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赤穂藩は幕府から浅野内匠頭に何度も「乱心」だよね「乱心」だよね(乱心だと減刑される)って問いかけてるのに、「乱心じゃない」って突っぱねるから改易するしかなかったって面もあるしなぁ
昔、年末にやってたドラマの赤穂浪士見ながら、後で礼金払おうと思ってたって浅野長矩が言うシーンで親が「そういう心付けの金は後に出すんじゃなくて、先に出すのが当たり前で、そうすることによって物事が円滑に進むんや」って言われたの覚えてる。
10:24 この時には確か確実に殺害するには斬るのと刺すのはどちらが確実か剣術の達人の家臣に尋ねて刺す方が確実と答えたから刺した。逆に斬りつけて殺せなかったのが浅野内匠頭。
浅野内匠頭はアレな人だった事は史実でも有名な話。息子の大学が旗本に復帰できたのは幸い。
大学は息子ではなくて弟。
囲碁が原因で切腹した故に改易の水野忠胤さんがいない
吉良の仕事というのが母親思いの綱吉の母親の位階昇進交渉で直視供応がその総仕上げだったからね。浅野を嵌めるなんて自分の首すら危うくなる事をするわけがないよな。
その京極高広も息子の高国に家督を譲った後、親子喧嘩により宮津藩改易。
7:44 前田利昌の場合は切腹で改易だったけど、大聖寺新田藩主だったから大聖寺藩から1万石の米を支給されるだけの藩のため藩士は大聖寺に戻れた。
っていうか綱吉の時代に多いな…よほど鬱憤が溜まってたんだろうか
他の将軍なら穏便に済ませたのを改易にしたのもある。高田藩の御家騒動も解決したのに蒸し返して改易にして、家康のひ孫なのに遠島になって飢饉で餓死した人もいる。
武断政治から文治政治への移行方針があったので、今までのノリが許されなくなったのでしょうね。
忠臣蔵の高師直は、表向きは吉良でも本当は将軍綱吉を指す、って説が有るくらいですからね。「悪の王が殺されて世界が浄化される」という丸谷才一の説です。
徳川家綱が将軍の時に由井正雪の乱が起きて浪人が大量発生したのは徳川家康から家光による大名の改易が多くて大量に出た浪人に対して何もしなかったので大老の保科正之は末期養子を認めたり余程の事が無い限り大名の改易を止めて浪人発生を抑えた。
殺された側の宮津藩も無嗣改易になっているから、家来は本当に酷いとばっちり、相手が鳥羽だけにね。浅野は内藤の甥っ子になるから、遺伝ってあるんでしょうね。
女性を襲って改易された遠江浜松藩・第3代藩主の井上正甫もなかなか恥ずかしい改易です
@@akirakitahara3752 様「コッチの方がヒドイジャネェ〜か!ワシら、飲んだくれだが、婦女暴行はしてないぞ!」金森家一同
10:40 12:12 もし綱吉の命だと仮定してこの頃にあった事を調べてみると、命を受けて実行犯となった容疑者と思える人間が一人浮かび上がってくるんですよね……大久保忠朝(稲葉正休を真っ先に切りつけたとされるのも彼)。…何でこの件の二年後に普通ならまずあり得ない先祖が改易された小田原に復帰(しかも石高1万石+)なんてできてるのかねぇこの人…
稲葉と堀田は、春日局の一族。綱吉の時代にこうした事件が多いのは、武断から文治への転換期で、「方針転換」についていけない大名が多かったからかもしれませんね…(^^;)
春日局の元夫、稲葉正成の孫と曾孫。稲原正休の父は正成の後妻の子で、堀田正俊の祖母は正成の先妻の子。春日局と直接の血縁はない。なかなか面倒臭い。
忠臣蔵以前に仙台藩の領民が3ヶ月以上の旅をして、赤穂から塩の作り方を教えてもらっている。それで塩の製法は門外不出とは全く不可思議である。
ただし塩田があったのは吉良だったけど、塩田の部分は吉良家の領地では無かった。
塩生産で一番大事なのは、暖かくて雨が降らないことだからな。作り方自体は大した違いなんかない。
04:36脇差ではなく、小さ刀(ちいさがたな)。小さ刀というのは拵の鞘尻が一文字であり、これが丸尻だと短刀拵となる。いずれも短刀であり、武器としては突く武器で、動画中の脇差というのは大刀と同様、斬る武器。この短刀で突く事なく切り付けた事が、内匠頭乱心説の一つであり、脇差だと乱心でも何でもなくなる。
吉良殿 しかも年末に時代劇で悪役にされて気の毒過ぎます。馬に乗り 地元をゆっくり見回っていたそうで 地元の人達には 慕われていた と聞いた事があります🐴✨
そういえば、吉良氏の由来は吉良荘ですが、更にその由来はきらら(雲母)でしたね。
でも若い頃から高家の役職だったから帰れないから、領地を見回る余裕は無い。毎年将軍の使者で年始の挨拶で上洛していたから領地によれたけど、見回る余裕は無いと思う。
@@ryumahori1222 さん詳しく教えて頂きありがとうございます。なんだか 吉良殿 更に良い人に感じてしまいました✨🐴
@@kirara.okame4 様おっしゃる通りです。私の母方が吉良けの遠縁に当たります。昨年のの上野介様の法事に始めて参列しました。
15:46 調べたら本当に血縁では無かった。紀通は春日局のいとこの息子で正休は春日局の元夫の稲葉正成の再々婚後に生まれた息子の息子。そして紀通が外様大名で正休が譜代大名。
観終わったあと、「はぁ…」という言葉しか出なかった。ヤバい方々でしたね。
驚くほどの詳細に感銘を受けました。どんな資料を参考にされているのでしょうか?
将軍家綱薨去の後、跡目相続で下馬将軍の綽名をもつ酒井忠清の親王を迎えるという主張を退け、当時、舘林城主であった綱吉を推挙したのが堀田正俊。その功で大老に就任。
この事件で、社会情緒に押されて…江戸幕府も、吉良を江戸🏯周辺から移動させて、郊外へと移動命令(態と治安の緩い場所へと)出してますね。
松倉家は五條では善政をしてたのに島原では真逆………前者ではプラスに作用した拡大政策が後者ではマイナスになったんでしょうな。
島原への加増転封を左遷と見た可能性もあるだろう。僻地に追いやられて自暴自棄になったのかも?
@@大坂智義 島原を僻地と取るかどうかじゃないですか?まあ、大和でも要衝の五條に比べたら、そう感じるかもしれませんね。
先代はルソンへの遠征費用が必要だったからね、その息子は単なる無能。そもそも天草の石高が実態より高いというのも有った。
大和五條1万石から肥前日野江4万3000石に加増になったのを、島原築城時に10万石で検地し、差額を領民から搾取して幕府に媚を売ってたバカ親子に何の同情もないわな。
最後が凄いですね、こんな殿様もいたんですね。
残虐過ぎますね
江戸時代に斬首された可能性が高い大名は、もう一人います。肥前日野江藩主でキリシタン大名の有馬晴信です。岡本大八事件という陰謀事件に関与して切腹を命じられましたが、キリシタンの戒律により自害ができず、家臣によって斬首されました。幕府の公式記録では切腹したことになっていますが、私的な記録や生前の言動から斬首した可能性が高いとされています。
斬首は処分としての斬首だから、実際に誰が首を切ったかはどうでもいいんだが。
形式化した切腹は、腹に短刀を充てたら、首斬り役が首を斬っていたから、多分その類いだろう。
赤穂浪士切腹後に吉良家も改易処分に処されましたね。
結局吉良家もダメダメだったってことですね~( ̄▽ ̄;)
上野介の曾祖母が家康の叔母だったのに。
一応縁戚に当たる(そして小田原北条氏の末裔でもある)蒔田家が吉良の名を継いだんですっけ。
世論に幕府が負けたという説もありますね。旗本で高家筆頭の吉良家ではあるものの、石高と身分でも大名の浅野が切腹というので面白おかしく話を拡散されてとかで。今のネット炎上みたいなものでしょうか。
最悪の改易となった大名に吉良家が入っていないのが不思議!
大名の乱心は幕府にとってテロ扱いだったんですね。
是非ともリクエストお願い致します佐竹の名将梅津憲忠を是非お願い致します🙇♂️🙇♂️
ブリの頭は美味しいからね多分カマの部分も切り取られてただろうし
ブリカマが食べたかったのに食べられなかったからの乱心、大いにあり得る。
稲葉正休、10:45,11:05辺り。幕末の藩政改革(備中松山藩、最後の老中板倉勝静)で有名で、明治維新後大久保利通に大蔵大臣を打診された山田方谷の画像が登場は何故?あと最悪と言えば、駿河大納言忠長卿。
内藤、浅野、稲葉正が縁者が縁者であることを知った時は驚いた。やっぱり何かあったんだろう。。
競馬の世界で気性難を起こしやすい血があるように、乱心の血だったりする?
@@YH-nu7wc 競馬でもあるんですね。なんかそう感じてならない。徳川にも忠輝、忠直、忠長、あるいは信康、重倫など、やばい逸話を持つ人がいる。何かがあると思った方が納得しやすいですよね。
@@YH-nu7wc ステゴ産駒、、、
赤穂藩士の中には、「まあ、ウチの殿様は基地外の家系だからな不思議はないな」と思っていた人もいただろうな。
精神医学で家族の精神疾患歴を調べるのは常識。つまりそういうことや。
そもそも式次第については、マニュアルは作成されていなかったのでしょうか_
ぶりを送り付けた、京極高広も相当な悪政を敷いたらしい。多分ぶりを送り付けた際に浅はかな打算が働いたと思われるね。
頭付きのブリは当時賄賂に使われたらしいですよ。それを防ぐために切り落としたとか
ブリを送った時に書状にブリをそのまま贈ると賄賂になって幕府から指摘されて改易になる恐れが有るので家名、家臣や領民を守る為に敢えて首を落としたブリを送った事に詫びると同時に了承して欲しいとすれば穏便に済んだと思う。
長州は御所に大砲ぶち込んでも改易にならなかった
でも二回も長州征伐あったよ
京極高広も寒ブリの頭を取るのではなく、縦に半分に切った状態で送れば良かったのかなぁ・・・・・?
完全な形を保っているのがいけないなら、しっぽ落とせばよかったんじゃないの?
@@コリドラス-r6q 「寒鰤を幕閣への賄賂に使うのでは、と疑った」こと自体が逆鱗に触れたのかも・・・・・
吉良の業績は良いところがあり、赤穂の内匠頭で切りつけられたのは実際の所、不憫ではある。 しかしながら、金のたかりグセがあり、上杉米沢藩の財政を悪化させたりしていた。 お世辞にも褒められた人間ではないし、武士らしくもない。
忠勝、勝家…縁起の良い名前?なのか戦国の世でもよく聞く名だけど、曰くもあるのだね。
柴田勝家、本田忠勝は、猛将だからあやかりたかったのかもしれませんね。
浅野に関しては喧嘩というよりは儀式を台無しにされた事に対する綱吉の怒りによる。斬りつけるなら儀式終わってからにしろよみたいな感じでしょう。まぁ改易やむ無しかと思います
マジか
江戸時代のバカ殿と面子があまり変わってない^^;『改易されることをする大名=バカ殿』は大体イコールですが。
跡継ぎがいないのは子供が早死にとか本人の責任がないことも多いが、やらかして改易は必ず本人に何らかの責任があるからな。
松倉勝家より上が居た事に驚きました。
松の廊下の刃傷事件はもうひとつあって松本藩主の水野忠恒が長府藩主の毛利師就に斬りかかったもの毛利は刀を抜かず鞘で応戦して命をとりとめおとがめなし水野は改易されて他家の預かりに
これは8代将軍吉宗の時に起こった。 他家に預かりの後に叔父の預かりになって、その叔父(ただし年下)が7000石と十分の一だけど家督を継いだ。そして息子の代に30000石の大名になって老中になった。やはり先祖が家康の母親の弟だから家名存続が認められた。
@@yh6146 相手が死ななかったのと発狂で片が付いたので。取り調べの記録はないが、浅野内匠頭も発狂だったら、上野介も死んでいないので家が残ったかも。芝居では遺恨があると言い張りますが。
確かそれは忠恒より前の藩主の代に起きた一揆「嘉助の乱」にまつわる話ですね。一揆の首謀者の嘉助は一度は助命が決まりかけたものの、連絡の行き違いだか藩主の独断だかで処刑されてしまい、その時の呪いで松本城が傾いたり、呪いを恐れた藩主が寺を建てまくって藩の財政を圧迫したりしたそうで、忠恒も師就に斬りかかる直前に嘉助の亡霊を見たと聞きます。
重いですね😫
役目を速やかに行うには、江戸留守居役や江戸家老が主に働き藩主の見本や助役等の支えてなくてならない。家臣が無能な為に起きた事件と思われる。
家臣が無能だから、江戸城で短刀を振り回したんですね部下が無能だと社長が犯罪を犯すようなものでしょうか
どういった理由があれ、吉良の指南役としての対応があまりよくなかったのは確かなようで、浅野家の数年前に、伊達家が同じ役をやったそうで、その時にも、伊達家の当主に殺意を抱かれたと言う話もある。(伊達の当主は、浅野の当主ほど短絡的な性格ではなかったのと、部下の静止で思いとどまったようだが、)
数年前では無くて浅野と同じ年。浅野が勅使饗応役で伊達が院使饗応役。
@@yh6146 伊達は伊達でも分家の宇和島伊達家のさらに分家である伊予吉田の伊達家。いじめを受けたというのはこちらではなく、1つ前の勅使饗応役亀井茲親だが、これは芝居の創作。
忠臣蔵によって吉良上野介や柳沢吉保が悪人にされてしまいましたね。吉良の殿様が不憫でならないです。
吉良は京都で、桂昌院を従一位に進めるという大仕事に成功し、意気揚々と江戸に戻ったのに、その間浅野が勅使饗応役に選ばれ、貨幣改鋳で物価が騰貴していたにも関わらず、20年近くも前に一度務めた費用に毛の生えたくらいの出費で賄おうとするのを、さんざん苦労して必要な経費を出させ、ようやく終わると思っていた日に「この間(かん)の遺恨覚えたるか」と訳の分からない理由で斬りつけられ、本当に可哀想です。内匠頭は「好色、吝嗇、士を愛さない」という報告が、すでに将軍家に上がっているほどの人柄だったのに、家臣が立派で、「仇討ち」と称して(「吉良が浅野を討ったのではなく、浅野が吉良を討とうとして果たさず切腹の処分を受けたのだ。これを仇と言えようか」という議論は当時からあった)討ち入り、出処進退誠に見事だったので、その敵ということで、いわれない悪人の汚名を被せられてしまい、「気の毒」の言葉では言い尽くせません。
袖の下などの俗悪な習いを知らなかった為に孤立して恥をかかされた為に起こったと歴史の先生に教えられましたけどどうなんでしょうね。
@@明日の晩ごはん-o9wそもそも当時はそういう金品を送るのは当たり前だった。そうしないと官位の割りに石高が低いから家格を維持できない。
これまで歌舞伎や映画 Tv 小説などで長い間悪のイメージを刷り込まれたので容易に真実を認められないのですね。
@@明日の晩ごはん-o9w 習い事する時にはお金払うやろ?それと同じで払わんで大事な作法習おうって奴も大概では?
そういえば赤穂藩には旗本の分家が二家あったけど、連座で改易にならなくて良かった。ちなみにどちらも男系では大石家の血筋でどちらも母親が浅野の姫だったから藩主の養子や赤穂分家の養子になって浅野姓の旗本になった。まあ、それでも刃傷事件と討入の時に処罰されて奉行解任や謹慎処分だったけど。
やっぱり忠臣蔵は御家再興というよりも大石ら浪人たちの就職活動だったんでしょうね。浅野大学に赤穂藩の名跡を継がせる前に既に分家が二つもあるのだから。それに対してそうした近い分家がない吉良は本当にお取り潰しですもんね。一応吉良の名跡は蒔田が継ぎますが、血筋が離れすぎてますね。
@@ひろたかし-w8mまあそれで分家の旗本に名跡を継がせる事を幕府が認めても赤穂浪士が再就職できない。赤穂事件と同じ事件が8代将軍吉宗の時に起こったけど、この時はさすがに斬りつけた本人は切腹させず謹慎させて叔父が名跡を継いだけど7万石から7千石への変更減封だから一部しか再就職できない。
@@ひろたかし-w8m 忠臣蔵の前に大規模な仇討ちが有り、浄瑠璃坂の仇討ちで仇討ちを遂げた討ち入り側は幕府に自首をして首謀者等は自首した事に殊勝な態度で死一等から減じて伊豆大島に流罪となり後に恩赦で許されて彦根藩に召し抱えられた事が有ったから、赤穂浪士も討ち入り後に自首したので幕閣の中にも赤穂浪士除名する人も多かったが儒学者の荻生徂徠が幕府の法を破ったので死罪に成るが、主君の仇討ちをしたので名誉有る切腹を主張して徳川綱吉が取り入れた事で赤穂浪士は切腹になった。
そりゃー御家断絶を覚悟してまで、刃傷沙汰をしたのだから、余程の我慢出来ないことがあったんやないの?
1位が凄すぎる
稲葉家は春日局の嫁ぎ先で、堀田家は娘の嫁ぎ先で夫の元家臣の家です。
丹波篠山というと……あの八つ墓村のムツオの近く?事件もよく似てる😱
身内と部下が気の毒過ぎる
稲葉紀通は稲葉一鉄の子孫の方です。
薩人マシーンとかバーサーカーとか言われてる連中の割に、江戸城中や公式行事での不祥事はない薩摩藩。
浅野殿乱心でござる、浅野俺吉良にキレただけ、あの時乱心でしたと答えてれば、改易までにはならずに済んだ可能性あるかも?
そもそも綱吉と幕府がいい加減なのよね…懿公喜鶴…
そもそも兄綱重の息子の綱豊(後の家宣)がいたのに綱吉が継いだから。綱豊なら当時はまだ新井白石が家臣になっていないからヤラカスことは無い。
第五位の赤穂事件に関しては、この動画はこの動画で偏った見方にしか見えないけれど?このまま鵜呑みにするの事は危険だと思いました。
赤穂の真相は謎ですが周りの武士達は案外、真相を分かっていたのかもしれません、吉良に味方が居ない理由を考えれば真相解明が出来るかも、誰かの記録でも見つかれば良いですね!
何れ南部信直お願いします
昔から三河の吉良町だと吉良上野介は良い人説とよく聴く。
ただし上野介は高家を若い頃からやっているから領地に戻れなかった。
吉良では、芝居で忠臣蔵をやろうとすると「帰れ」と石を投げられたとは聞いたな。
浅野内匠頭は、即日切腹で庭先にて。吟味をろくにしなかった。ですから同情があります。ただ忠臣蔵の討ち入りがなければ単に狂気だったとおもわれます。結局は世論におされて幕府が裁定を誤ったこと。しかし吉良家も断絶となり気の毒。
見せしめは時には必要だと思います。過剰なのは駄目ですけどね。「殺人は原則死刑」程度は必要だとおもいますね。犯罪抑止力になるので。
どれも悲しい😢💦
喧嘩両成敗だから、恨まれても仕方ない!
その当時は喧嘩両成敗。
吉良は斬り付けられた後に屋敷が隅田川の東に移されてるから、江戸内で島流しにあったようなもの。当時の隅田川以東は洪水を受け流す為の荒地。永井尚長は酒井忠勝にやられたのは当たり前。
淀川の治水工事は結局2万両で済んだのか?
ドリフの松の廊下コントはすごく好きだったなぁ。吉良さんには酷いイメージがあったけど、動画のように考えると、逆が真実だった気も凄くして、勝手に悪者と思い込んで申し訳なく思えるようになりました。
そうは思わない。
殿、ご乱心!
寒ブリなら回転寿司屋にいけばあるぞい。今の時代に生まれてよかった。よかった。(*^-^*)
彼は寒ブリではなくブリカマが食べたかったのだよ、多分。だから頭が無いブリ送られてきてキレた
歴史の細道⁉️( ̄▽ ̄;)ノ
本当にひどい話だな。おかしな人に逆恨みされて傷つけられ、おかしな人は当然の罰を受けただけなのにまた逆恨みで惨殺され、悪人みたいに書いた劇のために毎年毎年貶められる。吉良が気の毒でしょうがない。
吉良義央て、父方の祖父も祖母も今川氏真の孫、つまり従兄妹同士の夫婦。足利氏の血を二重にも三重にもひいてるから、あんなに威張っていた。
松平忠直は?
1万石ってどれくらい凄いの
松の廊下刃傷事件の原因は様々な説がある中、動画では精神的なストレスによるものと結論付けられていますが、これは根拠ある研究結果を基にしているのか、それとも動画投稿者様の見解なのか気になります。歴史には疎いので特にいちゃもん付けるわけではないけど、稲葉正休の事件では「真相は闇の中」としているのに対して、赤穂事件のほうは妙にあっさり断言しているので気になりました。
山田方谷の肖像画を使っている。失礼ではないか?
吉良様は、高家の旗本ですから自分の領地に行くことはなく、幕府の代官が一帯を治めて禄米として米を受け取る立場です(塩田は関係ない)。また、朝廷への政治交渉と供応役の取りまとめを吉良様が行い、浅野殿(と伊予吉田藩主の伊達村豊)は供応と金を出すのが本来のお役目です。当時は、家綱の生母に対する官位取得の政治交渉中で、吉良様が失敗を願う事態はあり得ない。完全に、浅野殿の逆切れですな。島原・板倉家は面高4万石ですが、海外貿易込みだと10万石を軽く超える収益がある藩で、その収益をもとに10万石相当の家臣と城を整えたところで鎖国政策が始まり…武装集団の家臣をリストラしたら野盗と化した武士相手の内戦になる状態で、行き詰った結果ですな。
瑤泉院の陰謀?吉良が被害者
忠臣蔵は吉良公を勧善懲悪で貶めるために、当時の歌舞伎で悪役として有名な足利高氏の悪行を元ネタに創作したものなので、基本的に冤罪ですね。足利高氏の名前を直接出すのはヤバいので忠臣蔵は美味しかったとかw(マテまあ浅野はそもそも抜刀してはいけないと決められていた松の廊下で斬りかかったので、切腹の処分が下されただけなんですけどね。確か松の廊下を突破すると相討ち覚悟なら直接将軍を殺害可能になるぐらいの距離だったとか・・・
すわ?
赤穂藩は幕府から浅野内匠頭に何度も「乱心」だよね「乱心」だよね(乱心だと減刑される)って問いかけてるのに、「乱心じゃない」って突っぱねるから改易するしかなかったって面もあるしなぁ
昔、年末にやってたドラマの赤穂浪士見ながら、後で礼金払おうと思ってたって浅野長矩が言うシーンで親が「そういう心付けの金は後に出すんじゃなくて、先に出すのが当たり前で、そうすることによって物事が円滑に進むんや」って言われたの覚えてる。
10:24 この時には確か確実に殺害するには斬るのと刺すのはどちらが確実か剣術の達人の家臣に尋ねて刺す方が確実と答えたから刺した。逆に斬りつけて殺せなかったのが浅野内匠頭。
浅野内匠頭はアレな人だった事は史実でも有名な話。息子の大学が旗本に復帰できたのは幸い。
大学は息子ではなくて弟。
囲碁が原因で切腹した故に改易の水野忠胤さんがいない
吉良の仕事というのが母親思いの綱吉の母親の位階昇進交渉で直視供応がその総仕上げだったからね。
浅野を嵌めるなんて自分の首すら危うくなる事をするわけがないよな。
その京極高広も息子の高国に家督を譲った後、親子喧嘩により宮津藩改易。
7:44 前田利昌の場合は切腹で改易だったけど、大聖寺新田藩主だったから大聖寺藩から1万石の米を支給されるだけの藩のため藩士は大聖寺に戻れた。
っていうか綱吉の時代に多いな…よほど鬱憤が溜まってたんだろうか
他の将軍なら穏便に済ませたのを改易にしたのもある。高田藩の御家騒動も解決したのに蒸し返して改易にして、家康のひ孫なのに遠島になって飢饉で餓死した人もいる。
武断政治から文治政治への移行方針があったので、今までのノリが許されなくなったのでしょうね。
忠臣蔵の高師直は、表向きは吉良でも本当は将軍綱吉を指す、って説が有るくらいですからね。「悪の王が殺されて世界が浄化される」という丸谷才一の説です。
徳川家綱が将軍の時に由井正雪の乱が起きて浪人が大量発生したのは徳川家康から家光による大名の改易が多くて大量に出た浪人に対して何もしなかったので大老の保科正之は末期養子を認めたり余程の事が無い限り大名の改易を止めて浪人発生を抑えた。
殺された側の宮津藩も無嗣改易になっているから、家来は本当に酷いとばっちり、相手が鳥羽だけにね。
浅野は内藤の甥っ子になるから、遺伝ってあるんでしょうね。
女性を襲って改易された遠江浜松藩・第3代藩主の井上正甫もなかなか恥ずかしい改易です
@@akirakitahara3752 様
「コッチの方がヒドイジャネェ〜か!
ワシら、飲んだくれだが、婦女暴行はしてないぞ!」
金森家一同
10:40 12:12 もし綱吉の命だと仮定してこの頃にあった事を調べてみると、
命を受けて実行犯となった容疑者と思える人間が一人浮かび上がってくるんですよね…
…大久保忠朝(稲葉正休を真っ先に切りつけたとされるのも彼)。
…何でこの件の二年後に普通ならまずあり得ない先祖が改易された
小田原に復帰(しかも石高1万石+)なんてできてるのかねぇこの人…
稲葉と堀田は、春日局の一族。
綱吉の時代にこうした事件が多いのは、武断から文治への転換期で、「方針転換」についていけない大名が多かったからかもしれませんね…(^^;)
春日局の元夫、稲葉正成の孫と曾孫。稲原正休の父は正成の後妻の子で、堀田正俊の祖母は正成の先妻の子。春日局と直接の血縁はない。なかなか面倒臭い。
忠臣蔵以前に仙台藩の領民が3ヶ月以上の旅をして、赤穂から塩の作り方を教えてもらっている。
それで塩の製法は門外不出とは全く不可思議である。
ただし塩田があったのは吉良だったけど、塩田の部分は吉良家の領地では無かった。
塩生産で一番大事なのは、暖かくて雨が降らないことだからな。作り方自体は大した違いなんかない。
04:36脇差ではなく、小さ刀(ちいさがたな)。
小さ刀というのは拵の鞘尻が一文字であり、これが丸尻だと短刀拵となる。
いずれも短刀であり、武器としては突く武器で、動画中の脇差というのは大刀と同様、斬る武器。
この短刀で突く事なく切り付けた事が、内匠頭乱心説の一つであり、脇差だと乱心でも何でもなくなる。
吉良殿 しかも年末に時代劇で悪役にされて気の毒過ぎます。
馬に乗り 地元をゆっくり見回っていたそうで 地元の人達には 慕われていた と聞いた事があります🐴✨
そういえば、吉良氏の由来は吉良荘ですが、更にその由来はきらら(雲母)でしたね。
でも若い頃から高家の役職だったから帰れないから、領地を見回る余裕は無い。毎年将軍の使者で年始の挨拶で上洛していたから領地によれたけど、見回る余裕は無いと思う。
@@ryumahori1222 さん
詳しく教えて頂きありがとうございます。
なんだか 吉良殿 更に良い人に感じてしまいました✨🐴
@@kirara.okame4 様
おっしゃる通りです。私の母方が吉良けの遠縁に当たります。昨年のの上野介様の法事に始めて参列しました。
15:46 調べたら本当に血縁では無かった。紀通は春日局のいとこの息子で正休は春日局の元夫の稲葉正成の再々婚後に生まれた息子の息子。そして紀通が外様大名で正休が譜代大名。
観終わったあと、「はぁ…」という言葉しか出なかった。ヤバい方々でしたね。
驚くほどの詳細に感銘を受けました。どんな資料を参考にされているのでしょうか?
将軍家綱薨去の後、跡目相続で下馬将軍の綽名をもつ酒井忠清の親王を迎えるという主張を退け、
当時、舘林城主であった綱吉を推挙したのが堀田正俊。その功で大老に就任。
この事件で、社会情緒に押されて…江戸幕府も、吉良を江戸🏯周辺から移動させて、郊外へと移動命令(態と治安の緩い場所へと)出してますね。
松倉家は五條では善政をしてたのに島原では真逆………前者ではプラスに作用した拡大政策が後者ではマイナスになったんでしょうな。
島原への加増転封を左遷と見た可能性もあるだろう。
僻地に追いやられて自暴自棄になったのかも?
@@大坂智義 島原を僻地と取るかどうかじゃないですか?まあ、大和でも要衝の五條に比べたら、そう感じるかもしれませんね。
先代はルソンへの遠征費用が必要だったからね、その息子は単なる無能。
そもそも天草の石高が実態より高いというのも有った。
大和五條1万石から肥前日野江4万3000石に加増になったのを、島原築城時に10万石で検地し、差額を領民から搾取して幕府に媚を売ってたバカ親子に何の同情もないわな。
最後が凄いですね、こんな殿様もいたんですね。
残虐過ぎますね
江戸時代に斬首された可能性が高い大名は、もう一人います。
肥前日野江藩主でキリシタン大名の有馬晴信です。
岡本大八事件という陰謀事件に関与して切腹を命じられましたが、キリシタンの戒律により自害ができず、家臣によって斬首されました。
幕府の公式記録では切腹したことになっていますが、私的な記録や生前の言動から斬首した可能性が高いとされています。
斬首は処分としての斬首だから、実際に誰が首を切ったかはどうでもいいんだが。
形式化した切腹は、腹に短刀を充てたら、首斬り役が首を斬っていたから、多分その類いだろう。
赤穂浪士切腹後に吉良家も改易処分に処されましたね。
結局吉良家もダメダメだったってことですね~( ̄▽ ̄;)
上野介の曾祖母が家康の叔母だったのに。
一応縁戚に当たる(そして小田原北条氏の末裔でもある)蒔田家が吉良の名を継いだんですっけ。
世論に幕府が負けたという説もありますね。
旗本で高家筆頭の吉良家ではあるものの、石高と身分でも大名の浅野が切腹というので面白おかしく話を拡散されてとかで。今のネット炎上みたいなものでしょうか。
最悪の改易となった大名に吉良家が入っていないのが不思議!
大名の乱心は幕府にとってテロ扱いだったんですね。
是非ともリクエストお願い致します
佐竹の名将
梅津憲忠を是非お願い致します
🙇♂️🙇♂️
ブリの頭は美味しいからね
多分カマの部分も切り取られてただろうし
ブリカマが食べたかったのに食べられなかったからの乱心、大いにあり得る。
稲葉正休、10:45,11:05辺り。幕末の藩政改革(備中松山藩、最後の老中板倉勝静)で有名で、明治維新後大久保利通に大蔵大臣を打診された山田方谷の画像が登場は何故?あと最悪と言えば、駿河大納言忠長卿。
内藤、浅野、稲葉正が縁者が縁者であることを知った時は驚いた。
やっぱり何かあったんだろう。。
競馬の世界で気性難を起こしやすい血があるように、乱心の血だったりする?
@@YH-nu7wc 競馬でもあるんですね。なんかそう感じてならない。
徳川にも忠輝、忠直、忠長、あるいは信康、重倫など、やばい逸話を持つ人がいる。何かがあると思った方が納得しやすいですよね。
@@YH-nu7wc
ステゴ産駒、、、
赤穂藩士の中には、「まあ、ウチの殿様は基地外の家系だからな不思議はないな」と思っていた人もいただろうな。
精神医学で家族の精神疾患歴を調べるのは常識。つまりそういうことや。
そもそも式次第については、マニュアルは
作成されていなかったのでしょうか_
ぶりを送り付けた、京極高広も相当な悪政を敷いたらしい。多分ぶりを送り付けた際に浅はかな打算が働いたと思われるね。
頭付きのブリは当時賄賂に使われたらしいですよ。それを防ぐために切り落としたとか
ブリを送った時に書状にブリをそのまま贈ると賄賂になって幕府から指摘されて改易になる恐れが有るので家名、家臣や領民を守る為に敢えて首を落としたブリを送った事に詫びると同時に了承して欲しいとすれば穏便に済んだと思う。
長州は御所に大砲ぶち込んでも改易にならなかった
でも二回も長州征伐あったよ
京極高広も寒ブリの頭を取るのではなく、縦に半分に切った状態で送れば良かったのかなぁ・・・・・?
完全な形を保っているのがいけないなら、しっぽ落とせばよかったんじゃないの?
@@コリドラス-r6q
「寒鰤を幕閣への賄賂に使うのでは、と疑った」こと自体が逆鱗に触れたのかも・・・・・
吉良の業績は良いところがあり、赤穂の内匠頭で切りつけられたのは実際の所、不憫ではある。
しかしながら、金のたかりグセがあり、上杉米沢藩の財政を悪化させたりしていた。
お世辞にも褒められた人間ではないし、武士らしくもない。
忠勝、勝家…縁起の良い名前?なのか戦国の世でもよく聞く名だけど、曰くもあるのだね。
柴田勝家、本田忠勝は、猛将だからあやかりたかったのかもしれませんね。
浅野に関しては喧嘩というよりは儀式を台無しにされた事に対する綱吉の怒りによる。斬りつけるなら儀式終わってからにしろよみたいな感じでしょう。まぁ改易やむ無しかと思います
マジか
江戸時代のバカ殿と面子があまり変わってない^^;
『改易されることをする大名=バカ殿』は大体イコールですが。
跡継ぎがいないのは子供が早死にとか本人の責任がないことも多いが、やらかして改易は必ず本人に何らかの責任があるからな。
松倉勝家より上が居た事に驚きました。
松の廊下の刃傷事件はもうひとつあって松本藩主の水野忠恒が長府藩主の毛利師就に斬りかかったもの
毛利は刀を抜かず鞘で応戦して命をとりとめおとがめなし
水野は改易されて他家の預かりに
これは8代将軍吉宗の時に起こった。 他家に預かりの後に叔父の預かりになって、その叔父(ただし年下)が7000石と十分の一だけど家督を継いだ。そして息子の代に30000石の大名になって老中になった。やはり先祖が家康の母親の弟だから家名存続が認められた。
@@yh6146 相手が死ななかったのと発狂で片が付いたので。取り調べの記録はないが、浅野内匠頭も発狂だったら、上野介も死んでいないので家が残ったかも。芝居では遺恨があると言い張りますが。
確かそれは忠恒より前の藩主の代に起きた一揆「嘉助の乱」にまつわる話ですね。一揆の首謀者の嘉助は一度は助命が決まりかけたものの、連絡の行き違いだか藩主の独断だかで処刑されてしまい、その時の呪いで松本城が傾いたり、呪いを恐れた藩主が寺を建てまくって藩の財政を圧迫したりしたそうで、忠恒も師就に斬りかかる直前に嘉助の亡霊を見たと聞きます。
重いですね😫
役目を速やかに行うには、江戸留守居役や江戸家老が主に働き藩主の見本や助役等の支えてなくてならない。家臣が無能な為に起きた事件と思われる。
家臣が無能だから、江戸城で短刀を振り回したんですね
部下が無能だと社長が犯罪を犯すようなものでしょうか
どういった理由があれ、吉良の指南役としての対応があまりよくなかったのは確かなようで、浅野家の数年前に、伊達家が同じ役をやったそうで、その時にも、伊達家の当主に殺意を抱かれたと言う話もある。
(伊達の当主は、浅野の当主ほど短絡的な性格ではなかったのと、部下の静止で思いとどまったようだが、)
数年前では無くて浅野と同じ年。浅野が勅使饗応役で伊達が院使饗応役。
@@yh6146 伊達は伊達でも分家の宇和島伊達家のさらに分家である伊予吉田の伊達家。いじめを受けたというのはこちらではなく、1つ前の勅使饗応役亀井茲親だが、これは芝居の創作。
忠臣蔵によって吉良上野介や柳沢吉保が悪人にされてしまいましたね。吉良の殿様が不憫でならないです。
吉良は京都で、桂昌院を従一位に進めるという大仕事に成功し、意気揚々と江戸に戻ったのに、その間浅野が勅使饗応役に選ばれ、貨幣改鋳で物価が騰貴していたにも関わらず、20年近くも前に一度務めた費用に毛の生えたくらいの出費で賄おうとするのを、さんざん苦労して必要な経費を出させ、ようやく終わると思っていた日に「この間(かん)の遺恨覚えたるか」と訳の分からない理由で斬りつけられ、本当に可哀想です。
内匠頭は「好色、吝嗇、士を愛さない」という報告が、すでに将軍家に上がっているほどの人柄だったのに、家臣が立派で、「仇討ち」と称して(「吉良が浅野を討ったのではなく、浅野が吉良を討とうとして果たさず切腹の処分を受けたのだ。これを仇と言えようか」という議論は当時からあった)討ち入り、出処進退誠に見事だったので、その敵ということで、いわれない悪人の汚名を被せられてしまい、「気の毒」の言葉では言い尽くせません。
袖の下などの俗悪な習いを知らなかった為に孤立して恥をかかされた為に起こったと歴史の先生に教えられましたけどどうなんでしょうね。
@@明日の晩ごはん-o9wそもそも当時はそういう金品を送るのは当たり前だった。そうしないと官位の割りに石高が低いから家格を維持できない。
これまで歌舞伎や映画 Tv 小説などで長い間悪のイメージを刷り込まれたので容易に真実を認められないのですね。
@@明日の晩ごはん-o9w 習い事する時にはお金払うやろ?
それと同じで払わんで大事な作法習おうって奴も大概では?
そういえば赤穂藩には旗本の分家が二家あったけど、連座で改易にならなくて良かった。ちなみにどちらも男系では大石家の血筋でどちらも母親が浅野の姫だったから藩主の養子や赤穂分家の養子になって浅野姓の旗本になった。まあ、それでも刃傷事件と討入の時に処罰されて奉行解任や謹慎処分だったけど。
やっぱり忠臣蔵は御家再興というよりも大石ら浪人たちの就職活動だったんでしょうね。浅野大学に赤穂藩の名跡を継がせる前に既に分家が二つもあるのだから。それに対してそうした近い分家がない吉良は本当にお取り潰しですもんね。
一応吉良の名跡は蒔田が継ぎますが、血筋が離れすぎてますね。
@@ひろたかし-w8mまあそれで分家の旗本に名跡を継がせる事を幕府が認めても赤穂浪士が再就職できない。赤穂事件と同じ事件が8代将軍吉宗の時に起こったけど、この時はさすがに斬りつけた本人は切腹させず謹慎させて叔父が名跡を継いだけど7万石から7千石への変更減封だから一部しか再就職できない。
@@ひろたかし-w8m 忠臣蔵の前に大規模な仇討ちが有り、浄瑠璃坂の仇討ちで仇討ちを遂げた討ち入り側は幕府に自首をして首謀者等は自首した事に殊勝な態度で死一等から減じて伊豆大島に流罪となり後に恩赦で許されて彦根藩に召し抱えられた事が有ったから、赤穂浪士も討ち入り後に自首したので幕閣の中にも赤穂浪士除名する人も多かったが儒学者の荻生徂徠が幕府の法を破ったので死罪に成るが、主君の仇討ちをしたので名誉有る切腹を主張して徳川綱吉が取り入れた事で赤穂浪士は切腹になった。
そりゃー御家断絶を覚悟してまで、刃傷沙汰をしたのだから、余程の我慢出来ないことがあったんやないの?
1位が凄すぎる
稲葉家は春日局の嫁ぎ先で、堀田家は娘の嫁ぎ先で夫の元家臣の家です。
丹波篠山というと……
あの八つ墓村のムツオの近く?
事件もよく似てる😱
身内と部下が気の毒過ぎる
稲葉紀通は稲葉一鉄の子孫の方です。
薩人マシーンとかバーサーカーとか言われてる連中の割に、江戸城中や公式行事での不祥事はない薩摩藩。
浅野殿乱心でござる、浅野俺吉良にキレただけ、あの時乱心でしたと答えてれば、改易までにはならずに済んだ可能性あるかも?
そもそも綱吉と幕府がいい加減なのよね…懿公喜鶴…
そもそも兄綱重の息子の綱豊(後の家宣)がいたのに綱吉が継いだから。綱豊なら当時はまだ新井白石が家臣になっていないからヤラカスことは無い。
第五位の赤穂事件に関しては、この動画はこの動画で偏った見方にしか見えないけれど?このまま鵜呑みにするの事は危険だと思いました。
赤穂の真相は謎ですが周りの武士達は案外、真相を分かっていたのかもしれません、吉良に味方が居ない理由を考えれば真相解明が出来るかも、誰かの記録でも見つかれば良いですね!
何れ南部信直お願いします
昔から三河の吉良町だと吉良上野介は良い人説とよく聴く。
ただし上野介は高家を若い頃からやっているから領地に戻れなかった。
吉良では、芝居で忠臣蔵をやろうとすると「帰れ」と石を投げられたとは聞いたな。
浅野内匠頭は、即日切腹で庭先にて。吟味をろくにしなかった。ですから同情があります。
ただ忠臣蔵の討ち入りがなければ単に狂気だったとおもわれます。
結局は世論におされて幕府が裁定を誤ったこと。
しかし吉良家も断絶となり気の毒。
見せしめは時には必要だと思います。
過剰なのは駄目ですけどね。
「殺人は原則死刑」程度は必要だとおもいますね。犯罪抑止力になるので。
どれも悲しい😢💦
喧嘩両成敗だから、恨まれても仕方ない!
その当時は喧嘩両成敗。
吉良は斬り付けられた後に屋敷が隅田川の東に移されてるから、江戸内で島流しにあったようなもの。当時の隅田川以東は洪水を受け流す為の荒地。
永井尚長は酒井忠勝にやられたのは当たり前。
淀川の治水工事は結局2万両で済んだのか?
ドリフの松の廊下コントはすごく好きだったなぁ。
吉良さんには酷いイメージがあったけど、動画のように考えると、逆が真実だった気も凄くして、勝手に悪者と思い込んで申し訳なく思えるようになりました。
そうは思わない。
殿、ご乱心!
寒ブリなら回転寿司屋にいけばあるぞい。今の時代に生まれてよかった。よかった。(*^-^*)
彼は寒ブリではなくブリカマが食べたかったのだよ、多分。だから頭が無いブリ送られてきてキレた
歴史の細道⁉️( ̄▽ ̄;)ノ
本当にひどい話だな。
おかしな人に逆恨みされて傷つけられ、おかしな人は当然の罰を受けただけなのにまた逆恨みで惨殺され、
悪人みたいに書いた劇のために毎年毎年貶められる。吉良が気の毒でしょうがない。
吉良義央て、父方の祖父も祖母も今川氏真の孫、つまり従兄妹同士の夫婦。足利氏の血を二重にも三重にもひいてるから、あんなに威張っていた。
松平忠直は?
1万石ってどれくらい凄いの
松の廊下刃傷事件の原因は様々な説がある中、動画では精神的なストレスによるものと結論付けられていますが、これは根拠ある研究結果を基にしているのか、それとも動画投稿者様の見解なのか気になります。
歴史には疎いので特にいちゃもん付けるわけではないけど、稲葉正休の事件では「真相は闇の中」としているのに対して、赤穂事件のほうは妙にあっさり断言しているので気になりました。
山田方谷の肖像画を使っている。失礼ではないか?
吉良様は、高家の旗本ですから自分の領地に行くことはなく、幕府の代官が一帯を治めて禄米として米を受け取る立場です(塩田は関係ない)。
また、朝廷への政治交渉と供応役の取りまとめを吉良様が行い、浅野殿(と伊予吉田藩主の伊達村豊)は供応と金を出すのが本来のお役目です。
当時は、家綱の生母に対する官位取得の政治交渉中で、吉良様が失敗を願う事態はあり得ない。
完全に、浅野殿の逆切れですな。
島原・板倉家は面高4万石ですが、海外貿易込みだと10万石を軽く超える収益がある藩で、その収益をもとに10万石相当の家臣と城を整えたところで鎖国政策が始まり…
武装集団の家臣をリストラしたら野盗と化した武士相手の内戦になる状態で、行き詰った結果ですな。
瑤泉院の陰謀?
吉良が被害者
忠臣蔵は吉良公を勧善懲悪で貶めるために、当時の歌舞伎で悪役として有名な足利高氏の悪行を元ネタに創作したものなので、基本的に冤罪ですね。
足利高氏の名前を直接出すのはヤバいので忠臣蔵は美味しかったとかw(マテ
まあ浅野はそもそも抜刀してはいけないと決められていた松の廊下で斬りかかったので、切腹の処分が下されただけなんですけどね。
確か松の廊下を突破すると相討ち覚悟なら直接将軍を殺害可能になるぐらいの距離だったとか・・・
すわ?