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いや~いつもながら知らないことばかりで大変勉強になりました!この鳥人間さんの中国史三昧のおかげでどれだけ人生が豊かになったか。とてもありがたい限りです!感謝!!
霍光といい梁商(梁冀の父)といい、本人は真っ当というか越えてはいけない境界線を心得ているのに、親類縁者ががやらかしまくって族滅という結果からして、当人だけが立派でもダメなんだよねえ……
改めて金日磾の配置が見事すぎます。あと10年長生きしていたら歴史は違っていたかもしれませんね。
権勢を追求しつつも、霍光にとってそれはあくまでも自らが忠誠を誓う前漢王朝に安定運営と繁栄をもたらすための手段であって、決してそれを私利私欲のために用いない、そこは生涯ぶれることはなかった。(そこを忘れたら即身の破滅に直結する、と自覚するくらいエゲツないことをやってきたようですから当然といえば当然か)おそらく霍光にとっては、それが唯一最大の処世術だった、ということだったのでしょうね。と同時に、それを盾にして他者の批判をかわし切った、ものすごい要領のいい人物だった、という印象を受けました。
前漢廷臣のエピソードはどれも未完成な官僚制の長所短所が考察出来て面白いよね
人間には限界があるからしんだあとのことは責めるの難しいですよね
権力上層部での暗闘はあったものの大きな戦争・内乱もなく、減税もされたようですから、庶民としてはいい時代だったんでしょうね。前漢初期の呂氏専横の時代も権力闘争がありながらも「庶民には平和でいい時代だった」と言われていますからね。霍光自身も忠義の士で、皇帝選定や首のすげ替え、自分に挑んでくる政敵の粛清も「漢王朝のために必要だったからやった」というだけのことで、長生きする名君に仕えていたなら、お気楽なサラリーマンでいれたのかもしれませんね。
霍光のことは陳舜臣さんの「小説十八史略」で知りました。地味だけど優秀な堅物という感じで、仕事に関しては気骨を感じる人物でした。彼の暗部の一つである権力闘争も、どちらかというと、我が身に降り掛かった火の粉を払った面が強い気がします。ただ、己の悪妻の「大罪」をもみ消したことは弁護の仕様がない。そして、妻は慎重に選ぶべきという教訓を教えてくれる人物ですよね。
まったく知らなかった歴史でした。こういう内政的な話も興味深いですね。
中国史の勉強だけではなく、自分の人生や生き方についても考えるヒントをくれる格好の動画だと思います
宣帝の動画と併せて見るとより味わい深くなりますね。現代の価値観だと決して善人とはみなされないでしょうが、疲弊した国を立て直すのに尽力したことは間違いないですから。物事を評価する際に一面だけを見て判断してはいけないということを再認識させられる偉人だと思います。
霊夢の言う通り武帝と宣帝の間をつなぐのが天が霍光に与えた使命なんだろう
その点だけでも、十分名宰相と思える。
「およそ治道は、その太甚だしきものを去るのみ。 凡治道去其太甚者耳。」(十八史略 前漢)なんて故事がありましたね。漢王朝の宰相になった黄覇が、年老いた役人を辞任させるべきとの声に、反対した際に言った言葉の様です。つまり、年老いても清廉な仕事をするし、後任の者が優れているとの確証はないとの事。大改革もいいが、デメリットを減らす手法も意外と有効なのかもしれませんね。宣帝が好きな私としては、霍光は好きではありませんが、必要不可欠な人物だった気がしました。動画面白かったです。長文すみません。
良い意味でも悪い意味でも真の政治家だったのかな。本当に一人の政治家の波乱万丈の生涯を楽しめる中国史は素晴らしい。
休日だ!!!いつもビールビール言ってますが、今日もビールです。中国史をつまみに至福です。
霍光は、その気になれば簒奪も出来たはずの権力を有してたのにとはそれをしなかったのは前漢に対する忠誠の表れですかね。どっちかと言うと、霍光の一族が清廉潔白では無かったので、禍を招いたのですね。
霍光は投稿者の述べるとおり確かに評価の分かれる人物である。私個人としては武帝〜宣帝期における有能な政治家であると評価する。武帝期の強硬外交を改め、巫蠱の獄の冤罪者の身分を回復したりするなどして、漢帝国の疲弊を回復させることに専念したことは、宣帝期の政治にも受け継がれていることを考慮すると評価に値するものである。霍光を主軸に据えて後事を託した武帝の目に狂いはなかったが、ただ、三頭政治が早々に終わってしまったことは予想外だったのだろうと思われる。また、儒教的観点から塩鉄専売撤廃を目指したが上手くいかなかったのは内朝・外朝に政治体制を分けたは良かったが、指揮命令系統まで整っていなかったこと、後の王莽のように理想と現実の乖離を考慮していなかったのではないだろうか。さらに、昭帝前半の政争鎮静後、一族を登用していったのは政治体制の混乱を収拾するためという意義も含まれていると思われる。事実、安定した政治がなされており、霍光の思惑は当たっていた。彼は、資治通鑑にあるとおり、個人としては優秀かつ忠義のある政治家だったが、奥さんとか身内には恵まれなかった。
帝国を牛耳る謹厳実直なキングメーカー。二律背反しそうだと思ったけれど、聞いて納得。やり過ぎなかったのね。欲を出しすぎない、やり過ぎない、程度、頃合い、分限なんてモノを心得てわきまえるのが、皇帝家も栄え、国も栄え、世も栄え、自分も栄える基なのだろうな。物凄く大切な、時を越えた教訓を得た。
いつもありがとうございます。ひたむきな政治姿勢が子供に引き継がれていればそのあとも長く子孫が繁栄したのかもしれませんね。
霍光は、自分の役目を十分やり遂げた人物って感じですね。ただ、仕事人間の例に漏れず家庭の統御は出来ていなかったようですが。
神でも求めてるのかな?
霍光と王莽どうして差がついたのか、慢心環境の違い...
王佐の才を持った人物ではありますが、権力を保ち続ける力もあるなど傑物ではありますね。しかし、武帝も「周公旦の役目を果たせ」とは酷なことを遺したものですね。周公旦は霍光の時代においても1,000年近く前の時代で、なかば伝説的な聖人ですし。ですが、霍光はそんなほぼ御伽噺の聖人になろうと、もしくは近づこうと生涯を捧げたんですかね。つくづく思うに、後事を託すこととは託された側にとっては「呪い」なんだなと。
霍光が自身に権力を集中させたのは、武帝の治世で疲弊した漢を立て直すのは自分しかいないと思っていたからという感じがしますね。上官桀や桑弘羊たち主要な政敵を排除できたのも、向こうから仕掛けてきそうなところを返り討ちにした感じですし。ただ、強い権力を握ると、自身もその恩恵にあずかろうとする問題のある人物がすり寄ってくる事もあるので、霍光本人は漢という国に忠誠を誓っているだろうが、その周囲の人間は必ずしもそうではない(現に、霍光の妻の顕は自身の権力欲だけのために宣帝の皇后の許氏を毒殺してしまっている。)と宣帝は考え、霍光の死後、霍氏の権力を抑えたんだと思います。霍光本人は優秀な名臣だとは思いますが、やっぱり権力を自身に集中させすぎて、後の禍根を残してしまった感じもしますね…。
某歴史チャンネルで霍光を知ったがまるで紹介の仕方が違うのが面白いな向こうは趙高の如く霍光を語ってたから記憶違いなのかと思ってびっくりした
霍光は国を立て直し民を酷使しないという視点ではいい家臣かと思う。どの宰相もそうだけど、国内外が安定しないのに万事を上手くやるなんてとても出来ないよね。やろうとしたら過労と心労で早逝しちゃうわな
清濁併せ持つ人だけど、この時代の中華宮廷の権力闘争勝ち残っていくためには仕方なかったのでは。今度衛皇后の話も取り上げて頂きたいです。
霍光、この人自分がやりたい政策、自分で言い出しっぺになってないんですよね。それを代弁する人がいて、それいいねて言う感じで政権を率いて行くという根回しの達人かつ現実主義者、霍光自身は、謹厳実直そのものでしたが、一族の人間がろくでなしが多かった人でしたね。霍光は、大宰相ですね。ただ自分の死後の事まで、一族の面倒は見れんと思っていたのかもしれませんね。宣帝は、霍光のことをよく見て学んだんだと思います。
今回も動画を閲覧した者です。 武帝の後に、このような政治家がいたことは初めて知りましたし、勉強になりました。 霍光の評価は、投稿者さんと同じ考えで、難しいですね。 政治の内容は良く国内を安定させましたが、敵に対しては先手を打って多くの血を流し、自分の一族は傲慢そのものでした。霍光自身は真面目ではあるが、国を立て直す為に、血を流してでも政治を行った。 その結果、国は安定し、国民は潤った。 彼の行動を動画と合わせてメモ書きしながら、考えてみましたが、難しいですね。 今回の動画は、とても勉強になりました。 動画配信をしていただき、ありがとうございました。 今、世間はコロナ禍と天候不純、世界を見渡すと不安定な状態が続いておりますが、投稿者さんにおかれましては、身体とメンタルに気をつけていただければ、と思います。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことに……まことにありがとうございます!!ご厚意にいつも励まされております……!
漢の武帝のエピソードが紹介されたので、北魏(子貴母死・立子殺母)の解説も楽しみにしております。
霍光になることの難しさよ宦官専横で中枢から追い出された人物を呼び戻したり董卓も最初は霍光になりたかったんだろうがなぁ
漢朝に忠勤でありながらも、非情な手段も辞さない。そんな人物はそうはいないと思います。武帝の時代で漢朝は疲弊してしまった。それに乗じて、好き放題すれば目先の利得は得られても、後々に痛いしっぺ返しを喰らうことを分かっていたのかもしれないですね。もしくは、武帝の時にプレッシャーを掛けられて、腹を括ったのかもしれない。
王朝を軽んじてでも専横を極める輩が多い中、王朝あっての自分であると弁えていたと思います。霍ノミクスも宣帝に引き継がれつつ成功しているような気もしますし。
正史三國志とか読んでると、霍光は蕭何と並ぶ漢王朝最高の内政官として評価されてますね。日本での知名度は天地の差がありますが(笑)自分の名前の由来でもある尚書についても語って欲しかったけどそれは今後に期待して豆知識を一つ。現在世間では国葬についてかまびすしいですが、霍光の葬儀は家臣における最高ランクの形式として歴代王朝に受け継がれました。呉漢、司馬懿、桓温、王猛などの葬儀が「霍光の故事」にのっとり執り行われています。
日本だと楚漢戦争と三国志に人気が集中していて、それ以外の時代は二の次にされがちな感じですよね。その二つも人気がある人物や時期が結構狭いという。
@@ななしのよっすん 侯南北朝(特に北斉vs北周)もおもしろいんですけどね……三国時代は、諸葛亮死後の経過を知らない人も多いんじゃないかな。
霍光はともかく彼の一族から再び大外戚時代に突入しちゃったのが悲しいよな…。
龍狼伝で曹操が「実権に野心があることは否定しないが、自分が治める国が乱れていて快いはずがない」と言っていたが、それを思い出した。『清濁併せ呑む』とかは霍光や後に法家の『信賞必罰』や儒者の『仁義道徳』を上手く折中した宣帝の事をいうのだろう。
龍狼伝の周瑜は諸葛亮にも負けない描かれ方が好きだったな
本人は謙虚で取って代わる思考もなかったのに身内が決してそうではなかったのが霍一族の悲劇……か
いつものピアノのBGMの曲名知りたいずっと脳内再生されてる
おそらく武帝以降では前漢最大の功臣 最大の功績は宣帝を 見出したこと 彼が基盤を整えてくれたからこそ宣帝の活躍もあった
絶大な権力を持ちながら清廉潔白な宰相なんぞまずいないから、多少はね?漢王朝を守り、宣帝を帝位につけるのが役目の人物だったということでしょうね。しかしよく王莽にならなかったな…。
まさに「清濁併せ吞む」の典型といえる人物でした。そして霍光の場合、清(愛新覚羅家無関係w)も濁もスケールが途轍もなく大きいときています。また、兄・霍去病がまさしく匈奴の天敵だったのに、霍光には匈奴出身の協力者・金日磾がついていたことにも個人的に注目したいところ。霍光本人からは離れますが、匈奴もいろいろ(冒頓単于や赫連勃勃がいれば呼韓邪単于や金日磾もいる)だということです。
濁が蜀に見えたワイは末期
Thanks!
いつもご支援いただき、まこと感謝の極みにございます……!ご厚意、身に染み入ります……!!!
へー 関白ってそういう由来があったのか
北畠親房も、神皇正統記で藤原基経が陽成帝を廃位し、光孝帝を擁立したことを霍光に例えて絶賛してましたね。
個人的に取り上げてほしい前漢の人物①周亜夫②李広③張湯④趙充国⑤馮奉世
違う動画で出てきた人が出てくるとより面白い
霍光自身の評価は色々と分かれるが、漢王朝への忠義に疑いはなく、自身のすべき事をした人かと。
結論:嫁(をはじめとする一族)が悪いよ嫁が…※あの暴挙だけは庇いようが…この事件で一族の末路が決まってしまった事を思うと(但し、霍光本人の貢献度とパワーバランスの関係上、顕夫人を霍光が突き出しても許した(許さなかった)可能性はあるかと)
孫娘の上官皇后は結局父方母方双方滅ぼされてしまったんだな宜帝の次の元帝の時代まで生きてたようだけど、親族も無く位だけは高い我が身をどう思ってたんだろう?
王莽みたいに簒奪出来たのにしなかったのが凄いな
ある意味劉備が遺言で孔明になってほしい立場だったんかもね… 実際九錫貰えば良いのにという人出るくらい権限拡大したけど最期まで蜀漢の宰相として生を全うした…
多分だが政治のリアリズムをよく理解していた人物だったと思う。漢の帝室の保護も考えつつ、それまでボロボロだった国を休ませ回復に向かわした政治家かな。中華史ではこういう政治家は嫌われそうだ。してきたことは功罪たくさんあるが、オレは好きだがなぁ、こういう大政治家っての。
いつも配信楽しみにしております。心ばかりですがお納めください。(メンバーシップも入っていますよw)
メンバーシップにご加入の上、ご支援までいただけるとは……まこと感謝感激の極みでございます……!!是非是非今後とも当チャンネルにご期待ください!!!
お疲れさまです! ありがとうございますm(_ _)m。イチから勉強させて頂きます!🙏ひとりごとだけど「達人伝」そろそろクライマックスで連載終了が近いみたいですね……。 キング欣太先生にもエール送りたいなぁ…。4:22に、……なんで もうチューが笑笑😂
豪快な若き英雄だった兄・霍去病の弟にして、謹厳実直・冷静沈着な仕事ぶりで武帝の信頼を得て後に絶大なる権力を手にした霍光。武帝の頃に疲弊した国政を立て直したりの業績は素晴らしいと思うけど、政敵を誅殺し独裁的になってからの有り様はあまり芳しいとは思えない。要するに良いと悪いが半々タイプの宰相だったのではというのが個人的な評価です。
功罪共に多いけれどそもそも人間とは清濁併せ吞む存在ならばむしろ身を立て名を残し天寿を全うした点を以って古今の宰相の中でも優秀だったと考える
霍光は、衛氏の滅亡の時に連座させられなかったんですね。親戚なのに。霍光は身内の統制がとれてなかったのが最大の過ちでしたね。有能なのに。一族は呂氏と同じ轍を踏んでいます。権力の源が亡くなってしまっては、今までのようにいかないのに、自分たちが権力を持っていると勘違いしてしまうところが。霍光については詳しく知りたかったのでありがとうございます。
親戚といっても衛氏の出の妾(霍光の母が正妻らしい)を父が持っていただけととれるし、異姓ですから。より近い兄の霍去病の子もその時には連座してなく、霍氏が滅ぼされた際に死んでる。衛氏って思いかけず高い地位の者に愛された女を出して出世した外戚に分類されるんだろうか?こんなパターンだと節制の利いた女でないと、ろくでもない無能の外戚の専横がおきたりするのがお決まりなのに、『身分が低い女を愛してみたら、世に出てくるきっかけ無かった筈の超有能が何人も掘り出し物として出てきましたよ』になってる珍しい話なのに末路は屑外戚のものと同じなんだよな。寧ろ酷い。
27日後に死亡しないまでも退位する皇帝に興味出てきた
皇帝機関説をとるとしたら国全体のためにダメ皇帝を取り替えるのもしかたないのかなあただ子孫は全うできないよね
霍光さん、皇帝挿げ替えの名分にされがち
まってた
ひさしぶりの前漢
10:20 まさか中国史にも三頭政治なるものがあったとは…。なんとかローマの第一回三頭政治に似せると、霍光はカエサル・金日磾はクラッスス・上官桀はポンペイウスって感じかな?でも霍光にはオクタウィアヌスなる後継者が…いなかったか…。
曹操が治世の世に生まれていたらこんな感じになってたのかな。
日本で言ったら今年の大河の主人公みたいな感じなのかな
霍光は能臣である。しかし同時に姦雄の資質も持っていた。外征を繰り返して巫蠱の禍を引き起こした武帝よりも優れた善政を敷いている。そして昭帝には彼を統御するだけの能力があったのだろう。上官桀派の讒言を否定したのは彼が聡明だったからだ。霍光の功績は昭帝の功である。武宣の間で印象の薄い皇帝だが彼も前漢の中興に大きく貢献している。
武帝の時代は世界史の教科書ではウハウハな時代だと記載されたが内政はボロボロだったのね🤔文化の繁栄って政治の繁栄から少し後になると予備校の世界史講師の荒巻?先生が言ってたかな?
前漢(西漢)の時代の政治的な繁栄の時代って文帝、景帝の時代(文景の治)なんですよね。その時代があったから武帝の盛世があった訳で。宣帝の時代は前漢の中興の時代。その中興の時代も、霍光の尽力と、劉病已(宣帝)の器量と経験があってこそだと思います。
お嬢様と私 で読んだところだ
流石に霍光の1/6フィギュアは見たことないけど…蒙毅(蒙恬ですらない)のフィギュアは持ってるから…さっさと海外メーカーは漢世宗孝武帝・衛后・衛青・霍去病・霍光をフィギュア化して欲しい
・金日テイがもう少し長生きしてトロイカ体制が盤石だったら…・昭帝がもう少し長生きして長子が出来ていたら…・劉賀がもう少し能力的に十分だったら…この人も始皇帝並にifストーリーが出来るほどの人物ですよね。霍光自身は真面目だったのに一族の人々がちょっとアレなのも不幸だったというか特に許皇后を謀さつしたのは宣帝に霍一族を排除する大義名分を握らせたのは決定的でしたね武帝の後を継いだので疲弊した国内を安定させるには多少黒い部分もないとやっていけなかった事情もあるかなと民衆の反乱などは起こらなかったようなので、真面目に国政に励んでいた点は素直に評価してもいいのではないでしょうか?
家庭も国のように治められたらよかったんだけどなあ
でんちあきw 他所では珍しくない誤読ですが 鳥人間さんの動画はいつも正確に読み上げてくれますよね!
富民侯田千秋か(笑)
漢皇室の権威を利用して皇帝の補佐という形で権勢を振るった独裁者としての面もある。でも重用してくれた武帝の命令を生涯守ったって考えると忠臣。結果論ではあるけど
霍って名前がカッコいい
伊尹や周公旦の劣化版に見えるが彼らは昔過ぎて悪い事伝わらんかっただけなんやろなぁ蒙恬蒙キ兄弟って立ち位置似てたよね、扶蘇が2代目皇帝取れてたら同じようになってた予感する
身内を極端に優遇しなければ、族滅されることも無かっただろうになぁ。有能だけど、今一つってイメージの人物。
二十七日て…ワニでももうちょい生きるよ劉賀かわいそう
霍光自身は間違いなく忠義の人であり、しかし権力闘争で生き残るために動いた結果、最終的に権力が集中してしまったがために、親族の増長を上手く止めることができなかったという感じ。逆に昭帝期や昭帝夭折時に彼がいなければ、疲弊した国家と、権力闘争によって、前漢の滅びは50年以上早まっていた可能性もあるだろう。とはいえ宣帝が優秀でなければ、後の王氏より先に霍氏に乗っ取られた危険もあったし、政治の難しさを感じる。昭帝が長生きしてくれれば、一番よかったんでしょうけどねぇ。霍光は名宰相だと思いますが、一族の増長を防げなかった一点だけは汚点だと思います。
ま、立場によって毀誉褒貶はあって当然ですが、庶民からすれば良い宰相だったんじゃないでしょうか?また霍光って名前が鳥の郭公を想像させ、前漢に「托卵」のような真似をして牛耳るというのは「名は体を表す」だなぁ、と感じてしまいます😅ま、日本語だから思うだけ、なんでしょうけどね。
いつもありがとうございます!劉胥と秦の武王がかぶるわー。
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!秦の武王は案外うまく統治できていましたが、劉胥はどうなったていたか気になりますね!
絶大な権力を持ちながら王位簒奪をしなかったのは、政治闘争の強い時代だったので、本人が望まなくても一族の者を役職につけて固めないと政権運営ができなかったのが原因なのかなと思いました
意見に同意します。
同意です!
洋の東西に関わらず三頭体制の一つが欠けると縁戚でも崩壊するのだなぁ
霍去病の異母弟である彼。その兄を産んだ母は衛青の姉でもあるから、兄の軍事の才能はそこからかなと思うが、陳平の子孫と密通してたりするよね。 もし霍光という異母弟が存在しなかったら、その密通相手との子説が絶対兄には生まれてそう。自身は衛氏と血の繋がり無いが、間接的にその縁で出世したとも言えるけど、衛氏を母方にした悲劇の皇太子の孫を皇帝に選んだとき、多少でも縁を感じたのだろうか?
博陸侯であった霍光にちなんで源博陸と呼ばれた源(土御門)通親は、後鳥羽天皇の即位時に三種の神器が揃っていないことを「漢の光武帝や東晋の元帝(司馬睿)の即位時にも手元に璽が無い状況でした。ご心配には及びません。」と発言しました。源通親の村上源氏は劉邦(とその後裔の光武帝)の女系子孫です。(宇多天皇の外祖母が漢の献帝の末裔)南宋→「よく来たね。ゆっくりしていってね。」←源通親の息子「道元」
霍禹さんは腰斬…
霍光だけで濃密な30分、楽しかった。武帝時代の文官って、出世すればするだけ死のリスクが上がるイメージだけど、昭帝に3人も有能な側近を残した辺り、やっぱり晩年はちゃんと反省してたのかな?笑
器の大きさ違いますが石田三成を思い出しました。豊臣政権で権勢を奮ってた三成の佐和山城には金銀財宝がと期待して行ったら…何もなかったとか…三成は豊臣政権で辣腕をふるう事が最高の贅沢でそれ以上には興味がなかったのでしょうね。霍光も政権中枢で辣腕をふるう事にしか興味がなかったのかなと思います。
霍光、ロボット説☺
選ばれたのはキングメーカーでしたwってことで。権力持ち過ぎて余らせてしまったのか……そういう意味では、最近亡くなられた大政治家のアの人みたいだな。( ̄▽ ̄;)
先帝、選定、宣帝
漢王朝の霍光 霍氏だから霍去病の一族かな?と思いましたが兄弟でしたか😅独裁体制は必ずしも悪い結果を招く物では無く優秀な者が成れば国益になる事も有ります清濁併せ呑む政治家ですが皇帝の首迄すげ替える事が出来たとは絶大な権力を有して居たのですね
三国志に霍峻て武将がいるけど、霍光の末裔かな?
霍光って皇帝をクビにしたんだなキングメーカーって鎌倉幕府の執権にあたるのかな?
昭帝が崩御してしまったことは 本当に悔しかったろうね
「関白宣言」ですね。「関(あずかり)り白(もう)す」と言ったらしいです。
どちらかといえば、摂関政治を行った藤原氏、霍光自身は藤原道長みたいな存在に近いように思います。
関白の語源になったくらい権勢を誇ったけど、子供たちがやらかして族滅。前漢、後漢、いずれも外戚は諸刃の剣。
良くも悪くも超優秀な貴族政治家と言いたくなるそして優秀なのに一族根絶やしになっても全然同情されない結論:宣帝がすごい
へーこんな人がいたのか
4:22もう中?
藤原基経は彼の真似をしたのかな
コーエーテクモゲームスの三国志10の皇帝擁立の画像だ‼️(笑)
やっぱり知れば知るほど武帝は好きになれん。
忠義を貫き有能で、清廉潔白な宰相なんぞ、中華史上でも孔明くらいしかいないわな〜。
諸葛亮も蜀漢の朝廷内における「荊州閥」の頭目として、蜀が地元である「益州閥」と暗闘してますから。ただ…本人が“出来る人物”だった事と“厳格な法整備と運用”を自他ともに行ったから表に出にくいだけで。
@@bingosaru 実際その暗闘も推測の域を出ないレベルだから。それくらいには埃が出ない人物ではある。
郎中(もう中)w
隙あらばクズエピソード出てくるマシンだな武帝って
いや~いつもながら知らないことばかりで大変勉強になりました!
この鳥人間さんの中国史三昧のおかげでどれだけ人生が豊かになったか。
とてもありがたい限りです!感謝!!
霍光といい梁商(梁冀の父)といい、本人は真っ当というか越えてはいけない境界線を心得ているのに、親類縁者ががやらかしまくって族滅という結果からして、当人だけが立派でもダメなんだよねえ……
改めて金日磾の配置が見事すぎます。あと10年長生きしていたら歴史は違っていたかもしれませんね。
権勢を追求しつつも、霍光にとってそれはあくまでも自らが忠誠を誓う前漢王朝に安定運営と繁栄をもたらすための手段であって、決してそれを私利私欲のために用いない、そこは生涯ぶれることはなかった。
(そこを忘れたら即身の破滅に直結する、と自覚するくらいエゲツないことをやってきたようですから当然といえば当然か)
おそらく霍光にとっては、それが唯一最大の処世術だった、ということだったのでしょうね。
と同時に、それを盾にして他者の批判をかわし切った、ものすごい要領のいい人物だった、という印象を受けました。
前漢廷臣のエピソードはどれも未完成な官僚制の長所短所が考察出来て面白いよね
人間には限界があるからしんだあとのことは責めるの難しいですよね
権力上層部での暗闘はあったものの大きな戦争・内乱もなく、減税もされたようですから、庶民としてはいい時代だったんでしょうね。
前漢初期の呂氏専横の時代も権力闘争がありながらも「庶民には平和でいい時代だった」と言われていますからね。
霍光自身も忠義の士で、皇帝選定や首のすげ替え、自分に挑んでくる政敵の粛清も「漢王朝のために必要だったからやった」というだけのことで、長生きする名君に仕えていたなら、お気楽なサラリーマンでいれたのかもしれませんね。
霍光のことは陳舜臣さんの「小説十八史略」で知りました。地味だけど優秀な堅物という感じで、仕事に関しては気骨を感じる人物でした。彼の暗部の一つである権力闘争も、どちらかというと、我が身に降り掛かった火の粉を払った面が強い気がします。ただ、己の悪妻の「大罪」をもみ消したことは弁護の仕様がない。そして、妻は慎重に選ぶべきという教訓を教えてくれる人物ですよね。
まったく知らなかった歴史でした。
こういう内政的な話も興味深いですね。
中国史の勉強だけではなく、自分の人生や生き方についても考えるヒントをくれる格好の動画だと思います
宣帝の動画と併せて見るとより味わい深くなりますね。
現代の価値観だと決して善人とはみなされないでしょうが、疲弊した国を立て直すのに尽力したことは間違いないですから。物事を評価する際に一面だけを見て判断してはいけないということを再認識させられる偉人だと思います。
霊夢の言う通り武帝と宣帝の間をつなぐのが天が霍光に与えた使命なんだろう
その点だけでも、十分名宰相と思える。
「およそ治道は、その太甚だしきものを去るのみ。 凡治道去其太甚者耳。」(十八史略 前漢)なんて故事がありましたね。漢王朝の宰相になった黄覇が、年老いた役人を辞任させるべきとの声に、反対した際に言った言葉の様です。つまり、年老いても清廉な仕事をするし、後任の者が優れているとの確証はないとの事。大改革もいいが、デメリットを減らす手法も意外と有効なのかもしれませんね。宣帝が好きな私としては、霍光は好きではありませんが、必要不可欠な人物だった気がしました。動画面白かったです。長文すみません。
良い意味でも悪い意味でも真の政治家だったのかな。本当に一人の政治家の波乱万丈の生涯を楽しめる中国史は素晴らしい。
休日だ!!!
いつもビールビール言ってますが、今日もビールです。
中国史をつまみに至福です。
霍光は、その気になれば簒奪も出来たはずの権力を有してたのにとはそれをしなかったのは前漢に対する忠誠の表れですかね。
どっちかと言うと、霍光の一族が清廉潔白では無かったので、禍を招いたのですね。
霍光は投稿者の述べるとおり確かに評価の分かれる人物である。
私個人としては武帝〜宣帝期における有能な政治家であると評価する。
武帝期の強硬外交を改め、巫蠱の獄の冤罪者の身分を回復したりするなどして、漢帝国の疲弊を回復させることに専念したことは、宣帝期の政治にも受け継がれていることを考慮すると評価に値するものである。
霍光を主軸に据えて後事を託した武帝の目に狂いはなかったが、ただ、三頭政治が早々に終わってしまったことは予想外だったのだろうと思われる。
また、儒教的観点から塩鉄専売撤廃を目指したが上手くいかなかったのは内朝・外朝に政治体制を分けたは良かったが、指揮命令系統まで整っていなかったこと、後の王莽のように理想と現実の乖離を考慮していなかったのではないだろうか。
さらに、昭帝前半の政争鎮静後、一族を登用していったのは政治体制の混乱を収拾するためという意義も含まれていると思われる。事実、安定した政治がなされており、霍光の思惑は当たっていた。
彼は、資治通鑑にあるとおり、個人としては優秀かつ忠義のある政治家だったが、奥さんとか身内には恵まれなかった。
帝国を牛耳る謹厳実直なキングメーカー。
二律背反しそうだと思ったけれど、聞いて納得。やり過ぎなかったのね。
欲を出しすぎない、やり過ぎない、程度、頃合い、分限なんてモノを心得てわきまえるのが、皇帝家も栄え、国も栄え、世も栄え、自分も栄える基なのだろうな。
物凄く大切な、時を越えた教訓を得た。
いつもありがとうございます。
ひたむきな政治姿勢が子供に引き継がれていればそのあとも長く子孫が繁栄したのかもしれませんね。
霍光は、自分の役目を十分やり遂げた人物って感じですね。
ただ、仕事人間の例に漏れず家庭の統御は出来ていなかったようですが。
神でも求めてるのかな?
霍光と王莽どうして差がついたのか、慢心環境の違い...
王佐の才を持った人物ではありますが、権力を保ち続ける力もあるなど傑物ではありますね。
しかし、武帝も「周公旦の役目を果たせ」とは酷なことを遺したものですね。周公旦は霍光の時代においても1,000年近く前の時代で、なかば伝説的な聖人ですし。ですが、霍光はそんなほぼ御伽噺の聖人になろうと、もしくは近づこうと生涯を捧げたんですかね。つくづく思うに、後事を託すこととは託された側にとっては「呪い」なんだなと。
霍光が自身に権力を集中させたのは、武帝の治世で疲弊した漢を立て直すのは自分しかいないと思っていたからという感じがしますね。上官桀や桑弘羊たち主要な政敵を排除できたのも、向こうから仕掛けてきそうなところを返り討ちにした感じですし。ただ、強い権力を握ると、自身もその恩恵にあずかろうとする問題のある人物がすり寄ってくる事もあるので、霍光本人は漢という国に忠誠を誓っているだろうが、その周囲の人間は必ずしもそうではない(現に、霍光の妻の顕は自身の権力欲だけのために宣帝の皇后の許氏を毒殺してしまっている。)と宣帝は考え、霍光の死後、霍氏の権力を抑えたんだと思います。霍光本人は優秀な名臣だとは思いますが、やっぱり権力を自身に集中させすぎて、後の禍根を残してしまった感じもしますね…。
某歴史チャンネルで霍光を知ったがまるで紹介の仕方が違うのが面白いな
向こうは趙高の如く霍光を語ってたから記憶違いなのかと思ってびっくりした
霍光は国を立て直し民を酷使しないという視点ではいい家臣かと思う。どの宰相もそうだけど、国内外が安定しないのに万事を上手くやるなんてとても出来ないよね。やろうとしたら過労と心労で早逝しちゃうわな
清濁併せ持つ人だけど、この時代の中華宮廷の権力闘争勝ち残っていくためには仕方なかったのでは。
今度衛皇后の話も取り上げて頂きたいです。
霍光、この人自分がやりたい政策、自分で言い出しっぺになってないんですよね。
それを代弁する人がいて、それいいねて言う感じで政権を率いて行くという根回しの達人かつ現実主義者、
霍光自身は、謹厳実直そのものでしたが、
一族の人間がろくでなしが多かった人でしたね。
霍光は、大宰相ですね。
ただ自分の死後の事まで、一族の面倒は見れんと思っていたのかもしれませんね。
宣帝は、霍光のことをよく見て学んだんだと思います。
今回も動画を閲覧した者です。
武帝の後に、このような政治家がいたことは初めて知りましたし、勉強になりました。
霍光の評価は、投稿者さんと同じ考えで、難しいですね。
政治の内容は良く国内を安定させましたが、敵に対しては先手を打って多くの血を流し、自分の一族は傲慢そのものでした。霍光自身は真面目ではあるが、国を立て直す為に、血を流してでも政治を行った。
その結果、国は安定し、国民は潤った。
彼の行動を動画と合わせてメモ書きしながら、考えてみましたが、難しいですね。
今回の動画は、とても勉強になりました。
動画配信をしていただき、ありがとうございました。
今、世間はコロナ禍と天候不純、世界を見渡すと不安定な状態が続いておりますが、投稿者さんにおかれましては、身体とメンタルに気をつけていただければ、と思います。
話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことに……まことにありがとうございます!!
ご厚意にいつも励まされております……!
漢の武帝のエピソードが紹介されたので、北魏(子貴母死・立子殺母)の解説も楽しみにしております。
霍光になることの難しさよ
宦官専横で中枢から追い出された人物を呼び戻したり董卓も最初は霍光になりたかったんだろうがなぁ
漢朝に忠勤でありながらも、非情な手段も辞さない。そんな人物はそうはいないと思います。
武帝の時代で漢朝は疲弊してしまった。それに乗じて、好き放題すれば目先の利得は得られても、後々に痛いしっぺ返しを喰らうことを分かっていたのかもしれないですね。
もしくは、武帝の時にプレッシャーを掛けられて、腹を括ったのかもしれない。
王朝を軽んじてでも専横を極める輩が多い中、王朝あっての自分であると弁えていたと思います。
霍ノミクスも宣帝に引き継がれつつ成功しているような気もしますし。
正史三國志とか読んでると、霍光は蕭何と並ぶ漢王朝最高の内政官として評価されてますね。日本での知名度は天地の差がありますが(笑)
自分の名前の由来でもある尚書についても語って欲しかったけどそれは今後に期待して豆知識を一つ。
現在世間では国葬についてかまびすしいですが、霍光の葬儀は家臣における最高ランクの形式として歴代王朝に受け継がれました。呉漢、司馬懿、桓温、王猛などの葬儀が「霍光の故事」にのっとり執り行われています。
日本だと楚漢戦争と三国志に人気が集中していて、それ以外の時代は二の次にされがちな感じですよね。
その二つも人気がある人物や時期が結構狭いという。
@@ななしのよっすん 侯
南北朝(特に北斉vs北周)もおもしろいんですけどね……
三国時代は、諸葛亮死後の経過を知らない人も多いんじゃないかな。
霍光はともかく彼の一族から再び大外戚時代に突入しちゃったのが悲しいよな…。
龍狼伝で曹操が「実権に野心があることは否定しないが、自分が治める国が乱れていて快いはずがない」と言っていたが、それを思い出した。『清濁併せ呑む』とかは霍光や後に法家の『信賞必罰』や儒者の『仁義道徳』を上手く折中した宣帝の事をいうのだろう。
龍狼伝の周瑜は諸葛亮にも負けない描かれ方が好きだったな
本人は謙虚で取って代わる思考もなかったのに身内が決してそうではなかったのが霍一族の悲劇……か
いつものピアノのBGMの曲名知りたい
ずっと脳内再生されてる
おそらく武帝以降では前漢最大の功臣 最大の功績は宣帝を 見出したこと 彼が基盤を整えてくれたからこそ宣帝の活躍もあった
絶大な権力を持ちながら清廉潔白な宰相なんぞまずいないから、多少はね?
漢王朝を守り、宣帝を帝位につけるのが役目の人物だったということでしょうね。しかしよく王莽にならなかったな…。
まさに「清濁併せ吞む」の典型といえる人物でした。そして霍光の場合、清(愛新覚羅家無関係w)も濁もスケールが途轍もなく大きいときています。また、兄・霍去病がまさしく匈奴の天敵だったのに、霍光には匈奴出身の協力者・金日磾がついていたことにも個人的に注目したいところ。霍光本人からは離れますが、匈奴もいろいろ(冒頓単于や赫連勃勃がいれば呼韓邪単于や金日磾もいる)だということです。
濁が蜀に見えたワイは末期
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へー 関白ってそういう由来があったのか
北畠親房も、神皇正統記で藤原基経が陽成帝を廃位し、光孝帝を擁立したことを霍光に例えて絶賛してましたね。
個人的に取り上げてほしい前漢の人物
①周亜夫
②李広
③張湯
④趙充国
⑤馮奉世
違う動画で出てきた人が出てくるとより面白い
霍光自身の評価は色々と分かれるが、漢王朝への忠義に疑いはなく、自身のすべき事をした人かと。
結論:嫁(をはじめとする一族)が悪いよ嫁が…
※あの暴挙だけは庇いようが…この事件で一族の末路が決まってしまった事を思うと
(但し、霍光本人の貢献度とパワーバランスの関係上、顕夫人を霍光が突き出しても許した(許さなかった)可能性はあるかと)
孫娘の上官皇后は結局父方母方双方滅ぼされてしまったんだな
宜帝の次の元帝の時代まで生きてたようだけど、親族も無く位だけは高い我が身をどう思ってたんだろう?
王莽みたいに簒奪出来たのにしなかったのが凄いな
ある意味劉備が遺言で孔明になってほしい立場だったんかもね… 実際九錫貰えば良いのにという人出るくらい権限拡大したけど最期まで蜀漢の宰相として生を全うした…
多分だが政治のリアリズムをよく理解していた人物だったと思う。漢の帝室の保護も考えつつ、それまでボロボロだった国を休ませ回復に向かわした政治家かな。中華史ではこういう政治家は嫌われそうだ。してきたことは功罪たくさんあるが、オレは好きだがなぁ、こういう大政治家っての。
いつも配信楽しみにしております。心ばかりですがお納めください。(メンバーシップも入っていますよw)
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是非是非今後とも当チャンネルにご期待ください!!!
お疲れさまです! ありがとうございますm(_ _)m。
イチから勉強させて頂きます!🙏
ひとりごとだけど「達人伝」そろそろクライマックスで連載終了が近いみたいですね……。 キング欣太先生にもエール送りたいなぁ…。
4:22に、……なんで もうチューが笑笑😂
豪快な若き英雄だった兄・霍去病の弟にして、謹厳実直・冷静沈着な仕事ぶりで武帝の信頼を得て後に絶大なる権力を手にした霍光。武帝の頃に疲弊した国政を立て直したりの業績は素晴らしいと思うけど、政敵を誅殺し独裁的になってからの有り様はあまり芳しいとは思えない。要するに良いと悪いが半々タイプの宰相だったのではというのが個人的な評価です。
功罪共に多いけれどそもそも人間とは清濁併せ吞む存在ならばむしろ身を立て名を残し天寿を全うした点を以って古今の宰相の中でも優秀だったと考える
霍光は、衛氏の滅亡の時に連座させられなかったんですね。親戚なのに。
霍光は身内の統制がとれてなかったのが最大の過ちでしたね。有能なのに。
一族は呂氏と同じ轍を踏んでいます。権力の源が亡くなってしまっては、今までのようにいかないのに、自分たちが権力を持っていると勘違いしてしまうところが。
霍光については詳しく知りたかったのでありがとうございます。
親戚といっても衛氏の出の妾(霍光の母が正妻らしい)を父が持っていただけととれるし、異姓ですから。
より近い兄の霍去病の子もその時には連座してなく、霍氏が滅ぼされた際に死んでる。
衛氏って思いかけず高い地位の者に愛された女を出して出世した外戚に分類されるんだろうか?
こんなパターンだと節制の利いた女でないと、ろくでもない無能の外戚の専横がおきたりするのがお決まりなのに、『身分が低い女を愛してみたら、世に出てくるきっかけ無かった筈の超有能が何人も掘り出し物として出てきましたよ』になってる珍しい話なのに末路は屑外戚のものと同じなんだよな。寧ろ酷い。
27日後に死亡しないまでも退位する皇帝に興味出てきた
皇帝機関説をとるとしたら国全体のためにダメ皇帝を取り替えるのもしかたないのかなあ
ただ子孫は全うできないよね
霍光さん、皇帝挿げ替えの名分にされがち
まってた
ひさしぶりの前漢
10:20 まさか中国史にも三頭政治なるものがあったとは…。なんとかローマの第一回三頭政治に似せると、霍光はカエサル・金日磾はクラッスス・上官桀はポンペイウスって感じかな?でも霍光にはオクタウィアヌスなる後継者が…いなかったか…。
曹操が治世の世に生まれていたらこんな感じになってたのかな。
日本で言ったら今年の大河の主人公みたいな感じなのかな
霍光は能臣である。しかし同時に姦雄の資質も持っていた。
外征を繰り返して巫蠱の禍を引き起こした武帝よりも優れた善政を敷いている。
そして昭帝には彼を統御するだけの能力があったのだろう。
上官桀派の讒言を否定したのは彼が聡明だったからだ。
霍光の功績は昭帝の功である。
武宣の間で印象の薄い皇帝だが彼も前漢の中興に大きく貢献している。
武帝の時代は世界史の教科書ではウハウハな時代だと記載されたが内政はボロボロだったのね🤔
文化の繁栄って政治の繁栄から少し後になると予備校の世界史講師の荒巻?先生が言ってたかな?
前漢(西漢)の時代の政治的な繁栄の時代って文帝、景帝の時代(文景の治)なんですよね。その時代があったから武帝の盛世があった訳で。
宣帝の時代は前漢の中興の時代。その中興の時代も、霍光の尽力と、劉病已(宣帝)の器量と経験があってこそだと思います。
お嬢様と私 で読んだところだ
流石に霍光の1/6フィギュアは見たことないけど…蒙毅(蒙恬ですらない)のフィギュアは持ってるから…さっさと海外メーカーは漢世宗孝武帝・衛后・衛青・霍去病・霍光をフィギュア化して欲しい
・金日テイがもう少し長生きしてトロイカ体制が盤石だったら…
・昭帝がもう少し長生きして長子が出来ていたら…
・劉賀がもう少し能力的に十分だったら…
この人も始皇帝並にifストーリーが出来るほどの人物ですよね。霍光自身は真面目だったのに一族の人々がちょっとアレなのも不幸だったというか
特に許皇后を謀さつしたのは宣帝に霍一族を排除する大義名分を握らせたのは決定的でしたね
武帝の後を継いだので疲弊した国内を安定させるには多少黒い部分もないとやっていけなかった事情もあるかなと
民衆の反乱などは起こらなかったようなので、真面目に国政に励んでいた点は素直に評価してもいいのではないでしょうか?
家庭も国のように治められたらよかったんだけどなあ
でんちあきw 他所では珍しくない誤読ですが 鳥人間さんの動画はいつも正確に読み上げてくれますよね!
富民侯田千秋か(笑)
漢皇室の権威を利用して皇帝の補佐という形で権勢を振るった独裁者としての面もある。でも重用してくれた武帝の命令を生涯守ったって考えると忠臣。結果論ではあるけど
霍って名前がカッコいい
伊尹や周公旦の劣化版に見えるが彼らは昔過ぎて悪い事伝わらんかっただけなんやろなぁ
蒙恬蒙キ兄弟って立ち位置似てたよね、扶蘇が2代目皇帝取れてたら同じようになってた予感する
身内を極端に優遇しなければ、族滅されることも無かっただろうになぁ。有能だけど、今一つってイメージの人物。
二十七日て…ワニでももうちょい生きるよ
劉賀かわいそう
霍光自身は間違いなく忠義の人であり、しかし権力闘争で生き残るために動いた結果、最終的に権力が集中してしまったがために、親族の増長を上手く止めることができなかったという感じ。
逆に昭帝期や昭帝夭折時に彼がいなければ、疲弊した国家と、権力闘争によって、前漢の滅びは50年以上早まっていた可能性もあるだろう。
とはいえ宣帝が優秀でなければ、後の王氏より先に霍氏に乗っ取られた危険もあったし、政治の難しさを感じる。
昭帝が長生きしてくれれば、一番よかったんでしょうけどねぇ。
霍光は名宰相だと思いますが、一族の増長を防げなかった一点だけは汚点だと思います。
ま、立場によって毀誉褒貶はあって当然ですが、庶民からすれば良い宰相だったんじゃないでしょうか?
また霍光って名前が鳥の郭公を想像させ、前漢に「托卵」のような真似をして牛耳るというのは「名は体を表す」だなぁ、と感じてしまいます😅
ま、日本語だから思うだけ、なんでしょうけどね。
いつもありがとうございます!
劉胥と秦の武王がかぶるわー。
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!
秦の武王は案外うまく統治できていましたが、劉胥はどうなったていたか気になりますね!
絶大な権力を持ちながら王位簒奪をしなかったのは、政治闘争の強い時代だったので、本人が望まなくても一族の者を役職につけて固めないと政権運営ができなかったのが原因なのかなと思いました
意見に同意します。
同意です!
洋の東西に関わらず三頭体制の一つが欠けると縁戚でも崩壊するのだなぁ
霍去病の異母弟である彼。その兄を産んだ母は衛青の姉でもあるから、兄の軍事の才能はそこからかなと思うが、陳平の子孫と密通してたりするよね。
もし霍光という異母弟が存在しなかったら、その密通相手との子説が絶対兄には生まれてそう。
自身は衛氏と血の繋がり無いが、間接的にその縁で出世したとも言えるけど、衛氏を母方にした悲劇の皇太子の孫を皇帝に選んだとき、多少でも縁を感じたのだろうか?
博陸侯であった霍光にちなんで源博陸と呼ばれた源(土御門)通親は、後鳥羽天皇の即位時に三種の神器が揃っていないことを「漢の光武帝や東晋の元帝(司馬睿)の即位時にも手元に璽が無い状況でした。ご心配には及びません。」と発言しました。源通親の村上源氏は劉邦(とその後裔の光武帝)の女系子孫です。(宇多天皇の外祖母が漢の献帝の末裔)
南宋→「よく来たね。ゆっくりしていってね。」←源通親の息子「道元」
霍禹さんは腰斬…
霍光だけで濃密な30分、楽しかった。
武帝時代の文官って、出世すればするだけ死のリスクが上がるイメージだけど、昭帝に3人も有能な側近を残した辺り、やっぱり晩年はちゃんと反省してたのかな?笑
器の大きさ違いますが石田三成を思い出しました。
豊臣政権で権勢を奮ってた三成の佐和山城には金銀財宝がと期待して行ったら…何もなかったとか…
三成は豊臣政権で辣腕をふるう事が最高の贅沢でそれ以上には興味がなかったのでしょうね。
霍光も政権中枢で辣腕をふるう事にしか興味がなかったのかなと思います。
霍光、ロボット説☺
選ばれたのはキングメーカーでしたw
ってことで。
権力持ち過ぎて余らせてしまったのか……
そういう意味では、最近亡くなられた大政治家のアの人みたいだな。
( ̄▽ ̄;)
先帝、選定、宣帝
漢王朝の霍光 霍氏だから霍去病の一族かな?と思いましたが兄弟でしたか😅
独裁体制は必ずしも悪い結果を招く物では無く優秀な者が成れば国益になる事も有ります
清濁併せ呑む政治家ですが皇帝の首迄すげ替える事が出来たとは絶大な権力を有して居たのですね
三国志に霍峻て武将がいるけど、霍光の末裔かな?
霍光って皇帝をクビにしたんだな
キングメーカーって鎌倉幕府の執権に
あたるのかな?
昭帝が崩御してしまったことは 本当に悔しかったろうね
「関白宣言」ですね。「関(あずかり)り白(もう)す」と言ったらしいです。
どちらかといえば、摂関政治を行った藤原氏、霍光自身は藤原道長みたいな存在に近いように思います。
関白の語源になったくらい権勢を誇ったけど、子供たちがやらかして族滅。前漢、後漢、いずれも外戚は諸刃の剣。
良くも悪くも超優秀な貴族政治家と言いたくなる
そして優秀なのに一族根絶やしになっても全然同情されない
結論:宣帝がすごい
へーこんな人がいたのか
4:22
もう中?
藤原基経は彼の真似をしたのかな
コーエーテクモゲームスの三国志10の皇帝擁立の画像だ‼️(笑)
やっぱり知れば知るほど武帝は好きになれん。
忠義を貫き有能で、清廉潔白な宰相なんぞ、中華史上でも孔明くらいしかいないわな〜。
諸葛亮も蜀漢の朝廷内における「荊州閥」の頭目として、蜀が地元である「益州閥」と暗闘してますから。
ただ…本人が“出来る人物”だった事と“厳格な法整備と運用”を自他ともに行ったから表に出にくいだけで。
@@bingosaru 実際その暗闘も推測の域を出ないレベルだから。それくらいには埃が出ない人物ではある。
郎中(もう中)w
隙あらばクズエピソード出てくるマシンだな武帝って