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2:05 これは、準急・河内長野行ではなく、準急・泉北光明池行ですね。方向幕がそうなっています。
確かにそうですね、字幕の編集ミスかもしれません。ご指摘ありがとうございます。
3:33〜私が幼少の頃の住吉東は急行が停車して、汐見橋線の始発駅で貨車やそれを牽引する凸型の電気機関車が停まっていたりでしたが、今はかつての面影もありませんね(W)
今思うともう少しジックリ回ればよかったですね。
『急行きのくに』は、南海本線内は『特急』扱いの運行でしたね。
泉北高速鉄道所有の100系は泉北高速鉄道線内の各停、直通の準急(当時はなんば~光明池間)のほか南海高野線の区間急行(なんば~河内長野・三日市町間)や各停(なんば~北野田・金剛・千代田・河内長野・三日市町間)で見ることが出来ましたが1989年9月のダイヤ改正からは中百舌鳥以南の入線は千代田工場での定期検査入場を除きなくなり、なんば~中百舌鳥間と泉北高速鉄道線内での運用に留まりましたが1995年から2000年にかけて後継の7000系に置き換えられて廃車となり現存しない。何しろ最初廃車となった4両(←中百舌鳥101+501+502+102)は和泉中央開業を前に5000系に置き換えられるという事態となった。by酒向正也
準急三日市町は深夜23時40分にあります。現在の平日
ご苦労様です。あぶさんは南海でしたね・・・
私はドカベン止まりでしたので、その辺はちょっと。
ドカベンと同じ水島新司さん原作の漫画ですね。by酒向正也
6000系はエアコン無い時代が懐かしい。何となく頭が寂しいですねw南紀直通見てはいたけど乗れずじまい。乗りたかったです。
なんば駅に響くエンジン音も、聞いてみたかったですね。
私も結局は乗れず仕舞いでしたが、和歌山駅前の病院へ見舞いの途中によく、南海きのくにと旧国鉄きのくにとの『併結作業』の様子を『金網越し』に見てました。いま考えると、本当に贅沢な眺めを堪能していたんだなあと、胸が熱くなります。
21001系は大井川鐵道に売却されたりして有名だけど本線沿線育ちの私には同じ湘南顔で同じ塗装の1000系がかっこいい存在だった。四国号にも通常の急行にも使われていたがクロスシートでよそ行き感が強かった。
実は1000系を撮らなかったことを、ずっと後悔していました。
朝の岸和田発難波行き準急でも使われてました。急行とまらない駅に1000系が停まってましたね
V5券売機懐かしいですマイチケット コンパスカード スルッとKANSAIの前に切符をかーどにキープしたか状態 1000円とか買ったあと引き換えしなければならないです
大阪球場の横を通過したことが懐かしいでしょう。
準急北野田発なんば行きがありました!
○丸い行先板(両方の駅名表記、急の一文字)が南海らしいです。南海本線の電車は緑色が似合いますね。
浜寺公園駅、この頃は設計者がはっきりしなくてただの古い趣きのある駅扱いで、大した保修もされずにところどころペンキも剥がれてくすんだ白い壁と褪せた赤い屋根だった時代かな。それ相応に大切にはされていたがなんとも南海らしい古いけどボロじゃない大切にこき使われている感があって好きだったな。
20000系は1日2往復が限度で冬季は定期検査のために運休されていたのは皮肉のことでした。何しろ全車座席指定で繁忙期には売り切れ満席が出るほどの盛況ぶりで高嶺の花と呼ばれていました。by酒向正也
正に虎の子だったんですね。
それに冬季以外でも車両検査の場合は代行として21000系の扉間クロスシート車両(21001fまたは21003fの何れか)が20000系の穴埋めとして使用されていました。by酒向正也
いわば南海にとって高嶺の花と呼ばれたのは南紀直通キハ55系「きのくに」と20000系「こうや」だった。by酒向正也
南紀直通「きのくに」に使用されていたキハ55系は南海本線では特急と同じ停車駅だった(途中、新今宮・堺・岸和田・和歌山市に停車)。南海に於いては20000系「こうや」と同じ高嶺の花だった。by酒向正也
2:05 これは、準急・河内長野行ではなく、準急・泉北光明池行ですね。方向幕がそうなっています。
確かにそうですね、字幕の編集ミスかもしれません。ご指摘ありがとうございます。
3:33〜私が幼少の頃の住吉東は急行が停車して、汐見橋線の始発駅で貨車やそれを牽引する凸型の電気機関車が停まっていたりでしたが、今はかつての面影もありませんね(W)
今思うともう少しジックリ回ればよかったですね。
『急行きのくに』は、南海本線内は『特急』扱いの運行でしたね。
泉北高速鉄道所有の100系は泉北高速鉄道線内の各停、直通の準急(当時はなんば~光明池間)のほか南海高野線の区間急行(なんば~河内長野・三日市町間)や各停(なんば~北野田・金剛・千代田・河内長野・三日市町間)で見ることが出来ましたが1989年9月のダイヤ改正からは中百舌鳥以南の入線は千代田工場での定期検査入場を除きなくなり、なんば~中百舌鳥間と泉北高速鉄道線内での運用に留まりましたが1995年から2000年にかけて後継の7000系に置き換えられて廃車となり現存しない。何しろ最初廃車となった4両(←中百舌鳥101+501+502+102)は和泉中央開業を前に5000系に置き換えられるという事態となった。by酒向正也
準急三日市町は深夜23時40分にあります。現在の平日
ご苦労様です。あぶさんは南海でしたね・・・
私はドカベン止まりでしたので、その辺はちょっと。
ドカベンと同じ水島新司さん原作の漫画ですね。by酒向正也
6000系はエアコン無い時代が懐かしい。何となく頭が寂しいですねw
南紀直通見てはいたけど乗れずじまい。乗りたかったです。
なんば駅に響くエンジン音も、聞いてみたかったですね。
私も結局は乗れず仕舞いでしたが、和歌山駅前の病院へ見舞いの途中によく、南海きのくにと旧国鉄きのくにとの『併結作業』の様子を『金網越し』に見てました。いま考えると、本当に贅沢な眺めを堪能していたんだなあと、胸が熱くなります。
21001系は大井川鐵道に売却されたりして有名だけど本線沿線育ちの私には同じ湘南顔で同じ塗装の1000系がかっこいい存在だった。四国号にも通常の急行にも使われていたがクロスシートでよそ行き感が強かった。
実は1000系を撮らなかったことを、ずっと後悔していました。
朝の岸和田発難波行き準急でも使われてました。急行とまらない駅に1000系が停まってましたね
V5券売機懐かしいです
マイチケット コンパスカード スルッとKANSAIの前に切符をかーどにキープしたか状態 1000円とか買ったあと引き換えしなければならないです
大阪球場の横を通過したことが懐かしいでしょう。
準急北野田発なんば行きがありました!
○丸い行先板(両方の駅名表記、急の一文字)が南海らしいです。
南海本線の電車は緑色が似合いますね。
浜寺公園駅、この頃は設計者がはっきりしなくてただの古い趣きのある駅扱いで、大した保修もされずにところどころペンキも剥がれてくすんだ白い壁と褪せた赤い屋根だった時代かな。
それ相応に大切にはされていたがなんとも南海らしい古いけどボロじゃない大切にこき使われている感があって好きだったな。
20000系は1日2往復が限度で冬季は定期検査のために運休されていたのは皮肉のことでした。何しろ全車座席指定で繁忙期には売り切れ満席が出るほどの盛況ぶりで高嶺の花と呼ばれていました。by酒向正也
正に虎の子だったんですね。
それに冬季以外でも車両検査の場合は代行として21000系の扉間クロスシート車両(21001fまたは21003fの何れか)が20000系の穴埋めとして使用されていました。by酒向正也
いわば南海にとって高嶺の花と呼ばれたのは南紀直通キハ55系「きのくに」と20000系「こうや」だった。by酒向正也
南紀直通「きのくに」に使用されていたキハ55系は南海本線では特急と同じ停車駅だった(途中、新今宮・堺・岸和田・和歌山市に停車)。南海に於いては20000系「こうや」と同じ高嶺の花だった。by酒向正也