んでまーこの映画は狂ってると申しましたが、 特に男性キャラ、全員狂ってます。 ハンスも、伏線無しに裏切っちゃいけません。ディズニー違反だろ。 お父さんもね。冒頭の事故時に「What had you done.」言いますけど、 のちにエルサが「What I had done.」言うのね? エルサ可愛いね。 んでねオラフ! こいつ「アナのためなら溶けても良いよ」言います。 これね・・・どう考えても「真実の愛」でしょ? なんでそれでは、アナを救えなかったのか? 考えれば考えるほど深みのある作品・・・かも
あげあしとりではなく、エルサは別に人間性を失っていっているわけではないのでは? 物語が進んでいっても、エルサの中には、強大な魔力と、じゅうぶんすぎるほどの思いやりや気づかいや愛情が、同時にあるように見えるのですが。 このあとのシーンで、エルサは谷の向こう側(魔法のある世界)とこちら側(魔法の無い世界)に魔法で美しい巨大な氷の橋を架けて駆け上がっていきます。そのちょうど真ん中辺り(人間界と自然界の境目)で楽しそうに微笑み始め「I am one with the wind and sky」と歌います。高らかに歌い上げず、さらっと、聞き逃しそうなくらいとても自然に歌います。エルサが、無意識かもしれませんが、自分が何者でどこに属している存在なのかを会得したことの現れだと思っています。自然と一体化したからといって人間性を失っているようには私には見えないのですが。 そして個人的に、「アナ雪2」にはこの「I am one with the wind and sky」が物語の背後にテーマとしてずっとあるように感じます。
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私は性同一性障害のトランス女性とされる元男性、現女性です。
岡田先生の解釈と少し違う?ちょっとニュアンスが違うところがありました。性別違和で悩みながら幼少期〜思春期を過ごした私の経験のせいかもしれませんが、「もともと寒くなかった」は、エルサはおそらく最初から気付いていたんじゃないかと思ってます。
私も男らしくない、変な目で見られる、気持ちが悪い。そう教えられ一生懸命“普通”に生きようと頑張っていました。でも、自分を抑え続けて生きることができなくなり、家族や故郷を捨てて生きることを余儀なくされ、孤独な人生を進む覚悟をして歩き始めた記憶と重なりました。
大切なものすべてを捨てる悲しさ、期待を裏切る罪悪感、進む先には恐らく破滅がまってる。でも、もう私を縛るものはない。自由にありのままの自分で生きていい。死ぬ前に自分らしく生きたい、そうヤケクソになっていた自分を思い出します。
ずっと男らしく振る舞ってきた。可愛いものなんて興味ないと言ってたけど、本当は大好きだった。エルサも、本当は寒くなんてなかった。普通の人として振る舞うために必死に寒いフリをしていた。でも変と思われても構わない。これこそが本当の私なんだ。
寒くなんてないという自分らしさをあえてポジティブに表現することによって、そんな自分に自信をもてるように暗示をかけ、引き返そうと不安になる気持ちを振り払う。そして二度と戻れない一線をこえようとしている。
歌の最後に決めるドヤ顔も吹っ切れて自信に満ちた姿にも見え、でも、アナが来て連れ戻そうとした時の動揺もまたその覚悟が自己暗示が解けかけている。自分らしくは生きたいけれど、全てを捨てたかったわけじゃない。だからこそ心が揺れ、もっともっと闇に堕ちようと自虐的になってしまう。
全部私の実体験から推量しただけの話ですが、エルサの心の揺れも含めて説明がつくのではないかと感じてます。
無駄に長く稚拙な文章ですみませんでした。
あえて観ないようにしていましたが、とあることをきっかけに、UA-camでチラチラ観るようになりました。それが、今月のこと。
びっくりしました。グッドタイミング!
英文見ながらだと確かに親のモノマネとかやってて面白い。まさか作品の印象を 180度変えるような替え歌だったとは。
円盤出た辺りからマーベル系好きがヴィラン物として注目してたと思いますね、もし戦わばみたいな話も有ったし、その精神性がヒーローではないって話もしてたと思います
んでまーこの映画は狂ってると申しましたが、
特に男性キャラ、全員狂ってます。
ハンスも、伏線無しに裏切っちゃいけません。ディズニー違反だろ。
お父さんもね。冒頭の事故時に「What had you done.」言いますけど、
のちにエルサが「What I had done.」言うのね? エルサ可愛いね。
んでねオラフ! こいつ「アナのためなら溶けても良いよ」言います。
これね・・・どう考えても「真実の愛」でしょ?
なんでそれでは、アナを救えなかったのか?
考えれば考えるほど深みのある作品・・・かも
月曜ジャンク
あげあしとりではなく、エルサは別に人間性を失っていっているわけではないのでは? 物語が進んでいっても、エルサの中には、強大な魔力と、じゅうぶんすぎるほどの思いやりや気づかいや愛情が、同時にあるように見えるのですが。
このあとのシーンで、エルサは谷の向こう側(魔法のある世界)とこちら側(魔法の無い世界)に魔法で美しい巨大な氷の橋を架けて駆け上がっていきます。そのちょうど真ん中辺り(人間界と自然界の境目)で楽しそうに微笑み始め「I am one with the wind and sky」と歌います。高らかに歌い上げず、さらっと、聞き逃しそうなくらいとても自然に歌います。エルサが、無意識かもしれませんが、自分が何者でどこに属している存在なのかを会得したことの現れだと思っています。自然と一体化したからといって人間性を失っているようには私には見えないのですが。
そして個人的に、「アナ雪2」にはこの「I am one with the wind and sky」が物語の背後にテーマとしてずっとあるように感じます。
押さえるを抑えるって誤変換してそれがそのまま蔓延るのは、岡田斗司夫さんへのリスペクトを感じないなぁ。
英詞と内容違おうが日本語版のほうが歌詞が好き
岡田先生がお考えになるよりも、もう少しこの映画は狂っています。
作者のジェニファー・リーは、シングルマザーで娘が居ます。
その娘さんがどうやら発達障害らしいです。
これだけでも自分史映画ぽいですね。
言っちゃうと、この映画は姉と妹のカタチをとった母と娘の映画なのです。
さらに言えばジェニファー・リーのお母さんもシングルマザーで、
ジェニファー・リーにはお姉さんが居ます。
代々シングルマザー。
んでこの作品の特徴的なキャラデザインですが、
この傾向、見覚え有りませんか?
そうですね「アタックNo.1」です。
目が大きくて口と鼻が小さく、胸が小さくお尻も小さく、やけに手足が長い。
これね、かつてバカにされた少女漫画の典型キャラなんですね。
男子もバカにするだけじゃなくて、もっとその理由を考察するべきでした。
これね・・・二次性徴に対する拒否感なんです。
小学校高学年くらいまでは、女子の方が戦闘力上なんですが、
その後どんどん不利になって行く。
活発な、野心有る女子にとっては、まことに不当な気がすると思います。
男の子が筋肉を付けていくのに、自分は余計なところに肉がついて、生理的な負担まで生じる。
この不当感の代弁が少女漫画キャラなのです。
んではしょりますが、
山に逃げるのは「母になることへの拒否」なんですよ。
これ男には分からん。
んで妹(アナ)実は娘相当が、傷つき、犠牲を払って、母に母の自覚を促すというハナシ。
そりゃ男には分からんワナ。
ディズニーからなんかもらってるんですか?
陰謀論者?
うちのおかんがいっていた「3Dキャラの目がでかすぎて、なんかキモイ。
よいところといえば『Let it Go』(英語版)のところだけ。」と。