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お正月が1年で1番特別なイベントだった時代を子供の頃に経験できて良かった
漫画雑誌の付録付きの新年号、人気漫画特別編のある増刊号が楽しみだった。
昭和40年生まれです。自分が幼稚園児から小学三年生位までのお年玉の相場が自分の周りでは一人1000円でした。なかにはお年玉をもらいポチ袋を覗くと青い紙幣が見えて500円札が入ってる時もありました。近くに親戚は住んでなかったけど同じアパートのおっちゃん、おばちゃんや近所のお姉さん、アパートの裏に住んでるおばあちゃん達からお年玉をもらい一万円位になりました。ほとんどプラモや超合金のおもちゃに消えたけど今思えば昭和の風情と親の近所付き合いが良かったからだと思います。本当に良い時代でした。
一緒です。500円札懐かしい。今も1枚持ってます。私もプラモデルを買いに行ってました。何故か家族全員でおもちゃ屋に正月行ってました。お節料理見てくれが好きになれなかったです。色移りとか、味移りしていて嫌いでした。最近は、本当に買わなくなったと思います。
@NEO-tj4iy 様、コメントありがとうございます。自分も500円札を一枚だけ持ってますよ😀毎年、初詣に行く近くの神社の並びに模型店がありそこで買ってました。記憶にあるのはウルトラマンのジェットビートルやサンダーバード2号かなぁ😅確かに子供の時おせちは嫌いで餅は大好きだから焼き餅や雑煮ばかり食べてました😅でも、年を重ねて今思えばお年玉をもらいお節料理が出てお正月をすごさせてくれた親には感謝ですね……あと数日でお正月ですね、良いお年をお迎えください。
あの500円札の全能感は今のガキには理解できないだろうな。今じゃワンコイン…
私も昭和40年生まれます。お年玉といえば1000円位が貰える金額でしたね。何人かにもらってやっと10000円位になったものです。自分の好きな物を買うのが楽しみな時代でした。懐かしいです。そして今年は巳年だから60才ですね。早いものですね。
@@池山聡子 様返信ありがとうございます。本当に早いもので還暦ですね。でも以外と幼稚園児や小学低学年の頃のお正月の事も覚えていて二年生の時お年玉を片手に近くの文房具店に雑誌の新年号を買いに行ったら芸能人のブロマイドや下敷きが売っていてお年玉があるから気が大きくなり当時のアイドル、アグネスチャンとフィンガー5のブロマイドと下敷きを買って帰ったら親に「無駄使いしたらアカン!」と正月早々ゲンコツをくらいこっぴどく怒られたのも懐かしい思い出です😅現在は9人の孫と5人の甥と姪のお 年玉に苦労しています。😅お互い体に気をつけて今年も楽しく過ごしていきましょう。😀
非日常感がなくなったのは同感ですね。クリスマスイブから大晦日、そして年が明け正月三が日くらいまでワクワク感が続いた…ああ今は淋しいなあ😢
母の年末買い出しに着いてってお菓子とかご馳走買いに行くのが楽しみだったなー今は元旦から店も開いてる…働いてる人のご家族の事を思うと便利なのはいいけど元旦に町中がシーーンとしてた頃がお正月らしくて良かったな
スマホもパソコンもなくて、プリントゴッコだって持ってなかったのに何十枚も年賀状を手書きしていた頃の方が豊かな時間が流れていた気がします😊今は便利になったのになんだか忙しい😅
年賀状は手書きがマスト!ヨ!~印刷は味気ナイン!~ネ⚠️
フジカラーの『お正月を写そう』のCMに『良かった』と思っていた昔の正月の名残を感じます。
@@toriri-service 樹木希林さんと岸本加代子さんがやってたCMですね。懐かしいです。
三が日を過ぎると日々すごい勢いで正月が去っていく感覚がイヤだったなw
昭和時代、子供の頃はおじいちゃんの家で餅つきしてたのが懐かしいです!また、餅つきしたいなぁ…
確かに正月は昭和の方が良かったと言える数少ないものの一つですね。年賀状だって当時は先生や友人達に一枚一枚書いていて楽しかったくらい。大晦日なんか徹夜イベントだったし、そのまま正装して初参りから親戚周りと楽しかったの一言。それが今やどんど焼きも除夜の鐘も中止という信じ難い有様に…。
僕的ニハ年賀状は手書きがイイ!~印刷は味気ナイ⁉️ヨ!~ネ⚠️
昔の正月三が日の別世界感はすごかった。開いてる店なんかどこにもなく、完全に社会活動が停止する3日間。そして4日になって社会が動き出すとお正月にもらったお年玉を握りしめつつ親に初売りのデパートのおもちゃ売り場に連れて行ってもらうのであったw
12:47 ボクは環七の近くに住んでいるので、非日常性はいまでも感じます。正月の3が日、環七はガラガラ。空も青くてきれい。「正月くらい、みんな、ゆっくり休んでよ」と思いますね。
ここ数年は『ニューイヤー駅伝』と『箱根駅伝』で 正月気分を味わっています。元旦も営業していた近所のスーパーは コロナ禍以降 逆に三が日は休むようになりました。
私も福岡天神岩田屋や福岡三越の初売りの列に並ぶ時には箱根駅伝をインターネットラジオで聞いて開店を待ちます。
年末の12月31日に母親が台所で「おせち料理」を作るため動いていた。時に、母親の背中を見ながらリビングでは紅白歌合戦を見ていた時代が懐かしいです。紅白が終われば「行く年来る年」を見て除夜の鐘🔔🔔がゴーンとなって新年🎉がスタート。お年玉をもらった後、1月4日にジャスコに行き、おもちゃ屋でプラモデルを買う。小学校の頃はとにかく三日間のお休みが早く終わればいいのにと思い、店がオープンするのを心待ちにしていた。ちなみに買ったのは青島の合体プラモデル1つ500円で、4つのセットで2000円…懐かしいです
確かに自分が小学生の頃はクリスマスが終わると街や近所が正月に向けての装いになって、それこそ「あぁ~もういくつ寝るとお正月~」って感じがしたものですね。これもある意味時代の変化と言う事ですかね😢
ここ最近は紅白が終わったあとの「ゆく年くる年」を観てる時間が一番年末年始を感じるかもしれません。我が家は祖母の誕生日が1月4日なこともあり家族が集まる習慣が残っていますが、それでも幼い頃に感じていた正月らしい空気感って最近は殆どないなぁと気付かされました。寂しいなぁ…
1月1日夕方までの何とも説明できない特別な感じがした外の空気が好きでした
今もだけど年末のスーパーでの買い物は本当に苦労する!便乗で値上がりするし普段買い求める商品も正月商品に追いやられ姿消すし、三ヶ日過ぎてようやく日常を取り戻した時は本当にほっとします、売れ残り値引きされたカニやら数の子買ってようやく自分なりの正月迎えられます
年末年始の特別感とか非日常感って本当になくなりましたねただ最近はニューイヤー駅伝や箱根駅伝見ながら何か食べたり酒飲んだりダラダラしてるのが、お正月の過ごし方でそれはそれで悪くない
合理化で何でも良くなる!などというのは幻想でしたね。実際今は幸せ感が無いんですから。元旦の朝起きるとお雑煮の香りがして、コタツの上におせち料理、TVも新年ですよ!っていう特別感満載の番組ばかり。外に出てもほとんどのお店は休みだから、新聞といっしょに入ってくるたくさんのチラシを眺める。あっ、と思ってポストを見て年賀状を回収、これはお母さんに、コレはお父さん、あっこれはオレにだ、と選り分ける。幸せな記憶がある分、我々はまだ良いのかも。
合理化で利益を出すのは、経営者だけ。大手企業の中間管理職に少し分け前。成果を出した、部下、下請けは、残業代が無くなり、リストラ。昔はシッカリ残業代が出た。
親戚なんてこの世で一番顔合わせたくない生き物だからなむしろ今の方がいいわ
親戚は嫌い。私は実家1人暮らしです。7年前に母が亡くなり、2月には父が亡くなり1人暮らしに。実家も私が相続しました。兄弟いないから相続人は私だけ。父の家から私名義の家になりはじめての年末年始。もちろん1人で過ごします。
正月明けにATMでお金を下ろすと三つ折りした跡がある新札が多く出てくる。おそらく「預かっておいてあげる」と子どもたちから没収されたお年玉と思われる……
特にゆうちょとか
正直に子供の通帳に預金している親御さん、子供がお年玉直接使った…のお金だったら良いのにね
松飾りと鏡餅、お節を用意して大晦日に年越しそばを食べ、年明けに初詣へ行き帰ってきたらお雑煮を食べるのはやってます。
婆ちゃんが10年ぐらい前に亡くなってから、どれもなりました。
お正月は、商店街のお店は休みが当たり前でした。最低でも三が日、長いところだと七草粥の日までは普通に休みでした。今みたいにイオンとかの大型店舗やコンビニは無かった。有っても、私鉄沿線だとその系列の中規模スーパーがあるくらいだった。
我が家では正月にはブラウン管テレビの上に鏡餅を置いてたけど初めて薄型テレビを買った年はどこに鏡餅を置くか悩んだなあ(`A`)
おせちが苦手なので貰ったお年玉1番目に買うのがレトルトカレーだった!「おせちに飽きたらカレーもね」ってキャンデーズCMもあった事ですしww
昭和の時代の凧揚げも和凧がほとんどで、新聞紙を細く切って凧の足にしていましたよ。その後、ゲイラカイト等、欧米凧が増えて行きましたね(和凧より上げるのが簡単だったと言う事もあったのかも)お正月は銀行では窓口の女性行員は振袖を着ていたな~、私が勤めていた会社も受け付けは振袖の女性社員を配置していましたけどね。かつては兜町の大発会も振袖姿が多くみられましたね。
年金生活者です。小学校三・四年生の頃かな? 近所でも親戚の家でも臼を持ってる所があって餅をついては振る舞ってた。楽しかったよ。人生も終わりに入った今でも良い思い出だ。 現在では考えられないねぇ。さて、元々の里帰りと言うのは都会へ出稼ぎに行ってる者が帰省するという意味。ベビブーム時の子供が就職時期に成った辺りからの言葉としてよく使われる。其の彼らも出稼ぎ先で家庭を持ち居着いて久しい今、里帰りの意味も変わるよね。其の必要性も含めて。
お年玉を貰ったから買い物したいのに、商店は休みだから何も買えないという異世界感。
それは同意出来んな
両親が亡くなってからは親戚で一堂に会する事も無くなりコロナを契機に姉達が家に来る事も無くなり盆を含めて年間通して平常運転ですねえ
まさに私のうちがそうですね😅すでに両親が他界し姉はコロナを機に実家である私の家にも足が遠のきました。2年位連絡を取ってなく疎遠になりました😢
そうですね。しかし今度は自分達がその両親の立場になり子供たちが孫を連れて帰ってくるのさ。
自分もそうだけどそれだけ歳をとったのだろうなと思ってる。
人生で親と一緒の時間は実は少ない。会える内に後悔しないように。
祖父母が亡くなって、正月に親戚が集まらなくなった。
これあるあるだよな 没落のきっかけになりやすい遺産相続で揉めた日にゃね
父母が死んだら全く正月どころか会わない。兄二人、全く悪妻をもらったものだ。侵略者裕子4寝や!呪ってやる。
昭和生まれには日本のお正月の思い出があってよかった今の若い子は何もなくて可哀そう
別に正月の思い出なんていらないし、って言われそう(汗)
特殊な例ですが、箱根駅伝のコース横に実家がある友人は子供の頃から今でも特別な時期らしい
おせち、栗きんとんしか食べなかったような……🌰😅年賀状はお年玉付きはがきの当せん番号を照合する作業が楽しみだった🎯🥰
@@kamimiso9 さん我が家は3兄弟でしたがお節のお菓子を食べてました😅
あの当時はお正月に「芸能人隠し芸大会」を見るのが楽しみの一つでした。
欽ちゃんの仮装大賞
新春特番❗オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦‼️
マチャアキは今年何をやるのかと毎年ワクワクでした
あの頃は芸能人の特番がてんこ盛りだったなあ。生き残ってるのはフジの爆笑ヒットパレードぐらいか。
大相撲プロ野球対抗歌合戦なんてのも
去年辺りから年賀状も届かなくなり正月っていう独特の雰囲気が年々無くなってきているように感じますね。自分も大晦日と正月は普通に仕事ですし。
うちの地方の広い広場ではゲイラカイトを釣竿で揚げてる光景が見られますよ。ゲイラカイトは上に揚がるし、リールには糸が200mくらい巻かってるので。
飛べ~飛べ~て~んまで飛べ~フ~ってCMソングを思い出します😂
実家は貧乏だったらクリスマスプレゼントで欲しかった物をお年玉で買う感じだった50過ぎだけど高校の時スーパーでバイトしてたから大晦日15時まで働いて年明け4日からバイトだった大晦日午後から掃除で社員もバイトもパート全員で大掃除 子供の頃は年末年始は特別感有ったけど大人になって帰省しなくなったら年末年始もただの365日の1日になったねぇ
地元の商店街も大晦日までは買い物客でごった返して、活気に溢れていたのに、翌日の元日から3ケ日までは商店街は街灯も消えて、誰もいなくて。真っ暗で1年の中でこの3日間がやけに別世界で子供の頃は好きだった思い出。
ちびまる子ちゃんでも前田さんが大晦日におばあちゃんからお年玉を前借りして爆買いする話があったな。本人曰く「お正月はどこも閉まってて買えないから」
実際、5日くらいお店やってなくて大晦日までに、食料品、買いだめしていた。前田さんは、わがままだなぁ
@mrksyskhrk 大晦日にお年玉を前借りし爆買いしたことを前田さんは「うらやましいだろ」とまる子に自慢するも、まる子がうらやましがらなかったうえ、まる子から「バカなんだよ」って言われて逆ギレ・大泣きしたんだよね(そのせいでまる子は小麦粉を買い忘れ、母に叱られた)。
正月の遊びで言えば凧上げ、コマ、負けたら顔に墨を塗られる事も有る羽根突き、かるた、すごろく、福笑いとかかな。今やってる子供はかなり少ないでしょうね…
自分は50代ですが、子供のころにはもうそういう正月遊びは廃れてましたね。ゲームウォッチをクリスマスプレゼントに買ってもらったのは小学校3年生ぐらいだったか。
7年前は昭和パターンの正月でしたが。7年前に母が突然死。生活が一変。3人世帯から父と2人世帯に。母の料理が食べられないし、私も料理ができない…でもそばつゆを7時間かけて作る伝統は私が引き継ぎ2代目に。さらに2月には簡単料理ができるからと、頼ってきた父も亡くなり、実家1人暮らしに。昨年12月20日に父は施設入所しているため、1人正月は2年目です。私はなんにもできません。さみしいから31日と2 日の昼間彼を呼ぶ。3 日は彼と札幌に行く。札幌といっても電車で1時間です。両親と暮らしていたときは、2日に家族で車で札幌行ってました。今はJRで彼と2人で行きます。
頼むから正月のテレビぐらい面白くなってくれスマホばっか見るのはもう嫌だ
高校生の時は毎年年賀状配達のバイトしてた時給550円だった
自分のころは850円ぐらいだったかな。郵便局の近所のファミレスのランチとほとんど同じ金額だったから、昼休みに時給1時間分のつもりでファミレスのランチを食べるのが楽しみだった。食べ終わったら午後の配達。
年末年始も仕事。休みは気分が抜けてから。味気無いなあ。
昭和時代の漫画雑誌。12月に発売されるのは正月特別号なので特別付録が多かったな。今は廃刊や休刊になってる。
マジ集英社飽きたカラ講談社でボンボンNEOかボンNEO創刊デサブカル界を多様性の混沌CHAOSに戻って欲しい!~ネ⚠️小学館に外国産の漫画アニメ台頭してシンギュラリティー起っても自業自得!~ネ⚠️
正月映画の「男はつらいよ」は毎年劇場に見に行きましたよ。懐かしい。
私が住んでいるところのスーパーやクルマ屋は年末から初売りのチラシが入りセールをしています😊 従業員が可哀想…😢
正月用の餅つくために集まって大量の餅ついたりしてたわでっかいせいろで米蒸すからね
元旦は、新春スターかくし芸大会を見ていたなぁ芸能人も番組も真剣に取り組んでいたし本当のスターがいた良い時代だった。
個人の多様性を求めながら孤独の寂しさを感じる、舌が肥えた分だけ口さみしい、というのは皮肉か。
働き方改革の影響なのか、自分の近くのお店は数年前から元旦はお休みのところが多くなりましたね😅
小学生の頃は、お正月になるとすぐ近くに通っていた小学校のグラウンドに出向いて凧上げした😊
今や小学校の校庭には一般人は入れない😢馬鹿な児童殺害者犯罪者のせいだ!😠母校の思い出に昔の遊具の写真すら撮りに行けない😢
昭和32年生まれ 暮れは母がきんとん羊羮なますなど、おせち料理を手作りで大忙し お正月は父が作ってくれた凧をあげた 車も皆お飾りを着けていた
サービス業だと今は正月も平日扱いだよなぁ……
お正月は親戚が遊びに来た。お年玉貰ったり、テレビゲーム•ファミスタしたり‥まあまあ楽しかったなぁ~。お節で一番好きだったのは、かずの子。
元日朝からヤマザキ新春スポーツスペシャル全日本実業団駅伝、2日から3日のサッポロビール新春スポーツスペシャル東京箱根間大学対抗往復駅伝競走選手権大会、通称箱根駅伝。総合優勝争いとベスト10入りしないと地獄の予選会落ちとなるシード権争いがドキドキする。
ソレヨリイズレ大河ドラマ総集編元日ヤルノがイイ!~昼カラ夕方🌇マデユックリヤレ!~ヨドウ家🏠倍速だったカラリベンジのマツジュンの慶喜は江戸幕府の終焉と明治の半生で慶喜コウキマトメルまでヤレ!~ヨ!
大分県民は年末にオードブル食べて年始はオードブルの残り物に雑煮
お節に一万円以上かける位なら唐揚げやハムや手羽先やらがドッサリ載ったオードブル3000円を3皿買った方がマシに思えます😅
正月の朝食はおせち料理とお雑煮です。これは日本人として守っていきたい。でも昼からはマクドナルドのハンバーガー食べてますね。
お正月の特別感、これからも味わいたいし、大事にしたいですね。この為に1年頑張ってる様なものなので
家族全員集まって明けましておめでとうの後、お年玉をもらい、ばあちゃんと母親が作ったおせちや雑煮ををいただく。じいちゃんと父親は朝から酒を飲み1日まったり。あぁ~うちの親ももう年老いてるし、じいちゃんとばあちゃんと過ごしたお正月が1番の思い出やわ😢
テレビのCMが正月使用で気持ちが盛り上がった、今テレビもみないな。
静岡県民、適当に家の近くで撮った富士山を年賀状にして送ってた、割と喜ばれた
私も静岡で、当たり前のように富士山みていたけど、県外の人は富士山🗻喜ぶよね
マジ来年の令和7作目のライダー次ノ干支🐴ナラ絵馬でヤルネ!~?
祖母が生きていた時には色々と行事をやってましたけど亡くなってからはほとんどやらなくなりましたね…それも時代かしらねぇ…
一番は大人の行動が変わったからだろうけど子供たちも正月に特別に何かしたい、ってのがなくなったんだろうな。それには小学館や学研の学年雑誌がなくなったのも大きいと思う。正月に凧揚げしたり書き初め、福笑いしたりってのは親からより、学年雑誌で初めて教えられる情報が多かった。近所の子供たちも皆同じものを読んでたから、自然と皆で集まってやってみようってことで共通体験が生まれていた気がする。
三が日はお店が休みだったので街が静かで良かった。今じゃ元日から渋滞で外出もイヤになる。コンビニの元旦営業ってエコノミックアニマルジャパンの極みじゃん!年が変わっても12月31日の次が1月1日という漠然とした空しさ。
実際にカレンダーが変わるだけですしね。最近はスマホがあるから、カレンダーも見なくなってます。
三が日はどこのお店も休みだった。「ジャムパンが食べたい」とわがまま言って、叱られたのは笑える想い出。今は朝昼はおせち、夜は焼き肉へ…どちらも楽しいお正月。
私が子供の頃は、祖父母家で年末に餅つきをして親戚家に配ってました。年明けには祖父母家に泊まりに行きお年玉貰ったのは良き思い出。
酒も飲まないのもあってお節料理苦手でした😅実家は三が日はお雑煮&お節料理だったから4日目からの夕食の唐揚げが待ち遠しかった
大人になるとお年玉やる側に回るのだが収入に余裕すら無い大人が増えて小さい親戚に会う事が辛いお年玉の代価どうすべきか考えたくない
昔は、2日に、親戚の叔父の家に行って、叔母、伯父、いとこたちと、過ごしてましたね。懐かしいなぁ~😆
今よりも1つ1つのイベントを楽しんだ様な気がする。今年もあと数日で終わり又一つ歳をとるけど「イイ年を迎えられます様に!!」と願う。
お正月が特別な物だった昭和の時代って素晴らしい46年生まれですが、小学5年生までは正月は親戚とかは居ないので母方の祖父母の家に遊びに行ってお年玉を沢山貰ってました自営業をやっていたので従業員さんとか近所の方とか近所のお店の方とかにも貰えたので祖父母とおじさん以外からも貰えたから相当な金額になってました1番貰えた時で小3で20万にもなっていて母ちゃん銀行に預けさせられて行方不明になるとこだったんだけど、父が銀行員だったので私名義の通帳とカードを作成してくれて、ミッフィー柄の通帳とカード作ってくれてそこに貰ったお年玉全額入れてくれて自分でATMで引き出しお預け入れを教えて貰いやっていました無くなったら終了って言うのも教えて貰いました1つ大人の階段を登った気分を味わっていました🤣そんなお正月も昨今無くなりぼっち正月で適当にネットでおせち注文して、お寿司も好きなの予約して来て食べる三が日の最終日に家族が集まって料理をたべるコレが😂メールで年賀状を終わらせていたんだけど今LINEすらもやらないのか😅
以前金欠だった時姪っ子どもにあげるお年玉がなくて・・なけなしのお金で代わりにスクラッチの宝くじを買って渡したことがあった意外と現ナマを渡した時より盛り上がってたなww結果、お姉ちゃんだけがスカで正月そうそう大泣きしてたが・・
クリスマスからお正月までの空気感が大好きです😊。
来客が盛んだった地方の正月は最悪だった💦😰正直、面倒だし準備する方は大変だった…。しかもお節料理が材料が高い‼️正月感が薄れた今の方が良い‼️
日本の伝統文化を振興しようと、年賀状を作成しようとしているところです。もちろん正月はしめ縄も飾るし、国旗も掲揚しますwこれから移民が爆増するので、少しでも日本文化が消し去られないようにね。
羽子板、凧揚げ、コマ回し・・・遊ぶ子供もめっきり減って寂しいのう😔
お金が結構かかる割にすごく美味しいわけもなく独り者なんか面倒で作らないし、主婦を休ませるならそれこそ出来合いを旦那が作る流れになってきた。私はお雑煮だけは作ります、酒飲めないので後は普通の食事あと20年もすれば、お正月文化が無くなりそう。
今は多様化しているから、それぞれお正月を楽しめたら良いと思う😊
元日の夜のテレビ新春かくし芸大会以外の各局はほぼレギュラー編成だったようなザ·ピーナッツの名古屋は西軍なんだというのはよく覚えてる
最近、年賀状&暑中見舞いは復活して出すようにしてる。枚数が少ないのが理由だけど、もちろん手書きで。
昔はコンビニが無かったからねえ。
お年玉が減ったは各家庭によると思う渡す人の各自に額は任せるという感じで小学生時代は下は300で上は10000貰えた今は各家庭の均衡を保つために年齢によって値段を決めていたからポチ袋を開ける前に金額が分かって楽しみが減ったらしい
正月の3が日、スーパーやデパートは営業したほうがいいのかどうか、いまだによくわからない。最近は休業するデパートが増えているんでしょ? 3が日に買い物したい人にとっては営業してくれたほうが嬉しいのだろうが、そのために休日出勤する社員がいるのは事実。企業側には「3が日にお年玉を使ってほしい」という思惑があるだろうが、客側は休業してくれたほうが、家でのんびり過ごす時間が増える。昭和の慣習、風習が間違っているとは、断定できないよね。
昭和のあの頃は今と比べて子供👦の数が違うし平均寿命も違うただしエネルギー量(活気)があっていい思い出が蘇る😊。
親が介護職で1月1日は大抵仕事だったから、子どもの頃から1月1日に初詣とかしたことないし、正月らしいこと何一つしたことないな。今日は正月かという感覚にもならないな。
20代の頃商業施設に勤務してました、80年代てしたが正月は4日から初売りで、入口で鏡割りして振る舞い酒をやりました、店員まで一杯やって赤い顔して仕事してましたね、女性は晴れ着や着物姿でお客様を迎えていました、もうそんな事もなくなりましたね
おせちは食べるけどここ数年「紅白かまぼこ」「伊達巻き」「数の子」オンリーです 3種類とも大好物だから良いんだけどさ😢
お正月飾りはほとんど見ませんね。おせち料理もなくなって来ました。時代の変化を感じます。
ただのおっさんの独り言ですが、若い人たちには面倒くさがらずに故郷に帰省してあげてほしいたまにで良いから親兄弟、かつての同級生案外長生きしないよ顔を見せてあげて
お節料理はな、正月休みたけりゃ年末3倍働け(屮 oДº)屮ってことだと、動物のお医者さんで言ってました🤣
🚕のバイトをしてた頃、🎍勤務は、🚕が少ないせいか、意外に稼げた😂
絵文字の使い方から察するに70代ぐらいの方だろうか。昔は車が少なかったですもんね。
お母さん銀行にちゃんと貯金して貰える人は勝ち組。大抵は親戚の子供にあげるお年玉は、お母さん銀行から出る。そうやってお年玉は廻るのだトホホ・・・(-.-)
お正月に母の実家に行った時に味わった料理が、今から考えると料亭レベル。親の兄弟姉妹が多かったから、年の離れた従兄弟従姉妹も数多く、親類の関係性を理解が追いつかないこともあったけど、2泊ぐらい過ごして豊かな時間を過ごしていた。どの車にも正月飾りは必ずしていたし、餅つきも普通にしていた。TVでは紅白歌合戦からの正月番組は絶対に時代劇と箱根駅伝。芸能人の隠し芸ときまっていた。お年玉は500円札でも凄く嬉しかった。小学生で1000円、中学生で3000円くらいで全部どうやって使ったのかは覚えていない😅いまはお年玉をあげなくてもいいように実家に顔をだしません😅
昔は正月って独特の雰囲気があってまさにもういくつ寝るとお正月だった。今はそういえば正月になったぐらい程度にしか感じなくなった。特別感はもうないね
昭和から平成初期は荒川土手の正月は凧揚げで混雑。凧の糸が絡んで喧嘩した人もいたっけ。羽子板をやっている人も見なくなった。書初めももうしている人もいないかな。レコードは元旦発売が意外と多かった。アリスとかアバのアルバムはお年玉を目当てにしてか元旦発売。お年玉を握りしめてレコードを買いに行った。そう言えば、仕事始めの銀行の窓口のお姉さんは振袖だった。今は店舗の統廃合も進んでそんなこともなくなったのかな。普通の家でもちょっと大きな家では門松を飾っていたが今では銀行や大きな会社ぐらいか。いつもあの門松はどこに保管しているのかが疑問だったがその疑問は解決されないままだ。ご祝儀相場なんてのもそろそろ死語になりそうだ。初セリのマグロのご祝儀相場が話題になるが、いつまで続くやら。年を越すことが一つの大きな山場だった考えがもう無くなってきたのは悲しいかな。
大晦日と元日もズームイン朝を放送していた(今のZIPの前番組)。大晦日は年末の人がごった返ししているところを放送、元日は全国の局からのお年玉とか言って、いろいろプレゼントしていた。それで、2日・3日は何か再放送していた(箱根駅伝中継は平成以降)。
@@小林誠-u6h 日テレでの駅伝中継の開始は'87年だからギリ昭和ですね。
今は一周回って働き方改革で、デパートでもお正月は休むところも増えてますね
おせちは今スーパーでバラバラで買えるから好きなものだけ買ってる😂社会人になってから親戚の集まりに行くと結婚は?子供は?って聞かれるからな😅
一番変わったと思ってるのが年末年始のテレビ誌2000年代序盤の正月テレビ誌は分厚くてテレ欄以外にも芸能情報が事細かく書かれてた・・・しかも350円くらいで雑誌ながら買い得感があった。いまでは内容も殆どテレ欄しかないような薄っぺらい代物で600円超えてるそれと「アキバはオタク街」という常識も一昔前(AKB全盛期の2009-2011年頃がピークか?)・・・外国人爆買いツアーの街を経て丸の内や神田と一体化してビジネス街に化けてる
お正月が1年で1番特別なイベントだった時代を子供の頃に経験できて良かった
漫画雑誌の付録付きの新年号、人気漫画特別編のある増刊号が楽しみだった。
昭和40年生まれです。自分が幼稚園児から小学三年生位までのお年玉の相場が自分の周りでは一人1000円でした。なかにはお年玉をもらいポチ袋を覗くと青い紙幣が見えて500円札が入ってる時もありました。近くに親戚は住んでなかったけど同じアパートのおっちゃん、おばちゃんや近所のお姉さん、アパートの裏に住んでるおばあちゃん達からお年玉をもらい一万円位になりました。ほとんどプラモや超合金のおもちゃに消えたけど今思えば昭和の風情と親の近所付き合いが良かったからだと思います。本当に良い時代でした。
一緒です。500円札懐かしい。今も1枚持ってます。私もプラモデルを買いに行ってました。何故か家族全員でおもちゃ屋に正月行ってました。
お節料理見てくれが好きになれなかったです。色移りとか、味移りしていて嫌いでした。最近は、本当に買わなくなったと思います。
@NEO-tj4iy 様、コメントありがとうございます。自分も500円札を一枚だけ持ってますよ😀
毎年、初詣に行く近くの神社の並びに模型店がありそこで買ってました。記憶にあるのはウルトラマンのジェットビートルやサンダーバード2号かなぁ😅
確かに子供の時おせちは嫌いで餅は大好きだから焼き餅や雑煮ばかり食べてました😅
でも、年を重ねて今思えばお年玉をもらいお節料理が出てお正月をすごさせてくれた親には感謝ですね……
あと数日でお正月ですね、良いお年をお迎えください。
あの500円札の全能感は今のガキには理解できないだろうな。今じゃワンコイン…
私も昭和40年生まれます。お年玉といえば1000円位が貰える金額でしたね。何人かにもらってやっと10000円位になったものです。自分の好きな物を買うのが楽しみな時代でした。懐かしいです。そして今年は巳年だから60才ですね。早いものですね。
@@池山聡子 様
返信ありがとうございます。
本当に早いもので還暦ですね。でも以外と幼稚園児や小学低学年の頃のお正月の事も覚えていて二年生の時お年玉を片手に近くの文房具店に雑誌の新年号を買いに行ったら芸能人のブロマイドや下敷きが売っていてお年玉があるから気が大きくなり当時のアイドル、アグネスチャンとフィンガー5のブロマイドと下敷きを買って帰ったら親に「無駄使いしたらアカン!」と正月早々ゲンコツをくらいこっぴどく怒られたのも懐かしい思い出です😅
現在は9人の孫と5人の甥と姪のお 年玉に苦労しています。😅
お互い体に気をつけて今年も楽しく過ごしていきましょう。😀
非日常感がなくなったのは同感ですね。クリスマスイブから大晦日、そして年が明け正月三が日くらいまでワクワク感が続いた…
ああ今は淋しいなあ😢
母の年末買い出しに着いてってお菓子とかご馳走買いに行くのが楽しみだったなー
今は元旦から店も開いてる…
働いてる人のご家族の事を思うと便利なのはいいけど
元旦に町中がシーーンとしてた頃がお正月らしくて良かったな
スマホもパソコンもなくて、プリントゴッコだって持ってなかったのに何十枚も年賀状を手書きしていた頃の方が豊かな時間が流れていた気がします😊
今は便利になったのになんだか忙しい😅
年賀状は手書きがマスト!ヨ!~印刷は味気ナイン!~ネ⚠️
フジカラーの『お正月を写そう』のCMに『良かった』と思っていた昔の正月の名残を感じます。
@@toriri-service 樹木希林さんと岸本加代子さんがやってたCMですね。懐かしいです。
三が日を過ぎると日々すごい勢いで正月が去っていく感覚がイヤだったなw
昭和時代、子供の頃はおじいちゃんの家で餅つきしてたのが懐かしいです!
また、餅つきしたいなぁ…
確かに正月は昭和の方が良かったと言える数少ないものの一つですね。年賀状だって当時は先生や友人達に一枚一枚書いていて楽しかったくらい。大晦日なんか徹夜イベントだったし、そのまま正装して初参りから親戚周りと楽しかったの一言。それが今やどんど焼きも除夜の鐘も中止という信じ難い有様に…。
僕的ニハ年賀状は手書きがイイ!~印刷は味気ナイ⁉️ヨ!~ネ⚠️
昔の正月三が日の別世界感はすごかった。開いてる店なんかどこにもなく、完全に社会活動が停止する3日間。そして4日になって社会が動き出すとお正月にもらったお年玉を握りしめつつ親に初売りのデパートのおもちゃ売り場に連れて行ってもらうのであったw
12:47 ボクは環七の近くに住んでいるので、非日常性はいまでも感じます。正月の3が日、環七はガラガラ。空も青くてきれい。「正月くらい、みんな、ゆっくり休んでよ」と思いますね。
ここ数年は『ニューイヤー駅伝』と『箱根駅伝』で 正月気分を味わっています。
元旦も営業していた近所のスーパーは コロナ禍以降 逆に三が日は休むようになりました。
私も福岡天神岩田屋や福岡三越の初売りの列に並ぶ時には箱根駅伝をインターネットラジオで聞いて開店を待ちます。
年末の12月31日に母親が台所で「おせち料理」を作るため動いていた。時に、母親の背中を見ながらリビングでは紅白歌合戦を見ていた時代が懐かしいです。紅白が終われば「行く年来る年」を見て除夜の鐘🔔🔔がゴーンとなって新年🎉がスタート。お年玉をもらった後、1月4日にジャスコに行き、おもちゃ屋でプラモデルを買う。小学校の頃はとにかく三日間のお休みが早く終わればいいのにと思い、店がオープンするのを心待ちにしていた。ちなみに買ったのは青島の合体プラモデル1つ500円で、4つのセットで2000円…懐かしいです
確かに自分が小学生の頃はクリスマスが終わると街や近所が正月に向けての装いになって、それこそ「あぁ~もういくつ寝るとお正月~」って感じがしたものですね。
これもある意味時代の変化と言う事ですかね😢
ここ最近は紅白が終わったあとの「ゆく年くる年」を観てる時間が一番年末年始を感じるかもしれません。我が家は祖母の誕生日が1月4日なこともあり家族が集まる習慣が残っていますが、それでも幼い頃に感じていた正月らしい空気感って最近は殆どないなぁと気付かされました。寂しいなぁ…
1月1日夕方までの何とも説明できない特別な感じがした外の空気が好きでした
今もだけど年末のスーパーでの買い物は本当に苦労する!便乗で値上がりするし普段買い求める商品も正月商品に追いやられ姿消すし、三ヶ日過ぎてようやく日常を取り戻した時は本当にほっとします、売れ残り値引きされたカニやら数の子買ってようやく自分なりの正月迎えられます
年末年始の特別感とか非日常感って本当になくなりましたね
ただ最近はニューイヤー駅伝や箱根駅伝見ながら何か食べたり酒飲んだりダラダラしてるのが、お正月の過ごし方で
それはそれで悪くない
合理化で何でも良くなる!などというのは幻想でしたね。実際今は幸せ感が無いんですから。元旦の朝起きるとお雑煮の香りがして、コタツの上におせち料理、TVも新年ですよ!っていう特別感満載の番組ばかり。
外に出てもほとんどのお店は休みだから、新聞といっしょに入ってくるたくさんのチラシを眺める。あっ、と思ってポストを見て年賀状を回収、これはお母さんに、コレはお父さん、あっこれはオレにだ、と選り分ける。
幸せな記憶がある分、我々はまだ良いのかも。
合理化で利益を出すのは、経営者だけ。大手企業の中間管理職に少し分け前。成果を出した、部下、下請けは、残業代が無くなり、リストラ。昔はシッカリ残業代が出た。
親戚なんてこの世で一番顔合わせたくない生き物だからな
むしろ今の方がいいわ
親戚は嫌い。
私は実家1人暮らしです。7年前に母が亡くなり、2月には父が亡くなり1人暮らしに。実家も私が相続しました。兄弟いないから相続人は私だけ。
父の家から私名義の家になりはじめての年末年始。
もちろん1人で過ごします。
正月明けにATMでお金を下ろすと三つ折りした跡がある新札が多く出てくる。おそらく「預かっておいてあげる」と子どもたちから没収されたお年玉と思われる……
特にゆうちょとか
正直に子供の通帳に預金している親御さん、子供がお年玉直接使った…のお金だったら良いのにね
松飾りと鏡餅、お節を用意して大晦日に年越しそばを食べ、年明けに初詣へ行き帰ってきたらお雑煮を食べるのはやってます。
婆ちゃんが10年ぐらい前に亡くなってから、どれもなりました。
お正月は、商店街のお店は休みが当たり前でした。最低でも三が日、長いところだと七草粥の日までは普通に休みでした。
今みたいにイオンとかの大型店舗やコンビニは無かった。有っても、私鉄沿線だとその系列の中規模スーパーがあるくらいだった。
我が家では正月にはブラウン管テレビの上に鏡餅を置いてたけど
初めて薄型テレビを買った年はどこに鏡餅を置くか悩んだなあ(`A`)
おせちが苦手なので貰ったお年玉1番目に買うのがレトルトカレーだった!「おせちに飽きたらカレーもね」ってキャンデーズCMもあった事ですしww
昭和の時代の凧揚げも和凧がほとんどで、新聞紙を細く切って凧の足にしていましたよ。
その後、ゲイラカイト等、欧米凧が増えて行きましたね(和凧より上げるのが簡単だったと言う事もあったのかも)
お正月は銀行では窓口の女性行員は振袖を着ていたな~、私が勤めていた会社も受け付けは振袖の女性社員を配置していましたけどね。
かつては兜町の大発会も振袖姿が多くみられましたね。
年金生活者です。小学校三・四年生の頃かな? 近所でも親戚の家でも臼を持ってる所があって餅をついては振る舞ってた。楽しかったよ。
人生も終わりに入った今でも良い思い出だ。 現在では考えられないねぇ。
さて、元々の里帰りと言うのは都会へ出稼ぎに行ってる者が帰省するという意味。
ベビブーム時の子供が就職時期に成った辺りからの言葉としてよく使われる。
其の彼らも出稼ぎ先で家庭を持ち居着いて久しい今、里帰りの意味も変わるよね。
其の必要性も含めて。
お年玉を貰ったから買い物したいのに、商店は休みだから何も買えないという異世界感。
それは同意出来んな
両親が亡くなってからは親戚で一堂に会する事も無くなり
コロナを契機に姉達が家に来る事も無くなり
盆を含めて年間通して平常運転ですねえ
まさに私のうちがそうですね😅すでに両親が他界し姉はコロナを機に実家である私の家にも足が遠のきました。2年位連絡を取ってなく疎遠になりました😢
そうですね。しかし今度は自分達がその両親の立場になり子供たちが孫を連れて帰ってくるのさ。
自分もそうだけどそれだけ歳をとったのだろうなと思ってる。
人生で親と一緒の時間は実は少ない。会える内に後悔しないように。
祖父母が亡くなって、正月に親戚が集まらなくなった。
これあるあるだよな 没落のきっかけになりやすい
遺産相続で揉めた日にゃね
父母が死んだら全く正月どころか会わない。兄二人、全く悪妻をもらったものだ。侵略者裕子4寝や!呪ってやる。
昭和生まれには日本のお正月の思い出があってよかった
今の若い子は何もなくて可哀そう
別に正月の思い出なんていらないし、って言われそう(汗)
特殊な例ですが、箱根駅伝のコース横に実家がある友人は子供の頃から今でも特別な時期らしい
おせち、栗きんとんしか食べなかったような……🌰😅
年賀状はお年玉付きはがきの当せん番号を照合する作業が楽しみだった🎯🥰
@@kamimiso9 さん
我が家は3兄弟でしたがお節のお菓子を食べてました😅
あの当時はお正月に「芸能人隠し芸大会」を見るのが楽しみの一つでした。
欽ちゃんの仮装大賞
新春特番❗オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦‼️
マチャアキは今年何をやるのかと毎年ワクワクでした
あの頃は芸能人の特番がてんこ盛りだったなあ。生き残ってるのはフジの爆笑ヒットパレードぐらいか。
大相撲プロ野球対抗歌合戦なんてのも
去年辺りから年賀状も届かなくなり正月っていう独特の雰囲気が年々無くなってきているように感じますね。自分も大晦日と正月は普通に仕事ですし。
うちの地方の広い広場ではゲイラカイトを釣竿で揚げてる光景が見られますよ。
ゲイラカイトは上に揚がるし、リールには糸が200mくらい巻かってるので。
飛べ~飛べ~て~んまで飛べ~フ~ってCMソングを思い出します😂
実家は貧乏だったらクリスマスプレゼントで欲しかった物をお年玉で買う感じだった
50過ぎだけど高校の時スーパーでバイトしてたから
大晦日15時まで働いて年明け4日からバイトだった
大晦日午後から掃除で社員もバイトもパート全員で大掃除
子供の頃は年末年始は特別感有ったけど大人になって帰省しなくなったら年末年始もただの365日の1日になったねぇ
地元の商店街も大晦日までは買い物客でごった返して、活気に溢れていたのに、翌日の元日から3ケ日までは商店街は街灯も消えて、誰もいなくて。
真っ暗で1年の中でこの3日間がやけに別世界で子供の頃は好きだった思い出。
ちびまる子ちゃんでも前田さんが大晦日におばあちゃんからお年玉を前借りして爆買いする話があったな。本人曰く「お正月はどこも閉まってて買えないから」
実際、5日くらいお店やってなくて
大晦日までに、食料品、買いだめしていた。前田さんは、わがままだなぁ
@mrksyskhrk
大晦日にお年玉を前借りし爆買いしたことを前田さんは「うらやましいだろ」とまる子に自慢するも、まる子がうらやましがらなかったうえ、まる子から「バカなんだよ」って言われて逆ギレ・大泣きしたんだよね(そのせいでまる子は小麦粉を買い忘れ、母に叱られた)。
正月の遊びで言えば凧上げ、コマ、負けたら顔に墨を塗られる事も有る羽根突き、かるた、すごろく、福笑いとかかな。今やってる子供はかなり少ないでしょうね…
自分は50代ですが、子供のころにはもうそういう正月遊びは廃れてましたね。ゲームウォッチをクリスマスプレゼントに買ってもらったのは小学校3年生ぐらいだったか。
7年前は昭和パターンの正月でしたが。
7年前に母が突然死。生活が一変。3人世帯から父と2人世帯に。母の料理が食べられないし、私も料理ができない…
でもそばつゆを7時間かけて作る伝統は私が引き継ぎ2代目に。
さらに2月には簡単料理ができるからと、頼ってきた父も亡くなり、実家1人暮らしに。昨年12月20日に父は施設入所しているため、1人正月は2年目です。
私はなんにもできません。さみしいから31日と2 日の昼間彼を呼ぶ。3 日は彼と札幌に行く。札幌といっても電車で1時間です。
両親と暮らしていたときは、2日に家族で車で札幌行ってました。今はJRで彼と2人で行きます。
頼むから正月のテレビぐらい面白くなってくれ
スマホばっか見るのはもう嫌だ
高校生の時は毎年年賀状配達のバイトしてた
時給550円だった
自分のころは850円ぐらいだったかな。郵便局の近所のファミレスのランチとほとんど同じ金額だったから、昼休みに時給1時間分のつもりでファミレスのランチを食べるのが楽しみだった。食べ終わったら午後の配達。
年末年始も仕事。休みは気分が抜けてから。味気無いなあ。
昭和時代の漫画雑誌。12月に発売されるのは正月特別号なので特別付録が多かったな。今は廃刊や休刊になってる。
マジ集英社飽きたカラ講談社でボンボンNEOかボンNEO創刊デサブカル界を多様性の混沌CHAOSに戻って欲しい!~ネ⚠️小学館に外国産の漫画アニメ台頭してシンギュラリティー起っても自業自得!~ネ⚠️
正月映画の「男はつらいよ」は毎年劇場に見に行きましたよ。懐かしい。
私が住んでいるところのスーパーやクルマ屋は年末から初売りのチラシが入りセールをしています😊 従業員が可哀想…😢
正月用の餅つくために集まって大量の餅ついたりしてたわ
でっかいせいろで米蒸すからね
元旦は、新春スターかくし芸大会を見ていたなぁ
芸能人も番組も真剣に取り組んでいたし本当のスターがいた良い時代だった。
個人の多様性を求めながら孤独の寂しさを感じる、
舌が肥えた分だけ口さみしい、
というのは皮肉か。
働き方改革の影響なのか、自分の近くのお店は数年前から元旦はお休みのところが多くなりましたね😅
小学生の頃は、お正月になるとすぐ近くに通っていた小学校のグラウンドに出向いて凧上げした😊
今や小学校の校庭には一般人は入れない😢
馬鹿な児童殺害者犯罪者のせいだ!😠
母校の思い出に昔の遊具の写真すら撮りに行けない😢
昭和32年生まれ 暮れは母がきんとん羊羮なますなど、おせち料理を手作りで大忙し お正月は父が作ってくれた凧をあげた 車も皆お飾りを着けていた
サービス業だと今は正月も平日扱いだよなぁ……
お正月は親戚が遊びに来た。お年玉貰ったり、テレビゲーム•ファミスタしたり‥まあまあ楽しかったなぁ~。お節で一番好きだったのは、かずの子。
元日朝からヤマザキ新春スポーツスペシャル全日本実業団駅伝、2日から3日のサッポロビール新春スポーツスペシャル東京箱根間大学対抗往復駅伝競走選手権大会、通称箱根駅伝。
総合優勝争いとベスト10入りしないと地獄の予選会落ちとなるシード権争いがドキドキする。
ソレヨリイズレ大河ドラマ総集編元日ヤルノがイイ!~昼カラ夕方🌇マデユックリヤレ!~ヨドウ家🏠倍速だったカラリベンジのマツジュンの慶喜は江戸幕府の終焉と明治の半生で慶喜コウキマトメルまでヤレ!~ヨ!
大分県民は年末にオードブル食べて年始はオードブルの残り物に雑煮
お節に一万円以上かける位なら唐揚げやハムや手羽先やらがドッサリ載ったオードブル3000円を3皿買った方がマシに思えます😅
正月の朝食はおせち料理とお雑煮です。
これは日本人として守っていきたい。
でも昼からはマクドナルドのハンバーガー食べてますね。
お正月の特別感、これからも味わいたいし、大事にしたいですね。
この為に1年頑張ってる様なものなので
家族全員集まって明けましておめでとうの後、お年玉をもらい、ばあちゃんと母親が作ったおせちや雑煮ををいただく。じいちゃんと父親は朝から酒を飲み1日まったり。あぁ~うちの親ももう年老いてるし、じいちゃんとばあちゃんと過ごしたお正月が1番の思い出やわ😢
テレビのCMが正月使用で気持ちが盛り上がった、今テレビもみないな。
静岡県民、適当に家の近くで撮った富士山を年賀状にして送ってた、割と喜ばれた
私も静岡で、当たり前のように
富士山みていたけど、県外の人は
富士山🗻喜ぶよね
マジ来年の令和7作目のライダー次ノ干支🐴ナラ絵馬でヤルネ!~?
祖母が生きていた時には色々と行事をやってましたけど亡くなってからはほとんどやらなくなりましたね…
それも時代かしらねぇ…
一番は大人の行動が変わったからだろうけど子供たちも正月に特別に何かしたい、ってのがなくなったんだろうな。それには小学館や学研の学年雑誌がなくなったのも大きいと思う。
正月に凧揚げしたり書き初め、福笑いしたりってのは親からより、学年雑誌で初めて教えられる情報が多かった。近所の子供たちも皆同じものを読んでたから、自然と皆で集まってやってみようってことで共通体験が生まれていた気がする。
三が日はお店が休みだったので街が静かで良かった。今じゃ元日から渋滞で外出もイヤになる。コンビニの元旦営業ってエコノミックアニマルジャパンの極みじゃん!
年が変わっても12月31日の次が1月1日という漠然とした空しさ。
実際にカレンダーが変わるだけですしね。最近はスマホがあるから、カレンダーも
見なくなってます。
三が日はどこのお店も休みだった。「ジャムパンが食べたい」とわがまま言って、叱られたのは笑える想い出。今は朝昼はおせち、夜は焼き肉へ…どちらも楽しいお正月。
私が子供の頃は、祖父母家で年末に餅つきをして親戚家に配ってました。年明けには祖父母家に泊まりに行きお年玉貰ったのは良き思い出。
酒も飲まないのもあってお節料理苦手でした😅
実家は三が日はお雑煮&お節料理だったから4日目からの夕食の唐揚げが待ち遠しかった
大人になるとお年玉やる側に回るのだが
収入に余裕すら無い大人が増えて小さい親戚に会う事が辛い
お年玉の代価どうすべきか考えたくない
昔は、2日に、親戚の叔父の家に行って、叔母、伯父、いとこたちと、過ごしてましたね。懐かしいなぁ~😆
今よりも1つ1つのイベントを楽しんだ様な気がする。
今年もあと数日で終わり又一つ歳をとるけど「イイ年を迎えられます様に!!」と願う。
お正月が特別な物だった
昭和の時代って素晴らしい
46年生まれですが、
小学5年生までは正月は
親戚とかは居ないので母方の
祖父母の家に遊びに行って
お年玉を沢山貰ってました
自営業をやっていたので
従業員さんとか近所の方とか
近所のお店の方とかにも
貰えたので祖父母とおじさん
以外からも貰えたから
相当な金額になってました
1番貰えた時で小3で20万にも
なっていて母ちゃん銀行に
預けさせられて行方不明に
なるとこだったんだけど、
父が銀行員だったので
私名義の通帳とカードを作成
してくれて、ミッフィー柄の
通帳とカード作ってくれて
そこに貰ったお年玉全額
入れてくれて自分でATMで
引き出しお預け入れを
教えて貰いやっていました
無くなったら終了って
言うのも教えて貰いました
1つ大人の階段を登った
気分を味わっていました🤣
そんなお正月も昨今無くなり
ぼっち正月で適当にネットで
おせち注文して、お寿司も
好きなの予約して来て食べる
三が日の最終日に家族が
集まって料理をたべる
コレが😂メールで年賀状を
終わらせていたんだけど
今LINEすらもやらないのか😅
以前金欠だった時姪っ子どもにあげるお年玉がなくて・・
なけなしのお金で代わりにスクラッチの宝くじを買って渡したことがあった
意外と現ナマを渡した時より盛り上がってたなww
結果、お姉ちゃんだけがスカで正月そうそう大泣きしてたが・・
クリスマスからお正月までの空気感が大好きです😊。
来客が盛んだった地方の正月は最悪だった💦😰正直、面倒だし準備する方は大変だった…。しかもお節料理が材料が高い‼️正月感が薄れた今の方が良い‼️
日本の伝統文化を振興しようと、年賀状を作成しようとしているところです。
もちろん正月はしめ縄も飾るし、国旗も掲揚しますw
これから移民が爆増するので、少しでも日本文化が消し去られないようにね。
羽子板、凧揚げ、コマ回し・・・遊ぶ子供もめっきり減って寂しいのう😔
お金が結構かかる割にすごく美味しいわけもなく
独り者なんか面倒で作らないし、主婦を休ませるなら
それこそ出来合いを旦那が作る流れになってきた。
私はお雑煮だけは作ります、酒飲めないので後は普通の食事
あと20年もすれば、お正月文化が無くなりそう。
今は多様化しているから、それぞれ
お正月を楽しめたら良いと思う😊
元日の夜のテレビ
新春かくし芸大会以外の各局はほぼレギュラー編成だったような
ザ·ピーナッツの名古屋は西軍なんだというのはよく覚えてる
最近、年賀状&暑中見舞いは復活して出すようにしてる。枚数が少ないのが理由だけど、もちろん手書きで。
昔はコンビニが無かったからねえ。
お年玉が減ったは各家庭によると思う
渡す人の各自に額は任せるという感じで小学生時代は下は300で上は10000貰えた
今は各家庭の均衡を保つために年齢によって値段を決めていたからポチ袋を開ける前に金額が分かって楽しみが減ったらしい
正月の3が日、スーパーやデパートは営業したほうがいいのかどうか、いまだによくわからない。最近は休業するデパートが増えているんでしょ? 3が日に買い物したい人にとっては営業してくれたほうが嬉しいのだろうが、そのために休日出勤する社員がいるのは事実。企業側には「3が日にお年玉を使ってほしい」という思惑があるだろうが、客側は休業してくれたほうが、家でのんびり過ごす時間が増える。昭和の慣習、風習が間違っているとは、断定できないよね。
昭和のあの頃は今と
比べて子供👦の数が
違うし平均寿命も違う
ただしエネルギー量
(活気)があっていい
思い出が蘇る😊。
親が介護職で1月1日は大抵仕事だったから、子どもの頃から1月1日に初詣とかしたことないし、正月らしいこと何一つしたことないな。今日は正月かという感覚にもならないな。
20代の頃商業施設に勤務してました、80年代てしたが正月は4日から初売りで、入口で鏡割りして振る舞い酒をやりました、店員まで一杯やって赤い顔して仕事してましたね、女性は晴れ着や着物姿でお客様を迎えていました、もうそんな事もなくなりましたね
おせちは食べるけどここ数年「紅白かまぼこ」「伊達巻き」「数の子」オンリーです 3種類とも大好物だから良いんだけどさ😢
お正月飾りはほとんど見ませんね
。おせち料理もなくなって来ました。時代の変化を感じます。
ただのおっさんの独り言ですが、若い人たちには面倒くさがらずに故郷に帰省してあげてほしい
たまにで良いから
親兄弟、かつての同級生
案外長生きしないよ
顔を見せてあげて
お節料理はな、正月休みたけりゃ年末3倍働け(屮 oДº)屮
ってことだ
と、動物のお医者さんで言ってました🤣
🚕のバイトをしてた頃、🎍勤務は、🚕が少ないせいか、意外に稼げた😂
絵文字の使い方から察するに70代ぐらいの方だろうか。昔は車が少なかったですもんね。
お母さん銀行にちゃんと貯金して貰える人は勝ち組。大抵は親戚の子供にあげるお年玉は、お母さん銀行から出る。そうやってお年玉は廻るのだトホホ・・・(-.-)
お正月に母の実家に行った時に味わった料理が、今から考えると料亭レベル。
親の兄弟姉妹が多かったから、年の離れた従兄弟従姉妹も数多く、親類の関係性を理解が追いつかないこともあったけど、2泊ぐらい過ごして豊かな時間を過ごしていた。
どの車にも正月飾りは必ずしていたし、餅つきも普通にしていた。
TVでは紅白歌合戦からの正月番組は絶対に時代劇と箱根駅伝。
芸能人の隠し芸ときまっていた。
お年玉は500円札でも凄く嬉しかった。小学生で1000円、中学生で3000円くらいで全部どうやって使ったのかは覚えていない😅
いまはお年玉をあげなくてもいいように実家に顔をだしません😅
昔は正月って独特の雰囲気があってまさにもういくつ寝るとお正月だった。今はそういえば正月になったぐらい程度にしか感じなくなった。特別感はもうないね
昭和から平成初期は荒川土手の正月は凧揚げで混雑。凧の糸が絡んで喧嘩した人もいたっけ。羽子板をやっている人も見なくなった。書初めももうしている人もいないかな。
レコードは元旦発売が意外と多かった。アリスとかアバのアルバムはお年玉を目当てにしてか元旦発売。お年玉を握りしめてレコードを買いに行った。
そう言えば、仕事始めの銀行の窓口のお姉さんは振袖だった。今は店舗の統廃合も進んでそんなこともなくなったのかな。普通の家でもちょっと大きな家では門松を飾っていたが
今では銀行や大きな会社ぐらいか。いつもあの門松はどこに保管しているのかが疑問だったがその疑問は解決されないままだ。
ご祝儀相場なんてのもそろそろ死語になりそうだ。初セリのマグロのご祝儀相場が話題になるが、いつまで続くやら。年を越すことが一つの大きな山場だった考えがもう無くなってきたのは悲しいかな。
大晦日と元日もズームイン朝を放送していた(今のZIPの前番組)。大晦日は年末の人がごった返ししているところを放送、元日は全国の局からのお年玉とか言って、いろいろプレゼントしていた。それで、2日・3日は何か再放送していた(箱根駅伝中継は平成以降)。
@@小林誠-u6h 日テレでの駅伝中継の開始は'87年だからギリ昭和ですね。
今は一周回って働き方改革で、デパートでもお正月は休むところも増えてますね
おせちは今スーパーでバラバラで買えるから好きなものだけ買ってる😂
社会人になってから親戚の集まりに行くと結婚は?子供は?って聞かれるからな😅
一番変わったと思ってるのが年末年始のテレビ誌
2000年代序盤の正月テレビ誌は分厚くてテレ欄以外にも芸能情報が事細かく書かれてた・・・しかも350円くらいで雑誌ながら買い得感があった。
いまでは内容も殆どテレ欄しかないような薄っぺらい代物で600円超えてる
それと「アキバはオタク街」という常識も一昔前(AKB全盛期の2009-2011年頃がピークか?)・・・外国人爆買いツアーの街を経て丸の内や神田と一体化してビジネス街に化けてる