Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
こういう動画に気付いて、「光る君へ」を一層楽しめそう。
いつも、深い解説、に目から鱗でしたが、今回の読みの深さにメチャクチャ感動しました。月の話の後、二人の視線が交わり、道長がまひろを抱きしめるのかとみえた瞬間に、「帰らねば」と、道長と帰ってしまいました。ここでどうして抱きしめなかったのか?不思議でした。自分ではまとまらなかったこの場面の道長の深層心理をこんなにも明瞭に感じた以上に解説くださって、スッキリしました。本当に有難うございました。今回時々、道長の依頼に対して、からかうような、肩透かしをするようなまひろの返答が、強気な感じがしました。仕事を交渉する立場、作家として道長に対しているからなのでしょうか?気になったまひろの受け答えでした。
素晴らしい解説ですね、今週何度も見返してしまった月の下での二人のやり取りシーン、、、、やっと腹に落ちたというか理解できました‼︎大変深い読み解きで最も感服した解説動画でした。スッキリさせて下さり有り難うございました😂
私が見ただけではわからなかったことがわかり光る君へがより面白くなりました😢ありがとうございます
なるほどー🧐長い月のシーンと天から降る詩や巻紙のシーンが、そういう事なんだ✨と解りました。最近になってこのUA-camを知り..脚本の視点から没入して観れます。ありがとうございます。
基本的に道長は、女性に対して鈍感な人だと考えています。まひろと心がすれ違いながらも求めあってきた二人の姿が象徴してます。でも鈍感な道長でも「この女は他の女とは決定的にちがうものがある」ことには、薄っすら気がついていたはず。オセロの駒が見事にひっくり返える寸前の姿を目の当たりにして、彼は彼女との関係が違うレベルに変わった、と察したのでしょうね。このシーンは見ようによっては、直秀の回顧もありロマンチックなシーンなのでしょう。が、隠された見えにくい演出を提示された視点に感服しました。
テレビもスマホもない時代、夜見るものといったら「月」のみ。夏は「蛍」もあったか。灯りで「本」を読んだ人もいたのかもしれないが、実際は少なかっただろう。夜二人で逢う、となれば「月」がない限り、お互いの顔も見えなかった。だから大抵の場合、お互いの顔を見るため、「月」を見上げる、のだろう。だが、まひろは「月から誰かが見ているかも」と言う。現代なら「SF」で終わるが、当時の人は道長も含めて否定できまい。そこに「作家への変身」が表されている、ということだが、もう少し踏み込むと、自分も月のようにいろいろな人の上から、その「影」を照らしたい(つまり書きたい)、そんなことができないかしら、と言っているようにも感じられた。
こういう動画に気付いて、「光る君へ」を一層楽しめそう。
いつも、深い解説、に目から鱗でしたが、今回の読みの深さにメチャクチャ感動しました。
月の話の後、二人の視線が交わり、道長がまひろを抱きしめるのかとみえた瞬間に、「帰らねば」と、道長と帰ってしまいました。ここでどうして抱きしめなかったのか?不思議でした。自分ではまとまらなかったこの場面の道長の深層心理をこんなにも明瞭に感じた以上に解説くださって、スッキリしました。本当に有難うございました。
今回時々、道長の依頼に対して、からかうような、肩透かしをするようなまひろの返答が、強気な感じがしました。仕事を交渉する立場、作家として道長に対しているからなのでしょうか?気になったまひろの受け答えでした。
素晴らしい解説ですね、
今週何度も見返してしまった月の下での二人のやり取りシーン、、、、やっと腹に落ちたというか理解できました‼︎
大変深い読み解きで最も感服した解説動画でした。スッキリさせて下さり有り難うございました😂
私が見ただけではわからなかったことがわかり
光る君へがより面白くなりました😢ありがとうございます
なるほどー🧐
長い月のシーンと天から降る詩や巻紙のシーンが、そういう事なんだ✨と解りました。
最近になってこのUA-camを知り..脚本の視点から没入して観れます。ありがとうございます。
基本的に道長は、女性に対して鈍感な人だと考えています。まひろと心がすれ違いながらも求めあってきた二人の姿が象徴してます。でも鈍感な道長でも「この女は他の女とは決定的にちがうものがある」ことには、薄っすら気がついていたはず。オセロの駒が見事にひっくり返える寸前の姿を目の当たりにして、彼は彼女との関係が違うレベルに変わった、と察したのでしょうね。
このシーンは見ようによっては、直秀の回顧もありロマンチックなシーンなのでしょう。が、隠された見えにくい演出を提示された視点に感服しました。
テレビもスマホもない時代、夜見るものといったら「月」のみ。夏は「蛍」もあったか。灯りで「本」を読んだ人もいたのかもしれないが、実際は少なかっただろう。
夜二人で逢う、となれば「月」がない限り、お互いの顔も見えなかった。だから大抵の場合、お互いの顔を見るため、「月」を見上げる、のだろう。
だが、まひろは「月から誰かが見ているかも」と言う。現代なら「SF」で終わるが、当時の人は道長も含めて否定できまい。そこに「作家への変身」が表されている、ということだが、もう少し踏み込むと、自分も月のようにいろいろな人の上から、その「影」を照らしたい(つまり書きたい)、そんなことができないかしら、と言っているようにも感じられた。