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先生は資料をしっかり読み解いて解説してくれます。どのUA-camよりも見応えがあります。
引用元を明確に示して解説されるので信頼感が違いますね。
どうする家康はとても面白い。今までのどの家康のドラマや映画より新鮮な家康像を描いている。タイトルのどうするという質問形式からして興味深く企画された作家、デレクターの視点が第一回から目を引きました。本能寺の描きかた、伊賀こえの様子、命運がここまでならそれは其れまでの自分の定めと見定めた家康に敬服しました。伊賀越えの場面を初めてドラマでみた。変事の有無に気付いていたとか、秀吉と打ち合わせていたとか、小細工は天は赦さない事の重みは悟っていた武将であったと幼児期からの言葉にし難い苦労を耐えしかも祖母と今川の軍師に学問や仏その道を、様々な学問を教えられた家康の器は日本を統べる為に天から準備されて居たように改めて思いました。主演の松本潤さんの演技力に感心しましたし、本田平八郎さんの大ファンでしたから正信さんとの違いが何処にあるのか、より詳しく分かりNHKの家康番組にとてもワクワクしながらみています。一家の主だけでも責任が重い。小さな家康が戦国の風雲の中で悩みながら家を、一国を守り家臣や民衆のなかで大きく育って生きて日本を統べたこと、これこそ神様の思し召しでなかったのではないかと感謝しながら、見ています。石川数馬さんが、出奔をする真相をも描いて下さりそうで楽しみ。松本城の城主に許されてなられてますね。彼はアルプスの山並みを月見櫓でみて感慨は如何だったのかと、旅で訪れた時に思いました。有り難うございました。親しみやすい家康と三河の人々に深く感謝します。
いつも面白い配信ありがとうございます。交野(かたの)と読みます
堺ではありませんが、大阪市内に生まれ育ったものとして言わせてもらうと、おっしゃる通り京都へ行くのに東大阪、四条畷軽油などと考える人はまずいません。守口、枚方経由が自然だと思います。河内の人であれば必然的に四条畷を通ることはあると思いますが。同じく京都から見ても同様です。家臣が家康に知らせるのにはいかにも不自然なルートですね。近年、大和経由伊賀越え説もあるくらいですからなおさらです。
古文書や今の現地の案内を交えて解説を交えて解説してくださるのはありがたいと思っています。生駒山中だけでも歩いてみたいです。
私の住む街をひと山越したら甲賀信楽です。家康公が伊賀越で通った道が所々に残っております。今は第二名神高速が通り往来も頻繁ですが当時は土地の者しか知らぬ荒れ道を家康公一行は必死に駆けたのですね。
先生、今日の説明で家康一行が通った交野枚方(コウノヒラカタ)でわなしに(カタノヒラカタ)です。
交野妙見坂に家康顰(ひそ)みの薮の旧跡があります。
本当に内野聖陽さんの家康傑作やな😅👍‼️
そうですよね。京都に向かうにはおかしなルートですよね。堺から三河に向かってるとしか思えないですよ。
四条畷を経て交野市の星田から北上すれば石清水八幡宮に至るルートがありましたから別段不思議ではありません。
白子出身ですが蜷の塩辛って聞いたことなく食べるものとは思っていませんでした。家康がここから出航したということは小6のとき同級生の自由作文で知りました。学校の地域歴史教育もありませんでした。
伊賀越えはハイキング並みに安心してゆとりをもって通ることが出来ましためでたしめでたし
毎回すごいぁー面白いなぁーと拝見しています。昔の古文書を読み解ける先生が素晴らしいです。自身の先祖を求めて古文書を見るも知識大不足でしてが亀山まで遡りました。何か家康の伊賀越えに関わる地域なのかな?と思いきや!伊賀越で亀山は資料には出てこないのですね?毎回!これからも拝見させてください。酷暑ですがご自愛ください。有難うございますm(__)m
細かいことかもしれませんが、飯盛山は東大阪市ではなく、大東市と四條畷市にまたがってあると思います。
当時の「のろし」には劣るけどそのような到達速度ですね徳川マッハ家康!!
梅雪の墓は飯岡(イノオカ)の渡し付近にあります。草内の渡しではありません。
秀満は家康は同盟者と考えていたでしょうね。伊賀越え同行者の中には、明智秀満の母方の武士三宅氏がいたので。しかし明智秀満も、斎藤利三も秀吉が毛利氏と戦いながら、まさか介入工作をしていたとは気付かなかった。まず戦う敵は柴田勝家と滝川一益に絞っていた。それが敗因。
明智秀満ってだれ?明智光秀のことか
@@joc8764 いいえ。光秀ではありません。光秀の従兄弟であり、養子の明智左馬之助秀満です。別名は三宅弥平次、或いは遠山景玄、明智光俊ともいいます。明智軍記では明智光春と言いました。明智光安(遠山景行)の長男です。
穴山梅雪は「家忠日記」には家康が大浜に上陸したくだりに切腹したと書いてあります。いつどこで切腹したかは書いてない。家康が詰め腹を切らせた可能性もあり、その後の(空白地となった甲斐・信濃をめぐる)天正壬午の乱にもつながります。
伊賀越えが当時の6月(今の7月)とすると、「柿を食べた」はないですね。干し柿とか(笑)?
投稿主様全般に言えることですが、例えば 25:32 あたり、先生が指を指しておられる位置は、動画で見ていると実際読んでおられる行の2,3行左となっています。提案ですが鞭を使って指差してしていただけると、今どこを読んでおられるかがわかりやすいと思います。先生も腕を先まで伸ばさなくていいと思います。よろしくご検討ください。
6月に柿は、なってないですね。💦
光秀は家康を討つつもりはなかったのでしょうか。敵とも思わないほど軽くみていたのでしょうか。それとも、討ち漏らしたのでしょうか。
穴山梅雪は土民にやられた事にしたのかもしれませんね。
明智光秀公と多羅尾光俊公の末裔には誰もが知る名探偵がいますね❗️笑
先生の話は面白いですが、女性のアシスタントが大河ドラマも見てないようで、合いの手のコメントが酷すぎ
進行役としては適任と思いますよ。知らない人相手に先生が解説するという流れで進めてるだけです。知ったげに先生の話食っちゃうよりもよほどいいと思います。出しゃばりすぎないの良いと思いませんか?
交野(カタノ)難読地名
交野市(かたの)、枚方市(ひらかた)
天麩羅は元々、スペイン料理。
諸説コレ有り!!真実は闇の中😂
本能寺の変後に光秀から家康に使者や書状は来なかったのでしょうか
馬の移動には 馬のえさカイバガ必要持って移動はできませんと思いますが?牛は草だけでいいのですが馬は当時どうしていたのでしょう。のちの江戸時代の私の村には馬1頭と記されています。10キロ離れた桑名の参勤交代にも貸し出されたと言われています。歩いて移動が 普通と思われますが さてお殿様はどうでしょう?
堺から紀伊半島沿いに船で逃げなかった理由はなんなでしょうか。明智が大阪湾を支配していたんでしょうか。
とりあえず居場所の特定をされたくなかったんじゃないですか?。船の手配も難しいかもしれませんし、海路は天候に左右されやすいのもあると思います。
本能寺の変の相談を光秀がしているというのを、忍者なりだれかが、事前に聞いていたりしないのでしょうか。
光秀本人、あるいは春日局の父親から聞いていたのではw
半蔵かも
明智と家康が敵対してたら春日局は歴史からいませんよ。
今作の大河は春日局を始末したいんでしょうな脚本家の頭の中どうなっているのか気になる
伊賀越えは、吉宗の時代になって伊賀の人々が就職のために創作したもので、実際には甲賀が中心です。さらに、家康は影武者を用意していました。この二点について、まったく情報を見ていないのは致命的です。
家康は光秀が謀叛を起こす事を知っていたんじゃないかと思います
そりゃ事前にねえお互いに絵図を描いていたかもしれない・・・
@@joc8764pp
黒幕説の明智健三郎ですね。
@@tomoki1419'❤
来た道を通って京の信長へ挨拶に3日ぶりに帰路の道路は気分や観光見聞で変更してもとくにおかしくは思えないし麒麟の時は勅命が光秀にあったようなシナリオだったし今期の光秀の怨恨強い事変を家康公の境遇にもヒモ付ける演出はしんどいけど~戦国恐るべし壁に目あり障子に襖あり南無
陰謀のつるべ打ちじゃないか!
主役が松潤なのもすごいですが半蔵が山田孝之さんていうのは本当にすごいなって思います。それだけでも楽しめます。そして今回も興味深い解説ありがとうございました。これが無料で見れるというのは本当に嬉しい限りです。資料を提示して解説いただけるスタイル、本当に感服です。これだけでも結構大変でしょうに…。最後の半蔵門のくだりまで楽しめました!それにしても今回の大河での光秀公の描き方は少し残念すぎる気がしました。秀吉がひとつの大ボスとして描く必要があるにしてもあまりに小物感が否めない…。もう少しまともな人として描いてほしかった。できれば「善人過ぎてはめられたひと」みたいな感じで…。
庵札とか独札とか………階段から 落ちるとか窓から 落ちる とか(ほんと、映画見たい ですね 遅露国ぁ~m(_ _)m
確かに、馬は食事の後に休ませないと馬(タヒ んじゃい ますもんねぇ~、
蜷貝 ですか? 塩辛?肴に 成りそう❤
ま😮そ
そもそも家康公は何日掛けて堺から岡崎に帰ったの?白子からはほぼ明確だよな?
江は一緒じゃなかったの?w
この大河ドラマ視聴対象の年代は?もはや目に余ります。見るに耐えない。
REPご無礼、私には、今回(「伊賀を越えろ」)面白かったです。年齢60、過去の大抵の大河は観てます。大河では「樅ノ木はのこった」「元禄太平記」「花神」「黄金の日々」「おんな太閤記」「太平記」とかが面白かったですね。大河ではないですが、「真田太平記」よかったですね、私の中では「真田丸」よりおもしろかったです。今回も自分の中では波がありますが、楽しめてます。
@@MJ-vw9ud 楽しみ方は人それぞれ。大河ドラマ、家康、戦国物が好きなら一定以上の水準を求めると思いますよ。好きだからこそ不満も出ます。
必死になって擁護するほど面白くはないのは確か
6月に柿を食べた?干し柿❓️
干し柿でしょうね信長が饗応役を光秀に命じて家康をもてなした天正十年安土御献立の記録にもデザートとして美濃柿が載ってるのでそれも干し柿かなぁと思ってました
書かれたとうりに説明してくれなければわからない?説明があまりうまくないと思います!
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一家の主だけでも責任が重い。小さな家康が戦国の風雲の中で悩みながら家を、一国を守り家臣や民衆のなかで大きく育って生きて日本を統べたこと、これこそ神様の思し召しでなかったのではないかと感謝しながら、見ています。石川数馬さんが、出奔をする真相をも描いて下さりそうで楽しみ。松本城の城主に許されてなられてますね。彼はアルプスの山並みを月見櫓でみて感慨は如何だったのかと、旅で訪れた時に思いました。有り難うございました。親しみやすい家康と三河の人々に深く感謝します。
いつも面白い配信ありがとうございます。
交野(かたの)と読みます
堺ではありませんが、大阪市内に生まれ育ったものとして言わせてもらうと、おっしゃる通り京都へ行くのに東大阪、四条畷軽油などと考える人はまずいません。守口、枚方経由が自然だと思います。河内の人であれば必然的に四条畷を通ることはあると思いますが。同じく京都から見ても同様です。家臣が家康に知らせるのにはいかにも不自然なルートですね。近年、大和経由伊賀越え説もあるくらいですからなおさらです。
古文書や今の現地の案内を交えて解説を交えて解説してくださるのはありがたいと思っています。生駒山中だけでも歩いてみたいです。
私の住む街をひと山越したら甲賀信楽です。家康公が伊賀越で通った道が所々に残っております。今は第二名神高速が通り往来も頻繁ですが当時は土地の者しか知らぬ荒れ道を家康公一行は必死に駆けたのですね。
先生、今日の説明で家康一行が通った交野枚方(コウノヒラカタ)でわなしに(カタノヒラカタ)です。
交野妙見坂に家康顰(ひそ)みの薮の旧跡があります。
本当に内野聖陽さんの家康傑作やな😅👍‼️
そうですよね。京都に向かうにはおかしなルートですよね。堺から三河に向かってるとしか思えないですよ。
四条畷を経て交野市の星田から北上すれば石清水八幡宮に至るルートがありましたから別段不思議ではありません。
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伊賀越えはハイキング並みに安心してゆとりをもって通ることが出来ましためでたしめでたし
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細かいことかもしれませんが、飯盛山は東大阪市ではなく、大東市と四條畷市にまたがってあると思います。
当時の「のろし」には劣るけどそのような到達速度ですね
徳川マッハ家康!!
梅雪の墓は飯岡(イノオカ)の渡し付近にあります。草内の渡しではありません。
秀満は家康は同盟者と考えていたでしょうね。
伊賀越え同行者の中には、明智秀満の母方の武士三宅氏がいたので。
しかし明智秀満も、斎藤利三も秀吉が毛利氏と戦いながら、まさか介入工作をしていたとは気付かなかった。
まず戦う敵は柴田勝家と滝川一益に絞っていた。
それが敗因。
明智秀満ってだれ?明智光秀のことか
@@joc8764
いいえ。光秀ではありません。光秀の従兄弟であり、養子の明智左馬之助秀満です。別名は三宅弥平次、或いは遠山景玄、明智光俊ともいいます。明智軍記では明智光春と言いました。明智光安(遠山景行)の長男です。
穴山梅雪は「家忠日記」には家康が大浜に上陸したくだりに切腹したと書いてあります。いつどこで切腹したかは書いてない。家康が詰め腹を切らせた可能性もあり、その後の(空白地となった甲斐・信濃をめぐる)天正壬午の乱にもつながります。
伊賀越えが当時の6月(今の7月)とすると、「柿を食べた」はないですね。干し柿とか(笑)?
投稿主様
全般に言えることですが、例えば 25:32 あたり、先生が指を指しておられる位置は、動画で見ていると実際読んでおられる行の2,3行左となっています。提案ですが鞭を使って指差してしていただけると、今どこを読んでおられるかがわかりやすいと思います。先生も腕を先まで伸ばさなくていいと思います。よろしくご検討ください。
6月に柿は、なってないですね。💦
光秀は家康を討つつもりはなかったのでしょうか。敵とも思わないほど軽くみていたのでしょうか。それとも、討ち漏らしたのでしょうか。
穴山梅雪は土民にやられた事にしたのかもしれませんね。
明智光秀公と多羅尾光俊公の末裔には誰もが知る名探偵がいますね❗️笑
先生の話は面白いですが、女性のアシスタントが大河ドラマも見てないようで、合いの手のコメントが酷すぎ
進行役としては適任と思いますよ。
知らない人相手に先生が解説するという流れで進めてるだけです。
知ったげに先生の話食っちゃうよりもよほどいいと思います。
出しゃばりすぎないの良いと思いませんか?
交野(カタノ)
難読地名
交野市(かたの)、枚方市(ひらかた)
天麩羅は元々、スペイン料理。
諸説コレ有り!!真実は闇の中😂
本能寺の変後に光秀から家康に使者や書状は来なかったのでしょうか
馬の移動には 馬のえさカイバガ必要持って移動はできませんと思いますが?牛は草だけでいいのですが馬は当時どうしていたのでしょう。のちの江戸時代の私の村には馬1頭と記されています。10キロ離れた桑名の参勤交代にも貸し出されたと言われています。
歩いて移動が 普通と思われますが さてお殿様はどうでしょう?
堺から紀伊半島沿いに船で逃げなかった理由はなんなでしょうか。明智が大阪湾を支配していたんでしょうか。
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船の手配も難しいかもしれませんし、海路は天候に左右されやすいのもあると思います。
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光秀本人、あるいは春日局の父親から聞いていたのではw
半蔵かも
明智と家康が敵対してたら春日局は歴史からいませんよ。
今作の大河は春日局を始末したいんでしょうな脚本家の頭の中どうなっているのか気になる
伊賀越えは、吉宗の時代になって伊賀の人々が就職のために創作したもので、実際には甲賀が中心です。
さらに、家康は影武者を用意していました。
この二点について、まったく情報を見ていないのは致命的です。
家康は光秀が謀叛を起こす事を知っていたんじゃないかと思います
そりゃ事前にねえお互いに絵図を描いていたかもしれない・・・
@@joc8764pp
黒幕説の明智健三郎ですね。
@@tomoki1419'❤
来た道を通って京の信長へ挨拶に3日ぶりに帰路の道路は
気分や観光見聞で変更してもとくにおかしくは思えないし
麒麟の時は勅命が光秀にあったような
シナリオだったし
今期の光秀の怨恨強い事変を
家康公の境遇にもヒモ付ける
演出はしんどいけど~
戦国恐るべし
壁に目あり障子に襖あり
南無
陰謀のつるべ打ちじゃないか!
主役が松潤なのもすごいですが半蔵が山田孝之さんていうのは本当にすごいなって思います。それだけでも楽しめます。
そして今回も興味深い解説ありがとうございました。これが無料で見れるというのは本当に嬉しい限りです。資料を提示して解説いただけるスタイル、本当に感服です。これだけでも結構大変でしょうに…。最後の半蔵門のくだりまで楽しめました!
それにしても今回の大河での光秀公の描き方は少し残念すぎる気がしました。秀吉がひとつの大ボスとして描く必要があるにしてもあまりに小物感が否めない…。もう少しまともな人として描いてほしかった。できれば「善人過ぎてはめられたひと」みたいな感じで…。
庵札
とか
独札
とか………
階段から 落ちる
とか
窓から 落ちる とか
(ほんと、映画見たい ですね 遅露国ぁ~
m(_ _)m
確かに、馬は食事の後に休ませないと
馬(タヒ んじゃい ますもんねぇ~、
蜷貝 ですか? 塩辛?
肴に 成りそう❤
ま😮そ
そもそも家康公は何日掛けて堺から岡崎に帰ったの?白子からはほぼ明確だよな?
江は一緒じゃなかったの?w
この大河ドラマ視聴対象の年代は?もはや目に余ります。見るに耐えない。
REPご無礼、私には、今回(「伊賀を越えろ」)面白かったです。年齢60、過去の大抵の大河は観てます。大河では「樅ノ木はのこった」「元禄太平記」「花神」「黄金の日々」「おんな太閤記」「太平記」とかが面白かったですね。大河ではないですが、「真田太平記」よかったですね、私の中では「真田丸」よりおもしろかったです。今回も自分の中では波がありますが、楽しめてます。
@@MJ-vw9ud
楽しみ方は人それぞれ。
大河ドラマ、家康、戦国物が好きなら一定以上の水準を求めると思いますよ。
好きだからこそ不満も出ます。
必死になって擁護するほど面白くはないのは確か
6月に柿を食べた?干し柿❓️
干し柿でしょうね
信長が饗応役を光秀に命じて家康をもてなした
天正十年安土御献立の記録にも
デザートとして美濃柿が載ってるので
それも干し柿かなぁと
思ってました
書かれたとうりに説明してくれなければわからない?説明があまりうまくないと思います!