小さくてこんな可愛い軍用車
インド軍のようにスズキのジムニーを採用して、独自に開発する可能性は低いです。
汎用軽機動車もちっこくて可愛いよ
この時期でパートタイム4WD方式を採用してた時点で凄いなあと。
そりゃあ後発のジープのように人や荷物が積めて、武装が追加できて
フルタイム4WDの方が優れているけど...
それでも国産でここまで作れたのは当時としては立派だと思う。
これが後にジープ/パジェロの血が入るけど、73式小型トラックのご先祖様と
考えると、感慨深いですねぇ。
フルタイム全駆だとパートタイム全駆より複雑になる等で、優れているとは言えないべ?
Jeepもパートタイムですよ。ただし、Jeepは副変速機もあってHi-Lo切り替えができるので、くろがね四起よりも悪路走破性が高いです。それでもくろがね四起が画期的な車両だったことは間違いありませんが。
73式小型トラックはJeepのライセンス生産版の三菱ジープ、もしくはその乗用性能進化版であるパジェロの系譜なので、アメリカのJeepがご先祖様ですね。
くろがね四起はあくまで四輪駆動「乗用車」ですので、どちらかと言えばレオーネとかに繋がりそうです。
丸っこくて可愛いデザイン
「兵器」でありながら みんなを笑顔にするステキな車ですね
これ確か生産終了間際には、前線からの要求でピックアップトラック型も生産されたとか。
やはり積載能力は必要だったんですね。
見た目が大好き。ディフォルメされたかのような見た目でドラゴンボールとかにでてきそう。
実はジープより構想が早かったが、ペリーのころには産業が整っていたアメリカと比較するには日本にはスピードが足りなかった。
欲しい!
車と写ってる人が皆、良い笑顔😃
石川県の日本自動車博物館に一台あったと思います。
日本自動車博物館所蔵のくろがね四起は後期型ですね。静岡県の防衛技術博物館を創る会が前期型を所有しています。
オーバーヒート対策などのマイナーチェンジがされているので比較すると面白いです。
@@ryo1615 その日本自動車博物館のくろがね四起の展示台なのですが、階段にタイヤ痕が残っていました(20年前)
自走であの天井すれすれになる台のてっぺんまで登ったのだから、大したものだと思いました。
記念写真みたいな感じで撮ってる写真に写ってる人が嬉しそうな顔してる。
お、今回は「くろがね四起」ですか!
少し前に現存する車両が民間有志の手によって、レストアされた事でニュースや雑誌等で話題になっていましたよね。
まぁ~……ジープやキューベルワーゲンに比べると、「お粗末」な所も目立ちますが、これが今日に至る”日本車”の元祖として、後の自動車大国日本の礎を築いたと思うと、感慨深いものがありますね。
あと動画内の写真で、捕獲した車両に連合軍兵士達が楽しそうに乗っていたりするのが、何処となく微笑ましい物があります(笑)
「プアマンズ・ジープ(貧乏人のジープ)」とバカにしていた癖して、鹵獲車両は使い倒したそうですから
デザインかわいいですね
アップありがとうございます!
ありがとうございます😊
にっちな乗用車をありがとう。先頃にレストアが完了して話題に成っていましたね。基礎工業力特に工作機械をほとんど海外製に頼っていた時期の生産車。ラダーフレームにプレスボデー空冷V2気筒、ミッションはフォード製だったんですね。OILとかの性能も現在とは比べ物にならず
冶金技術も欧米に劣っていた時代です。でもキューベルワーゲンてオバーヒートしたなんて利かないな。ファンが4翔でしたか?
アフリカ戦線ではオーバーヒート防止のため、エンジン冷却のための車両休止時間確保をかなり厳格に守らせていたようです。
ワーゲンのファン4枚だったの⁉️5枚とずっと思ってた。水冷組むと部品も整備も複雑化するからだろけどボディデザインから水冷向けのカッコしてる。
@@松尾浩一-s8t くろがねが4翔だったかと、ワーゲンはファーンカウリングがあったかと
@@nuruosan4398 なるほど運用の仕方だしたか、某経営者を空冷信者にしてF1で死亡者が
これ確か、数年前(5年くらい前かな)、ロシアのyoutubeチャンネル視てたら納屋か何かにあったコレを動く様に復旧、動く様にしてましたね。
くろがね→東急くろがね→日産車体だったかな。
国情に合わせて小さくなって可愛いのが多いがこれも可愛いな。戦間期の近代化がしっかりなされていればより活躍したかも…
そもそもJeepと比較する軍用車ではないのです。あくまでサイドカー・バイクに屋根を付けて四輪化したものと捉えるべきなのです。此れは満州の厳しい気候では身体を露出して走るバイクだと乗員が耐えられないことが開発要因の一つだったとか。
とは言え、そこそこなデザインでは❓アプ&デパ・アングルにトレールハイト(最低地上高)はこの頃にしてはいい線行ってると思うケド…。
@@松尾浩一-s8t 貶しているわけではないのですよ。寧ろ私個人的には好きな車両です。
ただねぇ...古書店で見た昔の雑誌ではJeepやワーゲンと比較して「日本陸軍車両は駄目だ駄目だ」の批判の繰り返し記事が多かったから。
どういう目的をもって開発・発注されたのか?開発年代や当時の技術水準を全く考慮せず、ただ単にカタログ上のスペックだけを見て批判する識者が昔に多くいたんですよね。
@@黑き史 ご返信🙇ありがとうです。いえいえ貶めて無いの文体から判ります、冷静な方と。クラシカルだけど良いデザインでロマン有るカタチですよね。こんな型のコ達見てると戦争クソ‼️と感じます…でも無かったらデビューや進化もせんだろから、やっぱ歴史は皮肉です。
@@松尾浩一-s8t いえいえ此方こそ有難う御座います。
私自身過去「ジムニー乗り」だったので、あの当時まだ「技術後進国」だった日本が「よくぞ製造したものだ」と感心したものなのです。
やはり此の種の車両は「軽さが命」なんですよね。叶うなら一度乗ってみたい車両です。
これ欲しい!
バルブスプリング露出の設計で始動時毎回油差しで注油しながらの運用ですよね
パートタイム四駆で普段はFRとして駆動力を伝えるのか。
なんかラリーカーとして現代の技術でリファインすれば和製ランチア・ストラトスとして通用しそう。
もしくはヒルクライムみたいな峠道専用カーとしてリファインすると面白そう。
以上、素人考えでした(笑)
技術者の蒔田鉄司氏が起業した会社で、大倉財閥傘下の日本自動車傘下になりましたが戦時中に関西系の寺田財閥に買収され蒔田氏は退社し蒔田氏がいなくなった事で陸軍とのコネクションが薄れていきました。三輪トラックメーカーだったので空冷エンジン、それもハーレーダビッドソンのものが参考になったのは排気量や構造などから明らかです。後に陸軍からの要望で戦争末期にトヨタがジープを参考に開発したAK10なる四輪駆動車を開発していましたが時すでに遅く量産は出来ない状態でした。それが戦後警察予備隊の制式車両のコンペに出されたトヨタジープBJ(ジープは商標のためランドクルーザーに改名)の源流になります。
戦後のくろがねは三輪トラックの再生産からスタートしましたが放漫経営による生産設備やディーラー網の整備の遅れが原因でオオタと合併の上東急傘下になりますが電鉄系企業には荷が重かったようで自社による自動車生産を断念し、現在は日産工機として日産のエンジンなどを作る子会社となっています
バトルフィールドシリーズでこの車両を知りました。
ピックアップ型はガルパンに出ていましたね。
黒金四軌は今オークションに出たとすると、かなり高額な車になっています。
日本軍の車両生産、開発が産業と照らし合わせてもスムーズだったのは東條英機首相の権力と産業に国家がバックにいて色々支援したから。経理将校の運用計画もよくできていたのも大きい。
ジムニー用にボディキット出したら面白そうだなあ。
こんな不景気じゃなければスズキなんか作りそうだけど、インドでジムニートラックあるかもう無理か。
光岡辺りでコンプリートカーとかあっても良いなあ。ただ光岡の味じゃないからこれも無理か。
鹵獲された画像が多いのは、それだけ前線に出る頻度が多かったということでもあるのでしょうね。
とても納得しました♪
カッコいいなぁ
この自動車をもし現代にリメイクしたら売れるんじゃないかな?第一可愛い。😍😍
うぽつです😊
ありがとうございます!
この時代の兵隊さん達に今の軽トラ4駆とジムニー10万台くらい差し入れしたら喜ぶだろうなぁ
ダットサン、そして東海の"陸王"の紹介をお願いします。もちろんハーレー・ダビットサンも♪。
リクエスト承りましたよ!
スカイラインの桜井技士が設計した陸王四起のほうが性能は良かったというんだけど、なぜか採用されなかったとか。
電気自動車としてデザインをオマージュした車を出せば、それなりに売れそう。
ジムニーも荷物なんて殆ど載せられんし、それより小さい車体じゃ荷物なんて全く載らんわな。だが、自衛隊でもパジェロと高機動車では求められる役割が全く違う。他国の小型車と比べても仕方あるまい。
どこかに残ってるかな
まさにジムニーのご先祖
石川の自動車博物館に展示されていましたよ。
…ってか殆ど初期型ジムニーのサイズ。あの頃(1970年頃)のクルマってそんくらい小さくて頑張り屋だったンだ、今の人達知らんだろけど。
車のコンピュータ制御化が進む今の時代に車好きが欲するのはこんな車だと思う。
会社の後輩が2stのジムニーに乗ってました。
こっそり会社のメチルアルコールぱくって給油してたのは内緒ですw
NPO法人 防衛技術博物館を創る会が前期型を修復し、動態保存しています。
防衛技術博物館を作る会が1台フルレストアして動態保存しとるはずやで。
ここから日本の国産自動車の歴史が、始まったとも言えますね👍!!
小松にある日本自動車博物館で実物を見たことあるけれど、メチャクチャ小さいんだよな。360CC時代の軽自動車みたいな感じ。あれで、現在の軽装甲機動車とかパジェロみたいな運用していたのだから、いかに慎ましい事か。
ウィリスジープやキューベルワーゲンと比べると、日本の工業化の水準やモータリゼーションの遅れが実感させられる。
ジープの運用が開始されたのは95式の5年も後の1941年だし、キューベルワーゲンも1939年生産開始のうえ後輪駆動だし、軍用4輪駆動車の運用に関してはむしろ日本は進んでいましたよ。
流石にホイールベースが短すぎてクルクルスピンしそうで怖いな。偵察連絡目的とはいえなんで設計思想の尖ったラリーカーみたいなパッケージングにしたんだ陸軍…。
こんな形の車を現代車として生産したら売れるのでは?
デザインとしては売れるけど安全基準としては売れないから無理
近所の街乗り用にいいかな?と思ったら積載量が少ないのね。残念だ。
もう少し大型化して、37mm速射砲や99式自動砲?山砲のけん引・運搬車があってもよかったかも
アメリカ式のジーブ→ウェポンキャリア→2.5トン→5トンよりも、ヨーロッパ式の短ホイールベース→長ホイールベース→94式トラックで、チハたんのいない軽騎兵や捜索隊むけに考えてみた
ザ・コックピットの鉄の竜騎兵に名前だけ出てきた♪。米軍からハブマンズ・ジープ(貧乏人ジープ)と呼ばれたが結構使われた😊。
これのプラモが、タミヤから出ていたよ
ケンペーくんの乗っている車ですね。
こんな形のクルマいいなぁ
火葬戦記の多くは現代の日本のイメージから当時も高い技術力があったかのように描かれるがトンでもない。
当時の日本の技術はエンジン技術で10年、材料技術で20年、プロペラ技術で30年遅れていると言われていた。
昭和初期、日本には中国市場開拓を目指すアメリカのビッグスリーが進出してきていて、国内自動車産業はまさに勃興期にあり、日本国内でもモータリーゼーションが起きかけていた。
しかし、国内自動車産業保護を目指す陸軍が色々画策して日本国内の米国企業を締め出し、大陸での無茶もあって米自動車企業は日本から撤退・・・それで日本の自動車産業が育つと陸軍は考えたが、日本の自動車産業はこの動画にあるように海外から高性能・高品質な部品を買うことで成り立っていたから、結局日本でのモータリーゼーションは戦後まで延期になってしまう。
陸軍自身は日本の自動車産業と工業力の発展を見越し、米軍でさえ真っ青になるほどの機械化・火力化された近代的軍編成を夢見ていたんですけどね。産業への不当な介入と日中戦争ですべてはオジャンになってしまった。
飛行機も戦車もエンジンが…
今でも時折、高性能で画期的なメカの部品は海外製を入れて組付けてる。ターボやティプトロニック、ブレーキ等々。そんでもリファインして更に高性能化させる日本製のコワさよ。ただトーシロさんが首突っ込んで指揮取ると失敗する好例、シビリアンコントロールの逆もまた真なり…。
@@松尾浩一-s8t 日本の場合はWW2での資源不足・技術不足に対する反動で基礎研究にかなり注力しましたからね。
特に材料技術研究に手を付けはじめたのは戦後になってからです。
自国に一定以上の基礎研究が根付いてないと、他国の技術をコピーすることはできません。
生産台数5000台弱って、ジープの生産台数65万台弱と較べると悲しい(ノ_・。)
ドイツよりアメリカのジープより早く出来た世界初の4輪駆動の軍用車。日本人の発想は先を行っている。日本人の先見性は素晴らしい。おう?ヨシ
簡易な輸送能力を持ち合わせていない時点で先を行っていてもジープには全く敵ってないから
@@ポイフルアポロ簡易な輸送能力ってどんなのですか?
同じ名前の車両が………
ある意味待ってました的ネタ👍旧日本軍ジープ…サイズ的殆どジムニーの旧車‼️ちっこくて働き者の元祖はナント日産だった❗。今でも小型高性能なのにジムニーを制式採用しないのはこの辺のコンプレックス有るからかな⁉️サス配置なんか昔の国産車殆どコレだからね。トラック型は改造した人のセンスに感心👍。タイヤも良く、あの頃であの扁平率にオールテレーンパターン採用なんてセンスありすぎ。
軽自動車で復活したら買うけどねー
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行きました。
慰安婦の婆さんが言ってたが流石にコレをジープは無理があるんじゃねぇかな
あの婆さん、ヘリコプターで連れてかれたとも言ってたような。
@@tiko-ko3wo その次には戦艦大和に乗せられたとかほざいてたしな。
「息をするように嘘をつく」の代表例よ。
朝鮮戦争時の米軍のジープですよね?