心も体もそうかも。子供時代に傷つき過ぎて、防衛システムが出来上がっているのかもしれません。この動画はハッとさせられました。そうそうよくやるね。と言う感じです。 前の仕事を辞めてから傷ついていたんだと気づきました。それで心の中では、自分はダメな人間だとレッテルを貼っていて新しい職場でもそのレッテルを自分で価値付けている自覚がありながらでも職場で機能できるように自分なりに努力したり、経験、技術を向上に努めてみたりしているのに、かかわらず、まだ自責し続けている自分を動画拝見させて頂いて確認できるように今日思えました。ありがとうございます。 Support system (オンラインサロン)も良い考えだと思います。
小さい頃からずっと「傷つくなんて許されない」と思っていました。
傷ついているとバレたら淘汰される、みたいな野生動物メンタルで生きていました。
自分が傷ついているかどうか、その時すぐに認識できないことが多いです。
少し時間が経ってから、そういえば私はあの時は怒っていたのか…こんなことで悲しかったのか…実は傷ついていたんだな…と、やっと認識すると言うか、自分の状態に気付くことができたりします。
「自分のことをダメだと思っている、価値がない、能力がないと思っているのであれば、傷ついている証拠」
ここでハッとしました。
ここ数日、まさにこればかり考えて泣いていました。
母の言葉で傷ついていました。期待に応えられなかった。
でも手元に残っているものもたくさんあることにも気付きました。
先生の赤裸々な過去をお話しして下さって本当にありがとうございました。淡々と頑張っていきます。
傷ついてる事を認めたくなくて、きっと気のせいだ、考えすぎなんだと言い聞かせてると思う。
子供の頃、傷ついた時に親から共感されず、「大げさ、わざとらしい、あなたみたいなデブが傷つくわけない」といつも言われて育ちました。
自分も子供を持ち、自分の負の感情に鈍いことに気がつきました。
傷ついてないふりを強いられた経験がそうさせるのか、と自己分析しています。
先生がおっしゃるように、負の感情と向き合うのはきついけど、スルーしても何にもならないなと思います。
健康的な方なら、傷付いていると言えそうな気がします。
あくまで自分の場合ですが、病んでて自尊心も既に傷付いている状況で更に傷付きを認めたら、
なけなしの自尊心(の様なもの)が粉砕される様な気がして意識を逸らしてしまう現象なのかと思ったり。
けれど、今日の動画を見て、沢山色々傷付いているなと思いました。
一個一個書き出してみるのもいいのかなと。
今日も、有難うございました。
私自身最近気付いた事ですが、自分のことをよく自覚して表に出すようにしないと、人から無理解なことをを多く言われたり、こじれたりする事がよくある気がします。自己理解を深めつつ、それに合う環境に身を置くことが大切だと思いました。
鬱歴20年以上の独身女です。自分が傷ついてるかわからない人、という言葉に目からウロコでした。アームカットやODをした時期もあるけれど、正直自分が傷ついているなんて考えたこともなく、とても新鮮に感じました。自分のこじれまくった問題をときほぐすために、色々書き出してみようと思います。
「自分の手元には借金しかない」からの「医師免許しかない」が強すぎて不覚にもふふっと笑ってしまった
こんばんは。傷付いているけど 大丈夫だと思い込んだりしてやり過ごして来ました。 あと傷付いているコトに鈍感になって身を守っている気がします。ホントは傷付いている自分から逃げない方が良いのかなぁ~と思ったりします。
傷ついているから転職する、辞める、
共感します。
体は大怪我ほど「見るのが怖ーい💦」ってなるので、心も同じだとしたら面白いですね。
何に傷ついているのかが分かれば、それを取り除いたり今後は避けられるようにもなるという点でも、心の傷も自覚することが必要なのでしょうね。
私自身は話していて涙が出てくるようなこと•泣きたくないので話したくないことが「核心」なんだろうな…とも感じています。
益田先生ご自身について、自衛隊を辞めたまではお聞きしていましたが、それは、借金までできてしまうということだったんですね。益田先生ご自身が傷ついて、そこから立ち上がって、いまがあるのですね。。。だからこそ、患者のキモチをわかってくださるのかもしれませんね。
ご自身のお話をしてくださって、自分にも希望が持てたという視聴者は多いと思います。ありがとうございます
自己を客観視出来ない、或いは無意識的にしないんですよね。防衛本能だと思っています。傷ついていると認識するのは怖いです。認識するのは直視すること、直視することで更に傷つくのを避けたいですから。
認めたくないのかなと思いました。
以前病院を受診した際に「つらかったんだね」「不安感があるんだね」「〜であるべきって思いがちなんだね」等先生に言われて初めて「えっ…そうなのかな?」となりました。その後も割とずっと「自分はそう感じてるのかな…??」と考えたりしていました…笑
なんていうか、一人前にそんなことを感じているということを受け入れられない感じがしました。自分の場合は。
傷ついているから不安になる、なんとなく腑に落ちました。
あまり自覚は無くても、安定剤が手離せないくらい傷ついていたんですかね…
良いお話をありがとうございます。
イヤだと言ってはいけない教育を受けてきたので、自分は何がイヤなのか分かっていないところがあります。本当はイヤなのにイヤじゃないと言わされる、これも傷付いていることだと思いますけど日常化しすぎて鈍感になっているのかもしれませんね。
ゆっくりとしたトーンで、かと言ってブルーな雰囲気もあまり感じさせず、淡々とした先生の語り口に静かに共感しました。傷ついた自分を思い返す時、自分の心(脳?)に寄り添う仲間になるような感覚があります。ひとまず考えてみようと書き出すと、独り言も出てもうひとりの自分に聴かせているような思いでしょうか…。こんな時、わるくないなと感じます。俯瞰的な部分と主観的な部分とが会話しているようです。いつの間にか、ちょっとした方向性を周りの人にも聞いてみるように促されます。自分の大切な心に耳を傾け始めると、次の道が見え隠れするというのか、知らず知らず歩き始めていたりします。「傷をも愛す...」、いつかの先生のコメントで聴いた気がします…。
沁み沁みとしたお話しをありがとうございます☺️
「傷ついたとか傷つけられたと言うが、『傷つく』かどうか(その事を自分の中に受け入れるかどうか)は自分で決められる」という話を聞いてから、「傷ついた」という言葉はシチュエーションによっては被害者面してるみたいに聞こえることもあるなと思っていました。
「自分がそれでダメージを受けている」という状態を認識するのは大事だなと思いました。不調などを「傷つき」と認めることで、建設的な対処ができるように思います。
ありがとうございます
先生いつもありがとうございます!
先生自身の体験談がとても勉強になり、先生を知れてうれしかったです。
私も今まさに転職か残るべきかを迷っています。何かとても異様な雰囲気の職場で、居心地が悪く感じて居ます。
この回を見て傷ついているのだと思いました。しかし、この傷つきは認知の歪みから来る、被害妄想も含まれるのではと、ごちゃごちゃと感じて居ます。
しかし傷ついたのは事実で、自分基準で測っていいのですかね?!
それならば、おそらく傷つきやすい体質なので、他の人からすればそんな事でと言うところで、傷ついている様な気がします。
クソ真面目過ぎて、スルー出来ないんですね、、損ですね。 何とか時間が解決してくれるのでは無いかと希望を持ちつつ、思案してみます、ありがとうございました!
解離のせいで傷ついてるかどうかわからないんですよね。
分かってもOKだと思ってたら解離しないと思うし、多分傷ついてるかどうかがわかるって言うのが健康だってことなんでしょうね。
涙が止まらなくなって、ようやく傷ついていると実感出来ました。
早めに、自分自身の気持ちに気づいて、対応していきたいですね。
動画見て涙が出てきました。
未だに自分の心が傷ついていることに、気付けました。メンタルダウンしてる時ってなんでダウンしるのかわからないです。漠然とした不安感や苦しさがあります。
益田先生、おはようございます!
今回は、先生の存在がまたより身近に感じられました。『傷ついていた自分』という生々しいひとりの人として、神聖な過去での貴重な体験その時の感覚を話して頂き感動しました。
本当にありがとうございます。感謝です!😊
私も傷つきまくって今日です。ノートにはびっしり書いてきました。書きながら、一番の友はもうひとりの冷静な私だと気づきました。だから、もうひとりの私に会える楽しみの為にもノートに書いています!
ズバリ私の仲間は少ないけれど、私は思いやりや優しさという愛を知っています。
だから精一杯、先生を
応援しています!🍀🍀🍀
先生の動画で、元気をもらえたり、ちょっと頑張ろうかなという気持ちになれたりします。
先生も、大変な思いをされていたのだと知り、自分だけじゃないのだなと、孤独が和らぐ人もいると思いました。
ありがとうございます。
自分の感情を出してはいけないという、昭和の教育がずーっと尾を引いている気がします。傷ついた気持ち、悲しい気持ちは大事にしながら第三者に聞いてもらう。そういったことも出来るといいなあ。
この動画を見てから、自分の中に溜まっているイヤな気持ちやもやもやを、できるだけ言語化しようと意識してます。夫に話すと止まらなくなっちゃって、どうしても感情的になり声が大きくなってしまい、夫から聞く方もしんどいんだよと言われ、無意識に自分の気持ちを押し付けていたことに気付きました。今はどうしても聞いて欲しいことや夫の考えを聞きたい時以外は自分としゃべってます。自分を鏡に映しながら、自分に語りかける感じで言葉にしてます。当たり前だけど私しか話さないので、独り言なのですが。どうしても人に聞いて欲しい気持ちがあるんです。私の場合はそれが鏡に映る自分でも人と認識できるみたいです。ちょっと変かもしれないけど。田舎に移住して山の中に住んでるのでカウンセリングに通うのも難しいし、とりあえず自分でできることはやってみようと思ったところこの形になりました。鏡に映る自分を相手にって誰かに見られたらおかしいやつと思われるだろうけど、家の中だしお金もかかりません。何もしないより格段に自分の心が軽くなったので、とりあえず継続してます。うまく言葉にできると納得できて、あぁあの時はこういう気持ちだったんだな、これは傷ついているってことだなとやっと自覚できるようになりました。悲しさや辛さは消えないけど、自分が自分に納得した瞬間ちょっと嬉しくなります。不思議な感覚。今はその出来事が自分の問題なのか他者の領分なのかを見極め、客観視や自分の考え方の癖を発見できれば、これからの自分の糧にしたいと思ってます。益田先生、いつもありがとうm(_ _)m
病気になり、手術、術後合併症、コロナで面会禁止の2ヶ月入院、長期自宅療養で精神的に何がおかしいなとは感じでいましたが、先生の動画を観て、あー私は傷ついているんだと気付きました。
なかなか動かない痛みのある体、痩せていく体、自尊心を保つのが難しく落ち込み気味でした。
早速書き出して心を落ち着けたいと思います!
先生ありがとうございます。
傷ついているのはわかります。ひどいと涙が止まらなくなります。
過去の動画で先生は「不安は抱えて生きるもの」とおっしゃっていて、頭では理解してすごく納得したのですが、不安で胸が張り裂けそうになるときがあります。
理性で感情をコントロールするのは難しいですね…
傷つているのはうっすら判るけどそれを認めるのは苦しいのでなかなか認められません。
私にとってすごくタイムリーなテーマだったので、初めてコメントさせていただきます。
私は自分がもっと耐えられる、もっと辛いことがあったじゃないか、それよりはマシだというような感じで、まだ傷ついてるなんて言えない、私はまだ頑張れる、私はそんなに弱くないはずだって考えて、自分を保っていました。
障害が少しある身体になり、出来ていたことが出来なくなったというショックに似た心の痛みもあったし、うつやパニック障害、不安障害に悩んでも、誰かにひどいことを言われても、傷ついているという考え方はしなかったし、そういう気持ちは持ってなかったなと。(今思うと、あえて持たないようにしていたのかなとも思います。)
自分が傷ついていると認めるには、その傷ついた瞬間を思い出さなきゃならないので、それが嫌でした。追体験というか、フラッシュバックすることから逃げて、弱った自分を見ないようにしていました。でもなぜなのかその分【 さみしい 】という気持ちを持ちつつ、価値がないから自分に付加価値をつけなきゃ、もっと違うやり方を見つけなきゃ、また出来るように、あの頃に戻れるように頑張らなきゃという気持ちで動いていました。
完璧主義が故に、ストイックすぎて、その弱い自分や出来なくなった自分のことが許せなかったのです。
最近、ある出来事があって、他の人に泣いているところを指摘されて、「自分ではわかってないかもしれないけど、こんなに泣くってことは傷ついているってことなんだよ、貴女は。」って言われて、ハッとしました。
この私が持っている【 さみしい 】という気持ちは、ある意味傷ついていることなんだと気づかされました。
傷ついていると認めることは、そこまで我慢したり耐えてきた自分を讃えることと、弱い自分を許してあげることなんだと知りました。
今回この動画を見たことをきっかけに、自分が前に進むためにも、自分と向き合って、傷ついたことを書き出す作業をしてみようと思います。
本当に、私にとって人生の節目になるようなタイミングでこの動画やテーマに出会えたことに感謝しています。
先生の言葉が刺さります。響きます。
見て良かった、ありがとうございます。
今、自分が傷ついてる事を紙に書いてみました。何に対して、誰に対して、どうして、手元にあるもの、失ってしまったもの、自分を、客観的に見て、今はどうかな?
とか、振り返ってます。
他にいつも楽しかった事、嫌だった事を日記のようにつけてます。点数もつけて。
書き出す事によって、吐き出す、もやもやした事が無くなります。セルフケアをずっとしています。
本(精神科医の本)読みました。感想を書きますね。私は益田先生は、本当の(ちゃんとした)な精神科医だと思います。どうして5分診療なのか?カウンセリングはどうしてお金がかかるのか?私が主治医の先生が教えてはくれない事を益田先生は教えてくれます!益田先生は自分の患者さんの為に始めた動画ですが、私達他のうつ病患者にもとても勉強になってます。(私が傷ついてる時におすすめ動画に出てきました。)何でうつ病はなかなか治らないんだろう?永遠とぐるぐる思考なのかな?何か解決策が無いかな?と思ってた時に動画を見つけ拝聴させてもらいました。自己理解。他者理解。しなやかな思考。体調が悪い時は休む等。
今先生はとても傷ついてますね。『価値が無い。』『医者に向いてないんじゃ無いかな?』そんな事はありません。充分価値はありますし、医者に向いていると思いますょ。私は益田先生と出会って、状態は良くなってますよ。成長もしたし、知る痛みも伴う事も出来ました。自分らしく生きること、あるがまま受け入れる事。知ることが出来ました。精神科はとても奥深いなとも思いました。これからも勉強させていただきます!2冊目の本📖も届きました。これから読みます😊。
ピンチはチャンス✨🍀
周りの評価に比べて自分自身の評価が低すぎると
職場の面談(年2回あります)でいつも上司に言われます
気がついていないだけで何かで傷ついていたのかもしれません
うつ病はだいぶ良くなり
服薬しながら、フルではありませんが仕事に行けるようになりました
病気になる前のように買い物に出たり家事をしたり子供の勉強を見たりは、まだ出来ません
ルンバ•洗濯乾燥機•テイクアウトの食事•ネット通販に助けてもらい生活しています
休みの日は猫と一緒に寝るかスマホいじるか受診に行くか…
外に出るのは疲れますね
オンラインの自助会は家にこもっていても誰かと繋がる事が出来るので
ありがたいシステムだと思っています
益田先生、いつも動画をありがとうございます。
いつも先生の動画を拝見すると、理解が深まって心のもやもやが整理できます。
あと、ホッとしたり温かい気持ちになったりもします。
ただ今回は少し混乱しております。
正直にコメントさせて頂くと「自分に価値がある」と思う以前に「人間に価値がある」と思えないのです。
いがみ合う両親、知的障害のせいで虐められる姉、両親まで姉を虐めるのを見て育ちました。
そんな環境が原因なのか「自分も含む人間に価値がある」と思えないのは、それが事実だからとしか思えないんです。
「傷ついている」という実感はなく、心が凍結されてボーっと生きている感じです。
ただ、その代わりなのか、身体が激しく痛いです。
すみません、ついついグチってしまいました_(._.)_
このチャンネルではじめて、口をへの字に曲げて泣きそうになりました。
傷つき果てて疲れ果てて、その状態で暮らしていたから、しょっちゅう腹痛とかめまいとか身体が痛いとか、そんな状態でした。
まあまの傷つきは言葉に出来ても、本当に傷ついている事に関しては、認めない、見ない、知る、でも言葉に出来ない。なぜなら、とても恥ずかしいことであったり、それを認めたら、信頼してきた人との関係まで揺らぐものだったりで。
傷ついていることに気づいていなかったことが自分だけでないことを知り癒されました。先生ご自身のことを伝えていただきありがたく感謝します。私も書いてみました、より客観視できたと思います。
心も体もそうかも。子供時代に傷つき過ぎて、防衛システムが出来上がっているのかもしれません。この動画はハッとさせられました。そうそうよくやるね。と言う感じです。
前の仕事を辞めてから傷ついていたんだと気づきました。それで心の中では、自分はダメな人間だとレッテルを貼っていて新しい職場でもそのレッテルを自分で価値付けている自覚がありながらでも職場で機能できるように自分なりに努力したり、経験、技術を向上に努めてみたりしているのに、かかわらず、まだ自責し続けている自分を動画拝見させて頂いて確認できるように今日思えました。ありがとうございます。
Support system (オンラインサロン)も良い考えだと思います。
いつもありがとうございます。先生に今傷いているのかという言葉ではっとしました。そういえば凄く傷ついていると日々の身体の痛みと健診と母の入院や特別老後施設の要望など目先のことが多く私も親身に話が出来る人もなく絶家の墓の始末をしながら1人寂しく実家の墓じまいする所に入らなくてはいけない寂しさを痛感しました。ただゆっくり出来ないので一人音のない部屋でぼーとしているのが今の幸せです。
人生で獲得すべきことを得られないまま、健康や機会を失ったことに傷ついているのかもしれない。
手元には支えてくれる肉親が残っている。彼らのためにも私自身のためにも、自分の人生を諦めたくはない。
入院していた時、体調が悪く泣く事が多くなり苦しくなった時、担当医の先生から、今の感情、考えている事を書き出してみてって言われて、その場で泣きながら書き出しました。それをみて先生がこうする事で楽になったり自分がわかるからって言われました。日記は毎日書いているので先生はそれも見たかったみたいですが、無理強いは出来ないからって言ってました。
書いてみて整理ができるの納得できます。
障害年金の申請をする際に、今までの状況を思い出しながら書き出していくうちに、確かに大変だったなって改めて自覚しました。
今もそうです。
夜中に思いついたことを、すげー汚い誤字だらけでノートに殴り書きして、朝になって読み直したら、確かにキツイねってつくづく考えてしまいます。
人に話すときは「大丈夫」って言うのに。
言葉が上滑りする、というところで自分が受診したときの違和感はこれだ!と気づきました。看護師の資格があることで自分を客観視できているつもりでしたが、私も自分が傷ついていることは除外し続けていました。関連図を作って主治医に見てもらったりしていたので、自分は鬱病でも知識があるから大丈夫だと慢心していたせいもあるかも知れません。強みにも弱みにもなりうる、バランスが必要だなと感じました。
自衛隊を辞めてくれなかったら、たくさんの人が頼りに思ってるこのチャンネルはなかったろうから、辞めてくれてありがたいと申し上げたい
私には上に3人の兄弟がおり、両親は人の話を聞かない、自我が強いひとでそんな両親と兄弟がぶつかるシーンを何度も見てきました。余計に自分を抑えるようになっていったんだと思います。小さい頃からおねだりや駄々こねをしなかったいい子だと褒められて育てられました。嫌なことがあっても『自分が我慢すれば何も知らない周りは幸せだ』と思いずっと抑えて忘れたフリをしていました。その頃から心の仮面が壊れていたんだと思います。何度も何度も壊れて作ってを繰り返した結果、自分が何者でどれが本物で何を感じているのか、どうすればいいのか、周りの人の考えがわからなくなって表面の付き合いが増えていきました。それは今でもずっと作って壊してを繰り返して…結局何もしていない現状です。小さい頃から躾と称しての暴力があり物理的に痛みに気づきにくくなっていました。思い返してみれば、高校生の頃にやけどに気づかなかったり、足の小指の骨折に気づくのもレントゲンをとってやっと…といった具合です。
他の人も大事にしたいけど、やっぱり自分が大事だと思います。
ものすごく寂しがりで、優しくできるけど、依存しやすいのはわかるけど、それを誰も理解してくれないのがつらいですね。
上には上がいて、下には下がいる。傷付いている場合じゃないし、傷付くに値しない。自分しか見ないとわかっていてもなかなか書けなかった。私は傷付いているのか?傷付いていいのか。難しいです。
数年前会社の解散(リストラ)→転職も必死で不安の日々を思い出しました。でも今は良い仲間に恵まれてスキルもupしている…傷ついたけど成長させてもらいました。
益田先生の研究は、自分と向き合うための参考としていつもすごく勉強になります。自分はなぜ傷ついているのか、紙に書き出して改めて向き合うことが治療に大切だと気付きました。ありがとうございます。
この病気になって、初めて自分が傷付いていたんだ。って分かりました。傷付いてた事が、分からなかった。分かってしまった。それに対しても傷付いてしまいました。自分で自分を守るためにしてたのかな。と思います。
益田先生、いつも笑顔でお話ししてくださる方で、挫折感とはもう縁の方だと拝聴しながら考えておりました。公表していただいたことに感謝いたします。私も先日子供の時代に親の責任でひどい思いをしたことがありました。そのことを親戚にも大きな影響のあることでした。先日たまたまその状況についてペロっと喋った時、ある親戚から指定されました。大きく人生設計の変更を余儀なくされ傷ついたことについて私には責任がないのに、それをなかったかのように言われたことでものすごく傷つきました。私が嘘つきかと言うような言い方をされたためでした。事実は、こうなんです、と説明し後は距離を置いています。
他の親戚のフォローアップが入ったことで、誤ってはくれましたがこちらの傷は、まだまだ、辛いものがあります。
益田先生いつも動画をありがとうございます。
自分が傷付いているのがわからない、あるいは無意識的あるいは意図的に見ようとしない、あるいは見えない、これはなんか私も理解できますね、、
私自身は「うつ病」との確定診断を受けていて、また「ASD傾向があるかもしれない」とも言われていて、また失業経験もあり失業生活は3年3ヶ月に及びました。今も非正規雇用です。
なぜ傷付いているのが見えないのか、あるいは見ようとしないのか、
これに対する私なりの感じ方は
「この世で生きるために見ない、あるいは見えないように人間の心はできている」
というのが、私なりの感じ方です。失業の底にある時に、精神的な体調も思わしくない時に
「心が深く傷付いてボロボロになっている自分を直視」したら、
下手をしたら命を落としてしまうかもしれません。自分の心の奥底にある不安や恐怖心を覗き込んだら、「地獄の釜」がはっきりと見えてしまい、そして吸い込まれるように命を落としてしまっても不思議ではないと思います。
だからこそ、「心の底の不安」、「ボロボロに深く傷付いた心の底」を無意識的に見ないように、見えないように、人間の心はできているのだろうな、と私は自らの経験も踏まえて感じています。
本当に地獄に吸い込まれてしまったら大変ですから。
失業して、精神的な健康状態も良くない、そんな状況で、やはり上を向いて、前を向いて生きようとしないと、生きていけません。
深く傷付いた自分の心の悩みはもちろん無意識に気づいているものの、あまりにも大きな恐怖を直視するのではなく、
希望の光を探してみる。ボロボロになった自分ではあっても、まだまだ希望はあるかもしれない。
頑張り次第で、努力次第で、この状況を抜け出せるかもしれない。
いろいろダメなところも多い自分だけれども、良い点だってあるはずだ。
こんなこと、あんなこと、できないことだらけだけれども、「こういうこと」に関しては、まだまだ頑張れるかもしれない、いや、頑張ってみよう。
今は出口の見えないトンネルの中にいるけれども、いつかきっと遠くにかすかにトンネルの出口の光が見える日がくるに違いない。
その日まで頑張って生きてみよう。自分なりに努力してみよう。すぐには努力は実らないかもしれないが、時間をかければ少しずつは力はついてくるはずだ。いや、力を付けてやる、頑張ってみる、できるかどうかわからないけど、頑張ってみる。
心の中に希望の灯台の光を探して、そしてその希望の光にすがってみよう。本当にうまくいくかどうかわからないけども、自分だって頑張れるかもしれない。
ダメなところが多い自分だけれども、分野を限定すれば頑張れることだってあってもおかしくない、いや、あるはずだ、なければ作ってやる。
そして「自分なりに」生きてみよう。生きられるかどうかわからないけれども、努力次第で、自分なりの生きる道が見つかるかもしれない、いや、道を作ってやる、
こんなところでしんでたまるか!自分は生きるのだ、自分らしく生きるのだ。すぐにはうまくいかなくとも、
たとえトンネルがどんなに長くて暗くても、
希望の光を心に持っていればいつか出口がみつかるかもしれない。
こんなにもボロボロになってしまった私だけれども、きっとトンネルの出口を見つけてやる!なければ自分で作ってやる。
こうやって私は何とか失業状態を脱しました。まだまだ障害者雇用枠の非正規雇用ですが、少しずつは給料も上がりつつあります。少しずつだけれども、仕事の成果も見えるようになってきました、、。
なぜ心の傷が見えないのか、いや、見ようとしないのか?
見ようとしなくても、心の奥底で深く傷を感じ取っていて、そうしてもうボロボロだからです、、。あえて意図的に「見ること」をしなくても、もうボロボロの心は十二分に悲惨な状況を感じ取っているのです、、。
そして見るべきものは、「心の希望の灯台の光」であり、トンネルの出口を探す心の底にまだ残っている「希望」なのだと思います。
そしてだからこそ「心の傷が見えない」、「心の傷を見ようとしない」のだと私は思います。
この世で生きるために見ようとしないのだと思います。「地獄の釜」に吸い込まれて命を落としてしまわないために、「見えない」ように人間の心はなっているのだと、私は思います。
とりあえず、優しい音楽聴きますかね🪕
あと、綺麗な景色見たり、富士山とか🗻
前向きに生きることをためらわないように、朝から益田先生の動画を一本観て出勤しています。ありがとうございます。
聞かせていただきありがとうございます
益田先生ご自身の傷ついてたことを話してくださってなんか私の中でほっこりしたというかほっとした心がわいてきました
こんな風に人の傷ついてるとこ聞けるとこあんまりないですから
私も何回かこの動画を聞き直して傷ついてるとこノートに書いてみようかなと思います
注射をする時、
「痛く感じない方法は目をそらさずずっと見ていること」と看護師さんから教えてもらった。
小さなことだけど、心に通じる考え方だと思い 子ども達にもそう伝えている。
どんなに怖くても、目をそらしたくない。
自分を見失う方が怖いと知っているから。
傷ついていることを認めないって、よくわかります。
ある時ふと、自分は自分が思っている以上にしんどいのかもしれないと気づきました。なぜ今まで気が付かなかったのか。それは自分でも知らないうちに、「痛みの感度」を下げていたから。痛みに気づかないフリをしていました。しんどい、疲れた、傷ついたって、自分で認めてあげたら少し楽になりました。
傷ついていることあります。
しかし、客観的にみることを、避けている自分がいます。
事象だけに捉われてしまっているのです。
先生の言われるように、書き出して向き合います。
ありがとうございます。
傷ついていることを話す(書く)ことは、とても重要だと思います。
しかし、なかなかうまく診察の場では話せません。
結局、いつもの会話、処方で満足してしまいます。
先日、墓参りの旅先で深く傷つけられる事件(自分の中だけですが)が発生してしまいました(どうも、自分にとって苦手な人に、初対面で唾棄されたり、悪しざまに罵倒される事が多いので、心的外傷並みに病んでます)。
これも、上手く医師に話せればいいのですが、なかなか難しそうですね。
先生も、今回お悩みの話が聞けてよかったです。
ノートに自分はどんなふうに傷ついたと感じていたのか、書き出してみました。
ほんの些細な言葉たちだけど、自分は深く傷ついていたんだなと思うことができました。
動画いつも励まされます。応援してます📣
職を失い、職場の仲間も失い、規則正しい生活を失い、家族との関係もなにが正しくのか分からなくなり。。気力も体力も無かったのですが、長年やっている趣味の活動だけは無理して続けました。病気が治った時に何も無いとなりそうなことを予想していました。それまで手放すのが怖かったからです。「仕事じゃなくて趣味なんだから、そんなに大変ならお休みしたら」と主治医に何度も言われましたけど、続けました。問題が起こる度に考え方や捉え方のバリエーションを教わってきたように思います。
何が起こったら傷つくのか幼少期に理解する事を諦めたような気がしますね。育った環境って大事だし虐待は怖いですね。自分の感情がわからなくなってしまう。イジメられ体質は今後も無くならないと思って諦めて通院と服薬は主治医の先生に言われた通り気をつけているところです。
思考の混乱があり、現状は分からないですよね😭
辛いです😢
ずっと傷つけられて生きてきたので、まさに傷付いてるか分かりませんでした。細かい会話は忘れてしまいましたが「よくあんな事言われて平気だったね」みたいな事を複数回言われて、ハッとしたのを覚えています。(普通の人は泣くレベルの内容だったんだ)とビックリした感じでした。
普通が分からず苦しい思いをしてます。でも我慢してると調子に乗った周りから良いように扱われます。人付き合いそのものが億劫で仕方ありません。ママ友付き合いも子供がいるので仕方なし、という感じで毎週ストレス溜まってます。
自分だけは、自分を愛していてね。
益田先生、いつもありがとうございます。
私も、私のことを客観的に見て、自分の欲よりも最善の選択をしてしまったり、言わない方が良い選択をして、悩みはいつも他人事で、
笑いながら話をしてしまったり、
真剣に話したら泣きそうになるからごまかす。そんな癖があります。
つい最近退職をしました。
自分の体調と家族のことを考えてこれが一番ベストだと思い下した決断でした。淡々と退職に関するやりとりや手続きをこなしてきたけれど、退職してすぐの1週間、なぜか安定していた気持ちがすっかり崩れ、落ち込みがひどく体も重く苦しくなってしまいました。
この動画を見て、そぉかぁ〜、自分がかなり傷ついているってことに向き合えてなかったなぁ、自覚できていなかったんだなぁと腑に落ちました。
自分も益田先生と同じくらいの年月を職場で勤めていたので先生の体験談や言葉がが特に心にしみました。
この話題を動画で取り上げてくださりありがとうございます!
自分が持ってる、傷ついてるの基準がどれほどのことなのが分からない。世間とくらべる機会もなかったし。個人にもよるし。自分の持ってる、更新されない基準で判断するしかないので、分からないです。
益田先生お疲れ様です。
息子も自衛隊にいましたが、任期2年でした。
退職金も少しあったようです。
防衛医大の先生たちは13年いてもまだ任期が開けないとは!!
と驚きました。
1000万円も借金として残るなんて医科大学としてお金を返済しなくてはいけないのでしょうか?
益田先生の『我が人生にも涙あり』が聞けてありがたかったです。迷いや悩む事は誰でも、いつでもやって来る。
UA-cam自体や環境は変わっていくのですね。
私もコロナで仕事失って変わってしまいました。
何歳になっても老害な親に苦しめられていたけど、あるきっかけでこちらのターン💁♀️にすることができて、継母の企みが分かったり父親が情けない!とノートに書き傷付いだことがわかってから、こちらは悪を避けて善となり、清らかに心静かに生きています
「自分はすごく傷ついている」と目に入って泣きそうになってるのって、傷ついているのか、となんかなるほどーって他人行儀な私がいて、これじゃんとそこでまた気がついて。なんかものすごく遠い自分には気がつきました
先生ありがとう
益田先生が以前に、プールサイドでボーッと過ごしていたという時期のお話しを語ってくださったことがあり、どんなに立派な方でも、そういう時期を経ての今があるんだなぁと親近感を覚えたことがありました。
急性期を過ぎて慢性期に入ると、自分史というか、混乱して曖昧だった記憶を整理するためにも、無性に過去を振り返って、年表みたいに紙に書き出したくなったり、ライフイベントがあって、自分一人では解決困難な場合も、紙に書き出して問題を一つずつ洗い出したりしました。
かつて通院していた外来の待合にふらりと立ち寄ってみたり、通っていた地元の小中学校の脇を通ったり、自分の過去を辿るような時もありました。
躁状態の時に、宮沢賢治の「春と修羅」を小脇に抱えて、高校の物理を教えてくれた担任の先生のもとを急に訪ねて、妄想まじりの話をしながら、学生時代の無礼を詫びたりした記憶があります。
驚いたと思いますが、受け止めてくださった先生の器の大きさには、今でも本当に感謝しています💦😅
辛い😢🌊時は言語化はできません。
私は傷ついている。
そんな風に思った事がないです。
けど先生の動画を見て、あの時傷ついていたのかもと振り返りました。
日頃、自分はダメだ、私なんて…と思う事が多いです。
悩みを人に聞いてもらうと「健康で仕事ができて有り難い。」「みんな大変。自分だけ大変なんと違うよ。」と諭されて、「もっと大変な人もいるから感謝しないと。」「気持ち切り替えて前向きに考えないと。」と自分を発奮する事が多かったです。
それはそれでいい考えなんだけど、まず傷ついている事を自分でわかってあげようと思いました。
心が折れた時にまた見たいと思った動画は、専用再生リストを作って保存してます。
この動画も涙を流しながら保存しました。
気がつくと、リストには益田先生の沢山の動画が…
もはや先生の言葉たちは、私の心のバイブルになっています。
どんなに感動する映画より、多分一生で一番、先生の動画で泣いてます。
でも嫌な涙じゃないんです。
今まで生きてきて、一番ありがたい涙なんです。
こんな素晴らしい動画たちと、先生はじめ携わってくださった方々に出会えたことに、本当に感謝してます。🙏
本当に自分が傷ついている、私も最近気がつきました。今行ってる場所で話をしていく中で不安が私にはあることを自覚し、不安になる要因を考えていたときに気付きました。本当に気がつくと心が沈み、ドーンと辛くなり気分が沈みました。でも、今は向き合えたことで、今後前向きになるためには何ができるか、何を向上するのか、問題点は何かを考えるきっかけになりました。本当に辛い作業でしたが今ではしたからこそ吹っ切れた部分も見えてきた気がします。本心を突かれたような話でした。また、動画楽しまにしてます。
確かに自分の今の状況が当たり前すぎて、傷ついているとは感じないかもしれません。
もし他の人が同じ立場だったらと冷静に考えたら、「それはしんどい」と即答すると思いますが(・・;)
まずは自分の傷ついている部分をそっと見て、労ってみたいと思います🍵
自分が傷ついてるかどうかわからないと検索したらこの動画に辿り着きました。
どうせ類似的なことしか出ないだろうなって思いながら調べたので知りたいことが出てきて驚きました。
この動画を見たのですが、私には何故傷ついてるかわかりませんでした。
ですが、その理由を探そうと思える動画でした。
他の動画も見て、精神科はこんな元気な私が行くべきではないとまだ思っておりますが、もしだめになりそうだったら行ってみる選択肢もあるかなと思いました。
いつも拝見しています。貴重な動画に感謝です。私は傷ついたり、不快に感じてもその感情が正しいのかと考えてしまいます。被害妄想なのか自分の捉え方が変なのでは?と考えてしまいます。なので結局相手の顔色を見て従うことで安心させています。自然体の自分なんて物心ついた時から分かりません。常に自分が悪いのではないか?自分は失礼なことしてないか?ばかり考えるクセが身に付いています。だから生きづらいんです(泣)
統一教会に、大学生の頃に入っていました。そこから逃げ出した時が、1番最初の大きな傷つきだったように思います。そこから就職をして、転職を10回くらいしています。仕事を辞めるたびに傷ついています。
私はそれを自覚できていると思っていました。でも、それでも私はみんなと同じスタートラインで、同じように働き続けながら、同じように幸せになれると信じていました。
うまくまとめられませんが、今は自分の心を癒す事に集中しています。いずれ、自分に自信が持てるように。
自分は今傷ついているとわかってはいても、言語化することで、改めて納得させる様な感じがし、もっともっと自分で自分を追い詰めてしまう気がするから、あえてその視点から逃げてしまう状態が普通になってしまっています
傷ついている事を認めたら自分がどうなってしまうか怖くてみないようにしているんだなと動画を見て思いました。私は弱いし傷つけた人に言い返せる勇気がなくて怖くて、でも必死に自分は大丈夫だと思いたくて生きている。私は怒りという感情を押し殺して生きている。でも先生の仰るように書き出してみようかな…………
自分の生育環境がとんでもなく異常である事に、なかなか気付けませんでした。 確かに辛いし悲しかったけど、恥ずかしくて相談できなかったです。
しかも、自分は軽傷だって思い込んでしまう。 生来、洗脳されているから、麻痺してしまっています。 この麻痺を治そうとすると、自分の人生なんだったのかと、さらに傷付くんですよ。結局は、思考を止めて、日常生活をたんたんとこなすのみです。
いつから益田先生のUA-cam見てるんだろ。自分も精神科医にかかってて信頼してますが、その時以外の知りたいかったこと、知らなかったこと、たくさん教えてもらえてます。もっといろいろ知って勉強したいです。
私も先生と同じような、傷ついてる自分に気づく体験をしたことがあります。30代後半の頃でした。
心理学の合宿セミナーで、感情に蓋をして、澄ました顔をしている私の蓋を開けられて、怒りが爆発して出すだけ出したら、凄く傷ついていて悲しかった気持ちがこみ上げて来て、号泣してしまいました。
ワークショップなので、先生は意図的に誘導して下さった訳ですが、自分でもびっくりしましたね。
最近は、傷ついている自覚があって、自分を癒やしながら澄ました顔をするようになりました。
でも、身内の心無い言葉には、カッとなってしまいますね。我慢も蓄積すると、ふとしたことで全てをぶち壊したくなる衝動が起こってしまいます。
この繰り返しの人生でしたね…。傷だらけで、心が不自由でも頑張っているからこそ、悔しいと思ってしまうんです。
頑張って無ければ、何とも思わないんじゃないでしょうかね。
だから、誰も認めなくても、めんどくさい奴って嫌われても、今では、自分では貴重な体験を沢山したんだなと思っています。
いつも長い告白をさせて頂き、感情しています。ありがとうございます。
傷ついたと騒ぐ人が他者を犠牲にしながら妥協を引き出し得をし陰で喜ぶ姿を見せられ、その一連の行動様式を目の当たりにして醜さを感じたからだと思います。
そして、堂々と傷ついたと騒ぐ人より、本当に自分が傷ついた時には彼らが傷ついたと騒ぐ時とは打って変わって誰からも何も起こらず、それどころか無視されたり叱られたり我慢を強いられたから、傷ついた事を認めないようになり麻痺したのだと思います。
諦めと美学です。
もう涙も出ませんよ。
大切な事ですね。何に傷ついているのかアウトプットして、現状把握してインプットして。私の場合は,,,ただただ愛されたかったんだな自分。という感じでしょうか。現状確認して自分に良く頑張ったねと言ってあげたい。動画、ありがとうございます。
意外と、傷と乖離して、ふわふわしてれば毎日がなんとか送れるから、根っこの傷は置いとくせいで皆書かないのかな…と思いました。
その代償でアルコールの量が増える、みたいな表現が現れる、人間がそういうものなら、…
ちょん切った根っこを探さないといけないんですね。
飲むより、探してみたいです。
ありがとうございます。
たかだかこんな事、傷ついてるだなんて、情けないとかただのヒステリーだとか軟弱だとか思って割とこの感覚を誤魔化しては麻痺させてるな私はと、はたと気が付きました。
それらを取っ払うと、わたしはただただ傷だらけでした(´;Д;`)
学生時代は特に将来の事を考えずに生活してきた面もあって全く気負う事もありませんでした。ただ、就活や仕事をしだしてからは今までに無かった不安が一気にきました。今も不安という闇が自分の精神を削り取っているというのは分かります。
それでも、不安を一瞬でも忘れていられるのは、家に帰ってきて両親と兄妹と何気ない夕飯や会話をしている時なんですよね。
ただ、こういった面がある自分だからこそ、自分の家族という支えを持つんだろうなと思ってはいるのですけれど…。
自分に家族を養えるのだろうか、自分みたいなのに来てくれる人なんているんだろうかという不安ばっかりで表裏ともに精神を削るばかりなんですよね…。
不安を感じず、どーんと大きく構えて人生を全うできる人間になるにはどうすればいいんでしょうか…
傷ついてると当時思っていても、後になってみると、それが好転した一つのターニングポイントだったんだなっていうケースが多いです。
だから、傷付いたとしても、それを否定しているような、最近の傾向です。
傷付くような経験をしても、それに流されない。
後になってみないと、わからない事が多いです。
気分的に落ち込まなくは無いですけど、自分を必要としてくれる相手がいる限り、頑張らないといけないなと思って生きてます。
傷付いているのを、認めて、手放す!自分をいじめなくていい。 自分をほめる!ない現実ばかりみていると、ない現実ばかりが、手に入るらしいです。何かいい事、1つでもあるでしょ。
今回の議題と似ているかわかりませんが…
「あなたにとってストレスは何ですか?」
と何かある度に聞かれます。(過呼吸の発作が出たときなど。)
ですが、いつも答えられません。
ストレスの原因を取り除くことで現状が改善されると頭では理解っているのですが、、、
ストレスがわからないんです。
仮に、あることをストレスだとすると、身の回りのこと全てがストレスになってしまう、、、それらを取り除くとなると、なにもできなくなってしまう、、、そんな気がするんです。
「ストレス」が何かわからなくてずっと悩んでいます。
自分が傷ついているのはわかってるんだけど、それを他人に言うかといえば言わない。
そんな事で傷ついているのかと見下されたり、さらに傷つけられたりするから。
いじめられているのを親に言わないのと同じ心理。
もっぱら日記に書いてストレス発散します。
こういう場合、自分の気持ちを書くことは、客観的な視点じゃないと思うから、そこは書き出す対象から外れてしまう。
「自分の気持ちを書け」というなら「傷ついている」と書いていいんだ、と理解して気持ちを書きます。
わからないです〜
ここに書いていいかわからないですけど、。傷ついているじぶんを直視できないから、傷ついていると書きたくないと思う。
傷ついているのが分かっていても、ずっと傷が癒えません。夢に何度も出てきたりずっと付き合っていくのかと思うとたまりません。PTSDと診断されて、もう20年以上経ってています。本当に癒える日が来るのでしょうか。
傷ついているのを認めたくない、わかりたくないのかなと思います。弱い自分を見せたくない、弱い自分を見せることはみっともない、嫌われると思うのかもしれないですね。合理化も働く気がします。自尊心の傷つきを最小限に抑えるのかもしれないです。
傷つきを認められると、優しくなれる気がします。傷つきから労りに移行し、『ありのまま』を認められると柔軟性も広がる気がします。改めて、余裕を持つためにも素直に認めることの大切さに気づかせてもらった気がします。
傷だらけなんだろうけれどもそれを自覚したら苦しくて働けなくなるので感じないようにしているんだと思います。お腹が下ったり夜中目覚めて眠れなくなったりと体はごまかせません。