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18歳で初陣を飾り、24歳で没したのに、その6年の威光は2000年経っても今なお光り輝く
武帝が「露骨に贔屓して」「贔屓の結果が良かった」本当に数奇な運命を辿った天才ただまぁ、長生きしてたら碌な死に方が出来なかったんじゃないか、とみんな思ってしまう危うさが凄いなあと。
霍去病からしたら実力あるのに何事にも謙虚な叔父が歯がゆかったんじゃないかと想像する。李敢射殺も「そんなだから叔父さんは舐められるんだ!もういい俺が代わりにやる!」くらいの勢いじゃなかったかと
このチャンネルの動画は娯楽性があるのはもちろんのこと、学術的議論や史料批判などを踏まえた内容になっていて(要するにちゃんとした資料から作っていて)、知的好奇心に応えられる内容になっているのがいい。動画制作お疲れ様です。
中国人からは鳥人間が日本人では断トツと言われているらしい
@@聡福地 そのうち中国史クイズ大会として鳥人間コンテストとか開催されそう()
鳥人間違いだわ(笑)
高校生の時にこの動画に出会いたかった・・・・・私の高校時代にはインターネットのかけらもなかったけど。世界史がもっと楽しくなっただろうなぁ。そして今時の中高生諸君が羨ましい・・・・・
初めて霍去病を知ったのはコーエーのゲームの「三国志インターネット」(ダイアルアップ時代のゲームで知ってる人少ないだろうな…)このゲームの中で「古武将」で登場して、最初「誰ですか?」でしたが、能力見て驚愕最大能力100に対して統率97武力97知力97なんだこのチートは…と驚きました。そこから何者なのか自分なりに調べました。本当に横山光輝先生とコーエーは罪深い存在ですねw
私は「呂尚」を「呂翔」だと思い雑魚だなと「于禁」で力押ししたら…なかなか軍が進まず、突然画面が暗転してギガデインが炸裂して部隊が溶けました😱後で情報を見たら「太公望」でした😨
酒泉って珍しい地名だなあと思っていたらやはり由来があったのですね!!酒10樽であればそれ程大きな泉で無ければ確かに水割りのような酒に変える事できたかもしれない。中国では白酒(バイチュウ)という度数の高い蒸留酒が主流であるそうだが、漢代はまだ蒸留技術が発明されていない(もしくは主流ではない)ため、酒といえば濁酒のようなアルコール度数の低いものであった。※現在でも西安(前漢の都長安のあった地)では稠酒(チョウシュ)という古代からの濁酒が愛飲されており甘味があって美味である。濁酒を泉水で薄めたのであるからアルコールはかなり低くなってしまったのかも知れないが、それでも「酒」を全将兵に行きわたらせたことで士気を上げられた可能性が高いのではないだろうか?
【閃光の霍去ウェイ】うp主さんのセンスを感じる😏😏
時々挿入される、ちょっと物悲しく、儚い感じのピアノベースのBGMがすごく好きです。
武帝の治世を振り返ると、早くに没した衛青と霍去病は幸運だったのかも。もし、息子たちがやらかしてたら、連座させられることになっていただろうから・・・
霍去病が武帝が勧めた孫子と呉子の教えを学ぶ事を断る下りを見て思うけどやっぱり中華王朝的には初の本格的な巨大な遊牧国家との全面戦争だし、霍去病の言い分のそれこそ今のその新しい蓄積とか経験を元に戦術とか、この辺を構築する事って凄い大切だし必要だよね。これを疎かにして中世でモンゴルにボコボコにされた兎に角ランスチャージな騎士たちが欧州に沢山居る。
武帝が気をつかってて草霍去病はスケールが大きいなぁ
武帝からしたら、最愛の恋人との蜜月期に突然 死に別れる様な感じですかね。いい思い出でしかないからお墓の隣りにまで入れるし。霍去病があと10年ぐらい生きていたら武帝の猜疑心に触れて関係が悪くなりそうな気がするし… 霍去病が夭逝したのはお互いにとって幸せだったのではないかと思いました。
天才なのは疑いなしですが、性格的に危ういところが見受けられるので、長生きしたら悲惨な目にあってた可能性が高いですね。武帝も後年が最悪ですし。
「よく戦う者は、人を致して人に致されず。善戦者、致人而不致於人。」と孫子が戦いの巧者は常に主導権を握り、相手に振り回されないのだと言っていましたね。霍去病がいにしえの兵法書に興味が無かったのは意外でした。型にはまらないのも、戦いの極意かもしれませんね。動画面白かったです。
武帝の一番いい時代で活躍し、一番いい時代のうちに世を去った衛星が活躍した後に生まれたおかげで出自のわりにスタート地点はよかったし最高潮のまま人生を終わらせた運のいい人だね
傲慢ではあるけど、自分に黙って従う人間よりも多少言い返してくる人間の方が好きって人いますね。武帝はそういうタイプだったのでしょう。
匈奴討伐をすすめたい武帝にすれば、若くて積極策をだしてくる霍去病は、武帝の方針と合致しているうえに成果もあげるのでより多くの武功を期待したかったって部分もあるんでしょうね
衛青は牧畜童であったころ匈奴と交流があって、生活習慣や考え方、馬の扱い方などを知っていた事が役に立って成功したという背景があるが、霍去病には全くそれがない。しかも軍人の家で育ったわけではないので基本的な軍事教育もされていないので素の天才。長生きしてたらナポレオン級の戦果を残したかも。
Thanks!
ご支援ありがとうございます!!ご厚意、誠に感謝いたします!!
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございます!!ただただ感謝でございます!!
@@c-history いつも楽しませて頂いております。こちらこそありがとう😭✨霍去病は対匈奴の強い武将だったが若くして急逝したとしか大まかに覚えていなかったので、今回の解説は彼の活躍が分かって興味深かったです。漢の第二期の対匈奴戦線のお話もよろしくお願いします〜。
武帝の御代を飾った輝かしき英雄。
実働4年か…。本当に駆け抜けたんだなぁ。成果が大きいので、意外と本人は「やってやったぜ!。」って満足してたかも。
有能な将軍だったのは疑う余地の無い霍去病。そして惜しまれる存在のまま若くして鬼籍に入ったのは不運でもあり幸運でもありましたね。
前漢版ジェームス・ディーンかリッチー・ヴァレンスといったところでしょうか。
劉備、張飛、周瑜、関羽、趙雲、呂布、董卓の長編ストーリを希望します。お願いします。
衛青や霍去病を取り上げてくれたのですから、今度は武帝の皇后・衛子夫も取り上げて欲しいです。
ちなみに霍去病の母の密通相手は陳平の玄孫にあたる陳掌という人みたいです。(陳掌の)高祖父の陳平自身にも兄嫁と密通したという逸話があるので血は争えないですね〜
てことは霍去病は陳平の子孫にあたるってことですか?
@@斎藤信孝 いえ、動画でも紹介されていますが霍去病の父は霍仲儒とかいう人物で母は妾だったみたい、霍光は正妻のうんだ異母弟です。当時はあまり婚姻制度はガチガチでは無かったのでしょうね。ましてや妾なら。衛青らの母も何人もの相手と関係し、同じ父の子ばかりではないらしい子を三男三女だか産んでる。衛青は人相見て出世する(美男っぽい)と言われた話あるし、衛子夫は皇后まで登る事を思えば霍去病の母の男関係をみても美形の血筋っぽいな。そういう意味で短命故か、美形の武者姿が想像されがちの霍去病だが間違いではないのかも。
まるで花火のように、ぱっと一瞬美しく開いて消えた人。ほかの方もおっしゃる通り『タヒに得』だったかも。生き延びたとしても『巫蠱の獄』に連座で腰斬、族滅になる未来しか思い浮かばない。
衛青に比べ華やかで憧れの的だった霍去病!地位にあった振る舞いをする事で部下から好かれる。日本の管理職の中には衛青の様なタイプを評価する人もいるがどうなんでしょうね。
中国の長い歴史でも屈指の早熟の軍事的天才ですね、颯爽としていてあっという間に去った。ドラマみたいな人ですがだからこそ今も人気があるのでしょうね。
武帝の依怙贔屓が凄まじいですが、しっかり結果を残している霍去病凄いです。若くして世を去ったことで伝説に。人柄は衛青の方が好きかも。
打てば響くような彼の言動が、武帝には心地よかったのでしょうね。夭逝したのは個人的には良かったと思います。(長生きしたら粛清された可能性があると)それにしても叔父さん好きなんですね。
巫蠱の獄
彼に騎馬などのエリート教育を施したのは衛青のようですね。実質父親代わりだったかもですね。
元部下を殺害したという話も先に手を出したのは李敢の方で叔父の衛青を殺害しようとしたからなんですよね。手段に問題ありだとは思いますけど動機の面では霍去病に感情移入したくなる
@@鈴木千裕-t2x そうなんですよね。彼にとっては大切なのは衛青てすよね。それに別の角度で見れば、上官(しかも大将軍)に反旗をしていることで充分に射殺する理由があります。
04:38 園田光慶さんの三国志ですね。この人は曹操、手前は司馬懿。
こうして解説を聞くと、匈奴はよく復活出来るな~この時に領土を征服して兵を常駐出来れば良かったんだろうけど、広大すぎて流石にそこまで余裕はなかったか
投稿ありがとうございます。霍去病は比較的良い時期に死んだなという印象です。おじの衛青や異母弟の霍光とは違って政治的に不器用なタイプみたいなので…。
いつも楽しみにしています個人的にはバトゥの西方遠征が興味あるので一生とともに映像にしてもらえれば嬉しいです。
バトゥと共に出てくる“スブタイ”も気になりますね。
衛青と霍去病が他の武将と何が違ったかというとスピードなんですよね。劉邦の時代の漢軍が戦車と弩で匈奴の機動力と速射性に全く対抗できなかったのにたいし、武帝は騎兵と弓を装備させて速度でも上回るようになりました。それでもほとんどの武将は旧態依然の戦法しかとれなかったのに、この2人は新時代に適応することができた。電撃戦でドイツがフランスを一蹴したことを彷彿とさせます。
趙武霊王「私が騎射の先駆者だからな」
趙国の軍と何が違うかというと、「全部隊」騎兵になったことですね。歩騎混合だと足の遅い歩兵に合わせないといけないので運用がまるで変わってきます。さらに言うと、馬14万のうち3万しか残らなかったというのも残りは食ったということですよね。冷蔵庫持って行くようなものだからそりゃ速いですよ。
「去病」(病が去る)という名前から、生まれつき蒲柳の質だったのではないか?とも言われてるんだよね。また、武帝の度を過ぎた寵愛については、武帝がいわゆるバイセクシャルであったことも考慮すべきかもしれない。
強い・仕事ができる・イケメンの三拍子揃ってるなら惚れられてても仕方ないですな
業績や逸話だけを見ると、とても病弱そうには見えませんけどね。ただ、「古の伝統的兵法も学べ」という武帝の勧めを断ったのも、「(健康に不安があって長生きできる見込みが薄いであろう)自分にはおそらくその時間はない」と自覚していたからなのかもしれません。軋轢を起こすリスクを恐れず、一貫して積極果断を貫き通したその短い生涯も、実はその自覚の裏返しだったとも言いうるのではないでしょうか。
衛青の回で語られていましたが,「霍去病」という名前にある「病が去る」という字の逆を行ってしまった若き武将ですね。長寿をまっとうする人生,彗星のごとく現れて消え行く人生,どちらの人生が幸せになのかを考えさせられる2つの動画でした。ありがとうございました。
病弱だったから、病が去るって名前を付けられたのかもね
霍去病と衛青は「どちらが優れていた」とかではなく、お互いの違いが良い結果を生んだのではないでしょうか。李広と程不識という前例もありますし。
長嶋茂雄と王貞治の関係にも通じるものがあるかと思います。両者の性格もさることながら打者としてタイプが違う(天才肌で中距離打者の長嶋と努力型でホームランバッターの王)から一つのチーム内で並立でき、お互いに足らぬところを補い合って多大な成果を挙げられたのですから。
若く旅立ったからこそ武帝と仲が良かったまま終われたのかも、長く生きてるとどんな人でも色々ある。
酒泉のいわれと霍去病の話は甘粛省の公式動画でも紹介されていますね。
霍去病、若くして亡くなったせいか、イケメン若武者のイメージが強いです。もし、彼が長生きしていれば、武帝の暴走も押さえられたかもしれませんし、逆に武帝に56されていたかもしれません。
生きていたら李陵の件で武帝に何と言ったんだろうな?
画像はむしろ怜悧な衛青にフリーダム豪傑然とした霍去病でしたね。。。
長生きしてたら、政争で真っ先に失脚させられそうなタイプの方ですねぇ
早すぎるデビュー。早すぎる死…。武帝は封禅の儀の際に本当は霍去病と一緒に泰山へ行きたかったんじゃないかなと思いました…。もう少し長生きしていれば、第二回匈奴遠征の時も活躍していたかもしれ…、いや、何かの拍子に武帝の怒りを描く可能性もあるし、霍去病を妬む者の罠に引っかかる可能性もあるな…。霍去病は良くも悪くもどこか脳筋っぽいし。0:11ガウマン「やってみせろよ、マフティー!」ハサウェイ「何とでもなるはずだ!!」レーン「ガンダムだと!?」ナラナイコトバヲモウイーチードーエガーイーテー♪(連邦に反省を促すダンス byトウカイテイオー(ウマ娘))
閃光のように輝き去った霍去病。
曹操の息子・曹彰が憧れた伝説の名将ね。
流石は佞幸列伝に叔父上ともども「外戚として寵愛を受けたが自分の才能で出世した人たち、他の人たちとは別格」と書かれるだけあります。というよりそこに何故入れた失礼だろwと思わせる輝かしい才能と戦果です。ただやっぱり武帝陛下のえこひいきの激しさと「愛人の家族とも仲良くしたいし出世させたい」という癖からして、ありえない話ではなく思えます…その辺り、いずれ李広や李広利の話でうかがえたらと思います。
紀元前121年の第7回遠征の話、春と夏に遠征したのですね(驃騎将軍として)。春もそうだと思いますが、夏は農業に労働力が特に特に必要な時期かと思います。漢はすでに、膨大な常備軍を抱えていたということでしようか。 あるいは、この年は、臨時に徴発して大軍を組成? もし、臨時の徴発ならこの秋の収穫は萎んでしまいますが、すると、最初からそれを覚悟の遠征計画ということですね。
霍去病はイキリ小僧みたいな印象があってあまり好きじゃなかったのですが、おじさん大好きっ子の傑物だったのですね武帝の露骨な贔屓が気に食わなかっただけなのかもしれませんかくいう私も衛青贔屓なので人のこといえませんが
この動画の最後を見て気づきましたが、三跪九叩頭って、thank you と音が似てますね!早速リアルでも使わせてもらいます!(は?って言われる未来しか見えない
病気にならないように去病って名付けられたらしいけど、思うようにならんもんですねえ
驃騎将軍は由緒ある称号、的な説明を見かける事がありますが、彼の為に新設されたからなのですね。納得です。
李広利の解説をリクエストします
武帝が兵法を勧めた場面。なにか若者らしい思考で年も近いので凄く共感して好きになりました。兵法なりに縛られない彼独自の戦法があったから勝てたとも想像出来ますよね🙄
活躍期が短すぎたことと、人柄が衛青に比べて現代人に好まれないこと、皇帝の寵愛を受けてていたことへの反感などから、現代の人気はいまひとつ。けれど精鋭を与えられたからと言って、遠征軍を率いて敵地で遊牧民相手に連戦連勝できる将軍なんて、李広利の例を見るまでもなくほぼ居ない。夭折したことで評価を下げる機会がなくてすんだとする向きもあるけれど、以降も戦い続けていたら白起や韓信らをも超えるような軍神となる可能性もあったんじゃないかと妄想。
武帝の人間味が感じられるからこの人関連のエピソード好き
むかーし、漫画雑誌の「歴史ロマンDX」に霍去病の漫画が載っていてなかなかよかったのだが、名前も忘れちゃったし検索しても出てこないな・・・。それで霍去病を知りました。チベット系の牧民の少女との淡い恋と彼女の民族を奴隷扱いする自分の社会の罪悪感が根底にあるイケメンだった。匈奴の貴婦人とも友情を築いていた。
霍去病の場合、部下に(無自覚に)冷淡だったのと同時に、徒に虐げることもなかったから、その点が兵士の不人気につながることもなかったのではなかと思っています。ただ、酒泉のエピソードを見ていますと、叔父の衛青には「少しは部下を思いやったらどうか」と幾度となく指摘されており、霍去病もその辺りは意識していた(が、本来の気質からつい忘れてしまうことが多かった)のではないか、と思っています。・・・・・う〜ん、なんか危なっかしい。夭折したのは不幸でもあり、幸運でもあったのかな。世渡りとか要領とか、そういったところはまるでダメそうだし。
しっかり結果を出しているから、霍去病の若さゆえの傲慢や自信過剰を武帝も許容してただけに思える。年齢を重ねるか、失敗してたら自分の薦めを無下に断ったことも加味されて死刑(お金で回避可能)とかありそう。
長生きしたらしたで、あの武帝のことだから粛清されかねなかったことを考えたら、早くに亡くなったのは名誉を守れた点では良かったかもしれない
霍去病ってシャアが1年戦争直後に急死したような人生かな。栄光に包まれたまま亡くなるという、晩節を汚さない人生。
「銀河英雄伝説」だとラインハルト・フォン・ローエングラムが帝国元帥昇進直後に、もしくはヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞攻略直後に急逝したような人生、といったところでしょうか。
霍去病、若くして亡くなったからこそ武帝に愛されたのかもしれないですね。
4:38 別の武帝『こやつめハハハ』
<むむ、酒泉とな天垂酒星之燿 地列酒泉之郡 人著旨酒之德<孔融、良いこと言ってるなぁ
今回は一つ別の動画を挟んで、先週と今週で漢の対匈奴で活躍した将軍繋がりにして、叔父と甥繋がりか。
衛青と続けて視聴させていただきました。やれ讒言やら後宮から宦官やら粛清やら政敵やらでドロドロしている中央とは遠く離れた、辺境の草原世界で異民族と戦う彼らの人生に政治的な軋轢が少ないのもあって、爽やか(中国史にしては)に楽しめました。ただ李広も衛青も晩年は贔屓されたり不運だったりで不遇ですし、この霍去病も早死したりでどこか寂しいものがありますね。いやでも、霍去病はラファエロのように早世することである意味伝説となり後世の人気(名声)を不動のものにしたのかも。たしかに色々と”映える”人ですが、だからってスターとして持ち上げるのも、なんだから不公平な贔屓をしていた武帝と同じ心理になったみたいで嫌ですし、とはいえ中国史通を気取って「ああ霍去病ね、人気はあるよね。まあ俺としては衛青の方が高く評価されるべきだと思うけど(笑)」みたいになるのもキツいという……いやまあ最終的にどっちもすごいって話なんですが。李敢に関してですが、衛青に殴りかかったという記述もありますが殺人未遂だったのか暴力だったのか、そして父が死んだのはお前のせいだという動機はどのくらい正当性があるのかも気になったところです。続けて李陵や霍光の動画も楽しみにお待ちしています。
この後の巫蠱の獄の惨禍を考えるなら、むしろ早世したのは幸運とも言えるかも知れませんね。げに恐ろしきは名将すら使い捨てる暴君ですな。
明は万暦に滅ぶと言われますが、西漢は武帝に滅ぶと言っても過言ではありませんからね…だいたい武帝の功績も文景の治の基盤があったからこそですし…
古来より寸土でも自領を拡げられれば名君とされたので国威発揚したという点では優秀な皇帝なのですが現在の自由や民生を重視する視点では暴君の評価もむべなるかな、でありますね。
@@古の生もの プロコピオス「せやろか」
逆に衛青と共にその頃迄生きていたら止められたかもよ。衛皇后や皇太子・劉拠を守るべき立場だし(彼等を守らんと自分達も連座)、武帝も敵に回したい相手ではないだろうから、もっと調べて江充の讒言に気付けたかもしれん。気付けないで戦いが起きても皇太子側に彼等が付いていたらあっさり負けるとは思えんからね。その間に真実は明らかになるだろうし。
霍去病を思うに、霍仲孺の庶子私生児であることがどれ程影響したか。たまたま生まれながらの貴族であった。それゆえ衛靑を越える活躍が必要であった。匈奴の事情は霍去病には知識であった。衛靑には経験であった。それゆえ無鉄砲をし着飾り必死に頑張ったのかも。私生児庶子を跳ね返す苦悩はどこかにあったかも。
衛青「やってみせろよ、去病!」霍去病「なんとでもなるハズだ!」匈奴「漢ダムだと?!」
漢の武帝の時代を一瞬の光のように駆け抜けた霍去病。後世に残るような「英雄伝説」を遺し、若くして世を去った。天才的な軍事のセンスは叔父の衛青も敵わなかっただろうなぁ😯
若くして戦功抜群で時代を駆け抜けさらに夭逝する。日本人が好む展開ですねぇ
まさに匈奴と戦うためだけに生まれてきたような将軍。
ここまで来たら、匈奴戦争の闇の部分、李稜と司馬遷のエピソードをリクエスト
日本で言うところの北畠顕家くらいの早熟の天才
竹中重治も中々に
最初見た時中二病かなんかの類と思ったw病が去るという縁起のいい名前なのね
衛青と霍去病の話が銀英伝の元ネタっぽいね。
武帝は男色家ですからねぇ〜。エコ贔屓の理由は霍去病がタイプだったからかもしれません。前漢の歴代皇帝は男色家が多いのでいつか取り上げていただけると嬉しいです。
匈奴から奪った河西回廊管理するだけでも大変なのに、よく南越や衛氏朝鮮まで出兵しようと思ったな..
内側に向きそうな内乱の芽を外に向ける必要があったのかな・・・・・・・?
映像で当時の騎馬遊牧民の軍の再現を見た事あるけど個人的には再現なのに、バイクに乗る暴走族の集団よりも断然迫力あってあれはほんと怖い。それに十代で挑んで戦果上げるとかそれだけで霍去病って化け物だよね。
ガチムチの戦士が遠距離から弓を撃ちながら突っ込んできますからね。衝突しただけで挽肉になってしまうし、日露戦争まで騎兵が最強であったのは理由がありますよ。
ヨーロッパの警察は今も騎兵隊ありますね。徒歩の人間相手なら普通に無双できます。実際に騎兵突撃しなくても威圧効果もあるし、暴徒の真ん中に孔を開けることができるので日本ほど重装備の機動隊がいらないんですよね。暴動なんてめったに起こらんやろと思われますがヨーロッパではサッカーのフーリガンが試合後に暴動起こすので騎兵隊も活躍しているようです。
霍去病はなんか朝青龍みたいな性格な気がするwww
うぽつです。霍去病は孫呉の兵法は習得していたと思います。対匈奴戦においては応用できない部分もあり、孫呉の兵法をベースに独自で作戦ドクトリンを構築し匈奴を撃破しましたが、武帝は戦闘報告を聞いて、霍去病は孫呉の兵法は理解していないと思って彼に習得を勧めたのではないでしょうか。勧められた霍去病は心の中では困惑しながらこれを断ったのだと思います。
霍光「去病の弟の光です。兄の事ですか?いやいや私なんぞとても足元には及びませんよハハハ」
大和民族最強の時代が恐らく戦国時代で、その戦国時代に明に攻め込んで失敗している。その頃は「働きたくないでござる~」な万暦帝の時代なのに。そう考えると、戦国の武将ですら衛青やら霍去病やらと戦ったら無双されるのかなぁ、とか思ってしまふ。まあ、信玄公と謙信公がタッグ組んでがっぷり四つで戦ったら、とか妄想すると素敵ですけどw
そのうち「ドリフターズ」に登場するかも・・・・・
霍去病への優しさ(という名の贔屓)を、百分の一でも良いから李陵を弁護した司馬遷に施す寛容さを武帝に求めるのは間違いだろう。それはさておき、武帝の助言を一蹴するとは生意気と言うかイキのいい奴というか、良い度胸としか言いようがない。ただ、霍去病の元に多くの者達が集まり、兵士たちも慕ったというが、私に言わせれば美味しい思いをしたくて群がったというべきで、飢えた兵士たちへの無関心、冷淡さこそ彼の本質に思えてならない。彼のようなブラック上司より衛青に仕えたいと思うのは私だけだろうか(しかし衛青は、「生まれつき仁慈・善良・謙譲で、温和な柔軟さをもってみずから主上に媚びる風があった。しかし、天下に彼を称讃するものはなかった」と「衛将軍驃騎列伝」に記されている。これも霍去病の活躍の割を食ったせいかもしれない)。
霍光の回楽しみにしています。今の政治で言うと二階俊博さんみたいな役回りの泥も被れる政治家です。立ち回りも上手いですし、自分が主張しないで自分の思惑通りに事を進める大政治家です。漢代は衛青と霍光が好きですね、しかし、匈奴は、衛青と霍去病比べて衛青を組み易しとするのは、判断ミスですわ。李広は、李信の孫ですね。けど上司にするのは衛青ですわ。
トルストイ一族(この150年ほどロシア最高の文学者を輩出し続けている)が人類最高の遺伝子と言われることがあるがこの一族のほうが上かも‥項一族に比肩しますね。
バッハ一族にもひけをとらないと思う。
長生きしたら霍光コースだったろうから早死にはもったいなかったね
一瞬!!だけど閃光のように!!
『バイバイバイバロス』もいいけど、『さようなランバラル』もいいなあ〜!🎉😂
武帝で漢はピークを迎えたと言うけれど。。占いとか不確かな讒言を真に受けてるのを見ると、むしろ前代、前々代のほうじゃないかなぁ…息苦しそう、なんだか。 匈奴をやっつけたじゃないかと言われたらそりゃそうだけど…それにどれくらい武帝が貢献してたのかなあ。前代の皇帝の時にそれをやってたらどれほど成功したのかが気になる…たらればだけど
不倫が結果としては二人の名将と歴史的勝利を産んだ訳だな
衛青はラインハルトみたい。
前漢の黄金時代を駆け抜けた男 若くして亡くなったのは良かったかもしれない。政治力は未知数だし、堕落した武帝を見ずにすんだから
ある意味早死にしたのは幸運と言える。負けたら多分袋叩きにされて殺されてた
人徳とは無縁の為人だったみたいですから、孫呉の諸葛恪のような最期を迎えていたのかも・・・・・
中国は対異民族戦での功績が重視されるよね
サンキューは三脆九叩頭の略だったとは🤣
途上国に行くと、そこでバリバリ仕事している人に必ず言われるのが「現地の使用人たちと、あまり親しくしてはいけない」ということです。「どうして?」と聞くと「親しくすると、彼らは自分達と同じレベルと考えて、こちらを尊敬しなくなる」とのこと。人権という考えが広汎に認識されている現代でも、いまだにこのような有様です。ましてや武帝の時代ならば、霍去病の振舞いは反感を買うどころか「やはり剽騎将軍の振舞いは華やかだなあ」と羨望の目で見られたことでしょう。かえって慎ましやかな衛青の振舞いのほうが「大将軍はどうも今一つ冴えのないお方だなあ」と思われたのでしょう。
彼がもし、50代位まで生きていた場合の世界線も見てみたいかも………………個人的には、長生きしなかったから惜しまれた人物なのかな、って気がしますが…………もし、長生きしてしまい、兵卒には「魅力的」に映った傲慢さが残ったままだったら、周囲のやっかみを受けた上、晩年の老害武帝に讒言され、良くて左遷、悪ければ粛清されたかも知れませんな。
才能に満ち溢れた若手ではあったが、衛青の様な慎み深さが半分でも有れば…。
もし惨敗して逃げかえるようなことがあれば・・・・・・・楽進よりも悲惨な辱めを受けて死んだでしょうね※干禁のつもりが勘違いして打ち間違えたW
@@あぼぼです たぶん于禁じゃね
@@REKI-AKAHOSI 訂正そうです、干禁です。ありがとうございます
@@あぼぼです さん才能は有るが、人格的にちょっと…というなら、諸葛恪の方がピンと来るかも。
@@あぼぼです ビッグマウスで自らを追い込み力出すタイプなのかも
ロシア戦術の奥地まで引き込んで云々が全く通用しない霍去病w兵站はどう処理したのだろうか。
捕虜を取らず、現地徴発だったそうです。恐ろしい…
リクエストお願いします。君主や将軍ではないですが儀狄を取り上げていただきたいです。動画の趣旨と外れてしまうでしょうか?
ちなみに李陵の親父は李広の息子李当戸
18歳で初陣を飾り、24歳で没したのに、その6年の威光は2000年経っても今なお光り輝く
武帝が「露骨に贔屓して」「贔屓の結果が良かった」本当に数奇な運命を辿った天才
ただまぁ、長生きしてたら碌な死に方が出来なかったんじゃないか、
とみんな思ってしまう危うさが凄いなあと。
霍去病からしたら実力あるのに何事にも謙虚な叔父が歯がゆかったんじゃないかと想像する。李敢射殺も「そんなだから叔父さんは舐められるんだ!もういい俺が代わりにやる!」くらいの勢いじゃなかったかと
このチャンネルの動画は娯楽性があるのはもちろんのこと、学術的議論や史料批判などを踏まえた内容になっていて(要するにちゃんとした資料から作っていて)、知的好奇心に応えられる内容になっているのがいい。動画制作お疲れ様です。
中国人からは鳥人間が日本人では断トツと言われているらしい
@@聡福地 そのうち中国史クイズ大会として鳥人間コンテストとか開催されそう()
鳥人間違いだわ(笑)
高校生の時にこの動画に出会いたかった・・・・・私の高校時代にはインターネットのかけらもなかったけど。
世界史がもっと楽しくなっただろうなぁ。
そして今時の中高生諸君が羨ましい・・・・・
初めて霍去病を知ったのはコーエーのゲームの「三国志インターネット」(ダイアルアップ時代のゲームで知ってる人少ないだろうな…)
このゲームの中で「古武将」で登場して、最初「誰ですか?」でしたが、能力見て驚愕
最大能力100に対して
統率97
武力97
知力97
なんだこのチートは…と驚きました。
そこから何者なのか自分なりに調べました。
本当に横山光輝先生とコーエーは罪深い存在ですねw
私は「呂尚」を「呂翔」だと思い雑魚だなと「于禁」で力押ししたら…なかなか軍が進まず、突然画面が暗転してギガデインが炸裂して部隊が溶けました😱
後で情報を見たら「太公望」でした😨
酒泉って珍しい地名だなあと思っていたらやはり由来があったのですね!!
酒10樽であればそれ程大きな泉で無ければ確かに水割りのような酒に変える事できたかもしれない。
中国では白酒(バイチュウ)という度数の高い蒸留酒が主流であるそうだが、漢代はまだ蒸留技術が発明されていない(もしくは主流ではない)ため、
酒といえば濁酒のようなアルコール度数の低いものであった。
※現在でも西安(前漢の都長安のあった地)では稠酒(チョウシュ)という古代からの濁酒が愛飲されており甘味があって美味である。
濁酒を泉水で薄めたのであるからアルコールはかなり低くなってしまったのかも知れないが、
それでも「酒」を全将兵に行きわたらせたことで士気を上げられた可能性が高いのではないだろうか?
【閃光の霍去ウェイ】
うp主さんのセンスを感じる😏😏
時々挿入される、ちょっと物悲しく、儚い感じのピアノベースのBGMがすごく好きです。
武帝の治世を振り返ると、早くに没した衛青と霍去病は幸運だったのかも。
もし、息子たちがやらかしてたら、連座させられることになっていただろうから・・・
霍去病が武帝が勧めた孫子と呉子の教えを学ぶ事を断る下りを見て思うけど
やっぱり中華王朝的には初の本格的な巨大な遊牧国家との
全面戦争だし、霍去病の言い分のそれこそ今のその新しい蓄積とか経験を
元に戦術とか、この辺を構築する事って凄い大切だし必要だよね。
これを疎かにして中世でモンゴルにボコボコにされた
兎に角ランスチャージな騎士たちが欧州に沢山居る。
武帝が気をつかってて草
霍去病はスケールが大きいなぁ
武帝からしたら、最愛の恋人との蜜月期に突然 死に別れる様な感じですかね。いい思い出でしかないからお墓の隣りにまで入れるし。霍去病があと10年ぐらい生きていたら武帝の猜疑心に触れて関係が悪くなりそうな気がするし…
霍去病が夭逝したのはお互いにとって幸せだったのではないかと思いました。
天才なのは疑いなしですが、性格的に危ういところが見受けられるので、長生きしたら悲惨な目にあってた可能性が高いですね。
武帝も後年が最悪ですし。
「よく戦う者は、人を致して人に致されず。善戦者、致人而不致於人。」と孫子が戦いの巧者は常に主導権を握り、相手に振り回されないのだと言っていましたね。霍去病がいにしえの兵法書に興味が無かったのは意外でした。型にはまらないのも、戦いの極意かもしれませんね。
動画面白かったです。
武帝の一番いい時代で活躍し、一番いい時代のうちに世を去った
衛星が活躍した後に生まれたおかげで出自のわりにスタート地点はよかったし最高潮のまま人生を終わらせた運のいい人だね
傲慢ではあるけど、自分に黙って従う人間よりも多少言い返してくる人間の方が好きって人いますね。
武帝はそういうタイプだったのでしょう。
匈奴討伐をすすめたい武帝にすれば、若くて積極策をだしてくる霍去病は、武帝の方針と合致しているうえに
成果もあげるのでより多くの武功を期待したかったって部分もあるんでしょうね
衛青は牧畜童であったころ匈奴と交流があって、生活習慣や考え方、馬の扱い方などを知っていた事が役に立って成功したという背景があるが、霍去病には全くそれがない。しかも軍人の家で育ったわけではないので基本的な軍事教育もされていないので素の天才。長生きしてたらナポレオン級の戦果を残したかも。
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@@c-history いつも楽しませて頂いております。こちらこそありがとう😭✨
霍去病は対匈奴の強い武将だったが若くして急逝したとしか大まかに覚えていなかったので、今回の解説は彼の活躍が分かって興味深かったです。漢の第二期の対匈奴戦線のお話もよろしくお願いします〜。
武帝の御代を飾った輝かしき英雄。
実働4年か…。本当に駆け抜けたんだなぁ。成果が大きいので、意外と本人は「やってやったぜ!。」って満足してたかも。
有能な将軍だったのは疑う余地の無い霍去病。そして惜しまれる存在のまま若くして鬼籍に入ったのは不運でもあり幸運でもありましたね。
前漢版ジェームス・ディーンかリッチー・ヴァレンスといったところでしょうか。
劉備、張飛、周瑜、関羽、趙雲、呂布、董卓の長編ストーリを希望します。お願いします。
衛青や霍去病を取り上げてくれたのですから、今度は武帝の皇后・衛子夫も取り上げて欲しいです。
ちなみに霍去病の母の密通相手は陳平の玄孫にあたる陳掌という人みたいです。(陳掌の)高祖父の陳平自身にも兄嫁と密通したという逸話があるので血は争えないですね〜
てことは霍去病は陳平の子孫にあたるってことですか?
@@斎藤信孝 いえ、動画でも紹介されていますが霍去病の父は霍仲儒とかいう人物で母は妾だったみたい、霍光は正妻のうんだ異母弟です。
当時はあまり婚姻制度はガチガチでは無かったのでしょうね。ましてや妾なら。
衛青らの母も何人もの相手と関係し、同じ父の子ばかりではないらしい子を三男三女だか産んでる。
衛青は人相見て出世する(美男っぽい)と言われた話あるし、衛子夫は皇后まで登る事を思えば霍去病の母の男関係をみても美形の血筋っぽいな。そういう意味で短命故か、美形の武者姿が想像されがちの霍去病だが間違いではないのかも。
まるで花火のように、ぱっと一瞬美しく開いて消えた人。ほかの方もおっしゃる通り『タヒに得』だったかも。生き延びたとしても『巫蠱の獄』に連座で腰斬、族滅になる未来しか思い浮かばない。
衛青に比べ華やかで憧れの的だった霍去病!
地位にあった振る舞いをする事で部下から好かれる。日本の管理職の中には衛青の様なタイプを評価する人もいるがどうなんでしょうね。
中国の長い歴史でも屈指の早熟の軍事的天才ですね、颯爽としていてあっという間に去った。ドラマみたいな人ですがだからこそ今も人気があるのでしょうね。
武帝の依怙贔屓が凄まじいですが、しっかり結果を残している霍去病凄いです。若くして世を去ったことで伝説に。
人柄は衛青の方が好きかも。
打てば響くような彼の言動が、武帝には心地よかったのでしょうね。夭逝したのは個人的には良かったと思います。(長生きしたら粛清された可能性があると)それにしても叔父さん好きなんですね。
巫蠱の獄
彼に騎馬などのエリート教育を施したのは衛青のようですね。実質父親代わりだったかもですね。
元部下を殺害したという話も先に手を出したのは李敢の方で叔父の衛青を殺害しようとしたからなんですよね。手段に問題ありだとは思いますけど動機の面では霍去病に感情移入したくなる
@@鈴木千裕-t2x そうなんですよね。彼にとっては大切なのは衛青てすよね。
それに別の角度で見れば、上官(しかも大将軍)に反旗をしていることで充分に射殺する理由があります。
04:38 園田光慶さんの三国志ですね。この人は曹操、手前は司馬懿。
こうして解説を聞くと、匈奴はよく復活出来るな~
この時に領土を征服して兵を常駐出来れば良かったんだろうけど、広大すぎて流石にそこまで余裕はなかったか
投稿ありがとうございます。
霍去病は比較的良い時期に死んだなという印象です。おじの衛青や異母弟の霍光とは違って政治的に不器用なタイプみたいなので…。
いつも楽しみにしています
個人的にはバトゥの西方遠征が興味あるので
一生とともに映像にしてもらえれば嬉しいです。
バトゥと共に出てくる“スブタイ”も気になりますね。
衛青と霍去病が他の武将と何が違ったかというとスピードなんですよね。劉邦の時代の漢軍が戦車と弩で匈奴の機動力と速射性に全く対抗できなかったのにたいし、武帝は騎兵と弓を装備させて速度でも上回るようになりました。
それでもほとんどの武将は旧態依然の戦法しかとれなかったのに、この2人は新時代に適応することができた。電撃戦でドイツがフランスを一蹴したことを彷彿とさせます。
趙武霊王「私が騎射の先駆者だからな」
趙国の軍と何が違うかというと、「全部隊」騎兵になったことですね。歩騎混合だと足の遅い歩兵に合わせないといけないので運用がまるで変わってきます。
さらに言うと、馬14万のうち3万しか残らなかったというのも残りは食ったということですよね。冷蔵庫持って行くようなものだからそりゃ速いですよ。
「去病」(病が去る)という名前から、生まれつき蒲柳の質だったのではないか?とも言われてるんだよね。また、武帝の度を過ぎた寵愛については、武帝がいわゆるバイセクシャルであったことも考慮すべきかもしれない。
強い・仕事ができる・イケメンの三拍子揃ってるなら惚れられてても仕方ないですな
業績や逸話だけを見ると、とても病弱そうには見えませんけどね。
ただ、「古の伝統的兵法も学べ」という武帝の勧めを断ったのも、「(健康に不安があって長生きできる見込みが薄いであろう)自分にはおそらくその時間はない」と自覚していたからなのかもしれません。
軋轢を起こすリスクを恐れず、一貫して積極果断を貫き通したその短い生涯も、実はその自覚の裏返しだったとも言いうるのではないでしょうか。
衛青の回で語られていましたが,「霍去病」という名前にある「病が去る」という字の逆を行ってしまった若き武将ですね。長寿をまっとうする人生,彗星のごとく現れて消え行く人生,どちらの人生が幸せになのかを考えさせられる2つの動画でした。ありがとうございました。
病弱だったから、病が去るって名前を付けられたのかもね
霍去病と衛青は「どちらが優れていた」とかではなく、お互いの違いが良い結果を生んだのではないでしょうか。
李広と程不識という前例もありますし。
長嶋茂雄と王貞治の関係にも通じるものがあるかと思います。
両者の性格もさることながら打者としてタイプが違う(天才肌で中距離打者の長嶋と努力型でホームランバッターの王)から一つのチーム内で並立でき、お互いに足らぬところを補い合って多大な成果を挙げられたのですから。
若く旅立ったからこそ武帝と仲が良かったまま終われたのかも、長く生きてるとどんな人でも色々ある。
酒泉のいわれと霍去病の話は甘粛省の公式動画でも紹介されていますね。
霍去病、若くして亡くなったせいか、イケメン若武者のイメージが強いです。もし、彼が長生きしていれば、武帝の暴走も押さえられたかもしれませんし、逆に武帝に56されていたかもしれません。
生きていたら李陵の件で武帝に何と言ったんだろうな?
画像はむしろ怜悧な衛青にフリーダム豪傑然とした霍去病でしたね。。。
長生きしてたら、政争で真っ先に失脚させられそうなタイプの方ですねぇ
早すぎるデビュー。早すぎる死…。武帝は封禅の儀の際に本当は霍去病と一緒に泰山へ行きたかったんじゃないかなと思いました…。
もう少し長生きしていれば、第二回匈奴遠征の時も活躍していたかもしれ…、いや、何かの拍子に武帝の怒りを描く可能性もあるし、霍去病を妬む者の罠に引っかかる可能性もあるな…。霍去病は良くも悪くもどこか脳筋っぽいし。
0:11
ガウマン「やってみせろよ、マフティー!」
ハサウェイ「何とでもなるはずだ!!」
レーン「ガンダムだと!?」
ナラナイコトバヲモウイーチードーエガーイーテー♪(連邦に反省を促すダンス byトウカイテイオー(ウマ娘))
閃光のように輝き去った霍去病。
曹操の息子・曹彰が憧れた伝説の名将ね。
流石は佞幸列伝に叔父上ともども「外戚として寵愛を受けたが自分の才能で出世した人たち、他の人たちとは別格」と書かれるだけあります。というよりそこに何故入れた失礼だろwと思わせる輝かしい才能と戦果です。
ただやっぱり武帝陛下のえこひいきの激しさと「愛人の家族とも仲良くしたいし出世させたい」という癖からして、ありえない話ではなく思えます…その辺り、いずれ李広や李広利の話でうかがえたらと思います。
紀元前121年の第7回遠征の話、春と夏に遠征したのですね(驃騎将軍として)。春もそうだと思いますが、夏は農業に労働力が特に特に必要な時期かと思います。漢はすでに、膨大な常備軍を抱えていたということでしようか。
あるいは、この年は、臨時に徴発して大軍を組成? もし、臨時の徴発ならこの秋の収穫は萎んでしまいますが、すると、最初からそれを覚悟の遠征計画ということですね。
霍去病はイキリ小僧みたいな印象があってあまり好きじゃなかったのですが、おじさん大好きっ子の傑物だったのですね
武帝の露骨な贔屓が気に食わなかっただけなのかもしれません
かくいう私も衛青贔屓なので人のこといえませんが
この動画の最後を見て気づきましたが、三跪九叩頭って、thank you と音が似てますね!早速リアルでも使わせてもらいます!(は?って言われる未来しか見えない
病気にならないように去病って名付けられたらしいけど、思うようにならんもんですねえ
驃騎将軍は由緒ある称号、的な説明を見かける事がありますが、彼の為に新設されたからなのですね。納得です。
李広利の解説をリクエストします
武帝が兵法を勧めた場面。
なにか若者らしい思考で年も近いので凄く共感して好きになりました。兵法なりに縛られない彼独自の戦法があったから勝てたとも想像出来ますよね🙄
活躍期が短すぎたことと、人柄が衛青に比べて現代人に好まれないこと、皇帝の寵愛を受けてていたことへの反感などから、現代の人気はいまひとつ。
けれど精鋭を与えられたからと言って、遠征軍を率いて敵地で遊牧民相手に連戦連勝できる将軍なんて、李広利の例を見るまでもなくほぼ居ない。
夭折したことで評価を下げる機会がなくてすんだとする向きもあるけれど、以降も戦い続けていたら白起や韓信らをも超えるような軍神となる可能性もあったんじゃないかと妄想。
武帝の人間味が感じられるからこの人関連のエピソード好き
むかーし、漫画雑誌の「歴史ロマンDX」に霍去病の漫画が載っていてなかなかよかったのだが、名前も忘れちゃったし検索しても出てこないな・・・。それで霍去病を知りました。
チベット系の牧民の少女との淡い恋と彼女の民族を奴隷扱いする自分の社会の罪悪感が根底にあるイケメンだった。匈奴の貴婦人とも友情を築いていた。
霍去病の場合、部下に(無自覚に)冷淡だったのと同時に、徒に虐げることもなかったから、その点が兵士の不人気につながることもなかったのではなかと思っています。
ただ、酒泉のエピソードを見ていますと、叔父の衛青には「少しは部下を思いやったらどうか」と幾度となく指摘されており、霍去病もその辺りは意識していた(が、本来の気質からつい忘れてしまうことが多かった)のではないか、と思っています。
・・・・・う〜ん、なんか危なっかしい。
夭折したのは不幸でもあり、幸運でもあったのかな。
世渡りとか要領とか、そういったところはまるでダメそうだし。
しっかり結果を出しているから、霍去病の若さゆえの傲慢や自信過剰を武帝も許容してただけに思える。年齢を重ねるか、失敗してたら自分の薦めを無下に断ったことも加味されて死刑(お金で回避可能)とかありそう。
長生きしたらしたで、あの武帝のことだから粛清されかねなかったことを考えたら、早くに亡くなったのは名誉を守れた点では良かったかもしれない
霍去病ってシャアが1年戦争直後に急死したような人生かな。
栄光に包まれたまま亡くなるという、
晩節を汚さない人生。
「銀河英雄伝説」だとラインハルト・フォン・ローエングラムが帝国元帥昇進直後に、もしくはヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞攻略直後に急逝したような人生、といったところでしょうか。
霍去病、若くして亡くなったからこそ武帝に愛されたのかもしれないですね。
4:38 別の武帝『こやつめハハハ』
<むむ、酒泉とな
天垂酒星之燿 地列酒泉之郡 人著旨酒之德
<孔融、良いこと言ってるなぁ
今回は一つ別の動画を挟んで、先週と今週で漢の対匈奴で活躍した将軍繋がりにして、叔父と甥繋がりか。
衛青と続けて視聴させていただきました。やれ讒言やら後宮から宦官やら粛清やら政敵やらでドロドロしている中央とは遠く離れた、辺境の草原世界で異民族と戦う彼らの人生に政治的な軋轢が少ないのもあって、爽やか(中国史にしては)に楽しめました。ただ李広も衛青も晩年は贔屓されたり不運だったりで不遇ですし、この霍去病も早死したりでどこか寂しいものがありますね。いやでも、霍去病はラファエロのように早世することである意味伝説となり後世の人気(名声)を不動のものにしたのかも。たしかに色々と”映える”人ですが、だからってスターとして持ち上げるのも、なんだから不公平な贔屓をしていた武帝と同じ心理になったみたいで嫌ですし、とはいえ中国史通を気取って「ああ霍去病ね、人気はあるよね。まあ俺としては衛青の方が高く評価されるべきだと思うけど(笑)」みたいになるのもキツいという……いやまあ最終的にどっちもすごいって話なんですが。李敢に関してですが、衛青に殴りかかったという記述もありますが殺人未遂だったのか暴力だったのか、そして父が死んだのはお前のせいだという動機はどのくらい正当性があるのかも気になったところです。続けて李陵や霍光の動画も楽しみにお待ちしています。
この後の巫蠱の獄の惨禍を考えるなら、むしろ早世したのは幸運とも言えるかも知れませんね。
げに恐ろしきは名将すら使い捨てる暴君ですな。
明は万暦に滅ぶと言われますが、西漢は武帝に滅ぶと言っても過言ではありませんからね…だいたい武帝の功績も文景の治の基盤があったからこそですし…
古来より寸土でも自領を拡げられれば名君とされたので国威発揚したという点では優秀な皇帝なのですが現在の自由や民生を重視する視点では暴君の評価もむべなるかな、でありますね。
@@古の生もの プロコピオス「せやろか」
逆に衛青と共にその頃迄生きていたら止められたかもよ。
衛皇后や皇太子・劉拠を守るべき立場だし(彼等を守らんと自分達も連座)、武帝も敵に回したい相手ではないだろうから、もっと調べて江充の讒言に気付けたかもしれん。気付けないで戦いが起きても皇太子側に彼等が付いていたらあっさり負けるとは思えんからね。その間に真実は明らかになるだろうし。
霍去病を思うに、霍仲孺の庶子私生児であることがどれ程影響したか。たまたま生まれながらの貴族であった。それゆえ衛靑を越える活躍が必要であった。匈奴の事情は霍去病には知識であった。衛靑には経験であった。それゆえ無鉄砲をし着飾り必死に頑張ったのかも。私生児庶子を跳ね返す苦悩はどこかにあったかも。
衛青「やってみせろよ、去病!」
霍去病「なんとでもなるハズだ!」
匈奴「漢ダムだと?!」
漢の武帝の時代を一瞬の光のように駆け抜けた霍去病。後世に残るような「英雄伝説」を遺し、若くして世を去った。天才的な軍事のセンスは叔父の衛青も敵わなかっただろうなぁ😯
若くして戦功抜群で時代を駆け抜けさらに夭逝する。日本人が好む展開ですねぇ
まさに匈奴と戦うためだけに生まれてきたような将軍。
ここまで来たら、匈奴戦争の闇の部分、李稜と司馬遷のエピソードをリクエスト
日本で言うところの北畠顕家くらいの早熟の天才
竹中重治も中々に
最初見た時中二病かなんかの類と思ったw
病が去るという縁起のいい名前なのね
衛青と霍去病の話が銀英伝の元ネタっぽいね。
武帝は男色家ですからねぇ〜。エコ贔屓の理由は霍去病がタイプだったからかもしれません。前漢の歴代皇帝は男色家が多いのでいつか取り上げていただけると嬉しいです。
匈奴から奪った河西回廊管理するだけでも大変なのに、よく南越や衛氏朝鮮まで出兵しようと思ったな..
内側に向きそうな内乱の芽を外に向ける必要があったのかな・・・・・・・?
映像で当時の騎馬遊牧民の軍の再現を見た事あるけど
個人的には再現なのに、バイクに乗る暴走族の集団よりも断然迫力あってあれはほんと怖い。
それに十代で挑んで戦果上げるとかそれだけで霍去病って化け物だよね。
ガチムチの戦士が遠距離から弓を撃ちながら突っ込んできますからね。
衝突しただけで挽肉になってしまうし、日露戦争まで騎兵が最強であったのは理由がありますよ。
ヨーロッパの警察は今も騎兵隊ありますね。徒歩の人間相手なら普通に無双できます。実際に騎兵突撃しなくても威圧効果もあるし、暴徒の真ん中に孔を開けることができるので日本ほど重装備の機動隊がいらないんですよね。暴動なんてめったに起こらんやろと思われますがヨーロッパではサッカーのフーリガンが試合後に暴動起こすので騎兵隊も活躍しているようです。
霍去病はなんか朝青龍みたいな性格な気がするwww
うぽつです。霍去病は孫呉の兵法は習得していたと思います。
対匈奴戦においては応用できない部分もあり、孫呉の兵法をベースに独自で作戦ドクトリンを構築し匈奴を撃破しましたが、
武帝は戦闘報告を聞いて、霍去病は孫呉の兵法は理解していないと思って彼に習得を勧めたのではないでしょうか。
勧められた霍去病は心の中では困惑しながらこれを断ったのだと思います。
霍光「去病の弟の光です。兄の事ですか?いやいや私なんぞとても足元には及びませんよハハハ」
大和民族最強の時代が恐らく戦国時代で、その戦国時代に明に攻め込んで失敗している。その頃は「働きたくないでござる~」な万暦帝の時代なのに。
そう考えると、戦国の武将ですら衛青やら霍去病やらと戦ったら無双されるのかなぁ、とか思ってしまふ。まあ、信玄公と謙信公がタッグ組んでがっぷり四つで戦ったら、とか妄想すると素敵ですけどw
そのうち「ドリフターズ」に登場するかも・・・・・
霍去病への優しさ(という名の贔屓)を、百分の一でも良いから李陵を弁護した司馬遷に施す寛容さを武帝に求めるのは間違いだろう。それはさておき、武帝の助言を一蹴するとは生意気と言うかイキのいい奴というか、良い度胸としか言いようがない。ただ、霍去病の元に多くの者達が集まり、兵士たちも慕ったというが、私に言わせれば美味しい思いをしたくて群がったというべきで、飢えた兵士たちへの無関心、冷淡さこそ彼の本質に思えてならない。彼のようなブラック上司より衛青に仕えたいと思うのは私だけだろうか(しかし衛青は、「生まれつき仁慈・善良・謙譲で、温和な柔軟さをもってみずから主上に媚びる風があった。しかし、天下に彼を称讃するものはなかった」と「衛将軍驃騎列伝」に記されている。これも霍去病の活躍の割を食ったせいかもしれない)。
霍光の回楽しみにしています。
今の政治で言うと二階俊博さんみたいな役回りの泥も被れる政治家です。
立ち回りも上手いですし、自分が主張しないで自分の思惑通りに事を進める大政治家です。
漢代は衛青と霍光が好きですね、
しかし、匈奴は、衛青と霍去病比べて衛青を組み易しとするのは、判断ミスですわ。
李広は、李信の孫ですね。
けど上司にするのは衛青ですわ。
トルストイ一族(この150年ほどロシア最高の文学者を輩出し続けている)が人類最高の遺伝子と言われることがあるがこの一族のほうが上かも‥項一族に比肩しますね。
バッハ一族にもひけをとらないと思う。
長生きしたら霍光コースだったろうから早死にはもったいなかったね
一瞬!!だけど閃光のように!!
『バイバイバイバロス』もいいけど、『さようなランバラル』もいいなあ〜!🎉😂
武帝で漢はピークを迎えたと言うけれど。。
占いとか不確かな讒言を真に受けてるのを見ると、
むしろ前代、前々代のほうじゃないかなぁ…
息苦しそう、なんだか。
匈奴をやっつけたじゃないかと言われたらそりゃそうだけど…それにどれくらい武帝が貢献してたのかなあ。
前代の皇帝の時にそれをやってたらどれほど成功したのかが気になる…たらればだけど
不倫が結果としては二人の名将と歴史的勝利を産んだ訳だな
衛青はラインハルトみたい。
前漢の黄金時代を駆け抜けた男 若くして亡くなったのは良かったかもしれない。
政治力は未知数だし、堕落した武帝を見ずにすんだから
ある意味早死にしたのは幸運と言える。負けたら多分袋叩きにされて殺されてた
人徳とは無縁の為人だったみたいですから、孫呉の諸葛恪のような最期を迎えていたのかも・・・・・
中国は対異民族戦での功績が重視されるよね
サンキューは三脆九叩頭の略だったとは🤣
途上国に行くと、そこでバリバリ仕事している人に必ず言われるのが
「現地の使用人たちと、あまり親しくしてはいけない」ということです。
「どうして?」と聞くと「親しくすると、彼らは自分達と同じレベルと考えて、こちらを尊敬しなくなる」とのこと。
人権という考えが広汎に認識されている現代でも、いまだにこのような有様です。
ましてや武帝の時代ならば、霍去病の振舞いは反感を買うどころか
「やはり剽騎将軍の振舞いは華やかだなあ」と羨望の目で見られたことでしょう。
かえって慎ましやかな衛青の振舞いのほうが
「大将軍はどうも今一つ冴えのないお方だなあ」と思われたのでしょう。
彼がもし、50代位まで生きていた場合の世界線も見てみたいかも………………
個人的には、長生きしなかったから惜しまれた人物なのかな、って気がしますが…………
もし、長生きしてしまい、兵卒には「魅力的」に映った傲慢さが残ったままだったら、周囲のやっかみを受けた上、晩年の老害武帝に讒言され、良くて左遷、悪ければ粛清されたかも知れませんな。
才能に満ち溢れた若手ではあったが、
衛青の様な慎み深さが半分でも有れば…。
もし惨敗して逃げかえるようなことがあれば・・・・・・・楽進よりも悲惨な辱めを受けて死んだでしょうね
※干禁のつもりが勘違いして打ち間違えたW
@@あぼぼです たぶん于禁じゃね
@@REKI-AKAHOSI 訂正そうです、干禁です。ありがとうございます
@@あぼぼです さん
才能は有るが、人格的にちょっと…
というなら、諸葛恪の方がピンと来るかも。
@@あぼぼです ビッグマウスで自らを追い込み力出すタイプなのかも
ロシア戦術の奥地まで引き込んで云々が全く通用しない霍去病w
兵站はどう処理したのだろうか。
捕虜を取らず、現地徴発だったそうです。恐ろしい…
リクエストお願いします。君主や将軍ではないですが儀狄を取り上げていただきたいです。動画の趣旨と外れてしまうでしょうか?
ちなみに李陵の親父は李広の息子李当戸