「ホモ・デウス」第1章 人類が新たに取り組むべきこと

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  • Опубліковано 29 січ 2025
  • 「ホモ・デウス」第1章「人類が新たに取り組むべきこと」
    21世紀、ミレニアムの夜明けとともに人類の課題は変化しました。これまで「飢饉」「疫病」「戦争」の克服が主な目標でしたが、テクノロジーの進化により、これらは解決されつつあります。そして、新たな課題として「不死」と「幸福」が浮上しています。これにより、人類は神のような存在、「ホモ・デウス」を目指していると言えるでしょう。
    飢饉の克服
    飢饉に関しては、かつてのように飢えに苦しむ人々の数は激減しています。象徴的な例として、2014年時点で、太りすぎの人が21億人いるのに対し、栄養不良の人は約8億5千万人でした。現代では飢えよりも過食が深刻な問題となり、血管障害や糖尿病が死亡原因として増加しています。過食死の増加は、飢饉克服の裏に新たな健康問題を示しています。
    疫病の克服
    疫病についても、ペストやスペイン風邪のような致命的な感染症の影響は減少しています。1918年のスペイン風邪では、日本で約2300万人が感染し、45万人が死亡しましたが、現代の感染症でこれほどの被害は見られません。コロナウイルスなどもかつてのパンデミックと比較すると、被害は抑えられています。
    戦争の変化
    戦争に関しても、従来のような物理的な戦闘は減少しています。2012年の統計では、人間の暴力による死者数が62万人であるのに対し、自殺者は80万人、糖尿病による死者は150万人でした。物理的な資源争奪ではなく、知識や情報を巡る争奪が主流となり、戦争の形態が変化しています。サイバー攻撃のような目に見えない戦争は増えつつありますが、伝統的な戦争は減少傾向にあります。
    新たな課題:「不死」と「幸福」
    こうした背景の中、人類は「不死」と「幸福」の追求に向かっています。不死については、死を克服することで逆に不安が増し、活動の停滞を招く可能性があります。また、永遠の若さを求める欲望が新たな争いを引き起こすかもしれません。一方、幸福については、その本質が曖昧であり、通過する状態にすぎないため、目標として定義すること自体が困難です。
    エピクロスの哲学
    幸福について考える際、古代ギリシャの哲学者エピクロスの思想が参考になります。エピクロスは、真の幸福は快楽の追求ではなく、心の平穏(アタラクシア)と苦痛の欠如にあると説きました。彼は、物質的な豊かさや欲望の無限の追求が人を幸福にするのではなく、必要最小限のもので満足し、自然に即した生き方をすることが重要だと主張しました。
    現代の「幸福の追求」が、エピクロスが警告した無限の欲望と快楽の追求に陥る危険性をはらんでいるのは明らかです。エピクロスの哲学は、人間が限りある資源と能力の中で、より持続的な幸福を模索する道筋を示しています。
    技術的幻想と芝生のエピソード
    「不死」や「幸福」の追求は、しばしば幻想に過ぎないとされています。著者はその例として、芝生の話を挙げています。芝生はかつて豊かさの象徴であり、緑豊かな芝生を維持することは権力や財力の証とされてきました。しかし、その後、芝生が広く普及し、誰でも手に入るものになると、その価値や特別感は失われてしまいました。このエピソードは、人間が追い求める「不死」や「幸福」も、達成された瞬間にその価値を失いかねないことを示唆しています。
    根本的な問い
    このような技術的挑戦や幻想は、「なぜ生きるのか」「何を目指すべきか」という哲学的な問いに直面させます。「不死」や「幸福」の追求が持つ危険性を認識しながらも、エピクロスが説いたように、心の平穏と自然との調和を目指すことが重要ではないでしょうか。ホモ・デウスを目指す過程で、私たちは技術の力だけでなく、人間の内面の豊かさにも目を向ける必要があるのです。

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