KUNI 僕自身3月の八甲田丸で燃え尽きたので青函博は行かないつもりでした。 でも夏になるとまた行きたくなり、ワイド周遊券で行き帰りとも連絡船に乗りました。 その頃から旅の荷物を小さくすることに凝りだし、またもう撮るものは無いと考えていたので、ビデオは持たず、コンパクトカメラだけで旅行したので動画はありません。 残念な事です。
Old Times Good Times これは!凄い経験をお持ちの方からのコメントですね。 ありがとうございます。 均一券にディーゼル白鳥とは! 僕の中では「歴史の本」中の出来事に感じますが、当時を経験された方からすると記憶に鮮明に残っているものなんでしようね。 その感覚を伝えたいので動画を通じてさらに若い世代へわかる動画を送り続けています
うちが1歳の頃だ👶👍
この前々日…3月11日朝に、前日上野から乗車した急行八甲田から下車し、青森港発10時頃の八甲田丸に乗船、初の北海道上陸を果たしました。昭和末期の青函連絡船の廃止まであと2日!という機会に、ギリギリ間に合いました。人生唯一の連絡船乗車となった思い出に浸り、すごーく懐かしく動画を拝見させていただきました。
札幌に住んでた友人との、京都で分かれて以来6年ぶりの再会を楽しんだあと、帰りは、青函トンネル開業2日目に、快速海峡号…お目当ての50系改造海峡型ではなく、14系客車であったのがとても残念だった記憶が甦ってきました。それでも、全車立ち客も出るほどの満員で、通常の2編成分…10両を超える長大編成であったと記憶しております。青森からは、これまた懐かしい14系急行津軽で実家の山形に立ち寄り、京都の自宅に戻る大旅行でした。
昭和末、学生生活末期…の、懐かしい思い出😂😂に浸り、じんわりホッコリさせていただき、本当にありがとうございました。
…長文失礼いたしました。
ほぼ同じ時期に乗られていたとなると、どこかでお会いしてるかもしれませんね。
この63.3の時が周遊券の史上最大人数だったと聞きます。
夜行列車に並ぶのも楽しかったですね
一度は乗船してみたかった…😔
青森を離れるとき、次乗る時は旅の終わりか…と感傷的になっていた20日間の周遊券の旅でした
この日、私は函館の方にいました。朝市で貰って来た段ボール箱に30時間並んでもらって22便羊蹄丸の乗船名簿を手に入れました。
羊蹄丸の方の動画は幾つか見掛けましたが、青森発の7便の方の動画が見付けられずに、出港時の様子がどんな感じだったのかずっと気になっていました。
貴重な動画、本当にありがとうございました。
yoteimaru 8311t ありがとうこざいます。
別にアップしている連絡船動画ですれ違う連絡船が写ってますが、そちらに乗っておられたという事ですね。
懐かしい時代です
これまた懐かしい動画を見せていただき、ありがとうございます。鉄ちゃんのくせして、青函連絡船や宇高連絡船は船なのに特別な思いがあって、私も昭和63年は年明けから函館へ行ったり、高松へ行ったりしていました。青函連絡船については、定期運航のラスト運行の時には行くことができませんでしたが、この年青函博開催に併せて復活運行されていた青函連絡船の事実上のラスト運行の9月18日上り最終便羊蹄丸には乗ることができました。(本当のラスト便はこれの折り返し函館行きでしたが・・・)
ただ、定期の最終運航日と違って大きく報じられることもなくややさびしいさよなら便だったように記憶しております。
KUNI 僕自身3月の八甲田丸で燃え尽きたので青函博は行かないつもりでした。
でも夏になるとまた行きたくなり、ワイド周遊券で行き帰りとも連絡船に乗りました。
その頃から旅の荷物を小さくすることに凝りだし、またもう撮るものは無いと考えていたので、ビデオは持たず、コンパクトカメラだけで旅行したので動画はありません。
残念な事です。
何度も何度も乗りました。ただただ懐かしい。
ありがとうございます。
懐かしく思ってもらえるのが喜びです。
私も青函連絡船最終日の八甲田丸に、青森から乗船しています。もしかしたら、この映像の便に、当時18歳だった私も乗っているかもしれないですね。
どこかに映っていますか?
あまりに懐かし過ぎて涙が出そうです‼️
何度かお世話になり、高校の卒業論文で青函連絡船について調べた事を思い出します❗
ありがとうございます。
連絡船の汽笛はなぜ、あんなにも心に響くのでしょうか。
2002年の夏に青森駅へ行った際ばっさり切られる駅の跨線橋を見かけたのですが、
思えばあれが連絡船のりかえ通路だったんだろうなと
その先には八甲田丸が停泊してあったので間違いないかと思われます
八甲田丸が公開されていたので貴重なものがみれました
ごっちんまりあ 連絡線通路はしばらく残っていたと思いますが、いつ切られてしまったんですかね。
何度も通ったはずなのに元の位置関係が思い出せません。
3~5歳くらい年上だったら間違いなく乗船できていた世代です。「津軽海峡冬景色」の歌詞と同じく、本当に旅情溢れるものだったと思います。
自分が行った時は、急行はまなすで渡り、数日後快速海峡で戻りました。
映画「海峡」もリアルタイムに見ていたので、「先進導坑開通」「本坑開通」まで感動もありましたが、旅情という面では本当に連絡船は良かったと思います
だからこそ、 歌にもなり、小説にもなったのでしょう。
学生時代に、関西から北海道均一周遊券を利用して旅しました。
ディーゼル特急「白鳥」から深夜の青函連絡船に乗船し、本州側と北海道側の空の色の違いに感動しました。
「旅」は道中が楽しいのです。
Old Times Good Times これは!凄い経験をお持ちの方からのコメントですね。
ありがとうございます。
均一券にディーゼル白鳥とは!
僕の中では「歴史の本」中の出来事に感じますが、当時を経験された方からすると記憶に鮮明に残っているものなんでしようね。
その感覚を伝えたいので動画を通じてさらに若い世代へわかる動画を送り続けています
レスありがとうございます。
wikiで調べたら、キハ82系はその年(72年)が最終で、10月から485系にバトンタッチしていました。
ちなみに均一周遊券は8,900円でした(^^)
旅一郎さんの動画は、古き良き時代の懐かしい香りが溢れています。
Old Times Good Times あれ?72年なら意外に最近ですね!
白鳥の82系というと勝手に昭和30年代とイメージしていました。
事実を伝えると言っておきながら恥ずかしい話です。
Old Times Good Times さん
気動車特急「白鳥」なんて
羨まし過ぎですワ、
当然ながら北陸本線の杉津や親不知・青海川は旧線経由ですね、その経路を特急では無く客車列車を乗り継いで
北海道入りしたら素晴らしい
思い出残ったと思います。
学生時代は、鉄道は好きでしたが、まだそれほどこだわりを持ってない時代で、上にも書きましたが、72年の10月から485系の電車特急に置換えられましたので、その3ヶ月前にたまたま乗ってたという事です(^^♪。
1,000キロ、約15時間の旅ですが、帰りは青森→大阪の「急行きたぐに」で約22時間の旅でした(^^;)
これはきつかったですけど、若いから出来たんでしょう。
連絡船のラストラン、素晴らしいです。いよいよ、本州と北海道がレール1本で結ばれる、青函トンネルが開業されました。
千葉勝己 ありがとうございます。
この時代が一番力入れて動画撮影をしていたので、いろいろ残っています
いつ見ても懐かしい😢
うえひらかずひと ありがとうございます。
旅情っていうのはこういうのを言うのだと思います。
現在この八甲田丸は、青森駅の近くの岸壁にメモリアルシップ八甲田丸として保存されています。青函連絡船には、今の北海道新幹線では味わえない魅力がいっぱいつまっています。
Poron Yumeno 青森のメモリアルシップや東京船の科学館の羊蹄丸どちらも行きました。
泣きそうになりました
1988年(昭和63年)3月13日。八甲田丸はこの日、まず上り170便(函館第1岸壁2時40分発・青森第1岸壁6時35分着)に充当され、上り最終の鉄道車両航送を担いました。
折り返しの下り23便(青森岸壁7時30分発・函館第2岸壁11時20分着)では旅客・乗用車を航送した他、下り最終の鉄道車両航送も担いました。この時に航送したのは青森桟橋での役目を終えた控車20両で、これが青函連絡船における最後の鉄道車両航送となりました。
そして、青函連絡船の下り最終便である7便(青森第2岸壁17時05分発・函館第1岸壁20時55分着)に充当され、終航となりました。
ある夏のこと。青森を出航してどの位だったろう? 船内放送がかかり、デッキに出てみると 野生のイルカたち🐬🐬がたくさん ''羊蹄丸'' と ''追いかけっこ'' してるかのようにジャンプしていた光景・・・。私が船旅を好きになったキッカケであり、一生の宝物です。長声一発 !
おー、そうなんですね。
連絡船に書いてあるイルカの絵も伊達ではないんですね!
@@user-tabiichiro 連絡船とか津軽海峡とか聞くと ''あの歌'' のせいか😅、寒くて荒波の冬景色を思い出してしまいますが穏やかな夏の海峡ではよく観られる光景なのだそうです!素敵な動画をありがとうございました!
2:04の乗船口の案内板には出港時刻と同時に使用する船も表示されるので次は何時頃にどの船で出港するのかが一目で分かりますね。そして、3:03の連絡船を送るファンファーレも壮大ですね。
Poron Yumeno 最終日は感無量で何があったか思い出せないです
最終日の最終便、正にこの八甲田丸に乗船できました。
なんと!そうなんですね。
ということはかなり並んだんですね?
連絡船には間に合わなかった世代ですが、船に乗らないと北海道に渡った気分になれない、という感覚が伝わってくるようです 青森から函館まで現在は2回も乗り換えて面倒ですね、しかも所要時間は在来線時代と大して変わらず 政治の話はわかりませんが、北海道に新幹線通して何がしたいのかわかりません
新幹線を作る代わりに末端の在来線(すでに廃止されたローカル線、および今後が怪しい根室、石北、宗谷などの路線)はほったらかし。
新幹線ができてよかったよかったというニュースばかりで、その陰で捨てられている方には光が当たらない
事実よりも見せ方ばかりになってますね。
北海道新幹線の昨年の営業赤字が100何億で、根室本線・日高本線の復旧費用より高いという話を何処かで読んだ記憶があります 2路線とも廃止にして復旧費用を赤字補填に回せば、1年くらいは新幹線を運行できるのでしょうか 札幌開業まであと12年(だったっけ?)もあるのにJRも大変ですね(笑)
北海道民自身も新幹線をそこまで欲しいと思っているのでしょうか。
「どうせ飛行機に乗る」と言いそうです。
ほしいのは新幹線の列車ではなくて新幹線「工事」でしょう。
同じ工事なら、在来線の強化をして、運休しない強い鉄道を作ってほしいものです。
旅一郎さん
せいぜい仙台くらいまででしょうね、札幌から新幹線を利用するのは
国土軸を建設するという大義名分なら、稚内まで作って欲しいもんです
MAT MAT 稚内、根室は必要ですね。
青森桟橋迄が青函船舶鉄道管理局(函館)の管轄だった。青森桟橋長は連絡船の船長の指定職。オカと船を交互に担当。青森桟橋施設区も青函局所属の現業機関だった。連絡船と乗組員は函館船員区所属。船内の売店は鉄道弘済会函館営業所。食堂も函館。今はもう昔。映像でしか見られなくなった!
GRC AMB トンネルは悲願ではありましたが、やはり旅の楽しみという点では連絡船が良かったですね。
青森を離れる時、「あーこれでしばらく帰れないな」と思ったものです
北海道新幹線の開業で青函連絡船は更に遠い物となってしまったと思います
本当にそう思います、時間は速くなったのに、費用が掛かりすぎ心理的距離が長くなりました、
4:26 船のマークにはイルカさんが描かれてるのね。ポロンみたいにとってもかわいい♡(ポロン)
Poron Yumeno 全部いるかマークでしたね
連続吹笛と1列に並んだ見送りの職員がなんか悲しいですね、
青函トンネル開業と本四備讃線開業は既に佐川急便に居て一番ハードな時代で訪問どころかニュースなどの報道見る事もままならない時代でした、(朝5時半出勤、帰ってくるのは0時頃で繁忙期は1時を回りで休みは殆ど有りませんでしたから、)
北海道は津軽海峡を渡ってこそ
遥々来たと思いも強かった、
航空機で2時間程で着いたり、闇が続く青函トンネルは北海道に来れたと言う感慨が薄れてしまう、
出航時紙テープは末期は使えたんで
すね、投げたテープが人に当たる場合が有るからと禁止されてたと思うんですが、出航時の紙テープは船に乗る時の一つの憧れ的な気持ちが有りましたが夏の礼文航路で経験する事が叶いました、以前に別の書き込みで船も好きと書き込みましたが、そのきっかけが青函連絡船でした、高校生まで家族や単独で遠方に出掛ける事が殆ど無く
近く(琵琶湖の遊覧船)や下津井〜櫃石島の小型フェリーしか乗った事が無く5000㌧クラスの青函連絡船が
巨大に見えました、初めて乗ったのは「松前丸」この時は津軽海峡は大時化(しけ)で陸奥湾から海峡に入ったら売店と食堂は営業中止でグリーン指定席の窓際に居ましたが常に船が傾いた状態でウネリに
上下揺さぶられてたから自分のいる窓側は空と波しぶきしか見えず
反対側は水面しか見えず、洗車機の中を車内から見ている様な状態でした、乗り物酔いなどしない体質だから傾いた状態で上下に
「しゃくる」豪快な揺れがたのしく船内通路を行ったり来たりしてました、波の山の頭頂部から船先
がウネリに突っ込んでドスンと衝撃が来て一気に上に持ち上げられる感触が豪快でした、周りの人は青い顔した人が多かったけど自分は
ニヤニヤ笑いながら珍しい経験を楽しんでました、
この大時化が.かえって船旅の強烈な印象となり大型のフェリーが好きになり、あちこちで乗る様になりました、小型船なら欠航レベルでしたから、津軽海峡で時化に有ったのはこの1回だけでした、
新居義浩 おっしゃる通り、鈍行乗り継ぎで連絡船でたどり着いた景色と飛行機などで辿り着いた景色は見えかたがちがうと思います
新型コロナ不況で、停泊してる、八甲田丸施設の売り上げ減少です。新幹線も、売り上げ減少してると、連絡船みたいに、赤字廃止になりそう。八甲田丸や、摩周丸で、コロナ不況吹き飛ばそうの、横断幕を掲げて下さい!!
原田麻奈美 とりあえずgo.toキャンペーンで客足が戻る事を期待しつつ、僕も行きます