栗原電鉄 さよなら貨物(1995年)
Вставка
- Опубліковано 5 сер 2024
- くりはら田園鉄道の前面展望を見たい方はこちら
ブルーレイ復刻版→vicom.co.jp/mt/2013/05/6572.html
DVD→vicom.co.jp/mt/2007/03/4571.html
栗原電鉄は東北本線・石越駅から分岐し、細倉マインパーク前までの25.7kmを結んだ電化私鉄だった(細倉鉱山への貨物線区間を除く)。しかし細倉鉱山からの貨物輸送が廃止されると民営鉄道としての限界となり廃止が検討された。親会社である三菱マテリアルは保有する株を宮城県や沿線自治体に譲渡し、駅舎を修繕し、累計赤字のすべてを負担して経営から撤退。会社は官主導の第三セクター鉄道として再出発した。また車両や変電所が老朽化していることから気動車を新製し電気運転を廃止すること、あわせて1995年4月1日から社名をくりはら田園鉄道とすることとなった。
電気運転の廃止は、電車の運行、変電・送電施設の廃止を意味するが、栗原電鉄では走ることができなくなる電気機関車と、貴重な木造の貨車を用いて、さよなら臨時貨物列車を若柳~細倉マインパーク前で一往復走らせた(3/25・26・31日の3日間。映像は3/31のもの)。牽引機はED20形1号機。ナローゲージ時代の電気機関車・ED18を改造し、狭軌の台車を履かせた珍機である。車体が小さなぶん、足回りやパンタグラフが非常に大きくユーモラスな外観になっている。2両の無蓋車はト100形103と102。何も積んではいないが、車票によると枕木を輸送したことになっているあたり芸が細かい。もとは兵庫の播丹鉄道の車両で鉄道省・西武鉄道を経てやってきた。そしてトリを飾るのが緩急車ワフ7形4。ハンドブレーキの位置が出っ張っているなど古典的なスタイルをしている。こちらも、もともとは武蔵野鉄道(現:西武鉄道)の車両だと思えば西武ファンにも受け入れられよう。
終点の細倉マインパーク前では機回し・入換を行わないとそのままの向きでは戻れない。ED20・ト・ワフを切り離し、それぞれ順序を入換え、ヘッドマークも車票も付け替えて折り返した。電車の乗り納めに訪れたファンも、思いがけないファンサービスに腐心してくれた栗原電鉄に感謝したことだろう。なお撮影には栗原電鉄の許諾を得ており、敷地内に立ち入って撮影したカットがある。転換前の忙しい中、快く取材に応じて頂き感謝している。
この撮影の翌日からKD95形による運転となったくりはら田園鉄道だったが、予想以上の赤字と乗客の減少、宮城県の撤退という事態から廃止を決定。2007年3月いっぱいで廃止されバス転換された。車両の多くは若柳駅跡やチャチャワールドいしこし、細倉マインパーク前駅跡などに保存されており、若柳駅跡での保存車両の一部は動態保存されている。興味がある方は現地を訪れてみるのも一興か。最寄り駅は、東北本線・石越駅、あるいは東北新幹線・くりこま高原駅。マイカーならば東北道の若柳金成インターが現地に近い。 - Авто та транспорт
これだけ中に入って撮影できた時代。
皆ルールちゃんと守っていたからできたのか、時代が緩かったせいなのか。
いずれにしろ、現在では考えられないこと。
いい時代だったなぁ。
この緩急車、とても味があって良いですね。
皆さんコメントありがとうございます。
路線廃止は残念ですね。地方の公共交通のあり方を考え直さないとローカル線の恒久的な存続は無いように思います。ただ沿線人口の減少や少子高齢化、バスやマイカーの普及率は地方ほど高く、抜本的な対策というか一気に解消できる妙案は無さそうですね。
栗原電鉄は、もともと三菱系の細倉鉱山で用いる物資や製品の輸送が基本となってできた路線ですので、それらを主とし、さらに沿線の特産物である米や肥料、生活物資などを輸送していたようです。
そうなんですねもとも三菱系の細倉マインパークまで貨物を運んでいたんですね
貨物のみならず、路線自体まで廃止になってしまい、悲しいです。
三菱系の細倉鉱山の鉱石
輸送の為…の路線
貨物はS60年頃に廃止
その後ED20と貨車は
保線作業用で残っていた
電化最終日の頃
イベント的に運転…
貨物列車だけでも残して欲しかったですね
貨物だけでも残して欲しかったな
そもそもは細倉鉱山の物資を運ぶためでした。
鉱山からの物資主に粗鉱と言う鉛、亜鉛鉱を運んでいました、細倉鉱山でも製錬してましたが、他に運んだほうが、コストがかからなかったようで、しかし、同級生今、何してるだろう、20年くらい帰ってない、つーか帰りたくても帰る場所がもう、(T_T)
そもそも、くりでんの貨物って何を運んでたんですかねぇ?
ED20形?僕はED76とDE10とEF66とEF81とデキ3しか分かりません。ED20形何ですか?