清州同盟 実は超重要な信長と家康の同盟 今川家との決別した家康の自立 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説12

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  • Опубліковано 7 жов 2024
  • 桶狭間の戦い後、岡崎城の城主となった徳川家康。その後今川氏真と決別し織田信長と軍事同盟を結んだ。今回の動画で桶狭間の戦い後に家康がどのように自立を果たしていったのかを紹介。またこの信長との同盟は、後に天下人になった大きな理由となっている。
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КОМЕНТАРІ • 32

  • @yueyrita1
    @yueyrita1 Рік тому +8

    私も本多忠勝演っている俳優さんが大好きでそれで大河を見ている次第!

  • @奥田圭亮-k5h
    @奥田圭亮-k5h Рік тому +35

    市橋先生の家康公の解説と三河武士の解説で愛知県の歴史が好きになりました。私は滋賀県民で歴史的に由縁な地に住んでますが三河好きです。
    3月に肺癌の追加治療をします。生きられますように。

    • @市橋章男
      @市橋章男 Рік тому +7

      良くなられますよう、心よりお祈り申し上げます。お元気になってください。

    • @招き猫-t9s
      @招き猫-t9s Рік тому +5

      一日も早く 治療すること祈っています

    • @奥田圭亮-k5h
      @奥田圭亮-k5h Рік тому +7

      @@市橋章男 様
      ありがとうございます。
      お気遣い感謝します。

    • @奥田圭亮-k5h
      @奥田圭亮-k5h Рік тому +8

      @@招き猫-t9s 様
      ありがとうございます。
      お気遣い感謝します。

    • @若杉蘭子-r9t
      @若杉蘭子-r9t Рік тому +3

      お互い、希望にもえてすごしましょう🎵

  • @Anii1470
    @Anii1470 Рік тому +5

    市橋先生、お疲れ様でした‼️すごく良く分かりました‼️織田信長の見る目はつくづくすごいですねぇ❗まだなの知れぬ徳川家康と和睦してまで家康を仲間にした、未来を見る目が有るのですねぇ‼️そして次も楽しみにしてますヨ‼️

  • @schnellbart
    @schnellbart Рік тому +12

    今川義元の死後、上杉が動き、武田が動き、甲相駿三国同盟が崩れ、織田徳川同盟と、一気に歴史が動いた感がありますね。
    逆にみるとそれだけ義元の存在が凄かったとも言えますね。

  • @うさぎ年-33
    @うさぎ年-33 Рік тому +21

    市橋先生の話を聞いてると、天下人の土台を作った岡崎に強い興味を持ちました。岡崎城や西光寺、大樹寺のかんぬきなど是非行ってみたいと思います。家康の強運もありますが、優秀な家臣とのきずなと結束が強くなっていったのは、家康の類まれなる魅力的な人物像がうかがえます。清洲城での清洲同盟の場面気になります。

  • @あんちゃん-l4f
    @あんちゃん-l4f Рік тому +2

    歴史素人の私 いつも勉強させて頂いてます。ありがとうございます。偉人素顔の履歴書 酒井忠次編の先生も素敵でした❤ 大河ドラマのオープニングにもお名前あり感激でした。正直ファンでーす。まだまだ勉強させていただきます。

  • @もとのゆき-d7n
    @もとのゆき-d7n Рік тому +4

    冷静にドラマにツッコミする先生の解説っプリがツボですw

  • @一哲-i7y
    @一哲-i7y Рік тому +3

    狗HKのドラマなんぞ、微塵も興味ないし、テレビ無いし、見ないけど市橋先生の動画は楽しみに拝見しています。浜崎さんの興味ない事に対しての反応とか…楽しいです。今まで読んだ小説や雑誌等の知識ベースに話し聞いて比較するだけでも楽しいです。そうやって歴史の実情に近いところに知識が追いついていけば良いな。

  • @dignity9315
    @dignity9315 Рік тому +5

    信長にとっては、北の斎藤氏および西の長島一向一揆勢力が無視できなかったのかなと思わなくはないですね、

  • @jyankuro15
    @jyankuro15 Рік тому +1

    カリスマ性とは、揺るぎない信念から生まれますからね。
    だからそれさえ持てば、誰でもカリスマを得る事は可能なんです。
    ただ、現代社会では難しいかもしれません。
    屍を踏みつけて先に進むような非情さも必要ですから。

  • @yasuoootubo3176
    @yasuoootubo3176 Рік тому +1

    今川義元が奇襲に遭って謀殺されたのは駿河国の民にとって非常に残念至極なこと。
    家康が再度駿河の国で過ごしたことで駿河国の英傑でもありますが、願わくば義元に駿河の国の英傑として長生きして欲しかったと思います。
    もし、はいつの時代もある話しですね。

  • @加晃
    @加晃 Рік тому +2

    動画関連のコメントでないですが、今回の大河ドラマの信長と家康の関係性だと対等な同盟関係を結ぶのは難しいと思うのですがどう思われますか?

  • @rikomiwa9532
    @rikomiwa9532 Рік тому +1

    どうする家康4話で家康が清洲城に出向いた時の、清洲城がまるで紫禁城みたいで違和感を感じました。(NHKがわざとやりそうなことだけど)
    本来の清洲城はどんな城だったのでしょうか?

  • @タカタカ-e8m
    @タカタカ-e8m Рік тому +7

    まー豊臣恩顧の大名まで、家康に忠誠誓う位やから、カリスマ性あったから、家臣団の結束が高かったやろうね~

    • @miyakoshim.4443
      @miyakoshim.4443 Рік тому +2

      カリスマ性はないし、家臣団の結束にも疑問符が付きますね
      将来性がありそうな人につくというだけです
      信玄の西上の際には松井、飯尾、神山、奥山、幡鎌、天野など遠江の国人は続々と離反し、三方ヶ原の敗戦では榊原などの譜代家臣は浜松に戻って家康と合流することなく、他所へ逃亡しています。信玄の寿命が一年か二年長ければ徳川家が消滅していた可能性が高いです。
      三河一向一揆での多数の家臣が離反してましたし、小牧・長久手のあとに石川数正、水野忠重、小笠原貞慶らが離反しています(秀吉は硬軟両様の策で家康を臣従させようとしましたが、徳川討伐を決意して上杉などの諸大名に軍勢の準備をするように書状を発したところ、家康が臣従したので討伐は中止となりました)。

    • @タカタカ-e8m
      @タカタカ-e8m Рік тому

      @@miyakoshim.4443 は?
      歴史知らんのやないか?
      黒田長政は、秀吉に助けられた奴だが、徳川家康に忠臣になったんだぞ!
      多分黒田長政が家康の忠臣にならなかったら、関ヶ原は負けてた!
      それだけ、魅力があったんやろね!
      黒田官兵衛は、家康派では無かったのにだよ!

    • @miyakoshim.4443
      @miyakoshim.4443 Рік тому +1

      @@タカタカ-e8m
      「家臣団の結束が高かったやろうね」ということへの反論として家臣が離れていった話をしていますので反論が意味不明です。
      黒田が家康に接近したのは、五大老筆頭で最大の石高を領していたので、秀頼が成人するまでは豊臣家筆頭家臣として権力を振るうだろうという権力者へのすりよりと、三成ら文治派と対立していた関係上であって、個人的に魅力があったわけではありません。
      長政は確かに竹中半兵衛にかくまわれて助けられたのですが、半兵衛の独断なのか、背後に秀吉がいたかどうかは不明です。
      また、関ケ原は徳川vs豊臣の戦いではなく、豊臣の家臣団どうしの戦いであり、東軍の諸将の秀頼を主君とする考えは変わらないので、豊臣を裏切っているわけでもありません(実際に、関ケ原後の数年間は諸大名は江戸と大阪の両方に参勤しており、秀頼が成人したら家康が政権を返還すると信じられていました「伊達政宗書簡」)。

    • @タカタカ-e8m
      @タカタカ-e8m Рік тому

      @@miyakoshim.4443 どう見ても、豊臣対徳川やろ!
      家康も豊臣の家臣やから、建前で豊臣の為とか言っただけ!
      織田秀信は、太閤に世話になったから、西軍に付くと言ってるしね!
      だから、豊臣は関ヶ原の戦いの後、60万石になったんよ!

    • @miyakoshim.4443
      @miyakoshim.4443 Рік тому

      @@タカタカ-e8m
      家康の本心がお家乗っ取りであるのは、そうかもしれませんが
      そんなことを言ってるのではなく、あなたが黒田長政が豊臣を見限って家康について東軍で戦ったのを家康の魅力だと言ったので、それは違うと言ってるわけです。
      東西両軍とも「秀頼公のため」を大義名分にかかげており、東軍の諸将は豊臣を裏切るという意識はなく、秀頼様のため君側の奸の光成を成敗するという意識なのですよ。
      織田秀信が西軍についたのは「美濃・尾張の2ヶ国を宛行う」と光成に勧誘されたからにすぎません。東西両軍とも秀頼公のため、太閤の御恩と言ってるわけなので、それを理由にどちらかに参加するハズもありません。
      秀頼公のためという意識は関ケ原の合戦後10年以上たっても変わらず、慶長16年の秀頼と家康の二条城での会見でも、福島正則を大阪城の留守居とし、浅野幸長、加藤清正、池田輝政らが秀頼に随行しています(随行した浅野、加藤、池田が、その後、次々と死亡したので家康は秀頼を滅ぼすことを決断しました)。

  • @saburoutanba581
    @saburoutanba581 Рік тому +2

    徳川(家)康  徳川秀(忠)
    明智(光)秀  織田信(長)
    今も徳川家や織田家の御子孫の方々が現存しておられるので、ケチつけるのは誠に申し訳無いんですが、三代将軍家光の母親は春日局だったんじゃないかと。
    家康がそんな非常処置を採ったのは、本当は信長が物凄く嫌いで、織田家の血筋を徳川に入れたくなかったんじゃないでしょうか。
    ンな事を言ってたら殴られるか殺されるな。

  • @タカタカ-e8m
    @タカタカ-e8m Рік тому +6

    今川はアホなんよ!
    負けたんだから直に巻き返す為に、
    味方を大事にしないとアカンのよ!

  • @fmsi8980
    @fmsi8980 Рік тому

    清洲同盟は無かった?ということは既に同盟済み?!
    桶狭間は家康側の手引き…などと妄想する歴史素人でした。

  • @悟朗江桜
    @悟朗江桜 Рік тому +5

    徳川方、織田方の史料に無いから、清洲同盟が「無かった」は、ないだろう。動画にもあるが、「実際、ある時点から、双方の争いが消え、書簡の遣り取りが激増し、協力関係がはっきりしている」という、実質の方が大事だ。これを「同盟」と言わずして、何を同盟と言うのか。史料に忠実なのは良いことだが、史料絶対主義は、却って歴史を見えにくくさせる、癌だろう。この辺、唯物論に囚われている印象があり、歴史学会の闇を感じる。

  • @下級専業トレーダーみきお

    事実は小説より奇なり、忠勝が家康蹴ったりちょとやりすぎなんだよ

  • @エツコタカハシ
    @エツコタカハシ Рік тому +1

    徳川家康さん役✨は三浦春馬さん✨でしょう!