【全編】「あしたのジョー」ちばてつや氏も…“命からがら引き揚げてきた”満洲引揚者 消えゆく足跡【報道特集】|TBS NEWS DIG
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- Опубліковано 24 лис 2024
- かつて中国に作られた満洲国で敗戦を迎えた日本人は祖国に命がけで引き揚げてきました。その一人、ちばてつやさんの記憶は「あしたのジョー」にも影響していました。(2023年4月1日放送)
#JNN #満洲 #ちばてつや #あしたのジョー
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曽祖父母は満州で旅館を営んでいました。経験者がいなくなったら現れる歴史修正主義者達には、怒りしかありません。
大切な記録を、ありがとうございます。
関東軍の兵士として行った祖父。
生前はニュースで石原莞爾や東條英機の顔が出るたびにチャンネルを変えてました。
酒が入ると凄い勢いで東條英機は絞首刑になって当然。あの男が守りたかったのは日本ではなく自分のプライド、周りが何と言おうとあの戦争は侵略戦争であり決して解放戦争ではないと常々言ってました。
また祖父の従兄弟は特攻で南海の海に沈んだままです。
あの戦争を美化した特攻映画が数年前流行りましたが、祖父の従兄弟家族からは戦争を知らない人間が勝手に戦争を美化して自己満足したいだけの愚作と酷評してました。
戦争反対と言うとお花畑と揶揄される昨今、、でも現実に起こる事は今も昔も変わらない。だから国の言う事は疑ってかかれと母親から教えられて育った。
そーゆことも言えますね。祖父母が満州に行ったのは国策にのったと祖母から聞いてました。祖父は満州で戦死してます。作詞家の中西礼さんの自叙伝テレビドラマと本で満州のことはよく理解出来ました。
日本人が歴史を勉強し、自分たちの愚かさに気づき、正しく反省してほしい
@@sonyeonkeuri5470 反省と自己批判。
@@sonyeonkeuri5470 正しく理解されるので有れば、昭和16年の12月8日からの真珠湾攻撃から知るのでは無く、1900年のは北清事変(義和団の乱)から知れば、如何に開戦前の日本が戦争回避の為、明治、大正、昭和天皇が苦労され、更に陛下の御心を理解していたかが幾分かでも分かると思います。
大東亜戦争の開戦前の政府連絡会議でのやり取りや昭和天皇への東條英機首相のやり取り、日本が開戦を決意する事になったハル・ノートの内容。更にはABCD包囲網に依る資源の枯渇。又2000年にアメリカの公文書として出されたヴェノナ文章にも書かれて居る、共産党インターナショナル(コミンテルン)の日本国内での情報操作etc。
日本が戦争を欲して居たと言うのは余りに拙速な答えだと思いますよ。
動画のおばあちゃんが、自分の引き揚げ船の話を幼い自分に話して泣きながら話してくれた祖母の話しと重なります。幼くて理解が乏しかったけどそれでも中国残留孤児になったかもしれないと母がニュースを見て号泣してた映像を見たころは大人になっていた自分は長い年月聞いてきたから、本当に辛かったんだなーともらい泣きしました。おばあちゃんが引き揚げてくれたから自分が日本で、平和に生きれることに感謝を忘れたことはない。
長年虐げられて来た中国人民の反撃。。。
その反面、助けてくれた中国人というのがなんとも
うちのじいちゃんは残留孤児になったけど中国人に助けられて育ててもらった。そして何年も経ってから日本に帰ってきた。だから私は中国人を嫌いにはなれない。
ちばてつやさん一家が中国人に匿って貰えたってことは日頃、中国人に親切にしてたからでしょうね。
私の祖母は満鉄職員を父に持ち、終戦時に駆逐艦へ乗って命からがら福岡へ引き揚げて来たそうです。
当時、満鉄の社宅があった蘇家屯(中国)にソ連兵が侵攻して来た時の事は今でも鮮明に覚えているそうで、両方の腕に沢山の略奪した腕時計を身に付けたソ連兵が家に入って来たと言っていました。
また、当時20代後半だった親戚のお姉さんは、ソ連兵に連れて行かれそうになった際に舌を噛み切って自殺したとも聞きました。
当時の記憶を代々に伝えていくべきと思いココに記入しました。
私の祖母はまだ健在で頭もしっかりしていますので、もし満鉄の事や満州引き揚げについて研究してる方がいましたら、記録を残す為にも祖母を取材して頂けないでしょうか?
是非よろしくお願い致します。
幼少の頃から親しんできて、ちばてつやさんの漫画が一番好きかも。
共謀罪成立に猛反対してましたよ!
私の両親も引き揚げ者で、父親は満州鉄道につとめ、母親電話交換手をしていて、大本営発表以外の戦局の状況を正確にわかる立場にいたようです、
終戦間際、ソ連が突如の介入で大変な経験をしたようで、満州北部ソ連国境の地から日本に戻ってくるのには命からがらだったことはよくききました!貨物列車に運転士を買収して、鮨詰めの状態でかくれてきたと言う。各駅に停車するとソ連の警備兵が列車をチェックするため、静寂をたもたなければならず子供連れの親は他の人達の安全のため子供を窒息死させたことは忘れられないと言ってた。
私がまだ見ぬ戦争前の満州での生活のことをイキイキと楽しそうに話してくれましたが、それに比べて帰って来るときの悲惨さを聞くとき、子供心に戦争の悲惨さを強く感じたものでした!
ひねもすのたり日記、、
買わなきゃ
どこか一個くらい史料として引き上げ住宅を残せないものかね
満州にロシア人が雪崩込んできて、婦女暴行などありとあらゆる暴虐が尽くされる中で
当時親戚のおばちゃんは、中国人と支え合いながら逃げたらしい。今のイメージでは考えられないけどね
その前に国民を守るべき軍隊(関東軍)が日本人を置き去りして真っ先に逃げ帰った事がこの戦争の本質を語っている
私の祖父は当時満州で、逓信兵をしておりました。ソ連が攻め込んで来て3年シベリアに抑留後、何とか生きて祖国に辿り着きましたが、私が生まれる前年に胃がんでなくなって居ます。親父から祖父は満州、シベリアの体験談の話は教えて貰えなかったそうです。。本当の地獄を見て来たのだと、私は痛感しています。
しかし、ちばてつやさんが言われる、「絶対に戦争してはいけない!」の気持ちは良く分かるのですが、戦前の日本がまるで自ら戦争を臨んだ!?かの如くの発言にはいささか疑問を持ちますし、現代の日本人に自ら戦争を望む日本人は皆無だと私は思います。
しかし、今の中国、ロシア、北朝鮮を見れば、もし他国に攻められた時に、もし抵抗する戦力がなければ現実的に、日本中が満州引揚者の様な状況になるのは火を見るよりも明らかな話です。
終戦後、樋口季一郎中将が軍令に反し自存自衛の為に千島列島最北端の占守島にソ連が攻め込んで来た際、第5方面軍の陸軍が必死の抵抗をしてくれた占守島の戦いが有ったればこそ北海道は死守する事が出来た事。
又、河北省北西部を守備して居た、根本博中将が上記と同じく軍令に反し居留民保護の為、戦った張家口の戦いが有ったればこそ居留民4万人が無事に脱出する事が出来たのは生の現実です。
戦争しない=抵抗しない では有りません。
攻め込んで来たら=徹底的に抵抗する。(来たらヤるよ)
つまり安全保障上、絶対に武器は置かない!!
と言う事を日本人は先の大東亜戦争から学ばなければ行けないと思います。
私の祖父も同じく満州で逓信兵でした。ソ連攻めの直前、1人だけ逃げられると20人ほどのメンバーでくじを引き、くじを当てた祖父はその後カザフスタンに送られて建物建設のために毎日労働させられたとのこと。食べ物も少なく、労働が厳しくどんどん人が亡くなっていったそうです。その後、ウラジオストオクを経由(ここではレンガ作りの毎日で、ロシア人が大変良くしてくれた、言葉は分からなかったけれども水餃子(ペリメニでしょうね)をたくさんくれたそう)し、日本に帰ってきました。
この話も祖父から直接聞けていませんし、父も何回か祖父に聞いたそうですが、決して教えてくれなかったそうです。この点、共通していますね。孫の私が興味を持った頃には祖父はボケてしまっていて、祖母が教えてくれました。
@@erikayamaguchi3323 本当ですか。?!驚きですね。お互い祖父が満州の逓信兵で有ったとは、、、w
親父の話では、徳島港に一族で祖父を迎えに行った時、船から髭面で黒コートを着て祖父が降りて来たので、当時7歳だった親父は、熊が船から降りて来たと思って怖かったと言ってましたね。w
恐らく満州の陸軍となると、「泣く子も黙る関東軍!」と言われただけに、口より先に手が出る祖父で有ったと祖母と親父は言ってました。
本当に軍隊での厳しさがそのまま家庭にも反映されていたんでしょうね。。
胸が詰まる思いで視聴しました。
苦難を乗り越えて今の日本を築いてくださった意志を無駄にしたくないと思いました。
今年の9月実家の母親が家の中で転んで大腿骨を骨折しリハビリ病院生活が始まった。リハビリ中恥ずかしながら何気ない会話の中で初めて母親の人生の始まりを聴いた。私の母親は昭和18年6月に満洲ハルピンで生まれた。コロ島経由の😂引き揚げで大阪に戻れたのは昭和22年。母親の1つ下の妹は
引き揚げ途中で亡くなったとの事。母も幼少で自分の記憶として引き揚げを鮮明に覚えてる訳では無いが10年前に他界した私の祖母、母の母から聴いた伝えの話を
聴いて今に至って国の為政者を信用していない気持ちが分かった。
うちの家族は日本領朝鮮から引き上げました。
もっと日本だった時の朝鮮に焦点を当ててほしいです。
私の祖父母世代のネットワーク(知り合い、結婚・見合い相手等)は全部京城のネットワークです。
조선에서 일본인들 죽음 당한 사람들 많아
子供の頃、近所には満州から引き揚げてきた家族が住んでいました。同級生がいました。貧しいというよりお金持ちだと思っていました。
このような住宅があったと初めて知りました。
小学生の時おばあちゃん先生がよく話してくれた。
うちの父も近所の家族が行ったっきり帰ってこなかったと言っていた。
みんな口を揃えて戦争は絶対ダメって言ってた。
大半の婦女子は中国人に拾われ親族に会えず生活したでしょう『戦争の犠牲で死ぬのは民間人』間違えてはいけません。戦争で利益がある人は安全なのです。ちばてつやさんの漫画を授業中に熟読しましたが。湧き出る元気は今もページごとに脳裏にあります。
私も満州育ちの母とその弟妹叔父叔母に囲まれ昨日のことのように耳にして育ちました現地の裕福な生活(大連では山海にいけば子供が手掴み食材が採れる)日本人の住宅には食べ物小屋ち執事の中国人が普通にいる。そして生死背中併せの引き揚げまで。奇跡的にかえれたのは軍人会活動や開業医として世話をしていた祖父を慕った方が共産党軍として引揚げ馬車と行き合い共産党軍の護衛を得て港に着いたということです(敗戦で投降し即共産軍を指導した方ということ。つまり仕方なく混乱の敗戦処理をした祖父達はまさに毛沢東やの幹部と口論や銃口を交えたようです)
もちろん家族揃ってなんてないです。眼の前で乱入した露軍に幼い弟は射殺されているたり次男の伯父の危篤に船中一本千円(今の百万)のペニシリンを何本かかわされたり地獄の沙汰もですが、学んだのは大陸の性質は陽気、外国は恐いところ(日本は穏やか) そして歴史の偶然と郷土。自然を
畏れること。
ずっと戦後であってほしい
1942年生まれ、82歳男性です。父は開拓団のトラクターを扱っていたようです。1945年三月発疹チフスで、母と1歳の妹、父の妹24歳が死亡。父は抑留中、三人の遺骨をもつて日本へ。九州の孤児院に保護されていたようですが、三歳の私が独りで遺骨を持ってどうやって満州からこれたのか、不思議です。同等の体験をお持ちの方いらっしゃいませんでしょうか
祖父や曾祖父達が命懸けで守ったニッポン国
戦後復興や高度成長期を支えた現在の高齢者の皆さん!その復興後の便利になったニッポン国に戦後生まれの自分等が大した苦労もせずに楽して暮らしてます。ホントに金さえ出せば何でも買えて便利な時代です。それは沢山の犠牲を払った先人達のお陰。復興に奔走した高齢者の皆さんのお陰。
あしたのジョーも、もちろん面白いけどのたり松太郎とか、俺は鉄兵も面白い
すごい絵画。戦争反対。
日本は渦の中に入ろうとしている、、、
ちばてつやさん
小さい頃少女雑誌に漫画があってファンレター
書いたら私の名前の女の子がチラッと出たの
⤴️⤴️すごくうれしくて皆に自慢したよ
偶然だと言われたけど
ちば先生これからもお元気で
お身体ご自愛下さい🎉
私も父が引き揚げてこれなかったらいま存在していない。
母は強し。涙無しでは観られません
戦争で良いことは何も無い。岸田よ、自分の家族が戦場に駆り出される事を想像できるか?
一度巻き込まれたら苦痛の連続だったよな
ちばてつやと言えば 誓いの魔球だね、地面をはうボールが打者の手前でふわっと舞い上がる。少年マガジン
すげーー引揚者住宅まだ使ってんのや
日本軍国主義がアジア諸国への残虐暴行や苦難などを、日本の国民にお伝えしてほしいです。
軍国主義は賛同できませんが、当時の日本が大学創立、学校設備や公共道路設備等のインフラ整備、ハングル文字普及、農業開発の普及などを促進した側面もあり、残虐行為しかしなかったというのは大きな誤りです。
中国もチベットやウィグルで同じようにインフラ整備してますね。中国共産党には、あなたたちがしている事は、戦前の日本が満州にした事と変わりないじゃないかと非難すべきなのですが、戦前の国体を賛美する国粋政党の自民党政権では無理ですね。
@@tomtomax2 ハングル普及のようなうわごとはやめて
@@tomtomax2 日本人は嘘を習慣のように言うから自分でごまかすのかな?
ちばてつや氏出したから次は安彦良和さんかねえ
当時のイメージを白黒で表現したと思うのですが、あの大地は実際今肉眼で見てもモノトーンに見え、当時の様子が想像できますね
引き上げの時に中国人は日本人の子供を欲しがった、って話もあるんだよね。
その祖国は帰ってくるなと言う「棄民政策」を行なって居たのだ
流石は美しい国日本なのだ
とりあえず、露助はクソだということは左右関係なく同意できると思う
言葉がありません
たしか赤塚不二夫先生も引き揚げの経験者だったと記憶しています
あまりにも悲惨な状況を経験したからこそ笑える漫画を描きたいと思っていたのでしょうね
戦争は悲惨だ。戦争をするなんて気が狂っているのだ。私達は言論闘争、精神闘争でへいわを勝ち取り続けなければならない。
家庭でも一家の体験したことを語り継いでいくべきなんだろうな。学校教育にばかりまかせるのは政府依存体質でよくない。この婦人の話し話しは中高生・学生にも聞かせたい。
コスモポリタンなことを語るテレビのなかのコメテ-タ-などこういう話を見聞きしてどう思うのだろう。戦争はよくないですませるのだろうか。だが人は昔から戦争してきた。戦争は文化の一部とも言える。ただ兵器・武器の発達し過ぎで、諸手を挙げた戦争賛美は出来なくなった。だが抑止力としての軍備・防衛力はこれからも必要不可欠な民族生存の手段だ。
私は 昭和22年の生まれ 戦後はまだありましたね、平和はいいけど 阿保な悪人は多いよ。
満洲は満洲です。
満洲の独立を恢復します!
ロシア、変わらないね
十分長生きしてるじゃん、正直漫画家も声優も短命のイメージがある
メタボが多いからね、
僕も漫画を読んできました
満州は日本がリース契約していましたが。
それは知らなかった。具体的には何て名前の条約なんですか?ググって調べてみたいです。
@@木野允 調べてみてください。
@@asakura331 ない事をでっち上げて「調べろ」はないだろ。証拠を示すのは君だよ
@@akita1934 何故❓
あのな平和ボケメディアのTBS、平和の尊さは日本人だったら大体の人は分かってんだよ!今現在、もっとも平和メッセージを伝えなければならない国がいくつもあるよな❗そこんとこよく考えとけ❗
お、氵 付いてる。
王さんありがとうね描いてくれて、今回天安門事件と文化大革命もよろしくね❤
さらっと「旧日本軍の謀略により」って言ってるけど、本当にそうか?
その一点だけでも2時間くらいの番組は作れる分量はあると思うが。
満州国を作らざるおえなかったのはロシアのせいです。日露戦争に勝利した日本にロシアはシベリア鉄道と、韓国を与えましたが、土地は清国から日本は借りるしかなかった。ロシアは日本がうまくやれないように、色々妨害したのです。で、満州国を作るしか、シベリア鉄道の運営は不可能になった。
あの頃は日本,ヨーロッパ,アメリカなどどんな国でも侵略して植民地作る時代だったんでしょ平和も人権も何も無かった時代
満州は日本軍が関わる以前からカオス。清国からも僻地でモスクワからも僻地。人種のルツボという印象。真実は知らん。
(個人的感想)
満州は日清戦争で滅んだ清国です。日本は日清戦争で勝利して、台湾を清からもらいましたね。彼らは中国人ではなく満州人で、日本が戦争で負けた後、中国共産党に皆殺しにされた。
以前からカオスでもこれは満州の侵略を正当化するものなのか?
@@antenanashi
事実は認めるが。それ以上は述べてない。
先に言うが何かと比較対象したらキリがないぞ。
中国人が書いた絵と聞いて興味が失せました。定番のTBS。通州事件を描いたらどうでしょう?
ちばあきおはどうした?
絵を見たが、良い絵ではない。人物がありきたりで、絵がただただ 暗い。私は藤原ていさんの小説を読んだけど、真っ暗な恐ろしさはなかった。中国人からも日本人は襲われていた。助けた中国人もいた。絵を売るため、また有名になるため歴史を利用したり、政治を利用したりする輩は芸術家ではないのです。それに絵が悪いね。
良い絵ではないならその体験をした引揚者女性はなんで泣いてるんですか。
失礼致します。
それはあなたの感想であって、そうではない人もおられていいですよね。
当時満州で様々な経験をした方から見たら、
やはり違う感想をお持ちになったのではないでしょうか。
絵はいい悪いだけで判断するものではないですよ。
その人の感性により捉え方は様々でいいのです。
小説の内容やそれを読んだ感想と、この動画の内容を同列に語るのは如何なものかと思います。