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皆さんそれぞれ大変なお仕事をされているのです。人がやりたがらない仕事をする方には敬意を表するべきですよね。
昭和生まれのの者ですが、学校では江戸時代の身分制度は士農工商えた非人としか習わなかったのですが、この動画の様に詳しく教えて欲しかったです。50も半ばになるのにyoutubeによって学ばされることが非常に多いですね。死ぬまで学ぶことが多々あると思いますね!
仰る通り
言葉自体十数年前に、子供達に教わりました。社会科の教科書に載っていたとかで…💧
士農工商は江戸時代の身分制度ではないです。明治政府の造語です。徳川の時代はひどい時代だった、明治天皇がそれを四民平等御一新したという政治的プロパガンダです。士農工商って天皇は?公家は?僧侶は?どこに入るんでしょう? うまいこと作られてますよね。
身分ではない、現在の判断基準では職業区分と認識されているぞ !!!部落民の穢多、非人とは死者の埋葬や動物の解体作業などを行う職業であり最も銭の稼ぎやすい職業であったことを忘れてはならない。同時に仏教が広く普及した日本社会では忌み嫌われた職業でもあった。これに付け込んだ朝鮮塵が穢多、非人と結託し悪さをしているのが実情だこの現状を真似た47塵はアイヌに紛れ込み悪さを始めている事に早く気が付いてほしい !!!
@@mwhat1488 部落差別だな
今年57歳になりますが、私が小学校6年生の頃は、担任の先生が穢多・非人について、おどろおどろしい説明をしていたので、鵜呑みのままで生きてきた。みんなそうだったと思う。上辺だけの教育ではなく、こういった事実はたくさん広めて欲しいです。
今観れば、士農工商も良く考えられている様にも感じます。軍事で統率し、命を司る農業を重んじ、工業で生活を豊かにし、その中で商売を許す。更に自由に生きる者がいる。軍事力を他国に依存したまま、農業を蔑ろにし、工業を他国に追い出し、それに気づかぬか、諦める。教育を奪われたまま、滅びゆく現状に足掻く事すら忘れている。顔を上げて、一歩踏み出す背中を増やそう。
GHQが絡んで色々と捻じ曲げられた事もあるでしょう
私が小学生の頃同和教育というのがありました、そのなかで古い身分のなかで泣きながらある女の子が昔の先祖穢多非人である事を、みなのまえで話していた(話されていた)ことを思いだします。いま思うとかわそうだったと思います!😮あの頃の大人は酷い事をしていたなと思いますね。
学校で"差別されてた"って習って、鬼ごっこする時に鬼が"えった"ってタッチしてたのですが(うちの地域だけかな?)、それは辞めましょうって先生に言われて、"タッチ"になりました。差別用語になるから絶対に人に対して言ってはいけないとしか言われてなかったけど、ここまで詳しい解説を聞けてイメージ変わりました!ありがとうございました!
うちの地域は“じゃんけんぽん!”が、“えったっしょっ!”でした。当然、負けた人=えた という意味です。無知な子供は残酷ですね🥺🥺
今の時代では「穢多、非人」は差別用語と言う事で口に出すのもダメな感じになってますがこの様にきちんと教えていただければ単なる差別用語では無いのが勉強になりました。
そうだね。テレビには無い表現の自由がありますね。
両親が昔冗談で言い合ってたけどそんなやばい言葉だったんだ
@@ああ-k8z2u なかなかパンチ効いてて草
小学校の頃に部落差別やえた、ひにんについて、ほとんどまともに教えてくれなかった。「部落差別はダメだよ」「えた、ひにんって言っちゃいけないよ」みたいなすごくふわっとした事を言われてさらっと終わってしまった。
@@いあ-j5c さんおそらく教師たちが「どう教えたらいいかわからない」状態だったのではないでしょうか。扱いが難しい問題だと思ったか、または問題の深刻さがわからなかったか。受験課目外には時間を割けないと思ったか。いちばん時間を割かないといけないところなんですけどね。
近年差別に当たるとこう言った話題を出す事も聞くこともタブー視され、さらなる差別、区別を招いている様な気がします、どういった人々だったのかがとてもわかり易く紹介されて理解が出来ました😌
自分はこういうのは知らない方がいいと思うけどねむしろ差別を意識してしまうというか
@@user-jmd5kag9dfn4 意識しない、悪びれないからこそ無くならない。という考え方もありますからね。
@@user-jmd5kag9dfn4 自分もそう思います。これを知らない子供達もこれを見る事で言葉を知る。寝る子は起こすなみたいな
@@user-jmd5kag9dfn4 意識して区別する事が無意識の差別を抑制する事に繋がると思う。士農工商は嫌いだし駄目だが。
@@user-jmd5kag9dfn4 どうなんだろう。知らない=ない であれば良いのですが、「ある」「あった」ことは消せないのだから正しい歴史、知識は知っていた方がより良い判断ができると思います。
江戸時代でも特に穢多の人は身分は低いとされていましたが、なくてはならない職業だったのでお金に困るどころが非常に裕福だったようですね。夜になると着物を着替えて遊郭にも遊びに行っていたとの話を聞いたことがあります。身分は高くても最も貧乏な武士とは対照的ですね。
馬具や甲冑、太鼓など革工芸品を手掛ける人たちでもあったので裕福だったのは事実だと思います。戦国時代は権力者に優遇されたでしょう。それ故に嫉妬をかっていたとも思います。が、集落の山に収穫に来た人を追い払ったり金銭を要求したりと、かなり傲慢だったという古い記述を読んだ事があります。一部は過剰な選民意識を持っていたのかもしれません。他にも水利権を独占したり川での釣りを許さなかったり。「ここは俺たちの土地だから余所者は出て行け」と威張られたらみんなに嫌われてれてしまいすよね。
@@rika8290 当たり前の事だ。移住の権利は、あんだから。
@@総太郎辻 さん居住地や活動区域を定められていた彼らからしたら「お前たちはココじゃ無くてもどこにでも行けるだろう?なのに何故ここに来るんだ?」という気持ちだったかもしれません。知らんけど。
>身分は高くても最も貧乏な武士とは対照的ですね。「武士は食わねど高楊枝」ってことわざもありますので大変だったんでしょうね。
私が受けた小学校での教育では、この様な内容とはかけ離れていました。穢多・非人は、一方的に差別され社会もその差別を許容し身分の低い人々の怒りの吐口だと聞かされました。暗い気持ちで聞いていました。まるで今の差別を許容すべきと受け取れます。この様な内容を知ると作られた教育だったと思いました。事実を知る事はより良い生き方へのステップです。ありがとうございました。
江戸幕府は穢多を差別するように敢えて命令を出していたのですよ。だからこそ、渋染一揆もあったわけでね。部落差別は時代と共に変わっているのですが、差別をするように仕向けていた時代があったのも確かです。
@@恵-o6g 今も、そんな政策はないとは言い切れないところがあります。身分制度は人間が作ったもので、天然自然には存在しません。上があれば下がある、絶対多数の下があるためには上が必要です。まあ、上の言い訳ですが。
動画分かりやすくて普通に面白かった!学校で穢多非人を習ったけど差別されていたくらいしか知らず今回詳しい詳細がしれて良かった
私の先祖は宮大工でした。その宮大工が残した資料が残っています。その中に色々な職業を描いたものがあります。比丘尼、眼医師、石匠、木匠、囲碁(ゴウチの注釈)、僧侶、傀儡師、神楽師…色々な職業や風俗を描いていまして、その中に穢多があります。それは女性で糸を紡いでいるところが描かれています。
父方の先祖は細川家で大砲など武器を製造する職人集団だったそうです。日本は今、内乱がないので物騒な内容の職務ではあるけど戦が多い時代は役立つ職種だったとは思います。
穢多は専門家、非人は自由な人、このような解釈もできるのですね!とても勉強になりました。
面白い解釈ですが当たっているかどうかは別問題かとも思います
@@MrTuYoube そうですね。私はこのような解釈は初めてですので、今後もっと勉強したいです。歴史は面白いですね。
解釈は色々あるということは、事実も多様でひとくくりではないということかな。ところで、The greatst showman のThis is me を聞くと、次の言葉が思い浮かびます。・・・ケモノの皮剝はぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臓を裂く代價(だいか)として、暖(あたたか)い人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあつた。・・・吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行爲によつて、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。・・・(水平社宣言)
@@Wしゅーはーと 素晴らしい知性と友愛と悲哀を感じる文章ですな。
自由な代わりに生きる術を身に付けないといけないから、やっぱり大変な人達だったんだろうな……。
中学の時の同級にも被差別の子がいて、普通に遊んでたけど、同和の時間は怯えたような妙に複雑な顔してたな。その当時は知らずに遊んでたけど、心に傷はあったんだな。
東北出身なんですけど西日本で仕事してた時に知り合いに「あの辺は被差別部落やで近づかん方がえぇよ」って言われて「何それ?」と聞いたら「同和の時間あったやろ」言われて「そんなのなかった」と言ったら驚かれたな。
東北に住んでいますが同和?知りません…
@@user-rm8vn1zt8u 西日本には東北にはない人権問題があるんですよ。東北では当たり前に言う「部落」は西日本で人前で言うと白い目で見られますよ。
関西は今も酷いです
関西のs県、n県はかなり酷いです関東から大人になりs県に引っ越したら大変でした…その地域の野良猫轢いてしまったら、その地域の人に300万円請求される謎の定めがあり、警察も動きません。市役所には部落専門部署があり知人の旦那が所属して精神を病みました。今でも その部落の◯◯町でしか働けない人もいます。結婚も同様。知らずに嫁いだ人が精神壊しました。普通のマナーが全く違うのです。当たり前のように◯◯町の知らない人が家に入ってきたり、それが当たり前で普通の意見が通らないです。借金取りのヤクザが出てきても借りたままの部落の◯◯町が総勢で勝ちます…。。私は関東から引っ越して病院で働いていたら関東もんやと職場のいじめにあっていました。若い子達から特に。何で引っ越ししてきたんや?知り合いおるん?と言われ、何も知らず◯◯町の知り合いがいるよと一言言うと、その瞬間から仲良くしよーなーと媚を売られ全員からの関東もんへのいじめは終わりました。今もその部落は存在してます。そこで生まれ育った人には申し訳ないですが、敵に回すととてつもない恐怖です。s県の中でまた引っ越しする為にアパート下見にいったときには、沢山の家からぞろぞろ集まってきてジッーと帰るまで見られていて、不動産の人は早くサインをさせようとしていたので調べたところ、違う◯◯町の部落集落でしたよ。漫画のような集落のホラーが実際には沢山あります。
やっぱこういうのは隠すより覚えていく方がこれからの社会が良くなる気がする
理不尽な差別に繋がってしまってない解説、ありがとうございます。同和問題の必要性を感じない素晴らしい動画だと思います。同和利権なんかなくしましょう。
教科書に結構な頻度で出てくるのに、どういう身分なのかが書かれてないからずっと疑問に思ってた。こう言う解説助かる。
書いてるくね?
@@うざいズゴック-c2e 大雑把には書いてあるけどあまり細かくは書いてないってことじゃない?
すでに学界でも教科書でも士農工商などの歴然とした身分制度はなかったというのは常識になっている。工と商に歴然とした差はない。いわゆるえたは、墓堀などで稼ぎまくり、吉原で一番散在してたのはえたである。一番貧しい暮らしていたのはむしろ武士だろう。そして質素倹約が厳しかった。 天ぷらそばを食べて、贅沢をしているということで、お家とり潰しにあった直参・旗本もいたりした。 そういうところでバランスをとっていたのだが、明治近代化になって、四民平等となり、えたは特権と収入を奪われて、マルクス主義者の入れ知恵もあって、部落解放運動が始まったのだ。俸禄は武士個人にではなく、その家に支払われるようになっていて、俸禄は家単位だった。跡取りのいない武士の家は、おとり潰しになり、武士を首になるのだが、その後は長屋に住んで職工やったり。 子供がいない武士の家は養子や婿養子を貰うのだが、逆に家を守るために子供が沢山出来過ぎてしまった家は、子供が小作人になったりした。 御家人株を買えば武士になれるし、小作人が家老にまでなったケースも多々ある。 実に流動的だった。責任や礼節が重すぎる武士よりも町人や百姓のほうが気楽と言う人々もたくさんいたことだろう。いざとなれば侍は戦地に向かわなければいけない。幕末の動乱を見てもそれは明らかだ。
あーね理解した
@@zettonz1 えた特権かなるほど
アンタッチャブルとしてまったく学ばないのではなく、その歴史を学ぶことは有用ですね。ありがとうございます。
ザキヤマが〜、、、くーるー
あかんそれ聞いたら柴田の顔が、、、、、
では何故この様な人々が住んでいる場所のせいで就職や結婚差別をされる様な状況になっていったのか、日本人の価値観が何故変化してしまったのか、それを深く考えていきたいですね。
中学の時に「穢多・非人」を習う授業で先生が「冗談でも人に向けて言わないように」って言ってた。その授業後に、ヤンチャな生徒が早速人に向けて言っててめっちゃ怒られてたのを思い出した。
あるあるw 懐かしいw
中学生が、当時小学生だった私に「明日渋染めの着物着てこいw」とすれ違い様に言ってきた。意味わからんだろうとか思ってたんだろうね。あの馬鹿面の中学生。ちゃんと本質を押さえずに、ただ、「差別はだめだ」で終わるからそういう馬鹿が出てくるんだな。
あー、同級生いってたわw
価値の高い動画だと思いました同和問題解消のためにこそこういう話って学校やテレビで発信すべきですね
同和問題は昭和の頃から同和利権だぞ。反社やアカのシノギだ。きちんと調べろ
同和問題は当事者達が無くされては困る事案ですから、まだまだ無くなることはないでしょう。いわゆる逆差別問題です。
差別反対!と叫ぶと、かえって差別が増えると言われるからな。
禁忌として物事と向かい合わない行為が偏見を生み誤った理解や差別を生む。学ぶ事をこれからも続けていこうと思います。
学んで自分の考えを持ったつもりが都合のいいように洗脳されてるだけだったなんて事がないように気を付けなきゃすね
@@jf6908 学校なんて洗脳するためにあるからね
@@フェイタソ-g2s 学校だけ?映画ドラマ漫画小説アニメ無意識のうちに考えが凝り固まらないように気を付けないといけないすね
俺の地域は小中の授業で盛んやったけどすでに無くなりつつある差別を創造・助長してるように感じた
@@jf6908 どちらかといえば映画漫画アニメはそういった凝り固まった脳を柔らかくできるのでは?
関西では「部落」って単語が差別用語扱い10年ほど前に同和で働いてた人と話したことあるけど、彼らは被差別意識が強すぎて優遇されないと差別って騒ぎ出すから手に負えないと聞いた。割とマトモな人はどこかで前向きに生きようと決意して同和から出て行くから極端な人だけが残り、元々悪いイメージが更に悪くなる悪循環らしい。
同和問題について、聞き及んだことを信用するのは危険で、偏見を助長するだけです。もっと真摯に向き合いましょう。
@@ちょいしょぼ親父k 自分が実際の体験者から聞いた話を書いただけで嘘つきよばわりされる筋合いはない。あなたのその言い方のほうがよほど偏見に満ちてるよ。
@@ちょいしょぼ親父k かなり偏った考え(ネガティブな思考)を持った、人も居ます。なんかサービスされてラッキーって思った(ポジティブ思考)人も居た。どうして自分達は差別をされて、後ろ指を刺されないといけないのか?って人も居たし。なんかサービスがしっかりしてて、なんでこんなに優遇されてるんだろう?って人も居た。本人や、年寄り以外は部落集落とか、今は、わからんよ。(とある施設がある場合は、わかるかもしれませんが)
ものすごく歪んだ思想を持っていますので近づくのは危険です!
同和から出ていけるはずがないだろ。一生ついてまわるから問題になってんだ。あと優遇されないって逆だからね。昭和初期までは悲惨な家が多かったが、昭和中期に国策で被差別部落民の生活を援助しようって動きになってからは優遇され過ぎて、それが問題になった。
こういう人たちは差別されながらも、公衆衛生上めちゃくちゃ重要な存在だったんですよね。
「勉強になった!」という感想の方が多いですし、お話は理解しやすかったのですが、根拠となる文献などは示されるべきではないかな、と思います。
処刑係など人が嫌がる仕事を押し付けられた人々という認識しかありませんでしたが、穢多非人と蔑まれた身分の実情が朧気ながら見えました。大変為になる動画だと思います。ありがとうございます。
表立った差別は無いけれど、今現在でも差別は確実に有る。家柄、資産、学歴、勤務する企業の規模等確実に存在する。それを「現在は差別が無い」とする風潮に危機感さえ覚えます。
穢多への扱いの酷さが理解出来なかったんですが、納得しました。やはり時代が違えば差別意識はなかったんですね。
徳川幕府になるまでは穢多は重宝されてたんだよ徳川が階級制度取り入れて追いやったからね
時代はさかのぼりますが、室町時代初期、足利義満の時代の能役者、観阿弥・世阿弥は確か河原者です。「阿弥」とは「南無阿弥陀仏」で、二人は一応出家しています。出家することによって元の身分から離れたことになり、身分の高い人間との接触が可能になるからです。動画内では「身分なんて関係ない」「むしろ畏怖されていた」という扱いですが、穢多でも非人でも「人間でない」扱いであることは間違いないです。
素晴らしい動画でした。歴史は奥深くそして人の業もまた深いものですね。人間の織りなす歴史は一部を切り取って見るべきではないと感じました。
穢多と呼ばれて 部落に住んでた人達が子供のころいたのを 覚えてます 何故 下に見られてるのか 不思議に思ってました 学校で こういう事も教えられてたら 彼らも 自信を持って 生きられたのに 又 誤解して 下に 見る人も いなかったのに 残念です
穢多は必要な職業の事だったんだな動画を見る迄、差別用語みたいに思ってた勉強になりました。
😳オナジク…
ローマの奴隷制も中世以降の白人支配の植民地における奴隷制のイメージとはかなり異なりますよね。
いやーどう見ても差別用語でしょ。穢れ多い ですよ。弾左衛門とかは自分達を長吏と呼べと言ってるし。えたという呼び名は色々な職業を十把一絡げにその他諸々の連中って感じで名付けられたんでは?
差別用語であることは間違いない。人前で軽々しく口にするのはトラブルを起こす可能性を十分に秘めているので控えたほうがいい。
@@shigesans1 様 ウチの方では、被差別部落の出身者を「ちょりっぽ」とか、「四つ」って年寄りが、呼んでました。きっと幕藩時代に、一揆の首謀者の処刑を命じられたり、牛や馬の処理してたからでしょうね。
関西では非人が岡っ引きのような同心の下働きをしていたと聞いたことがある。また、磔(はりつけ)等の刑罰の時、槍で罪人の脇腹を突いたり、獄門(晒し首)の見張りなども非人の仕事だったらしい。こう考えれば、現代では被差別部落民などと言われているが、昔はかなり重要な役割を担っていた人々なのではないだろうか?できればもっと詳しく知りたいと思う。
重要な仕事を任されてるのと差別の対象である事は両立する気がする。死体や排泄物の処理は汚いだけじゃなく感染症の危険もある。処刑人も汚れ仕事。誰もが嫌がる仕事をさせられてる人をとりあえず祭り上げるのはどの時代でも見るやり方。
イメージが一変しました。素晴らしい動画ありがとうございます!
疑問に思うことや、深く掘り下げて調べたり考えるとさまざまな問題が見えてきますね。
中世において、重度のハンセン病、奇形児(血族婚のため)、罪人、強姦、窃盗、物乞いなど犯罪を犯した罪人が一括りに集められ牛馬の解体、〇体処理、穢れの処理、食肉業、靴鞄屋、に割り当てられて仕事をしていた。そのような人たちを穢多、非人といいその住んでいた地域を部落といいます。部落史から抜粋。
現代で当時の差別意識が残っているとは思わないが、同和利権問題は未だ残る問題ですね。しかし近年は近年で形を変え差別とまでは言いませんが一部の職種を下に見る風潮が新たに出てきているのも事実、例えば派遣社員だったりフリーターだったりを正社員雇用されてる社会人が下に見る風潮。結局のところ人が他人を下に見る風潮というのは社会の中に地位や序列がある以上どんな形であれ残ってしまいますね。
「非人」っていうとカムイ伝のイメージだなぁ。あの漫画歴史描写凄かったんだな。
穢れって言うと悪いイメージがあるけど、ある意味理にかなったシステムかも死者が出た場合は何かしらの病原菌をばら撒かないようにも出来るし、子供が産まれた家も免疫の少ない母子共に守ることが出来るって考えられる
学校でもきちんと教えても良いと思う内容でした。面白かったです。
穢多非人は士農工商の下ではないってはっきり言ってくれた先生は良い教師だったんだな
なぜ穢多、非人の墓には名前を刻むことは許されなかったの?
@@762forest_railway そう習ったってだけで、別に私は詳しくは知りません。ただ、明治以降の戸籍で「旧非人」や「新平民」と書かれたことや同和問題についても習ったので、穢多非人は全く差別的ではないと言われたわけじゃないです
下ではなく、インド最下層民のような階級制度の枠外の存在という意味かと思います。先生の言動は正しいです。
@@あめいろ-f6u 実際にお墓に穢多や非人だけしか刻まれてないのが存在します。
平安時代の京は湿地帯で伝染病が蔓延することが多く、身元不明の遺体がそこら中に転がっていたそうです。そうした遺体やゴミなどを処理していたのが「きよめ」いわゆる穢多です。あまり関わりたくないが、必要悪として一目置かれていたようですよ。鎌倉時代の貴族の日記に「一条河原のきよめの家に美しい娘が入っていった」という記述もあります
学校で習ったのとイメージが全然違う!とても面白く、興味深い内容でした他の動画もみてみようと思います
学校で、穢多非人について、その差別の内容をすごく楽しそうに教える先生がいたけど、あいつの方が間違ってたんだな。私のこと、穢多非人って言ってた。それですごく傷ついてた。
ありえない先生だわ。
つまり、あなたはスーパーエキスパート職人ってことか!
このビデオなんとなく見たがすごく面白かった!自分が歴史の先生なら授業で使いたいくらい。
使うなよぉぉぉ😩信じられん…
いろいろ「なんでだろう🤔」思ってた事がつながってちょっとスッキリした内容でしたたしかに、学校では教えてくれそうに、ない内容ですね(^_^;)
とても勉強になりました。親が自分の先祖は穢多非人だから、部落だからとネガティブなことしか言わずあまりいい思いはしなかったのですがこれからは自分の先祖のことを少しでも誇りに思える気がします。ありがとうございます。
そのサムネは確かに非人だわ
あいこん
何で先祖の身分でネガティブになるのか分からん
また、こういった歴史をきちんと学問的に解説してくださる動画はとても有難いと思いました。ネット上では噂話や都市伝説レベルの話を鵜呑みにして被差別部落に対して酷いことを言う人たちもたくさんいらっしゃるので…。もちろん同和問題にあぐらをかいてやらかしてしまった人達は実際にいます、間接的にですが一般の方の命を奪ってしまった人がいたことも事実です。ですが、だからと言って全ての被差別部落民が(今はもう現役?差別されていた当時を知る方々はほぼいらっしゃらないかと思いますが…)差別されることを正当化するのはちがうなと感じていたので、事実を事実として伝えてくださるのはとても助けになるのではないでしょうか。ありがとうございます。
穢多、非人が重用されていた事が分かると「困る」人たちが居るんだろうね
差別ビジネスが横行してますよね。
物乞いという職業ですね
確かに、農民よりもレアスキル持ちだから、必要とされるエリアで優遇されるのも不思議では無いですね
興味深い内容でした尊敬と軽蔑は同時に存在すると思っています特に穢多、は有難い存在である一方で関わりたくない穢れの象徴だったのでしょうね今の世でも芸能人は憧れられつつどこか「下に見ている」側面があるように思います
静岡県1952年生まれの爺ちゃんですが父親の世代はまだ差別的な呼び名 よつ(4つ足)とか特定の職種とか実際に部落の人との結婚は地域で噂になったり親に絶縁されたりする事もあった様です。でも部落では近親での結婚もあり外からの妻は大切にされた様です。自分達の年代は差別は減っていましたね。
中学の社会科の授業でこの問題を取り上げた際、女性の教員が結婚相手の実家へ挨拶に行った時の話しをしてくれた曰く、婚約者の母親が取り箸を2つ用意した事に対して父親が「穢多や非人が来たわけじゃあるまいし」と言ったそうなんだか、何重にもすごい話し
ナイスパパと思ったけど、良くないわ笑笑笑
小学校の時に習った部落差別のエタ、非人とは話が違うぞ?先生に洗脳されてたのか?w
@@宗介-y6z 不謹慎
取り箸を2つ用意したらなぜ穢多や非人なんだ?
@@真珠恵瑠 穢多や非人とは同じ取り箸を使わない…って事でしょ?もちろんお母さんにそんなつもりはなく単に人数が多いから用意しただけなのかもしれないけれどそれに対してお父さんがそういうツッコミをするってところも、時代性と地域性を表していて、いろいろと印象深いエピソードだったちなみに先生の旦那の実家の地域は不明
昔は社会科の授業でちゃんと”士農工商(商工)穢多非人”ってフルセットで教えてたけどね。
士農工商も明治に生まれた言葉なんだけどなあ?
士農商工ローン
素晴らしい!益々🇯🇵日本が好きになりましたありがとうございます😊
動乱の戦国時代と安寧の江戸時代では、人の扱い、身分制度の必要の有無が全く違うのですね。大変勉強になりました。
現代の歴史解釈や時代小説等を読むと、絶大な権限と財力、治外法権が唯一認められていた存在として、幕府も重用していた事が解りますね。
いやー,有り難うございます。最初、タイトルを見たときに、どうなることかと気を揉みましたが、あなたの勇気と誠意に感服致しました。しかしながら、この問題は一筋縄では行かないところもございます。どうか、ご幸運をお祈り申し上げます。
同和対策特別措置法によりこれらの人々の経済的向上もだいぶはかられましたが、この問題に対する認識は日本の地域によって濃淡があると思う。私は長野の出身であるけれど中学の時同和教育というのがありこの問題を考える授業がありました。
同和行政は問題ですよ
目から鱗です。大変勉強になりました。
私も学校の授業で習いたかった。わからない事が多いですね。勉強になります。
8:45声聞師(しょうもんじ)!すごい!こういう人、関東でもいた。優しい顔つきの中年のおじさんで、いつも鈴を鳴らしてずっと立っていた。たまに20代ぐらいの女性が悩みを話していて、その女性がうんうん、ものすごく笑顔でうなづいていて、こういう僧侶もいるんだなーと思っていた。いつもたって、誰かの悩みを聞いていた。この人なら少し寄付をしてもいいかなと思わせる不思議な人だったな。
博物館の展示を自動音声が解説してくれてるみたいで落ち着く
「まつエクはやめとけ」この言葉に私も同感ですので「いいね」を付けさせていただきます!
大変勉強になりました。ネガティブな事柄に蓋をするのではなく正しい解釈で改めて説明理解する事で誤解や偏見がなくなって欲しいです。
俺たちいい年をした人間が知識をアップデートしない怠慢をしているだけや。恥ずかしく思うことはわかるが感謝は違う。知る術を持っているのになぜ知ろうとしない。なぜ与えられる知識のみ喜ぶんだ
江戸期以前の穢多非人の実態やそのイメージが江戸期のものに過ぎないということが良くわかる動画次は、江戸幕府が彼らを完全な蔑む対象として法整備した後、どういう変遷を経て今のイメージになっていったのか、でお願いします。
江戸時代は酷い時代だったという明治政府によるプロパガンダの影響の様な気がする。明治政府のやったことは今の中国共産党のやってることに近い。実際江戸時代はそんなに悪い時代じゃなかった的な話は多い。
@@shigesans1 様 そりゃ、エコロジカル都市だったしね。文化の花開いた時代だし悪い事ばかりじゃ無かったろうね。あたしの地方は、百姓一揆多くてね、処刑された一揆首謀者は、「義民」と崇敬されてる。勢い、首謀者の捜索、逮捕、処刑に関わった「非人」は、百姓に憎悪、嫌悪された。住む場所も山の荒れ地とか、河原とかで、苗字も…つまり、住む場所と苗字で、被差別部落出身と判ってしまう。城下町のせいかな?てか、差別したい人は居るんだ。マウント取りたくてウズウズしてる取り柄も能力も魅力もない奴は多いんだよ。
そもそも、江戸幕府は身分や地域を分けただけで差別は後から平民がという説もある。諸説の一つだけど。
昔の人々は現代に生きる我々よりも死を畏れていた。「畏れる」は怖がるの意味というよりは尊いものと考えられていた、と解釈します。
お疲れ様です。士農工商というのは身分制度でありません!士は特殊ですが農工商はただの職業区分です。ですから農から商になることも工から農になる事も出来ました。穢多の方々は特殊な職に就いていた既得権益者の集団で豪商並みのお金持ちでした。神道仏教の影響で死や血を穢れとして嫌ったので一般社会との交わりを極力避けるように指導されましたが虐待も迫害もされていません!戦後の同和教育の方向性は偏り過ぎてます!!
世の中には色々な差別をする人、される人が存在しますが、穢多非人に関する差別ほど理解に苦しむものはありません。当時社会を形成維持する上で(現代に於いても)必要とされた職業であったはず。これ程文明文化が変貌した今でさえ、差別が存在する意味が全く理解できません。差別する側が異常です。 15:32
自分の地域はエタになります。差別は感じる年代じゃないですけど、友達の親には怪訝な顔(というか急に遠慮)されたことくらいですね。粗暴な人が多いのも事実なので現代でも全くの無関係という訳ではないと思うけど…
それ本当ですか?戦後、人の動きもたくさんあったろうに。
そりゃそうよ嫌だもん
言霊と言いますか字面というのもかなり影響しているような気がする。穢多→穢れ多き物を清める人々がいつの間にか穢れ多き人に非人→人に非る特殊能力を持った人がいつの間にか人に非るものに
その人たちはとてもお金持ちだったらしく、でも、其を世に知られてはいけないと、お上からいわれていて、夜になるとお大尽の服装で吉原などに繰り出したそうです。
何か文献にありますか?
@@言霊の幸う國のムソジニスト 穢多頭『矢野弾左衛門』の石高は、一説には5千石~9千石取りと言われ、浅草に大きな屋敷を構えた上に、名字帯刀、籠に乗る権利を与えられてました(武家と同格扱い)。詳しくは『浅草弾左衛門』というルポルタージュ的な小説をご覧下さい。
この様に史実の真実を永遠に残す事こそ、全ての人間に潜む選民意識に対する抵抗心をもって堂々と言い返せるのですね。未だに差別意識のある奴は勉強不足なだけっていうことだぁ!大変勉強になりました!
江戸時代の時の穢多非人取り上げて欲しいな〜
学校で聞いたことのある言葉でしたが、先生はそれを詳しく教えてくれませんでした。ずっとどういう人達のことなのか疑問に思ってましたが、この動画でやっと理解することができました。ありがとうございます。
経済の中心が米であった江戸時代は、農民が飢饉や災害で、耕作を放棄して逃げ出して、穢多・非人となってしまわない様に、穢多・非人を蔑みの対象としたのではないかなと思いました。元々の意味とは全然違っている事を知れたのは、とてもいい勉強になりました。
高校時代に政経の教師が同和の授業ばかりして部落の人達は手を挙げてて酷い事させてました。一緒に遊んでる友達や好きな女の子がいました。当然以降も一緒に遊んだしすき子は憧れました。こういった間違った事すると余計に助長するんでしょうね。
昭和40年代生まれですが、小学生の頃先生にエタ(屠殺する人)非人(犯罪者)と教わった記憶があります。両者とも一般の村人よりも蔑まれ、戦後も結婚相手の家系を調べてエタ、非人の出なら親が結婚を認めないと言う話もありました。今回、正しい知識を得る事が出来て感謝しています。
橋のない川を読んだ事が、ありますが…エタは屠殺する人、随分差別されてた人種と理解していましたが。全然イメージが違いますね。正直、こんな立派な待遇も良い感じであったのは、信じられません。
士農工商の下に水飲み百姓があり、水飲み百性とは、税を払ったあと食べるものが無く水を飲んで暮らすと言う意味ですが、この人たちに取っての税はまさに、自分たちが生きていく為の食べ物だった様な気がします。その下に茶筅があります。これは、平将門の乱の生き残った人達です。当時関東地方に居られた、空也上人によって、当時の天皇にお願いされて、惨殺される所を貰い受け、末端の門下として、全国に配置されました。士農工商を決める際この人達を何処にしたらいいか分からず取り敢えず水飲み百性の下に置いたそうですが、そのまま、その位置が茶筅の位置になったようです。空也上人とは、第60代醍醐天皇の、第2御子です。代々天皇の崩御、京都での戦乱の際は回り持ちで、全国から京都に、警護の為駆け付けていますが、関所を通るのに揉めて、空也堂から、小さな村々にも、菊の御紋の提灯が、今も残されています。この、茶筅の下が穢多と非人に続きます
非人だと結婚を認めない家庭はいまだに多くあるよ、特に公務員、代々警察官なんて家では御法度だね。良くよく調べあげられて、キズが少しでもあれば未だにボロクソに言われるのが日本だよ。
現在でも部落差別は色濃く残っていますね。当事者が被害者ビジネスを継承しているので無くなる事は無いです。大きな声を出せば要求が通るのでむしろ今の状況を煽っているのは・・・
それって同盟の事かね?
当事者ですらないことがほとんどよ。被差別部落とされていた人たちがいたことは歴史に残さなければならないけど、それを当事者でもないのに問題化してビジネスにしている人たちのことは決して許しちゃいかん。最近だと北海道の方にもビジネス化の動きがあるから気をつけないと。なにせ現代を生きている全員が強請りの対象と考えてる人たちだからね。
?未だに似非団体あるんだ?すっかり消滅したものかと思ってました。
東日本は同和教育をしないので部落差別がなくなったが、西日本は解同が頑張って同和教育をさせているので部落差別が続いている。って有名な話しですね。
現代廃品回収業や食肉加工業を営む方々はお金持っておられますよね。その地域の方々は地方自治体から無利子で借金できたり優先的に公務員に採用されたり区画整理を優先されたり…どちらかというと戦国時代に近い扱いなように思います。
もしかしたら、その能力や待遇を妬まれて、差別という形に繋がってしまったのかもしれんな。
死や出血が穢れというなら、人を斬る武士の身分が一番高い不思議
戦国時代に活躍していたことはわかりました。その後の江戸時代以降の彼らの生活についてもしっかり触れていただきたかったです。
むしろ、江戸時代ですよね。問題だったのは。
技能技術が実力やったんやねぇ気持ちのいい動画でした主さん、ありがとう😉おいら、昭和33年生まれの、おじいですが、若いころ、結婚したい女性が居て、付き合ってもいたんだけど、その子から、「あなたの家って、新平民なんだねぇ」って言葉聞いて、おいら訳も意味もわからないまま終わってしまったとゆう結末がありました仕事は、公務員になれましたので、国では、こだわりがなかったんだと思いますが、地方では、新平民って、やっぱり、なんか下の方って感じなんですかねぇこの動画みて、つい思い出しましたいまは、幸せなジジィです😄
あたしの頃は、結婚も、下手すりゃ就職すら制約受けてましたね。地方によっては、この姓にピーンと来たら即!止めときましょう!!なんてのが普通でね。今はしあわせで何よりです!あたしは、由緒正しい…って家の倅と結婚して離婚しましたよ!ヒトの血統書なんざナンセンスの極み💩
@@言霊の幸う國のムソジニスト 最後の一文、素晴らしく感動致しました👏
このような過程を教科書でも説明することでもっと差別が少なくなるだろうと思いました。穢多と非人の人たちは尊敬に値する人だということが知れてよかったです
高校の時「年貢取り立てに対する農民の不満逸らしのためのスケープゴート」って習ったけど「士農工商」の二番目なのに何でスケープゴート?と釈然としないところがあってモヤモヤしてました。授業で習ってたのと違って偏った考証もなく分かりやすい説明でモヤモヤが晴れて良かった。ありがとうございました
確かにスケープゴートに違いありません。「士農工商」とは名ばかりで、実際は農民が一番大変だったからね。繁忙期の時はそういう人達の手を借りなくては収穫が間に合わなかったと聞いています。食事で使用した食器は全部壊して土に埋めていたそう。鬱憤ばらしの「差別」は厳然とあったと思います。
現代は、見えない身分制度がしっかりありますよね。
人が嫌がる事を誰かがやってくれるから多くの人が生きられるんだな
大変興味深い内容。いいねを100位推したい。知らない単語もたくさんあってめちゃくちゃ勉強になります。すごいなー、ユーチューブ。
今まで、ごく自然に教わってきたことの正反対で、えた、非人は尊敬すらされていた、と言う新説だが、500万回〜600万回再生と凄い勢い。厚労省が推進しているのだろうか…??この問題に関して世間の人が大変な関心を持っていることがよく分かる。
同意。大和民族ではない、えた非人は元々河原で生活している者がいて、その中には重度のハンセン病患者、物乞い、罪人の集まり。血族婚が多く障害者が多い。そのような人たちの集まりを部落といい牛馬の処理、食肉関係、皮製品、芸能、など仕事をしていた。と古い部落の歴史本に書いていましたね。えた、非人は尊敬されていたと言う新説があったのですね。参考になりました。
その意味がよく分かり理解出来ました人に向かって言うなと言われて何故だろう⁉️がやっと分かりました勉強になりました
学校では全然詳しく授業をしていなかったのでとても勉強になりました
武士が貧乏で、商人が金持ちだったという面白い格差。
べつに面白くはなくて、単に資本主義ではなかったというだけ。
そりゃ戦乱がない時代に武士が金持ちになれる訳ないけどな
商人が金持ちよ言うより、金持ちの商人が金持ち。
@@whytea9929 いや有り得ない。帯刀許可、無礼打ちが説明できない。
@@jubako-no-sumi-wo-tutuku 無礼打ちは余程でないと許容されませんし、金主の商人は大事にしてたと思いますよ。 大阪で先物取引市場が出来たくらい、当時としては成熟した資本主義社会だったかと、士分帯刀は養子になることでカネで買えました。
東北では差別されていなかったようだけど、奈良とかでは同和問題の映画のように差別されていたように思う。寺院が多い場所では差別が少ないと言う内容に疑問に思う。いずれにしても、正しく知りたいと思うので、こういう研究や動画はもっと見たいと思う。
あなたの直感の方が鋭いと思いますね。一休さんの指摘にもあるように仏具には皮を使ったものも多く、近江国や播磨国には優れたカワタの職人集団がおり、大和国には随所に被差別民がおりました。外国人、連れてこられた、戦争で負けた人たち。これらのワードが適切なのは主として奈良盆地なんですね。周囲の山間部にも川筋ごとに山の獣禽から皮を剥ぎ集める村があります。古くから農民と分離していた地域で差別が強いようです。墓守の人も多く昔は近鉄線から見えましたが今は高級住宅地になっていたりします。
「神奈川県人権啓発センター」という動画を見れば成り立ちがわかります。
この動画の内容が本当ならいつからエタヒニンの人々は逆差別による特別な権利を主張し、国もそれを認めるようになったのか?
@@みちる-u1g それはまぁ…だいぶ前から
@@みちる-u1g エタ•ヒニンが江戸時代まで裕福だったのは事実江戸時代末期なんてそれを元手に武士や商人相手に質屋や賃金業もやってて成金状態明治維新後賃金業は渋沢栄一らにより銀行でしか出来なくなったそういった時代の変化で失業状態になるだから明治維新後のエタ•ヒニンは今でいう闇金業として生き残り現在のサラ金や闇金に繋がるとはいえそうやって裕福なまま生き残ったのは一部でほとんどが失業者となるそれを当時の運動家が江戸時代にいわれもない差別を受けてたから補償しろと立ち上げたのが水平社まぁ戦前は小規模な運動家団体だったそれから時間が経ち戦後高度経済成長、エネルギー革命が起こり炭鉱閉山が相次ぎ失業者が増え炭鉱地はスラムと化した昭和30年代そうしたエタ•ヒニンでもなかったスラムの元坑夫達がそういった運動家団体の口車に乗り大規模な運動をし始め潤沢な補償を受けるようになり巨大化していった日教組とも結託し嘘の同和教育を学校で学ばせる一言「差別だ❗️」と叫べば大金貰えて行政も文句言えない事に味を占め偉くなったと勘違い野郎が増えて今では逆差別と言われるほどの好き放題やってる状態
現代でも同じですね社会的地位のないものを哀れんだり小馬鹿にして気付いたら追い抜かされているのですが、認めたくないので自分達大多数を正当化していますね~
勉強になりました!ありざす!
とても面白かった!良き動画をありがとうございます。専門性が高く、その分野の知識に関しては群を抜いているから恐れられたのな...特に穢多の方達、特殊な力を持っていると畏怖されていたなら尚更どの時代も、専門性の高い職業を蔑ろにするといつか国は廃れていく過去の歴史から学ぶ事はとても多いね
これは為になる。意味も分からず差別する事も無くなるはず。何故蔑まれるようになっていくかが知りたくなるね
過去系ではない、
生まれを辿って部落出身と判れば婚約破棄も有る。😑
人々に蔑まれがちだから蔑まれる、みたいな碌でもない結論に行き着きそう。
だから東北には部落差別がなかったのか。とても勉強になりました。
なんだ!凄い人達じゃん!
士農工商は身分制度、とゆうのはフェイクです。江戸時代は平和で平等な時代であり、士農工商は単なる職業カテゴリーを説明したもので、当時差別はなく職業選択の自由もありました。
穢多、非人は酷い扱いを受けていたのだと思っていました!でもちゃんとした知識が得られてこの動画を見て本当に良かったと思いました!ありがとうございます!
わかりやすい解説ありがとうございます。
大変勉強になりましたありがとうございます
皆さんそれぞれ大変なお仕事をされているのです。
人がやりたがらない仕事をする方には敬意を表するべきですよね。
昭和生まれのの者ですが、学校では江戸時代の身分制度は士農工商えた非人としか習わなかったのですが、この動画の様に詳しく教えて欲しかったです。50も半ばになるのにyoutubeによって学ばされることが非常に多いですね。死ぬまで学ぶことが多々あると思いますね!
仰る通り
言葉自体
十数年前に、子供達に教わりました。
社会科の教科書に載っていたとかで…💧
士農工商は江戸時代の身分制度ではないです。明治政府の造語です。徳川の時代はひどい時代だった、明治天皇がそれを四民平等御一新したという政治的プロパガンダです。
士農工商って天皇は?公家は?僧侶は?どこに入るんでしょう? うまいこと作られてますよね。
身分ではない、現在の判断基準では職業区分と認識されているぞ !!!
部落民の穢多、非人とは死者の埋葬や動物の解体作業などを行う
職業であり最も銭の稼ぎやすい職業であったことを忘れてはならない。
同時に仏教が広く普及した日本社会では忌み嫌われた職業でもあった。
これに付け込んだ朝鮮塵が穢多、非人と結託し悪さをしているのが実情だ
この現状を真似た47塵はアイヌに紛れ込み悪さを始めている事に早く気が付いてほしい !!!
@@mwhat1488 部落差別だな
今年57歳になりますが、私が小学校6年生の頃は、担任の先生が穢多・非人について、おどろおどろしい説明をしていたので、鵜呑みのままで生きてきた。みんなそうだったと思う。上辺だけの教育ではなく、こういった事実はたくさん広めて欲しいです。
今観れば、士農工商も良く考えられている様にも感じます。軍事で統率し、命を司る農業を重んじ、工業で生活を豊かにし、その中で商売を許す。更に自由に生きる者がいる。
軍事力を他国に依存したまま、農業を蔑ろにし、工業を他国に追い出し、それに気づかぬか、諦める。
教育を奪われたまま、滅びゆく現状に足掻く事すら忘れている。
顔を上げて、一歩踏み出す背中を増やそう。
GHQが絡んで色々と捻じ曲げられた事もあるでしょう
私が小学生の頃同和教育というのがありました、そのなかで古い身分のなかで泣きながらある女の子が昔の先祖穢多非人である事を、みなのまえで話していた(話されていた)ことを思いだします。いま思うとかわそうだったと思います!
😮あの頃の大人は酷い事をしていたなと思いますね。
学校で"差別されてた"って習って、鬼ごっこする時に鬼が"えった"ってタッチしてたのですが(うちの地域だけかな?)、それは辞めましょうって先生に言われて、"タッチ"になりました。差別用語になるから絶対に人に対して言ってはいけないとしか言われてなかったけど、ここまで詳しい解説を聞けてイメージ変わりました!ありがとうございました!
うちの地域は“じゃんけんぽん!”が、“えったっしょっ!”でした。
当然、負けた人=えた という意味です。
無知な子供は残酷ですね🥺🥺
今の時代では「穢多、非人」は差別用語と言う事で口に出すのもダメな感じになってますがこの様にきちんと教えていただければ単なる差別用語では無いのが勉強になりました。
そうだね。テレビには無い表現の自由がありますね。
両親が昔冗談で言い合ってたけどそんなやばい言葉だったんだ
@@ああ-k8z2u なかなかパンチ効いてて草
小学校の頃に部落差別やえた、ひにんについて、ほとんどまともに教えてくれなかった。「部落差別はダメだよ」「えた、ひにんって言っちゃいけないよ」みたいなすごくふわっとした事を言われてさらっと終わってしまった。
@@いあ-j5c さん
おそらく教師たちが「どう教えたらいいかわからない」状態だったのではないでしょうか。扱いが難しい問題だと思ったか、または問題の深刻さがわからなかったか。受験課目外には時間を割けないと思ったか。
いちばん時間を割かないといけないところなんですけどね。
近年差別に当たるとこう言った話題を出す事も聞くこともタブー視され、さらなる差別、区別を招いている様な気がします、どういった人々だったのかがとてもわかり易く紹介されて理解が出来ました😌
自分はこういうのは知らない方がいいと思うけどね
むしろ差別を意識してしまうというか
@@user-jmd5kag9dfn4
意識しない、悪びれないからこそ無くならない。という考え方もありますからね。
@@user-jmd5kag9dfn4 自分もそう思います。これを知らない子供達もこれを見る事で言葉を知る。寝る子は起こすなみたいな
@@user-jmd5kag9dfn4 意識して区別する事が無意識の差別を抑制する事に繋がると思う。士農工商は嫌いだし駄目だが。
@@user-jmd5kag9dfn4 どうなんだろう。知らない=ない であれば良いのですが、「ある」「あった」ことは消せないのだから正しい歴史、知識は知っていた方がより良い判断ができると思います。
江戸時代でも特に穢多の人は身分は低いとされていましたが、なくてはならない職業だったのでお金に困るどころが非常に裕福だったようですね。夜になると着物を着替えて遊郭にも遊びに行っていたとの話を聞いたことがあります。
身分は高くても最も貧乏な武士とは対照的ですね。
馬具や甲冑、太鼓など革工芸品を手掛ける人たちでもあったので裕福だったのは事実だと思います。戦国時代は権力者に優遇されたでしょう。それ故に嫉妬をかっていたとも思います。が、集落の山に収穫に来た人を追い払ったり金銭を要求したりと、かなり傲慢だったという古い記述を読んだ事があります。一部は過剰な選民意識を持っていたのかもしれません。他にも水利権を独占したり川での釣りを許さなかったり。「ここは俺たちの土地だから余所者は出て行け」と威張られたらみんなに嫌われてれてしまいすよね。
@@rika8290 当たり前の事だ。移住の権利は、あんだから。
@@総太郎辻 さん
居住地や活動区域を定められていた彼らからしたら「お前たちはココじゃ無くてもどこにでも行けるだろう?なのに何故ここに来るんだ?」という気持ちだったかもしれません。知らんけど。
>身分は高くても最も貧乏な武士とは対照的ですね。
「武士は食わねど高楊枝」ってことわざもありますので大変だったんでしょうね。
私が受けた小学校での教育では、この様な内容とはかけ離れていました。穢多・非人は、一方的に差別され社会もその差別を許容し身分の低い人々の怒りの吐口だと聞かされました。暗い気持ちで聞いていました。まるで今の差別を許容すべきと受け取れます。この様な内容を知ると作られた教育だったと思いました。事実を知る事はより良い生き方へのステップです。ありがとうございました。
江戸幕府は穢多を差別するように敢えて命令を出していたのですよ。だからこそ、渋染一揆もあったわけでね。
部落差別は時代と共に変わっているのですが、差別をするように仕向けていた時代があったのも確かです。
@@恵-o6g 今も、そんな政策はないとは言い切れないところがあります。
身分制度は人間が作ったもので、天然自然には存在しません。上があれば下がある、絶対多数の下があるためには上が必要です。まあ、上の言い訳ですが。
動画分かりやすくて普通に面白かった!学校で穢多非人を習ったけど
差別されていたくらいしか知らず
今回詳しい詳細がしれて良かった
私の先祖は宮大工でした。その宮大工が残した資料が残っています。その中に色々な職業を描いたものがあります。比丘尼、眼医師、石匠、木匠、囲碁(ゴウチの注釈)、僧侶、傀儡師、神楽師…色々な職業や風俗を描いていまして、その中に穢多があります。それは女性で糸を紡いでいるところが描かれています。
父方の先祖は細川家で大砲など武器を製造する職人集団だったそうです。日本は今、内乱がないので物騒な内容の職務ではあるけど戦が多い時代は役立つ職種だったとは思います。
穢多は専門家、非人は自由な人、このような解釈もできるのですね!とても勉強になりました。
面白い解釈ですが当たっているかどうかは別問題かとも思います
@@MrTuYoube そうですね。私はこのような解釈は初めてですので、今後もっと勉強したいです。歴史は面白いですね。
解釈は色々あるということは、事実も多様でひとくくりではないということかな。
ところで、The greatst showman のThis is me を聞くと、次の言葉が思い浮かびます。
・・・ケモノの皮剝はぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臓を裂く代價(だいか)として、暖(あたたか)い人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れずにあつた。・・・
吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行爲によつて、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。・・・(水平社宣言)
@@Wしゅーはーと 素晴らしい知性と友愛と悲哀を感じる文章ですな。
自由な代わりに生きる術を身に付けないといけないから、やっぱり大変な人達だったんだろうな……。
中学の時の同級にも被差別の子がいて、普通に遊んでたけど、同和の時間は怯えたような妙に複雑な顔してたな。その当時は知らずに遊んでたけど、心に傷はあったんだな。
東北出身なんですけど西日本で仕事してた時に知り合いに「あの辺は被差別部落やで近づかん方がえぇよ」って言われて「何それ?」と聞いたら「同和の時間あったやろ」言われて「そんなのなかった」と言ったら驚かれたな。
東北に住んでいますが同和?知りません…
@@user-rm8vn1zt8u 西日本には東北にはない人権問題があるんですよ。東北では当たり前に言う「部落」は西日本で人前で言うと白い目で見られますよ。
関西は今も酷いです
関西のs県、n県はかなり酷いです
関東から大人になりs県に引っ越したら大変でした…
その地域の野良猫轢いてしまったら、その地域の人に300万円請求される謎の定めがあり、警察も動きません。
市役所には部落専門部署があり知人の旦那が所属して精神を病みました。
今でも その部落の◯◯町でしか働けない人もいます。結婚も同様。
知らずに嫁いだ人が精神壊しました。普通のマナーが全く違うのです。
当たり前のように◯◯町の知らない人が家に入ってきたり、それが当たり前で普通の意見が通らないです。
借金取りのヤクザが出てきても借りたままの部落の◯◯町が総勢で勝ちます…。。
私は関東から引っ越して病院で働いていたら関東もんやと職場のいじめにあっていました。若い子達から特に。
何で引っ越ししてきたんや?知り合いおるん?と言われ、何も知らず
◯◯町の知り合いがいるよ
と一言言うと、その瞬間から仲良くしよーなーと媚を売られ全員からの関東もんへのいじめは終わりました。
今もその部落は存在してます。
そこで生まれ育った人には申し訳ないですが、敵に回すととてつもない恐怖です。
s県の中でまた引っ越しする為にアパート下見にいったときには、沢山の家からぞろぞろ集まってきてジッーと帰るまで見られていて、不動産の人は早くサインをさせようとしていたので調べたところ、違う◯◯町の部落集落でしたよ。
漫画のような集落のホラーが実際には沢山あります。
やっぱこういうのは隠すより覚えていく方がこれからの社会が良くなる気がする
理不尽な差別に繋がってしまってない解説、ありがとうございます。同和問題の必要性を感じない素晴らしい動画だと思います。同和利権なんかなくしましょう。
教科書に結構な頻度で出てくるのに、どういう身分なのかが書かれてないからずっと疑問に思ってた。
こう言う解説助かる。
書いてるくね?
@@うざいズゴック-c2e 大雑把には書いてあるけどあまり細かくは書いてないってことじゃない?
すでに学界でも教科書でも士農工商などの歴然とした身分制度はなかったというのは常識になっている。工と商に歴然とした差はない。
いわゆるえたは、墓堀などで稼ぎまくり、吉原で一番散在してたのはえたである。一番貧しい暮らしていたのはむしろ武士だろう。そして質素倹約が厳しかった。 天ぷらそばを食べて、贅沢をしているということで、お家とり潰しにあった直参・旗本もいたりした。 そういうところでバランスをとっていたのだが、明治近代化になって、四民平等となり、えたは特権と収入を奪われて、マルクス主義者の入れ知恵もあって、部落解放運動が始まったのだ。
俸禄は武士個人にではなく、その家に支払われるようになっていて、俸禄は家単位だった。跡取りのいない武士の家は、おとり潰しになり、武士を首になるのだが、その後は長屋に住んで職工やったり。 子供がいない武士の家は養子や婿養子を貰うのだが、逆に家を守るために子供が沢山出来過ぎてしまった家は、子供が小作人になったりした。 御家人株を買えば武士になれるし、小作人が家老にまでなったケースも多々ある。 実に流動的だった。責任や礼節が重すぎる武士よりも町人や百姓のほうが気楽と言う人々もたくさんいたことだろう。いざとなれば侍は戦地に向かわなければいけない。幕末の動乱を見てもそれは明らかだ。
あーね理解した
@@zettonz1
えた特権かなるほど
アンタッチャブルとしてまったく学ばないのではなく、その歴史を学ぶことは有用ですね。ありがとうございます。
ザキヤマが〜、、、くーるー
あかんそれ聞いたら柴田の顔が、、、、、
では何故この様な人々が住んでいる場所のせいで就職や結婚差別をされる様な状況になっていったのか、日本人の価値観が何故変化してしまったのか、それを深く考えていきたいですね。
中学の時に「穢多・非人」を習う授業で先生が「冗談でも人に向けて言わないように」って言ってた。
その授業後に、ヤンチャな生徒が早速人に向けて言っててめっちゃ怒られてたのを思い出した。
あるあるw 懐かしいw
中学生が、当時小学生だった私に「明日渋染めの着物着てこいw」とすれ違い様に言ってきた。意味わからんだろうとか思ってたんだろうね。あの馬鹿面の中学生。
ちゃんと本質を押さえずに、ただ、「差別はだめだ」で終わるからそういう馬鹿が出てくるんだな。
あー、同級生いってたわw
価値の高い動画だと思いました
同和問題解消のためにこそこういう話って学校やテレビで発信すべきですね
同和問題は昭和の頃から同和利権だぞ。
反社やアカのシノギだ。
きちんと調べろ
同和問題は当事者達が無くされては困る事案ですから、まだまだ無くなることはないでしょう。
いわゆる逆差別問題です。
差別反対!と叫ぶと、かえって差別が増えると言われるからな。
禁忌として物事と向かい合わない行為が偏見を生み誤った理解や差別を生む。学ぶ事をこれからも続けていこうと思います。
学んで自分の考えを持ったつもりが都合のいいように洗脳されてるだけだったなんて事がないように気を付けなきゃすね
@@jf6908 学校なんて洗脳するためにあるからね
@@フェイタソ-g2s 学校だけ?
映画ドラマ漫画小説アニメ
無意識のうちに考えが凝り固まらないように気を付けないといけないすね
俺の地域は小中の授業で盛んやったけど
すでに無くなりつつある差別を創造・助長してるように感じた
@@jf6908 どちらかといえば映画漫画アニメはそういった凝り固まった脳を柔らかくできるのでは?
関西では「部落」って単語が差別用語扱い
10年ほど前に同和で働いてた人と話したことあるけど、彼らは被差別意識が強すぎて優遇されないと差別って騒ぎ出すから手に負えないと聞いた。
割とマトモな人はどこかで前向きに生きようと決意して同和から出て行くから極端な人だけが残り、元々悪いイメージが更に悪くなる悪循環らしい。
同和問題について、聞き及んだことを信用するのは危険で、偏見を助長するだけです。
もっと真摯に向き合いましょう。
@@ちょいしょぼ親父k
自分が実際の体験者から聞いた話を書いただけで嘘つきよばわりされる筋合いはない。
あなたのその言い方のほうがよほど偏見に満ちてるよ。
@@ちょいしょぼ親父k
かなり偏った考え(ネガティブな思考)を持った、人も居ます。
なんかサービスされてラッキーって思った(ポジティブ思考)人も居た。
どうして自分達は差別をされて、後ろ指を刺されないといけないのか?って人も居たし。
なんかサービスがしっかりしてて、なんでこんなに優遇されてるんだろう?って人も居た。
本人や、年寄り以外は部落集落とか、今は、わからんよ。(とある施設がある場合は、わかるかもしれませんが)
ものすごく歪んだ思想を持っていますので近づくのは危険です!
同和から出ていけるはずがないだろ。一生ついてまわるから問題になってんだ。あと優遇されないって逆だからね。昭和初期までは悲惨な家が多かったが、昭和中期に国策で被差別部落民の生活を援助しようって動きになってからは優遇され過ぎて、それが問題になった。
こういう人たちは差別されながらも、公衆衛生上めちゃくちゃ重要な存在だったんですよね。
「勉強になった!」という感想の方が多いですし、お話は理解しやすかったのですが、根拠となる文献などは示されるべきではないかな、と思います。
処刑係など人が嫌がる仕事を押し付けられた人々という認識しかありませんでしたが、穢多非人と蔑まれた身分の実情が朧気ながら見えました。
大変為になる動画だと思います。ありがとうございます。
表立った差別は無いけれど、今現在でも差別は確実に有る。
家柄、資産、学歴、勤務する企業の規模等確実に存在する。
それを「現在は差別が無い」とする風潮に危機感さえ覚えます。
穢多への扱いの酷さが理解出来なかったんですが、納得しました。やはり時代が違えば差別意識はなかったんですね。
徳川幕府になるまでは穢多は重宝されてたんだよ
徳川が階級制度取り入れて追いやったからね
時代はさかのぼりますが、
室町時代初期、足利義満の時代の能役者、観阿弥・世阿弥は確か河原者です。
「阿弥」とは「南無阿弥陀仏」で、二人は一応出家しています。
出家することによって元の身分から離れたことになり、身分の高い人間との接触が可能になるからです。
動画内では「身分なんて関係ない」「むしろ畏怖されていた」という扱いですが、
穢多でも非人でも「人間でない」扱いであることは間違いないです。
素晴らしい動画でした。
歴史は奥深くそして人の業もまた深いものですね。人間の織りなす歴史は一部を切り取って見るべきではないと感じました。
穢多と呼ばれて 部落に住んでた人達が子供のころいたのを 覚えてます 何故 下に見られてるのか 不思議に思ってました 学校で こういう事も教えられてたら 彼らも 自信を持って 生きられたのに 又 誤解して 下に 見る人も いなかったのに 残念です
穢多は必要な職業の事だったんだな
動画を見る迄、差別用語みたいに思ってた
勉強になりました。
😳オナジク…
ローマの奴隷制も中世以降の白人支配の植民地における奴隷制のイメージとはかなり異なりますよね。
いやーどう見ても差別用語でしょ。穢れ多い ですよ。弾左衛門とかは自分達を長吏と呼べと言ってるし。えたという呼び名は色々な職業を十把一絡げにその他諸々の連中って感じで名付けられたんでは?
差別用語であることは間違いない。
人前で軽々しく口にするのはトラブルを起こす可能性を十分に秘めているので控えたほうがいい。
@@shigesans1 様 ウチの方では、被差別部落の出身者を「ちょりっぽ」とか、「四つ」って年寄りが、呼んでました。きっと幕藩時代に、一揆の首謀者の処刑を命じられたり、牛や馬の処理してたからでしょうね。
関西では非人が岡っ引きのような同心の下働きをしていたと聞いたことがある。
また、磔(はりつけ)等の刑罰の時、槍で罪人の脇腹を突いたり、獄門(晒し首)の見張りなども非人の仕事だったらしい。
こう考えれば、現代では被差別部落民などと言われているが、昔はかなり重要な役割を担っていた人々なのではないだろうか?
できればもっと詳しく知りたいと思う。
重要な仕事を任されてるのと差別の対象である事は両立する気がする。
死体や排泄物の処理は汚いだけじゃなく感染症の危険もある。処刑人も汚れ仕事。
誰もが嫌がる仕事をさせられてる人をとりあえず祭り上げるのはどの時代でも見るやり方。
イメージが一変しました。
素晴らしい動画ありがとうございます!
疑問に思うことや、深く掘り下げて調べたり
考えるとさまざまな問題が見えてきますね。
中世において、重度のハンセン病、奇形児(血族婚のため)、罪人、強姦、窃盗、物乞いなど犯罪を犯した罪人が一括りに集められ牛馬の解体、〇体処理、穢れの処理、食肉業、靴鞄屋、に割り当てられて仕事をしていた。そのような人たちを穢多、非人といいその住んでいた地域を部落といいます。部落史から抜粋。
現代で当時の差別意識が残っているとは思わないが、同和利権問題は未だ残る問題ですね。
しかし近年は近年で形を変え差別とまでは言いませんが一部の職種を下に見る風潮が新たに出てきているのも事実、例えば派遣社員だったりフリーターだったりを正社員雇用されてる社会人が下に見る風潮。
結局のところ人が他人を下に見る風潮というのは社会の中に地位や序列がある以上どんな形であれ残ってしまいますね。
「非人」っていうとカムイ伝のイメージだなぁ。あの漫画歴史描写凄かったんだな。
穢れって言うと悪いイメージがあるけど、ある意味理にかなったシステムかも
死者が出た場合は何かしらの病原菌をばら撒かないようにも出来るし、子供が産まれた家も免疫の少ない母子共に守ることが出来るって考えられる
学校でもきちんと教えても良いと思う内容でした。面白かったです。
穢多非人は士農工商の下ではないってはっきり言ってくれた先生は良い教師だったんだな
なぜ穢多、非人の墓には名前を刻むことは許されなかったの?
@@762forest_railway そう習ったってだけで、別に私は詳しくは知りません。ただ、明治以降の戸籍で「旧非人」や「新平民」と書かれたことや同和問題についても習ったので、穢多非人は全く差別的ではないと言われたわけじゃないです
下ではなく、インド最下層民のような階級制度の枠外の存在という意味かと思います。
先生の言動は正しいです。
@@あめいろ-f6u
実際にお墓に穢多や非人だけしか刻まれてないのが存在します。
平安時代の京は湿地帯で伝染病が蔓延することが多く、身元不明の遺体がそこら中に転がっていたそうです。
そうした遺体やゴミなどを処理していたのが「きよめ」いわゆる穢多です。あまり関わりたくないが、必要悪として一目置かれていたようですよ。
鎌倉時代の貴族の日記に「一条河原のきよめの家に美しい娘が入っていった」という記述もあります
学校で習ったのとイメージが全然違う!
とても面白く、興味深い内容でした
他の動画もみてみようと思います
学校で、穢多非人について、その差別の内容をすごく楽しそうに教える先生がいたけど、あいつの方が間違ってたんだな。
私のこと、穢多非人って言ってた。
それですごく傷ついてた。
ありえない先生だわ。
つまり、あなたはスーパーエキスパート職人ってことか!
このビデオなんとなく見たがすごく面白かった!自分が歴史の先生なら授業で使いたいくらい。
使うなよぉぉぉ😩信じられん…
いろいろ「なんでだろう🤔」思ってた事がつながって
ちょっとスッキリした内容でした
たしかに、学校では教えてくれそうに、ない内容ですね(^_^;)
とても勉強になりました。
親が自分の先祖は穢多非人だから、部落だからとネガティブなことしか言わずあまりいい思いはしなかったのですがこれからは自分の先祖のことを少しでも誇りに思える気がします。
ありがとうございます。
そのサムネは確かに非人だわ
あいこん
何で先祖の身分でネガティブになるのか分からん
また、こういった歴史をきちんと学問的に解説してくださる動画はとても有難いと思いました。ネット上では噂話や都市伝説レベルの話を鵜呑みにして被差別部落に対して酷いことを言う人たちもたくさんいらっしゃるので…。もちろん同和問題にあぐらをかいてやらかしてしまった人達は実際にいます、間接的にですが一般の方の命を奪ってしまった人がいたことも事実です。ですが、だからと言って全ての被差別部落民が(今はもう現役?差別されていた当時を知る方々はほぼいらっしゃらないかと思いますが…)差別されることを正当化するのはちがうなと感じていたので、事実を事実として伝えてくださるのはとても助けになるのではないでしょうか。ありがとうございます。
穢多、非人が重用されていた事が分かると「困る」人たちが
居るんだろうね
差別ビジネスが横行してますよね。
物乞いという職業ですね
確かに、農民よりもレアスキル持ちだから、必要とされるエリアで優遇されるのも不思議では無いですね
興味深い内容でした
尊敬と軽蔑は同時に存在すると思っています
特に穢多、は有難い存在である一方で関わりたくない穢れの象徴だったのでしょうね
今の世でも芸能人は憧れられつつどこか「下に見ている」側面があるように思います
静岡県1952年生まれの爺ちゃんですが父親の世代はまだ差別的な呼び名 よつ(4つ足)とか特定の職種とか実際に部落の人との結婚は地域で噂になったり親に絶縁されたりする事もあった様です。でも部落では近親での結婚もあり外からの妻は大切にされた様です。自分達の年代は差別は減っていましたね。
中学の社会科の授業でこの問題を取り上げた際、女性の教員が結婚相手の実家へ挨拶に行った時の話しをしてくれた
曰く、婚約者の母親が取り箸を2つ用意した事に対して父親が「穢多や非人が来たわけじゃあるまいし」と言ったそう
なんだか、何重にもすごい話し
ナイスパパと思ったけど、良くないわ笑笑笑
小学校の時に習った部落差別のエタ、非人とは話が違うぞ?
先生に洗脳されてたのか?w
@@宗介-y6z 不謹慎
取り箸を2つ用意したらなぜ穢多や非人なんだ?
@@真珠恵瑠 穢多や非人とは同じ取り箸を使わない…って事でしょ?
もちろんお母さんにそんなつもりはなく単に人数が多いから用意しただけなのかもしれないけれど
それに対してお父さんがそういうツッコミをするってところも、時代性と地域性を表していて、いろいろと印象深いエピソードだった
ちなみに先生の旦那の実家の地域は不明
昔は社会科の授業でちゃんと”士農工商(商工)穢多非人”ってフルセットで教えてたけどね。
士農工商も明治に生まれた言葉なんだけどなあ?
士農商工ローン
素晴らしい!
益々🇯🇵日本が
好きになりました
ありがとうございます😊
動乱の戦国時代と安寧の江戸時代では、人の扱い、身分制度の必要の有無が全く違うのですね。
大変勉強になりました。
現代の歴史解釈や時代小説等を読むと、絶大な権限と財力、治外法権が唯一認められていた存在として、幕府も重用していた事が解りますね。
いやー,有り難うございます。
最初、タイトルを見たときに、どうなることかと気を揉みましたが、あなたの勇気と誠意に感服致しました。
しかしながら、この問題は一筋縄では行かないところもございます。
どうか、ご幸運をお祈り申し上げます。
同和対策特別措置法によりこれらの人々の経済的向上もだいぶはかられましたが、この問題に対する認識は日本の地域によって濃淡があると思う。私は長野の出身であるけれど中学の時同和教育というのがありこの問題を考える授業がありました。
同和行政は問題ですよ
目から鱗です。大変勉強になりました。
私も学校の授業で習いたかった。わからない事が多いですね。勉強になります。
8:45声聞師(しょうもんじ)!すごい!こういう人、関東でもいた。優しい顔つきの中年のおじさんで、いつも鈴を鳴らしてずっと立っていた。たまに20代ぐらいの女性が悩みを話していて、その女性がうんうん、ものすごく笑顔でうなづいていて、こういう僧侶もいるんだなーと思っていた。いつもたって、誰かの悩みを聞いていた。この人なら少し寄付をしてもいいかなと思わせる不思議な人だったな。
博物館の展示を自動音声が解説してくれてるみたいで落ち着く
「まつエクはやめとけ」この言葉に私も同感ですので「いいね」を付けさせていただきます!
大変勉強になりました。ネガティブな事柄に蓋をするのではなく正しい解釈で改めて説明理解する事で誤解や偏見がなくなって欲しいです。
俺たちいい年をした人間が知識をアップデートしない怠慢をしているだけや。
恥ずかしく思うことはわかるが感謝は違う。
知る術を持っているのになぜ知ろうとしない。
なぜ与えられる知識のみ喜ぶんだ
江戸期以前の穢多非人の実態やそのイメージが江戸期のものに過ぎないということが良くわかる動画
次は、江戸幕府が彼らを完全な蔑む対象として法整備した後、どういう変遷を経て今のイメージになっていったのか、でお願いします。
江戸時代は酷い時代だったという明治政府によるプロパガンダの影響の様な気がする。明治政府のやったことは今の中国共産党のやってることに近い。実際江戸時代はそんなに悪い時代じゃなかった的な話は多い。
@@shigesans1 様 そりゃ、エコロジカル都市だったしね。文化の花開いた時代だし悪い事ばかりじゃ無かったろうね。あたしの地方は、百姓一揆多くてね、処刑された一揆首謀者は、「義民」と崇敬されてる。勢い、首謀者の捜索、逮捕、処刑に関わった「非人」は、百姓に憎悪、嫌悪された。住む場所も山の荒れ地とか、河原とかで、苗字も…つまり、住む場所と苗字で、被差別部落出身と判ってしまう。城下町のせいかな?てか、差別したい人は居るんだ。マウント取りたくてウズウズしてる取り柄も能力も魅力もない奴は多いんだよ。
そもそも、江戸幕府は身分や地域を分けただけで差別は後から平民がという説もある。諸説の一つだけど。
昔の人々は現代に生きる我々よりも死を畏れていた。「畏れる」は怖がるの意味というよりは尊いものと考えられていた、と解釈します。
お疲れ様です。
士農工商というのは身分制度でありません!
士は特殊ですが農工商はただの職業区分です。ですから農から商になることも工から農になる事も出来ました。
穢多の方々は特殊な職に就いていた既得権益者の集団で豪商並みのお金持ちでした。神道仏教の影響で死や血を穢れとして嫌ったので一般社会との交わりを極力避けるように指導されましたが虐待も迫害もされていません!
戦後の同和教育の方向性は偏り過ぎてます!!
世の中には色々な差別をする人、される人が存在しますが、穢多非人に関する差別ほど理解に苦しむものはありません。当時社会を形成維持する上で(現代に於いても)必要とされた職業であったはず。これ程文明文化が変貌した今でさえ、差別が存在する意味が全く理解できません。差別する側が異常です。 15:32
自分の地域はエタになります。差別は感じる年代じゃないですけど、友達の親には怪訝な顔(というか急に遠慮)されたことくらいですね。粗暴な人が多いのも事実なので現代でも全くの無関係という訳ではないと思うけど…
それ本当ですか?
戦後、人の動きもたくさんあったろうに。
そりゃそうよ
嫌だもん
言霊と言いますか字面というのもかなり影響しているような気がする。
穢多→穢れ多き物を清める人々がいつの間にか穢れ多き人に
非人→人に非る特殊能力を持った人がいつの間にか人に非るものに
その人たちはとてもお金持ちだったらしく、でも、其を世に知られてはいけないと、お上からいわれていて、夜になるとお大尽の服装で吉原などに繰り出したそうです。
何か文献にありますか?
@@言霊の幸う國のムソジニスト 穢多頭『矢野弾左衛門』の石高は、一説には5千石~9千石取りと言われ、浅草に大きな屋敷を構えた上に、名字帯刀、籠に乗る権利を与えられてました(武家と同格扱い)。詳しくは『浅草弾左衛門』というルポルタージュ的な小説をご覧下さい。
この様に史実の真実を永遠に残す事こそ、全ての人間に潜む選民意識に対する抵抗心をもって堂々と言い返せるのですね。
未だに差別意識のある奴は勉強不足なだけっていうことだぁ!大変勉強になりました!
江戸時代の時の穢多非人取り上げて欲しいな〜
学校で聞いたことのある言葉でしたが、先生はそれを詳しく教えてくれませんでした。ずっとどういう人達のことなのか疑問に思ってましたが、この動画でやっと理解することができました。
ありがとうございます。
経済の中心が米であった江戸時代は、農民が飢饉や災害で、耕作を放棄して逃げ出して、穢多・非人となってしまわない様に、穢多・非人を蔑みの対象としたのではないかなと思いました。
元々の意味とは全然違っている事を知れたのは、とてもいい勉強になりました。
高校時代に政経の教師が同和の授業ばかりして部落の人達は手を挙げてて酷い事させてました。一緒に遊んでる友達や好きな女の子がいました。当然以降も一緒に遊んだしすき子は憧れました。こういった間違った事すると余計に助長するんでしょうね。
昭和40年代生まれですが、小学生の頃先生にエタ(屠殺する人)非人(犯罪者)と教わった記憶があります。両者とも一般の村人よりも蔑まれ、戦後も結婚相手の家系を調べてエタ、非人の出なら親が結婚を認めないと言う話もありました。
今回、正しい知識を得る事が出来て感謝しています。
橋のない川を読んだ事が、ありますが…エタは屠殺する人、随分差別されてた人種と理解していましたが。
全然イメージが違いますね。
正直、こんな立派な待遇も良い感じであったのは、信じられません。
士農工商の下に水飲み百姓があり、水飲み百性とは、税を払ったあと食べるものが無く水を飲んで暮らすと言う意味ですが、この人たちに取っての税はまさに、自分たちが生きていく為の食べ物だった様な気がします。その下に茶筅があります。これは、平将門の乱の生き残った人達です。当時関東地方に居られた、空也上人によって、当時の天皇にお願いされて、惨殺される所を貰い受け、末端の門下として、全国に配置されました。士農工商を決める際この人達を何処にしたらいいか分からず取り敢えず水飲み百性の下に置いたそうですが、そのまま、その位置が茶筅の位置になったようです。空也上人とは、第60代醍醐天皇の、第2御子です。代々天皇の崩御、京都での戦乱の際は回り持ちで、全国から京都に、警護の為駆け付けていますが、関所を通るのに揉めて、空也堂から、小さな村々にも、菊の御紋の提灯が、今も残されています。この、茶筅の下が穢多と非人に続きます
非人だと結婚を認めない家庭はいまだに多くあるよ、特に公務員、代々警察官なんて家では御法度だね。
良くよく調べあげられて、キズが少しでもあれば未だにボロクソに言われるのが日本だよ。
現在でも部落差別は色濃く残っていますね。
当事者が被害者ビジネスを継承しているので無くなる事は無いです。
大きな声を出せば要求が通るのでむしろ今の状況を煽っているのは・・・
それって同盟の事かね?
当事者ですらないことがほとんどよ。被差別部落とされていた人たちがいたことは歴史に残さなければならないけど、それを当事者でもないのに問題化してビジネスにしている人たちのことは決して許しちゃいかん。最近だと北海道の方にもビジネス化の動きがあるから気をつけないと。なにせ現代を生きている全員が強請りの対象と考えてる人たちだからね。
?未だに似非団体あるんだ?
すっかり消滅したものかと思ってました。
東日本は同和教育をしないので部落差別がなくなったが、西日本は解同が頑張って同和教育をさせているので部落差別が続いている。
って有名な話しですね。
現代廃品回収業や食肉加工業を営む方々はお金持っておられますよね。その地域の方々は地方自治体から無利子で借金できたり優先的に公務員に採用されたり区画整理を優先されたり…どちらかというと戦国時代に近い扱いなように思います。
もしかしたら、その能力や待遇を妬まれて、差別という形に繋がってしまったのかもしれんな。
死や出血が穢れというなら、人を斬る武士の身分が一番高い不思議
戦国時代に活躍していたことはわかりました。
その後の江戸時代以降の彼らの生活についてもしっかり触れていただきたかったです。
むしろ、江戸時代ですよね。問題だったのは。
技能技術が実力やったんやねぇ
気持ちのいい動画でした
主さん、ありがとう😉
おいら、昭和33年生まれの、おじいですが、
若いころ、結婚したい女性が居て、付き合ってもいたんだけど、その子から、
「あなたの家って、新平民なんだねぇ」って言葉聞いて、おいら訳も意味もわからないまま終わってしまったとゆう結末がありました
仕事は、公務員になれましたので、国では、こだわりがなかったんだと思いますが、地方では、新平民って、やっぱり、なんか下の方って感じなんですかねぇ
この動画みて、つい思い出しました
いまは、幸せなジジィです😄
あたしの頃は、結婚も、下手すりゃ就職すら制約受けてましたね。地方によっては、この姓にピーンと来たら即!止めときましょう!!なんてのが普通でね。今はしあわせで何よりです!あたしは、由緒正しい…って家の倅と結婚して離婚しましたよ!ヒトの血統書なんざナンセンスの極み💩
@@言霊の幸う國のムソジニスト 最後の一文、素晴らしく感動致しました👏
このような過程を教科書でも説明することでもっと差別が少なくなるだろうと思いました。穢多と非人の人たちは尊敬に値する人だということが知れてよかったです
高校の時「年貢取り立てに対する農民の不満逸らしのためのスケープゴート」って習ったけど「士農工商」の二番目なのに何でスケープゴート?と釈然としないところがあってモヤモヤしてました。
授業で習ってたのと違って偏った考証もなく分かりやすい説明でモヤモヤが晴れて良かった。ありがとうございました
確かにスケープゴートに違いありません。「士農工商」とは名ばかりで、実際は農民が一番大変だったからね。繁忙期の時はそういう人達の手を借りなくては収穫が間に合わなかったと聞いています。食事で使用した食器は全部壊して土に埋めていたそう。鬱憤ばらしの「差別」は厳然とあったと思います。
現代は、見えない身分制度がしっかりありますよね。
人が嫌がる事を誰かがやってくれるから多くの人が生きられるんだな
大変興味深い内容。いいねを100位推したい。知らない単語もたくさんあってめちゃくちゃ勉強になります。すごいなー、ユーチューブ。
今まで、ごく自然に教わってきたことの正反対で、えた、非人は尊敬すらされていた、と言う新説だが、
500万回〜600万回再生と凄い勢い。
厚労省が推進しているのだろうか…??
この問題に関して世間の人が大変な関心を持っていることがよく分かる。
同意。大和民族ではない、えた非人は元々河原で生活している者がいて、その中には重度のハンセン病患者、物乞い、罪人の集まり。血族婚が多く障害者が多い。そのような人たちの集まりを部落といい
牛馬の処理、食肉関係、皮製品、芸能、など仕事をしていた。と古い部落の歴史本に書いていましたね。えた、非人は尊敬されていたと言う新説があったのですね。参考になりました。
その意味がよく分かり理解出来ました
人に向かって言うなと言われて何故だろう⁉️がやっと分かりました
勉強になりました
学校では全然詳しく授業をしていなかったのでとても勉強になりました
武士が貧乏で、商人が金持ちだったという面白い格差。
べつに面白くはなくて、単に資本主義ではなかったというだけ。
そりゃ戦乱がない時代に武士が金持ちになれる訳ないけどな
商人が金持ちよ言うより、金持ちの商人が金持ち。
@@whytea9929 いや有り得ない。帯刀許可、無礼打ちが説明できない。
@@jubako-no-sumi-wo-tutuku 無礼打ちは余程でないと許容されませんし、金主の商人は大事にしてたと思いますよ。 大阪で先物取引市場が出来たくらい、当時としては成熟した資本主義社会だったかと、士分帯刀は養子になることでカネで買えました。
東北では差別されていなかったようだけど、奈良とかでは同和問題の映画のように差別されていたように思う。寺院が多い場所では差別が少ないと言う内容に疑問に思う。いずれにしても、正しく知りたいと思うので、こういう研究や動画はもっと見たいと思う。
あなたの直感の方が鋭いと思いますね。一休さんの指摘にもあるように仏具には皮を使ったものも多く、近江国や播磨国には優れたカワタの職人集団がおり、大和国には随所に被差別民がおりました。外国人、連れてこられた、戦争で負けた人たち。これらのワードが適切なのは主として奈良盆地なんですね。
周囲の山間部にも川筋ごとに山の獣禽から皮を剥ぎ集める村があります。古くから農民と分離していた地域で差別が強いようです。墓守の人も多く昔は近鉄線から見えましたが今は高級住宅地になっていたりします。
「神奈川県人権啓発センター」という動画を見れば成り立ちがわかります。
この動画の内容が本当ならいつからエタヒニンの人々は逆差別による特別な権利を主張し、国もそれを認めるようになったのか?
@@みちる-u1g それはまぁ…だいぶ前から
@@みちる-u1g
エタ•ヒニンが江戸時代まで裕福だったのは事実
江戸時代末期なんてそれを元手に武士や商人相手に質屋や賃金業もやってて成金状態
明治維新後賃金業は渋沢栄一らにより銀行でしか出来なくなった
そういった時代の変化で失業状態になる
だから明治維新後のエタ•ヒニンは今でいう闇金業として生き残り現在のサラ金や闇金に繋がる
とはいえそうやって裕福なまま生き残ったのは一部でほとんどが失業者となる
それを当時の運動家が江戸時代にいわれもない差別を受けてたから補償しろと立ち上げたのが水平社
まぁ戦前は小規模な運動家団体だった
それから時間が経ち戦後高度経済成長、エネルギー革命が起こり
炭鉱閉山が相次ぎ失業者が増え炭鉱地はスラムと化した昭和30年代
そうしたエタ•ヒニンでもなかったスラムの元坑夫達がそういった運動家団体の口車に乗り大規模な運動をし始め潤沢な補償を受けるようになり巨大化していった
日教組とも結託し嘘の同和教育を学校で学ばせる
一言「差別だ❗️」と叫べば大金貰えて行政も文句言えない事に味を占め偉くなったと勘違い野郎が増えて今では逆差別と言われるほどの好き放題やってる状態
現代でも同じですね
社会的地位のないものを哀れんだり小馬鹿にして気付いたら追い抜かされているのですが、認めたくないので自分達大多数を正当化していますね~
勉強になりました!
ありざす!
とても面白かった!良き動画をありがとうございます。
専門性が高く、その分野の知識に関しては群を抜いているから恐れられたのな...
特に穢多の方達、特殊な力を持っていると畏怖されていたなら尚更
どの時代も、専門性の高い職業を蔑ろにするといつか国は廃れていく
過去の歴史から学ぶ事はとても多いね
これは為になる。意味も分からず差別する事も無くなるはず。何故蔑まれるようになっていくかが知りたくなるね
過去系ではない、
生まれを辿って部落出身と判れば婚約破棄も有る。😑
人々に蔑まれがちだから蔑まれる、みたいな碌でもない結論に行き着きそう。
だから東北には部落差別がなかったのか。
とても勉強になりました。
なんだ!凄い人達じゃん!
士農工商は身分制度、とゆうのはフェイクです。江戸時代は平和で平等な時代であり、士農工商は単なる職業カテゴリーを説明したもので、当時差別はなく職業選択の自由もありました。
穢多、非人は酷い扱いを受けていたのだと思っていました!
でもちゃんとした知識が得られてこの動画を見て本当に良かったと思いました!
ありがとうございます!
わかりやすい解説ありがとうございます。
大変勉強になりました
ありがとうございます