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万世基地というと、有名なのは5人の隊員と1匹の子犬の写真で有名な第72振武隊ですね。5人とも年齢が17〜18歳と高校生の年齢、最年少が真ん中で子犬を抱いていた出撃当時17歳2ヶ月の荒木幸雄伍長。彼らがどんな思いで出撃したのかと思うと本当に切ないです。
ご視聴、コメントありがとうございます。ホント、切ないですね。有名な「子犬を抱いた少年兵」写真、じつは館長がいろいろ話してくれて撮影もしているんです。出撃延期になったこと、子犬を「チロ」と呼んだらしいこと、85歳の戦友が泣きながらこの写真に語りかけていたこと、などです。写真や遺品の撮影ができないので本編ではカットとなりました。多くの人に知ってもらいたい!という思いと、著作権やご遺族の思いを大事にしたい!という思いを常に持っています。貴重な証言が誰にも知られることなく埋まってしまう、という危機感も制作者として常に感じておりまして、なんとかみなさんへお伝えできるよう、日々精進しています。
昨日知覧と万世に行って来ました❗️知覧は有名で人が多かったのですが万世はあまり知られていないのか少なかったです🙄万世特攻平和祈念館ももっと知ってもらうべき所だと思います
おつかれさまでございました。ぼくも下見などで知覧へも訪問していまして、知覧、さすがに有名で人も多かったですね。しかも、けっこう施設が大きいんです。またいつ行っても「お話」聞けます。万世特攻平祈念館は、ちょっと小さめですがひょっとしたら、万世のほうが、隊員さんたちのお手紙をじっくり読むことができるかもしれないですね。じっくり読むと、ハンカチ必須ですけど。。。ご視聴、コメントありがとうございました!
私の叔父がこの基地に憲兵として勤務していたと聞きました。まだ滑走路のなかった陸軍の駐屯地だったころのようでしたが、感慨深いものがありました。
それはそれは。叔父上さまに感謝申し上げますとともに動画ご覧下さりありがとうございます。今後もどうぞ八重雲チャンネル、ご覧下さいませ。真面目な動画、作っております。
最後まで家族のことを思っていたんですね。忘れてはいけない素晴らしい人達です。
ご視聴、コメントありがとうございます。ほんと、心優しい方たちが多いんです。軍の機密でもあるから、ほんとうのことは言えない、通常の手紙を装いつつ気持ちを伝える、、、手紙を書いた若者や、受け取った家族を思うと泣けてきます。今後もどうぞ八重雲、応援よろしくお願いいたします。
「加世田市万世小松原お寺ん前」これが幼少期、親から迷子になった時に答えるように教えられた言葉です。小学校1年生まで万世に住んでいました。当時は『よろずよに』の石碑だけが海岸近くに建っていた記憶があります。このような記念館が出来たのですね。もっと万世の特攻隊も知ってほしいと思います。動画を見ることが出来て良かったです。有難うございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。ケータイ電話の無い時代は、無い良さもありましたですね。万世に住んでおられたということで万世は広大な吹上浜が近くにある素晴らしい場所ですね。最近は市町村合併による地名の変更も激しいですね。万世特攻平和祈念館は1993(平成5)年にオープン。戦後およそ50年後のオープンです。ほんとに忘れ去られる恐れがありました。そのへんの動画に編集しきれなったことをブログ「さびん倉庫」で書いてもいます。sabinsouko.com/banseitokkouheiwakinenkan20211229/よかったらのぞいてみてください。ブログでしか見られない、特典動画もあります。今後もがんばりますのでどうぞ八重雲、よろしくお願いいたします。
この動画を観ることができたのは少しでもご縁があったと思っています😊。英霊様ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。恭しいお言葉、感謝です。
大変興味深かったです。知覧鹿屋を廻り、生存者の本を色々読ませていただきました。末期になると、燃料はない飛行機はない部品はないで、練習機の白菊(遅い…)まで特攻に使い、整備不良が多く、開聞岳が見える辺りになると空中分解して自然落下してくることも多かったとのことでした。敵のところまで辿りつけずに。それでも、上部は1日何人出撃のノルマ優先で、次々と若い搭乗員たちは十分な訓練も受けられないまま飛び立ちました。あの日と変わらぬ開聞岳を見るたび、彼らの無念を思います。心からの敬意と共に御冥福をお祈りいたします。up有難うございました。
いえいえいえ。こちらこそありがとうございます。見てくれる皆さま、取材させてくだすった祈念館の方々のおかげです。「開聞岳」のコメント、しみじみと読みました。こういったコメント、寄せていただくことで「ふと手を止めて考える・・・」という輪が広がればいいなあと思っています。現在も新作撮影中であります。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
@@yaegumo 有難うございます。壊れた遅い練習機で片道燃料で文句も言えず散った若き英霊を思うと、慄然とします。時代とはいえ、末期は未成年が多いので、子を持つ親として、これは虐待じゃないかと正直思うほどです。今日は沖縄九州近海に米艦隊がいない、という日でも、今日のノルマは何人だからとにかく今日中に死んでくれ上が困るといわれるそうです。反論すると営倉(振武寮、だったかな、要はリンチ再教育施設、そのタイトルの証言本があります。)戦略としての特攻以前に、上層部のやっつけ思考が今に通じるお粗末ぶりです。万世は4ヶ月だけだったんですね…そうだったんですか…大変勉強になりました。太刀洗ももうほとんど遺構がなくて。あの愛らしい少年搭乗員たちの写真は心に突き刺さるトラウマです。まだ母が恋しいような年齢の子たちだったと証言有りました。阪大の山崎正和教授だったか、「戦争に子供を狩りだすようになったら、その戦争はもう絶対勝ち目がないからやめないといけない。これは人類共通の知恵として語り継ぐべきだ。」とおっしゃっています。(白虎隊の事ですが、彼らとちょうど同世代です)その通りですよね。こんな悲劇を忘れたら日本人いや、もはや人間じゃないです。今後も楽しみにしております。有難うございました💛
練習機じゃなくても米軍のレーダーで補足され重い爆弾を積んだ機体はグラマンの餌食になったでしょう
今私たちが平和に生活しているのが当たり前では無いんです戦争中沢山の生命が喪われた事、卓球の早田選手の気持ちは良く分かります私は、三回ほど知覧に行きました日本人であれば一回は訪問されて頂きたいと思います。
ご視聴、コメントありがとうございます。戦跡なども取材しますので、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
2ヶ月前に、知覧、万世、伺いました。万世は、ほんとしんどかったです。ありがとうございました。
両方、すばらしいですね。万世は2階一面に遺書が広がっているような展示レイアウトなので目に次々と飛び込んでくるその筆跡、コトバ、思いにほんと、ハンカチ必須ですね。ありがとうございました。
万世中学校卒業です。こちらの平和祈念館が建てられた当初、歴史の授業で行かせていただきました。当時は自分の住む土地にこんな過去があった事にショックを受け、館内で号泣しました。また万世に行った際には伺いたいと思います。
ご視聴、コメントありがとうございます。ぼくは大人になるまで万世を知りませんでしたので、小さいころから知っているのは、地元ならではのものと思います。コメントありがとうございました。
知覧特攻平和会館は何度も行きましたが今度初めて万世特攻平和祈念館に行きました、他にお客さんがいなかったのでこの動画のように受付の方が丁寧に説明してくださりました。知覧同様何回行っても感動し、お蔭様でその後の日本があるのだと感謝します。
ご視聴、コメントありがとうございます。万世特攻平和祈念館は温かいですよね。なんというか祈念館でいろいろ見ますと「日本」を大切にしなきゃな、と思います。ブログ「さびん倉庫」に編集しきれなかった素材がありますのでよかったらのぞいてみてください。「片道燃料はただウワサだった!?」的な本編に入らなかった素材を動画で見ることできます。(燃料については恐ろしい目的があったらしい)今後も動画制作がんばります。どうぞよろしくお願いいたします。
@@yaegumoきばぃやんせ❗チェスト~❗
幻の特攻基地の万世が一番印象に残っており、料金も310円です。この平和祈念館は、風化を防ごうと大阪府枚方市の故苗村七郎氏が、私財を投じて設立されたことを祈念館で知りました。よろずよに込めた意味を思いながら、もし、日本が攻められたらどうすべきかと思っています。ありがとうございました。
お礼だなんて、そんなそんな。こちらこそご覧下さりありがとうございました。いろんな人のいろんな思いを感じますね。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
鹿児島県知事塩田康一殿、ラサール、東京大学法学部卒業、鹿児島出身。何卒鹿児島に訪れたら人達に知覧、万世、鹿屋の特攻基地に一本の花をお願い出来ませんかね。戦争の悲劇であり犠牲者である若者たちの為にも、いまの世の中軍拡、軍拡、外国人天国、おかしな世の中になってきました。彼たち若者たちが平和だったら夢はなんだったんだろ、感謝の気持ちを込めてお花を一本でも捧げていただけませんかね。
今年の8月に知覧と万世に行きました。とてもキレイな祈念館でほぼ貸切だったので知覧よりも丁寧に見て回ることができて良かったです。 神風に興味を持って色々と調べている中で、別冊 1億人の昭和史 特別攻撃隊 という昭和に発刊されたムック本に出会いました。写真が多く非常に詳しく書いてあるので興味のある方にはオススメです。
ご視聴、コメントありがとうございます。知覧にも万世にも行かれたんですね。両方、それぞれいいところがあると思います。万世の動画なので万世の良い所をいいますとすべての御遺書を拝読することができますね。遺書の世界に入り込めますね。知覧は巨大ですね。兵器から建物、神社、歴史、写真、生活品、ジオラマなど見るべきものが多すぎて後半疲れちゃって「遺書はまあいいかな・・」となりかねない展示資料の豊富さがありますね。。。本のご紹介もありがとうございました。多くの人の、未来への参考資料としてたいへん貴重なコメントであります。こういうの、探すとなると、なかなかタイヘンなんです。今後も八重雲、どうぞよろしくお願いいたします。
🇯🇵Japan 🇯🇵日本を、救う為に特攻隊員となって亡くなられた方々に哀悼の意を称します。ありがとうございます。貴殿方の遠いお命のあがないによって私達は平和を享受しています。本当にありがとうございます。🙏特攻隊員の子孫より
見ていただいて、ありがとうございます。隊員さんのご子孫ということでぼくなんかが軽々に感情を表現できませんが、貴重なコメント、ありがとうございます。
沖縄の諸島沖に米駆逐艦が撃沈され沈んでますが、そのすぐ傍にこの部隊から飛来したと思われる偵察特攻機の発動機が見られるニュースを見た事あります。群馬辺りで錬成され、鹿児島から発進したそうなので、万世だと思います。>知覧だと戦闘機が大半です。万世は砂地の柔らかい滑走路なので固定脚の練習機のみだったと聞いてます。
ご視聴、コメントありがとうございます。こういったコメントをしていただけるだけでも大変にありがたいです。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
米駆逐艦を航空特攻で沈めたのは、海軍九三式中間練習機 (通称「赤とんぼ」)であり、6か所の鹿児島海軍基地のどれかから出撃したのではないかな。
知覧や鹿屋は有名ですが万世と同じくあまり知られていませんが同じ鹿児島で出水海軍航空基地も約200名の隊員が特攻隊として出撃南の海で散りました。遺構も少なく他の特攻基地のような祈念館もなく特攻碑公園として街中に佇んでいます。特攻碑公園内には当時から残る地下壕に入る事もでき立派な戦争遺構として万世同様にもっと知っていただきたいと思います。
ご視聴、コメントありがとうございます。鹿児島県の出水(いずみ)海軍航空基地ですね。貴重なコメントに学びが深まります。
数年前に万世、知覧、鹿屋に行きましたが、涙腺が崩壊しそうでした。万世では、子犬を抱いた少年兵達の写真を見るのが辛かったです。また動画を見て涙腺が緩んでしまいました。
ご視聴、コメント、ありがとうございます。それはそれは。良い旅であったことと思います。ほんとうに隊員たちは皆、家族思いで優しい人ばかりですよね。どんな思いであったろうと考えると、涙で手紙が読めなくなりますね。。。今後もどうぞ八重雲をよろしくお願いいたします。
なかなか行くことが叶わないので、とてもありがたく拝見しました。ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。お礼だなんて恐縮です。こちらこそ、見てくださって感謝です。今後も真面目な映像を作っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。ブログ「さびん倉庫」にUA-cam映像で紹介しきれなかった、細かい情報やサイドネタ(映像としては説明が複雑すぎたり、地味すぎたりするネタ)も紹介しています。沖縄の松「琉球松」が植えてあったりするんです。よろしかったら、そちらもご覧くださいませ。
素晴らしく意義のある動画投稿だと思います。チャンネル登録しました。是非今後も続けていってください。私も機会を見つけていろんなところを回りたいです。映像の構成や編集、機材に至るまで始めたてとは思えないのですが、以前より映像関係の制作をされていたのでしょうか?応援しております。素敵な活動をありがとうございます。
ご視聴、ありがとうございます。応援のお言葉、ファイトが湧きます!今後も全国のさまざまなものを真面目に撮影していこうと思っています。末永く、よろしくお願いいたします。コメント、いつでも気軽にどうぞ!
特攻隊の事になると涙が出てきます、若い人達の命を軍隊はどんなに考えていたのか?
ご視聴、コメントありがとうございます。コメントいただくだけでほんとうに感謝です。
私は戦争に関しては全く無知でした。動画配信のお陰で特攻隊員さん達の事知りました。😢まだまだお若い尊い命生きていたかったと思います。この方々のお陰で今の日本があります。心よりご冥福お祈りさせて頂きます。そしてありがとうございます。😢
見て下さり、そしてコメント寄せていただきありがとうございます。制作者であるぼくも、戦争を知らない世代でして勉強しながら制作しております。戦争は、さまざまな見方があります。動画作品というのは、複雑なコトは語りにくいので、単純な見方、ストーリーに置き換えて作っていくことが多いです。テレビも同じです。この万世陸軍飛行場作品も、多くの見方のうちのの、たかがひとつの見方にすぎないと思うので戦争について、ほんの少し、みなさんの参考になればなあと思っています。ありがとうございました。
突然とんでもない素晴らしいチャンネルが爆誕しましたね!
ありがとうございます。元気いただくお言葉です。これからも「300年後の日本人に知っておいてほしい映像を!」と思い、ネタ選定、撮影、編集がんばります。ただどうしても、取材先の「許可」の問題がありまして、拒否されると撮影できません。。。ユーチューブは「ふざけた映像・・・」というイメージが強く、拒否される率もなかなかなのです。。。頂いた元気で、ますます熱意を持って取材先を説得いたします。またこういった応援、ご支持が次の作品につながります。どうぞよろしくお願いします!!ありがとうございました。
陸軍特攻の陸軍特攻の主要な基地であった知覧はこれまで広く名を知られていましたが、その知覧に比べて万世は映像でもご説明があったように言わば突貫工事で急造された飛行場でした。亡父の同期の方々も水戸陸軍通信学校卒業と同時に第66戦隊に配属された後、沖縄方面への偵察爆撃行に出撃され戦死されています。父存命中は毎年4月に挙行される特攻慰霊祭に参加してましたが、祈念館を訪れる度に二階壁に掲げてある同期の写真を食い入る様に見つめているのが印象的でした。映像で紹介された滑走路跡の排水溝は初めて知りましたが、平成5、6年頃までは特攻隊隊員が宿舎に使っていた「飛龍荘」もありましたが残念ながら保存とはならず解体されました。出撃時、飛龍荘に泊まっていた隊員をトラックで迎えに行ってたそうですが、基地途中にある竹田神社の桜の小枝を折って出撃したそうです。元教官の話で「道路側に生えている竹田神社の桜は高さ二メートル位の所の枝ぶりが歪になっていますが、あれは隊員がトラックの上から枝を折って持っていったからそうなったんです」と説明されました。元教官とは万世特攻祈念館を創設されたN村さんでした。日陰的な万世基地を紹介して頂きありがとうございます。
ご視聴、コメント、感謝です。枝ぶりがかたむいた桜のお話、ありがとうございます。若き隊員たちの気持ちを思うと、ぐっとくるものがありました。飛龍荘のお話も初めて聞くものでありました。すでに解体されているという飛龍荘。飛龍荘もいずれ忘れ去られる運命と思います。しかし、ここにコメントしていただいて、未来の人に少しでもなにか伝わるものが残ったかと思います。ありがとうございました。今後もどうぞ八重雲、よろしくお願いいたします。
大分前の事、武田鉄也氏が自著エッセイ集に書き、某ラジオ番組で「鹿屋・知覧基地では滑走路脇に特攻花が咲いていた(大金鶏菊外来種)」と話していましたが、それを聴いた祈念館創設者苗村先生は「当時、私は打ち合わせの為、幾度も知覧基地、鹿屋基地へ行きましたが、そんなものは一切ありませんでした、それは戦後進駐した米軍が持って来たもので断じてそれは特攻花ではありません」と文書で抗議された逸話も聞きました。また慰霊祭前日指定旅館での夕食時元整備兵の方と隣り合わせでした。私が「当時の特攻機は本当に飛ぶのがやっとの飛行機であったか」と尋ねましたが、元整備員の方は「本当です、何度整備してもエンジン不調で堕ちる、緩んだビスを増し締めしてもすぐに緩み機体から外れる・・本当に酷いものでそれに乗って行く隊員が可哀想でなりませんでした」と話しました。ちょっと余談です。
6:29 隊員のことを思い一礼。自分もその場所に行ったら同じようにしようと決めました。
ご視聴、コメントありがとうございます。真剣に動画を見て下さり、ほんとうに感謝です。
もう1つ、幻の特攻基地が、あったのですね。戦後生まれの自分ですが、歴史を理解することです。それから、特攻隊員が、父、母、弟さんに当てた手紙の内容の動画を見て、胸を締め付けられる思いが、しました。涙なしには、見られませんでした。
ご視聴、コメントありがとうございます。特別攻撃隊は合わせて約22の基地(中継の基地を発進基地とするかで数え方に若干違いがある)から発進したそうです。特攻隊はなかなか言葉の表現がしづらく、また、日本の南端のほうにあって、言葉として知っているけど実際見たことない、という方が多いかと思い(ぼくがそうでした)作品にしたいと思いました。見ていただき感謝です。今後も八重雲、どうぞよろしくお願いいたします。
こんばんは!特攻平和祈念館は知覧の影に隠れて余り知られてないですが121名の方々が出撃されたと聞いて何とも言えない気持ちです、沖縄の海に散って逝った方々のご冥福をお祈りします、そしてありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。ぼくもご冥福、そして感謝の気持ちから動画を制作しました。たしかに知覧はとっても有名ですね。有名すぎて、特攻基地は知覧しかなかったんじゃないか、と勘違いしちゃうほどですね。今後も八重雲、どうぞよろしくお願いいたします。みなさまの応援がたよりです!
予科練の生徒が真っ白な制服で登校する時に川に老夫婦が荷車で落とした時。泥んこになって引き上げてくれた。 制服が汚れますからいいですよと言うと、こんなことは当たり前のことですよ微笑んでくれたという。
ご視聴、コメントありがとうございます。予科練の生徒さんのやさしさに胸うたれます。「困ったひとを助ける」という生徒さんのやさしさに胸うたれます。コメントで書いてくださってありがとうございます。なにげないことですけど、とっても貴重です。八重雲チャンネルも、困ってる方々を少しでも良くしていけるような、そんなチャンネルを目指したいです。
この記念館は知覧とは比較にならぬ寂しさです。知覧のついででも 訪れてください
ご視聴、コメント、ありがとうございます。ぼくもここはよい祈念館と思います。
2年前に知覧特攻地に行きました、あの異様な場所は想像を超えたところでした,万世特攻地は全く知りませんでした、九州に何か所かあると聞きました,機会がありましたら。訪れてみたいです、跳んで埼玉下級市民75歳
ご視聴、コメントありがとうございます。九州は当時、最前線の場所だったようですね。埼玉から鹿児島への旅はなかなか大変だったと思います。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
知覧には4回ほど行かせていただきました最近万世の事知りお伺いしました英霊の御霊に合掌。
靖国遊就館、知覧特攻平和会館、鹿屋航空基地史料館、所沢航空記念公園と行きましたが万世特攻平和祈念館は存じませんでした。ぜひ伺ってみたいと思います。武器も与えられず餓死していった大勢の軍人、戦争被害者のこと、軍人ではないため恩給や補償のない戦災孤児のこと、沖縄のこともけっして忘れてはならないと思います。先の大戦中、首都圏の公会堂で音楽演奏会が開催されていたことは知られていません。戦争は差別と格差に立脚するもの、若者に血を流させ、一方で潤い豪華な生活を送っていた人はいるのです。けっして戦争はしてはいけないとあらためて思いました。動画ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。さまざまな知見やご意見、書いてくださることだけでも大変ありがたく、読むだけで勉強になります。今後もどうぞ八重雲、応援してくださいませ。
各地の資料館が、人員や経済的な事由で閉館しているようです心ある方々は情報を集め、出来る限りの支援をして行きましょう
ご視聴、コメントありがとうございます。そうなんですね。ランニングコストはどうしてもかかりますものね。難しいですね。
知覧(私も4回訪れ「ホタル帰る」を何度も読み返していますが)は特攻兵と鳥濱トメさんとの交流が有名ですが、万世や鹿屋を含め他の基地(航空機だけに限らず回天なども)にはどのようなドラマ(軽い言葉になってしまいますが)があったのか知りたい。
ご視聴、ありがとうございました。
このチャンネルもっと伸びてほしい🥲
ご視聴、応援、ありがとうございます。ほんとうに勇気づけられます。編集してても「見てくれる方がどれほどいるのだろう・・・」と迷いが生じることがあるのでコメントに救ってもらっています!今後も誠実な動画作っていきます。どうぞよろしくお願いいたします。
@@yaegumo はい!必ず見に行くので^_^頑張ってください!👍
もしあの時代に生きていたら、特攻隊に志願したんでしょうか?名誉なことだと受け止めることが出来たんでしょうか。時代って、怖いって思ってしまいますね❗
ご視聴、ありがとうございます。「志願」「暗なる命令」「断れない空気」などいろいろあったんでしょうか。。。現在でいうと高校を出たばかりの若者が、数日後の死を予告される。。。そして手紙は検閲されていたそうです。いろいろ考えさせられますね。
今年3月鹿屋→知覧→万世二泊三日の旅をしましたなぜ?なぜ?なぜ?…しかありません😢素晴らしい国と教えられ育ちましたがそうではなかったこと教育の中で認識操作されていたことにショックを受けました😢
ご視聴、そしてコメントありがとうございます。
群馬県桐生市出身の荒木伍長は万世飛行場から飛び立ったのあまり知られていませんよね。知覧と勘違いされている方がとても多いです。知覧に大きなパネル展示があるからでしょうか・・・?その辺り知覧では説明書きなかった気が・・・。大刀洗にも同じく荒木伍長のお写真があったのですが、荒木伍長は大刀洗飛行学校にいらっしゃったのでこちらはわかるのですが・・・。近くの吹上浜から東シナ海を見つめるとなんとも言えない物悲しさが漂います。
ご視聴、コメントありがとうございます。海ってさまざまな表情を持ちますね。今後もどうぞよろしくお願いいたします。
改めて思う。この時期勝ち目のない戦争に、意固地になって戦い続けた日本。本土く
ご視聴、ならびに
戦後79年‚かって日本はアメリカ合衆国と戦争をしてた歴史を現在の若者は知っているのだろうか!では今の日米同盟はなぜあるのか79年前に祖国を守る為に戦ったあの事実はどう解釈すればいいのか
ご視聴、コメント、どうもありがとうございます。
萬世はあまり知られてゐない。もつと知られるやうになつて欲しい。といひながら自分自身も知覧は何度か訪れたが萬世は一度しかない。だが知覧はよく知られてゐる一方で観光スポットみたいになつてゐる。萬世も知られるやうになつて欲しいが観光目的で来るやうな見学者が増えるのも嫌だな。現状程度がかへつて望ましいかもしれない。萬世と知覧はかなり離れてゐるので時間をかけて見学するなら同じ日に両方行くのは無理です。日程を調整してどちらも一日かけて見学できるやうにするはうがいい。
ご視聴、コメントありがとうございます。観光化による安っぽくなってしまうようなカンジと、いやいやひとりでも多くの人に知ってもらえるありがたいチャンスととらえる方向性と、悩ましいですね。たしかに見学は、おしりの時間を気にせず、ゆっくりと館内をめぐることをおすすめですね。
どれ程の若い命が、散っていかれたのか。人命軽視思想の表れである。
コメントありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
万世に一度はいかやんばい。
あいがとさげもした!
万世基地というと、有名なのは5人の隊員と1匹の子犬の写真で有名な第72振武隊ですね。5人とも年齢が17〜18歳と高校生の年齢、最年少が真ん中で子犬を抱いていた出撃当時17歳2ヶ月の荒木幸雄伍長。彼らがどんな思いで出撃したのかと思うと本当に切ないです。
ご視聴、コメントありがとうございます。
ホント、切ないですね。
有名な「子犬を抱いた少年兵」写真、じつは館長がいろいろ話してくれて撮影もしているんです。出撃延期になったこと、子犬を「チロ」と呼んだらしいこと、85歳の戦友が泣きながらこの写真に語りかけていたこと、などです。
写真や遺品の撮影ができないので本編ではカットとなりました。
多くの人に知ってもらいたい!という思いと、著作権やご遺族の思いを大事にしたい!という思いを常に持っています。
貴重な証言が誰にも知られることなく埋まってしまう、という危機感も制作者として常に感じておりまして、なんとかみなさんへお伝えできるよう、日々精進しています。
昨日知覧と万世に行って来ました❗️
知覧は有名で人が多かったのですが万世はあまり知られていないのか少なかったです🙄万世特攻平和祈念館ももっと知ってもらうべき所だと思います
おつかれさまでございました。
ぼくも下見などで知覧へも訪問していまして、知覧、さすがに有名で人も多かったですね。
しかも、けっこう施設が大きいんです。
またいつ行っても「お話」聞けます。
万世特攻平祈念館は、ちょっと小さめですが
ひょっとしたら、万世のほうが、隊員さんたちのお手紙をじっくり読むことができるかもしれないですね。
じっくり読むと、ハンカチ必須ですけど。。。
ご視聴、コメントありがとうございました!
私の叔父がこの基地に憲兵として勤務していたと聞きました。
まだ滑走路のなかった陸軍の駐屯地だったころのようでしたが、感慨深いものがありました。
それはそれは。
叔父上さまに感謝申し上げますとともに
動画ご覧下さりありがとうございます。
今後もどうぞ八重雲チャンネル、ご覧下さいませ。
真面目な動画、作っております。
最後まで家族のことを思っていたんですね。
忘れてはいけない素晴らしい人達です。
ご視聴、コメントありがとうございます。
ほんと、心優しい方たちが多いんです。
軍の機密でもあるから、ほんとうのことは言えない、
通常の手紙を装いつつ気持ちを伝える、、、
手紙を書いた若者や、受け取った家族を思うと泣けてきます。
今後もどうぞ八重雲、応援よろしくお願いいたします。
「加世田市万世小松原お寺ん前」これが幼少期、親から迷子になった時に答えるように教えられた言葉です。
小学校1年生まで万世に住んでいました。
当時は『よろずよに』の石碑だけが海岸近くに建っていた記憶があります。
このような記念館が出来たのですね。もっと万世の特攻隊も知ってほしいと思います。
動画を見ることが出来て良かったです。有難うございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
ケータイ電話の無い時代は、無い良さもありましたですね。
万世に住んでおられたということで
万世は広大な吹上浜が近くにある素晴らしい場所ですね。
最近は市町村合併による地名の変更も激しいですね。
万世特攻平和祈念館は
1993(平成5)年にオープン。
戦後およそ50年後のオープンです。
ほんとに忘れ去られる恐れがありました。
そのへんの動画に編集しきれなったことを
ブログ「さびん倉庫」で書いてもいます。
sabinsouko.com/banseitokkouheiwakinenkan20211229/
よかったらのぞいてみてください。
ブログでしか見られない、特典動画もあります。
今後もがんばりますので
どうぞ八重雲、よろしくお願いいたします。
この動画を観ることができたのは少しでもご縁があったと思っています😊。英霊様ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
恭しいお言葉、感謝です。
大変興味深かったです。知覧鹿屋を廻り、生存者の本を色々読ませていただきました。末期になると、燃料はない飛行機はない部品はないで、練習機の白菊(遅い…)まで特攻に使い、整備不良が多く、開聞岳が見える辺りになると空中分解して自然落下してくることも多かったとのことでした。敵のところまで辿りつけずに。それでも、上部は1日何人出撃のノルマ優先で、次々と若い搭乗員たちは十分な訓練も受けられないまま飛び立ちました。あの日と変わらぬ開聞岳を見るたび、彼らの無念を思います。心からの敬意と共に御冥福をお祈りいたします。up有難うございました。
いえいえいえ。こちらこそありがとうございます。
見てくれる皆さま、取材させてくだすった祈念館の方々のおかげです。
「開聞岳」のコメント、しみじみと読みました。
こういったコメント、寄せていただくことで
「ふと手を止めて考える・・・」という輪が広がればいいなあと思っています。
現在も新作撮影中であります。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
@@yaegumo 有難うございます。壊れた遅い練習機で片道燃料で文句も言えず散った若き英霊を思うと、慄然とします。時代とはいえ、末期は未成年が多いので、子を持つ親として、これは虐待じゃないかと正直思うほどです。今日は沖縄九州近海に米艦隊がいない、という日でも、今日のノルマは何人だからとにかく今日中に死んでくれ上が困るといわれるそうです。反論すると営倉(振武寮、だったかな、要はリンチ再教育施設、そのタイトルの証言本があります。)戦略としての特攻以前に、上層部のやっつけ思考が今に通じるお粗末ぶりです。万世は4ヶ月だけだったんですね…そうだったんですか…大変勉強になりました。太刀洗ももうほとんど遺構がなくて。あの愛らしい少年搭乗員たちの写真は心に突き刺さるトラウマです。まだ母が恋しいような年齢の子たちだったと証言有りました。阪大の山崎正和教授だったか、「戦争に子供を狩りだすようになったら、その戦争はもう絶対勝ち目がないからやめないといけない。これは人類共通の知恵として語り継ぐべきだ。」とおっしゃっています。(白虎隊の事ですが、彼らとちょうど同世代です)その通りですよね。こんな悲劇を忘れたら日本人いや、もはや人間じゃないです。今後も楽しみにしております。有難うございました💛
練習機じゃなくても米軍のレーダーで補足され重い爆弾を積んだ機体はグラマンの餌食になったでしょう
今私たちが平和に生活しているのが当たり前では無いんです戦争中沢山の生命が喪われた事、卓球の早田選手の気持ちは良く分かります私は、三回ほど知覧に行きました日本人であれば一回は訪問されて頂きたいと思います。
ご視聴、コメントありがとうございます。
戦跡なども取材しますので、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
2ヶ月前に、知覧、万世、伺いました。
万世は、ほんとしんどかったです。
ありがとうございました。
両方、すばらしいですね。
万世は2階一面に遺書が広がっているような展示レイアウトなので
目に次々と飛び込んでくるその筆跡、コトバ、思いに
ほんと、ハンカチ必須ですね。
ありがとうございました。
万世中学校卒業です。こちらの平和祈念館が建てられた当初、歴史の授業で行かせていただきました。当時は自分の住む土地にこんな過去があった事にショックを受け、館内で号泣しました。また万世に行った際には伺いたいと思います。
ご視聴、コメントありがとうございます。
ぼくは大人になるまで万世を知りませんでしたので、小さいころから知っているのは、地元ならではのものと思います。コメントありがとうございました。
知覧特攻平和会館は何度も行きましたが今度初めて万世特攻平和祈念館に行きました、他にお客さんがいなかったのでこの動画のように受付の方が丁寧に説明してくださりました。知覧同様何回行っても感動し、お蔭様でその後の日本があるのだと感謝します。
ご視聴、コメントありがとうございます。
万世特攻平和祈念館は温かいですよね。
なんというか祈念館でいろいろ見ますと
「日本」を大切にしなきゃな、と思います。
ブログ「さびん倉庫」に
編集しきれなかった素材がありますので
よかったらのぞいてみてください。
「片道燃料はただウワサだった!?」的な
本編に入らなかった素材を動画で見ることできます。
(燃料については恐ろしい目的があったらしい)
今後も動画制作がんばります。
どうぞよろしくお願いいたします。
@@yaegumo
きばぃやんせ❗
チェスト~❗
幻の特攻基地の万世が一番印象に残っており、料金も310円です。この平和祈念館は、風化を防ごうと大阪府枚方市の故苗村七郎氏が、私財を投じて設立されたことを祈念館で知りました。よろずよに込めた意味を思いながら、もし、日本が攻められたらどうすべきかと思っています。
ありがとうございました。
お礼だなんて、そんなそんな。
こちらこそご覧下さりありがとうございました。
いろんな人のいろんな思いを感じますね。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
鹿児島県知事塩田康一殿、ラサール、東京大学法学部卒業、鹿児島出身。何卒鹿児島に訪れたら人達に知覧、万世、鹿屋の特攻基地に一本の花をお願い出来ませんかね。戦争の悲劇であり犠牲者である若者たちの為にも、いまの世の中軍拡、軍拡、外国人天国、おかしな世の中になってきました。彼たち若者たちが平和だったら夢はなんだったんだろ、感謝の気持ちを込めてお花を一本でも捧げていただけませんかね。
今年の8月に知覧と万世に行きました。とてもキレイな祈念館でほぼ貸切だったので知覧よりも丁寧に見て回ることができて良かったです。
神風に興味を持って色々と調べている中で、別冊 1億人の昭和史 特別攻撃隊 という昭和に発刊されたムック本に出会いました。写真が多く非常に詳しく書いてあるので興味のある方にはオススメです。
ご視聴、コメントありがとうございます。
知覧にも万世にも行かれたんですね。
両方、それぞれいいところがあると思います。
万世の動画なので
万世の良い所をいいますと
すべての御遺書を拝読することができますね。
遺書の世界に入り込めますね。
知覧は巨大ですね。
兵器から建物、神社、歴史、写真、生活品、ジオラマなど
見るべきものが多すぎて
後半疲れちゃって
「遺書はまあいいかな・・」となりかねない
展示資料の豊富さがありますね。。。
本のご紹介もありがとうございました。
多くの人の、未来への参考資料としてたいへん貴重なコメントであります。
こういうの、探すとなると、なかなかタイヘンなんです。
今後も八重雲、どうぞよろしくお願いいたします。
🇯🇵Japan 🇯🇵日本を、救う為に特攻隊員となって亡くなられた方々に哀悼の意を称します。ありがとうございます。貴殿方の遠いお命のあがないによって私達は平和を享受しています。本当にありがとうございます。🙏
特攻隊員の子孫より
見ていただいて、ありがとうございます。
隊員さんのご子孫ということで
ぼくなんかが軽々に感情を表現できませんが、
貴重なコメント、ありがとうございます。
沖縄の諸島沖に米駆逐艦が撃沈され沈んでますが、そのすぐ傍にこの部隊から飛来したと思われる偵察特攻機の
発動機が見られるニュースを見た事あります。群馬辺りで錬成され、鹿児島から発進したそうなので、
万世だと思います。>知覧だと戦闘機が大半です。
万世は砂地の柔らかい滑走路なので固定脚の練習機のみだったと聞いてます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
こういったコメントをしていただけるだけでも
大変にありがたいです。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
米駆逐艦を航空特攻で沈めたのは、海軍九三式中間練習機 (通称「赤とんぼ」)であり、6か所の鹿児島海軍基地のどれかから出撃したのではないかな。
知覧や鹿屋は有名ですが万世と同じくあまり知られていませんが同じ鹿児島で出水海軍航空基地も約200名の隊員が特攻隊として出撃南の海で散りました。
遺構も少なく他の特攻基地のような祈念館もなく特攻碑公園として街中に佇んでいます。
特攻碑公園内には当時から残る地下壕に入る事もでき立派な戦争遺構として万世同様にもっと知っていただきたいと思います。
ご視聴、コメントありがとうございます。
鹿児島県の出水(いずみ)海軍航空基地ですね。
貴重なコメントに学びが深まります。
数年前に万世、知覧、鹿屋に行きましたが、涙腺が崩壊しそうでした。万世では、子犬を抱いた少年兵達の写真を見るのが辛かったです。また動画を見て涙腺が緩んでしまいました。
ご視聴、コメント、ありがとうございます。
それはそれは。良い旅であったことと思います。
ほんとうに隊員たちは皆、家族思いで優しい人ばかりですよね。
どんな思いであったろうと考えると、涙で手紙が読めなくなりますね。。。
今後もどうぞ八重雲をよろしくお願いいたします。
なかなか行くことが叶わないので、とてもありがたく拝見しました。ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
お礼だなんて恐縮です。
こちらこそ、見てくださって感謝です。
今後も真面目な映像を作っていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ブログ「さびん倉庫」に
UA-cam映像で紹介しきれなかった、細かい情報やサイドネタ
(映像としては説明が複雑すぎたり、地味すぎたりするネタ)も
紹介しています。
沖縄の松「琉球松」が植えてあったりするんです。
よろしかったら、そちらもご覧くださいませ。
素晴らしく意義のある動画投稿だと思います。
チャンネル登録しました。是非今後も続けていってください。
私も機会を見つけていろんなところを回りたいです。
映像の構成や編集、機材に至るまで始めたてとは思えないのですが、
以前より映像関係の制作をされていたのでしょうか?
応援しております。素敵な活動をありがとうございます。
ご視聴、ありがとうございます。
応援のお言葉、ファイトが湧きます!
今後も全国のさまざまなものを
真面目に撮影していこうと思っています。
末永く、よろしくお願いいたします。
コメント、いつでも気軽にどうぞ!
特攻隊の事になると涙が出てきます、若い人達の命を軍隊はどんなに考えていたのか?
ご視聴、コメントありがとうございます。
コメントいただくだけでほんとうに感謝です。
私は戦争に関しては全く無知でした。動画配信のお陰で特攻隊員さん達の事知りました。😢まだまだお若い尊い命生きていたかったと思います。この方々のお陰で今の日本があります。心よりご冥福お祈りさせて頂きます。そしてありがとうございます。😢
見て下さり、そしてコメント寄せていただきありがとうございます。
制作者であるぼくも、戦争を知らない世代でして勉強しながら制作しております。
戦争は、さまざまな見方があります。
動画作品というのは、複雑なコトは語りにくいので、単純な見方、ストーリーに置き換えて
作っていくことが多いです。テレビも同じです。
この万世陸軍飛行場作品も、多くの見方のうちのの、たかがひとつの見方にすぎないと思うので
戦争について、ほんの少し、みなさんの参考になればなあと思っています。
ありがとうございました。
突然とんでもない素晴らしいチャンネルが爆誕しましたね!
ありがとうございます。
元気いただくお言葉です。
これからも「300年後の日本人に知っておいてほしい映像を!」と思い、ネタ選定、撮影、編集がんばります。
ただどうしても、取材先の「許可」の問題がありまして、拒否されると撮影できません。。。
ユーチューブは「ふざけた映像・・・」というイメージが強く、拒否される率もなかなかなのです。。。
頂いた元気で、ますます熱意を持って取材先を説得いたします。
またこういった応援、ご支持が次の作品につながります。
どうぞよろしくお願いします!!
ありがとうございました。
陸軍特攻の陸軍特攻の主要な基地であった知覧はこれまで広く名を知られていましたが、その知覧に比べて万世は映像でもご説明があったように言わば突貫工事で急造された飛行場でした。亡父の同期の方々も水戸陸軍通信学校卒業と同時に第66戦隊に配属された後、沖縄方面への偵察爆撃行に出撃され戦死されています。
父存命中は毎年4月に挙行される特攻慰霊祭に参加してましたが、祈念館を訪れる度に二階壁に掲げてある同期の写真を食い入る様に見つめているのが印象的でした。
映像で紹介された滑走路跡の排水溝は初めて知りましたが、平成5、6年頃までは特攻隊隊員が宿舎に使っていた「飛龍荘」もありましたが残念ながら保存とはならず解体されました。
出撃時、飛龍荘に泊まっていた隊員をトラックで迎えに行ってたそうですが、基地途中にある竹田神社の桜の小枝を折って出撃したそうです。
元教官の話で「道路側に生えている竹田神社の桜は高さ二メートル位の所の枝ぶりが歪になっていますが、あれは隊員がトラックの上から枝を折って持っていったからそうなったんです」と説明されました。
元教官とは万世特攻祈念館を創設されたN村さんでした。
日陰的な万世基地を紹介して頂きありがとうございます。
ご視聴、コメント、感謝です。
枝ぶりがかたむいた桜のお話、ありがとうございます。
若き隊員たちの気持ちを思うと、ぐっとくるものがありました。
飛龍荘のお話も初めて聞くものでありました。
すでに解体されているという飛龍荘。
飛龍荘もいずれ忘れ去られる運命と思います。
しかし、ここにコメントしていただいて、未来の人に少しでもなにか伝わるものが残ったかと思います。
ありがとうございました。
今後もどうぞ八重雲、よろしくお願いいたします。
大分前の事、武田鉄也氏が自著エッセイ集に書き、某ラジオ番組で「鹿屋・知覧基地では滑走路脇に特攻花が咲いていた(大金鶏菊外来種)」と話していましたが、それを聴いた祈念館創設者苗村先生は「当時、私は打ち合わせの為、幾度も知覧基地、鹿屋基地へ行きましたが、そんなものは一切ありませんでした、それは戦後進駐した米軍が持って来たもので断じてそれは特攻花ではありません」と文書で抗議された逸話も聞きました。また慰霊祭前日指定旅館での夕食時元整備兵の方と隣り合わせでした。私が「当時の特攻機は本当に飛ぶのがやっとの飛行機であったか」と尋ねましたが、元整備員の方は「本当です、何度整備してもエンジン不調で堕ちる、緩んだビスを増し締めしてもすぐに緩み機体から外れる・・本当に酷いものでそれに乗って行く隊員が可哀想でなりませんでした」と話しました。ちょっと余談です。
6:29 隊員のことを思い一礼。自分もその場所に行ったら同じようにしようと決めました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
真剣に動画を見て下さり、ほんとうに感謝です。
もう1つ、幻の特攻基地が、あったのですね。戦後生まれの自分ですが、歴史を理解することです。それから、特攻隊員が、父、母、弟さんに当てた手紙の内容の動画を見て、胸を締め付けられる思いが、しました。涙なしには、見られませんでした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
特別攻撃隊は合わせて約22の基地(中継の基地を発進基地とするかで数え方に若干違いがある)から発進したそうです。
特攻隊はなかなか言葉の表現がしづらく、また、日本の南端のほうにあって、言葉として知っているけど実際見たことない、という方が多いかと思い(ぼくがそうでした)作品にしたいと思いました。
見ていただき感謝です。
今後も八重雲、どうぞよろしくお願いいたします。
こんばんは!特攻平和祈念館は知覧の影に隠れて余り知られてないですが121名の方々が出撃されたと聞いて何とも言えない気持ちです、沖縄の海に散って逝った方々のご冥福をお祈りします、そしてありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございます。
ぼくもご冥福、そして感謝の気持ちから動画を制作しました。
たしかに知覧はとっても有名ですね。
有名すぎて、特攻基地は知覧しかなかったんじゃないか、と勘違いしちゃうほどですね。
今後も八重雲、どうぞよろしくお願いいたします。
みなさまの応援がたよりです!
予科練の生徒が真っ白な制服で登校する時に川に老夫婦が荷車で落とした時。泥んこになって引き上げてくれた。 制服が汚れますからいいですよと言うと、こんなことは当たり前のことですよ微笑んでくれたという。
ご視聴、コメントありがとうございます。
予科練の生徒さんのやさしさに胸うたれます。
「困ったひとを助ける」という生徒さんのやさしさに胸うたれます。
コメントで書いてくださってありがとうございます。
なにげないことですけど、とっても貴重です。
八重雲チャンネルも、困ってる方々を少しでも良くしていけるような、
そんなチャンネルを目指したいです。
この記念館は知覧とは比較にならぬ寂しさです。知覧のついででも 訪れてください
ご視聴、コメント、ありがとうございます。
ぼくもここはよい祈念館と思います。
2年前に知覧特攻地に行きました、あの異様な場所は想像を超えたところでした,万世特攻地は全く知りませんでした、九州に何か所かあると聞きました,機会がありましたら。訪れてみたいです、跳んで埼玉下級市民75歳
ご視聴、コメントありがとうございます。
九州は当時、最前線の場所だったようですね。
埼玉から鹿児島への旅はなかなか大変だったと思います。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
知覧には4回ほど行かせていただきました最近万世の事知りお伺いしました英霊の御霊に合掌。
靖国遊就館、知覧特攻平和会館、鹿屋航空基地史料館、所沢航空記念公園と行きましたが万世特攻平和祈念館は存じませんでした。ぜひ伺ってみたいと思います。武器も与えられず餓死していった大勢の軍人、戦争被害者のこと、軍人ではないため恩給や補償のない戦災孤児のこと、沖縄のこともけっして忘れてはならないと思います。先の大戦中、首都圏の公会堂で音楽演奏会が開催されていたことは知られていません。戦争は差別と格差に立脚するもの、若者に血を流させ、一方で潤い豪華な生活を送っていた人はいるのです。けっして戦争はしてはいけないとあらためて思いました。動画ありがとうございます。
ご視聴、コメントありがとうございます。
さまざまな知見やご意見、書いてくださることだけでも大変ありがたく、読むだけで勉強になります。
今後もどうぞ八重雲、応援してくださいませ。
各地の資料館が、人員や経済的な事由で閉館しているようです
心ある方々は情報を集め、出来る限りの支援をして行きましょう
ご視聴、コメントありがとうございます。
そうなんですね。ランニングコストはどうしてもかかりますものね。
難しいですね。
知覧(私も4回訪れ「ホタル帰る」を何度も読み返していますが)は特攻兵と鳥濱トメさんとの交流が有名ですが、万世や鹿屋を含め他の基地(航空機だけに限らず回天なども)にはどのようなドラマ(軽い言葉になってしまいますが)があったのか知りたい。
ご視聴、ありがとうございました。
このチャンネルもっと伸びてほしい🥲
ご視聴、応援、ありがとうございます。
ほんとうに勇気づけられます。
編集してても「見てくれる方がどれほどいるのだろう・・・」と
迷いが生じることがあるので
コメントに救ってもらっています!
今後も誠実な動画作っていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
@@yaegumo はい!必ず見に行くので^_^頑張ってください!👍
もしあの時代に生きていたら、特攻隊に志願したんでしょうか?名誉なことだと受け止めることが出来たんでしょうか。時代って、怖いって思ってしまいますね❗
ご視聴、ありがとうございます。「志願」「暗なる命令」「断れない空気」などいろいろあったんでしょうか。。。
現在でいうと高校を出たばかりの若者が、数日後の死を予告される。。。
そして手紙は検閲されていたそうです。
いろいろ考えさせられますね。
今年3月
鹿屋→知覧→万世
二泊三日の旅をしました
なぜ?なぜ?なぜ?
…しかありません😢
素晴らしい国と教えられ育ちましたが
そうではなかったこと
教育の中で認識操作されていたことに
ショックを受けました😢
ご視聴、そしてコメントありがとうございます。
群馬県桐生市出身の荒木伍長は万世飛行場から飛び立ったのあまり知られていませんよね。知覧と勘違いされている方がとても多いです。知覧に大きなパネル展示があるからでしょうか・・・?その辺り知覧では説明書きなかった気が・・・。大刀洗にも同じく荒木伍長のお写真があったのですが、荒木伍長は大刀洗飛行学校にいらっしゃったのでこちらはわかるのですが・・・。
近くの吹上浜から東シナ海を見つめるとなんとも言えない物悲しさが漂います。
ご視聴、コメントありがとうございます。
海ってさまざまな表情を持ちますね。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
改めて思う。この時期勝ち目のない戦争に、意固地になって戦い続けた日本。本土く
ご視聴、ならびに
戦後79年‚かって日本はアメリカ合衆国と戦争をしてた歴史を現在の若者は知っているのだろうか!では今の日米同盟はなぜあるのか79年前に祖国を守る為に戦ったあの事実はどう解釈すればいいのか
ご視聴、コメント、どうもありがとうございます。
萬世はあまり知られてゐない。もつと知られるやうになつて欲しい。といひながら自分自身も知覧は何度か訪れたが萬世は一度しかない。だが知覧はよく知られてゐる一方で観光スポットみたいになつてゐる。萬世も知られるやうになつて欲しいが観光目的で来るやうな見学者が増えるのも嫌だな。現状程度がかへつて望ましいかもしれない。萬世と知覧はかなり離れてゐるので時間をかけて見学するなら同じ日に両方行くのは無理です。日程を調整してどちらも一日かけて見学できるやうにするはうがいい。
ご視聴、コメントありがとうございます。
観光化による安っぽくなってしまうようなカンジと、いやいやひとりでも多くの人に知ってもらえるありがたいチャンスととらえる方向性と、悩ましいですね。
たしかに見学は、おしりの時間を気にせず、ゆっくりと館内をめぐることをおすすめですね。
どれ程の若い命が、散っていかれたのか。人命軽視思想の表れである。
コメントありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
万世に一度はいかやんばい。
あいがとさげもした!