【心霊】人里離れた場所に空くその穴は、先の戦争の折に造られた防空壕だったの違いない! 怪顧録

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  • Опубліковано 2 лют 2025
  • 煉瓦でしっかりと固められた内部は、奥でで右に折れているようだった。
    あれほど鳴り響いていた雷鳴は、その内に音の傾向が変わり始め……
    #ファンキー中村 #心霊スポット #事故物件
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КОМЕНТАРІ • 15

  • @五月野山
    @五月野山 7 днів тому +6

    私の亡き母は東京都文京区音羽で産まれましたが
    娘時代に東京大空襲で家屋敷を焼かれ住む場所を失いました。
    空襲警報が鳴ると辺りは火の海となり
    防空壕まで逃げる間、降り注ぐ火の粉は払っても払っても
    払いきれなかったそうです。
    中村さん達が入った穴は防空壕だったのでしょうね。
    その場所に中村さんがいたからこそ中村さんの影響で
    当時の空襲の恐ろしい爆撃音や地響き・せん光などを
    経験させられたのではないかと思います。
    きっと その場に留まっている悲しみや恐怖が
    中村さんに何かを伝えたかったのかもしれませんね。

  • @内山千詔
    @内山千詔 7 днів тому +8

    爆音はきっと空襲の音だったのでしょう。太平洋側は漏れなく、特に軍需産業のあった都市は酷くやられたようでしたので。私の生まれた浜松も艦砲射撃から艦載機の空襲まで滅茶苦茶にやられ、親父は当時国鉄に務めていましたが天竜川の鉄橋付近でマスタングに追いかけられたと言っていました。その穴も防空壕かレンガ積みということなので分工場とか倉庫代わりだったのかもしれず、たぶん場の記憶だったのかもしれませんね。

  • @ボビー-w8n
    @ボビー-w8n 7 днів тому +6

    ファンキーさん、こんばんは😊
    辻堂でのエピソードは ちょっとヤンチャな中村少年と その仲間たちが登場人物で まるでスティーブン•キング原作の映画「スタンバイミー」みたいで凄くワクワクして面白いです👍🏼⤴️
    自分の地元•南房総も 防空壕だらけで 子供の頃には秘密基地として活躍しました🤫😅
    きっと、その場所が 空襲の記憶を留めていたんでしょうね😢
    また、その当時のお話を聴きたいです🙆🏻‍♂️
    有難う御座いました🙏

  • @lesessaisjazzrock62
    @lesessaisjazzrock62 7 днів тому +4

    本日も配信有難うございます!
    ファンキーさんの体験談によく出てくる「土地の記憶」の話。その話は戦争に絡むものが多いような気がします。「土地」にとっても戦争は忘れがたい経験なのかもしれませんね・・・。

  • @miyuki0927
    @miyuki0927 7 днів тому +5

    ちょっと変わったちょいワルの中村少年の話が大好き😆💕です。

  • @duralex872
    @duralex872 7 днів тому +3

    防空壕の場の記憶ってやつなんでしょうかね…
    辻堂の中村少年記は大好きです!
    また「毛玉」聞きたくなりましたw

  • @mongo5116
    @mongo5116 7 днів тому +2

    怪顧録第194弾、ありがとうございます🙇‍♂️
    辻堂や藤沢も湘爆の聖地の一つですね😂ファンキーさんの時代は一番元気だった時代ですもね。
    もう今は聞くことはありませんが、昔の神奈川の人って、「あそこ」を「あっこ」って言いますよね😂懐かしいです。
    今回はやはり戦争はダメだということを再度認識したお話しでした。
    場の記憶なのでしょうか。お話しを聞くとその一帯も火の粉が激しく飛び散るほどの酷い爆撃を受けたんでしょうね😢
    ちなみに僕は雷が大好きです😍雷鳴が聞こえたらワクワクしちゃいますが、爆撃を経験した時、果たして雷が大好きと言えるか…考えさせられます。

  • @erika-vu3qz
    @erika-vu3qz 6 днів тому +1

    他の方も書いていらっしゃいましたが、私も悲しい…とても悲しい『場の記憶』だと思いました😢
    言葉では伝えられない、土地に宿る思い…。
    そういう形で、何とかファンキーさん達に感じ取ってもらいたかったんじゃないか…。
    そう思うと、本当に切なくなります😢

  • @いかすみたらこ
    @いかすみたらこ 7 днів тому +2

    なんとも不思議な話ですね~。その時一緒に体験した人見つかるといいですね。😊

  • @rival-arrival
    @rival-arrival 7 днів тому +1

    いつもありがとうございます。
    雷…じゃなくて、髪が降ってきた方が怪談っぽいのかもしれませんw
    防空壕なら空襲の音だったのかもしれませんね。
    雨と雷に触発された場の記憶とか、もしかしたら、最初の雨も見せられたものなのかもしれませんね🤔

  • @ちゃぺ-g1j
    @ちゃぺ-g1j 7 днів тому +1

    毎度ありがとうございます🙇辻堂時代のお話もっと聞きたいです👍

  • @リーのみイチサン
    @リーのみイチサン 7 днів тому +1

    僕は1964年生まれで物心ついた時は戦後30年とか戦争を知らない子供達って曲も過去のものとなりつつありました。
    子供心に30年は気の遠くなるような時間に感じていました。
    還暦を迎えた今、過去経験したイベントの20年前も30年前もほぼほぼ区別がつかず、どちらもついこの前の事のように思い出される事に気付き、あんなに果てしなく遠くて深い狭間に感じられた戦後30年って概念が実は連続した時空間の中の僅かな誤差に過ぎないように思えて来た事は果たして自分自身の進化によるものか老化によるものか判別付かずにおります。

  • @358lucifer
    @358lucifer 7 днів тому +1

    ありがとうございます🙏

  • @mayazakura_3939
    @mayazakura_3939 7 днів тому +3

    雷鳴音が自然的に鳴り止むどころか轟音を発し続けている状況を想像したらメッチャ怖い⚡そしてこの不可思議体験をファンキーさんと共有してしまったw方々の感想及びフィードバックもメッチャ聞いてみたい👻

  • @tunetune1192
    @tunetune1192 7 днів тому +1

    遠野八幡宮ではなく遠野宮守白石稲荷神社の稲荷穴ですかね
    鍾乳洞だったと思いますが、金精様は別場所だったと思います
    でも社長、こんな方まで行かれたんですか
    辻堂も今、ここ出身の有名人によりちょっとした流れ弾に当たってますね